12話更新します。
小牧山上空に到達した。
しかし、そこには敵の姿も、交戦の兆候もなかった。
ただ、あまりに静かだった。
どこか不自然な静寂。風の流れすら鈍い。編隊の飛行音と、かすかに軋むストライカーユニットの駆動音だけが耳に残る。
佳乃は眉をひそめながら、無線に声を乗せた。
「こちら美濃柴。現在、小牧山上空に到達。ネウロイの姿はまだ確認できないわ」
光恵の声がすぐに返る。
「了解。警戒を続けろ。敵はすぐそこまで迫っているはずだ」
誰もが、その言葉の意味を痛感していた。
——何も見えないのに、何かが迫っている。
遠く、空の彼方から微かに震えるような地鳴りが伝わってきた。
それは雷のようでもあり、地中から響く咆哮のようでもあった。空を震わせる低音が、胸の奥を震わせる。
美春は思わず目を細め、遥か南の方角に視線を向けた。
そこには、何も見えない。いや、見えないというより、覆い隠されていた。
名古屋方面の空が、墨を流したように真っ黒に染まっている。
——まるで、黒い天蓋。
その一帯だけが、異様なほどの暗さに包まれていた。
まだ日は沈んでいない。空は夕暮れに差しかかる時間帯のはずだ。それなのに、名古屋の上空だけは、まるで夜が落ちたかのように、暗く、沈み、何も見えなかった。
風に乗って、どこか焦げたような臭いが漂ってくる。
油と金属、そして焦土の臭い。それが空気に溶け込み、肺に刺さる。
「……あれが、名古屋……?」
美春がつぶやくように呟いた。
佳乃も、じっとその暗雲を睨んでいた。
「……あれだけの煙……市街はすでに燃えてるわ。地上は炎に包まれているはずよ」
そう——見えなくても分かる。
かすかに見えるのは、暗雲の下にちらつく赤い光。ゆらゆらと脈打つように、雲の縁から覗く炎の気配。
まるで、地の底から湧き上がる業火のようだった。
名古屋の街が、今まさに飲み込まれていく。
音もなく、ただ煙と熱だけが押し寄せるその光景は、視界に入るのに“見えない”という、言いようのない不気味さを孕んでいた。
「……まるで、地獄ね」
誰かが、そう呟いた。
誰の言葉だったか分からない。それほどに、全員が同じ感覚を共有していた。
見えない恐怖。
音もなく進む終末。
それが、今この空の向こうで進行している。
美春は思った。
——あそこにいた人たちは。
——馴染みの店のあの人は。
——まだ……生きているのだろうか。
だが、その疑問に答える術はなかった。
小牧から見えるはずの何もかもが、煙に包まれていた。
そして、その煙の奥に何があるのか、それを見ようとする意志すら、重く抑え込まれるような感覚に苛まれた。
空はまだ落ちてはいない。
だが、希望だけが、既に地上から吹き飛ばされているようだった。
その静けさの中、編隊は、雲と黒煙の境界線の手前で、ただじっと、次の命令を待っていた。
——それは、嵐の前の静けさ。
まさしく、戦いが始まる寸前の、絶望が支配する静寂だった。
その時だった。
わずかに、空の一角で何かがきらめいた。ごく微かな、しかし確実に異様な光。反射とも発光ともつかない、それはまるで空間の綻びが露出したような煌めきだった。
「……美春! あれを見て!」
先頭を飛ぶ佳乃が、緊張を帯びた声で叫んだ。
その瞬間、美春の意識は研ぎ澄まされ、反射的に自身の固有魔法を発動していた。
——超視力。
遠くの物体を瞬時に捉え、細部まで視認する能力。生身の人間では到底見えないはずの遠方を、美春の目はまるで間近で眺めるかのように映し出す。
「……っ……います……ネウロイです!」
声が震えた。
だが、それは恐怖ではない。確信だった。
煙と雲の裂け目を縫うように、漆黒の塊が静かに動いていた。
禍々しい形状。黒と灰の境界を揺らすような輪郭。明確な敵意を示す攻撃はまだない。だが、その進路は明らかにこちらへと向かっている。
「数は……小型が十……大型が二体。高度を取って進行中。編隊飛行……まるでこちらの様子を窺っているような……」
美春は言いながらも、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
ネウロイはその姿も行動も一貫性に欠ける。知性を持つのかも分からない。ただ破壊する存在——そのはずなのに、今回のネウロイたちは、まるで“観察”しているかのような動きだった。
隊のインカムに緊張が走る。
「佳乃、見えるか」
光恵の低く鋭い声が響く。
「はい、確認しました。編隊飛行での接近……通常の襲撃パターンとは異なります」
「意図は不明……だが警戒を解くな。即応体制を取らせろ」
「了解。全機、警戒態勢へ! すぐに散開、迎撃体制を取って!」
佳乃が的確に指示を飛ばす。
機体が高度を維持したまま、左右へと展開する。美春も慣れた操作でストライカーを操り、自らの間合いを保つ位置へと飛んだ。
空は、まだ穏やかだった。
太陽はすでに西へ傾き、昼と夕方の境界が空を淡く染めている。だがその静けさが、むしろ不気味だった。
——これは、嵐の前の静けさ。
そんな言葉が、美春の脳裏に過ぎる。
「美春、ネウロイの動きはどう?」
佳乃の声が届く。
「小型の編隊が、やや散開しながら高度を上下に揺らしています。進路は変わらずこちら。大型はその背後を守るように……まだ攻撃動作はありません」
「了解。……まるで、偵察でもしているみたいね」
「……ええ。でも、ネウロイに“偵察”なんて概念があるのか……」
美春はそこで言葉を止めた。
ネウロイに意図や目的など考えるだけ無駄だと、訓練でも繰り返し教えられてきた。
「光恵、どうする……?」
佳乃の問いに、一瞬、無線が沈黙する。
「——先制する」
短く、だが明確な言葉だった。
「確かに今は攻撃していない。だが、放置は危険だ。偵察を許せば甚大な被害につながる。先に討つ」
「佳乃、まずは小型の一隊を狙え。全機、射程に入った瞬間、誘導魔弾で先制。威嚇ではなく撃墜を狙え」
「了解。全機、指定目標にロックを合わせて。各自、タイミングは任意。捕捉できた者から攻撃開始!」
「……っ、やるしかない!」
美春も気持ちを切り替え、息を深く吸い込んだ。
魔力が流れ込むのを感じる。手のひらが熱を帯び、指先にまで圧縮された魔力が集中していく。
それは、敵を打ち払い平和をもたらす力。
「距離……残り、500。400……300……」
佳乃の声がカウントダウンする。美春は目を細め、最も近いネウロイの小型機を狙い定めた。
「200……150……撃てッ!!」
空が閃光に包まれた。
美春の放った魔弾は一直線にネウロイの外殻を撃ち抜き、一体が爆ぜるように砕け光と霧散した。
周囲からも次々と攻撃が加わり、小型が一体、また一体と音もなく崩れていく。
だが、それで終わりではなかった。
「来るわよ! 気をつけて! シールド展開!」
佳乃の鋭い声が編隊に響いた。
その瞬間、空が割れたように赤黒い光線が迸る。敵ネウロイの主砲——高出力のビームが、稲妻のような速度で飛来してくる。
複数の方向から照準が合わされ、立体的に空間が封鎖されていく。
「……っ! 全員、回避を優先して!」
機械音とも虫の羽音ともつかない奇怪な音を引き連れて、巨大な熱線が一直線に空を裂いた。
美春は反射的に両手を突き出し、固有魔法で展開する防御障壁を最大出力で広げる。透明な魔力の盾が軋みながら、直撃を受けた。
「シールド、持ちこたえて……っ!」
ビームは防がれた。しかし、衝撃波は身体を揺らし、空気を振るわせた。真横を飛んでいた千歳の帽子が吹き飛び、秋乃のスカートがめくれあがるほどの風圧だった。
「各機、損傷報告を!」
頼子の冷静な声が無線を通して響く。
「大丈夫……無傷です……!」
「私も問題ありません……!」
「かすり傷もないわ!」
報告が続く中、視界の端で何かが動いた——。
その刹那、敵の第二波が空を切り裂いた。今度は大型ネウロイが反応を見せたのだ。周囲の空気が震え、音のない圧力が全方位から編隊を襲う。
「大型機、確認!」
佳乃の叫びが光恵の耳にも届いた。美春たちの編隊を包囲するように、敵が再配置を行っていた。まるで戦況を見て調整しているかのような挙動だった。
「佳乃、右翼を支援しろ! 大型を一体だけでも分断させる!」
「了解! 千歳、秋乃、私についてきて!」
佳乃の機動は鋭かった。空間を切り裂くように機体を旋回させ、高速で右翼へと飛翔する。その直後、右側から放たれたビームが一条、美春たちの足元すれすれを貫いた。
「くっ、これ以上は――!」
美春も即座に対応し、機体を反転させながら急上昇。間一髪で直撃を免れたが、今度は背後から強烈な熱波が迫ってきた。
大型ネウロイの一体が、機体中央部から黒い球状の塊を吐き出した。それは空中で蠢き、分裂するようにして複数の小型ネウロイを形成していく。まるで“子機”を展開しているかのようだった。
「分離型ネウロイ……!? あれ、増えてるわ!」
美春が目を見開いた瞬間、空に新たな脅威が散開していた。
敵影は規則性のない軌道で散り、編隊の後方や死角を狙うように動き出していた。まるで、大型ネウロイが“群れ”そのものであるかのような戦術的挙動だった。
その刹那、大型ネウロイの一体が機体中央部を開き、黒い球状の物体を複数吐き出した。
それらは空中で蠢くように動きながら分裂し、瞬く間に小型ネウロイの姿へと変貌していく。
「子機!? 分離型ネウロイか……!」
美春が思わず叫ぶ。目の前で展開される黒い影の群れは、明らかに戦況をかき乱すために送り出されたものだった。
それぞれの子機は独立して行動し、急降下しては旋回し、編隊の死角を狙うように飛び回る。まるで自律型の迎撃装置のようだった。
隊の緊張が一気に高まる中、佳乃の声が無線に響いた。
「全機、子機は無視して! 親機を落とせば子機は消える! 焦らず本体を狙い続けて!」
経験から導き出されたその判断に、誰もが即座に従った。佳乃の声には、戦場を熟知した者だけが持つ、迷いのない力強さがあった。
その直後、頼子の冷静な指示が重なる。
「拡散配置を維持。魔力の消耗に注意して。迎撃は最小出力、弾の無駄撃ちは避けてください」
機体間の距離が広がり、空中に浮かぶ編隊はまるで巨大な網のように空を支配していた。それぞれが最小限の動きでネウロイの攻撃を回避しつつ、親機の核を狙って集中していく。
美春は息を整えながら、再び地上に目を向けた。
避難民の列が混乱しながらも必死に進んでいる。すぐ近くを走る親子、肩を貸し合って歩く老夫婦。そのすぐ後方には、地を這うように迫る地上型ネウロイの影。
守らなければならない命が、そこにある。
「頼子さん、私は左翼の支援に回ります! このままじゃ避難ルートが塞がれます!」
「大竹少尉、行きなさい。ただし、単独行動は避けて、必ず小里中尉と連携してください」
「了解っ!」
美春は再びストライカーの推力を最大まで開放した。魔力が駆動系を満たし、脚部ユニットが唸る。
雲を裂いて、彼女の機体は低空を滑るようにして進行した。
その瞬間、敵の一体が反応した。美春を捉え、ビームの照準を合わせる。
——だが、先に撃ったのは美春だった。
「撃ち抜く……!」
右手に収束させた狙撃魔弾が、一直線に閃光となって走る。ネウロイの装甲を削り、内部の核に迫る。
「もう一発……!」
すぐさま二発目を生成。今度は完全に命中した。
黒い影が爆ぜ、空中で光となって霧散する。
けれど、次の脅威はすぐに来た。別方向から三体の子機が反応し、美春に対して包囲を形成。
三方からビームが収束し、空間が熱と圧力で満たされる。
「っ、来る――!」
美春は反射的に旋回し、ストライカーを捻るようにして回避する。だが一条がかすめ、左脚部に衝撃が走った。
「ストライカー、左脚ユニット損傷――!」
警告音が響く中、それでも美春は止まらなかった。
息を切らしながらも、彼女は空にしがみつくようにして、再び高度を上げる。
「私は……まだ、飛べる!」
それは、自分に対する言葉であり、空にいる仲間たちへの宣言でもあった。
諦めなければ、戦える。守れる。だから、飛ぶ。
この空は、まだ——私たちの空だ。
その時だった。
美春の視界の端で、何かが動いた。風に流れる雲とは違う、地上で波打つようなうねり。視線を向けたその先、濁った茶色の大地をなぞるように、影が蠢いていた。
美春は即座に反応した。空中で機体を制動させ、超視力を再展開。魔力が瞳へと集まり、数キロ先の地表が、まるで目の前にあるかのように鮮明に浮かび上がる。
「……っ、あれは……」
街道筋に点在していた影が、徐々に輪郭を持ち始める。やがてそれは、人だった。人の列だった。
「……避難民……っ!」
喉が詰まる。美春は拳を握りしめた。
大人も子どもも、老人も。家族を背負い、荷車を押し、走る者、歩く者、必死に前へ進もうとする姿が、次々と目に飛び込んでくる。
そのうちの一人が転び、誰かが抱き起こす。背負われた子どもが泣いていた。
空中からでは声は届かない。けれどその動きが、絶望と恐怖に追われていることを、嫌というほど物語っていた。
そして、その後方。
「っ……いや……っ」
土煙。地響き。
地を這う黒い影が、地表を裂くように迫ってくる。
四足で進む異形の機械生命体——地上型ネウロイが、まるで追撃部隊のように、避難民のすぐ背後を埋め尽くしていた。
数は十体。それぞれが散開しつつ包囲するように進み、まるで“獲物”を追い詰めるような動きだった。
「避難民です! 避難民がいます! その後方に、地上型ネウロイが約十体! このままでは……!」
美春は叫んだ。息を呑む間もなく、震える声を無線に乗せた。
「なんですって!?」
佳乃の声が返る。いつも冷静な彼女の声音に、微かだが明確な焦りが滲む。
だが、次に聞こえた声はまったくぶれていなかった。
「全機、状況確認。対地戦闘可能な者は、私に続いてください」
頼子だった。鋼のような落ち着きで言い切るその声が、全隊を包み込んだ。
「私は美春隊を率いて、避難民の保護に向かいます。佳乃中隊長、空中の敵は引き続きお任せします」
「了解! 頼子、気をつけて!」
「必ず守ります」
頼子の返答は、短く力強かった。それは、彼女が何度も修羅場を潜り抜けてきた者であることを、全員が知っていたからこそ重みを持って響く。
「美春、前に出て。索敵を継続しつつ、左側の崖沿いに進んでる避難民を優先的に誘導して。地形に遮られて後方支援が届かない可能性があるわ」
「了解! わたし、行きます!」
推力全開。ストライカーが唸りを上げる。
美春は翼のように広がる雲を突き破り、斜めに傾きながら急降下した。
地面が近づく。避難民たちの姿がはっきりと視認できる高度まで降りると、美春は再び超視力を発動した。
「あと……数百メートルで接触……!」
目測と同時に、ネウロイの先頭が脚を止め、口部らしき部分に光が収束する。
「撃つ気……っ!」
すかさず、美春は右手に魔力を込め、狙撃魔弾を形成。そのまま一気に放つ。
「逃げてッ!!」
声は届かない。それでも構わない。今は、攻撃を逸らすことが第一だった。
閃光が走り、ネウロイの外殻に命中する。弾かれた。けれど進路が少し逸れ、避難民への直撃は免れた。
「もう一発……!」
すぐに二発目を生成し、撃ち込む。今度は脚部の関節部に命中し、ネウロイの動きが一瞬止まる。
そのわずかな隙に、頼子はすでに地上すれすれまで降下していた。
その手に握られていたのは、宝刀・伝志津。いくつもの戦場で悪名高いネウロイを屠ってきた名刀だ。
空気すら裂くような鋭い一閃が、敵影を断ち割った。
ネウロイの一体が真っ二つに断たれ、爆光とともに霧散する。
「進路確保、成功しました。避難民、誘導開始します」
頼子の声が無線に響いた。
頼子の一閃が敵を両断し、進路がわずかに開いた。
美春はその隙を逃さず、残る敵影を警戒しながら滑り込むように高度を下げ、避難民の列へと接近していく。
「今だ……!」
思わず漏れた声は、自分自身を鼓舞するものだった。
——この地上を、絶望に染めさせないために。
つづく
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