その脚が砕けるまで   作:えすてる結合

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未知なる領域

「最大の名誉はけっして倒れないことではない、倒れるたびに起きあがることである」──孔子

 

 勝負の世界において、失敗は避けられない。

 負けを知ることで、己の弱さを理解し、成長の糧とする。

 だからこそ、敗北を恐れず、挑戦し続けることが重要なのだ。

 

──今、私はその岐路に立っている。

 

「……差し、ですか?」

 

 杉本トレーナーの言葉を聞き、私は思わず問い返した。

 

「はい。」

 

 彼は、穏やかに頷く。

 

「これまであなたは先行の形で走ってきましたね。レース展開に左右されにくく、安定した結果を残しやすい脚質です。」

「……ええ、ですが……」

 

 私は戸惑いを隠せなかった。

 

「なぜ、今になって脚質を変えるのですか?」

 

 杉本トレーナーは少し目を伏せ、静かに言葉を紡ぐ。

 

「私は、あなたに差しが合っているとは断言しません。」

「……?」

「ですが、スターリープライドの末脚を見ましたね?」

「あの速さ……」

 

 思い出すだけで、背筋が粟立つ。

 

 彼女の走りは、ただ速いだけではなかった。

 ゴールに向かうその一瞬で、すべてを凌駕する。

 

「あの世界を、一度でも知るべきだと思います。」

 

 杉本トレーナーの言葉は、ゆっくりと私の中に落ちていく。

 

「今までの走りも、決して悪いとは思いません。ですが、トゥインクル・シリーズでは、さらに上の領域が求められます。」

「……それは」

「だからこそ、試してみるのです。目先の勝利を捨ててでも、未知なる可能性を探る価値はあります。」

 

 私は、しばらく黙っていた。

 先行のスタイルは、これまでの私の走りの核だった。

 それを今さら変えるなんて、非効率だとすら思う。

 

 だが──

 

 スターリープライドとの差は、圧倒的だった。

 

「……わかりました。」

 

 私は、静かに頷いた。

 

「試してみます。」

 

 翌日から、私は差しの走りを学ぶことになった。

 これまでと違い、スタート後は無理に前へ出ない。

 後方からじっくりとレースを進め、終盤で一気にスパートをかける。

 

「……難しいですね。」

 

 トレーニング初日、私は思わず漏らした。

 

「前のペースに合わせるのが想像以上に大変です。今までのようにリズムを作るのとは違って……」

「当然です。」

 

 杉本トレーナーは微笑む。

 

「これまでの走りとは、まったく別の感覚ですからね。」

「……」

「ですが、すでに少しずつ形になってきています。」

 

 私は自分の走りを振り返る。

 

 確かに、まだぎこちなさはあるものの、終盤の伸びは今までとは違う。

 何か新しいものが芽生えつつある感覚があった。

 

「今は試行錯誤の段階です。焦らずにいきましょう。」

 

 そして、数週間後。私は、メイクデビューを迎えた。

 

「緊張していますか?」

 

 スタートゲートへ向かう途中、杉本トレーナーが静かに問いかけた。

 

「……少し。」

 

 嘘ではない。

 トレセン学園でのトレーニングを経て、この日を迎えた。

 だが、新たな脚質に挑戦する以上、成功する保証はない。

 

「いいですね。」

 

 杉本トレーナーは微笑む。

 

「緊張は、挑戦の証です。」

「……」

 

 私は、深く息を吸う。

 

「あなたが学んできたものを、ここで試してください。」

 

「……はい。」

 

 私は、ゲートへと向かった。ゲートに入り、深く息を吐く。

 

──スターリープライドの末脚。

 

 彼女の世界を知るために、私はここにいる。

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