ブルーアーカイブ 〜ハーメルンの狼〜 作:Su-57 アクーラ機
雨上がりの湿気が、汗にぬれた肌をひどくベタつかせる。
どれくらい走り続けたかもわからない。ただ、
「はっ……はっ……はっ……!」
踏み込むたびに、ベチャッベチャッと音を立てて
「隊長!! みんな!!」
ありったけを振りしぼっているのに、誰ひとり、呼び声に振り向いてくれない。それどころか追えば追うほど、あいつらの背中はどんどんと遠ざかっていくように感じた。
「待てっ……、待ってくれ! ――うわっ!?」
突然、ぬかるみに足を取られて受け身もままならず、黒くにごった水たまりに顔から飛び込んでしまう。
「うぅっ……、クソっ……!」
口に入った泥を反射的に吐き出し、なんとか起き上がろうと腕で踏ん張って――直後に、文字通り地面が消えた。
「っ!?」
俺は、底の見えない闇へと真っ逆さまに落ちていき、そして――。
「ああっ!?」
バネ仕掛けのごとく飛び起きる。
あわてて周囲に首を巡らせ、自分がトラックの荷台にいることを認識した俺は、次には一気に脱力した。
「はぁ……。ちくしょう……」
ギュッと
「(ここ最近は見ないと思っていたのに……)」
最後に見たのは、ひと月も前だ。それがまさか、こんな不意打ちのように出てくるなんて誰が予想できるのか。けれども、まあ。
「まだ、俺の中では決着がつけれていない、ってことなのか」
我ながら、ずいぶん引きずるもんだと自嘲がこみ上げてくる。
2年前、あの事件ですべては変わった。もう誰も、何も、残っていないというのに。
「……いかんな。飯でも食って気分を入れ換えよう」
パンッと両
いつの間にか、1速ギアが入っていたかのようにバクバク鳴り響いていた心臓も落ち着きを取り戻していた。
「うぇ……ビッチョリじゃねえか。気持ちわりぃ……」
寝ている間に、よほど汗をかいたらしい。
「へっくしっ! うぅ、さみ……」
真夜中のアビドスを包む
「よっこらしょ、っと」
「(……自分で言うのもなんだがな……)」
体に視線を落とし、そのあまりにも機能性だけの姿に苦笑いが浮かぶ。
もっとラフな感じの服はないのかと誰かに言われそうだが、あいにく持っているのはコレと、その予備が1着ずつ。さっき脱ぎ捨てた寝巻き代わりの服に、防寒用に購入したっきり未使用なままのジャケットが1着のみだ。
「…………」
そもそも、誰かと出かけるようなことがなく、衣服に対するこだわりなんかもない俺からすれば、『オシャレな私服』なんてものは縁遠い
「ま、いいさ。この格好の方が落ち着く」
そんなことより今は腹ごなしだ。さすがに携帯食を食う気にはならないし、それなら、やっぱりここは……。
「――牛丼一択、だよな」
そうと決まれば話は早く、使っていた寝袋を雑にたたんで片付け、足早に運転台へと乗り移る。
消沈した時は、美味いもの――それも好物で腹を満たすのがイチバンだ。俺にとっては、24時間営業のチェーン店で提供されるそれが特効薬みたいなものだった。
「それじゃ、夜のドライブとしゃれ込みますか」
カチリ、とスターター・スイッチをひねる。直後に鳴り響くディーゼルエンジンの重厚な始動音と、連動して回転を始めるターボチャージャーが甲高いうなり声を上げる。
慣れ親しんだ音に気分よく口角を上げた俺は、アビドス郊外の街を目指してトラックを発進させるのだった。
……
………
…………
「いらっしゃいませー!」
『松野屋』と印刷された
さすが、牛丼チェーンのトップに君臨する店だ。『あなたに満腹と満足をお届け』のキャッチコピーは本物らしい。
「いらっしゃいませ。おひとり様でよろしかったでしょうか?」
「あぁ、はい。1人です」
「かしこまりました。では、お好きな席へおかけください」
そう案内された俺は、対応してくれた店員に「どうも」と軽く
「ふぅ……」
軍用トラックよりは
セルフサービスで注いだ水でのどを
「(昼間とはえらい違いだ)」
少し広めの店内は、今が夜中ということで客が自分を除いて誰もいない。そうなるととにかく静かなもので、聞こえてくるのは忙しそうに動き回る店員の声と、調理器具が立てる物音くらいなものだ。
……正直、もう少し騒がしい方が俺は好きだった。例えば、そう。以前、アビドスのみんなに連れられて
「お待たせしました〜」
「(おっと……)」
暖房にじんわりと体を温められながら数日前の情景に思いを
店員が両手で持っているトレーはそのメニュー専用ものなのか、かなりデカい。
「ご注文の、スペシャル牛丼セットとなります」
ドドンッと効果音でもつきそうなサイズのどんぶりに、一回り小さな汁物おわん、そして中小2枚の皿が乗ったトレーが目の前に置かれる。待〜ってましたっ。
「他にご用があれば、遠慮なくお呼びください」
「ええ。ありがとうございます」
お辞儀をしてから去っていく店員にもう一度会釈をして、俺は早速、うまそうに湯気をあげる『スペシャル牛丼セット』と向き合った。
牛丼特盛り(温玉のせ)と、具だくさんの豚汁。コールスローサラダに、キュウリと白菜の浅漬けが付いてきた、ちょっと豪華なセット飯。ずっと以前からのお気に入りだ。
「いただきます」
静かに手を合わせて、それからパキリと割りばしを
真っ先に牛丼へ手を伸ばした俺は、
「(……やっぱりうまいなぁ……)」
噛んだ瞬間あふれる肉汁と、白米に染みた特製つゆのうま味が口いっぱいに広がる。薄切りの肉は、しかしほどよく噛みごたえがあり、タマネギのシャキシャキした食感も相まっていつまでも口の中に入れていたくなる。
もちろん、となりの豚汁もまた最高で、独自ブレンドを
「(あのころから、なにも変わってねえなぁ……)」
はじめて食わしてもらったあの時の、あのままの味。
レトルト品を店で再調理しただけのものでしかないが、そんなチープなコイツが、俺には何よりもうまいものに思えた。
――『なんだマモル、それだけじゃ足りねぇだろ。おごってやるから、遠慮なんかせずもっと食え食え!』
――『な? うまいだろ? 松野屋の牛丼はキヴォトスいちだぜ!』
――『おーう……。遠慮するなとは言ったが、シュレッダーみたいな勢いで食っていきやがるな……』
「(ふっ……)」
ふとよみがえった、なつかしい思い出に
味も量も、変わらずスペシャル。ちょっと財布には手痛いそれを幸せな気分で味わっていたところに、――事件は起きた。
「よォ! また来てやったぜぇ」
ガンッ! と、ガラス戸を割れんばかりに開いて、いかにもガラの悪そうな4人組が入ってくる。
その瞬間、まるで時が止まったかのように店内から物音のすべてが消えた。
「い、いらっしゃいませ……」
あいつらとは顔見知りなのだろうか。どうにも初対面というわけではなさそうに、
「今週のショバ代
「えっ。そ、それは先日ちゃんとお支払いしたはずでは……」
「足りてなかったから、こうして来てんだっつーの」
「待ってください! 足りてないってどういうことですか!?」
「あっれェ? 値上げしたって言ってなかったっけか?」
「そ、そんな話は聞いてませんっ!」
「いま教えてやったんだからいいだろ。おら、残りの50万、さっさと払いな」
「そんなっ……!?」
店員に詰め寄ってるオートマタ系の男が、おそらくリーダーだ。そんで、その後ろでニヤニヤ笑ってるのは取り巻き……と。
さっきから徴収だのなんだのと聞こえるが、つまり俺は、
「はぁ、ったく……」
せっかくの気分をぶち壊しにされて少しムッとなる。が、それよりも、今はあのアホどもをどうにかするのが先だ。
「(さて……)」
思考を切り替え、店の
取り巻きとリーダーの腰にはそれぞれハンドガンが。だが、特段戦闘に慣れている風はなく、そのエモノも、どちらかというと
「オイオイ。俺達は善意でここらの安全を守ってやってるんだぜ? 少しくらい
「は、はぃ……。おっしゃる、とおりです……」
どうやら、あの人がここの店長らしい。店と従業員を守るために
「さっすが! 話がわかるねぇ! そんじゃあ――」
「アニキ、アニキ」
「あん?」
「あそこ見ろよ。ほら、あいつ」
「………………」
子分に呼ばれて振り向いたリーダー格の男と、視線がぶつかる。
悪党の本能だろうか。そいつは、自分がずっと
「なにガン飛ばしてやがる。他人事に首を突っ込む趣味でもあんのか?」
テーブルをはさんで真正面に座った男が、体を前に乗り出して威圧してくる。漂ってくる甘ったるい香水の
「目の前でチンピラが騒ぎなんて起こしてりゃ、そりゃ気にもなるだろ」
「だったらなんだ? タフガイ気取ってるのかは知らねえが、状況をよく見て態度を改めるこったな。さもないと……」
「悪いことが起きるぜ」そう言ってニヤけ顔を浮かべる男につられて、取り巻き達のヘラヘラとした笑い声が響く。
たしかに、ここで引き下がることはできる。食事代を支払って出て行けば、それで終わりだ。
でも――、そんなのは『俺』じゃない。俺は、打鉄マモルなのだから。
「ここの人達は、みんな毎日、一生懸命に働いて生きてるんだ。そんな人から金品をまき上げて何が楽しいんだ?
「ハンッ、俺に説教でも垂れようってのかよ。タフガイの次は牧師様の真似事か?」
「そりゃ残念だったな。目の前にいるのが牧師さんじゃなかったことを、お前は後悔することになる」
鼻で
「お前らが何もせず、大人しく食事しに来ただけなら、俺もさっさと食い終わって『ごちそうさん』で済んでたんだ」
「あ? テメェ、なに言って――」
「ギャングごっこがしたいなら
ヒクヒクッと、男の目尻を引きつる。
「……それで脅してるつもりかよ。ええ?」
「警告してやってるんだ。それとも、お前は痛めつけられるのが趣味のマゾ野郎なのか?」
ブチっと、何かが切れたような音がした。
「ッ〜〜〜!! ざけやがって、この野郎ァ!!」
怒号とともに腰から抜かれるハンドガン。9ミリ口径、装弾数15発のそれが眼前に突きつけられる。――が。
「なっ……!?」
左手ですばやく銃身を引っつかみ、撃発ハンマーに小指をはさみ込んでやるだけで、凶器はたちまち、ただ鉄のかたまりへと成り果てた。そして、つかんだ銃身ごと腕をひねり上げて関節をロックし、空いた右手でハンドガンを奪い取る。
「て、テメェ――ぐえっ!?」
攻撃手段を
「こ、この野郎!」
「よくもアニキを!」
「ぶっ殺しちまえ!」
「動くな。こいつの腕を
グイィ……! と左腕に力を込めると、あらぬ方向に曲がろうとする男の関節から嫌なきしみ音が鳴る。
「う、ぎゃああああ!!?」
「手下どもに出て行くよう言え。早く」
「お、おおお前ら店を出ろ! さっさと出てけッ!! ぐああああ!!」
半狂乱で叫ぶリーダーに命令された3人は、こちらをにらみつけながらも大人しく店を出ていく。そうして1対1になった俺は、男の耳に顔を寄せてささやいた。
「……オートマタの体ってのは、手足をバラされようが首がもげようが、
「わ、悪かったっ! 悪かった!! も、もうしない! 今すぐあんたの前から消えるから!」
「なら、さっさと部下を連れて失せろ。次は千切れた腕を抱えて病院へ駆け込むことになるぞ」
「うっ……、く、クソぉっ……!」
パッと手を離して正面玄関へ向けてあごをしゃくらせると、男はねじり上げられた腕をかばいながら、そそくさと走り去っていく。
「……はぁぁ〜……」
バタンっと閉じたガラス戸から視線を外し、すっかり生温かくなってしまったスペシャルセットを見下ろして大きなため息をひとつ。
俺は、氷像のように固まってしまった授業員達からのポカンとした視線を浴びながら、飯の残りを一気に口へかき込むのだった。
▽
「クソがッ、あの野郎ふざけやがって!」
薄暗い路地に悪態が響き渡る。
歩くたびに振動となって右腕に伝わる鈍痛でさらに怒りを
「おい、車を回せ」
「わ、わかりましたっ」
最年少の下っぱを小間使いに出し、今しがたの恐怖の
「あの野郎、ぜってぇぶっ殺す……! 俺の手で処刑してやる!」
「待てよ、アニキ。あまり派手なことはするなってボスに言われてるだろ」
「ボスなんか知ったことかっ。おい、アジトに電話して今すぐ仲間を集めろ」
体格のたくましい犬獣人の部下に
「でもよ……。風の
「デケぇ
「そ、それが……さっきから何度もかけてるのに、誰も出なくて……」
「……はァ?」
リーダーの口から
アジトには他に多くの仲間がいて、必ず誰かしら常駐しているはず。つまり、電話がつながらないなんてことは、
「あ、アニキ、えっと……どうしましょう……?」
電話係りを命じられていたオートマタの部下もすっかり困惑した様子で、おずおずと電話を差し出す。それを引ったくるように受け取ったリーダーは、今度は
…………。………。……。
10秒、15秒、20秒。いつまで経っても平たいコール音が延々と鳴り続けている。誰も、電話に出ない。
「……どうなってんだ……?」
いよいよ異常事態に気がつき、さっきまでの怒りも忘れて表情をこわばらせていく。
「おい、アジトに戻るぞっ!」
そう部下達に号令を出して、すぐ目の前で待機しているバンに乗り込もうと歩を進めた――その時だった。
パァアアアアアアッ!!
「「「!?!?」」」
突然のけたたましいクラクションに3人の肩がはねる。
わざわざ探すまでもなく、その音は、自分達が乗り込んできたバンが発したものだった。
「な、なんだぁ?」
抜きかけのハンドガンのグリップをすがるように握にぎりしめながら、オートマタの部下が恐る恐る車に近づく。
まるで、こぶし大の何かでぶち抜かれたかのような窓から運転席をのぞき込み、そこでハンドルに突っ伏す仲間を見つけて、思わず「あっ!」と声を上げた。
「どうした!?」
「誰かにやられてます! クソッ、どこに――ぐあっ!?」
パニックを起こして、構えたハンドガンを振り回すオートマタが、暗闇から現れた何者かに一撃で戦闘不能にされる。
「野郎! さっきの!」
夜目の利く犬獣人の部下は、その見覚えのある襲撃者の顔に
「そら、キャッチだ」
「えっ」
次の瞬間、紙吹雪のようにバサッと散らばる赤い粉。それは、どこの飲食店にも当たり前のように備えつけてある、
鼻が
「ぶっっぎゃああああ!!? 鼻がぁぁ!!」
鼻をおさえて悲鳴を上げながら、犬獣人は苦痛に地べたをのたうち回る。いくら体格がよかろうと、顔面への唐辛子粉攻撃など反則もいいところだった。
「あぁ、わりぃ。ふたの
そんなことを口にして、正体不明の襲撃者は、独り残こされたリーダーの元へと歩み寄る。
「なんだよ……! なんなんだよぉ……!!」
たった一瞬で2人の部下を打ちのめされ、次はもう自分の番を待つしかない。その場にヘタリ込んだリーダーは、震えながら襲撃者の顔を見上げて、そして大きく目を見開いた。
「お、お前さっきの……!」
「よう。腕の調子はどうだ?
電灯が、その人影をぼんやりと照らしている。目の錯覚を誘われる緑と砂色の迷彩服。オオカミのように鋭い目。……つい数分前の出来事を、当人がどうして忘れられようか。
「お、俺達を始末しに来たのかよ!?」
「それはお前次第だな」
そう言って、右脚のレッグホルスターからハンドガンが引き抜かれる。
「2つ選択肢をやる。そのアジトとやらの場所を今すぐ吐くか、9×19ミリ
リーダーを真っ直ぐに照準するその
▽
「ぐうっ……!? こ、こいつ、バケモンかよ……!」
ギャングメンバーの最後の1人が、そんなうめき声を残して倒れる。
「(……こんな連中まで、アビドスをのさばっていたなんて)」
内心で舌打ちした私は、続けざまの戦闘で乱れた呼吸を正すと、こいつらのボスであろう
「バカな! あれだけいたはずの戦闘員が、たった1人の小娘に……!?」
「どうする? まだやるっていうなら構わないけど、無事は保証しないよ」
そう言って、
ならず者集団がアビドスへ流れてきたという話だったが、正体はこいつらで間違いないだろう。目撃や被害情報を元に周辺のパトロールを繰り返したのは、やはり正解だった。
「くっ……。ハーメルンのオオカミから、なんとか逃げおおせたと思った矢先でっ……!」
………!
男が放った台詞に、引き金にかけていた指先がピクリとゆれる。
「(ハーメルンのオオカミ……)」
まさか、そのワードをここで聞くだなんて思いもしなかった私の脳裏に、先日のアヤネちゃんとの会話が
『ねえ、アヤネちゃん。【角笛を吹くオオカミ】と【ハーメルン】ってワードで、何か知ってることとかあったりしないかな?』
『角笛を吹くオオカミ、ですか……? ホシノ先輩がそんなことを訊いてくるなんて、珍しいですね』
『いやー、たまたま聞いた話なんだけど、ちょ〜っと気になっちゃって。ほら、おじさんって若い子と違って、最近のことにはとんと
『私よりたった2つ上なだけじゃないですか……。まあ、それはともかく。先輩がおっしゃったのは、ハーメルンのオオカミのことではないかと思います』
『ハーメルンのオオカミ……』
『はい。
『ふーん』
『ただその裏では、任務
『うへー。怖そうな人だね〜』
『敵にはしたくないですね。まあそもそも、そんな人がアビドスまで来るとも思えませんが』
口ぶりからして、こいつがそのハーメルンのオオカミとやらに
私は、伸ばせば手が届く距離にまで男に近づくと、まだほのかに熱の残る銃口を、そのひたいに強く押しつけた。
「な、何をする気だ!? よせ、やめろっ!」
「今からする質問に大人しく答えるなら、お前が想像するようなことはしない」
「し、質問だと?」
「そう。私が聞きたいのは、お前がいま言った、ハーメルンのオオカミについて」
「…………。いいだろう。知っている範囲でなら答えてやる」
何かしら身の安全を保証するような条件でもつけ足してくると思っていたが、意外にも冷静な態度でコクコクと首が縦に振られる。
「
「だが、せめてその銃口は下ろしてくれ。いつ撃たれるかと思うと、ビビって会話もできやしない」
要望通りショットガンの構えを解いてやると、男は「ふぅ」と
今の私は、ただただハーメルンのオオカミの――
だから、気づくのが遅れた。一瞬のすきをスコープ
「――!? しまったッ!」
視界のはしで、白く走ったレンズの反射光に今さらながら反応する。対戦車ライフルっ!? ずっとそこから狙っていたのか!?
「くくっ。
「(こいつ、はじめから時間かせぎのためにっ……!!)」
ダン、ダンッ!!
2連射の重い銃声が響く。
――けれども、なぜだろうか。確実に頭を狙われていたはずが、あの肌を突き刺されるような激痛も、着弾の衝撃すらも感じない。
「……?」
不思議に思って、キツくつむっていたまぶたをゆっくりと開く。そして私が見たのは、胸をおさえて高所から転落するスナイパーの姿だった。
「ぐあぁぁ!?」
「ったく……。ここは夜もにぎやかで楽しい所だな」
廃墟の壁を反響する、聞き覚えのある声。正面入口から近づいてくる、ゴツゴツと床をたたくコンバット・ブーツの足音。
「……え……?」
暗闇の中から現れた予想外の人物に、目を点にして固まってしまう。
砂色の帽子に、鼻まで上げた黒いスカーフとタクティカル・ゴーグル。どういう理由で
今、私の目の前にいるのは、
「よう、ホシノ。こんな場所で合うなんて、変なめぐり合わせもあるもんだな」
「なんで、ここに……」
「そいつはこっちも訊きたいところなんだが」
「まずは」と続けて、こっそり逃げようとしていたギャングのボスをジロリと
「ひぃっ!?」
「とんでもねえ野郎だな。女の子の顔に20ミリ
「やっ、やめ――」
銃声。
「この野郎」
キンッ、キンッと跳ねる
「(また、助けられた……)」
どうして……?
放っておけば、なにも巻き込まれることはない。なんの見返りだって得られない。それをわざわざ助けるような義理もないはずなのに。
眼前の男のたくらみを疑おうとしても、廃列車基地で見た、あの真っ直ぐな
――『必ず守る』――
「(っ……。ダメだ、流されるな。どうせこいつだって……!)」
下くちびるを
「(今、ここで
そのたくらみを。お前の正体を。
私は、打鉄マモルことハーメルンのオオカミの背中へと、ショットガンを向けるのだった。
▽
顔に1発
完全に意識がトんでいることを確認した俺は、次にホシノへと振り返って、そしてヒュッと息を飲んだ。
「……………」
「お、おいおい。いきなり銃を向けられるいわれなんてないはずだぞ……!」
強力な12ゲージ・ショットガンの銃口が、完全にこちらを狙っている。その照準器をのぞく
いつものフワフワした様子はどこへやら、本当に同一人物かと疑わずにはいられないようなホシノが、俺を真っ直ぐににらみつけていた。
「なあ、教えてくれ。俺は、そこまで信用できないような奴だったのか?」
たしかに、1週間そこらで不審感をぬぐえるだなんて甘いことは思っちゃいない。けれども、銃口を突きつけられるほどとなると、何か他にも理由がある気がする。
「信用? 笑わせないで。正体を隠して近寄ってくるような奴を、どう信用しろって言うのさ」
「『正体』……?」
オウム返しする俺に、まだしらを切る気かとでも言いたげなホシノの視線が突き刺さる。…………いや、まさか……!
「ねえ、ハーメルンのオオカミさん?」
「っ………」
嫌な予感は、最悪なことに的中した。
いったいどこで知られたのやら。返す言葉も浮かばず、ただ立ち尽くすことしかできない。
「沈黙は
「この状況で、何をどうしゃべれっていうんだよ」
その目が、すでに俺をどんな奴として見ているかは想像がつく。今さら弁明なんてしたところで、どうにかなるとも思えなかった。
「お前は、何者だ。何が狙いでここへ来た……!」
「……わかった」
反抗する気はない、と手で制して手持ちの武器をすべて床に置き、そのかたわらに腰を下ろす。
顔を
「まず俺が何者か、だよな。たしかに、俺がハーメルンのオオカミと呼ばれていることは否定しない」
「
「いや、あだ名みたいなもんだ。誰が名付けたかもわからんが、聞くと、左腕のワッペンから来てるんだとか」
「角笛を吹くオオカミ……」
「ああ」
たしか、『ハーメルンの笛吹き男』とかいう昔話があるらしい。おそらく、それとこの部隊章をかけ合わせて作られた造語だとは思うが、変な名前をつけられた身からすりゃ迷惑な話だ。……まあ、そのことはどうでもいい。
「あの日、委員会室で俺は、みんなに2つ隠しごとをしていた。その1つが、今の話。もう1つを説明するには……ちょいと、昔話につき合ってくれるか?」
チラ、とホシノに視線を上げると、無言で続きが
「俺は、打鉄マモル。今はもう跡形すらない、ヒルドール陸戦教導学校の元生徒だ」
「ヒルドール……。2年前の……?」
「さすがに知ってるか。なにせ、キヴォトスを騒がせた大事件の
「……生徒間による同士討ち事件。その詳しい原因は……」
「『一切が不明。派閥争い、または直前に発見された地下資源の利権をめぐって起きたものと
「ありえない。当時在籍していた生徒は、全員が遺体として見つかったって公式に発表されてた」
「そうだな。でなきゃ、俺は幽霊かゾンビってことになっちまう」
欲に目がくらんだおろかな生徒達の、勝者のいない殺し合い。それが、この学園都市で広く知られている事の
「だが、その話自体がそもそも間違い――いや、意図的に流されたデマだったとしたら?」
「『意図的』……?」
ホシノの
「すべては、ある事件を隠すために創られたカバーストーリー。本当は、同士討ちなどではなく……今、キミの前にいるのが、その事件でただひとりの生き残りだとしたら?」
ゆっくりと言葉を
▽
俺のいた学校はとにかく小さくてな。自治区の面積なんて、キミ達アビドスからすれば、文字通り豆粒くらいなもんさ。
昔は連邦生徒会直属の『有事
俺が入学したのは、それからしばらく経ったころだった。
そのころから学校と呼べるかも怪しいくらいの規模で、生徒数は俺を入れても6人。3年生が2人に、1年生が4人。
おまけに『ド』がつくほど貧乏でなぁ。訓練中に出た空薬莢やマガジンは1つ残らず回収・再利用が鉄則。時には、弾代をケチって訓練することもあったほどさ。
そんなに驚くことか? ……あー、いや。たしかに、薬莢もマガジンも使い終わったら専用のゴミ箱に捨てちまうのが普通だからな。わざわざ使い回すなんざ俺達くらいなもんか。
まっ、それだけ
でも、そんな環境にも負けず、毎日吐きそうなほどキツい訓練をこなして、たまに仲間とバカやりあって、俺達にとっちゃ最高に充実した学校生活だったんだ。そんな毎日が、ずっと続くと思っていた。
ある日、学校の真下にレアメタルの
発見は本当に
ただ問題だったのが、どの企業と取り引きするか。そこで真っ先に声をかけてきたのが――カイザーグループだった。
そう。あのカイザーさ。キヴォトス中に根を張りめぐらせている超大企業。名前を知らない人間なんていないんじゃないか?
まあ、とにかく、俺達は
だが、向こうが提示してきた内容を目にした瞬間、そんなもんは全部ぶち壊された。長ったらしい文面に隠したまわりくどい本音は、俺達にタダで自地区をよこせと言っているも同義だったんだ。
当然、そんな取り引きとすら呼べないふざけた話は破談。そして、その次の日から連中の嫌がらせがはじまった。
近隣の森で起きた不審火に、産業廃棄物の不法投棄。さらには
でも、連中の犯行だと断定できる証拠がない。だから、俺達は耐え続けることしかできなかった。
あげくに奴ら、自地区との境界線スレスレに前線基地まで建てやがってな。完全にこっちを挑発していたよ。
『近ごろ悪化し続ける治安の安定化を』だなんて、どの口が言うんだか。なあ?
――だがそんなことすらも、ただの
……忘れるもんか。8月3日、月曜日。天気は快晴。昨夜の豪雨が上がって、ひどく
もはや日課になっちまった、自地区の
いつも通りのルートを回って、帰り着いたころ合いがちょうど朝飯の時間。けれども、その日に限っては道中で異変が起きた。
カイザーが
急いで報告したら、みんな大騒ぎさ。まさか、石ころごときで軍隊まで動かしてくるだなんて誰も思ってなかったんだから。俺だって信じられなかったよ。でも、事実そうなった。
元から計画のうちだったのか、それとも、思い通りにいかなくてキレたのか。どのみち事件の真相を明るみに出さないため、連中は確実にこっちを殺しにかかっていた。……まるで、害獣でも駆除しに来たかのようだったよ。
こちとら弾すらケチる有り様だってのに、向こうはバカスカ撃ってきやがる。
ケタ違いに多い手数と、見たこともない最新兵器にすりつぶされて、俺達は撃ち返すだけで精一杯。それすらも長くは続かず、ひとり、またひとりと仲間は倒れていった。そして――
▽
「みんな死んじまった。……俺だけを残して」
話し終えて、ふぅ……と息をはく。
「本当は墓まで持っていくつもりだったんだが、ゲロったら楽になったよ。聞いてくれてありがとな」
なんとも変な話だが、こんな危機的状況だっていうのに、俺の心は少し晴れやかだった。……もしかしたら、本当はずっと誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
信じてもらえるかは別にしても、こんな他人の、それも銃口を向けているヤツの話に最後まで耳をかたむけてくれたホシノには、正直感謝だ。
「……あんたも……」
「? 何か言ったか?」
「っ! 別に。それより、アビドスに来た目的をまだ聞いてない」
何かをボソリとつぶやいたホシノに訊き返すも、ぶっきらぼうに誤魔化されて、また銃口を向けられる。
「俺がここに来た理由は、ただ、このアビドスを守る手伝いがしたかったから。それ以外は何も求めちゃいない」
「赤の他人なのに?」
「赤の他人でも。もうこれ以上、俺達のような人が生まれてほしくないから。――そんな人達を守りたくて、俺はこの道を進んだんだ」
今でも、あの時のことは鮮明に覚えている。仲間を、自分達の還る場所を、俺は守ることができなかった。あの時ああすれば、こうしてれば、なんていくらでも出てくる。
「だから、頼む。俺を、キミ達と一緒に戦わせてくれ。もうこれ以上、後悔はしたくないんだ……!」
「それがウソだと、私が判断したら?」
「そう思ったなら、撃てばいい」
そう答えて、俺はホシノの目を真っ直ぐに見つめ返す。余計な抵抗などしない。見苦しい言い訳もしない。
信じてもらえなかったのなら、そこまで。それはただ、俺が信頼を勝ち取れなかっただけの話なのだ。
「…………はぁ……」
数秒か、数十秒か。小さなため息が沈黙を破り、銃口は静かに下ろされた。まだ頭にバックショットを撃ち込まれてないってことは、つまり――。
「信じてくれるってことで、いいんだよな?」
「勘違いしないで。少しでも怪しい
「ああ。わかってるさ」
相変わらず、ホシノの俺を見る目つきはキツいが、少なくともさっきまでの敵を見るようなそれではなくなっている……気がする。
ひとまず様子見といったところなのだろうが、今はそれで十分だ。俺の意志は、これから態度と行動で示していこう。
――さて。それはそれとして、そろそろここを離れないと少しマズイことになるかもしれない。
「なあ、ホシノ」
「なに?」
「ひとつ訊くが、キミもコイツらに用があってここへ来たんだよな?」
「そうだけど?」
「オーケー。なら、いつまでもここにいる理由はないな。裏手に車を隠してある。キミも乗ってけ、送ってやる」
「いい。ひとりで帰れる」
「街灯もない夜道を20キロ近くも歩くのか?」
「…………妙なマネしたら撃つから」
「んなバカなことするかよ。ほら、そんなことより早くズラかろうぜ」
「なにそんなに急いでるのさ?」
「少し前に、ここへ警察を呼んでてな。はち合わせでもしたら、朝まで質問攻めコースだぞ」
「なっ……! それ早く言ってよっ」
うげぇっ、と顔をしかめたホシノに怒られる。いや、どこかの誰かさんにショットガンで
「正体を隠してた方が悪いでしょ」
「はい」
……おかしいな。口には出してなかったはずなんだが、アビドスの生徒は読心術がカリキュラムに組まれてるのだろうか。そんな
「いや、あんたがわかりやすすぎるだけだから。特に表情」
「……………」
無言で、そっとスカーフを鼻まで上げる。他意はないぞ。うん。他意なんか。
「言われてから顔を隠すあたり、やっぱ自覚あったんだ」
「おう、わかってるなら追い打ちするのやめろ。泣くぞ」
「やめてよ。そのガタイで泣かれてもキモいだけなんだけど」
「き、キモっ――……!!?」
言いスギィッ! チクショー泣いてやる! 身長185センチ、体重89キロが
「……ぷっ……」
「おいコラいま笑ったな? ひとの心えぐっといて笑ったよな!?」
「眼科なら郊外に1件あるよ。今日は
「そりゃご親切に……って! 俺の目はいつになく正常だよ!!」
「あーあー、いるよねー。大丈夫の一点張りで、あとから痛い目みる人って」
「はんっ! そういうキミこそ普段から、腰がー腰がーってばっかりじゃないか」
「ご心配ドーモ。私はあんたみたいなイノシシゴリラじゃないから、病院とは無縁だよ」
い、イノシシゴリラ……だとぉ……!?
「ふ……ふっ、ふっふふふっ……! 無理は禁物だぞ、お・じ・さ・ん。あぁいや、キミの場合は、おばさんか――」
ゲシッ!
「ノリンコッ!?」
無言の横蹴りが、左
「な、なぜぇ……!?」
「は? 女の子に向かっておばさん呼びとか、普通にライン越えでしょ」
「いやでも――」
「 な に ? 」
ギロリと、ひと
「イエ、ナンデモアリマセン。失礼シマシタ……」
「ふん……」
不機嫌オーラ全開で鼻を鳴らし、ホシノはズンズンと先へ進んでいく。
俺はその背中を小走りで追いかけながら、世の中に数ある理不尽の、その1つを頭の中のガイドブックへ書き足すのだった。……赤ペンで、下線もそえて。
……
………
…………
「本当にここでいいのか?」
車を路肩に寄せ、ハンドブレーキを引いた俺は、早速ドアレバーに手をかけようとする、その小さな背中に声をかける。が、返ってきたのはジトっとした視線だった。
「……まさか、このまま家の中までついてくるとか言うつもり?」
「キミは俺を何だと……」
ナチュラルにひとを変質者あつかいするとは失礼なヤツめ。俺に女子をつけ回すような趣味はないし、そもそも好みのタイプはもうちょい胸と身長が『ある』方――
「なにか失礼なこと考えなかった?」
ギクぅッ!!
「な、なんでもありません! マム!」
「へぇ……?」
「うっ……。ま、まあ、ここから問題なく帰れるなら別にいいんだ。気をつけてな」
「ハイハイ」
そっけない返事とともに、装甲材が仕込まれた分厚いドアが開かれる。瞬間、キャビンに流れ込んできた極寒の風が、俺に、ここが夜の砂漠地帯であることを思い出させた。……っと、そういえば。
「あぁ、ちょっと待った。ホシノ」
「……今度はなに?」
面倒くさそうに振り返る彼女に、シートの裏にかけっぱなしにしていたジャケットを投げ渡す。
「わっぷ……! な、なに……?」
「やるよ。一度も着てないから新品同様だ。色とサイズに関しては……まあ、文句はなしにしてくれ」
「あんたが着るために買ったヤツでしょ?」
「はじめはな。ただ、暑がりの俺には着る必要も機会もなくてな。ちゃんと着てくれる人の手に渡った方が、服だって
「別に、私もいらな――」
「まぁまぁ、そう言うなって。『夜の砂漠はちょー寒い』んだろ?」
ニヤッと笑って、先日の台詞をそっくりそのまま返してやると、ホシノはポカンとした表情になる。ちょっとだけやり返してやった気がして、いい気分だ。
「へっへへっ。なかなかおもしろい顔を見せてもらったよ。それじゃ、また明日な」
「ちょっ、この服は――」
「おっと。返品その他のご相談は、カスタマーセンターに電話してくれ。月曜から金曜と、土日祝日は営業時間外だ」
「それ全部ダメじゃん!」
「はっはっはっはぁっ! ノりいいなぁ!」
「じゃあな!」と告げてドアを閉め、早々に車を発進させる。
冷気が入り放題になっていたキャビンは、まるで自分が冷蔵庫の中に座っているかのようだ。閉め切った車内でコレなのだから、外を薄手の制服なんかで歩こうものなら――
「ぶぇっくし!!」
……いかんな。こりゃあ、本格的にカゼをひいちまったかもしれん。
格好つけた手前、この場をホシノに見られなかったことに深く
▽
トラックの赤い車両灯が遠ざかっていく。その巨体が交差点の陰に消えるのを見届けた私は、腕に抱いたままの『コレ』に視線を落とした。
「どうしろってのさ……」
黒くてゴワゴワした、男物のジャケット。サイズだって明らかにオーバーで、低身長の自分が着れば、ダルマみたいになってしまうのなんて目に見えている。
そんなものを押しつけて、あいつは勝手に帰っていってしまった。
「(こんなの、ただ荷物になるだけ――)」
なんて考えていた折、ヒュウッと冷たい風に吹かれて反射的に身を縮めてしまう。もうずっとアビドスで暮らしてきたが、この身を刺すような冷たい夜風だけは、いつになっても慣れることができない。
さらにいえば、今の私は、薄手の制服しかまとっていなかった。だからあいつは、この上着をよこしたのだろう。ただ純粋に――
「(……私を心配して……)」
……………。…………。
ほんの少し、気の迷いが起きた。
「(持ち主に押しつけられた服が、かわいそうなだけだから)」
いったい誰に向けてのものかもわからない言い訳をしながら、ジャケットに腕を通していく。
ダルマというより、もはや
「……あったかい」
もちろん、今回の一件があったからといって、あいつへの警戒を解いたわけではない。でも、少なくとも――
「(冷酷無比な傭兵、か……)」
――人の血が
「……帰ろ」
とうに日付けも変わった未明。住民のほとんどが去ってしまった街は、
身をうずめるようにジャケットを深く着直し、自宅への道を歩みだす。その足どりは不思議と、いつもより軽いような気がしたのだった。