「あてぃしはご主人と一緒が良い!」
湊あくあは目の前の男に対して前のめり。さすがに男も少し後ずさってしまうほど。
「…そっか」
普段の湊あくあを知っている人がいれば自分の目を疑うほど。いつもの彼女であればこんなに積極的に相手との距離を縮めたりはしないはず。それなのに今の彼女は自分から距離を縮めようとしているのだ。
ーーーーーー
「いこうよ」
あてぃしは彼の手を引っ張って歩いていく。一年前の自分が今を見たら絶句して固まってしまうかな。これが良い変化なのかは分からないけど今のあてぃしは必至にアピールしなくちゃいけない。
だって少しでもあてぃしに興味を持って欲しいもん。
「って引っ張っちゃったけど…ご主人はどこか行きたいところとかありますか?」
「僕はあくあさんが行きたいところであれば」
「だって最近、あてぃしのこ行きたいところばっかり行っている気がしますし!今回はご主人の行きたいところに二人で行きたいです!」
あてぃしばっかりご主人のことを振り回している気がする。
「…でも本当に行きたいところはないですよ」
確かにご主人の趣味とかって聞いたことない。ご主人と出会ってそれなりに経つのにご主人の好きなものとか聞いたことがないかも。ほとんどお屋敷の中か仕事で外に出ているだけで休みの日はほとんど家で過ごしている気がする。
「では映画はどうですか?」
「映画?」
「はい、昨日テレビを流し見していたらなんか今日あたりから新作映画をやるらしいんです。普段はあんまり映画とかは見ないんですがたまにはいいかなぁと思いまして」
どんな形でもご主人の口から行きたい場所を話してくれたのが何よりも嬉しかった。今までずっとあてぃしの行きたい場所にばっかりいってたし。
「うん、いこう!」
その時に気付いておけばよかった。ご主人が見たい映画が…『ホラー』ということに。
「ご、ごしゅじん…」
「どうしたんですか?」
「こ、このえいが…みるんですよね…?」
「はい」
ご主人が見ようと思っている映画はホラー映画だった。たぶん、ご主人にドSな感じではないので、あてぃしがホラーをダメだということを知らないんだと思う。今まで言うこともなかったし…。
「あくあさんってホラー大丈夫でしたよね」
「…え……あ、はい!!だいじょうぶですよ!!ホラーなんて怖くないですし!!」
もう今更ホラーが怖いなんて言える雰囲気じゃない。それにご主人が初めて言い出してくれたことですし。ここであてぃしが頑張らないとご主人に折角の楽しみを台無しにしてしまう。
「本当に大丈夫ですか?」
「だ、だいじょうぶ!」
「明らかに震えてますけど」
「こ、これはむじゃぶるい!」
自分に『大丈夫』だと言い聞かせる。ここでご主人にカッコ悪いところを見せたくない。
「それならいいですけど。もしダメそうならちゃんと言ってくださいね」
「…だいじょうぶだもん」
それからご主人とあてぃしはチケットを買って、ポップコーンやドリンクなども買った。上映十分前になると入ることが出来るので…入ったら予告などが流れていた。指定された席に座り予告を見ている時にあてぃしは閃いた。これは絶好のチャンスなのではないかと。映画が始めれば暗くなって辺りを確認するのも難しい。そして映画館には肘置きがあるので…暗闇になれば手を握ることも出来るかもしれない。普段から頑張って手をに握ろうとしているものの今まで一度たりとも成功したことがないんだよね…。なんかあとちょっとのところで成功しない。
でもこの映画館という場所なら成功するかも。
「ご主人ってホラー好きなんですか?」
今までホラーが好きって話は一度も聞いたことがなかった。あてぃしが聞いたことがないだけかもしれないけど…。
「…別に好きということはないですね」
「そ、そうですよね…」
「でも見ることに抵抗とかはないですね。僕ってあんまり怖いって感情が湧かないんですよ」
「感情が湧かない?」
「はい。お化け屋敷とかに言ったとしても怖いと感じたことがなくて。だから少しでも怖いっていう感情を抱きたいからこういう映画をよく見るようにしているんです」
「そ、そっかぁ…」
ご主人が怖がっているところって今まで見たことないかも。どんな時でも冷静沈着で適切な判断を下せる人っていうイメージ。あてぃしもご主人に仕えるようになってまだそんなに時間は経っていないから知らないだけかと思ったりもしたんだけど、本当にご主人って怖がったりしないんだ。
ちょっと話していると辺りは暗くなってくる。映画が始まるとすぐに一つ目のホラーポイントがあって…あ、あてぃしは意識を失いそうになった。見てすぐに思ったけどこの映画は…普通のホラー映画に比べて何倍も怖い。でも今意識を失っちゃったらご主人の手を握ることも出来ない。
そして映画はどんどん進んで行く。
たまに隣のご主人の方に視線を向けると真剣な顔で映画を見ていた。全然怖がっている感じではなく、でも楽しんでいる感じでもない。
そろそろ手を重ねても…いいよね。
あてぃしは勇気を振り絞ってご主人の手を重ねる。そして手と手が重ね合う瞬間に心臓が飛び出てしまいそうになるほど緊張した。ご主人の手はとても大きくて全てを包み込んでいるような感覚すらも覚えるほど。
さすがにご主人も手を重ねられたことに気付いたのか、あてぃしの方に視線を向けてきた。でもあてぃしの手から離れようとすることもなかった。
あてぃしは手を握る。緊張がご主人に伝わってしまうのではないかと少し心配だけどここで勇気を出さないと。さすがにこれはご主人が嫌がるかなぁと思っているとご主人は手を握り返してくれた。
「え…」
思わず口から「え」と出てしまった。だって握り返してくれるなんて全然予想していなかった。
それから映画はクライマックスに向かってどんどん怖くなっていくのにあてぃしは全然怖くなかった。だってご主人があてぃしの手を握ってくれているから。それだけでとっても安心するし…。
「好き」