××年後にBSSする鬱死人 作:純愛派
あれからよもぎくんは人が変わったかのように鍛錬に打ち込むようになった。元々休日も真面目に励むタイプではあったのだか、その比ではない。平日の放課後ですら体力の限界まで体を鍛えていたり、霊力が尽きるギリギリまで鬼道を的に撃ちこんでいたりしているようなのである。
今日のような休日は朝から稽古場に篭りきりだ。休息を取らせようとすると逃げ出すこともある。
「――聞いてる?」
「……ん、」
どうにか捕獲し、引き摺るように中庭に連れてきたはいいものの、と横顔を伺う。肝心の彼女はといえば、おやつを手に持ったままうとうとと頭を揺らしていた。これなら自室に帰って横になった方がいいだろう。
うっかり落とす前におやつを取り上げてしまおうとしたが、寝ぼけたままの彼女は妙にしっかり掴んでいる。執念か、はたまた本能か。単なる食い意地かもしれない。軽く引っ張ると、おやつを握ったままの腕がつられて、上半身ごとぐらりとこちらに傾いた――が、寝ぼけたままの体は器用にバランスを取り直し、そのまま何事もなかったかのように船を漕いでいる。
落とさないのならそれでいい。そういうときの彼女は見ていられないほど落ち込むのだ。今回は大丈夫そうなのでそっとしておくことにした。
「まったくもう……」
溜息まじりにそう呟くと、彼女は漸く顔を上げた。寝ぼけ眼のまま、焦点の合わない目でこちらを見つめてくる。まるで夢と現実の境目を彷徨っているようだった。
「毎日頑張っているのはすごいと思う。それでもたまには休まないと体を壊してしまうよ」
傷付けてしまわないよう言葉を選びながらそう伝えると、彼女はぽつりと小さな声で答えた。
「でも、強くならなきゃ……だめだから……」
その声音には、夢うつつとは思えないほどの切実な響きがあった。諦めに似た静けさと、何かに取り憑かれたような焦りが、彼女を駆り立てている気がした。
僕は思わず息を飲み、視線を落とす。それでもどうにか呼吸を整えて、彼女を否定しないように、そっと言葉を紡いだ。
「……それで体壊してしまえば本末転倒だろう。それに、休むことも強くなるための大事な手段だ。わかるかい?」
「……わかるけど」
むくれたようにそう返し、彼女は手の中にあるものにかじりついた。咀嚼する様子を黙って見ていると、よもぎくんはまた一口、また一口と口に運ぶ。僕の目には、それがただ、機械的に繰り返される動作のように映った。
「それ、おいしい?」
「……うん」
「そう。良かったね」
「うん……」
彼女は食べながら頷いた。そして最後の一欠片を口に押し込むと、立ち上がって稽古場の方へ向かおうとする。僕は中腰になりながらその腕を掴んだ。
「待ちなよ。食べたばかりで激しい運動は体に悪い」
「でも、」
「でもじゃない。ほら、少しここで休もう。ね?」
掴んだ腕を軽く引くと、彼女は迷うように一瞬こちらを見たものの、静かに腰を下ろした。僕も不自然な体勢を崩し、同じように腰を下ろす。彼女は何か言いたげに僕の顔を見つめていたが、僕も同じように黙ってその顔を見つめ返す。
そうして先に視線を逸らしたのはよもぎくんの方だった。ばつが悪そうに小さく身じろぎし、膝を抱えて座り直す。
「鍛錬は楽しい?」
そう問いかけてみたが返事はなかった。よもぎくんは膝を抱いたままじっとしている。それでも、暫くの間そうしていると、彼女はぽつりと呟いた。
「……たのしくない」
小さな声であったが、それははっきりと僕の耳に届いた。彼女はそう言ったまま、足元に落ちる自分の影をじっと見つめている。
以前は元気に跳ね回ったり、出来るようになったことを僕に披露していた彼女が、今では強迫観念に取り憑かれたように鍛錬に打ち込んでいる。そんなよもぎくんが「楽しい」なんて言う筈がないとはわかっていたが、それでも聞いてみたかった。
「つらい?」
もう一度問いかけると彼女は小さく頷いた。
「たのしくない。つらい」
「うん」
「もう、やめたい……」
「そう」
「でも、やめられないの……だって、わたし……」
彼女の声が徐々に小さくなっていく。俯いた顔は髪に隠れて表情までは見えなかった。けれど、そこには僕の知らないよもぎくんの痛みがあるのだと思う。
しばらくの沈黙のあと、彼女はそっと立ち上がった。
「休憩できたからもう平気。鍛錬に戻る」
「……程々にね」
「うん」
小さく頷いた彼女は鍛錬場に向かって歩いていく。僕はその後ろ姿を黙って見送った。どうせ引き止めたところで、これ以上は無駄だとわかっていたからだ。その小さな背中には明らかな疲労の色が滲んでいたが、それでも彼女は足を止めない。それがなんだか痛ましく思えてならなかった。
(あれで本当にいいのだろうか)
ふと、そんな疑問が頭をよぎる。しかし何をどうすればいいかなど、僕にはわからなかった。僕に出来ることといえばこうして鍛錬を中断させ休憩させてやることぐらいだ。そんなことでは気休めにしかならない。
「はぁ……」
思わず深い溜息が漏れた。
初めは楽観視していた。あの怪我で自分の無力さを知り、鍛錬に打ち込むようになったのだろうというのが明らかだった。助けてくれた死神との実力差を痛感したのだろう。それが手に取るようにわかるのは、僕自身かつて、現世演習の日に同じように打ちのめされたからだ。あのときの無力感を、今でもはっきり覚えている。
だから僕と同じように『相手は護廷十三隊の隊長で己はまだ霊術院の院生なのだから、そう焦って追いつこうとしなくてもいい』のだとすぐ思い直す筈だと、そう思っていた。
「それがもう一年近くも……」
「何が一年近いの?」
嘆くように吐いた独り言に、まさか返答があるとは思わず肩が跳ねる。振り返ると、そこには雛森くんがいた。
「ごめんね、驚かせちゃった?」
「あ……いや……」
謝る雛森くんに僕は首を横に振った。気にしないでくれと返せば、彼女はいつものように穏やかな笑みで頷いた。
「何か悩みごと?」
「ああ、いや……」
雛森くんとよもぎくんは面識がなかった筈だ。*1無関係な彼女に話していいものか、どうか。
僕が口をつぐんだのを見て、雛森くんは空気を和ませるように、優しく微笑んで言葉を続けた。
「お節介かもしれないけど、関係ない相手の方が話しやすかったりするんじゃない? だからもしあたしに話せることだったら相談に乗るよ」
「そうだね……お願いするよ」
「うん!」
雛森くんは嬉しそうに頷き、隣に腰を下ろした。僕はそんな彼女に甘えさせてもらうことにして、「友人の話なんだけど、」と切り出し、先ほどから頭にあったことを話し始めた。とはいえ、他人のことであるため少々ぼかしながらではあるが。
「僕らは藍染隊長……に憧れてるだろ? だから早く追いつきたくて鍛錬に打ち込んでる。その友人も、きっとそうなんだ」
僕自身は市丸副隊長にも憧れているのだが、この話ではそれは重要じゃない。そもそもあの人は、
話しながら、先程の膝を抱えていた少女と同じように、自然と地面に視線が落ちていた。僕の影の中を、蟻の一列が黙々と横切っていく。彼女もこれを眺めていたのだろうか。
「そうだね」
「でも、藍染隊長だって多くの経験を積んでその地位にいる。それこそ五十年や百年ではきかない程のね。だから、僕らがその域に到達するにはまだまだ時間が必要なんだ」
「そうだね……」
雛森くんは真剣な様子で僕の話を聞いていた。僕は俯いたまま言葉を続ける。聞き上手な彼女のおかげなのか、それとも誰かに聞いて欲しくて仕方がなかったのか。知らず知らずのうちにいつもと比べ物にならないほどに饒舌になってしまっていた。
「なのによもぎく……僕の友人は『時間がない』だとか『早く強くならないと』だとか言って、鍛錬ばかりで些とも休もうとしないんだ。僕らはまだ死神になってすらいないのに。あれは焦っているようにしか僕には思えない。でも、僕らはまだ学ばなくてはならないことが沢山ある。ここで無理をすれば体を壊しかねないし、そもそも今焦ったところで意味がないだろう? だから今は……。あっ、すまない。こんなに矢継ぎ早に、愚痴みたいに言うつもりは……」
自分でも何を言っているのかわからなくなってきてしまい、焦りを誤魔化すように言葉を重ねながら顔を上げた。視線を向けた先で雛森くんは大きな目をぱちくりと瞬かせていた。思わぬ反応に僕は首を傾げる。
「雛森くん?」
「……あ、ごめんね! ちょっとびっくりしちゃって」
「いや、うん。僕の方が……」
もう一度謝罪を重ねれば彼女は慌てて首を振った。そして、「ううん、違うの!」とまたも笑顔で首を振る。
「吉良くんその子のことよく見てるんだなぁと思って。大切なんだね」
「……友人だからね」
面と向かってそう言われると気恥ずかしいものである。僕は思わず視線を逸らした。視界の外で彼女がふふっと笑みを零したのがわかった。同級生に微笑ましがられていると思うと、顔がじんわり熱くなる。
「吉良くんが側にいてあげればきっと大丈夫だよ」
「そう、かな……」
「うん! だって吉良くんの話聞いてて思ったの。その子、吉良くんには心を許してる。だったら吉良くんがその子を支えてあげればいいんだよ」
雛森くんの言葉はとても真っ直ぐで、すとんと胸に落ちてきた。
――これまでのよもぎくんとの日々を思い返す。小柄な体で僕の歩幅に合わせてちょこちょこ歩いていたあの姿も、稽古後にくたくたになりながら「イヅルくんみたいになりたいな」と言っていた顔も、まだ昨日のことのように思い出せる。
あの子が僕に心を預けてくれていたのなら、これからもきっと支えになれる。そんな風に自然と信じられた。
「そうだね。なんだか気が楽になったよ。ありがとう」
「ううん、あたしは何もしてないよ」
雛森くんは首を横に振ったが、彼女がいなければ僕は未だに暗い思考の渦の中にいたことだろう。
雛森くんと話していると、いつの間にか肩の力が抜けている自分に気づく。無理に気を遣っているわけでもないのに、こちらの緊張をするすると解いてくれる。人に寄り添うのが本当に上手いんだなと思う。そういうところも、彼女が多くの人に好かれる理由なのだろう。
そんな風にしみじみと感じていた矢先、雛森くんが唐突に口を開いた。
「あ、でもその子も藍染隊長に憧れてるってことは、五番隊に入りたいのかな? あたし達の代、五番隊の倍率がすごいことになりそう」
一瞬考えるのをやめてしまった。倍率がどうとか、どこから出てきたんだ。僕がぽかんとしている間に、彼女は腕を組み、ひとりで「うーん」と唸っている。言わんとしていることはわかる。わかるけど。
「倍率って……。希望した隊に所属出来るわけじゃないんだからそれは関係ないだろうに」
「そうだけど、やっぱり憧れの隊に入りたいでしょ?」
「それは、まぁ……」
確かにそうだ。僕だって五番隊に入りたいし、よもぎくんだってそうかもしれない。雛森くんは「あたしは別の隊所属になっても成果を出して五番隊に移籍する!」と拳を握ってみせる。可憐な見目に反してパワフルな彼女らしい考えだ。
「それで、よもぎちゃん? ってどんな子なの?」
妙に目を輝かせながら詰め寄る彼女につい腰が引ける。彼女はよもぎくんのことなんてほとんど知らないはずだ。それなのに、どうしてこんなに興味津々なんだろうか。少し戸惑いながらも、彼女の真っ直ぐな視線に流されるように素直に口を開いた。
「どんな子って……頑張り屋な子だよ」
「そっかぁ〜」
雛森くんはまた何やら嬉しそうに微笑んでいる。何かを想像しているようなその顔は、どこか楽しげで、やっぱり不思議な反応だ。彼女にしか見えていない何かがあるのだろうか? そう思って眉をひそめると、彼女は慌てた様子で両手を振りながら口を開いた。
「あ! えっとね、あたし、吉良くんのそういう話聞いたことなかったから、楽しくなっちゃったの」
「いや……別に構わないけれど……」
『そういう話』とは? と更に疑問が募ったが、また彼女のペースに巻き込まれるのもどうかと思い口を噤んだ。雛森くんは「それじゃあ、あたしも稽古してくるね!」と手を振って去っていった。僕もそれに軽く手を振り返し、その後ろ姿を見送った。
「……僕も頑張らないとな」
雛森くんの溌剌とした姿に触発されたように立ち上がる。重たかった思考の靄が、少しだけ晴れた気がした。
次回は試験&合格発表&卒業回になると思うのですが、捏造マシマシです。いつ試験なのかとかもよくわからないので……。入隊試験受けに行ってから書くべき?