軍隊の訓練は厳しい——それが世間の常識だ。男の世界の軍隊では、ビンタのひとつやふたつ、当たり前のように飛び交う。だが、ウィッチ部隊、そして美春の指導方針は、その軍規とは少し異なっていた。
もちろん、訓練自体は厳しい。だが、ただ厳しいだけでは意味がない。
「空を飛ぶ楽しさを知ってもらいながら、技術を身につける」——それが美春の信条だった。
しかし、最近は戦闘訓練も増え、厳しく指導する場面が増えてきた。時には、強く叱らなければならないこともある。それが必要であるとわかっていても、美春は心のどこかで迷い続けていた。
本当に、これが最善なのだろうか——。
美春は教育の専門家ではない。彼女自身、師範学校に通ったわけでもなければ、名教官と呼ばれるほどの経験があるわけでもない。ただ、部隊の中で比較的ベテランとされ、光恵に任命されて新人たちの指導を担当しているだけのこと。
杉下美夜と渡辺ナツ——彼女たちが、美春にとって初めての教え子だった。光恵には「いい教育係だ」と褒められたが、自分ではまだまだ未熟だと感じることが多い。
それでも、今日も美春は、大空へと美夜とナツを引き連れて飛び立った。
「こらー! 美夜! もっと自信を持ってしっかり飛びなさい! 基本はできてるんだから! でも、そんなに怖がってばかりだと、すぐに撃墜されちゃうわよ!」
「は、はいぃ……す……すみません……!」
ビクッと体を震わせた美夜は、ますます小さく縮こまる。泣きそうな顔で美春の言葉を受け止めるが、すぐにまた不安げな表情を浮かべた。
「ナツは逆に自由すぎるわ! 編隊飛行の意味を考えなさい! あんたは一人で飛んでるつもり!?」
「ごめんなさーい!」
対してナツは、ぺろっと舌を出し、「えへへ、やっちゃった」とでも言いたげな表情を浮かべている。反省しているのか、していないのか、正直わからない。
「まったく……! ほら、またぶつかるわよ! もっと周りを見て!」
美春は頭を抱えながらも、空の上でメガホン片手に熱を込めた指導を続けた。
「……うぅ……やっぱり私、向いてないのかな……」
美夜が、今にも泣き出しそうな声で呟く。
美春にそのつもりはなかったが、厳しい言葉は彼女の自信をじわじわと削いでいく。
そんな美夜の様子を、ナツは敏感に察知していた。
「そんなことないよ! 美夜! 基本はできてるって言われてるじゃん!」
ナツは励ますように美夜の隣に飛び寄った。しかし、美夜はすっかり自信をなくし、うつむいたまま。
「そうだけど……いつもうまくいかなくて……みんなに迷惑かけっぱなしだし……」
美夜の声はかすかに震え、美夜の目尻には涙が浮かんでいる。
「大丈夫だよ。美夜は頑張ってるんだもん。私はわかってるよ!」
ナツは笑顔で言いながら、美夜の肩を軽く叩いた。
しかし、次の瞬間——
「……それにしても、美春さん、いつもいつも怒ってばっかりで、うるさいなぁ……」
美春のいる方へ向けて、小さく文句を垂れるナツ。
美夜は、はっとして隣を見る。ナツが何かよからぬことを考えている顔をしていた。
「ちょっと、ナツちゃん、美春さんに聞こえたら怒られるよ……」
一緒に怒られたらたまったものじゃない。美夜は必死にナツを止めようとする。
しかし、すでにナツの目は悪戯っぽく輝いていた。
「いいんだよ。少しぐらいは……ね? 美夜だって、あんな風に怒られてばっかりじゃ、疲れちゃうでしょ?」
ナツは悪びれもせず、にこっと笑った。
「まあ……それは確かに……」
美夜は困ったように苦笑する。
——まずい。
自分の返事が、ナツのスイッチを押してしまった気がする。
案の定、ナツの顔には悪戯っ子の笑みが浮かんでいた。
「ちょっと待ってて、おもしろいもの見せてあげるから」
「え……? ちょ、ちょっと……ナツちゃん……?」
美夜の制止も聞かず、ナツはニヤリと笑うと、美春の方向へ向かって猛然と飛び出した。
一気に加速し、美春へと急接近する。
美夜は、ただ見守ることしかできなかった。
——美春さん、大丈夫かな……?
美夜の胸に、小さな不安がよぎった。
ナツが思いついた「おもしろいもの」とは、一体——?
美夜は止めようとしたが、もう遅かった。
声をかけようとした頃には、ナツはすでに美春に向かって急降下し、美春の背後に回り込んでいた。そして、魔導エンジンを切り、静かに接近する。
美春は、背後にナツが忍び寄っていることに気づいていなかった。手元のボードに何かを書き込むことに集中している。いつもなら、主任教育係の千歳が目を光らせているが、今日は別の任務で不在だった。
「これはチャンスだね……ふふっ」
ナツはニヤリと笑い、警戒心ゼロの美春に一気に距離を詰めると——
背後から、美春の小さな膨らみを鷲掴みにした。
「きゃぁぁっ!!」
美春の悲鳴が、空中に響き渡る。
「な、何するのよ! ナぁ~ツぅ~! あんた、どこ触ってんのよ!!」
美春は驚き、顔を真っ赤にしながら振り返るが、ナツは悪びれもせず、にんまりと笑っている。
「え~? おっぱいですよ~?」
ナツは手のひらを使い、確かめるようにフニフニと揉みしだく。
「あ……ちょ……ちょっと! 揉まないでよ! んん……ひゃあん……」
美春は頬を紅潮させ、切なそうな声を漏らしながらもがく。
「へぇ〜、美春さんのおっぱい、まだまだ、こ〜んなに小さいんだね〜? あはっ! 可愛い!」
ナツは、美春の頼りない二つの丘を撫でるように手を這わせながら、からかうような口調で言った。
「ひゃあう……こ、こんのぉ……! よくも……よくも……またやったわね!? このイタズラ娘めっ! ナツっ! あんた! 今度という今度は許さないんだから! 覚悟しときなさいよ!」
美春は怒りで顔を真っ赤に染め、プルプルと震えている。
「あははは! 怒った、怒った! 怒った顔も可愛いですね!」
ナツはけらけらと笑いながら、美春を挑発するように飛び去る。
「ナぁ~ツぅ〜! 待ちなさぁい!! あんたにはきつい教育が必要みたいね! 今日こそお仕置きよ!」
美春がナツを追いかけ、空の上での追いかけっこが始まった。
美夜は、そのドタバタ劇を困ったように見つめていた。すると、ナツが急にこちらへ戻ってくる。
「美夜もおいでよ! 楽しいよ!」
ナツが美夜の手を取り、勢いよく引っ張る。
「きゃっ……ちょ、ちょっと、引っ張らないでぇ……!」
「さあ、行くよ!」
ナツに強引に連れて行かれそうになった。その時、美春が後ろから追ってきて、美夜に向かって叫ぶ。
「ちょっと美夜! ナツを捕まえなさい! 命令よ!」
「は、はい!」
美夜は反射的に返事をするが——
「さあ、行こう!」
ナツは美夜の腕をしっかりと掴み、そのまま勢いよく飛び出した。
「え……! ちょ、ちょっと! ナツちゃん!? きゃぁっ!!」
美夜は困惑しながらも、ナツに引っ張られていく。
——これは、一緒に怒られるコース決定だ。
美春からは、ナツと共謀して逃げ回っているように見えているに違いない。
なんとか誤解を解こうと美春の方を振り返るが、すでに顔を真っ赤にして怒りの表情を浮かべていた。
「美ぃ夜ぉ―! あんた! 裏切ったわね! 上官命令に逆らうなんて! あとで覚えておきなさいよ! まとめてお仕置きしてやるんだから!」
美春の叫び声に、背筋を凍らせながら美夜はナツとともに逃げる。
「違います……! 違うんです……! 美春さーん……!」
美夜は必死に訴えかけるが、すでに遅かった。
「あははっ! ほら! 逃げないと捕まるよー!」
ナツは楽しげに笑いながら、美夜を引っ張って飛び回る。
「ひゃあっ! ちょっと! ナツちゃん! 危ないよぉ……!」
美夜は振り回されながら、必死にバランスを取る。
しかし、ナツの動きが次第に鈍くなってきた。
「はぁ……はぁ……もうダメ……限界……」
ついにナツは体力の限界を迎え、失速。
「うわっ、やば……!」
そのままバランスを崩し、地面に向かって降下していく。
美夜も巻き添えを食らい、一緒に降りる羽目になった。
「わ、私も……」
美夜はふらつきながらも、なんとか着陸した。
2人が地上に降り立つと、追いかけ回していた美春が怒り心頭の様子で降りてきた。さすがは、それなりの経験を積んだウィッチだけあり、まだまだ余裕の表情だった。
美春はナツと美夜の首根っこをがっしりと掴み、ぷりぷりと怒りながら言い放つ。
「ナぁーツぅー……! あんた、覚悟はできているんでしょうねぇ!?」
「あはは……ごめんなさーい……」
ナツは苦笑しながら頭を掻く。しかし、美春の怒りは簡単には収まらない。
「許すもんですか! よりにもよって胸を……私の胸を〜!」
美春は歯噛みしながらナツに迫り、そのぷにぷにとした頬を引っ張る。
「ひはひ! ひはひへふ〜! ほっへはほひはふ〜!(いたい! いたいです〜! ほっぺがのびます〜!)」
ナツはじたばたと暴れるが、美春は容赦なく、ぎゅぅぅぅっとさらに引っ張る。
すると、美夜が自分の平原のような真っ平な胸を見下ろし、落ち込んだように呟いた。
「あの……小さくても、胸がある分いいと思いますよ……? 私なんて、成長すら……」
「確かに、そうね……って、何言わせてくれるのよ!」
美春はさらに顔を真っ赤にし、怒りの矛先を美夜にも向けた。
「美夜! あんた! さっきはナツと共謀して逃げたわね!」
「あ、あれは誤解です……!」
「問答無用っ! 覚悟なさいっ!」
美春は美夜の頬に手を伸ばした。
怯える美夜を前に、さすがにこれはやりすぎかと一瞬ためらう。
その時——
「いてて……待って! 美春さん! あれは私のせいだよ!」
ナツが、頬をさすりながら割って入った。美春に思い切り引っ張られたせいで、ナツの頬はほんのり赤くなっている。
「私が美夜の手を引いて、無理やり一緒に逃げたんだ。美夜は悪くないよ!」
ナツは、どこか誇らしげに胸を張る。
「まったく……! 美夜まで巻き込んで!」
美春は腕を組み、苛立ったようにため息をつく。
「でもさ、ネウロイから逃げる訓練にはなったよね? ほら、私たち結構うまく逃げられてたし!」
ナツは悪びれる様子もなく、得意げに笑う。
「確かに……そうだけど……って、そうじゃないの!! 私が言いたいのはそういうことじゃなくて……!」
美春は頭を抱えた。
——そして、ひとつ、大きく息を吸い込むと、 ドン! と地面を踏み鳴らし、雷のような声を響かせた。
「ああ! もう!! あんたたち二人は 滑走路100周よ!! 連帯責任! わかった!? それが終わるまで ご飯抜き!! これは 命令!!」
「えぇ〜! そんなぁ……」
「文句言わない!! はい! 行った行った!!」
美春は有無を言わせぬ口調で、二人を滑走路へと追いやった。
「わかりました……」
「うぅ……はい……」
ナツと美夜はしぶしぶ走り出す。
二人がヒィヒィ言いながら滑走路を走る様子を、美春は腕を組んで見守っていた。
すると、遠くから、一人のウィッチが戻ってくるのが見えた。
肩の上くらいまで伸ばした髪を、二つに結んでいる—— 不破千歳曹長。
彼女は今日、別任務で出ていたが、ちょうど戻ってきたところだった。
「ただいま戻りました、美春さん。……何かあったんですか? ずいぶんと騒がしいようですが」
千歳は首を傾げる。
「あっ、千歳、おかえり。実はね、ナツがまたイタズラして……。罰として走らせてるのよ! あの子ったらまた、私の胸を…… バカにしてぇぇ!! 今度という今度は 許さないんだから!!」
美春は悔しそうに歯噛みしながら、拳を握りしめる。
「……また、ナツは……。仕方のない子ですね……」
千歳はため息をついた後、ふと、走らされている二人に目をやる。
「……まあ、ちょうどいいですね。私からも言っておきます。ところで、美春さん、そろそろ 哨戒任務 の時間では?」
「あっ……そうだった!」
「ですよね。ナツと美夜の監督は 私が代わります。 美春さんは準備に向かってください。ふふん! 私は二人の教育主任ですから!」
千歳は自信たっぷりに 小さな胸 を張る。
彼女は 権威 や 役職 が大好きだった。
それもそのはず——
千歳は 兄弟が多い困窮小作農の出身 で、幼い頃から貧しさと戦ってきた。小柄な体格も相まって、地元では バカにされることが多かった。
だからこそ、 見返したい。
——彼女はそう強く願い、 ウィッチとして出世する ことを目標に努力してきた。
そのためなら、彼女は 決して手を抜かない。
仕事には厳しく、命令には忠実。
彼女になら、この場を任せても大丈夫だろう。
……美春は、まだ千歳の本性を知らなかったのだが。
「ええ、ありがとう。お願いするわ。それじゃあ、ナツと美夜のこと、よろしくね」
「お任せください!」
美春は千歳に二人の監督を任せた。
簡単に今日の内容を引き継ぐと、くるりと踵を返し、急いで格納庫へと向かう。
すると、そこには 背中ほどまで伸びたぼさぼさの長髪 に、伸びすぎた前髪が左目を隠してしまっている ウィッチ が立っていた。
今日の哨戒任務を共にこなすメンバー—— 加藤瑞穂曹長。
「加藤曹長、お待たせしました」
「ん……よろしく……」
瑞穂は相変わらず、 感情の起伏が感じられない声 で短く応じる。
「では、行きましょう」
二人はストライカーを履くと、ゆっくりと滑走路を走り出す。
哨戒任務といっても、扶桑の内地では特に難しいことはない。一定の空域を巡回し、異常がないか確認するだけ。
欧州ではネウロイとの遭遇もあり得るため、緊張感のある重要な任務だが、ここではほぼ 遊覧飛行 のようなものだ。
ストライカーがゆっくりと浮き上がる。その瞬間、美春は たまらない高揚感 を覚える。
飛べることの喜び—— ウィッチである自分を実感する瞬間。
基地を離れ、眼下に広がる扶桑の街並みを眺めながら、美春は遠くの小学校を見つけた。
校庭にいた子どもたちが、美春たちの飛ぶ姿を見つけて キラキラと目を輝かせながら手を振る。
「おーい!」
小さな声が風に乗って届く。
美春は、その声に応えて手を振った。
すると、子どもたちは歓声を上げ、飛び跳ねて喜ぶ。
—— この子たちを守るために、私は飛んでいる。
そう思うと、 嬉しくてたまらなかった。
哨戒任務は単調かもしれない。だけど、この空を守るために飛ぶことに 意味がある。
この気持ちは、何年ウィッチを続けても変わらない。
「うぅ……寒い……でも、今日も平和ね」
美春が呟くと、隣で瑞穂がぽつりと返した。
「ん……そうだね……いいこと……」
「ええ、本当に……」
岐阜の街や伊吹山、そして広がる濃尾平野を眼下に収めながら、美春たちは 小牧の部隊の哨戒範囲 まで飛行。
基地の管制へ異常なしの報告を入れると、そのまま 帰投コース へ入った。
滑走路へ着陸し、ストライカーを格納庫へ収める。
すると、瑞穂が じっと 美春を見つめながら、ぽつりと口を開いた。
「ねえ……美春……お願いがある……」
美春は 嫌な予感がした。
こういう時の瑞穂の「お願い」は ろくなものではない。
「な、なんでしょうか?」
瑞穂は ゆっくりと 口を開いた。
「……モデル……やって……くれない……かな……」
美春の嫌な予感は、 見事的中 した。
「そ、それってまさか……」
「……うん……ヌード……裸……えっと……美春……見てたら……イメージが……降りてきちゃった……」
(やっぱり……!)
美春は内心、 頭を抱えた。
過去にも 何度も 瑞穂から ヌードモデル を頼まれている。
もちろん、そのたびに 断ってきた。
今日だって、瑞穂のことを 光恵に相談 したばかりだ。
だけど、こうして 何度も頼まれる と、 断ることが悪いことのような気がしてくる。
「ダメ……?」
瑞穂は 上目遣い で見つめてくる。
その表情は反則だ。
「うっ……!」
美春は この顔に弱い。
何か言わなければ—— そう思いながらも、言葉が出てこない。
「……考えておきます……」
結局、美春は いつもの言葉 で濁した。
「そう……わかった……楽しみにしてる……」
瑞穂は かすかに微笑んだ。
美春の返事を、すでに肯定と受け取っているようだった。
「はぁ……」
美春は 深いため息 をついた。
その後、二人は それぞれの自室へと戻っていった。
夕食の時間になり、美春は食堂へ向かった。
扉を開けると、そこには 魂の抜けたような顔をしたナツと美夜の姿 があった。
特にナツは 死んだ魚のような目 をしており、美夜は 小さくシクシクと涙を流している。
美春は しまった…… と思った。
イタズラをしたナツならともかく、美夜にまで 滑走路100周の罰 を与えたのは、さすがにやりすぎだったかもしれない。
少し反省しながら 2人に声をかけようとした——その時。
「しっかり、たっぷりお仕置きしておきましたよ!」
満足そうな声とともに、 千歳が近づいてきた。
満面の笑みを浮かべたその表情は、 仕事を成し遂げた自負に満ちている。
嫌な予感がした。
「……あのあと、100周走らせた後で 立てなくなるまで おしりを叩いておきました。ナツと美夜の 叫び声 ……もう、最高でしたよ! 美春さんにも お聞かせしたかった です。あんなに 可愛い悲鳴 を上げるなんて、2人とも 可愛すぎますよね。」
千歳は うっとりとした表情 で語る。
「ズボンを下げて、おしりを出して、生のおしりに…… ふふっ…… それに 連帯責任 って素晴らしいですね! おかげで 美夜のおしりも叩けました!」
美春の 背筋に寒気 が走った。
「美夜のおしりはそれはもう 白くて柔らかくて、叩きがい がありましたよ。…… ふぅ…… また機会があれば、やりたいものですね」
——何を言っているの、この人は。
千歳の頬は ほんのり赤く染まり、興奮した様子 だった。
美春は 引き攣った笑顔 を浮かべることしかできなかった。
まさか千歳が こんな嗜好 を持っていたとは——
いや、考えないようにしよう。
これは 決して開けてはいけない扉だ。
美春は 恐る恐る 口を開いた。
「そ、そう……まあ、ほどほどにね……」
美春は 千歳から距離をとるようにして 席についた。
向かいに座るナツと美夜の顔を見ると、2人とも 食事に手を付ける気力すらない。
ナツは 完全に虚無の表情 で、食器を前にぼんやりと座っている。
美夜は、涙をポロポロとこぼしながら 震える手でスプーンを持とうとするが、力が入らない。
「さすがにちょっとかわいそうだわ……」
美春は小さく呟き、2人の隣に座った。
「ナツはともかく、美夜、あなたには悪いことをしたわね……ごめんなさい……」
美春は 千歳に聞こえないように 小声で謝った。
「うぅ……脚もおしりも痛いです……」
美夜は目に涙を溜めながら、消え入りそうな声で訴える。
「私はともかくって、なんでですかぁ……? 美春さん、何も あそこまで しなくていいじゃないですかぁ……」
ナツも 泣きべそをかいている。
「あんたは自業自得でしょ!?」
思わず 美春の声が大きくなった。
ハッと周囲を見回し、慌てて口を塞ぐ。
幸い、誰にも聞かれてはいなかったようだ。
「そ、そんなぁ……」
ナツは しょんぼりと肩を落とす。
「事実でしょ? とにかく、反省した? これに懲りたら 二度とイタズラなんかしないでよ?」
「はい……わかりました……ごめんなさい……」
ナツは しゅんとした様子で 頷く。
そのあと、美春は ぐったりとした美夜とナツを、まるで食事の途中で寝てしまいそうな幼児を介助する母親のように 世話をすることになった。
スプーンを持たせ、一口ずつ食べさせ、時折声をかけながら、なんとか食事を終わらせる。
その間、 同期たちからの生ぬるい視線 が痛かった。
「美春、すっかりお母さんみたいだね」
そんな囁き声が聞こえてくる。
「ふふっ、あの子たち、本当に疲れちゃったんだね」
光恵が 苦笑い しているのが見えた。
美春は 恥ずかしさで顔が熱くなる。
—— もう、二度とこんな事態にはしたくない。
そう心に誓いながら、美春は ため息混じりに 2人を見つめた。
食事を終えるのに いつもの数倍の時間 を要し、ようやく自室に戻った美春は ぐったりとベッドに倒れ込んだ。
——今日は本当に疲れた。
目を閉じ、しばらく 体の力を抜いて いると、 コンコン と扉を叩く音が響いた。
もぞもぞと体を起こし、 眠気を払いながら ドアを開けると、そこには 肩の上でふんわりと跳ねるウェーブヘア のウィッチが立っていた。
「ちょっといいかしら」
大野佳乃大尉——部隊の“お母さん” 的な存在であり、 幼さと大人びた魅力を併せ持つ女性。
細やかな気配りができ、誰よりも部隊のことをよく見ている。
「な、なんでしょうか……大野大尉……」
美春は 少し引き攣った笑み を浮かべた。
佳乃の気遣いは ありがたい のだが、 どうにも苦手意識 が拭えない。
—— 理由は単純だ。
彼女は 美春が密かに思いを寄せる光恵の“親友” であり、 いつも隣にいる。
美春に比べて かなり豊かな胸元 もまた、 どうしようもない敗北感 を抱かせる要因だった。
「新人育成について、どう?」
佳乃は、美春の 複雑な感情に気づいているのか、いないのか 、何気ない調子で ソファに腰を下ろしながら 言った。
「悩みがないと言ったら嘘になります。特に杉下軍曹が……」
「気が弱くて、ってことよね?」
佳乃は 軽く頷くと 続けた。
「そこで思ったんだけど、一度、美夜ちゃんを 千代さんに預けたらどうかしら?」
「……小里中尉ですか」
「ええ。 性格も似ているし、気持ちが分かると思うの。 一度、違う視点で訓練を受けさせてみるのも良いかもしれないわ」
「なるほど……」
美春は 腕を組みながら考え込む。
小里千代中尉——夜間哨戒専門のウィッチ。
長い髪を背中まで伸ばした、 温厚で優しい性格の持ち主。
美春は日頃、 昼間の訓練が中心 のため、千代と 関わる機会は少なかった。
しかし、過去に何度か会話をした際の 柔らかな雰囲気 から、美春も 良い印象 を持っていた。
—— 確かに、あの優しい性格なら、美夜の委縮を解くきっかけになるかもしれない。
美春は 少し考え込んだ後 、「すぐじゃなくてもいいから検討してみて」と佳乃が言い残して去るのを見送った。
「……頼りになるわね、大野大尉は。」
ライバル視していたはずなのに、 美春にとっても貴重な助言をくれる存在 だった。
逡巡していても結論は出ない。
「千代と話してみてから決めよう」
そう考えをまとめた美春は、 風呂へと向かった。
——すると。
「美春ちゃ~ん! 一緒に入ろうよぉ~!」
更衣室の前で 邪な目的を隠そうともしない ウィッチが待ち構えていた。
「……智代。」
斎藤智代——部隊一の問題児。
美春の姿を見るなり、 目を輝かせながら 近寄ってくる。
「ねぇねぇ、私と一緒に 美春ちゃんの柔肌を確かめ合おうよ~!」
「バカ言わないでよ! 絶対イヤ!」
美春は 素早く 身を翻し、 力強く扉を閉めた。
「えぇ~! なんでぇ~!?」
扉の向こうで しつこく食い下がる声 を聞きながら、 溜息をつきつつ入浴を済ませる。
風呂から上がると、美春は 一日の疲労を癒すべく ベッドへ倒れ込んだ。
「ふぅ……疲れた……」
布団にくるまりながら、 今日の出来事が脳裏をよぎる。
「ナツめ……何が小さいよ……まったく……」
——美春の“とあるコンプレックス”を揶揄してきたナツを思い出し、ムッとする。
「それに千歳も…… 余計なこと してくれちゃって……」
美夜のことが 気がかりだった。
今日の一件で、 彼女がトラウマになったらどうしよう。
「明日、光恵少佐に相談しないと……」
考えなければならないことが 山積み だった。
新人育成の方針、千代への相談、美夜のケア、そしてナツの教育。
——教官役も楽じゃない。
「でも……やりがいはあるわね……」
目を閉じながら、 ぽつりと呟く。
自慢の教え子たちだから。
「それにしても、今日も寒かった……」
12月に入り、最近は めっきり気温が下がった。
——伊吹おろしが骨身に染みる。
「哨戒任務と新人訓練が重なると、やっぱり大変ね……」
目覚まし時計を確認し、 静かに目を閉じる。
——明日も朝が早い。
「……早く寝ないと……」
美春は まぶたを閉じ、布団に身を沈めた。
外は 冷たい風が吹き抜けている。
遠くで夜間哨戒のストライカーの音が響く。
この空を守るために、明日も飛ぶ。
そんなことを ぼんやりと思いながら、意識はゆっくりと深い眠りへと落ちていった。
——そして、静かな夜が訪れる。
つづく
ここまで読んでくれてありがとうございます!お気に入りや評価、感想をもらえると励みになります✨