散歩中にそれは起こった。
眼下に穴が現れた。
アスファルトを抉る大きな円。
反応できず進むバイク。
投げ出される。
傾く体に浮遊感。
腕を伸ばせど空気を掴む。
落ちて見える。
無数の目玉。
不規則にバラバラ。
恐怖はない。
……落ち着く。
それより、も。
見覚えがあるんだよね。
なんとかなる、かな。
意識を閉じた。
覚醒と情報。
大自然に身を預けて。
山中で目覚める。
付近に山はなかったよね。
所持品の一つ。
ケータイは圏外。
待ち受けに写る自分。
、と後輩。
懐かしい。
数いる中の後輩だった。
それでも鮮明に覚えている。
一番新しい思い出だから。
思い出す前に。
現状をなんとかしよう。
山での遭難。
バイクは紛失。
……地形の観察。
澄んだ空気。
肌寒いそよ風。
夏は終わりを告げていた。
整備された道はある。
登る…よりも降りた方が良いかな。
道に踏み込み。
下を目指す。
はぁ……。
心地よい。
散歩するにうってつけ。
ヘルメット越しだが。
景色も美しい。
紅葉の如く。
目の保養。
これが観光なら紅葉狩りもできただろう。
さつまいもを焼いたり。
趣味の読書とスポーツを。
不意になるお腹の音。
もう少しの辛抱だね。
見える登山口。
近くの木。
人影。
良かった。
名残惜しつつ。
駆け足へ。
出会いを果たす。
までは良かった、かもしれない。
和装の少女。
現代で見ることない。
山伏に似た帽子
僧侶……には見えないね。
あはは…。
「……っ…! 妖怪の山になんのようだ…!」
妖怪の山、ね。
あ、あーあー……八ヶ岳…?
ちょっと理解が追いつかないかな。
頭部に生える狼の耳。
理解、したくないよ。
つまりそういうこと、だよね。
……はぁ…っ…。
本当に実行するなんて思わないよ。
あとで考えよう。
考えたくないけどさ。
改めて少女を見る。
懐かしいね。
右手の剣。
左手の盾。
模造刀じゃない真剣。
鈍く光る剣先。
良く手入れがされている。
明確な敵意、殺意はない。
警戒に近い…けど。
何かを必死に抑えている。
足を震わせ。
揺れる真剣。
息を荒げ。
頬は赤く火照り。
ふらつきつつも立っている。
とてもじゃないが危険だ。
この子が妖怪だとしても。
見たことはない。
比較する対象はいないけど。
新しい子だと思う。
しかし…だね。
後方から感じる気配。
少女は気づいていない。
隠れているのか。
助ける気はない、と。
敵意がないだけマシだと思いたい。
はぁ……。
威嚇を続ける少女。
話し合いはできるだろうか。
「聞いてるのか!!」
痺れを切らしたのか。
真剣が迫る。
静かな剣風。
シールドを撫でた。
流石に刃物の扱いは慣れているね。
だとしてもプルプル揺らさないで欲しいな。
本当に斬れてしまうからね。
「落ち着いて。先ずは話を聞いて欲しいな」
外すヘルメット。
蒸れた顔。
風に冷える。
剣の峰を掴む。
冷たい鉄の感触。
ゆっくりと下ろし。
しっかりと近づく。
「ヒィッ!? く、くるな……!」
甲高くも小さな悲鳴。
後ずさる少女。
落とす剣。
掴む手に襲う重力。
思わず離す。
振り子のよう真横を通り過ぎる。
土を叩く音。
ただの人間に持てるわけない、か。
分かっていたけど。
少し悔しい…寂しい、な。
肩を落とす。
「フゥー……フゥー……フゥー」
深呼吸。
息を整える為。
遂には膝を折る。
座り込み衝動を抑えている。
「っ……こ、来ないでください。………んっ……! フゥー……」
自分を抱き締める。
動かないよう強く。
目の前で苦しむ姿を見るのは嫌だね。
頑なに威嚇を続けている。
威嚇にすらならない。
……それでも続けている。
真面目な子だ。
とても責任感が強い。
誇りに思っている。
現代のワーカーホリック。
座り目線を合わせる。
症状から見るに……風邪、病気ではない。
グローブを外す。
「失礼」
「んぃっ…!」
頬を撫でる。
潤んだ瞳。
涙に、滝。
溶けた表情。
「大丈夫。…腫れはない、か」
傷や違和感も見当たらない。
顔色も赤いだけで悪くはない。
外傷はなく外面は正常だ。
内面の異常。
妖怪は肉体に特化している。
逆に精神は人間よりも脆い。
概念に生かされている。
現代に妖怪や神が少ない理由。
妖怪は恐れを、神は信仰を糧にするからね。
道中この子以外の妖怪を見ていない。
この子だけが哨戒をする訳でもない。
偶然出会わなかった可能性。
無きにしも非ず。
変わらないってこと。
……困ったね。
もう一人の存在は様子見。
傍観を決め込んでいる。
仲間意識が強いはずなのに…。
余裕の表れ…はないか。
けして油断はしないはずだ。
寧ろこの子たちにとっては。
これが最前なのだろう。
……待っている。
手を出すまで。
返報性。
害を成す者と認識した時。
初めて行動する、と。
……らしいやり方だね。
理にかなっている。
…参ったなあ。
このまま見過ごすことは、できない。
「んんっ…あ、の……離れ、て…くださ…い」
耳を揺らす。
腕を掴み鼻を鳴らす。
……匂い?
人間より遥かに優れた嗅覚。
匂いに付随するものなら嗅ぎ分けられる。
犬や猫以上に鋭く、繊細。
…………。
ッ!? そういうこ──
気づいた時には遅い。
迫る少女の顔。
後退はできず。
勢いはない。
弱々しいが不意を突く故に。
行き過ぎた衝撃。
体勢は崩れる。
臀部に伝わる痛み。
落ち葉崩れる音。
膝に跨る。
「……すぅ…んっ……はぁ……」
首筋に鼻先。
息遣いが荒くなっていく。
体を擦り付けていく。
己の香りをたてていく。
扇情的薫香。
性を連なる甘美。
僅かに遺る獣を滴らせ。
誘い酔いでる。
そうだった、ね。
尚更この状態で哨戒をしているのか。
分からなくなってきたなぁ。
沈黙はうつらない。
「…んっ……ぅ……ぁ…」
嬌声が空に流れる。
怪我がなくて安心する。
同時に頭を抱えたくなる。
同族ではなく人間相手。
かなり苦しいんだろうね。
管理体制はどうなっているんだ。
と、愚痴りそうになる。
移り変わる社会現象。
文明社会を有す種族特有の課題。
ってこと、かな。
…仕方ないか。
この子には屈辱となるだろう。
人間に慰められるなど。
誇りは穢れる。
汚名となり生涯を付き纏う。
後に罵られても構わない。
だから……。
「辛いね」
背中を撫でる。
激しく…荒波のように。
「…いっ…っ…あ…」
フォールオブダウン。
秋めく中で落ちていく。
☆
あやや。
これは大スクープです。
レンズ越し。
2人を写す。
白狼天狗と人間。
妖怪の山の門番。
名も知らぬ人間。
白狼天狗の名は犬走椛。
天狗の中では下っ端になり哨戒を担当する。
生真面目の堅物。
その実サボり癖が多い天狗の中で忠実に日夜任をこなしていく。
私とは正反対。
私用の際も仕事をしていると錯覚するぐらいには堅苦しい。
はず、なんですがねえ…。
「落ち着いた?」
「……ま、だ…足りま…せん」
人間、それも外来人に抱きつくとは。
それも男性。
求める椛に。
…手を差し伸べる。
場所も名も知らない。
なのにどこか達観した姿。
椛は性格から同僚との接点が少ないですが。
誰が見ても可愛い容姿に入る。
人里の住民ならば逃げる。
場合には…。
男性は外来人。
外の世界に生きる者。
前回迷い込んだ男性は別の白狼天狗に惹かれ。
追い返された。
もういない。
噂だと妖怪に殺され、食べられた。
珍しくない。
幻想郷においては。
そのようにできている。
運が良い。
今も生きているのだから。
それに…。
捕食関係が逆転している。
なのに……。
邪心が見えない。
「君の名前は?」
「…犬走…椛……です」
「犬走……そっか」
怪訝な表情。
「俺は…神崎悠。…椛、君は天狗。……白狼天狗だね」
え…?
「ぇ…あ、なんで……っ」
椛が代弁する。
男性は天狗を知っている。
種族も当てて見せた。
「後で話すよ。君は哨戒部隊でいいんだよね?」
役職も、だ。
私たち天狗の築く社会。
「……はい…」
「一人で門番をしているのかい?」
「……はい…んっ…」
背中を摩られ跳ねる体。
悶える椛。
儚げに見やる男性。
「なるほど。君は…ん、んん…その…情念を起こしている。……発情をしているね」
苦笑い。
あ、椛の顔が更に赤くなった。
そうなんですよね。
だから監視をしているんです。
これは全ての天狗にいえること。
対策をしていますが予期せぬところで。
規格外もある。
番を建てるなんて事もありましたね。
亡き風習ですけど。
椛の場合は無理をしている。
白狼天狗の中でも優れた能力を持ち。
妖怪の山の入口を守護する者。
「ごめんね。…その…休めなかったのかな? 有給とか取れると思うんだけど。上司に当たる……鴉天狗、または大天狗はこの事は容認しているのかい?」
秘匿された情報。
守る為の箝口。
例え博麗の巫女ですら知り得ない。
何故それを──
「……大丈夫…と…思いまし……た」
羞恥心で顔を隠している。
男性の胸に押し当て唸る。
有給…取れるはずなんですけどね。
責任の弊害。
休めば仲間に迷惑をかける。
それが嫌で…身を震わせ…。
正直、そこまで気にしていない。
考え過ぎなんですよ。
それでも……ですよね。
今頃大天狗様も頭を抱えているでしょう。
「そっか。…落ち着いたかい?」
「ふぅ……ぁ! ……んっ……」
尻尾を立たせる。
融け消える表情。
危ないですね。
歯止めが効いていない。
男性の対応に理性が礫。
雀の泪。
正体はさて置き。
止めに入るべきでしょう。
襲われる前に。
カメラを下ろし。
飛び出す──
「口開けて」
「…あ……んむっ…!」
ことはできなかった。
開いた口。
入る指先。
沈んでいく。
ねぶりつく水音。
卑陋に漏らす。
「君の名誉のため。これ以上はできない」
「ふわぁ…ん…ち…ゅ…ぁ」
……あ…。
思わず顔を背けた。
し、仕方ないじゃないですか!
……経験ないですし…。
椛に先を越されるとは。
…一見した限りでは。
骨を頬張る犬…。
が、そうはいかない。
人間の指を咥え。
恍惚な笑みを晒す。
倒錯した視界には。
男性以外見えていない。
尾を振り立て。
盲目的求愛。
見られれば人生終了しますね。
私が見ているんですけど。
保険に一枚くらい…。
……はできませんね。
写真を撮り流出すれば。
権威に傷がつく。
射幸性が高い。
……リスクとリターンが釣り合わない。
こんな椛は一生見ることがないでしょう。
記憶は残り生き続けますが。
「落ち着いたら直ぐに戻ること。しっかり休んだ方がいい……この事は黙っておくから」
「……ふぁ…ぃ…っ……っっ!」
どうすればいいんでしょうか。
完全に逃した。
このまま傍観を決めるしか──
「…! ちょっと……! …っ…」
再度目を離した。
その隙…。
男性の。
「……ぐ…ぅ…ううっ…」
「参ったな」
首に噛み付いた。
……狼。
鮮血散る。
木葉落ちる。
体は動いていた。
一目散。
脚を構え。
椛に向けて…。
穿つ。
「待って」
弾ける。
「っ…!!」
止められた。
……動かない。
足首に感じる。
体温。と、魔力。
手を中心に集っている。
……魔法使い?
「……うう…? …」
「大丈夫。気にしないで…」
椛の後頭部に手を回す。
私を見せないように……。
気づかれないように…。
どうして……。
……似てるのでしょう。
顔を見たときから……。
あの人が脳裏にチラつく。
大切な……。
大切だった。
男性は目配せをする。
…はぁ……分かりましたよ。
今日だけは代わりましょう。
門番なんて何時ぶりでしょうか?
あの時…以来、かな。
あの頃は……楽しかった。
色褪せることない。
……昔話。
……だから。
未だに…人間を。
心の底から許せない。
☆
「……すぅ…」
寝息が耳を擽る。
肩に頭を預けられ。
どれぐらい経ったのか。
引き剥がす。
横たわらせる。
首筋に触れる。
不快と刺激。
服を見る。
通る血と唾液。
治せばいい。
洗えばいい。
それよりも。
「静かになりましたね」
礼儀正しい口調。
近づくもう一人の少女。
狼の耳はない。
代わり、黒い翼。
一眼レフカメラ。
懐かしい顔。
名前は覚えているよ。
射命丸文。
「ありがとう」
「あやや。お礼を言われるようなことはしてませんが? 寧ろ手は大丈夫でしょうか?」
惚けるのは分かっていた。
助けようとした訳じゃない。
椛を止めようとした。
間接的に助ける形になった。
それだけに過ぎない。
「大丈夫だよ。手加減してくれたみたいで」
生身じゃ粉々だったよ。
振って見せる。
「それはそれは。お名前は神崎悠さんでよろしいですね?」
聞かれているか。
会話…いや尋問が始まる。
させる訳にはいかないけどさ。
「ああ、君の名前は射命丸文で間違えないよね?」
「……なんで知ってるの?」
急変する態度。
本性を剥き出しに。
……知っている、ね。
「なんでだろう。他にも知っているよ。…飯綱丸龍とか……███と」
ふと出た名前。
チクリ。
痛みが走る。
頬を伝い落ちる。
「……なんで…!」
鋭い瞳に、涙。
意地悪が過ぎたね。
龍はいるんだろう。
███はいない。
当たり前、だ。
だって……死んでるし。
人間に騙されて。
ならば何故それを俺が知っている、か。
当然の疑問。
「答えなさい!」
掴みかかる。
汚れることも躊躇わず。
「起きちゃうよ」
「……答えて…」
止まらない。
縋りつく。
気付いた。
不自然、違和感。
孤立した空間。
お膳立て。
……ってことかな。
「成長したんだね」
「……なによ…あんたなんか、に……」
「分かるさ」
生意気な所は変わらない。
……それがとても愛おしい。
抱き締める。
ただ普通に…なにもない。
口を耳元へ。
囁いた。
「……え…ぁ……っ…」
開く瞳孔。
溢れた涙。
妥当な反応。
落ち着くまで。
黙るだけ。
っ…と…。
背中に回る腕。
服を握り締め。
声を漏らす。
……数百年を越えた。
再会……、か。
──────────
見つかったバイク。
土に汚れている。
故障はしてない。
燃料もある。
何時でもいける。
「人里に向かうんですよね?」
文がいう。
目が赤い。
涙の足跡。
すっきりした顔。
「妖怪の山に居られないからね」
俺は人間。
妖怪の山は妖怪のためにある。
昔から変わらない。
種族の壁は厚い。
在り方から生き方。
その全て違うのだから。
「……天魔様に…」
「信じてもらえないよ」
奇想天外。
与太話にもならない。
「……でしたら私の家に…」
「文」
「ですが…!」
納得のいかない顔。
そこまでしてもらう必要はない。
文の今後に関わる。
……信じてもらえただけ。
十分過ぎる報酬だ。
「俺は人間、文は妖怪。分かるよね」
「分かります。…分かります、けど…! …みんな…天魔様だって…!」
天魔、か。
世代が違う。
かなり様変わりしている。
妖怪の山のトップである鬼、共に暮らしていた悟を含めた様々な妖怪たち。
地底に移り生活をしているという。
どういう経緯があったのか知らない。
気がかりなことはあれど。
深入りする程じゃない。
「過ぎた話。文…目の前にいるのは人間に騙され無惨にも殺された大天狗…悪かった。大天狗じゃない……十数年生きただけの人間だ」
所詮は過去。
縛られるほど窮屈なことはない。
…ただ、廻りすぎた。
生と死を…出会いと別れを繰り返し…。
忘れていないだけ…。
救いかもしれない。
「……分かりました。少し待っててください」
風切り音。
突風舞う。
「お待たせしました」
眼前に降り立つ。
……は、早いね。
着替えてきたんだ。
ジャケット、キャスケット帽。
ショルダーバッグと。
現代を思わせる服装。
……理由は一つ、かな。
「…着いていきます」
予想通り。
人里は…人の里。
妖怪の禁足地。
変装で溶け込む。
見破られなければいい。
「分かったよ。これでよし」
ヘルメットを被る。
バイクに跨る。
「こんな感じなんですね」
…シレッと後ろに。
飛んだ方が早い…は無粋かな。
「落ちないでよ」
心配はしてない。
「分かってま…これは…はたての持つ端末に似てま……」
ケータイ。
勝手に取らないでよ。
見られて困るものはないけど。
……文?
「どうしたの?」
「…ああ、いえ。……守矢の巫女? もしかして…」
バッグに押し込んだ。
後で返してよ。
クラッチレバー。
チェンジペダル。
……スロットルを、回す。
動き出す。
けもの道を駆け。
目指すは…人里。
「忘れてました」
微かに聞こえる。
「忘れてた?」
肩に頭を乗せて。
「おかえりなさい」
…忘れていたね。
「ただいま」