弦奏詩 作:藤倉一至
スタジオの手前部分にスタンドで固定したスマホの位置を確かめると、彼女は一度頷いてから真ん中に置いたパイプ椅子に戻って、配信収録を開始しました。
「こんにちにゃむにゃむ~。今回の配信は、なんと、あの大物ゲストが来てくれちゃいました~♪ なんと、今回ゲストに来てくれたのは――」
「えっと、こんにちは? RASのマスキングです。よろしく」
彼女の隣のパイプ椅子に座っていた金髪のヤンキー風の少女が、彼女の振りに合わせて――しっかりカメラ目線で――挨拶をしてくれます。さすがにもうプロとして活動していることもあって、実に堂々としたものでした。
彼女――配信者にゃむちこと祐天寺にゃむはこっそり満足そうに頷くと、すぐにスマホのカメラに向かって笑顔で話を繋げます。
「というわけで、レイヤ先輩に続いて、RASから二人目のゲスト出演となりました。今日はご出演、ありがとうございます。プロデューサーさんの方は大丈夫、なんですよね?」
「ああ、レイヤとの動画も評判いいみたいだから、チュチュのヤツも問題ないってさ。レイヤも収録やりやすかったって、にゃむのこと褒めてたぜ」
「わわっ、レイヤ先輩ありがとうございます~。それでですね、マスキングさん。レイヤ先輩が教えてくれたんですけど、あたしのドラム聞いてくれてたんですよね?」
「聞いた聞いた。配信だけじゃなく、ムジカの曲もな。それでわたしもちょっとビックリしたんだけど、にゃむってドラムまだ始めたばっかなんだろ? にしてはバッチリ叩けてるから、レイヤとなかなか筋がいいんじゃないって話してたんだよ」
前もって台本を用意していたわけではありませんが。
それでも事前に想定していた流れに乗って話が進んでいることに、にゃむは内心ニヤついてくるのを抑えきれませんでした。その気持ちが表情に出ることをなんとかこらえながら、収録を続けていきます。
「うわぁ、ありがとうございます。あのマスキングにそんなこと言われたら、あたし調子に乗っちゃいそうだな~」
あくまでノリは軽く装いながら、にゃむは話を少しずつ核心に進め始めていきます。
と、収録に集中していた二人は気づきませんでしたが、スタジオの防音扉が音もなく外から開きました。
「じゃあ、マスキングさんから見てあたしのドラムって点数つけたらどうなります? ズバリ何点ですか? あ、マスキングさんのドラムが百点って基準でお願いしま~す」
「ええっ、そうだなぁ、ドラムに点数つけるとかって苦手なんだけどな。それでもにゃむのドラムに点数つけるとしたら――」
「そうですね。私がつけるとしたら、77点でしょうか。この先の伸びしろ込み込みで」
「「…………は?」」
突然割って入ってきた第三の声に、二人は慌てて声のした方を振り向きます。
――いつの間に中に入ってきたのか、そこには黒ずくめのエイリアンがいました。
いえ、それはにゃむのただの錯覚でした。
そこにいたのはいつもの黒ずくめ――厳密には赤のインナーも着ていますが、ぱっと見だとそう見えてしまうのです――の服に身を包んだ、たいへん見覚えのある黒髪の少女だったのです。
「うみ、こ……? え、なに……?」
「収録中申し訳ありませんが、諸事情により今回の収録はキャンセルとさせていただきます」
戸惑いの声を上げるにゃむを無視して、海鈴はつかつかと歩いてきたかと思うと、撮影中のスマホをスタンドごと引っ掴みます。
「ちょ、なにやってんの――!?」
「そういうわけで、今回の収録は中止です。マスキングさんには申し訳ありませんが、後片付けはお任せします。――この分の迷惑料は、祐天寺さんに請求書を送っていただけますか。それでは、失礼します」
海鈴はスタンドを片手に持ったまま、今度はにゃむの首根っこを後ろから掴んでむりやり引きずり始めます。
にゃむもわけがわからないままなんとか抵抗しようとしますが、思いのほか海鈴の力が強かったので逃げることもできずに、そのままスタジオの外へと引きずられていってしまいました。
後に残される形になったマスキングはしばらく呆然としていましたが、
「……え? 後片付けはわたしに任せる、って。これを、わたしひとりで片づけろってか? マジかよ……」
ようやく我に返ったところで背後を振り返り、うんざりとした声を上げてしまいます。
そんな彼女の目の前には、にゃむがドラムセッションを収録するために用意してあった二人分のドラムセットが、魔王の城のように立ちはだかっていたのでした。
◆ ◆ ◆
首根っこを掴まれたままの格好で、にゃむはスタジオから廊下に引きずり出されてしまいました。けれど、それでも海鈴は止まってくれません。
細身の外見からは想像できない強い力で、まるで荷物のように廊下を引きずられていくにゃむ。そんな見るも哀れな姿に、すれ違う人たちもポカンと口を開けて目を丸くしながら彼女を見送っていきます。
それが恥ずかしいのもありますが、なによりも廊下のリノリウムに擦られるままスニーカーのつま先が削られていくのが不快でたまりません。服のネックに締め付けられるままの首も、やけにざらつく靴の内皮にすりおろされる足の指先も痛くてたまりません。
それが耐えられなくなったにゃむは、曲がり角の辺りで海鈴の力が弱まったを幸いに、むりやり身体を回してなんとか海鈴の腕から逃れることができました。
「こ、の……さっきから、なに考えてんのよこのド阿呆――っ!」
ようやく自由になったにゃむは、よろよろと立ち上がりながら海鈴を怒鳴りつけます。
「ああ、申し訳ありません。抵抗されるのがウザかったので、ついつい乱暴に運んでしまいました。大人しくしてくれていれば、もう少し優しく運べたのですが」
「ああもう、あんな猫みたいに首根っこ掴まれたら、抵抗すんのあたりまえでしょうが!? なんなのあんた、めちゃくちゃ力強いし。ベース以外になにかやってるわけ?」
相変わらず真顔ですっとぼけた返事をしてくれる元バンドメンバーに、にゃむは顔をしかめ首の後ろをなでさすりながら文句をつけてみました。
すると、
「こう見えても北辰一刀流の免許皆伝です」
「はぁ? 北辰……?」
「知りませんか、北辰一刀流。不勉強ですね、祐天寺さん。……まぁ、もちろんただのジョークですが」
「……いや、北辰一刀流くらい知ってるっての。ホント、なんなのあんた……」
やはり仮面じみた無表情で意味不明なジョークを言ってきます。
Ave Mujicaでスケジュール管理をやってくれていたときはその冷静さが頼もしかったのですが、こうして離れた立場で相対すると
「……とりあえず、スマホ返してよ」
「おや、もういいのですか。今のこの状況、割と美味しいシチュエーションだと思うのですけど」
「いいから、とっとと返せっての。……誰が、こんなところ、上げるかって言うの。あたしのイメージ台なしじゃんか」
にゃむちはスマホとスタンドをなんとか取り返すと、鋭い目で海鈴をキッと睨みつけます。
「それで、せっかくマスキングとアポ取れた撮れ高抜群の収録おじゃんにしてくれた理由、ちゃんと説明してくれるんだよね、う・み・こ?」
「もちろんそのつもりですが、まずは場所を変えるとしましょう。ここでは込み入った話はできそうにありませんからね」
その鋭い眼光に動じた様子も見せずに、海鈴はそんなことを提案してきました。もちろん、にゃむにもその提案を断る理由はありませんでした。
「――で、なにしに来たわけ? あ、当然ここはうみこの奢りだから。ついでに迷惑料の請求書? とやらもそっちにツケといてくれる?」
にゃむと海鈴が向かったのは、CIRCLEのそばにある喫茶店でした。空いていた席に座って適当に注文したところで、にゃむはさっそく海鈴に詰問を開始します。
「困りましたね。ここの代金はともかく、私はただのサポート――アシスタントですので、請求書はクライアントに直接送っていただきたいのですが」
「はぁ、クライアントぉ? 誰よ、それ」
「申し訳ありませんが、守秘義務がありますので。名前は明かしかねますね」
「なに言ってんのよ、あんたはホントに……」
要領を得ない海鈴の話しぶりに、にゃむはさっそく頭が痛くなってきました。
そんな彼女に温度のない視線を送りながら、海鈴が口を開きます。
「とりあえず、モーティス……いえ、若葉さんが最近RiNGというライブハウスにひとりで出演されているのをご存じですか?」
「は? むーこが? ライブハウスに? ひとりで? なにそれ、初耳なんだけど」
突然袂を分かった元メンバーの名前を出してこられてにゃむが戸惑っていると、海鈴が少し驚いたような表情を見せました。
「おや、SNSに強い祐天寺さんならとっくにご存じだと思ったのですが」
「ちょっと待ってよ、確かめてみるから」
目の前の彼女のことはとりあえず無視して、にゃむはスマホを取り出しSNSをチェックします。
……
「なに、テレビから消えちゃってどうしてるかと思ってたら、こんなことやってるんだ。え、でも、ギター弾けないんでしょ。弾けるようになったわけ? ……なわけないよね」
愁嘆場になったあの夜のことを思い出して、にゃむは顔を歪めます。
あの時の若葉睦――いえ、モーティス? の様子を見ていれば、こんな短期間でギターを弾けるようになったとは思えません。
そして、もしも二重人格が治っていたのなら、Ave Mujicaを復活させているはずです。少なくとも、にゃむに声をかけてこないわけがないでしょう。
「あー、そっか。ひとりなら歌でも歌ってればいいもんね。むーこならそれくらいできても不思議じゃない、か」
「いえ、歌は歌っていません」
嫉妬混じりのにゃむの呟きを、海鈴が簡単に否定します。
「は? 歌なしでどうすんのよ? あの子に、他になにができるわけ?」
「もちろん、ギターです」
ありえないことを断言してきた黒ずくめの少女に、にゃむは絶句するしかありません。
慌ててもう一度SNSを詳しく調べてみると、確かにギターを弾いているようでした。ただし、評判はとてもひどいものでしたが。
「ちょ、なに考えてんのよ――」
「お待たせしました、こちらブレンドとパンケーキセットになります。ご注文、以上でよろしかったでしょうか?」
気色ばんで声を荒げかけたにゃむちを遮るように、姿を見せた店員が注文の品をテーブルに並べていきます。
にゃむの前にはブレンドのカップが、海鈴の前には紅茶のカップとパンケーキの皿が置かれました。
無表情のままいそいそとパンケーキを切り分け始めた海鈴の姿に気勢を削がれてしまい、にゃむは仕方なくブレンドに口をつけて一旦頭をクールダウンさせます。
「――それで、結局うみこはなにしに来たわけ? むーこの現状報告だけしに来た、ってわけじゃないんでしょ」
「もちろん、ビジネスの話をさせていただきに参りました」
フォークでパンケーキをひとかけ突き刺したままの姿勢で、至極真剣に言ってくる海鈴。そのあまりにもあまりにもな噛み合わなさに頭痛を覚えながら、にゃむはとりあえず無言で続きを促しました。
「若葉さんのステージを動画撮影して、にゃむちチャンネルで公開してはいかがでしょうか。ギターを弾けなくなってしまったかつてのバンド仲間の再起を手伝うドラマー。ムジカに加えて若葉さんの知名度を考慮すれば、ドキュメンタリーとしてかなりの撮れ高が稼げると思いますが」
「正気? 確かに話題にはなるだろうけど、それってむーこをただの晒し者にしてるだけじゃん。それだけなら炎上間違いなしなんだけど、どうすんの? 後、あたしの知名度もそこに加えるべきじゃないの?」
にゃむがわざと挑発するように言ってやると、パンケーキを頬張ってから海鈴が淡々と言い返してきます。
「若葉さんひとりのステージを映すだけなら確かに問題ですが。祐天寺さんもドラムとして参加していれば、炎上は避けられるのでは?」
「あー、要するに、そういうことなわけね。動画を撮らせてやるから、代わりにあたしもステージに出てこいってこと、と。……で、うみこはその場合どうするわけ? アシスタントだけで済ますつもり?」
「もちろん私もベースとして参加させていただきます。……というより、もうとっくに参加していますが」
ベーシストの飄々とした返事に、ドラムスは半眼になって彼女を睨んでしまいます。
「はぁ……ドキュメンタリー撮らせるつもりなら、うみこが参加する前にこっちに話を振ってくるべきじゃないの? こういうのって、流れが一番大事なんだからさ」
「…………」
わざとらしく愚痴めいた文句をきかせてやりましたが、
にゃむは仕方なくブレンドを口に運ぶと、最後に一つだけ確認をしておきます。
「……で、むーこのギターはどうなの? ちゃんとモノになれそうなの?」
「それは祐天寺さんがステージで確かめていただけますか」
「………… 」
しれっと返答をごまかしてくる海鈴ににゃむが殺意を覚えかけていると、黒ずくめの少女はにゃむの目をまっすぐ見つめて、真剣な声で尋ねかけてきました。
「――そういうことで、いかがでしょう。今回の案件、引き受けていただけますか?」
「…………はぁ」
しごできな雰囲気たっぷりの元スケジュール担当の提案に、にゃむはため息と一緒にカップをテーブルに下ろしました。
それから、不敵な笑みを口元に浮かべたかと思うと、海鈴の手からフォークを奪い取ってパンケーキを勝手に口に頬張ってみせます。
「……いいよ、引き受けてあ・げ・る。――ただし、むーこのギター確かめてみて全然ダメそうだったら、あたしは即降りるから。その条件でいいなら、やってあげる。うみこだって、最初からそのつもりなんでしょ?」
「さて、どうでしょう?」
フォークをかすめ取られた右手を所在なげにさ迷わせながら、海鈴は相変わらず無表情に空とぼけました。それから、諦めたようにパンケーキの載った皿をにゃむの方に押し出してきます。
「とりあえず、間接キスはひとりだけと決めていますので、こちらは前金代わりにどうぞ。引き受けいていただいたことには、素直に感謝しておきます。ああ、ですがひとつだけ」
まだ少し恨めしそうな視線を一瞬だけパンケーキに送ってしまいますが、黒髪の少女はすぐにその真っ黒な瞳をにゃむに向けると、淡々とした口調で言ってきます。
「彼女は若葉さんではなくモーティスですから、彼女を呼ぶときはむーこではなくもーこでお願いします」
「はぁ? 別にいいけど、なんなのそれ。……だったら、あんたはティモリスだから、うみこのこともティモ子って呼べってこと?」
「いいですね、それでお願いしますあもこ。……これだと、もーこと被っていけませんね。では、呼び間違いを避けるためにも、祐天寺さんのことはあほうと呼ぶことにさせていただきますね」
「――阿呆はそっちじゃ、このアカンタレが! これ以上肥後女ば舐め腐るなら、覚悟はできとるね! やったら、これからあんたのことはうんこばい! 一生そう呼んでやるから、今更泣いて謝ったって許してやらんからね! このうんこが!」
先ほどの意趣返しのつもりだったのでしょうか。余計な軽口を叩いてきた海鈴にいいかげん堪忍袋の緒が切れたにゃむは、思わずお国言葉を使って目の前の少女を罵ってしまいます。
公共の場、食事の場にはふさわしくない単語を大声で出されて、周りの客が彼女たちの席を驚いた顔で見つめてきました。
けれど、当の本人であるうんこ――もとい、海鈴が平然とした顔で紅茶を口に運んで冷静に二口ほど飲み込むと、
「うんこ、ですか。あもこがそう呼びたければ別に構いませんが、そうなると一生こびりついて離れなくなりそうですが、それでもよろしいのですか?」
「……あんた、ホントになんなの……」
なにも動じた様子もなく淡々と言ってくるのに、にゃむはもう呆れかえりすぎでなにも言えなくなってしまうのでした。
◆ ◆ ◆
銀色のドアを開けて、誰もいない楽屋にひとり入っていきます。
空っぽの部屋、がらんとした部屋はひとりだと広すぎて、モーティスは少し落ち着かなくなってしまいます。
最初の数回は緊張と期待があったのでそれほど感じなかったのですが、もうライブそのものに慣れてしまった今だと、この空虚さにはどうしようもない寂しさを感じてしまうのでした。
――まるで、あの雨の日にさきちゃんに罵られてしまったむつみちゃんのように。
そう思ってしまった瞬間、ぞくりと寒気を感じてしまったモーティスはソファに座り込んだまま、ギターをきつく抱え込んでしまいます。
まるでそうでもしないと、今にも凍えてしまいそうだというように。
「……むつみちゃん、まだ起きてくれないの……?」
今にも泣き出してしまいそうなほど、弱々しい呟きがモーティスの口からこぼれ落ちてしまいます。
そうして、勝手に小刻みに震え出してしまう身体をギターごと抱きしめていたモーティスの耳に、ラッチがこすれる微かな音が飛び込んできました。
途端、弾かれたようにモーティスは身体を起こすと、勢いよくドアの方に向き直ります。
「……おや、どうやら先を越されてしまいましたか」
「もう、遅いよティモリス! 待ったんだからね――、……っ?」
ようやく楽屋に入ってきたティモリスに抗議の声を張り上げたモーティスでしたが、その待ち人の背後からさらにもう一人入ってくるのを見て、思わず息を呑みました。
大きなケースを抱えた黒ずくめの少女に続いて楽屋に入ってきたのは、紫のボブカットに包まれた顔がどこかあの不器用な少女を思い起こさせる、けれど正反対に陽の雰囲気を持った見覚えのある少女だったのです。
「……にゃむちゃん? え? え? どういうこと?」
わけがわからず、二人の顔を忙しなく見比べてしまう緑の髪の女の子の反応を見て、スマホで撮影中だったらしい紫の髪の少女――にゃむちゃんが顔をしかめると、ティモリスを睨みつけます。
「どういうこと? って、ティモ子、あんたもしかしてあたしのことなーんも教えてないの? サポート気取るんなら、ちゃんとクライアントには報連相くらいやっときなよ。いくらなんでもサボりすぎでしょ」
「ああ、申し訳ありません。ここは演出的にインパクトが必要だと判断して、あえて報告しなかったのですが。どうやら悪手だったようですね。――失礼しましたあもこ、それにモーティスも」
奇妙に息の合った風の二人のやり取りを見て、モーティスはじわじわと現状を理解していきます。
どうやらティモリスがにゃむちゃんを連れてきてくれたのだということを。
「――にゃむちゃん。本当ににゃむちゃんだ。来てくれたんだね、にゃむちゃん。これってティモリスが連れてきてくれたんだよね? ありがとう――ホントにありがと、ティモリス」
現状を完璧に理解したと同時に、モーティスの中に喜びが溢れてきます。弾む声でティモリスにお礼を言った彼女は、そのままギターを――もどかしげに――机の上に丁寧に置いてから、一目散ににゃむちゃんに飛びつきます。
「ここに来てくれたってことは、にゃむちゃんも私を手伝ってくれるんだよね。一緒にバンド、やってくれるんだよね?」
「ちょっ、なんなの、いきなり。……はぁ、確かにこんなことしてくるのはむーこじゃなくてもーこだわ」
いきなり抱きついてきたモーティスににゃむちゃんは戸惑ったように顔をしかめてから、合点がいったという風にティモリスに意味ありげな視線を送りました(それに対して、ティモリスはただ肩をすくめるだけでしたが)。
それからモーティスの頭をポンポンと、なだめるように軽く叩きます。
「あー、確かにあたしはこっちの報連相もできないサポーターの依頼で、のこのことやってきたわけだけどさ。動画を撮るために来ただけで、別にあんたとバンドやるために来たわけじゃないから。そこは間違えないでくれる?」
「……にゃむちゃん、どうしてそんなひどいこと言うの? バンドは共に音楽を奏でる運命共同体なんだから、そんな冷たいこと言わないでよ。あんたはここにいちゃいけないとかわけわかんないこと言って、勝手に逃げ出したくせに。私のこと、また捨てるつもりなの?」
あの夜のことを思い出して、ついつい恨みがましく言ってしまうモーティスの腕をむりやり引き剥がすと、にゃむちゃんが哀れむような視線を向けてきます。
「……そこがホント、あたしにはわからないんだけど。どうしてむーこももーこもバンドに拘るわけ? あんたにはあんな凄い演技ができるのに、どうしてそっちの道を選ばないのよ? さきこに義理立てする必要だって、もうないでしょ。むーこがそんな風になったのも、さきこのせいなんだからさ」
「――にゃむちゃんにはわからないよ」
ぞっとするような低い声が、モーティスの口から吐き出されました。
「にゃむちゃんがバンドなんてどうでもいいって思ってるように、むつみちゃんも私も演技なんてどうでもいいって思ってるだけ。私にはあれしかできないからやってただけで、別にやりたくもなんともないから。――だから、私たちにはバンドしかないの。お願いだから、邪魔しないで。もう二度とバンドやってくれないなら、とっととここから出て行って」
突然豹変した態度を見せる緑髪の人形じみた女の子に、紫髪の少女は困ったように顔を引きつらせて、黒髪の少女に視線を送ります。
ティモリスはその視線を受けて、少し痛ましげに目を伏せてから、その唇を開きました。
「モーティス、あなたの気持ちは最大限考慮させていただきますが、少し言葉が過ぎるように思われます。アモーリスに本当にバンドに参加して欲しいのでしたら、もう少し言葉を選んだ方が望ましいかと」
「……はーい、わかりましたー」
「アモーリスも、余計な挑発はなしでお願いします。このシーンも動画に撮られ続けていることは、くれぐれもお忘れないよう」
「はいはい、あたしも炎上はやだから、ほどほどにさせてもらうね」
ティモリスの仲裁で、とりあえず二人のギスギスは一旦収まったようでした。
不満そうに顔を膨らせながらもひとまず口を閉ざしたモーティスに、一つ大きなため息をついてからにゃむちゃんが話しかけてきます。
「とりあえず、あたしがバンド続けるかどうかはあんた次第ってことね。あんたのギターであたしを満足させてくれたら、その時はあたしももーこを手伝ってあげるから。せいぜい頑張ってギター弾いてみなよ」
ぶっきらぼうなくせにどこか温かさを持った口調でそう言うと、にゃむちゃんは口角を吊り上げてみました。まるでステキな悪戯を思いついたかのように。
「それから、あたしのことはにゃむちゃんじゃなくて、ちゃんとアモーリスって呼びなよモーティス。一緒にバンドやるつもりなら、そこんとこはきっちりしないとでしょ?」
「……わかったわ、アモーリス。これでいいんでしょ?」
頬を膨らませたままそう答えてみせると、モーティスは机の上に置いたままのギターを手に取ります。
ちょうどそのタイミングで、彼女たちの出番を告げにスタッフが楽屋に入ってきたのでした。
◆ ◆ ◆
まだ照明のついてないステージに出たアモーリスは、まっすぐドラムセットに向かいます。
家での練習や配信動画では使っていましたが、こうしてライブステージでドラムに触れるのは、
そのせいなのか微妙にしっくりこない気分でしたが、彼女はとりあえずそのままセットの椅子に身体を落ち着けます。
それから右手でスティックを上げて二回ほど回してみます。
すると、観客席の向こうにあるPA室から、凛々子さんと呼ばれていたスタッフが手を振ってくるのが見えました。
「撮影準備、オッケーと」
ライブハウスのスタッフならライブの撮影なんてお手の物のはずですから、そこに不安はないでしょう。むしろ彼女自身が撮影するよりも、いい
ですから、あとは――
「問題はこっち、だよね~」
思ったより狭い
彼女が参加した会場は武道館をはじめとするホールタイプが主でしたから、この手のライブハウスで演奏するのは実質はじめてになります。そのため、広々とした空間に慣れていたアモーリスには、ライブハウス特有の狭さは息が詰まるように感じられました。
というより、ぶっちゃけショボすぎです。
おまけにそんな狭い会場なのに、観客席には隙間が見えます。実際、半分ほどしか客は入っていないようでした。
おまけにそこにいる彼女たちの様子も、ムジカのライブで見たモノとは違っていました。
ムジカのライブですと、観客はみんな目を輝かせて開演を待ちきれない様子で、実に楽しそうでした。
ところが今目の前にいる彼女たちは、せいぜい期待半分不安半分と言ったところです。楽しみよりもそれ以外の感情の方が大きそうに見えました。
けれど、それも当然です。今からここで行われるのは、煌びやかで夢に満ちたAve Mujicaの
「……あー、これはまずかばい。どげんしよか」
正直今回のドキュメンタリー動画がバズる未来が見えず、アモーリスは弱々しい笑みを浮かべるしかありません。
このまま逃げ出した方がマシな気もしましたが、すでにモーティスもティモリスも準備ができたようなので、今更そうすることもできないようです。
アモーリスは仕方なく覚悟を決めると、もう一度スティックを上げてPA室に視線を送りました。
凛々子さんが手で大きく○を書いたのを見た瞬間、アモーリスがスティックを打ち鳴らしてカウントを取り始め、カウント5で思いきりスティックをドラムに叩きつけます。
同時にベースの低音が流れ込んできて、それに少し遅れる形でギターが入ってきました。
その瞬間、アモーリスはふにゃふにゃに崩れ落ちてしまいそうになってしまいます。
(いや、全然ダメじゃんこれ。こんなの、どうしようもないでしょ)
一音目でわかりました。こんなものは音楽じゃないと。それ以前の代物だと。
そうなってしまうのは、メンバーが揃っていないから――ではありません。
確かに彼女の視界に入るメンバーは、半分に欠けてしまっています。
それでも三人もいれば、辛うじて音楽にはなっていたはずです。
それができていないのは、ただギターがダメダメだからです。
ミスの全くなかったむーことは違い、モーティスはミスばかりが目立ちます。
なんとかベースとドラムに合わせようとしているようですが、ミスをするたびにリズムがずれてしまうので、どんどん合わなくなっていくのがわかります。
ティモリスがなんとか軌道修正しようとしているようですが、アモーリスとも微妙に息が合っていないせいで、なんとかできる気配もありません。
(なんなのこれ。……ホント、なんなのよ。これがバンド? こんなのが? あんな最強の演技を捨ててまで、どうしてもやりたかったものなわけ? ふざけんじゃないっての、こんなものしかないなんて、あんたが言っていいセリフじゃないでしょ――!?)
どうしようもない怒りがこみ上げてきて、アモーリスの顔が醜く歪んでしまいます。
――何者でもない自分を捨てたくて、特別な何者かになりたくて、彼女は東京に出てきました。
目指したのは演技もできるマルチタレントです。そのために彼女は、必死に努力を重ねました。自分の才能のなさに何度も打ちのめされながら、そのたびに歯を食いしばって懸命に足掻いてきました。
配信を始めたのも、ドラムを始めたのも、すべてはそのためでした。
どんな手を使ってでも絶対に成り上がってみせる。そう思っていたからこそ、彼女はさきこからの誘いを受けてAve Mujicaのメンバーになったのです。
なのに、その足がかりはあっけなく崩れてしまいました。
その理由については彼女自身にも一因がありますし、今更とやかく言うつもりもありません。
彼女はただ、次の道を探すだけのことです。
それでも、そんな彼女でも、むーこともーこのことは許せません。
彼女の心を震わせるほどのあの演出。たとえそれがアクシデントからのものでも、心を動かされたのは事実です。
そして、むーこももーこも、とんでもない演技の才能を持っていることも。
彼女がなによりも欲しくてたまらなくて、けれどどうしても手に入れることのできなかった才能を。
そんなもーこが演技を捨ててバンドを選んだのが、彼女にはどうしても理解できなくて、どうしても許せませんでした。
捨てるくらいなら、どうしてあたしにはくれないのか。あたしはそれこそが一番欲しかったものなのに、あんたはいらないからって簡単にぽいぽい捨てないでよ。
そう叫びたくなるのを必死に我慢したのに、肝心のやりたかったものがこんな程度だなんて、お話になりません。
あんたがあたしの大事なものを身勝手に捨てるなら、あたしだってあんたの大事なものをぶち壊したって構わないよね――
心の中でそう叫びながら、アモーリスはスティックを振りかぶります。
もういっそこのままなにもかも台なしにしてやろうと、そんなことを思って。
それまでの流れを乱してしまう、不協和音ギリギリのナイフの刃みたいな痛々しい音。
驚いてアモーリスがそちらに顔を向けると、ティモリスは彼女のことを睨むようにまっすぐこちらを見つめていました。
それから、ベースのネックをモーティスの方に向けました。
顎をしゃくるように。
(なんやの……? なんのつもりばい?)
わけがわからないまま、それでもアモーリスの首は勝手にモーティスの方を向いてしまいます。まるで、魔法にかかったみたいに。
モーティスは、後ろで二人がそんなやり取りをしていたことにまったく気づかなかったようで、相も変わらず下手くそなギターをかき鳴らしています。観客席だけを見て、一生懸命に。
観客には、そんな彼女の必死さはどうも伝わっていないのか、あまり反応は芳しくはありません。
けれど、それでも。
歓声の一つも届いてさえいないのに、ベースはともかくドラムは息を合わせようともしてくれないのに、モーティスはギターを弾き続けているようでした。
(なんで……? どうしてそんなことができると?)
理解ができません。ステージにも観客席にも、味方なんてせいぜいひとりがいるだけだというのに。どうしてそんなことができるのでしょう。
もう諦めて全部放り投げてしまえばいいのに。そんな拙いギターなんて誰も聴いてくれるはずもないのに。どうしてモーティスは諦めようとしないのでしょう。
そんなの、バカみたいで滑稽なだけです。
バカみたいで滑稽なだけの姿なのに、どうしてアモーリスは目を離せないのでしょう。
自分でも理由もわからないまま、アモーリスはドラムを叩き続けるのはそのままに、モーティスのことを見つめ続けていました。
その滑稽でしかないはずの姿が、不意に誰かの姿と重なります。
その瞬間、アモーリスはようやく理解しました。
(ああ、そういうこと――)
だってどうしようもなく滑稽な姿をさらしてでも、必死に足掻いて懸命に自分の夢にしがみつこうとしてきたのは、なによりもアモーリス本人なのですから。そして、今のモーティスなのですから。
才能なんて持っていなくても、どれだけ努力してもなかなか上手くなれなくても、それでも諦めきれずにあがき続ける苦しさを一番よく知っているのは、彼女自身のはずです。
だとしたら、今のモーティスを踏みにじることは、彼女自身を踏みにじることに他なりません。
それに気づいた瞬間、アモーリスはなんだか自分自身がバカらしくなりました。
つまらない意地を張って、モーティスを拒絶することも。
つまらない嫉妬だけで、モーティスを憎んでしまうことも。
それならば、今の彼女がすべきことはたったひとつだけです。
――次の瞬間、ドラムの音が変わったことにモーティスは気づいたでしょうか。
おそらくティモリスは気づいたのでしょう。
彼女のことを首だけで振り返りながら、ベースの弾き方を変えてきました。
ギターだけを見るのではなく、ドラムにも寄り添ってくるやり方に。
そのことに気づいたアモーリスはニヤリと笑ってみせると、そのベースの演奏にバスドラムを重ねていきます。
低く、ささやかに、不揃いで不器用なギターの音を支えるように。
たったそれだけで、モーティスのギターが変わりました。
拙いカッティングも、辿々しい運指のリズムも、なにひとつ変わっていないはずなのに、ギターの音がよく響いて聞こえるようになったのです。
やがて終演の時間がやってきました。
最後までモーティスのギターは、アモーリスにはダメダメのままでした。
最後の一音がステージの闇に溶けて消えてしまっても、観客席からの拍手の音は聞こえてきませんでした。
それでも、最後の数分間ステージの上に響いた音は、音楽になっていました。
音楽に、なっていたのです――