強欲少女のヒーローアカデミア 作:pastel
傲岸不遜な笑みを浮かべ、緑谷達から遠く離れた位置に佇む二人のレグルス・コルニアス。
幾ら相手を吹き飛ばしても一切の傷、いや一切の汚れすらつかず周囲の被害だけが重なっていく状況でも尚、強欲の権能を宿す二人の怪物は互いを映し鏡のように睨み合っていた。
「あぁもう、なんなんだよお前はぁ! 幾ら真似事を上手にやった所で本物には成り得ないって、いい加減理解したらどうなんだよ。これだから物分りの悪い女は嫌いなんだ、自分がいつだって正しいと思い込んで人に迷惑をかける。固定観念に支配されているから人の話も聞かないしさ、そりゃここまで馬鹿なのも納得がいくよ。人一人分の視野の広さなんてたかがしれてるってもんだからね」
『そっちこそなんなんだよ! この世にただ一人、世界に選ばれ認められた存在だけが授かれる『強欲の権能』をお前如きが行使していいとでも思ってるのか? それをよりにもよって、本物である私に対して振るうなんて何処まで身の程知らずの馬鹿なんだよお前は! 大体さ、物分りが悪いのはお前の方だよ。だって私は既に結論を見出してる。それを受け入れられず駄々を捏ねてるだけだろうが、この出来損ないが!』
次の瞬間、二人の身体が同時に動く。
片方が手を振り、空気を固めた無形の刃を放つ。
そしてもう片方もまた、同じように刃を放つ。全てを無視して軌跡を描く二つの真空波が衝突し不変のエネルギーが混ざり合う。
『獅子の心臓』───彼女らの権能により空気が凍りつき、時間の流れを止める。不変と不変。互いが互いに干渉できず、されど一歩も退く気などない彼女達の力が衝突すればどうなるか───。
刹那、衝突点で光が生まれた。青紫の輝きが爆発しまるで星が地上に堕ちたかのように周囲を飲み込む。
その光の正体は───プラズマと化した大気
衝突の余波が炸裂し、衝撃波が街を切り裂く。
地面が砕け、周囲の物体が爆風により吹き飛ぶ。プラズマが膨張するたび空気が引き裂かれ、竜巻のような乱気流が咆哮を上げる。
そんな大災害の中心に居ながら耳障りな音に顔を顰めているだけの怪物が二人
『全くうるさいったらありゃしない。もういい加減に負けを認めたらどうなんだよ。君程度じゃ私に何一つ影響を与える事は叶わないんだってことを、ここまでやっても理解できないってどれだけ愚かなわけ? さっさと惨めに跪いて壊理を返せよ、そうしたら楽に死なせてあげるから。私は慈悲深いんだ』
「ほんと、馬鹿ってのは頭も悪くてやることなすこと全て幼稚な癖に声だけは大きいな。顔も知らない人間の耳にすら届いてしまうから、誰もが自分に興味を持ってるとか勘違いしちゃうんだよね。もし私がそんな状況に陥ったら恥辱のあまり街を焦土にするところだけど、幸いにも私は望んだ相手と円滑なコミュニュケーションが取れるくらいには恵まれた知性を持って生まれることが出来た。君とは違ってね」
彼女達は止まらない。真空波を放ち、互いの刃をぶつけ合う。
そして発生するプラズマが周囲を破壊し、やがて消え去る。
その繰り返しに彼女達は一切の傷も、疲労も、焦りさえも見せない。
壊理は激しい戦闘の余波に目を瞑り身を任せるのみ。否、二人の間に口を挟めるほどの余裕が心に無いだけだった。
───もはや被害は神野のみに留まらない。隣接する地区、市街地にまでその被害は及んでいた。
このまま馬鹿の一つ覚えのように停止した物体を放るだけでは埒が明かないと双方悟る。彼女達は頭が悪いが、頭が悪いなりに権能が不完全の状態でも強者に打ち勝ってきたのだ。
もっとも、彼女は相対してきた敵のことを強者などと思った事は一度としてないが。
そんな是非はともかく、此度も目の前の偽物へ圧倒的な力の差を見せつける為に出力を上げる───それは文字通り目にも止まらない速さと表すに相応しい。
「それで、さっきから色々とくだらない真似事ばかりだけど、完璧な私になり損ねた未完成で不完全な出来損ないの愚図が私に対して何ができるっていうわけ? 君みたいな力が無くて頭の悪い女をいたぶる趣味なんて私には無いんだけど。まぁ君が諦めずに足掻くってんなら、私も少しだけ回りくどい方法を──────試させてもらう!」
そして一瞬で偽物の正面まで接近すると、その無防備な鳩尾に鋭い蹴りを叩き込む。運動神経が壊滅的な彼女による不格好な蹴り上げだろうと、そこに込められたエネルギーだけで言えばオールマイトを優に超える。
『ふごぁ───!? こんっのぉ! こんな事した所で無意味だってのが分かんないのかなぁ!?』
見事に打ち上げられ情けない声を上げながら宙を舞う偽物のレグルス。その口から絶えず出てくる負け惜しみともとれる言葉を本物は鼻で笑いながら追撃を行おうとする。
「ハッ! 全てが満たされている私にとって行動に意味があるかどうかは重要じゃないんだよ。意味があろうと無かろうと、それが私に影響を与える事は絶対に無いからだ。故に大事なのは無駄かどうかで、リスクとリターンが釣り合ってない賭けはしない主義なんだよねぇ!」
片手で掴み上げているのは巨大な氷塊。
何をしても欠けることの無い不変の存在でありながら、強大な質量も兼ね備えているその氷塊を───偽物目掛け投擲する。
その軌道はまるで彗星が夜空を裂くかのごとく壮絶で、その光景に宙を舞っているレグルスは目を見開く
『ふざっけるな! そ、そんな馬鹿な展開がぁ───!』
偽物のレグルスは逃れる間もなく、氷塊の圧倒的な質量と速度に飲み込まれる。
星空の一部として吸い込まれたかのように、その存在は目視できない距離まで打ち上げられていった。
「さて、これで一番面倒な奴は片付いた。ああやって自分を特別だと勘違いして、周りを見下してるから危機に陥っても悟れずに死ぬんだ。嫌だよねえ? ああいう女には育っちゃダメだよ壊理、まぁ私がそうならないよう躾てあげるから心配なんてする必要もないけれど。最低な人間でも、人にとっては見本になるものさ。と言っても、基本的にはそうならないようにって反面教師にするだけ。でもそっちの方が上を見るより学べる事は多かったりもする。視野を広く持って生きていこう」
「しや……って何?」
「常に周りをよく見ようって事。視野が狭いっていうのは器が狭いのと同じ、心に余裕のない人間である証拠さ。そうなったら一つの考えに思考が支配されて、それが正しいとか思い込んじゃうんだよね。自身の過ちに気づけない人間って傍から見て滑稽だし憐れだから、そうならないように周りをよく見て冷静に余裕をもって動くんだ。それが人として、女性として当たり前の生き方だから壊理も心に刻んでおいた方がいい」
目の前の敵にしか目が向かない誰よりも視野の狭い人間の教えを、壊理は反芻するように呟き、周りを見る。
原型を無くした市街地、地面を汚しているのは泥か血かも分からない。
想定されていた被害を優に上回っているレグルス達の戦闘は、大勢の民間人を巻き込み犠牲にしている───それも断末魔を上げる一瞬すら与えず、弔う為の肉片一つ残さずに。
此処に人が生きていた痕跡は最早地面を染めている泥に混じった赤黒い何かのみ。
壊理が周りを見渡している最中、唐突に目を見開き驚きの声を漏らす。
視線の先に存在するのは上空から此方に飛来してくる何か……いや、あれは───、
「お姉さん! あ、あれ……!」
「うん? 次から次へと今度は何───え」
そして降り立つ一番星───『レグルス』が今星空からこの地に舞い戻ってしまった。
『私にあんな真似しておいて和気藹々ってどういう事? これだけやっておいて平常心のままとか、人間性が致命的に欠けてるよね。君にとっては蟻か何かでも踏み潰した程度の感覚なのかな? 私を吹き飛ばしたことなんて、虫けらを踏み殺したのと変わらないってことかな? それってさぁ、どうなのかなぁ!?』
───面倒が過ぎる、相手に干渉される事の無い権能は相手に干渉する事を許さなかった。
ふつふつと感情が湧いてくる、怒りか憎悪か───いや、これは嫌悪だ。
目の前の……偽物に対する何にも耐え難い嫌悪感、当然自分の顔と声をした偽物が自分を侮辱してくれば誰だって嫌になる。
そしてレグルスにとってそれは、戯言と切り捨てるには難題すぎた。
偽物が『レグルス・コルニアス』に見えて仕方がない、そしてそれが自分と顔の声で───まるで私がそうであると言うかのように。
お互いにお互いを認めず不変を貫いているはずなのに、まるで鏡を見ているような気分になる、拒絶しようとすればする程追い詰められていく感覚に頭が痛くなる。
「そりゃあ潰した蟻の数を数えながら道を歩く奴なんて居ないだろ? 君の怒りはお門違いもいいとこだよ、つまり君は自分がある程度の価値と意味を持った人間だと思い込んでるって訳だ。随分とおめでたい頭してるみたいだね、他者にどうこう言われた程度で砕けるくらいの脆い自尊心を虚栄で取り繕って、君は満たされてるかい?」
『─────あぁ?』
「私と敵対した人間はもれなく筋金入りの馬鹿しかいなかった、自分の価値を履き違え、その結果周りの価値も履き違える。だから非戦主義者の私にすら敗北する惨めで無様な結末を迎える。どいつもこいつも被害者面して私を恨み周りに助けを乞うけど、ただ歩いてる私の前に立ったのはそっちなんだから、それで何かされて怒るのは不当だよ。あまりにも自分勝手すぎる」
余裕綽々と偽物を煽るレグルスに対し、我慢の限界だと力いっぱい握りしめた拳の震えが語っている。
彼女は煽りや侮辱への耐性がゼロに等しく、相手のペースに乗った上で酷く短絡的な動きになる、それでも一挙手一投足が相手に死を運ぶのだから表面上どちらが優勢かなど大した問題でも無いのかもしれない。
『あのさぁ、自分に酔うのは勝手だけど、もう少し客観的に自分を見てから口を開いた方がいいんじゃない? 君が自信満々にした攻撃、あれ私に対して傷一つ負わせられなかったみたいだけど。それでも君はあの氷塊が悪かったって他責するのかな、君が絶対的な力を持ち至上の価値を定められた人間なら少しは謙虚に生きたらどうなんだよ。君にとって周りの人間が道端の蟻と同価値だったとして、それをわざわざ踏み潰しながら歩くって、自分の小さい器はそれすら許せないって言ってるようなもんだよねぇ?』
「……っ、お前……!」
『本当にどうかしてるよ。虚栄心を満たそうと表面上の自分を取り繕ったところでどうにかなる訳でもないのにさ。誰も君の事なんか認めない、誰も君の事なんか求めない、誰も君の事なんか見ちゃいない。相手の瞳に今の自分がどう映るかなんて考えたこともないよ。だって私はこんなにも満たされていて、そこに他者からの評価なんて入る余地は無いからだ。正しく個として完成されている絶対不変の存在。肉体的にも精神的にもね』
終わる事の無い棚上げの応酬、鏡に向かって永遠に悪口を言っているのと同意義なこのやり取りを止められる人間は居ない。
「どこまでも面倒な女だな君は! もう少し言動に慎みってものを持たせたらどうなの? 品性の欠片もないくせに自信だけは一丁前って最悪な部類じゃないか。そりゃあ誰からも愛されなくて当たり前だってのに、現実を受け止められないからって周りに八つ当たりするとか子供かよ」
『あぁそうかい、その考えが変わらないって言うならこれ以上口を動かすのは無駄って事だね。君は極論でしか物事を考えれない可哀想な人種ってのが十分理解できたから、私は言葉じゃなく行動で示す事にしてやった。争いとか嫌いなんだけど、言葉での解決が叶わない相手に取れる手段って暴力以外にないんだよね。まぁ、毎回先に手を出してくるのは相手だから自衛に務めてるだけなんだけどさ。力の差ってのは相手に自分の価値を示す上で一番分かりやすい指標だ』
「─────んぐぁああ!?」
言葉と共に偽物は敏捷に跳び、本物の鳩尾に鋭い蹴りを叩き込む。
衝撃で本物のレグルスは瓦礫を抉りながら滑るが瞬時に跳ね起き、反撃に肉体を動かす。
「はぁ、いくら蹴ろうがいくら殴ろうが無意味なんだよ! 私になり損ねた偽物なだけあって、その権能には目を見張るものがあるのかもしれない。でも、頭が悪けりゃ宝の持ち腐れってやつだよ。それとも、胡座をかいて戦えるほど私を下に見てるのかな? そんな舐め腐った戦い方だろうと負けることはないとか思っちゃってる訳? それってさぁ、私を見下してるって事かなぁ!?」
彼女は真空波を放ち牽制し、同時に偽物も同じく真空波を放つ。
両者の攻撃が空中で激突、そして同じようにプラズマが発生する───両者共にそれをちぎるように掴み上げ掌に収める。
───そして始まるプラズマの投げ合い
「ここまで来て尚やる事が本物の真似事とか、どこまでも自分を持たない薄っぺらい人間だなぁ! 不愉快だ、あぁ不愉快だ! さっさと爆ぜて消えて無くなれ!」
『君こそ真似するなよ! 何やっても届き得ないくせに無様にもがき足掻いて惨めなんだよ! 君如きが、君ら如きがこの私に不快な思いをさせる権利なんてある訳ないだろうが! 死ね、この極悪人共!』
衝突した真空波の中心から無限に発生するプラズマをちぎっては投げちぎっては投げの繰り返し、されど両者の不死性と執念が拮抗し傷一つ生まれない。
同じ動作が機械のように繰り返され、戦況は開始時点から一歩も進まず戦いは無意味な円環に閉じ込められていた。
「埒が明かないな。とっとと敗北を認めて平伏せよ、そうしたら極力痛みを感じさせずに殺してやるからさ。死にゆく自分の肉体が泥のように溶けていく所をじっくり見たいって言うならそれでもいいけどさ」
『そっちこそ、いい加減無駄だって気づけよ! この浮気女と悪女が。本当、君みたいなのに靡く女を伴侶にしなくて正解だったよ。声と顔が同じなら中身の違いなんて大した差異じゃないとか、どう考えても人を愛してる人間の思考じゃないよね。性別を気にするわけじゃないから壊理が成長すれば伴侶に迎えるのも吝かではなかったけど、他の女に身を預ける程度の貞操観念なら考え直す必要がありそうだ』
伴侶なんて性格を拗らせに拗らせた彼女とは無縁の存在である。
そこら辺にいる男性を無理矢理婿入りさせる事に途轍もない嫌悪感を抱き、女性相手でもそれは変わらなかった。
いや、全てはあの男のようにならない為の……
『図星つかれたからって黙りかよ? 威勢よく反論してたくせに、結局はその程度って事ね。っていうか、さっきから私を殺そうと躍起になってるけど、それが自分の首を絞めてるって気づかないわけ?』
「はぁ? どういう意味かな、私には君がこの戦いに勝ち筋を見いだせなくなったから必死に命乞いをしているようにしか見えないんだけど。それとも、君なんかが私を追い詰められるとでも?」
その言葉に偽物は動きを止め、口元に冷酷な笑みを浮かべた。
『いいさ、そんなに知りたいなら教えてあげるよ』
誇らしげに胸を張り、細い指を自分の心臓に突き立てる。
彼女の瞳が妖しく光り、突き立てていた指をゆっくりと動かしレグルスの背にいる壊理へと真っ直ぐに指し示した。
『私の大事な大事な心臓は壊理に預けてある、そして私の負った外傷は全て心臓の宿主が肩代わりするのさ。誰が肩代わりしたかなんて知ったこっちゃないけど、あの夜から預け先は壊理しかいないからね』
───『小さな王』その神髄は対象へ自身の負担を肩代わりさせられることだと語るもう一人のレグルス。
それが真実かどうかなど、本人は分かりきっている
『これで分かったでしょ? 私が権能を解いて君の攻撃を受けようと、死ぬのは壊理だ。あっははは! それとも、先に君の手で壊理を殺してみるかい? って、そんな事出来るわけないよねぇ! だから言った通りだろ? 君は最初っから自分で自分の首をギリィ! っと絞めてるんだってさ! あっははははっ』
彼女の嘲笑は止まず、顔を仰け反らせ髪が乱暴に揺れるほど笑い続けた。
レグルスを追い詰めるのはいつだって身に余る『強欲』である。
───ふと今の言葉を振り返る、そして頭の中に浮かんだ一つの攻略法……しかしそれはレグルスにとって苦渋の選択である。
後先を考えている訳でも、その方法が成功するかどうかを疑っている訳でもない、ただ自分以外を信じきることが出来ないのだ。
壊理は彼女を愛している。
でもそれは、自分が完璧であったからに過ぎない。
疑う余地のないほど完璧で、完全な権能を得ていたから……それありきの愛、信頼、安心なんだと。
───安心? 何が安心なのだろうか、護る事もできず助ける事もできずヒーロー気取りの雄英生に先を越された自分のどこに安心できる要素があるのか。
英雄を名乗るには不完全で、人を愛する心は未完成で……ただただ身に余る欲望だけが先回りするこの螺旋を────彼女が『レグルス・コルニアス』を超える為には……。
「……っ、随分と余裕そうじゃないか」
『余裕そう、じゃなくて余裕なんだけど?』
条件は同じ、性格も権能も何もかもが同一。それでも守るものがあるかどうかの差は彼女達の間にある余裕の差を顕著に開いていた。
取捨選択でも無いのだろう、ただ一つだけ……”信じる”ことだけが相手に勝つ事の絶対条件だ。
背負っている壊理を下ろし、膝を着いて目線を合わせる。
彼女が行おうとしているのは、死柄木にも負けず劣らずの愚かなストレートベット。
だが彼女の知っている英雄はこのような苦難を前に逃げ出したりなどしない。
自覚していない恐怖が彼女の手を震わせる、だが何よりも怖いのは───壊理に自分が『レグルス・コルニアス』のような人間だと思われる事だ。目の前の偽物を、もう一人の私だと思われたくない、笑われたくない。
「壊理、私は君のヒーローでありたい、君を安心させられる英雄でありたい。君に幸せでいて欲しい
─────君が、何があっても信じてくれるような私でありたい。いや、そうあると約束する。だから私を信じて、全部任せてくれるかな……?」
彼女の口から発された言葉は、無自覚な愛を抱えた彼女にとって精一杯の愛の言葉だった。
例え不完全でも未完成でも、信じてくれるなら……十分満ち足りる事が出来るのだと。
壊理は真っ直ぐとした瞳にレグルスを映し、優しく微笑んだ。
そこに浮かぶ感情は彼女への全幅の信頼と愛情、それのみ。
「うん───信じてる。ずっとずっと信じてる。私の、個性が必要なんでしょ?」
「……あぁ、君の力が必要だ」
どこまでも純粋無垢で汚れる事も変化する事もない愛情を前に彼女は覚悟を決める。
「頼ってくれて、信じてくれてすごーく嬉しい。ずっと怖かったけど、不思議だね。お姉さんの為ならって思うと勇気が湧いてくるの。私頑張るから、手……握ってて欲しい」
「っ、分かった……壊理なら出来るって、信じてる」
過去のトラウマ、かけられた呪い───それらが尾を引いて今まで個性の使用には至れなかった。
だが今、壊理自身もまたレグルスが信じてくれている自分を信じてみようと決意を固める。
───額の小さな角が金色に輝く。
『巻き戻し』が発動し柔らかな光が壊理から溢れ、レグルスは繋いだ掌から溢れ出るエネルギーの循環、その流れを操作する。
自分自身、そして壊理への信じきれない疑念が晴れる。
この力の原点がどこにあるかはもはや関係ない、例え不完全な権能に戻ろうとも、それは自分が壊理の英雄であり続ける事に何ら関係などない。
───捉えた。壊理の心臓、その拍動に合わせて静かに鼓動する擬似心臓を巻き戻しの光が包み込む。
光はまるで時間を逆行させるように擬似心臓を消滅させる。
「ぁ、がっ! はぁ……はぁ、またこの苦痛を自分から味わいにいくとか、あぁくそ……」
壊理は手を握り続ける事しか出来ない。
信じるしかないのだ、彼女は心配される事を強く嫌う、心配は相手への信用が欠けている事と同義なのだと教えられたから。
心停止の苦痛、巻き戻しが肉体に作用する事による全身がひっぱられ内側から変化させられていく感覚に顔を顰めながら死に物狂いで権能を作用させ続ける。
未だに溢れ続けているエネルギーを全て自身の体内に循環させ、極力権能を解かずにエネルギーを操作し続ける。
そして彼女は目的を達成する前に、目の前の敵を葬らなければならない。
『はぁ? 黙って見ていれば、なに? なんなの、どういうわけ? 自分達だけで盛り上がっちゃって、周りは置いてけぼりなんですけど? 馬鹿みたいな茶番や三文芝居が始まったかと思えば急に苦しみ出して、一体全体何がしたいのかな? しっかり説明しろよ、それとも私を馬鹿にしてるのかな?』
理解が追いつかず癇癪に身を任せているもう一人のレグルスに対し、本物は金色のエネルギーをその肉体に纏いながら勝ち誇った表情で返答する。
「はっ、君さぁ気づいてないわけ?」
肉体の状態は最低だが脳内の喜悦は最高潮だ、何せ全てが鏡写しのようだったもう一人の自分を完全に出し抜いてやったのだから。
彼女が最も忌み嫌う『レグルス・コルニアス』を彼女自身の力と知恵で超越したのだから。
『はぁ? 気づくも何もないだろ、私に変わったところなんて一つも───』
先程の偽物による告白を模範するように、ゆっくりと指を指し示す。
「足元、濡れてるよ」
言葉と共に指し示された指先───足元を怪訝そうに見たレグルスはしばし沈黙し、目を見開いた。
足元、その白い靴と裾が足下を浸す水と泥に汚れていることに気付いて
『お前ら───がふぁっ!』
あまりにも遅すぎる変化に気付き、怒りのままに腕を振り上げようとした。が、足を伸ばしたレグルスがその横っ面を豪快に蹴り飛ばす。
地面に身体を叩きつけられ、真っ白な服と髪が泥水で汚れる。
「あれだけピーピーと喚き散らしてたくせに、呆気ないもんだよねぇ? まぁ君の疑問は概ね理解できる。何故権能を破られたのか、その一点だろ? 簡単さ。愛だよ、愛の成せる技さ。個として生きていたこの世界に、他を受け入れる事で私は完成した。例え不完全だろうとその存在は既に完成され、遅れをとる理由にはならない。権能は不完全な状態に巻き戻る、生まれたばかりの頃───原点へと。それら全てを受け入れようが、私という存在は変わらない、壊理は私を信じてくれる。それを他でもない私が信じないで、対等な関係とは言えない」
自分の弱さを恐れず、信頼に応じる覚悟を決めたのだ。
何が最も大切なのかは繋いだ手が教えてくれた、それ以上の言葉はいらない。既に誓いは済ませているのだから───。
『このっ……! ふざける、な! この偽物がぁ!』
右腕を大きく振りかぶり手に握った土を投擲しようとする自称本物に対し、レグルスは射線を切り懐に潜り込む。
権能を唐突に解除され、慣れない痛みを感じ焦っている相手に対し彼女はすこぶる冷静だった。
『ごはっ───!』
意識的に肉体の時間停止を操作するのは久しぶりだ、だが肉体は覚えている。
攻撃を命中させる瞬間にのみ発動させ心臓の負担を軽減し、慣性を上手く働かせる事で反動を極限まで削る。
『はぁ、がふっ……ぁ、はぁ……君、さぁ、卑怯だとか思わないのかなぁ!? 自分一人じゃ勝てない、からって子供まで利用するとか、人としてどうかしてんじゃないの!?』
「それを認められるかどうか、受け入れられるかどうかが、全てが鏡写しのようだった私と君の間に生まれた致命的な違いだよ。それに、怪物退治の栄光は共に織り成してこそだ」
『ふざけるな、所詮一人じゃ何も出来ない出来損ないの愚図が一丁前に人を語りやがってぇ! 私を虚仮にした事、強欲を侮った事を絶対に後悔させてやる!』
底は浅く、言ってる事は空っぽで、どこまでも惨めな人間。
これが愛を拒絶した末に出来上がった、『強欲』の大罪を抱えた少女の成れの果てだ。
レグルスは今自らを名乗る、騎士道なんて掲げてもいないし、そもそもこの国に決闘の文化はない。
それでも常に見据えていた頂に立つ英雄───剣聖に倣いたかった。
「壊理が一の英雄、レグルス・コルニアス」
剣は持ち得ない、その代わりに左腕を突き出し決闘の意を一方的に指し示す。
『どこまでも馬鹿にしやがって、レグルス・コルニアスは私の名前だ! お前如きの虫ケラが名乗っていいわけが……!』
泥だらけの手を振り回し、『レグルス』の名に対する誇りともう一人の自分に対する怒りを癇癪のままに表す偽物に対し彼女は少しだけ考える素振りを見せながら、改めて名乗り直す
そういえば、この名を自ら名乗った事は無かったなと。
今の名を捨てる訳では無い、だが『レグルス』を彼女自身が打ち倒す上でこの名は適している。
ゆっくりと目を開き、それと同時に言葉を紡ぐ。
「コル・レオニス───君を倒す英雄の名だ」
『ふざけっ……! ちょ、ちょっと待てよ! こんな、こんなのおかしいだろぉ!?』
両者共に決闘の儀など理解していない、だが名乗ればそれは誓いとなり胸に残り続ける。
攻撃が偽物の股下から入り、その体を縦に一閃───レグルスは悲鳴も上げられないままに、はるか上空へと打ち上げられた。
本能的な危機感知、持ち余した反射神経が辛うじて権能を発動させる事にのみ集中した。
『──────ッ!!』
自らが破壊した市街地───その全景を見下ろすほどの高空へ。
悲鳴とも罵声ともつかない声が、木霊していく。
星空を背景に恨み節を唱え続ける偽物が、突如背中に衝撃を受けて悲鳴を上げた。
見ればレグルスの上昇の勢いは急に止まり、無理やり宙に縫い止められている。まるで空の上にあった何かに、足蹴にされたような感覚で。
「たまにさぁ、いるんだよねぇ。君みたいな、自分を特別と勘違いしてる奴がさぁ?」
その声は空中でうつ伏せのレグルスの背に足を乗せ、嘲笑を浮かべながら言い放つ。
自分の背を足蹴にして宙に立つ存在、それが何者なのか一瞬で偽物は理解した。理解したと同時に慄然とする。ここが今、どれだけ高い位置にあると思っている。
だが世界の理から解き放たれた怪物に、そのような常識は通用しない。
「私にかかればこの程度、児戯にも等しいのさ。空に落ちる気分なんて、そう何度も味わいたいものじゃないけれどね」
『バ、ケモノめ……!』
何とでも呼べばいい、もはやその言葉を否定する気にもなれない。
英雄は虚栄と相容れない。
虚栄が大きければ、それだけ栄光の愛は小さい。
それでいい、それを受け入れればたった一粒の愛は得られる。
彼女が求めているものなど、それ一つに過ぎない。
「……そうかもね。私は化け物を狩る化け物。───君も、運命を受け入れるときだ」
レグルスの足が背中から離れる。
彼女達は本来偽物と本物ではなく、もう一人の自分だったはずだ。
権能も頭脳も性格も何もかもが同一で、しかしそこには何者にも介入の余地を許さない完璧に満ち足りた世界があるはずだった。
もはや偽物のレグルスの目には、鏡写しのようにもう一人の自分の姿は映らなかった。
瞳に映るのは信念を持ち、誓いを終えた───英雄の姿
そしてその瞳に映る自分の姿は───惨めで無様な『レグルス・コルニアス』だった。
───両者の『獅子の心臓』が発動、それと同時に攻撃がきた。
『お、ぁぁぁぁぁ───ッ!!』
偽物の背のど真ん中に、レグルスの振り下ろす手刀が入る。
無敵化の効果を引きずったまま衝撃だけを受け、そのまま一気に眼下へ叩き落とされる。
段々と地面が近付き、偽物は顔面から叩きつけられる。が、『獅子の心臓』の効果が継続し、呑まれるように体が地面を抉った。
偽物の体は一直線、そして無抵抗に地面の掘削作業を続けながら、その現状に焦る。
そんな余裕すら許さず、無慈悲に迫る権能の制限時間。
───五秒が経過した。危機信号が鳴り響き、彼女は己の判断に迷う。心の中はレグルス達への悪態、この世界への恨み辛み、そして権能を解除した後に予想できる……自身の末路。
悩む時間はない。心臓を止めすぎて死ぬなど、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
『う、うぅぅぅ、うぅぅぅぅ───!!』
震えそうになる奥歯を噛みしめて、レグルスは覚悟を固めた。
鼓動の再開を強く訴える心臓の声を聞き入れて、レグルスは『獅子の心臓』の効力を解除、無敵化がほどけ、肉体の強度と物理法則は元に戻り───、
『ぶぉえ───ッ!?』
全身の、骨が、砕け散る。
そう思うほどの衝撃が容赦なく偽物の肉体を襲った。
同時に肉体の端から泥のようなものが溢れ出す、腕と脚の指先───と思わしき部分がどろどろに溶け、彼女の不完全さを嘲笑うかのように土と混ざる。
『ぁ、う……ぁあ……』
権能を使い、解き、使い、解き、その繰り返しで延命を続ける。もはや土を掴んで這い上がる為の腕すらなく、脚どころか下半身と表せる部分すら見当たらない。
何故、こんな目に遭わなきゃならないのだと心の底から思い、あいつらが悪い癖に何故と自己を正当化し続けていたが、やがてそれを成立させていた頭脳も溶けていく。
もはやそこにあるのは人としての形を失い、ただ本能的に権能を作用し続けるだけの泥の塊だった。
どれが自分か、自分は何かなど考える事すら出来ず───『本物』のはずだった自分を形成していた泥に溺れ、死んでゆく───。