弦奏詩 作:藤倉一至
「ああそうだ、海鈴。来週の火曜ってスケジュールどうなってるの?」
「来週の火曜、ですか? 確認してみますので、少々お待ちください」
ライブを終えて楽屋に戻り片付けや着替えをすませて、いつものギターケースを片手に帰ろうと足を踏み出しかけた黒髪の少女――八幡海鈴の背中に、まだ着替えも済ませていないメンバー(リーダー)から声がかけられました。
海鈴はいつもの無表情のまま一旦ケースを床に置き、取り出したスマホでスケジュールの確認をしてみます。
「――生憎ですが、Stradのライブが入っているようですね。申し訳ありません。その翌日、水曜でしたら空いていますがどうされます?」
「あぁ、悪い。水曜はこっちが空いてないわ。新曲できたから、合わせやりたかったんだけどね。海鈴が空いてないなら、しゃーなしか」
「新曲ですか。それでは、いつものように
「りょーかい。それじゃ、次のライブまでにはこっちも海鈴のベースに合わせられるよーにやっとくよ。……海鈴もメンバーなら、もっとちゃんと合わせられるんだけどね。ムジカも音沙汰ないみたいだし、ここらで正式にウチに入るとかどうよ?」
冗談まじりに、リーダーがメンバー加入を誘ってきます。もっとも、そこに本気が幾らか入っていることは、百戦錬磨の海鈴でなくとも簡単に読み取れます。
「……魅力的な申し出ですが、私はあくまでサポートですから。他のバンドとの兼ね合いもありますし、一つのバンドに縛られるのは難しいですね」
「そっ……か。まぁダメ元で言っただけだし、いいや、気にしないで。それより、ライブ以外もあるんだから、ウチのためにもっとスケジュールは空けといてよね」
「……そうですね、努力はさせていただきます。それでは、次のライブで」
事務的な態度を崩さないまま、海鈴はいつものように正式メンバー入りを断りました。
最後にお別れの言葉をメンバーたちにかけると、そのまま控え室を後にします。
「――バランスが崩れてきましたか。そろそろ潮時、でしょうかね」
廊下に出たところで、海鈴の口から醒めた呟きがこぼれ落ちます。
バンドは運命共同体だと言ったのは、少し前に空中分解してしまったバンドのリーダーでした。海鈴も、その考えには賛成です。
お互いが運命共同体だと信じられる繋がりがなければ、赤の他人同士が上手くいくはずもありません。そして、そう信じあって始められたバンドだって、ずっとずっと続けられるわけがないことを、彼女はよく知っています。
誰かが少しでもバランスを崩してしまえば、それまで調和が取れていたはずのバンドもあっけなく壊れてしまうのですから。いったいどれだけの終わりを海鈴は見てきたでしょうか。
そんな彼女にとって、少なくとも先ほどの誘いはむしろ、終わりを早めるだけの引き金を引いたようにしか思えませんでした。
「…………?」
そんな物思いにふけりながら廊下を歩いていた海鈴の足が、ふと止まりました。
先ほど、すれ違い際に別の楽屋の扉が開いて、中から誰かが出てきたのが視界の片隅に入ってきたのです。
それが誰だったのか、顔も衣装も見えなかったのでわかりません。ただ、彼女? が抱えていたピンク色のギターに、見覚えがあったような気がしました。
そんな色のギターを使っているギタリストは、そう多くはありません。これまで海鈴が関わってきた中でも、せいぜい数人ほどでしょうか。
ここRiNGを根城としているはずの、海鈴のクラスメイトである椎名立希が参加しているバンドのギタリストにしても、二人とも持っていたギターは違ったはずです。
ですが、今ちらっと見ただけのギターには、見覚えがあったような気がするのです。
「さて、どうしたものでしょうね」
ケースを持った手とは逆の手で唇の前にちいさく拳を作ってしばし考え込んでいた彼女は、やおら歩き始めてそのままRiNGのエントランスに一度出たかと思うと、そのままホールの中に入っていったのです。
演者ではなく、観客として。
客の入りは、大したことはないようでした。
先ほど海鈴がステージから見たものの、半分以下といったところでしょうか。
そのまばらに散らばっている観客の中に混じって、海鈴はステージを見上げます。
演者は、たった一人でした。
マイクスタンドも撤去されていて、たった一人ステージに立つ少女はあの桃色のギターを懸命に弾いています。
いえ、弾こうとしている、が正しいでしょうか。
少なくとも、聞こえる音はリズムもメロディもボロボロで、まともな曲になっていません。
普通に考えれば、この程度の腕前でステージに立とうなんて思えないくらい、ひどいものでした。目の前に彼女が立っていなければ、それが彼女の演奏だとは到底信じられないほどに。
それは周りの観客も同じなのでしょう。
緑の髪の少女の演奏を目の前にして、ほとんどの観客は隣の観客とお喋りばかりしているのですから。
時には少女に向けて指をさしたりしながら、観客たちは驚いた顔をしてみたり、呆れた顔をしてみたり、中には少女を
もちろん晒し者のようになっている少女の姿に、哀しげに顔を歪めてステージを見上げ続けている女の子もいるようでしたが、観客のほとんどは少女の演奏よりも彼女の無様な姿を見に来ているようでした。
それでも少女は逃げることはありませんでした。
まともな演奏ができなくても、無様な姿を嗤われていても、ただ必死に顔を歪めてギターを弾き続けていたのです。
その姿を、海鈴はただ見続けていました。
嗤うことも、指さしすることも、誰かとお喋りをすることもなく。
ただ一人立ち尽くしているように、身じろぎもせず、ただステージの上を見続けていました。
――少女がステージを離れる、その瞬間まで。
◆ ◆ ◆
――ああ、今日もなにも変わらないや。
ステージのど真ん中に一人で立って、子供の悪戯のようなギターを弾きながら、モーティスの心の中は早くも真っ暗になり始めていました。
目の前に広がるだだっ広いスペースのほとんどは、空っぽのままです。
初めてのライブでは半分くらいは埋まっていたはずなのに、四回目の今日は数えられるくらいしか観客の姿は見えません。おまけに、その半分くらいはただお喋りをしているだけで、彼女のギターを聴いてくれているような人は、隅っこに隠れるようにこちらを見上げている長い髪の女の子くらいしか見当たらないのです。
だけど、それもあたりまえと言えばあたりまえなのです。
「…………っ、」
それでも、モーティスがピックを動かす手を止めることはありません。
ギリギリと音が鳴りそうなくらいに歯を食いしばりながら、彼女はギターを鳴らし続けます。
たとえそれがいびつに歪んで、どうしようもなく滑稽な音にしかなれなくても。
それ以外に、モーティスがむつみちゃんのためにできることなんて、なにひとつないのですから。
「…………?」
ふと、不揃いなギターの音に混じってなにかが聞こえたような気がして、モーティスはピクリと眉を歪めました。
最初はただの気のせいかと思ったのですが、耳を澄ませてみると確かに別の音が聞こえてきます。
低くて重い、しっかりとした音が。
確かなリズムを持って紡がれている、まるで心臓の鼓動のような音が、背後から聞こえているのです。
驚いてモーティスが後ろを振り返ると、いつの間にかそこには黒ずくめの少女が立っていました。
肩までの黒髪、黒い革のジャケット、黒光りのする楽器を低く構えた、見覚えのある
――どう、して? どういう、こと――?
わけがわからずモーティスが右手を動かすことも忘れて彼女を見つめていると、その黒ずくめの少女はモーティスの目をまっすぐ見つめ返して、顎をしゃくらせてきました。
手を止めないで、ギターを弾き続けなさいと促すように。
そんな突然の乱入劇に、観客が驚きの声を上げたのが聞こえてきました。
驚きと――もしかしたら、喜びの声も混じっていたかもしれません。
その声が一瞬、とても耳障りに感じられてしまい。
「――――っ!」
モーティスは反射的に、ギターに向けてピックを叩きつけてしまいました。まるで、殴りつけるみたいに。
途端に、耳障りな音が響き渡ります。
モーティスは顔をしかめながら、その耳障りな音たちをかき消そうとするように、ギターをかき鳴らし始めます。ようやく覚えられたコードもなにもかも、かなぐり捨てて。ジャカジャカと、感情のままに。
無秩序に吐き出し続けられる音の塊を支えるように、丁寧に刻まれた低音が響き渡ります。
バンドの
ギターとベースの二つの音は、混ざり合うこともなくバラバラに響き続けます。
それでも、どうしてでしょう。
荒れ狂うようなギターの音が次第に落ち着き始めると、少しずつベースの音と重なり始めていきました。
もちろん、ギターの音はひどいままです。カッティングもハーモニクスもてんでなっちゃいません。そんな技術、モーティスにはひとつもわかっちゃいないのですから。
――それでも、正確なベースの音の上に乗せられているうちに、いつの間にかギターの音までもそれに飲み込まれるように変わっていったのです。
その変化に驚きと戸惑いを感じながら、モーティスは気づけば夢中になってギターを弾き続けていました。
そうして、バラバラだった二つの音が重なり合いそうになったその瞬間、終わりはあっけなく訪れてしまったのです。
ビィィィ――――ン
張り詰めた音がしたかと思うと、途端にギターの音がかき消えてしまいました。
モーティスの荒々しい演奏に耐えきれなくなった弦が、切れてしまったのです。
呆然と、弦の切れたギターを抱えたまま、立ち尽くしてしまうモーティス。
せっかく盛り上がりかけた気持ちを突然断ち切られ、観客たちも黙りこくってしまいます。
そんな中、黒ずくめの少女だけは仕方ないですねと言いたげにため息をついてから、一人だけ落ち着いた様子で
◆ ◆ ◆
「とりあえず、そのギターを見せてもらえますか。……ああ、なるほど。やはり弦が錆びてきていますね。手入れが足りないようですので、ちゃんとメンテナンスは忘れずに、です。もしもやり方がわからないのでしたら、楽器店にでも持ち込んでやってもらうといいでしょう」
楽屋にモーティスが戻るなり、一緒に楽屋に入ってきた黒ずくめの少女――うみりちゃんが桃色のギターを奪い取って、弦を触ったりいろいろしてからそんなことを言ってきました。
「……なんのつもり?」
「? ああ、ギターメンテナンスのアドバイスですが。音楽を愛する者の端くれとして、楽器の不備は見逃せないたちなものですから。余計なお世話でしたら謝罪させていただきます」
「そうじゃなくてっっっ!!!」
天然なのかわざとなのか。ピントのずれた反応をしてきたうみりちゃんに業を煮やして、モーティスは思わず大声を出してしまいます。
「ギターのことはいいから、うみりちゃんがどうしてここにいるのか、それを教えてって言ってるの! なんにも教えてないのに、どうしてここで私がギター弾いてるってわかったのっ!? 勝手にステージに上がり込んでベースを弾き始めるなんて、なんのつもりかって聞いてるんだから、ちゃんと答えてようみりちゃん――っ!」
先ほどのギターのように乱暴に声を荒らげるモーティスに、うみりちゃんは桃色のギターを丁寧に返してから、いつもの無表情のまま口を開きました。
「私がここにいる理由は、単に若葉さん? の前にステージに立っていたからです。ですから、若葉さんが今日
「……わかばさん、じゃないから」
うみりちゃんの説明の途中でしたが、モーティスは思わず口を挟んでしまいます。
「?」
「わかばさん――むつみちゃんは、ずっと眠ったままだから。今ここにいる私はモーティス。間違えないで」
「……わかりました、モーティス。では、私のことも海鈴ちゃんではなく、ティモリスと」
モーティスの説明は冷静に考えれば意味不明なもののはずですが、彼女の事情を少なからず知っていたうみりちゃん――ティモリスは簡単に受け入れてくれたようでした。
「それで、後はなんでしたか。……ああ、勝手にステージに上がってベースを弾き始めた理由、でしたか。そうですね、なんとなく気が向いたから、ではいけませんか?」
「はぁぁ!? なに考えてんのよそれ、ふざけてんの――っっ!? ちゃんと真面目に答えてって、私はそう言ってるのっ!」
ティモリスが口にしたふざけた理由に、たまらずモーティスは大声を出してしまいます。
「ふざけたつもりはありませんが、そう聞こえたなら申し訳ありません。……そうですね、付け加えるなら、私がバンドのサポートをメインにしているから、でしょうか」
「なにそれ?
ホテルの部屋での顛末を思い出しながら、モーティスは恨み節を目の前の黒ずくめの少女にぶつけます。彼女があの時バンドを守ろうと頑張ってくれてたら、もしかしたら今でもAve Mujicaは続いてくれていたかもしれないのですから。
「……あの場で私が頑張ったところで、ムジカの寿命が延びたかは怪しいものでしょうね。もし即時解散といかなくとも、ライブは開催できたかどうか。だとしたら、やはり遅かれ早かれでしかありません。もしかしたら、今よりもっと酷いものになっていたかもですね」
「だったら、解散が避けられなかったって言うなら、もう私たちは関係ないってことだよね!? それなら――私のことをサポートする理由なんて、ティモリスにはなにもないじゃない!」
なんのためにひとりでステージに立つようになったのか。
今目の前に彼女が現れたことは、チャンスではないのか。
そんな冷静な計算なんてできないまま、モーティスは感情だけをぶつけてしまいます。
「確かに私がモーティスをサポートする理由はなにもありませんね」
「――っ!?」
悪びれることもない彼女の言葉に、モーティスの頭の中は真っ白になってしまいました。
けれど、ありったけの罵詈雑言を吐き出す前に、ティモリスは相変わらずの鉄面皮で続けてきます。
「ですから、単に私が気まぐれを起こしただけのことです。サポートばかりずっと続けてきたせいでしょうか、ひとりで頑張っている誰かの姿を見せられてしまっては、見なかった振りをすることができない人間だったみたいですから、私は。自分でも、少し驚きですね」
「…………なにそれ。意味わかんない」
本当に、彼女のことが理解できません。全然、まったく、これっぽっちも。
たぶん、一番理解できないのが
むつみちゃんとしてずっと一緒だったから、さきこちゃんのことはよく知っています。
にゃむちゃんが自分を売り出すためにがんばっていたことも知っています。
ういかちゃんがさきこちゃんのことばかり見ていたことも知っています。
けれど、うみりちゃんのことだけはよくわかりませんでした。
なんのためにAve Mujicaに参加したのか。なにが一番大事なのか。Ave Mujicaが居場所になってくれたらいいというあの言葉が、本当だったのか嘘だったのか。
モーティスには、なにひとつわかりませんでした。
ですから、モーティスがあの不器用な少女を真似て、Ave Mujicaをもう一度取り戻すためにステージに立ち始めた時に、思ったのです。
もしもあの少女がやってきたようなことが自分にもできたなら、まず仲間になってくれるのはさきこちゃんかにゃむちゃんからだろう、と。ういかちゃんはさきこちゃんがいない限り手伝ってくれないでしょうし、うみりちゃんが参加してくれるとしたらきっと一番最後になるんじゃないかと。
それなのに、まだ満足にギターも弾けるようになっていないのに、まだ誰ひとりとしてモーティスのそばに戻ってきてくれていないのに。どうしてうみりちゃんが一番先に
それでも、そんなモーティスでも、これがチャンスだということだけはわかりました。
これが最後のチャンスなのだと。
このチャンスを逃せば、もう二度とティモリスが手を差し伸べてくれることなんてないのだと。
「……だったら、私のこと手伝ってくれるの? Ave Mujicaを、さきこちゃんを、ういかちゃんを、にゃむちゃんを、私に――むつみちゃんに返してくれるの?」
だから、モーティスは怒りも苛立ちも焦りもなにもかもを押し殺して、そうティモリスに尋ねてみます。
けれど、ティモリスはそんな彼女の顔を一瞥しただけで、
「それは、私の仕事ではありませんね」
そんなつれないことを言ってきたのでした。
「そんな、ひどい――」
「私はあくまでサポートですから。大事な仕事は若葉さん――いえ、モーティスにお任せします」
抗議の声を上げかけたモーティスをいつもの醒めた低音で遮ると、ティモリスはずっと足下に置いていたいつものギターケースを手に取ります。
それから、
「そうですね。私の仕事は、まず音楽面からでしょうか。これから時間があるようでしたら、一緒にスタジオにどうですか? あなたのそのギター、もう少しマシなものにできた方がいいでしょう?」
どこから取り出してきたのか、紙パックのジュースにストローを刺して一口吸ってから、そんなことをモーティスに言ってきたのでした。