強欲少女のヒーローアカデミア 作:pastel
突拍子もない発想だ、でも切り捨てる事は出来ない。
幼少の頃、ドクターに教えてもらった『痒み』の正体。
───俺自身にもコントロール出来ない程に膨れ上がった破壊衝動が、痒みとなって肉体に影響を及ぼしている、そんな感じだった覚えがある。
今思えば、その説明はかなり矛盾を孕んでいるように思える。
痒みはあの家に居る時だけの事で、外で友達と遊んでる時には全く感じなかった。
それこそ治崎廻の持つ極度の潔癖症と似て、精神的ストレスを感じると蕁麻疹のような症状が出て身体が痒くなると説明された方が納得がいく。
しかし今、『崩壊』が消えて一切の痒みが無くなった。
卵が先か鶏が先か、制御不可脳の破壊衝動から突然変異の個性が発現したんじゃなくて、『崩壊』が発現したから痒みが生まれたんだ。
なら身体の痒みは肉体に適合できない個性が発現した事による副作用って結論で一旦落ち着かせられる。
遺伝関係なしの突然変異なら、まだ分かる。
問題は俺の個性がオーバーホールと類似し、持ち主の身体的特徴も似ている事だ。
普通は遺伝によって、その個性に適応できる肉体も兼ね備えられる。
例外はあるが、肉体の性質は個性よりも遺伝による要素が強いはずだ、火の個性持ちのガキが熱に強いようにな。
なら臓器移植で人格に影響が起きるみたいな話と同じで、もし別の人間の個性因子だけを移植された場合にも、似た事が起きるとしたら?
先生はオーバーホールを知っていた、彼奴を率いれろと言ったのも先生だ。
先生の個性は、個性を奪い、与える───。
五歳になってもまだ個性が出なくて、『崩壊』が発現する少し前に痒みは湧いてきた。
もし俺の個性が何処かで先生に与えられたものだったら? 身体の痒みは、その個性の持ち主……治崎廻の潔癖症という特徴を一部受け継いだものだったら?
治崎廻との因果関係が偶然だったとして、痒みが個性を与えられた事による副作用である事は変わらないんじゃないのか。
その方面に秀でた知識を持ってる訳じゃないから妄想の域を出ないが、今この状況がその可能性を現実にしている。
確かめなきゃならない、その果てにあるものが地獄だろうと。
「クッソ馬鹿みたいな話だ。俺が俺である必要は最初からどこにも無かったかもしれないなんて、今更そんな発想に至る自分が気持ち悪ぃ。それが全て事実だったとして、罪が消えるわけでも家族が帰ってくるわけでもねえのにな……」
「あのさぁ、急に脈略のない話をするの辞めてくれない? 別に君との会話を求めてる訳じゃない。でもさ、私がここに来て、私がここに居て、今こうして君を足蹴にしていて、その私を無視して話を進めるってどういう思考してる訳? 頭のネジが外れちゃってるんじゃないの? 本当に手間ばかりかけさせる、この能無しめ。そんな態度を通そうっていうなら、あの世で猛省してもらおうかなぁ?」
思考の海を泳ぎ、個性を失ったというのに大した反応を見せない死柄木に苛立ったのか彼女は容赦なくその頭を踏みつける。
その痛みが彼の思考を強制的に現実へと引き戻すが、やはり痒みはやってこない。
この女に頭を踏まれて一切痒くならない事実が、痒みは身体に合わない個性の副作用であるという仮説を立証していると言っても過言ではない。
「うるせえな、お前がどうやって俺を殺そうが最期にはお前を人生最高の笑顔で嘲笑って逃げてやる。良いかレグルス、俺の苦悩も、俺の死も、俺の人生も、何もかも俺のもんだ。お前にくれてやるもんなんか、1個もねえんだよ」
死の間際に笑われる、それはレグルスにとって最大の地雷。
どれだけ他者を見下そうが、どれだけ自分を愛そうが、絶対に変わる事の無い根底の望み。
誰にも言ったことの無いそれを見透かされているような気がして、彼女は咄嗟に死柄木の胸ぐらを掴み上げる。
「何なのかなその口の利き方は? 礼儀がなってない事にはこの際目を瞑ってやろう、呆れて咎める気にもなれないからね。でも、今回に限っては流石に自分の立場ってものが分かってないんじゃないの? そもそもさぁ、君の人生を奪ってやりたいと思うほど私は『強欲』な人間でもなければ、誰かから奪う事でしか自分の価値を見い出せないような満ち足りてないクズ共とは違うんだよ。そりゃあ今に至るまでに築き上げてきたものが君にも色々あるだろうさ。努力とか、後は何? まぁその他諸々どうでもいいけど、所詮私を前にして貫き通す事は出来ない程度のものだったんだから、失うのは自明の理だよ。悔しくて仕方ないと思うけど、あんまり気に病まない方がいいよ? 後悔っていうのは今までの自分を否定する行いだからね、誰も君を愛さないのに君すら君を否定してしまったらあまりにも悲惨だ。まぁ、かといって今までの自分を肯定してあげた所で、今の君に何も残っていないのは変わらないけどね」
彼女の言う事は一理ある、どれだけ過去の罪を悔やもうが今の死柄木弔には何も無い。
『崩壊』が消え、痒みが消え、器を失った憎しみだけが空回りする感覚。
死柄木弔を死柄木弔たらしめていたその憎しみと破壊衝動すら、今も尚抱き続ける意味など無いのかもしれない。
何故なら、彼が『死柄木弔』である必要はもうどこにも無いのだから。
「すげぇ癪に障るけど、まぁお前の言う事が正しいか。俺の、死柄木弔としての物語は終わった。これだけ罪を犯して、なのに背負っていたもの全て降ろされて……これ以上何かを求める権利なんて無いのかもしれない」
自分よりも背の低い少女に片手で持ち上げられながら、その琥珀を見つめて言葉を紡ぐ。
どれだけ情けなくたって構わない、死柄木弔としてのプライドなど捨て置け。
「お前を前にして唯一貫き通せたものすら俺の力じゃなかったかもしれない。生まれてから今の今まで操り人形だったかもしれないなんて、反吐の出る考えが生まれちまうくらいには俺は空っぽな人間だ。その癖望みが高いから、この期に及んで救いが欲しいなんて思っちまう。だから───手伝ってくれよ、レグルス」
「──────はっ?」
彼女は今さっきまで殺し合っていた人間から出るとは思えない提案を聞いて呆気に取られる。
真意が全く掴めない、そもそも彼女は死柄木の過去も、それから今に至るまでの境遇も一切知らない為本当に脈略の無い話でしかないのだが……死柄木は一個ずつ話していく。
「確かめたいんだ。俺はもう死柄木弔じゃなくていいんだって事を、そして『死柄木弔』って人間の存在意義を、あの人から聞かないといけない。俺だけの話じゃねえぞ、お前にも関係がある。何せ春にお前を襲撃に誘ったのも、その後弱み握った状態で雄英に泳がせてたのも全部先生の提案だったんだからな」
自分の悲惨な過去を語ったところで、彼女は一切の感情を見せないだろう。精々大口開けてその白い髪を掻き乱しながら爆笑するくらいか、まぁそんな事やっているも時間もない為、彼女に関係する事のみを語っていく。
そもそも連合とレグルスが関わり出した発端はオール・フォー・ワンであり、そこから職場体験までの数ヶ月間───彼の掌の上で踊らされていた事。
もしもオール・フォー・ワンが全ての黒幕ではなかったとすれば、とばっちりもいいところだろう。
だが存在意義を失った『死柄木弔』にとってはどうでもいい事だ。
少なくともこの場で無惨に殺され、仲間達も殺され、過去の真相も分からずに終わるよりは何倍もマシだ。
故に彼が狙うのは、利害の一致によるほんの一時的な協力関係───、
「俺もお前も、あの人を無視できない事情がある。ならそれを、お互い優先的に行動したって悪くないんじゃねえのか? お互いこんだけ啀み合って、力を無くした途端お前を頼るなんて虫の良すぎる話だってのは分かってるよ。でも、色んな事が立て続けに起こって、身体もあちこち痛くて、そんな中で必死に頭回して考えついたのがお前の力を借りる事だった」
彼自身、こんな状況でここまで冷静に話せる事に驚いていた。
『死柄木弔』の個性が無くなってしまったせいで、今までの事が何処か他人事のように思えてしまう。
逆に志村転弧だった頃の記憶が、以前よりも鮮明になっている気がする。
十年以上前に聞いた友達の声だって思い出せる。
「あのさぁ、一人で盛り上がってるところ悪いんだけど却下だよ。君の言い分は概ね理解できた、要はお互いの目的が同じだから一時的に手を組みたい、そういう事だろ? 君にとってはそれが最適解なのかもしれない、なら私にとっては? 仮に私が君と手を組んだとして、足手まといが増えるだけだ。利害の一致なんかじゃない、私の栄光に肖ろうとしてるだけだろうが」
あの時もし誰かが手を差し伸べてくれてたら、この痒みは治まっていただろうか。
そんな叶いもしなかった願いが今、この世で最も嫌いな女に叶えられてしまった現実が彼を前に進ませる。
どれだけ惨めでも、どれだけ泥臭くても、弱くても脆くても……僕が『志村 転弧』として生まれた意味を信じて。
「お前がわざわざ俺を連れて行く意味が欲しいっていうなら遠慮なくやるよ。特等席で俺の醜態を笑う権利だ、ほら好きだろ? 権利。それでも割に合わねえって言うなら教えてくれよ、『無欲』なお前が望む対価をよ」
彼の考える”最悪”の事態が現実になってしまえば、きっと今ほど冷静では居られないだろう。
失くしてしまったもの、自らの手で奪ってしまったものが頭の中に溢れかえって泣き叫びたくなるだろう。
そう考えると、オール・フォー・ワンの所へ行くのがどうしようもなく怖くなってしまう、怖気付いてしまう。
だから此奴に、笑っていて欲しい。
オールマイトみたいな人々を安心させる笑顔とは程遠い、『完成された自分』をその鏡に映すためだけに人を見下し嘲笑う、酷く独善的な笑顔。
きっとそれだけが、どれほど絶望的な状況に陥っても自分を突き動かしてくれると、そんな言語化し難い自信があった。
「なるほど、君なりに私を楽しませる道化として踊ってくれるわけだ。つまり君は私を楽しませる為なら、私に対して舐め腐った態度で無礼を働いてもいい、そう解釈してしまったわけか。筋違い、見当違いも甚だしいな。もはや何も残っていない君から貰い受けたいものなんて私には無い。君は今の自分に何か私の心を動かしうる程の価値があるように語るけど、烏滸がましいにも程があるんだよ」
別に彼を連れて行くことなど彼女にとっては造作もなく、『無欲』である以上見返りなど求めてもいない。
ただ死柄木弔の言葉に込められた打算を見透かした上で頷いてしまえば、それは彼に利用される事を許容するのと同意義。
「私はお前に言ったよね? 最も醜く、最も惨たらしく、一欠片の救いもない、孤独で無様で憐れな死を迎えて欲しいってさ……なぁ、言ったんだよ! 私はお前を許す訳でも、許したい訳でもない。いい加減足掻くのを辞めて、全部諦めろよ。どうせお前には何も出来ない、何も成せない、何者にもなれない、もがき苦しみ続けるだけの屑なんだからさぁ! 自分の弱い所を自覚して、私に見せて、それで開き直ったつもり? どこまで傲慢なのかなぁ!?」
言い方など関係ない、彼女の言っている事は正しい。
彼自身、具体的な未来を思い描いてる訳じゃない……真相を知りに行った所で、失ったものを並べた所で、戻ってくるわけじゃない。
たがそれでも、今ここで諦めることだけは───、
「そうだよ、俺は傲慢なんだ。弱いところも見せる。脆いところだって見せる。どうしようもなく、ちっぽけな野郎なんだってところだって見せてやる。でも、諦めるところだけは見せない。見せたくない、だからその気持ちをひっくり返しちまうくらい、お前が凄い奴だってところを見せてくれ」
傲慢で、物分りが悪くて、馬鹿で諦めが悪い俺でも認めちまうくらい凄い奴だってところを見せて欲しい、と語る彼の表情はえらく素直だった。
彼は幼い頃ヒーローを夢見ていたが、憧れたヒーローは居なかった。
───テレビに映るオールマイトやエンデヴァーも、かっこいいけどその程度だ。
───写真でしか知らない祖母も、ヒーローを目指す上でとても勇気ずけられたけど、それ以外は何も知らない。
彼女は語った、『英雄』───『強さ』その言葉を擬人化したかのような存在が、英雄を目指す上での原点であったと。
「お互いもう許されないほど人を傷つけちまった。法律から逃げようが、世論を無視しようが、その罪は消えない。それでもお前は自分の正義を貫き続けられるってところを見せてくれ。この際ヴィランだろうとヒーローだろうと、何だっていい。特等席でそれを見届けて、お前が『剣聖』よりも凄い奴だって事を認めてやる」
胸元を掴む手を払いつつ、彼女を試すような言葉を投げかける。
もう自分の中で、オール・フォー・ワンへの疑惑は殆ど確信に変わっている。
その真実を奴の口から聞き、戦う事になればレグルスの力は絶対に必要だ。
いや、そんな打算的な思いだけじゃない……もっと根本的に、素直で子供っぽい感情が心に湧いてくる。
目に映るだけで腹立たしいほど嫌いなのに、何故か湧き出てくる形容し難い感情が。
「未完結を言い訳にみっともなく足掻き続けるお前達と、完結した個である私とじゃお話にならない。他人と比較することでしか、自分の価値を確かめられない愚図どもが。偉そうに私を評価するんじゃない。『剣聖』を知らないお前が、どういう尺度でものを語ってるんだよ? 是非とも聞かせてもらいたいもんだね、君一人の評価が私というこれ以上向上する余地のないほど完璧な人間にどんな影響を与えてくれるのかをさ」
彼女の根底にある願いが、この世界に生まれた頃より抱え続けた『強欲』が、その何もかもが見透かされているような気がしてならない。
「俺は『剣聖』を知らないし、その物語すら知らない。ヒーローって存在すら、俺の中じゃ空想の存在も良いとこだ。だから、その最高峰を見据えてたお前に、教えて欲しいんだよ。この期に及んで救いを求めて、命懸けて殺しに行った相手に頼っちまうほど、どうしようもなく情けない俺に」
どれだけ強大な力を得ようが、どれだけ数を増やそうが、その両手に持てる命の数には限度がある、そこに例外はない。
志村 転弧は選ばれなかった、溢れてしまった側の人間だ。
それを理由に今までの悪行を正当化してもらおうなんてのは、『傲慢』すぎる思考だ。
「力のない俺は、お前の助けにはなってやれない。それでもお前に助けて貰いたい俺ができることっつったら、もう縋りついて頼み込むしかない」
彼は傷だらけの右腕を彼女に差し出して、今までのような憎悪と悪意に満ちた笑みではなく、素直で、真摯な表情を浮かべて言葉を投げていく。
例え彼女が求めていなくても、彼は意志を曲げない。
「俺を助けてくれ───レグルス」
冷たい瞳でこちらを射貫くように見つめる彼女の真意は掴めない。
これだけ周りを巻き込みながら啀み合ってきて、遂に決着がついたかと思えばそれを棚に上げて、『助けて欲しい』だなんて身勝手にも程がある。
そんな冷静な思考とは裏腹に、その右手を引っ込める気には微塵もならなかった。
在り方も、犯してきた罪も、全てを認めた上でその手を取って欲しかったのだ。
かつて家族を殺した時、誰でもいいから助けて欲しいと心から願った時のように───今度こそ、僕を選んで欲しかった。
「私は既に満足だ。これ以上欲しいものも、必要なものも無い。その上、私は君を助けてあげたいだなんて微塵も思わない。その惨めさに同情する気も無い。今ここで君の手を取ることも、君がその手を私に伸ばすことも、何の解決にもなりはしない。なのにどうしてそう強情になれるのか、理解に苦しむよ」
「考えたって分からねえなら、いっそ委ねてみろよ!」
ほんの一時的でいい、善意などいらない。同情などいらない。
ただ死柄木弔という存在意義を失った空っぽな人間は、誰にも手を差し伸べて貰えなくて泣いていた志村 転弧という少年は───意地を張ってその手を伸ばし続ける。
「俺だってもう頭の中ぐちゃぐちゃ過ぎて訳分かんねえよ。それでも確かな事だけを並べて、優先して動いてるだけだ。頼むよレグルス、力を貸してくれ。邪魔をするつもりは無い、ただほんの少しだけ力を貸してくれるだけでいい。頼む──────」
荒れた目元から零れ落ちる一雫の涙。
自分自身、情けなくて堪らない。
幼い頃、手を取って抱きしめてくれた恩人が怪物だったかもしれないというのに、またこうして自らそれを超える化け物に手を伸ばしているなんて。
誰かの助けがないと、自分がいる意味さえ確かめられない、そんなどうしようもない弱さを自覚する。
それでも今は前へ進みたいのだ。
例え大嫌いな相手から貰った借り物の勇気でも、この胸に抱いた気持ちは───今も尚色褪せずに残っている、あの頃の気持ちは嘘なんかじゃないと信じて。
「俺を選んでくれ───レグルス」
自分が化け物である事を認め、個として生きるよりも愛する人を受け入れた方が幸せになれると認め、誰からも許されない在り方を貫き続け、それでも捨てきれない『英雄』への憧れと、劣等感。
───もう一人の自分と戦っている最中、不完全でありながらも英雄を名乗り、剣聖に倣って何処かの未来で有り得たかもしれない自分を打ち倒した。
それでも目指した蒼空はずっと遠くて、この夜は明けない。
目の前に立って、必死に感情を閉じ込めてこちらに手を伸ばしている彼を選べば、この夜は明けるのだろうか。
よりにもよって、彼を選べというのか。
───『お前が剣聖よりも凄い奴だって事を、認めてやる』
どこまでも不遜な態度で、みっともなく敗北した弱者のくせに上から目線を貫いてくる彼を選べというのか。
壊理の英雄である事を望んだのに彼の手を英雄として取るのは、『強欲』すぎるんじゃないのか。
『剣聖』を思い浮かべる……『ナツキ・スバル』を思い浮かべる、彼らの在り方を、思い浮かべる。
『強欲』なんかじゃない、多くを望んでいる訳じゃない。
大小問わずただ無くせないものを背負って、守り通してるだけだ。
彼らなら───どうする?
「答えが出せねえなら、こっちから言ってやる」
胸に抱き続けた原点と、彼女の心を占める小さなプライドが拮抗する。
そうして選択する事すら出来ない状況を見兼ねた彼は一歩前に出て、彼女の目の前にその手を差し伸べる。
図々しく、それでいて切実な願い。
和解などとは程遠い、歪んだ雰囲気の中で取れている調和。
彼、志村 転弧は言葉を紡ぐ。
「俺を選べ、レグルス」
───それ以上は何も言わず、再び夜の静寂がこの場を優しく抱く中、少女の舌打ちだけが時を刻む時計の針のように鋭く響いた。
***
視点は一転、別の戦場へと移る。
そしてこれは彼ら、敵連合とレグルスの決着が着く少し前の出来事である。
そこはトゥワイスの無限増殖が織りなす混沌の坩堝───トゥワイスの分身は、単なる耐久性の低い複製を超えた凶悪な脅威だった。
彼らの動きは予測不能、統制を欠きながらもその数が圧倒的な暴力である。
「───考えろ、どうすればこの状況を巻き返せるか、単純に腕一本犠牲にスマッシュを打ったところで一時的に道を作れるだけ。この無限増殖をどうにかした後の逃走まで考えると自損覚悟でスマッシュを連発するのは現実的じゃ……ちっくしょう! 考えるんだ、木偶の坊で終わるな緑谷出久……!」
例え緑谷と轟の二人だけでも、逃走に徹すればこの状況から抜け出す事は可能かもしれない。
だがトゥワイスを放置して避難し、その結果被害が広がればそれは自分達の責任になる。
「親父には頼れそうにねえな。クソっ、俺に赫灼が使えれば……!」
轟の呼吸は荒く、度重なる氷と炎の切り替えに疲弊が滲んでいた。
未だ左側───炎熱のコントロールは完璧ではなく、右側の氷結と比べ精度も出力も劣る。
彼らの心に焦りと使命感がせめぎ合う。
これ以上時間を稼いだところで敵が大人しく自分達を狙い続ける保証も、この状況を打破できるヒーローが応援に来る保証もない。
緑谷は戦場の全体像を脳裏に焼きつけ、トゥワイスの分身の動きを観察し無秩序に見える波の中にも微かなパターンがあることに気づく。
分身全員が同じ意志を持っているからこそ、統率をとるものが居なくてもある程度纏まっているのだと。
「仲間割れは現実的じゃないな。これを利用するなら───轟君、僕が起点を作るからその後を頼めるかな……! 今の僕じゃ決定打を作れない、でも轟君なら───」
「一撃で全部もってけるってか? まぁ方法が無いわけじゃねえが……やるしかねえみてえだな……!」
具体的な作戦会議などしている暇は無い、二人とも無限に湧き出てくる分身に注意を向けながら策を練り、個性のコントロールも兼ねている。
端的に言えば二人のスタミナは既に限界が近い。
故に今まで防戦一方だったこの状況を打破する為、彼らの方から勝負を仕掛ける。
緑谷出久が考えたこの状況を打開する為の起点、それは───。
「おい、僕を殺してみろよ! この、クソ野郎共───!!」
あまりにも稚拙な挑発。
レグルスのように他者を蔑む方面に舌が回る訳でもなければ、爆豪のように息を吐くように暴言が口から出る訳でもない彼にはこれが限界だった。
だが、この無限に増殖するトゥワイスの内一人でも挑発に乗ってしまえばそれは───、
「あの雄英生、今俺を馬鹿にしやがったぞ!」
「ハハッ、馬鹿にされてやんの」
「違う俺達が馬鹿にされたんだ!」
「何だと!? それは許せねえ!」
「舐めてると潰すぞガキィ!」
数千、下手すれば数十万の分身達が一斉に緑谷に向かって波のように押し寄せ殺到する。
そうしてあっという間に囲まれ、轟とも逸れるが緑谷は臆せず笑う。
「大丈夫、轟君を信じろ───!」
左腕にワン・フォー・オールを集中し出力を上げていく。
例え片腕が潰れてもまだ動く事は出来る、最優先はこの状況を打破し勝利する事。
今は勝利だけを見据えて行動する。拳を握って腕を引き───力のままに勢いよく振り上げる。
ワン・フォー・オール100%
「───SMASH!!」
───刹那、轟音と共に竜巻に近しい旋風が緑谷の拳圧により生じた。
凄まじい拳圧が爆発し、その旋風はトゥワイスの分身達を密集させ渦の中心へと巻き上げる。
と、同時に腕の痛みから歯を食いしばってフルカウルを使用し、生じた風圧の外側へ瞬時に移動する。
そして合図する、この密集し身動き一つ取れない風圧の中でも増殖を続ける分身達を一撃で葬れる友人へと───。
「──────轟君っ!!」
「相変わらず馬鹿みてえなパワーだな緑谷っ!」
炎のコントロールは未熟で、赫灼の習得には程遠い。
その原理は熱を極限まで高め、凝縮した後放出する必殺技。
その原理自体は理解している轟は考えた───左で出来る事は、右でも出来ると、そして右側を操る精密さならば……その幻想を可能に出来る。
右手の氷結を最大限に高めつつ一歩踏み出し、渦に巻き上げられている群れに狙いを定めた。
右手を押し当て、赫灼熱拳の要領で氷結の力を凝縮。
「冷やせ、限界までッ……! もっとだ、もっと───凍て尽くせッッ!!」
───凝縮した氷結を一気に解放、膨大な冷気が爆発的に広がる事で巨大な氷の波濤が竜巻の中心を直撃し密集したトゥワイスの分身を呑み込んだ。
氷は分身達を瞬時に、その内部ごと凍結させる事で一掃する。
そして轟の最大出力を凝縮した冷気は戦場全体に行き渡り───碌な体温調節も出来ない状態で限界を超えた轟焦凍の肉体には霜が降る。
「よく頑張った、凄いよ轟君! 君を信じて正解だった……! 後は僕が運ぶから、ゆっくり休んで!」
「わ、りぃな……指一本、動かせねえ……」
方や片腕が使い物にならず、方や全身が冷えきって気を保つ事すら難しい状態でこれ以上プロヒーローの足を引っ張るわけにはいかない。
レグルスと対話し、あわよくば連れ戻したかった彼らだが今やそれも望み薄……いや、それは諦めずとも現状はここから離れるしかない。
そもそも何故彼らがここまでしなくてはならなかったのか、それはプロの応援が遅いのもあるが一番の理由は───、
「君の息子だろう? 素晴らしい活躍じゃないか。漸く子育てに成功したんだねエンデヴァー、そのイロハを僕にも教えてはくれないかな?」
オール・フォー・ワンによる嘲笑を含めた妨害行為。
泥ワープを使えばエンデヴァーが抱えてる二人の男を助け出す事など造作もないがヒーローには守るものを持たせてこそ、それに足を引っ張らせる事が出来る。
「焦凍っ───貴様らぁ!」
「愛する息子が危機に瀕して怒ってしまったかな? でもダメだよ、君は人の親である前にヒーローなんだから、抱えてる荷物を下ろしたりしちゃいけない」
彼の口数は減らない、目的はエンデヴァーを足止めする事で殺す事ではないのだから。
「そういえば、さっきの君の言葉何だったかな? ───『君はヒーローになれる』良い言葉じゃないか。本当にそれを言うべきだった相手に言えなかった事を悔やんでいたから、つい彼女と死んでしまった息子を重ねてしまったのかな? あはははっ、酷いやつだぜエンデヴァー」
エンデヴァーの視線が、目の前にいる魔王へ釘付けになる。
敵の口車に乗せられるなど、あってはならないはずだが───今の彼にとってその言葉は、余りにも聞き捨てならないものだった。
「なぜ……何故貴様が、燈矢の事を───!」
「そりゃあ知ってるに決まってるだろう? 国が誇る不動のNo.2が息子を死なせたなんて、いかにも僕が好きそうな話題だ。君が彼女を極悪非道のヴィランだと一蹴せず対話し認めようとしたのは、二度と繰り返さない為って所か───遅い、遅すぎるぜエンデヴァー」
過去は消えず、塗り替えようと行動すればする程───その過去は色濃く残っていく。
正義感、使命感に駆られて彼女に言葉をかけたと思い込んでいた彼は無意識の内に死んでしまった息子と彼女を重ねてしまっていたのかもしれない。
ヒーローの道を閉ざされ、ヴィランとなり正義と悪の区別も曖昧なまま自己中心的に力を振りかざす彼女を救う事が出来れば、もう一度やり直せるんじゃないかと甘えた考えを持ってしまっていたのかもしれない。
そんな彼を、オール・フォー・ワンは全否定するように嘲笑う
「やはり君は相当の年月が経ってなお、オールマイトより遥かに劣る。コミックのように、主人公の強大なライバルにさえなれないただのゴミ。脇役以上主役未満の噛ませ犬だ」
「──────ッ!!」
言葉と共に空気を圧縮した衝撃波をエンデヴァーに放つ。
死にはしない程度の威力に留めて尚その衝撃は凄まじく、エンデヴァーと言えど……ましてや人を抱えた状態では相殺しきれるわけがない。
「仲間が傷を負う事すら厭わないのか、それとも使い捨ての駒が消えようと計画に支障をきたす事は無いのか……どちらにせよ、これ以上遊ばれる訳には───」
「物体への時間停止に、巻き戻し……彼女達の個性はもはや特異点を迎えていると言っても過言じゃない。何より凄まじいのは、その強大な力に対し完璧なまでに適応している肉体だ」
世間話をするように、レグルスについて語るオール・フォー・ワンの瞳にエンデヴァーは映っていない。
全盛の肉体を取り戻した彼にとって手負いのNo.2はもはや驚異ですらなく、それは例えオールマイトが来ようとも変わらない───はずだった。
サーチでオールマイトの位置を常に確認していたオール・フォー・ワンの目が見開かれる。
全盛の頃とは程遠く、一定の速度でこちらに向かっていたはずなのに
「急に、スピードがっ───!?」
「──────SMASH!!!」
無防備な顔面に叩き込まれるNo.1の拳───その直前、彼の瞳に映ったオールマイトの背中には緋色の剛翼が生えていた。
そんな個性を持つ者など、ただ一人。
「エンデヴァーさん! 思ったより大丈夫そっすね、状況は?」
「遅いぞ! とりあえずこの二人を運べ、重傷者と捕らえた連合のメンバーだ。他の奴は騒ぎに乗じて逃げた、今のところ我々に残された敵は奴一人。それと雄英生が二人!」
「あーはいはい大体分かりました」
駆けつけてきてくれたホークスに対し、冷静に状況を伝えるエンデヴァー。
死柄木の個性とレグルス達もここに来ている事を知らせ、改めて優先順位を組み立てていく。
「オールマイトさん、複製のオール・フォー・ワンに相当消耗させられちゃったみたいです」
「あのメリケンも衰えたものだな!」
剛翼のサポートにより何とか勢いを保てているものの、その肉体からは既に活動限界を知らせる煙が湧き出ている。
短期決戦で決着をつけなければならない、そう語るホークス。
オールマイトとホークスが来てくれた事など、束の間の希望でしかない事が魔王により示される。
「なるほど、随分と無理をしているねオールマイト。まさか今のが全力かな?」
「いいや、また偽物ではかなわんのでな。今ので崩れんということは、貴様が本体だな!」
拳を振りかぶるオールマイトに対し、不敵な笑みを浮かべながら鋭く睨みつける。
エンデヴァーは殺さずにいたがオールマイトは別である、何せ憎き宿敵なのだから。
「僕の全盛がどれ程強大で凶悪だったかなど君が一番知っているだろうに、舐められたものだな」
彼は両腕を広げ、複数の個性を同時に解放する。
空気が歪み、赤黒い衝撃波と電撃の奔流がヒーロー達に襲いかかった。
「ふんっ───! まさかこれが全力かぁ!?」
「本当に、どこまでも馬鹿げてるな君は」
衝撃波を拳一つで相殺するオールマイトに対し彼はどこまでも余裕そうな表情を崩さない。
彼にとってはこの程度の攻撃など無尽蔵に放てるが、オールマイトにとってはこれを相殺するのがやっとなのだから。
全盛の肉体を取り戻したオール・フォー・ワンに死角はない。
限界を超えその姿を保つ事で精一杯なオールマイトも、ただ暑苦しいだけの熱を放出するしか脳のない二番手も、ちょこまかと小賢しく飛び回る若造も───全て取るに足らないゴミ虫だ。
エンデヴァーは炎を吹き上げオールマイトが全力を叩き込む為の隙を作ろうとするが、数多の個性を組み合わされ熱を完全に無力化されてしまう。
やがて個性の連撃に押され炎が弱まり、汗と血にまみれた顔に疲弊が刻まれる。
ホークスは羽を操り、電撃の間隙を縫ってオールフォーワンに接近を試みたが突如放たれた重力波に弾かれ、瓦礫の山に叩きつけられる。
オールマイトは力を振り絞り拳を振り下ろしたが防御に特化した個性を併用され、スマッシュの衝撃を吸収し、反射する事で彼の身体を後退させる。
オールマイトの呼吸は荒く、かつての無敵の輝きは既に薄れていた。
エンデヴァーの炎が消えかけ、ホークスの羽が地面に散り、オールマイトの拳が震える中、やがて顕になってしまう……ヒーロー達の限界。
「既視感のある光景だ。いつもそうだった、常に力を受け継ぎ、背負った者が僕を止めようと立ちはだかる。その力量差から目を逸らし、何の力にもならない弱者の願いを背に借り物の勇気で立ち向かってくるんだ。自分は魔王を倒すべくして生まれた特別な人間だとでも言うかのように」
「理想ばかりが先走り力が伴っていないゴミばかり。ワン・フォー・オール継承者はそれを『次に託す為』と言い訳し、先代に託された責任から逃げていくんだ。そして、僕の目の前でみっともなく死んでいく。ワン・フォー・オール生みの親として恥ずかしいよ」
息も絶え絶えなオールマイトを煽りながら、悠然と歩を進める。
ホークスも、エンデヴァーも諦めてなどいない。
他のヒーローも、段々と戦場に近ずいて来ている。
グラントリノ、エッジショット、Mt.レディetc───。
それら全て、彼の眼中にすらない。
「先代継承者の志村奈々も例に漏れず、実にみっともない死に様だった。諦めない事が美徳だと信じ、家族よりも身の丈に合わない使命を優先した女の惨めで無様な死に様を聞きたいか? オールマイト」
「貴様ぁぁあああ!」
「《固定》+《凝縮》+《チャージ》+《増幅》」
固定された空気を凝縮し、そこに運動エネルギーをチャージし増幅。
それを中指で弾き、手負いのヒーローに向かい放出する───。
「彼女には劣るが、これもこれで中々楽しい組み合わせだな。おっとすまないオールマイト、何か言いかけてたかな?」
度重なる衝撃波をその身で受け続け、膝をつかないように足に力を込めて立つ事が精一杯なその姿は、もはや彼にとって完全に脅威ではなくなった。
「緑谷出久が見ているよオールマイト。ふふふ、あははははは! 彼が継承者なんだろう? 丁度いいじゃないか、志村奈々の死に様と同じように君を殺してやろう。君に用意したとっておきのプレゼントを楽しんで欲しかったんだが、今の君にはその事実に絶望する余力すら無さそうだ」
「オール・フォー・ワン……! 私は貴様を……!」
オールマイトの首を掴みあげ、清々しい程の嘲笑を浮かべるオール・フォー・ワン
誰もがその光景から目を逸らしたかったが、そんな事出来るはずもない。
ヒーロー達も、緑谷出久も、微かに意識を保っている轟焦凍も、誰もが動かない身体を必死に動かし彼を……平和の象徴を助けなければと思っている。
それが現実となる事は、ない───、
「さらばだ、オールマイト」
その腕からは想像もできないほど強大な力がオールマイトの首を締め上げる。
呻き声を洩らし、オール・フォー・ワンを睨んでいるオールマイトがその命を奪われようと─────────何が、起きた?
この場にいる全員、何が起こったのか全く分からなかった。
状況を言語化するなら、そう……『首を締められていたオールマイトが気づいたらそこから離れた場所に立っていた』としか言いようがない。
幻覚だとかワープだとか、そんなものじゃない。
当のオールマイトでさえも、気づいたらそこに居たとしか言い表せなかった。
「何が───いや待て、まさか!」
その真相にいち早く気づいたのは『サーチ』を急いで使用したオール・フォー・ワンだった。
その少女はゆっくりと歩を進め、その姿をさらす。
その少年はゆっくりと歩を進め、魔王を見据える。
そうして一言、彼女は言い放つ。
「────そこまでだ」