邪竜幼女 ~村娘に転生した最強ドラゴンは傍若無人に無双する~   作:富士伸太

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竜の時代の黄昏 1

 

 

 

 

 竜は災厄であり、恵みであった。

 

 いや、本当に竜だったか定かではない。誰かが「あれは竜である」と囁いたから竜になったのかもしれない。

 

 だが気まぐれに放たれる咆吼は虎でもなく、狼でもなく、紛れもなく竜としか言えない鳴動であった。雷鳴よりも重く鋭く天を揺るがし、雲はひび割れ、豪雨と暴風となって大地に叩き付けられた。

 

 身を絞りつくされた雲が消え去ると、一か月の間、太陽の光が燦々と降り注いだ。

 

 雨期と乾期の到来である。

 

 こうして古き命が死に絶え、新たなる命が芽吹いた。

 

 竜があくびをして眠りにつけば冷気の精霊と冬の精霊が活気づいた。重々しい瞼が開き眼光が放たれると、炎の精霊と光の精霊が舞い踊って世界に暑熱をもたらした。人々はこれを竜冬、そして竜夏と呼んだ。また眠りの前後のまどろみが竜春、竜秋と呼ばれ、竜の四季となった。

 

 世界は、竜が目覚めてまた再び眠るまでを年と定義した。大地に生きる小さく弱き者の一年は、竜の一日であった。これが竜の時代である。

 

 しかしながら竜は必ずしも規則正しい生活を送るわけではない。五百日を超える年もあれば、二百日足らずの年もあった。秩序の乏しい暦は、自然をあるがままに受け入れる朴訥とした幸福と、気が遠くなる程の停滞をもたらした。

 

 それに異を唱えたのが、異世界より来訪した人であった。暦は竜ではなく星に従うべきと訴え、竜暦ではなく星歴を作り始めた。

 

 そして「暦と天を乱す竜は邪竜である。太陽のごとき大きな力を気まぐれに放つ悪の権化、邪竜ソルフレアはこの世に不要である」と定めた。

 

 大地に住まう者どもは二派に別れた。

 

 竜の災厄に苦しみ、竜のなき世を求める者は人間に多く、彼らは異世界人と共に文明や国を作ることを選んだ。

 

 竜の恩恵があってこそ世界が成り立つと考えた者は魔物や獣に多く、彼らはあるがままの世界に棲み、生と死を受け入れることを選んだ。

 

 ここに人間と魔物の対立が生まれた。

 

 この現象にもっとも驚いたのは、竜自身であった。

 

 彼の者には名前はなく、「自分はソルフレアという名だったのか」という自覚と、更には「自分が眠ったり起きたりするごとに現れたり消えたりする小さな粒は、もしかして一つ一つが意思を持つ生き物なのでは」という悟りを得た。

 

 今までのソルフレアは大地、雲、山、月、精霊などとしか会話をしたことがなく、一人一人の人間が魂を持つなどとは思いもよらなかった。

 

 こうして星に変化が起きた。

 

 ソルフレアはのんべんだらりとした生活を改め、規則正しい生活を心がけた。なんとなく咆哮をするときや、くしゃみをするときは口を抑え、決まった月に眠り、決まった月に目覚めた。それでも眠気に抗えないときは精霊に語り掛け、「我ではなく星に従うように」と命じた。こうして一年は三六五日となり、田畑を耕す人間が栄えるようになった。

 

 また、神酒を飲むことも控え、余った神酒を盗み飲む者が減ってこれもまた人間が栄える要因となった。長命種が減り、親から子へ、子から孫へと命脈をつなぐ短命種が地上を席巻したからである。

 

 だがそのせいで魔物や獣が不利になってしまった。ソルフレアはまたも頭を悩ませ、今度は自分に語り掛ける魔物の声を聴くことにした。魔物の声は竜より遥かに小さく何を言っているかわからなかったが、一計を案じた。

 

 体を小さくした。

 

 それでもなおソルフレアは山のように大きかったが、塩一粒にしか見えなかったものが、小鳥の卵程度には見えるようになった。

 

 それは必ずしも弱体化とは言えなかった。より具体的な形を持ち、より能動的な活動ができるようになったソルフレアは、ソルフレアを信奉する魔物や、人々の集落から追い出された一部の人間たちに力を貸し与え、時には先頭に立って戦うこともあった。

 

 獣の時代の到来である。

 

 爪と牙を持つ者たちが決闘ですべてを決した、闘士たちの黄金時代だ。

 

 しかし爪と牙を持たざる者――つまり人間は、諦めなかった。

 

 田畑を耕す者たちが星々の動きによる暦を使い始めたことで、彼らは「星を詠むことで未来を予測できる」と気付いた。夏至、冬至、年の終わりと始まりが何日後に到来するのかを正確に予想した。

 

 そしてソルフレアが弱体化する日食の日さえも計算できる、と気付いた。

 

 人間たちは皆既日食の日に叡智と神秘のすべてを結集し、魔物たちとソルフレアに決戦を挑んだ。

 

 その結果は改めて語るまでもない。竜と魔物が謳歌した時代は遥か過去のものとなって、かろうじて暗黒領域の中に風土や文化として残るのみで、今はこうして人間の手で歴史が刻まれているのだから。

 

 ソルフレアの敗北を機に大いなる霊は地上から次々と去りゆき、人が世界を作る世となって、今や星歴一〇三五年。

 

 果たして本当にソルフレアは討たれたのであろうか。

 

 確かに我々は魔物たちとソルフレアに勝利した。だが彼の者は倒すとか倒されるとか、そういう次元にある存在だったのであろうか。

 

 ソルフレアが倒されたときの姿は、原初に比べあまりにも小さかった。だがそれは弱体化を意味したのだろうか。その体や命と共に本質までも葬り去られたのであろうか。大いなる循環、自然の摂理が、「死」程度でこの世から去るのであろうか。

 

 世界の地平の先、果ての果てまでいかねば、それを知ることは適わぬであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 死体啜りの森に響いたそれは、悲鳴ではなかった。

 

「畜生! 話が違うじゃねえかよ! ふざけんなよ……なめるんじゃねえぞ……!」

 

 声の奥には助けを求める懇願があり、命を惜しむ怯懦があり、現実を受け入れられない駄々っ子のような甘さがある。だが心の何処かに「よくもやってくれたな」という反骨がある限り、それは蛮声であり怒声であり、咆哮だ。

 

「ふざけてもおらぬし、侮りなどせぬ。我が前に挑む、勇敢なる人の子らよ。さあ、鍛え抜いた絶技、我に見せてみよ」

 

 天下第一の狩人にして義人ディルックの咆哮に言葉を返したのは、澄み切った童女の声だ。

 

 赤く艶やかな髪に純白のワンピースの童女が陰鬱な森にいるのはあまりにもちぐはぐだった。

 

 ちぐはぐなのは場所と外見だけではない。その存在自体がちぐはぐだ。まだ親に愛されているであろう甘やかな育ちの良さを漂わせながらも、まるで長くを生きた賢者のように揺るがない風格がある。まるで神秘的な精霊と出会ったときのような畏敬の念を抱く。

 

 ディルックはただの子供であってくれと願った。だが暗黒領域の北西部、死体啜りの森に平然と存在して歴戦の戦士を圧倒している以上、ただの子供のはずもない。

 

 暗黒領域は正門の関所で銅貨6枚と遺書を出せば誰でも、それこそ子供や死に瀕した老人であっても許可が降りる。だがそこから先は、出ることも生きることも保証はされない獣の世界。牙を持つ者しか生きることは許されない。

 

「そら、少し強く当てるぞ」

 

 童女が指を曲げて爪を振るう。

 

 綺麗な爪だ。一点の曇りのない薄桃色、飢えてもいなければ飽食もしていない。やすりで丁寧に丸く、何も傷つけないように磨かれている。

 

 だというのに猫のようにしなやかで、どんな獣よりも恐ろしい。

 

 その爪が繰り出す衝撃はあまりに強く、樹木はなぎ倒され、寸断された岩石は鋭利な断面を見せている。

 

 一度攻撃に転じた童女に近接距離ではどうあっても勝てない。

 

 ディルックは相棒のユフィーに守られつつ距離を取り、五射を放った。

 

「対ドリアードの戦術に絞ったのが仇になったわね……ディルック、どうする?」

 

 ディルックの相棒、戦乙女の異名を持つ聖騎士ユフィ―が盾を構えて問いかける。

 今ならまだ撤退できる、という言外の意図に、ディルックは首を横に振った。

 

「ここまで来て下がれるかよ。気を付けろ、見た目通りの生き物じゃねえ。半端なことをしたらこっちがやられる」

 

「その通り。そこな女子よ、まだ殺気が足らんぞ。そなたから喰ろうてやろうか?」

 

「そうはさせねえ……【七ツ月の矢】よ、敵を穿て!」

 

 ディルックの七射は幻惑な軌跡を描いた。

 

 新月から満月に至るまでの七つの月のごとく魔力と明暗を与えられた矢は、その軌跡もまた玄妙怪奇であった。放物線を描いて爆発的な破壊力を生み出す満月矢、一直線で心臓を破壊する不可視の新月矢、そして残り五射は身動きを止めるために虚実を織り交ぜて両手両足頭部を射貫かんとする。

 

 童女は、まるで誰かの罪を糾弾するように人差し指をまっすぐに突き出した。

 新月矢の鏃の一点が、その指の爪と口づけをするようにぴたりと接した。

 

「くそっ、これも通用しないのか……!」

 

「他の矢は未熟。だがこれだけは受け止めねばならんな」

 

 童女の右手の指先は、見れば生身の人間ではない。

 

 肘から先は赤色に輝くルビーのような鱗に覆われ、凶悪に伸びた爪は磨き上げた名剣のように白く輝く。

 

「竜……?」

 

 右腕だけではない。

 純白のワンピースから伸びる左腕も同じく竜の力を纏い、残る六本の矢を何の痛痒もなく弾き返した。

 

「戦乙女の盾よ、敵を退けて勇士を加護せよ! 【ヴァルキュリア・バッシュ】!」

 

 聖騎士ユフィーの盾は味方に加護を与えると同時に、重量と突進力を倍加させて敵に襲い掛かる。だがそれもまた受け止められた。

 

 童女のその小さな膝もまた鱗に覆われてワンピースの裾を破り、爪は子供用の赤いパンプスを突き破って地面の岩に突き刺さり、どんな衝撃にも一歩も揺るがぬ不動の態勢を生み出している。

 

 盾の先に感じる圧力は、自分の頭二つは小さい子供のそれではない。

 まるで、山。

 

 あるいは大地や自然そのもの。

 

 遠くから見れば茫洋として掴みどころがなく、どこにでもあるような風景のようで、近付けば近付くほどその威容と分厚さに圧倒される。

 

 その山が動いた。

 

 柔らかい手の平が盾にぺたりと触れる。

 そこから力比べが始まったかに見えたが、遊戯(ゲーム)など成立していない。

 天空から地に落ちるように、天の法則の如き抗いがたい圧力がユフィーの盾に押し掛かる。

 

 ずずっ、ずずっと、ユフィーが押されていく。

 

 しっかりと大地を踏みしめている足は、重装騎兵を乗せて戦場を駆ける戦車(チャリオッツ)のごとく土を削り取りながら後退していく。

 

 盾の加護を発揮させたユフィーの腕力は暴れ牛や大鬼さえも上回るというのに、脂汗を流し渾身の力で抗っても、すべてが徒労に終わる。

 

 重い。

 そして、大きい。

 

「そんな……ラズリーでもない子供が、こんな……」

 

「攻防一体の隙のない連携。さぞ人の世で勇名を轟かせたのであろう。名は何という?」

 

「ここじゃ通用しないとでも言いたそうだな……」

 

 ユフィ―を援護するために放った矢もすべて爪の先を軽く振るわれて落とされた。

 それを見たディルックたちは、諦めて名乗りを上げた。

 

「狩人のディルック」

 

「聖騎士のユフィーよ、お嬢さん」

 

「狩人ディルック、聖騎士ユフィ―。問おう。なぜこの森を荒らす?」

 

 童女が竜となった腕を人の形に戻し、人差し指を前に突き出して問いかけた。

 

「妖樹ラズリーを切り落とす。そのために来た」

 

「私たちの故郷に平穏を取り戻し、毒酒に侵された人々を治すためには、あいつの命が必要なのよ。そこを通して」

 

 邪竜ソルフレアが去って魔物たちの世界は大きく縮小したが、人が絶対に手を出すことのできない暗黒領域と、その内部に乱立する闇深き国は残った。

 

 美しき銀嶺にして直訴の巨人アーガイラム。罪人の守護者、バイコーンのエンリク。他、数名の古豪が治める国はソルフレアが倒れてなお誰も手出しはできず、死体啜りの森もそうした国の一つであった。

 

 森を治めるドリアードの王にして長命種の巨恥、悟れざる妖樹ラズリーは、甘美だが強い依存性を帯びた樹液や果実を餌にして、魔物のみならず領域外の人間をも隷属させる巨悪だ。

 

 千年を生きながら快楽や悦楽から未だに卒業できず、長命種たちからは「何と見苦しい」「悟りを得られぬ苦痛によく耐えられるものだ」と見下されている。

 

 それでもラズリーは支配力、そして純粋な暴力においては他の国主に引けを取らず、暗黒領域において怨霊や邪泥のごとく嫌われつつも、強い権勢を誇っている。

 

 そのラズリーを討つことは、狩人ディルックと聖剣士ユフィーの悲願だった。

 

 二人は、ラズリーの樹液を生成した毒酒によって故郷の街を奪われていた。闇商人ギルドが金のために毒酒を蔓延させ、誰もが毒酒がなければ精神の平衡を失うように仕向けた。

 

 人々は毒酒を求め、奪い合い、家族や自分の身柄を闇商人ギルドに差し出し、いくつもの辺境の集落が支配された。友を売り家族を売り自分を売ることさえ当然となった地獄から生き延びた二人は、冒険と試練の果てに一騎当千の猛者となった。

 

 闇商人ギルドの長がいる場所にたった二人で殴り込みをかけ、血で血を洗う闘争の末に勝利して生き残った。だがこれで彼らの復讐が終わったわけではない。

 

 毒酒を根絶し、毒に冒された人々を元に戻して、初めて彼らの復讐は成し遂げられる。

 

 そのためにはラズリーを討ち、その樹液から薬を作らなければならない。

 二人は死体啜りの森を、己の死地と定めた。

 

「ならば鍛え上げた技を見せよ。手を抜いてここを通れると思うな。ラズリーのために温存していよう。月の神に与えられし加護はそんなものではないはずであろうよ」

 

 その童女の言葉に、ディルックは目が据わった。

 気息を整え、初心に返り、これまで幾千、幾万と繰り返してきた射法を詠唱と共に始めた。

 

「……我が弓が外れしとき、いと尊き月の神に心臓を供物に捧げる」

 

「ディルック!」

 

 ユフィーが制止するが、ディルックの瞳に迷いはない。

 

「弓張月の光よ! 我が弓、我が弦、我が矢に宿り、敵の心臓を貫け!」

 

 ディルックの奥義。それは必中の加護を捨てさるのみならず、宣言した敵に当たらなかったときの罰を己に課すことで超常の力を発揮する最高威力の一射だ。

 

 それは百年に一度の才ある者が果たすべき使命を得て、初めて為し得る難行であった。

 

「乾坤一擲の矢に賭けるか。だが狙いがわかりきったものを食らう道理はないぞ」

 

 童女が指を鳴らし、ディルックを睨んだ。

 

 小さく可愛らしいふくらはぎに凶悪な竜の力が宿る。

 爆発的な一歩を踏み出して距離を詰めた……かと思えば、その進路上にユフィ―が飛び込んでいた。

 速度に劣るユフィーであるが、仲間を守るという聖騎士の本能がすべてを先読みした。

 

「そんなのは百も承知よ……戦乙女たちよ! 矢を番えし勇者に加護を与えよ! 【ヴァルキュリア・スポッター】!」

 

「また盾の突進か、芸がないぞ!」

 

 そのままユフィ―が童女へと突撃を掛ける。

 先程の盾ほどの重圧は無いが、そのかわり鋭く、速い。

 

 そこに童女の爪が襲い掛かるが、それを器用にステップして避けて懐に飛び込む。

 

「なにっ……?」

 

「術中にハマったわね!」

 

 童女が盾を受け止めた瞬間、閃光が煌めく。

 そして童女の体に奇妙な模様が浮かび上がった。

 まるで競技や鍛錬のための弓術の的のように、心臓を中心に同心円状に模様が浮かび上がる。

 

「……なるほど。絶対命中の誓いの矢と、矢当ての加護を組み合わせたか」

 

「ずるいと思うかしら。けど本気を出せといったのはそっちよ! ディルック! 命がけで魔力を注いで! あたしも覚悟を決めたわ!」

 

「すまねえ……!」

 

 ユフィ―は盾で突進した後も攻撃の手をとめることなく、短槍で童女を突き刺そうとする。そして避けられた瞬間に重量級の盾で相手の攻撃を弾き返す。

 

 自分を上回る強敵を仕留めるため、ディルックの最強の一撃を当てるための、千日手のような地道で粘り強い作業をユフィ―は続けた。突き、払い、いなされ、叩きのめされ、しかしユフィ―は何度となく立ち上がってディルックを守り続けた。

 

 ユフィ―は攻める技術に乏しい。

 

 だが、二度、三度、十度、百度と立ち上がることにかけてはどんな男にも負けることはない、聖なる烈女だ。ディルックがあらゆる悪の心臓に風穴を開けてきたのは、ユフィ―の盾があってこそだった。

 

「ずるくなどはない。むしろ素晴らしいぞ。よき修練を積んでいる。千年前の猛者もおぬしたちには容易に勝てぬであろう」

 

「……何が千年前だ! 俺たちが討つべきは今のラズリーで、そしてお前だ! 喰らえ!」

 

 ディルックはユフィ―のフォローを信じ、月が満ちるように魔力をため込み続けていた。

 そして天に流れる流星の如き輝きが、大地から、いや、ディルックの矢から放たれた。

 輝きの中心が、ふっとディルックの指から離れたと思いきや、敵の胸元へと到達していた。光が螺旋を描く。

 

「ぅぉぉおおおお! 貫け……!」

 

「避けても無駄か。次元を捻じ曲げて我が胸元に届く。そういうものだな」

 

 童女は、だが、防御態勢に入った両手を交差させて受け止めていた。

 足は大地にめり込み、岩を砕き、それでも一歩たりとも後退していない。

 閃光がすべてを白く染め上げて何もかもが見えなくなる前に、ディルックもユフィーも、思ってしまった。

 

 美しいと。

 

 二人は悪しき人間のみならず悪しき魔物を数えられないほど屠ってきた。その中には、人間を遥かに超える美しさを持つ魔物も少なくはない。篭絡に長けた淫らな魔物も、闘争を極めた果てに美を纏った魔人も、ディルックは容赦なく撃墜してきた。今更、敵の容姿に心動かされはしない。

 

 それでもなお美しさを感じたのは、拳の奥、矢や盾の感触の奥に雄大な何かを感じたからだ。

 

 吹きすさぶ風。川のせせらぎ。そびえ立つ山。崩れ去る前の故郷の匂い。太陽の輝き。

 

 一合一合、武器を重ねる度にそんなものを感じた。

 

 だがディルックの矢は、その美に打ち勝った。

 

「むっ!?」

 

 黄金色に輝く一条の光は龍の鱗を貫き、そしてディルックの願いの通りに童女の心臓を貫き、そのまま遠く遠く森の果てへと消えていった。

 

 童女は驚愕の表情のまま、背中からばたりと倒れた。

 

「勝った……?」

 

 恐ろしいほどの静寂に、ディルックもユフィーも、それ以上何も言えなかった。

 終始圧倒されていたディルックたちは、何かを上回ったという手応えを一切持っていない。

 心技体、すべてに負けていたはずなのに自分たちが立っているという薄気味悪さを感じていた。

 

 その薄気味悪さは正しかった。

 願いは叶ったが勝利を意味していないのだから。

 

「……おぬしの矢は心臓を射抜いた。心臓を撃たれたのは二度目じゃ。褒めてつかわそう」

 

 倒れた童女が、倒れながら言った。

 同時に、貫いたはずの心臓から何かが漏れ出した。

 

 血ではない。

 

 血を流させるほどの傷を与えられていないと、ディルックは気付かされた。

 

「対策は練っておったし、一度は試さなければならぬと思うておったが……いざやられてみると恐ろしいものよ。いや、真に恐ろしいのは矢でも月の加護でもない。撃つと決めたときの狩人の眼。獣を必ず殺してみせるという人の意志は、大自然の化身といえども抗いがたい」

 

 それは炎。

 

 いや、太陽の光そのものだ。

 あれは童女の形をした太陽なのだとディルックは気付いた。

 

「我を倒す、ではなく、心臓を貫くという願掛けであって助かったな。そうであればおぬしの心臓は月に与えられておった。もっとも、あやつが心臓など受け取るかは怪しいところではあるが」

 

「お、お前は一体……」

 

「技を練り直し、また来るがよい。……それと、ラズリーはもうここにはおらぬ。あやつの落とした果実や根は褒美にくれてやろう」

 

 心臓から、いや、童女の体から放たれた光は、全てを白く染め上げる。

 太陽の光が届かぬ死体啜りの森は常闇の世界だが、まるでそこに太陽が現れたかのようだ。

 

「太陽竜の咆吼は声であり光。眼と耳を閉じ、頭を垂れよ……我が名を冠する絶技、原初の光【ソルフレア】」

 

 すべてを位尽くす光が、周囲一帯を包み込んだ。

 

 

 

 

 気を失ったディルックとユフィーが目を覚ましたときには、童女の姿はどこにもなかった。

 

 生かされたことに気付いたディルックは、拳を地面に叩き付けた。

 

「くそっ!」

 

 神の加護が与えられたはずの武具が燃えているというのに自分が生きているはずもない。

 

 だが、自分の隣で静かに寝息を立てているユフィーの顔を見て溜飲を下げた。

 自分の無茶な戦いに付き合わせた罪悪感が頭をもたげる。

 

「ん……あれ? ディルック?」

 

「お互い無事みたいだな」

 

「なんだったのよ、あの子は……。まるで古のソルフレアじゃあるまいし」

 

「何もわからん。ただ……あの娘に、いや、暗黒領域に完敗したんだ」

 

 ディルックは薄れゆく意識の中で、童女に回復魔法を掛けられたのを微かに覚えていた。

 

 そして童女は、どこからともなく現れた白い狼に連れられて去っていった。

 もう何も用はないとばかりに。

 

「でも……目的は叶ったみたいよ」

 

「どういうことだ、ユフィー?」

 

「ほら、これ」

 

 二人が寝かされているすぐ側には、ズタ袋と籠があった。

 まるで農村の出荷場に置いてあるようなその袋には、果実がどさどさと放り込まれている。

 

 籠の方には、子供が薬草摘みをしてきたかのように木の根や葉が満載になっていた。

 

 

 

 

 

 

 暗黒領域の結界は堅牢であり、有史以来、内側からも外側からも決して破られることはなかった。

 

 つまり外側はのどかで平和な人間の世界であり、人間たちの集う都会からは遠いものの農村や集落が点在している。

 

 夕暮れ時、そんな農村のとある家の中で、怒号が響き渡った。

 

「こらソル! また門限を破ってどこ行ってたんだ!」

 

 大いなる太陽の化身に、これまた大いなる怒りが落とされた。

 つまるところ童女の父親からの叱責であった。

 

「う、うむ、我が領土に足を踏み入れる不埒者がおったので、誅罰を……」

 

 童女の言い訳に、父親は呆れたように溜め息を付いた。

 

「まったく、森の中に秘密基地でも作って遊んでたのか。ミカヅキが探してくれなきゃまた真夜中になってたぞ」

「わふっ」

 

 白いサモエド犬が、童女の父親に撫でられて嬉しそうに吠えた。

 童女は抗議したい気持ちをぐっと抑えた。

 暗黒領域に勝手に出入りしていることを知られては、この程度のお叱りでは済まないのはわかりきっていた。

 

「ご、ごめんなさい」

 

「それでソル。怪我はないか? ないな。服はひどいなこりゃ……裾はどこかに引っかけたのか? 上は……なんか焦げてるな……しかも内側から。ってことは、誰かにやられたとかじゃなくて自分でやったな?」

 

「あっ、えっと、その、魔法」

 

「またソルフレアの生まれ変わりとかいって【竜身顕現】の魔法を使ったな? あれはやめておきなさいと言っただろう。悪戯っ子なんだから」

 

「ち、違うの! それは本当だもん!」

 

 父親は、必死の抗議にどうしたものかと頭を悩ませる。

 そこに童女の母親が口を挟んだ。

 

「あなた、門限破りはいけないけれど口調とかはいいじゃない。ソルちゃんはこういう年頃なのよ」

 

「おっ、お年頃……!?」

 

 母親の取りなしに、童女はむしろショックを受けた。

 

「遊びならいいんだが、この子は他の子と比べて魔力もあるし、竜族の血も濃いし、無茶しちゃうじゃないか。この子は才能もあるし可愛いし、今のうちに危険なことはいけないと教えないと。このままじゃ悪い男に狙われるに違いないんだ!」

 

「それもそうよねぇ……」

 

 太陽の化身、大いなる邪竜ソルフレア。

 彼の者は勇者に敗北した後、悠久の眠りの果てに再び人の時代に顕現した。

 

 のどかな開拓村の、ちょっとだけワガママで、ちょっとだけ甘えん坊の、どこにいでもいる女の子として。

 

「じゃから、我は本当にソルフレアの生まれ変わりなの!」

 

 

 

 

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