美濃の魔女たち   作:多治見国繁

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第6話 戦線崩壊

頼子の視界は炎と黒煙、舞い上がる埃に覆われ、最悪の状況だった。視界は極端に悪く、焦りが募る。しかし、そんな素振りは一切見せず、歴戦の猛者らしく、冷静に目を皿のようにして獲物を探し続ける。

 

「……出てきなさい、ネウロイ……」

 

頼子が低く呟く。その隣では、美春もまた遠距離視の固有魔法を駆使し、必死に地上を見渡していた。しかし――見つからない。

 

「どこ……どこなの……?」

 

焦燥感が募る。

心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、指先がじっとりと汗ばむ。

呼吸が乱れ、冷静になれと自分に言い聞かせるが、目の前の敵を前に思うように体が動かない。

 

その時――

 

「少尉! 危ないっ!!」

 

頼子の鋭い叫びと同時に、美春の体に強い衝撃が走った。

息を呑む間もなく、何かに突き飛ばされる。

 

――頼子だ。

 

気がつくと、頼子の魔法陣が眼前に広がっていた。

鮮やかな光を放つその結界には、無数の赤い光線が雨のように降り注いでいる。

 

轟音。

熱量。

ネウロイのビームがシールドに突き刺さり、火花が飛び散る。

 

(狙われた……!)

 

美春の背筋が凍りつく。

今の今まで、まったく気づけなかった。もし頼子がいなければ――。

 

「少尉! 早く撃ってください! 早く!!」

 

頼子の必死の声が耳を打つ。

 

「っ……はい!!」

 

美春は我に返り、機銃を構えた。

照準を合わせ、引き金を引く。

銃口から火を噴く弾丸が、一直線にネウロイへと向かう――

 

だが。

 

「……当たらない……どうして!? 訓練通りやってるのに!?」

 

美春は焦った。

狙いは合っている。

しかし、弾はネウロイに届くことなく、寸前で空を切っていく。

 

まるで、敵が次の動きを完全に読んでいるかのように、わずかに軌道をずらしてかわしている――!

 

「少尉! 機銃で牽制を! それから、大野大尉に通報を!」

 

「わかりました!」

 

美春は震える指でインカムを掴み、叫んだ。

 

「こちら舞姫! ネウロイ発見! 木場町の南東、グリッドB-413! 現在、飛行型中型ネウロイと交戦中! 至急、援護を!」

 

「こちら美濃柴、大野! 了解! すぐに向かうわ!」

 

「お願いします! 頼子さんがシールドで防いでいますが、これ以上増えたら――」

 

「わかった! すぐ行くから、何とか持ちこたえて!」

 

「了解!」

 

通話を切ると、美春は頼子の方を向いた。

 

「頼子さん! あと10分持ちこたえてください! 佳乃さんがすぐ来てくれます!」

 

「わかりました! 任せてください!」

 

頼子の声は変わらず冷静だったが、その額には汗が滲んでいる。

それほどまでに、このシールドの維持は負担が大きいのだ。

 

「少尉は当てようと思わずに、牽制を! それから、落ち着いて! あなたは厳しい訓練を耐え抜いたのです! 自信を持ちなさい!」

 

頼子の言葉が、美春の胸を貫く。

 

そうだ。

彼女はただの新米ではない。

厳しい訓練を乗り越え、ここにいる。

 

(私だって、やれる――!)

 

美春は大きく息を吸い、動悸を落ち着けると、再び機銃を構えた。

 

「やあああああっ!!」

 

機銃が火を吹き、弾丸が次々とネウロイへと向かう。

――今度は、かわされなかった。

着弾した弾丸が敵の装甲に衝撃を与え、火花を散らす。

 

「当たりました!」

 

美春が喜びかけた、その時。

 

「油断しない!! さらに牽制を!! 油断すれば死にますよ!!?」

 

頼子の鋭い声が飛んできた。

 

「は、はい!!」

 

再び機銃を撃つ。

今度はしっかりと当たるようになったが、それでも火力が足りない。

押し切れない。

 

もどかしさに苛まれていると――

 

「美春! 頼子! 待たせたわね!!」

 

上空から、力強い声が響いた。

 

「大野大尉!? それに、みんな!!」

 

見上げると、佳乃の背後には、秋乃、智代、千歳の姿があった。

彼女たちは頼もしく、美春の胸に熱いものが込み上げる。

 

「待たせたわね!」

 

佳乃の声が響く。

 

「美春も頼子も、よくやったわ!」

 

その言葉に、美春の背筋が伸びる。

 

「みんな、行くわよ! 美春と頼子を援護! 目の前のネウロイを各個撃破するわよ!!」

 

「「「はいっ!!」」」

 

佳乃の号令と共に、秋乃、智代、千歳が一斉に飛び込む。

ネウロイの砲撃が彼女たちの周囲で炸裂するが、誰一人として怯まない。

 

この戦いは、彼女たちが勝つべき戦いだ。

 

美春は再び機銃を構えた。

 

「私も、行きます!」

 

そうして、戦線は一気に反撃へと転じる。

 

「頼子、まだいけるかしら?」

 

佳乃が素早く頼子の位置を確認しながら問いかける。

 

「はい。問題ありません」

 

頼子は落ち着いた声で即答した。彼女の魔法陣が淡く光を放ち、残存するエネルギーがまだ十分であることを示している。佳乃はその返答に満足げに微笑むと、軽く顎をしゃくった。

 

「上出来ね。さすがは美濃源氏、土岐の血を引くウィッチなだけあるわ。さあ、行くわよ。私たちの実力、後輩たちに見せてあげましょう」

 

頼子の目が静かに細められる。

 

「お褒めにあずかり恐悦至極に存じます。では、参りましょう」

 

佳乃は頼子を連れ、ネウロイへと突撃を開始した。

彼女の機銃が怒涛のごとく火を噴き、弾丸が弧を描くように空を裂く。

撃ち込まれた弾丸はネウロイの装甲をわずかに削ぎ落とすが、それでもコアには届かない。

 

「大尉、コアの位置を探ります」

 

頼子は佳乃とともに縦横無尽に飛び回り、敵の動きを解析する。

一七戦隊には魔眼を持つ者はいない。

そのため、コアを狙うには経験と勘が頼りとなる。

だが、彼女たちは幾多の戦場を潜り抜け、敵の特性を体に叩き込んでいた。

 

ネウロイの動きが一瞬、鈍る。

 

佳乃の目がそれを見逃さなかった。

 

「……見えた! 頼子、お願い!」

 

その一声で、頼子はすぐさま対応する。

懐から白銀に輝く日本刀を取り出した。

それは戦巫女・土岐家に代々伝わる宝刀――伝志津(でんしづ)。

幾多の激戦を経てなお、斬れ味が衰えぬ名刀だった。

 

頼子は一瞬だけ瞑目し、呼吸を整える。

まるで静寂の中で風を読むように――そして、音もなく空を切った。

 

ネウロイが頼子の存在に気づいた瞬間には、すでに彼女は死角に回り込んでいた。

 

「っ……!」

 

ネウロイがビームを放つが、頼子の巨大なシールドがそれを受け止める。

衝撃が走る。しかし、頼子の姿勢は微動だにしない。

彼女の刃が一瞬だけ煌めき、次の瞬間――

 

「はぁぁッ!!」

 

鋭い刃が一直線に突き出される。

音すらも追いつかない、正確無比な一閃。

刀がコアを正確に貫き、ネウロイの動きが完全に停止する。

 

刹那、敵の体が眩い光を放つ。

 

そして、粉々に砕け、霧散した。

 

頼子は無駄な動作なく刀を振り払い、鞘へと納める。

その所作には、一切の無駄がなかった。

 

「見事ね」

 

佳乃が頼子を称えるように声をかける。

 

しかし、頼子は涼やかな表情のまま、静かに答えた。

 

「大尉こそ、見事な連携でした」

 

頼子は伝志津を静かに鞘へ収めながら、佳乃を見据えた。

 

「ふふっ、ありがとね」

 

佳乃は軽く微笑みながら、余裕を見せる。しかし、頼子の評価は相変わらず手厳しかった。

 

「粗削りですが、及第点ではありました」

 

「……あら、手厳しいのね」

 

佳乃は苦笑する。頼子は淡々と続けた。

 

「強くなったのは確かです。それは認めます。しかし、このままでは今後の戦いは厳しいのも事実。たった一機のネウロイにここまで時間を要するようでは、多数のネウロイが襲来した際、私たち経験者だけでは支えきれません」

 

頼子の声には微かな焦燥が滲んでいた。

 

「このままでは、いずれ悲惨な結果を招くでしょう」

 

佳乃はその言葉を受け、表情を引き締めた。

 

「海外からの救援部隊が到着するまで時間がかかる以上、まずは国内戦力で持ちこたえなければならない。今の状況を考えれば、ネウロイはここだけでなく、広範囲に侵攻している可能性が高いわ」

 

佳乃の視線が遠くの戦場を見据える。

 

「頼子の言う通り、このままだと名古屋は陥落する……それどころか、濃尾平野全体が制圧されるかもしれない」

 

「……」

 

「今、現状を知っているのは私たちだけ。この状況を作戦に活かし、戦略を再考しないといけない。勝つためには、情報を正しく伝え、適切な対策を打つことが何より重要よ」

 

頼子は静かに頷いた。

 

確かに佳乃は大局的な視点を持っている。指揮官としての器量は申し分なく、これまで仕えてきた指揮官の中でもトップクラスの能力を持つ。目的のためならば手段を選ばない危険な面もあるが、その冷静さと的確な判断力には信頼を置ける。

 

しかし、その時だった――。

 

耳をつんざく爆発音。轟く衝撃波。

 

熱風が吹き荒れ、空が閃光に包まれる。

 

「――っ!」

 

二人は即座に音のした方へ目を向けた。

 

そこには、地上型ネウロイの群れがいた。

 

無機質な禍々しいビームが放たれ、家屋を貫き、炎と瓦礫の塊を撒き散らしていく。

 

「……中隊長。現れましたね」

 

頼子は険しい顔で伝志津の切っ先をネウロイへと向けた。

 

「ええ……次は地上型ね。行きましょう。みんな! 私たちに続いて!」

 

「「「了解!」」」

 

佳乃と頼子は一七戦隊の隊員を率いて、地上型ネウロイへと飛び込んでいった。

 

戦闘開始――地上型ネウロイとの交戦

 

地上型のネウロイは、空戦型とは異なる脅威を持つ。

 

機動力こそ劣るものの、頑強な装甲と、圧倒的な火力を誇る。

 

「正面突破は難しい!各個撃破の体制を取るわよ!」

 

佳乃の指示が飛ぶ。

 

「秋乃!右翼から回り込んで!智代!千歳と一緒に左翼を押さえなさい!」

 

「了解!」

 

各隊員が素早く指示に従い、陣形を取る。

 

ネウロイの砲撃が四方に放たれる。巨大なエネルギー弾が大地を抉り、爆風が戦場を包む。

 

「避けながら攻撃を!無理に正面から突っ込んではいけません!」

 

頼子は鋭く叫びながら、次々とビームをシールドで受け流す。

 

しかし、地上型のネウロイは数が多い。

 

「……まずいですね。数が想定よりも多いです」

 

「わかってるわ。でも、やるしかない!」

 

佳乃は機銃を乱射しながらネウロイの装甲を削り、頼子は正確にコアを狙い続ける。

 

「佳乃さん、右の敵が動きました!」

 

「智代!カバーお願い!」

 

「了解!このっ!好きにはさせないよっ!」

 

智代の軽快な声とともに、銃撃が火を噴く。

 

ネウロイの装甲が削られ、頼子の剣がその隙を突く。

 

「一機撃破!」

 

「まだまだよ!次!」

 

佳乃の叫びとともに、隊員たちは連携を深めながら戦闘を続けた。

 

次々とネウロイを撃破し、ついに最後の一機を仕留める瞬間が訪れる。

 

「頼子、行くわよ!」

 

「はい!」

 

佳乃と頼子は一斉に飛び出した。

 

頼子の剣が光をまとい、佳乃の銃撃が狙いを定める。

 

「――っ!」

 

頼子の剣がコアを貫いた瞬間、ネウロイは光の粒となって霧散した。

 

戦闘が終わり、一七戦隊のウィッチたちはつかの間の安堵の表情を浮かべる。

 

しかし――

 

「戦場はまだ終わらないわよ」

 

佳乃の声が静かに響いた。

 

「ネウロイの脅威は、まだこの空に満ちているわ」

 

その言葉に、隊員たちは表情を引き締める。

 

空には、まだ新たな敵影が現れようとしていた。

 

「次が来るわよ……全員、警戒を解かないで!」

 

「「「了解!」」」

 

次なる戦いに備え、彼女たちは再び戦線を組み直す。

 

戦争は、終わらない――。

 

地上型のネウロイは、思いのほかあっさりと片付いた。

やはり、空からの攻撃は強力であり、さらに陸戦ウィッチたちが合流し、

地上からの絶え間ない砲火と連携した攻撃を浴びせたことで、

ネウロイの装甲はじりじりと削られ、ついにはコアを貫かれて霧散した。

 

ネウロイを撃破し、一七戦隊のウィッチたちはつかの間の安堵の表情を浮かべる。

しかし、戦場はまだ終わらない。

ネウロイの脅威は依然として残っており、油断する暇などなかった。

 

戦況は、刻一刻と悪化していった。

 

倒したはずの個体の残骸が動き始め、そこから無数の子機が生まれていく。

一度破壊されても、まるで親機の指示を受けたかのように、

新たなネウロイが次々と出現し、戦線を押し返していく。

 

「まだ出てくるの……!? さっき撃破したばかりなのに……!」

 

秋乃が息を荒げながら、機銃を撃ち込む。

だが、倒したはずのネウロイの残骸が、まるで細胞分裂するかのように子機を展開し、

すぐさま次の攻撃態勢を整えていく。

 

「親機を破壊しない限り、キリがない……っ!」

 

佳乃が低く唸りながら、咄嗟に回避行動を取る。

その背後を、無数の赤い閃光が駆け抜けた。

彼女のいた場所を正確に狙っていたかのような攻撃。

ほんの少し反応が遅れていたら、直撃を受けていたかもしれない。

 

「くっ……このままじゃ持たない……!」

 

焦りが隊員たちの間に広がっていく。

 

一七戦隊のウィッチたちの体力も、魔法力も、じわじわと削られていった。

額を伝う汗、荒くなる呼吸、重くなった四肢。

 

疲労が蓄積し、動きが鈍くなっていく。

シールドを展開するのにも、一瞬の遅れが生じる。

 

美春も、息を切らしながら必死に攻撃を続ける。

だが、視界の端で、次々と増殖していくネウロイを見たとき、

背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 

「……まずい、こんな状態じゃ……」

 

佳乃もまた、状況の悪化を痛感していた。

隊員たちの動きに精細がなくなってきている。

疲労と魔法力の枯渇が、じわじわと戦力を奪っていた。

 

「中隊長、どうしますか……?」

 

頼子が、短く問いかける。

 

彼女の声はいつもと変わらず冷静だったが、

その目は戦況の悪化を正確に捉えていた。

 

佳乃は、歯を食いしばった。

このまま続けても、得られるものは少ない。

むしろ、失うもののほうが多くなる。

 

やがて、限界が訪れた。

 

「……残念だけど、ここまでよ。撤退するわ」

 

佳乃の声が響く。

それは指揮官としての冷静な判断であり、同時に苦渋の決断だった。

このまま戦いを続ければ、いずれ全滅する。

その未来が、佳乃の脳裏にははっきりと浮かんでいた。

 

しかし――。

 

「待ってください! まだ、あんなにネウロイが……!」

 

美春が食い下がる。

撤退の判断に対する、痛切な反発。

 

だが、状況は明らかだった。

 

周囲を見渡せば、地上では新たなネウロイが続々と湧き出している。

空にはまだそこまでの大軍は現れていないものの、

いずれ飛行型の増援が来るのは時間の問題だった。

 

「もはや、今の私たちには手に負えないわ。このままだとみんな死ぬ……私はみんなを無事に帰す責任があるの。あきらめましょう」

 

佳乃は美春の肩にそっと手を置き、諭すように言った。

 

「でも……私たちが撤退したら、避難している人たちはどうなりますか!? きっと酷いことになります……!」

 

「そうね……でも、私たちにはもう自分を守る魔法力すら残されていないのよ……」

 

それでもなお引き下がらない美春に、頼子が静かに語りかける。

冷静な口調。しかし、その裏に隠された感情を、美春は知る由もなかった。

 

頼子はゆっくりと息を吸い、そして言い放つ。

 

「大竹少尉。いい加減にしなさい。こういう時は切り捨てることも必要です。非常時にはすべてを拾い集めることはできません。生きている者を優先しなさい。壊れていないものを優先しなさい。私たちが出撃不能になれば、より多くが破壊され、より多くが犠牲になるのです。あなたも少女とはいえ戦巫女であり軍人、しかも士官ならば、そのくらいの判断はできるでしょう。軍の論理とは、大を生かし、小を犠牲にすることなのです。」

 

冷酷なまでに淡々と、頼子は事実を突きつけた。

 

その言葉を聞き、美春は涙を浮かべながらも、何も言い返せなかった。

 

佳乃は頼子に目配せをすると、無言で首を縦に振った。

 

「……はい……」

 

美春はようやく、敗北を受け入れた。

 

「総員、撤退! 急いで!」

 

佳乃の命令が下ると、一七戦隊の隊員たちは泣く泣く戦場を離れることになった。

 

佳乃は、田中良子少尉以下、陸戦ウィッチ隊の隊員たちに、一七戦隊の戦力が限界に達したため、岐阜へ撤退することを伝えた。

 

良子は腕を組み、煙の充満する空を見上げて小さく息をついた。

 

「そっか。まぁ、ここまで付き合ってくれてありがとな」

 

そして、振り返ると、わざとらしく口角を上げて笑う。

 

「気にすんな。こっから先は、あたしたちの仕事だ。アンタらはもう限界だろ。ここで全滅されても困るしな」

 

その言葉は、冗談めかしていたが、目は冗談を言っていなかった。

 

彼女の部下たちもまた、笑顔を見せながら、一七戦隊の隊員たちへ手を振る。

 

その表情は、奇妙なほど穏やかで――まるで最期の別れを悟った人間の顔だった。

 

「またな」

 

良子は軽く手を挙げると、背を向けて歩き出した。そのまま、崩れかけた建物の影に消えていく。

 

誰一人、「生き延びろ」とは言わなかった。

 

言ってしまえば、かえって辛くなることを知っていた。

 

彼女たちは、この地に骨を埋める覚悟を決めていた。

 

「みんな……ごめんね……」

 

佳乃は、目を伏せ、唇を噛みしめながら静かに機首を岐阜へ向けた。

 

そして、二度と振り返ることはなく、岐阜へ飛び去っていった。

その後の良子たちの行方を知る者はいなかった。

 

撤退の最中も、ネウロイは執拗に追撃してきた。

まるで逃げる獲物を仕留めるかのように、無慈悲な光線が降り注ぐ。

その赤い閃光は、地獄の底へと突き落とそうとする死神の鎌のようだった。

 

「くっ……しつこい!」

 

秋乃が振り返りながら、機銃を撃ち返す。

しかし、撃墜する間もなく、新たなネウロイが後方から現れる。

まるで無限に湧いてくるかのように、次々と戦線を押し戻そうとしていた。

 

「まずいわね……このままじゃ、追いつかれる……!」

 

智代が険しい表情で呟く。

これまでに何度も撤退戦を経験してきた彼女たちだったが、これほど執拗に追撃を受けたことはなかった。

 

そんな中、ただ一人、冷静に動き続ける者がいた。

 

頼子だった。

 

「大竹少尉、前を見て進んでください! 私がここで食い止めます!」

 

「頼子さん!?」

 

美春が振り返ると、頼子はシールドを最大展開し、隊の最後尾でネウロイの攻撃を一手に引き受けていた。

 

容赦なく降り注ぐビームが、頼子のシールドに突き刺さる。

そのたびに、魔法陣が軋む音が響いた。

 

しかし、頼子は一歩も引かない。

ただひたすらに、仲間を守ることだけを考えていた。

 

「このままでは追撃を振り切れません! 誰かが時間を稼がなければならないのです!」

 

「だ、だけど……!」

 

美春の声が震える。

頼子の消耗は明らかだった。

額には汗が浮かび、呼吸も乱れ始めている。

それでも、彼女は決して立ち止まらない。

 

「私に構わず、行ってください!」

 

頼子の声は、強く、揺るがなかった。

 

「貴女たちが各務原に辿り着けば、それでいいのです!」

 

美春の胸が締め付けられる。

このまま頼子をここに残して撤退すれば、彼女は――

 

「ダメです!! そんなの、絶対にダメです!!」

 

「大竹少尉……!」

 

「ここで貴女を置いて行ったら、私は……私は……!!」

 

頼子の瞳が、ほんの一瞬だけ揺らいだ。

それは、美春の必死の叫びに心を動かされた証だった。

 

しかし、頼子の表情はすぐに元の冷静さを取り戻す。

 

「……だからこそ、行くのです」

 

頼子は静かに言った。

 

「私は大野中隊長から殿を命じられました。貴女たちを守るのが、私の役目です」

 

その言葉には、もはや迷いはなかった。

 

「大竹少尉、無事帰ってください。それが、貴女の役目です」

 

美春は、悔しそうに唇を噛んだ。

だが、頼子の覚悟は、もう揺らがないと悟った。

 

「……絶対に……無事に戻ってきてください!」

 

美春の声が、戦場の喧騒の中にかき消されそうになりながらも、確かに頼子の耳に届いた。

彼女の瞳には、迷いはなかった。

あるのは、ただ使命を果たすという確固たる決意だけ――。

 

「頼子! 絶対帰るのよ!」

 

佳乃の言葉は、指揮官としての冷静な命令ではなく、仲間としての強い想いがこもったものだった。

しかし、頼子の反応は変わらない。

 

「ええ、必ず」

 

頼子は簡潔に答えた。

淡々と、まるでそれが当然のことのように――。

 

「中隊長、皆さんを必ず無事に帰してください」

 

頼子は飛行姿勢を崩さず、わずかに視線を佳乃へ向ける。

佳乃もまた、無言のまま頼子を見つめた。

その一瞬の目配せだけで、互いの意志は通じ合う。

 

「もちろんよ!」

 

佳乃の声が、頼子の背を押すように響いた。

頼子は、すぐに視線を前に戻し、敵へと向き直る。

彼女の中に、ためらいはなかった。

 

美春は、遠ざかる頼子の後ろ姿を見つめながら、歯を食いしばる。

彼女の背中はどこまでもまっすぐで、決して揺らがない。

そんな頼子の姿を見て、胸が締めつけられるような感覚を覚えた。

 

(信じるしかない……頼子さんは、必ず帰ってくる)

 

美春は強く自分に言い聞かせる。

今は撤退することが最優先。

それが、頼子の決意を無駄にしない唯一の方法だった。

 

彼女たちは、ストライカーユニットを加速させ、残された力の限り飛び続ける。

戦場の炎の中、頼子はただひとり、敵の猛攻を引き受けていた――。

 

「みんな! あと少しよ! 小牧山が見えたわ!」

 

佳乃の叫びが響く。

 

それは、彼女たちが生還できる可能性が見えてきたことを意味していた。

 

前方に、各務原基地の滑走路が近づいていた。

 

「みんなも! 頑張って!」

 

一七戦隊の隊員たちは、最後の力を振り絞って飛び続けた。

 

そして――

 

ネウロイの執拗な追撃にもかかわらず、ついに振り切ることに成功した。

 

彼女たちは、各務原基地に到達することができた。

 

滑走路に次々と機体が着陸していく。

着地と同時に、その場に倒れ込む者もいた。

極限状態の戦闘と撤退――彼女たちは、命からがら生還したのだった。

 

「……生きて、帰ってきた……」

 

美春は、荒い息を吐きながら、遠くの赤く燃え上がる名古屋の空を見つめる。

誰もが声を発せず、ただその光景を見つめていた。

 

その時、後方からひとつの影が降下してくるのが見えた。

 

頼子は一度、空中でわずかにバランスを崩しながらも、着地すると静かに息を整えた。

 

「頼子さん!!」

 

美春が叫ぶ。

 

頼子の姿が、無事に帰還したことを確認した瞬間――

 

美春の目に、涙が滲んだ。

 

「遅くなりました、大竹少尉」

 

頼子は、淡々とした口調で言いながらも、その足取りは重かった。疲労の色が隠しきれず、わずかに膝が揺れる。

 

「……良かった……!」

 

美春は涙を拭い、最後の力を振り絞って頼子を迎えに走ろうとするが、その足が思うように動かない。力が抜けたように、その場に崩れ落ちる。

 

すでに滑走路には、佳乃をはじめとした隊員たちが次々と倒れ込んでいた。極限状態の戦闘と撤退戦による消耗は限界に達していた。

 

頼子もまた、一歩踏み出した瞬間、そのまま膝をついた。

 

「頼子……さん……!」

 

美春は這うようにして頼子に近づく。頼子は呼吸を整えながら、美春の方をわずかに見やった。

 

「……全員、無事ですね」

 

それを確認すると、頼子はようやく、その身を地面に預けた。

 

「よく……やったわ、頼子……」

 

佳乃の声が、どこか遠くで響く。彼女自身もまた、地面に仰向けになったまま動かない。

 

それでも、誰もが生きている。それだけで十分だった。

 

誰一人として、すぐに立ち上がることはできなかった。

 

焼け焦げ、破損したストライカーの機体、荒い息遣い――それらすべてが、彼女たちがこの地獄を生き抜いた証だった。

 

遠くの空では、未だに名古屋の街が赤く燃え続けていた。

 

――こうして、一七戦隊は死線を越えた。次の戦いのために、わずかな休息を得るのだった。

 

つづく




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