耳を劈くような悲鳴が響く。 闇のように暗く、深い絶望を纏わせて。鈍く重い衝突音が1つばかり落ちる。その威力を思い知らすように大地を震わせて。そして静寂がやってくる。
横たわる強大な体躯を誇った薄墨色の捕食者。叫びの主、ギザ山の飛竜。その嘆きに染まった瞳は1人の男を映し出している。
かつて喪った祝福の証。黄金に煌めく瞳を宿す者。
彼こそがエルデの新たな王、褪せ人である。
褪せ人は自らが屠った竜の屍を見やり、思いを吐露する。
「──退屈だ」
人は縋らずには生きられない。故に人は何かに縋る。それは彼もまた同じ。
褪せ人は戦に縋っている。
一瞬の気の緩みが死に直結するような状況下、敵との死闘こそが心を満たしてくれる。故に苦ではなかった。大いなる意志に与えられし使命。その過程では多くの強敵と出会えたからだ。だが、今はどうであろうか。
かつての戦いを求め、2つの地を駆け回った。最近では暴龍ベールのような強大な古龍が現れることを期待して飛竜を狩っていたが叶わず。その上、少しも楽しめなかった。
飛竜に酷く落胆し、下山することにした。そして、その道中にて来た時にはなかった物を発見する。
それは親指程のサイズの白銀色をした透明な球体。自ら発光し存在を知らしめんとするその姿は宝石を凌ぐほどに美しく神秘的に輝いていた。
褪せ人はそれに見惚れ手を伸ばす。そして触れたその刹那。
球体は更に強烈な光を放ち、視界の全てを光で包み込んだ。それと同時に、重力魔法で引き寄せられるのに近い感覚も覚える。
──何が起こったn「はぁ?」
視覚を取り戻した褪せ人は周りを見渡し、そう声を漏らした。
私は突然の出来事に酷く困惑したが、杖を空に掲げ、冷静の魔術を発動。─杖先で煌めく青い閃光、抑制の効果を持つそれは私に平静を取り戻させた。そしてもう一度周りを見渡してみて一言。
「──ここは何処なんだ」
街は活気に溢れ、そこに住まう人々には笑顔が伺える。狭間の地ではないことは明らかであった。
そんなことを思っていると投げかけられている視線に気がつく。
─衆目を集めてしまったようだ。
それもそうだろう。傍からすれば密使の装いの男が青い光を放つ杖を空に掲げているのだ。知らないものからすれば怪奇でしかない。注目するなと言うのは無理な話であった。
私は居心地が悪くなり、逃げるように近くの路地裏に入る。
「さて、どうしたものか…この地では社会が成り立っている、金は必須だろう、ならば働き口を見つけないとな……なんだ?」
ふいに路地裏の入口から駆けるような足音が響いた。咄嗟に目を遣るとセミロングの金髪を揺らす、小柄な少女が走りよっている。
意思の強そうな瞳に、イタズラっぽく覗く八重歯。小生意気そうな顔立ちだが、年相応として見れば可愛げのある方だろう。
「ちょっと! そこのあんた、ホントに邪魔!」
切羽詰まった声を上げ、慌てふためきながら少女は褪せ人を横切っていく。そして行き止まりのはずの奥へ。
そのまま袋小路に立てかけてあった板を蹴り、身軽に壁のとっかかりを掴むとあれよという間に建物の上へと消えた。
まるで嵐のようであったな。そう感想を残す。それから束の間、またもや路地裏に足音が響いた。
「――そこまでよ、悪党」
Artistic!(芸術的)と表すにふさわしい魅力的で独創的な澄んだ音が空間を支配した。
時が止まる、というのはこういうことだろうか。路地の入口に1人の少女が立っている。
美しい少女だった。
腰まで届く長い銀色の髪をひとつにまとめ、理知的な瞳が射抜くようにこちらを見据える。
身長は百六十センチほど。紺色を基調とした服装は華美な装飾などなく、シンプルさが逆にその存在感を際立たせる。唯一目立つのは、彼女の羽織っている白いコートに入った『鷹に近い鳥』の紋章を象った刺繍であろうか。その荘厳さすら、少女の美しさの添え物にすぎない。
「私から盗った物を返して」
再び彼女の口から言葉が紡がれ、総身を震えるような感動が走った。
銀鈴のような声音は鼓膜を心地よく叩き、紡がれる言葉には他者の心を震わせる力がある。
…ところで、先の少女の問いかけはまるで身に覚えがなかった。盗った物とはなんの事であろうか。先程の少女と関係がありそうだな。
「──盗った物とは?」
「お願い。あれは大切なものなの。あれ以外のものなら諦めもつくけど、あれだけは絶対にダメ。――今なら、命まで取ろうとは思わないわ」
懇願の気配すら漂わせていた言葉の最後、そこだけが明確に怒りをはらんでいた。
少女の視線は鋭く、差し伸べるように向けられた掌は何も掴んでいない。
しかし、そこに言葉にし難い何かが集まり始めるのを感じ取る。
「私ではないのだが」
「……なに?」
「端的に言うが、私はお嬢さんの盗まれた物に関与していない…しかし、関係が疑われる者なら知っている。先程この通りを抜け、屋根伝いに逃げた少女だ」
──私は容疑者の特徴を伝える。それを聞いて、少女は不承不承ながら納得の頷きを作った。疑いは晴れたようだ
「嘘じゃ、ないみたいね。それじゃ、盗った人は路地の向こう……? 急がないと」
そう呟き、月のような少女は街道の光の中に消えていった。
その後、しばらくは情報を集めた。
この地は親竜王国ルグニカ。四大大国の1つで世界の東に位置するようだが…そんなことはさておき、気になることができた。歴代最強の剣聖と謳われるラインハルトという騎士についてだ。
「最強の名に相応しい実力者だと聞く…一体どれほどの力を秘めているのだろうか…強者であるのは間違いないだろう、あぁ楽しみで仕方がない!」
褪せ人はこの地に期待する。血の飛び交う戦場、繰り広げられる死闘があると。そして強敵(とも)がいることに歓喜のあまり身を震わせた。
そんな思いを胸に情報収集を再開した彼の足取りは重さをまるで感じさせなかった。
──そこは陰鬱な空気の渦巻く街だった。荒廃し朽ち果てた建物が並び、住人は薄汚れた衣服に身を包んでいる。街全体からは湿った鼻を突くような臭いと微かながら錆び付いた血の匂いがする。
王都ルグニカの貧困街に行き着いた。空気は淀み充満し、殺伐とした雰囲気を放つ。そして微かに香る血の匂いに何処か故郷の懐かしさを覚える。
─かの地を離れてから1日も経っていないはずなのに。
褪せ人はそんな印象を受けた街並みを歩く。そしてふと風が吹いた。それはあるものを乗せていた。
「血の匂いだ」
──それも全く新しい血だ
それを感じ取った私は駆けるように出処に向かった。
程なくして目的の場所に着いた。血の匂いは目前の建物の中からだ。
──さぁ、何が待っている!
私はこの地に来て初めての戦いの予感を感じ取り、闘争心を燃え上がらせた。
目的の建物。その入口、木造の扉を開き、目の前の惨状が露になる。
首を大きく切り裂かれ、片腕を失った大柄な老人の死体が転がっていた。首の傷は総頸動脈を正確に捉えて、致命傷となっている。技量の高さとかなりの場数を踏まえなければ出来ない芸当。犯人は相当な実力者であろう。
そして次に目に映ったもの。それに少しばかり驚く。
月の少女であった。
特徴的だった銀色の髪は深紅に染まり、その瞳は褪せていたが、美しさだけは際立っている。首に1つの刺傷、腸を抜かれたような裂傷があった。
「何故ここに…がはぁっ!」
油断を見逃さまいと背後から奇襲がかけられた。首の動脈を狙った正確な一撃。大振りのナイフで首を掻っ切られる。
…この気配を消す技術に短刀を扱う技量。まるで黒き刃の刺客のようだ。
「ごめんなさいね。見つけてしまったのだから。それじゃ仕方ない。ええ、仕方ないのよ」
女の声であった。
低く冷淡で、どことなく楽しげな女の声。
倒れ込む褪せ人は見やる。
黒髪の身長の高い女だ。年齢は二十台前半ほど。顔立ちは目尻の垂れたおっとりした雰囲気を纏う。病的に白い肌は暗闇の中でもはっきりと目立つ。黒い外套を羽織っているが、前は開けているのでその内側の肌にぴったり張り付いた同色の装束が目につく。そして私の血がついた大振りのナイフを右手に持っている。
──こいつか。月の少女を殺したのは。私の興味を奪った者は…ならば覚悟するがいい。
死にかけの男は女を真っ直ぐ見つめ、言葉を吐いた。
「覚えたぞ、黒髪の女よ…私の興味を奪った者よ。怯えるがよい、闇の世に。戦狩りの手が、お前を逃しはしない…」
その瞳は死に行く者が宿すものではなかった。それは獲物を見つけた狩人。狩る者達の瞳であった。
褪せ人は狭間の地では戦狩りの王と呼ばれていました。感想お待ちしています