その脚が砕けるまで   作:えすてる結合

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孤影、そして契約

「運命とは偶然の問題ではなく、選択の問題である」── ウィリアム・ジェニングス・ブライアン

 

 どれだけ才能があっても、それだけでは勝てない。

 時間をかけ、選択を積み重ねた者だけが、最終的に勝者となる。

 

──そう、歴史が教えてくれた。

 

 だが、それを信じるには。

 今の私は、あまりにも無力だった。

 

 レースが終わった直後、

 私はただ、静かにその場に立っていた。

 目の前で、スターリープライドが囲まれている。

 

「素晴らしい走りだった!」

「君なら間違いなくトップクラスに行ける!」

「ぜひ、うちのチームへ!」

 

 次々とトレーナーが彼女に群がり、競うように声をかけていた。

 

 当然だろう。

 あの末脚を見れば、誰もが彼女の才能を信じる。

 彼女がトゥインクル・シリーズで輝く未来は、疑いようがなかった。

 

 そして、エレガンジェネラル。

 

「君の走りも素晴らしかった!」

「次世代のエース候補だ、うちに来ないか?」

 

 2着の彼女にも、何人かのトレーナーが話しかけている。

 彼女は戸惑いながらも、嬉しそうに頷いていた。

 

 一方で、私は。

 誰も、声をかけてこなかった。

 心が、静かに沈んでいく。

 

 確かに、私は3着だった。

 決して悪い成績ではない。

 だが、目の前のスターリープライドと比べれば見劣りすることは、自分でも否定できない。

 

 エレガンジェネラルよりも下の順位である時点で、私に目を向けるトレーナーがいないのも当然だった。

 

 静かに、その場を去ろうとする。

 

──そのとき。

 

「お待ちください。」

 

 背後から、柔らかい声がした。

 振り返ると、そこには一人の男が立っていた。

 

 30代後半くらいの、落ち着いた雰囲気の男。

 スーツはシンプルで、どこか品のある佇まい。

 その目には、静かながらも確かな意志が宿っていた。

 

「……どなたですか?」

「杉本と申します。トレーナーをしております。」

 

 杉本。

 聞いたことのない名前だった。

 

「あなたの走りを、見ておりました。」

 

 彼はそう言って、私をじっと見つめる。

 

「……私の?」

「はい。」

 

 即答だった。

 

「どうして私……?」

「その前に、一つだけお尋ねしてもよろしいでしょうか。」

 

 彼の声は穏やかだった。

 だが、その次の言葉には、確かな重みがあった。

 

「あなたは、勝ちたいと思って走りましたか?」

 

「……勝ちたい?」

 

 その問いに、私は言葉を失った。

 何を言っているのだろう。

 勝ちたくないウマ娘がいるわけがない。

 

 だが、勝てるかどうかは別の話だ。

 

「私は、3着でした。」

「それがどうかしましたか?」

 

 杉本トレーナーは、まるで何でもないことのように言う。

 

「確かに、スターリープライドには完敗でしたね。エレガンジェネラルにも及びませんでした。」

 

──やけにあっさりと言う。

 

「あなたが今、才能の面で劣るのは明らかです。」

「……なら、なぜ私に?」

「それは、あなたにはまだ『伸びしろ』があるからです。」

「伸びしろ……?」

「はい。」

 

 杉本トレーナーは、優しく微笑みながら続ける。

 

「才能だけで勝てるなら、レースの世界はもっと単純なものになっているはずです。しかし、実際は違います。」

「……」

「勝負を分けるのは、努力と、鍛え方です。」

 

 彼の声には、不思議な説得力があった。

 

「あなたの走りには、まだ成長の余地があります。今のままではトップクラスには届きませんが、それは『今のまま』だからです。」

「……」

「もし、私のもとで走るのであれば、一緒にその可能性を追求しませんか?」

 

 私は、しばらく黙っていた。

 

 選択肢は、二つ。

 ここで終わるか。

 それとも、まだ走るか。

 

「……私は」

 

 そのとき、脳裏に浮かんだのは──

 

 ゴールの向こうに消えた、スターリープライドの背中。

 彼女との差は、絶望的だった。

 だが、それでも。

 

「……走りたいです。」

 

 私は、そっと手を差し出した。

 杉本トレーナーは、穏やかに微笑み、それをしっかりと握り返した。

 

 契約成立。

 

「では、目標を決めましょう。」

「目標……?」

「あなたは、何を目指しますか?」

 

 この差を1年やそこらでは埋まらない。でも、クラシック級の終わりなら。私は、一瞬考えたあと──

 

 はっきりと言った。

 

「秋華賞で、スターリープライドを倒します。」

 

 杉本トレーナーは、満足そうに頷いた。

 

「素晴らしい目標ですね。」

「……私を、勝たせてくださいますか?」

「それを決めるのは、あなた自身です。私は、そのお手伝いをさせていただくに過ぎません。」

 

 そう言って、彼は優しく微笑む。

 

「行きましょう。あなたの戦いは、ここから始まります。」

 

──こうして、私のトゥインクル・シリーズが、始まる。

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