止まった。
私の動きは、セリカちゃんの抱擁で完全に止まった。強くはない。むしろ弱々しい。ぷるぷると震えながら、それでも私が遠くへと行ってしまわないように必死に、縋り付くように抱きしめてる。でも、そんなセリカちゃんの心が、感情が、身体の中に染み渡るように入り込んできて、胸をぎゅっ……って締め付けられたような気がして、私は言葉を口から発することさえ出来なくなっていた。
「………っ…………ううっ…………………」
「ホシノ先輩………………」
独りだった。
シロコちゃんと先生のあの姿を見てから、ずっと独り。誰にも打ち明けることは出来ないで、自分の中で醜くて汚くて、粘っこくて気持ちの悪い感情が心臓の中に埋め込まれていた。
それが今は。
まだ何も話してないのに。
こんな、こんなに………
「ホシノ先輩………私はここにいるわ………先輩は独りじゃない………」
「セリカ………ちゃん………」
「勝手に思い詰めないで……先輩の悪い癖……あの時だってそう………私たちに何の相談もしないで……勝手に学校辞めたりして………」
「それは………」
「ううん……もう良いの……ホシノ先輩が死ななかったんだから………」
掻き出される。
心に埋め込まれていた泥が、セリカちゃんの涙の微笑みで綺麗に洗い流される。
側に誰かがいてくれる。
こんなにも、救われることだった。
◆◆◆◆◆
「ホシノ先輩、はい」
セリカちゃんは透明なグラスにお水を注いで持ってきてくれた。
「ありがとう………」
グラスを受け取って、中で揺らめくお水を一気にあおる。さっきはショットガンの銃口を入れようとしていた口に、今では命を繋ぐためのミネラルを流し込んでいる。その対比が、不思議で仕方が無かった。
「んぐっ………はぁ…………」
深く息が漏れる。生きていることの何よりの証拠を、強くこの場に示している。
それを見て、セリカちゃんは顔を少し綻ばせた。
「さっきよりは少し顔色がマシになったわね」
「セリカちゃんのおかげだよ」
「本当よ。これは大きな貸しね。先輩には柴関ラーメンで30杯は食べて貰わないと」
一瞬耳を疑う数に、私は目を大きくする。
「え……30杯も?」
「売上げに貢献よ。それで手を打ってあげる」
セリカちゃんがぐいっと顔を近付けてきた。
30杯。量も凄まじいけど、値段も15000円は超えてくる。いくら高校生にも優しい、良心的値段設定でも、流石に限度というものが……
「……フフッ、分割返済も可」
「な、なんだ………」
セリカちゃんのクスクス笑う顔が、冷え切っていた私の心を温めていった。
「何なら、今からでも食べに行く?」
「え?」
「この何日間か、まともに食べてないんじゃないの?そんな余裕も無さそうだったし」
「………………」
確かに………私は殆ど飲まず食わずでこの数日を過ごしてきた。普段と比べて身体に力が入らなくなってる。もしかしたら、ヘルメット団にも負けてしまうかもしれない。
「ほら、行くわよ。大将に熱々のラーメン作ってもらうわ」
「わ………」
セリカちゃんはそう言って、がしっと私の手首を引っ張った。私はセリカちゃんにエスコート……されながら、そのまま柴関ラーメンの屋台まで向かうことになった。
道中、セリカちゃんはずっと手を離さなかった。私が何処かに行くことがないように、しっかりと、それでいて温かく私の手を握り続けた。
「うぅ……セリカちゃん、恥ずかしいよ………」
「何言ってるの。ホシノ先輩、ほっとくと勝手にどっか行っちゃうんだから」
「い、行かないよ……」
「信用無いわね」
セリカちゃんがぶすぶすと私に棘を刺してくる。普段からセリカちゃんは、私がポカをやった時に鋭く突っ込みを入れていた。まるで教師がいたずらっ子を叱るような関係だったけど、今のセリカちゃんはどこか小さな子供を見守る母親のように私の手を引いている。
こんなセリカちゃんに接したのは、初めてのことだった。
「あ、見えてきたわね」
セリカちゃんが指さした先には、柴関ラーメンの屋台があった。
「大将!」
セリカちゃんが手を振って、柴大将に呼び掛けた。大きな声に気が付いた大将は、私たちの方に顔を向けると目を輝かせる。
「お、セリカちゃん!それにホシノちゃんも!」
「大将、今日はお客として来ましたよ」
「お………珍しいね。ホシノちゃんもかい?」
「う、うん。おじさんもだよ」
柴大将は私とセリカちゃんが手を繋いでいるのを見て、少し不思議そうな顔をしていた。その視線に、私の羞恥心はより刺激される。
「セ、セリカちゃん………もういいんじゃないかな?もうどこにも行かないよ」
「うーん………そうね。ここなら見失う心配も無いか」
セリカちゃんはここに来て、ようやく手を離してくれた。ずっと握られていたからか、セリカちゃんの柔らかい手の感触と温もりが残っている。
「大将、柴関ラーメン2杯ください。あ、ホシノ先輩には超特盛で」
「え、ええっ!?超特盛って……」
私は前に便利屋の皆が注文していた大きなラーメンを思い出した。ざっと10人前はある、とても女子高生が1人では食べ切れない量のラーメンだった。
「だって、お腹減ってるんでしょ?それぐらいは食べないと」
「い、いやぁ……いくら何でも限界が」
そこまで言った瞬間、ぐぅぅぅ………と長く響く音が私たち3人の耳の中を通り過ぎて行った。
何の音か、分かる。そしてそれが誰が鳴らした音かも。
………私のお腹から鳴った音だった。
「ほら!ホシノ先輩、お腹空いてるんじゃない」
「そ、それは……そうだけど………」
「ホシノ先輩も食べ盛りなんだから。しっかり食べないとでしょ?」
セリカちゃんの説得。鷲の爪のように、掴んで離さないという視線。
今の私に、逆らう力なんて残っていなかった。
「じゃ…じゃあ………食べよう……かな……」
セリカちゃんの頷きで、ようやく私は解放された。
◆◆◆◆◆
「うわっ……………」
でん!という擬音が付きそうなほどに、大きくてどっしりとした丼が私の前に置かれた。丼の中では輝かしい黄色い正麺が大量に盛り上がっている。お箸で摘んだら、するすると滑り落ちてしまいそうな程に艶々とした麺が山盛り………。他にも、ハンバーグみたいに大きなチャーシューや、一瞬恵方巻かって思ったぐらい太いメンマまで。その上からは白い湯気がもくもくと立ち上がっていて、この丼に漲っている醤油のスープがいかに熱を持っているかを主張していた。
「すぅ……………良い香り…………」
隣のセリカちゃんは、大将が腕を振るったできたてホヤホヤを呼吸して、既に恍惚とした表情を浮かべている。
ぐぅぅ……
この劇薬じみた芳香に、私の食欲は更に刺激されていた。
「ハハハッ!ホシノちゃん、かなりお腹減ってるんじゃないか?」
「へ、へへ……恥ずかしいね………」
「いやいや、若い内は食えるだけ食わんとね。ささ、伸びない内に!」
パキッ
セリカちゃんはもう、割り箸を割っていた。そして私の方を見る。先には食べられない、そう目で訴えていた。
私も私の方で、もう限界だ。これ以上我慢をするのは無理がある。
私も割り箸を割って、セリカちゃんの方を見た。そして、軽い深呼吸をして同時に口を開く。
「いただきます!!!」
号令と同時にお箸を丼の中に突っ込む。右手に湯気の当たるのを感じながら、黄金にも見えるピカピカの黄色い麺の束を、私は摘むというよりかき上げるようにして口の中に頬張った。
「………!!!!」
瞬間に頭の中で1千億個の脳細胞が弾け飛ぶ。ビリビリとした電気シグナルを、頭頂部から足裏まで全てに発信する。
「はむっ……!!!!!!」
堪らずにまたかき上げてありったけを口内に放り込む。
あぁ……
あぁ……………
これ………
これ美味しい………!!!!
「どう?ホシノ先輩」
美味しすぎる………!
食欲を掻き立てる麺の弾力が……!!
麺から弾け飛ぶスープの火花のような刺激快感が………!!!
美味しすぎて止まらない……
止められない………!!!
「って、聞いてないか」
あまりにも美味しすぎてお箸の動きが止まらない
多分口の中を火傷してるけど、それでも止まらないの
こんなに、こんなにお腹が空いたのも
こんなに美味しいものを食べたのも
生まれて初めて………!!!!
「良い食べっぷりだ!」
本当に……こんな………
こんなに美味しいだなんて………
あっ……
ダメ………涙までこぼれてきた…………
「私も食べないとね」
あったかい………
あったかくて……幸せ……………
◆◆◆◆◆
「………………………」
私の目の前には大きな丼が。そして………まだまだ浮かんでいる黄色い麺。
かなり食べた。
本当に美味しかった。
だけど
お腹いっぱい…………
「ホシノ先輩、もうお腹いっぱいなの?」
「セリカちゃん………」
セリカちゃんの丼に目を移すと、空っぽだった。セリカちゃんはとっくに食べ終えていたみたいだ。食べることに夢中で、全く気が付かなかったけど。
「せっかくの超特盛よ?最後まで食べて貰わないと」
「そ、そうしたいのはおじさんも同じなんだけどね………」
すっからかんだった胃の中が、もう麺でパンパン……
「しょうがないわねぇ………」
セリカちゃんは目を閉じてため息をついた。そしてお箸を手に持った。
何をする気だろう………?
「あ」
するとセリカちゃんは、私の丼にお箸を入れて、麺を摘んで持ち上げた。
「一緒に食べるわよ」
「えっ」
「便利屋の皆もやってたでしょ?あれと同じことをするの」
戸惑う私をよそに、セリカちゃんはずるずると麺を啜った。
「ほら、お箸持って。麺伸びちゃうと良くないわ」
「う……」
「早く」
拒否権は私には無かった。
◆◆◆◆◆
「うぅ……………」
く、苦しい………
大きな丼の中は、綺麗な白磁色をしている。
それが見えるってことはつまり……
「完食ぅ………………」
私たち2人で、あの超特盛ラーメンを食べ終わったということだ。
「頑張ったね2人とも。まさか全部食べちまうなんて」
「も、もう10日は何も食べられなさそう…………」
それぐらい、今は苦しい。
私もセリカちゃんも、途中からもうフードファイターみたいに眉間に皺を寄せながら、「完食」という目的のためだけに麺を口に入れていた。
テレビでよく見る大食いのタレントとか、あれどうやって食べてるの…………
「ま、腹ペコより満腹の方が良いさ。だろ?ホシノちゃん」
大将は目を細めながら私に視線を向けている。
腹ペコより満腹。
うん、確かに。あの時より、今の方がずっと良い。間違いなく、それは正しかった。
でも………
苦しいものは、苦しい…………
◆◆◆◆◆
「ふぅ…………」
あれからしばらくは2人とも動けなくて、そのまま屋台で消化が進むのを待っていた。
今はようやく歩けるようになったので、こうして当て所無くアビドスの街を歩いている。
「さて、これで1杯だから………あと29杯ね」
「あ………」
そうだった………
セリカちゃんと約束してたんだっけ………
「これが1杯分なの……?10杯ぐらいはあったような………」
「1杯は1杯よ。何なら、私が手伝ったんだから半分で数えても良いぐらい」
「え、ええっ……!?」
半分………
それはあんまりにもだよ………
「………冗談よ」
「へ?」
「5杯で勘弁してあげるわ」
5杯………
それでも、十分譲歩してくれたか………
「この後はどうするの?」
「そうねぇ………特に決めてはなかったけど………………あ」
セリカちゃんの動きが止まった。目線がある方向に向いたまま。
私もセリカちゃんの視線に沿って、その方向に目を向ける────
「シロコ先輩だ」
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