オレは駆けていた。
日の当たらない裏路地をタルや木箱を飛び越え、ひたすら走る。
ちらりと背後に目をやれば、数メートル後から凸凹二人組の騎士の姿が見え隠れしていた。
――本日は随分とやる気だな。
本来ならば、障害物が手助けしてくれて、簡単にやり過ごせるのだが。
毎回毎回苦汁をなめさせられているオレに、今度こそ騎士の誇りと意地を見せつけようと、粘り強くついて来ているんだろう。
その無駄に有り余ったエネルギーをもっと別の方向に活用してほしいもんだ。
もはやため息しか出てこない。
こうなったのも、オレが貴族の領地内にお邪魔したせいなんだが。
だからといって、甘んじて捕まるつもりもない。
一発気絶させて撒こうかとも考えたが、ここはあまりにも狭すぎる。
切った張ったなんてできない。かといって、このまま下町へ戻るのもまずい。
どうしたものか。
見上げれば、光の帯が青空から街を守るように覆っている。
――いやいや。
いくらなんでも、街から出るわけにはいかねーだろ……
浅はかな考えが過ぎり、即座に頭から振り払った。
仕方が無い。持久戦に持ちかけよう。
速度を落とさず、手前の左手の路地へ急カーブした。
次に目に留まった角を右へ。
まだ後ろの方では、例の騎士たちがヘトヘトになりながらもオレのフルネームを叫んでいる。
――しつこいな。
ヘドを吐きながら進んでいくと、次の分かれ道に差し掛かったところで丁度いい路地を見つけた。
しばらくあそこで身を隠すか……。
背後の視線に気を配りつつ、姿が見えなくなった一瞬の隙をついて、闇へと身を躍らせる。
連中の目から逃れる為、更に奥へ進もうとして、その片足が崩れた。
慌ててたたらを踏もうとするが、そこにあるはずの地面の感覚もなく、足は空を切る。
しくじった! こんな所に穴!?
そーいや、下町の道路工事は手抜きもいいところだからなあ。
などと降りかかった災難を冷静に受け止めつつ、身体をひるがえして、着地を試みる。
しかし、穴は想像以上に深く、地面に降り立った衝撃が鈍い痛みとなって足から膝へつき抜け、呻き声を上げてしまった。
住宅密集地帯の下に、簡単に地面抜けるようなふっかい地下あっていいのかよ。地盤沈下するぞ!
まだ痺れの残る両足を鞭打って立ち上がり、辺りを見回してみた。
どこもかしこも真っ暗で、湿った臭いが鼻につく。
地下水路だろうか。
とっとと脱出して、フレンにこのこと問い詰めねぇと。
――ん?
出口を探して注意深く周囲を見渡している中、何者かの視線を感じ、足を止めた。
それを「気づかれた」と捉えたのか、辺りから複数の気配が膨らんでいく。
騎士団の次は、なんだってんだ……っ。
「嘆いていても、始まらねえ。いっちょ、やりますか」
ニートを拾って
君が来て、私が逝っちゃって
私は駆けていた。
夕暮れ時、人気がないのをいい事に、帰り道を恥も捨てて全力疾走していた。
腕時計に目をやれば、短針は6時、長針は20分を指している。
――まずい、録画が間に合わない。
昨日の内に連続番組を予約録画しておくべきだったのだが。
徹夜のテスト勉強ですっかり忘れていたのだ。
運悪く両親は結婚記念日の旅行で不在のため、メールで録画を頼むことはできない。
勉強勉強と口煩い親がいなくてコレ幸いと思いきや、よりにもよって中間テスト一週間前に重なるとはなんたる不運。
もうため息しか出てこない。
断っておくが、決して頭が悪いわけではない。
ただそこそこの成績を保たなければ、自由になるお小遣いがもらえないだけだ。
録画なんて諦めてしまえば楽なんだろうけど、毎週欠かさず録っているので一回たりとも逃したくはない。
どうしたもんか。
見上げれば、空は既に暗闇と黄金色のグラデーションに染まっている。
ただ今日はいつもの光景とは少し違っていた。
「やけに星が多いわね」
時間帯を差し引いても、少々星が出すぎているのではないか。
私の住んでいる街は都会とまではいかないが、田舎というわけでもない。
「なんて空を気にしている場合じゃない! 時間が……!
こうなれば、最後の手段よ」
最後の手段――要するに近道である。
最初からそうしろと突っ込まれそうだが、いかんせんその近道とは「部品工場の裏にある、普段だれも立ち入らない不気味な森の中を迂回せずに直進する」というもので、避けたい手だったのだ。
森は朝夜問わず薄暗くて近寄るのも怖いが、四の五の言っていられない。
――まっすぐ突き進むだけで、家路に着くのよ。頑張れ私。
怯む自分に活を入れて、大きな煙突のある工場の裏、森の中へ突進。
木々が夕日をさえぎっていて視界が最悪の中、積もる小枝や腐葉を蹴散らし駆け抜ける。
「木を避けながら走るのも大変だけど、足場が悪くてかなわないわ……」
元々手入れする気もないのか、枯葉に混じって大小さまざまな石が足の裏を痛めつけた。
歩きにくいことこの上ないが、自ら侵入した手前、文句を言うのは筋違いである。
「要はさっさと通り抜ければいいのよ……っとお?!」
雑草を掻き分けて進んでいると、カチンと硬いモノにつまづきこけそうになる。
もう片足で踏ん張って転倒は避けられたが、足の甲はしっかりダメージを受けていた。
「痛……っ。
誰だ! 人が来ないのを良い事に、粗大ゴミ放棄したヤツァ!!」
私も人が近づかないのを良い事に手付かずの森の中を横断しているわけだが、そこは置いといて。
足の痛みを紛らわすように喚き散らし、力いっぱい問題のゴミを手にしたところで、私は硬直した。
それは細長い鉄の棒だった。
キレイな曲線美を描いており、漆が塗られているのか表面は黒く艶やかで、棒の片側先端には何か差し込む穴が一つある。
時代劇とかで、侍が刀と納めて腰刺している「鞘」というヤツだ。
これだけなら、誰かが劇用の模造品を捨てて行ったのだろうと気にも留めないだろうが。
鞘に巻かれている布切れに、赤黒いシミが点々とついていたらどうだろう。
「絵の具……? なんか違う臭いがするんだけど、鉄棒?
いや、もっと錆びたような、そう、血――」
言葉をつむいでいくうちに、全身から血の気が引いていく。
なんで血糊のついた鞘がここにあるんだ。
流血沙汰があったのか。
近道を選んだつもりが、傷害事件に発展かよ。
そういえば、ここから二駅行った所で通り魔強盗事件があったような。
嫌な予感がして逃げ出そうとしたが、すぐ傍で別のものを発見し、立ち止まった。
「刀持ってる。男の人……だよね」
この闇の中に溶け込むように、一人の黒尽くめの男がボロボロの姿で倒れていた。
うつ伏せになっていて顔は見えないが、その髪型は漆黒でまっすぐな長髪。
コレだけ見れば、女性と勘違いしそうだが、背が私より頭一つ分あるから、それも難しい。
服装は現代から浮世離れしていて、強いて言うなら西洋ファンタジーにでてくる冒険者かラフな格好したアサシン。
おまけに左手に握られた刀は包丁にも似た鈍い輝きを放っており、嫌にリアルだ。
「なんだこのコスプレは。……もしやキチ○イ?」
私が思わず放った失礼な発言に、立ち上がって斬りかかって来るんじゃないかと思ったが、幸いその様子は無い。
聞こえていないのか。
寝ているにしては、私があんだけ騒いでいたのに反応ひとつしない。
なんかぐったりとしていて、まるで死ん――
「殺人事件……っ!!」
とんでもない事態を察した私は、稲光に打たれたように身を震わせた。
血糊のついた鞘と刀を掴んだ男がぶっ倒れている、イコール殺人ではないか!
人目につかない森だし、服装も変だし、きっとキ○ガイか電波な連中がモニョモニョして、殺人なんていらん化学変化を遂げたのでは?!
だったら、私一人では手に負えない。
助けを呼ぶ為に、制服のポケットから携帯電話を取り出した。
「こ、こういう時って、117番!
いやこれは時報か。じゃあ110番? それとも119番だっけ?」
完全にパニックに陥っていた。
頭の中では、サスペンスドラマの死体発見シーンやブルーシートと警察の映像に"森に斬殺死体か"なんてテロップ流れてるニュースがグルグルと巡り、益々混乱する。
落ち着け、落ち着くんだ私! まだ死んでるとは限らないだろ!
とにもかくにも、人命最優先!
怖いけど、嫌だけど、まずは生死を確認して――
なんて近寄ってみたら、突然男が起き上がり、私の腕を鷲掴みにしました。
思わぬホラー現象に悲鳴を飲み込む私。
「ひぃ……っ!!」
「……っ、……な」
全力で振りほどこうとするが、男は手放さない。
何がどうなっているのか、彼の様子を伺おうにも、私を睨む闇色の目は虚ろで、意識があるのかさえわからない。
男の顔立ちからするに、年は20歳前後。とても眉目秀麗な青年だった。
加えて、どこか妖艶な雰囲気を持ち、口説かれたら10人中9人はコロっといってしまいそうである。
しかし今やその美しさは土泥で半減しており、それを向けられた私の淡いハートはただ今絶賛恐怖MAX中だったので、別の意味でコロっと逝きそうだった。
「あわわわわわわ……わ、おわっ」
「な、何か……」
「な、何?」
「食い物……」
とだけ告げた彼は糸が切れたように、私の膝へ向かって、顔面から倒れた。
こ、今度こそ死ん……っ!
二度目の恐怖が過ぎ去り、やっと悲鳴を上げそうになったところへ、彼の腹から間延びした空腹音が邪魔するように鳴り響く。
………
………えっと、これは一体。
訊ねたくても、「何か食べ物」という単純明快な言葉を残した彼は、私の膝枕の上で小さな寝息を立てている。
実に心地良さそうだ。まず死んではいないだろう。
うん。どうしよう。
しばらく同じことを呟いた私は、間もなくして腹をくくった。
太陽がすっかり落ちた頃。地元はいつもの夜を迎えていた。
住宅街の窓から、蛍光灯の光と夕飯の香りが漂い、その内の二階建ての一軒からはカレーの匂いが逃げていた。
ええ、私の今晩のご飯は、昨日の夜から仕込んでおいた私お手製のカレーライスでした。
両親不在の間、毎日ご飯作るのが面倒なので、たくさん作り置きをしていました。
今頃は優雅にゲームをしながら、それで空腹を満たしていたはずなのに。
「わりぃ、おかわりしてもいいか」
空になった皿を私に突き出し、2杯目突入予告をするこの黒尽くめの男。
年の頃は20歳前後。長くしなやかな黒髪が印象的な美男子は、その挑発的な瞳で私にカレーライスの追加を要求していた。
ええ、学校の帰り道の森で空腹のあまり力尽きたあの男です。
――ユーリ・ローウェル。
自分でそう名乗った彼は、私ん家の台所で、私とテーブルを挟んで夕食を共にしていた。
どうして、こんな怪しさ大爆発の男とこうしているのだろう。
――理由は、今から1時間前に遡る。
当時私はまだ森の中にいた。
男を膝に放置したまま、どうしようどうしようと、悩みはしたが。
夜の迫る薄気味悪い森の中で、いつまでも頭抱えている余裕もなく。
男の怪我も大したことなかったので、救急車を呼んで騒ぎにするわけにもいかず。
ひとまず、家で手当てしようと判断した。
で。非力な女子高生が、180センチ前後ある人を担いで行くなど不可能。
試しに背負ってみたものの、当然背丈は足らず。
無理をすれば、彼の怪我が増えてしまう事請け合いだった。
特に足の部分が。
何より、私の理性に危険を伴う可能性があった。
……あんまりキレイなので、やっぱり女性かなと思ったが、背中から感じる胸板は間違いなく野郎のモノでした。
胸元のチラリズムから、貧乳のモデルさんもありかなと思わず……
否、彼の性別などどうでもいい。
ともかく現状として。
いち。自力で運ぶことが出来ない。
に。事を大きくしたくないので人を呼ぶこともできない。
さん。彼を叩き起こそうとしたが、ゆすっても、叩いても目を覚まさない。
結論として、"人ではなく物を使えばいい"と発想の転換をした私は、傍の工場から台車を拝借し、彼を乗せて、家まで運んできたのでした。
女子高生が美青年を台車に乗せて、住宅街を一心不乱に爆走。
私がスカートめくれる勢いで滑走し、台車が揺れるたびに男の首が上下左右に激しくヘッドバンギングする。
傍から見たら、かなりシュールな光景だったかもしれない。
いや、寧ろ見られてない事を祈る。
後から冷静になって考えてみれば、見知らぬ男を両親不在の女の子一人暮らしの家に入れるなんてもっての外。
しかも男を回収する際に判明したが、あの刀、どう見ても本物です。
だというのに私ときたら、平和ボケか、はたまた混乱も生じてか、連れてきてしまった。
まあ、だからって、行き倒れを放置するのも、道徳的にどうかと思うのだが。
やっぱり警察を呼んだ方がよかったか。
複雑な心境の私は現在、この男ユーリのために皿に白米を盛り、ルーをかけている。
その様子を穏やかに眺めていた彼は、おかわりを差し出されると嬉しそうにスプーンを運び、一口二口頬張った。
「うん。うまい。玉ねぎとジャガイモと肉がよくルーに染み込んで実にうまい。
桜はカレーの天才だ」
「よく留守番賜る身なんで、カレースキルはプロ級ですよ」
「留守番の定番メニューはカレーかよ。
って事はなんだ、お前、親父かお袋がいんの?」
「今日から、夫婦水入らずで旅行してるの」
「おあついことで」
しみじみのたまいながら、ユーリは再びカレーに舌鼓を打った。
会って間もないのに、彼の砕けた態度に不思議と腹が立たない。
フレンドリーというのか、幼馴染と久しぶりに再会したような、いきなりお兄ちゃんが出来たような。
彼の性格なのだろうが、流石に何者かわからぬまま事態を放置するわけにはいかない。
「ところでユーリ。聞きたい事があるんだけど」
「うん?」
「さっき簡単に自己紹介した時、下町に住んでるって言ってたよね。外国人?」
「ガイコクジン? なんだそれ」
「なんだそれって。
普通に会話できると思ったけど、微妙に日本語通じてないのか……。
えーっと、どこの国の出身なのかなって。
この辺りじゃあ見慣れない服着てるし」
彼は意図が汲めたようで、気を悪くした様子もなくすんなり口を割った。
「ザーフィアスってところなんだが。
やっぱりわかんねぇか?」
「日本じゃないのだけはわかるんだけど。
やっぱ、外国か……」
「ニホン? ガイコク?」
「前に海外ニュースで"強盗犯を刀で撃退!"ての見たことあるから、コスプレして刀携えてても……」
「コスプレ?」
「いや、なんでもない。
ユーリはどういった経緯があって、あの森で倒れていたの?」
私の一言一言にキョトンとしていたユーリだったが、最後の問いはなんとか答えられるのか、唸りながら記憶を辿り始めた。
「ここに来る前って言われてもな……。
いつものように騎士団の連中に追い掛け回されて、運悪く下水道へ落っこちて。
暗いわ、カビ臭いわ、じめじめしてるわ。
ここら辺の時系列わかんねーんだけど。
まあ、とにかく出口探して、延々と魔物を蹴散らして行くうちに力尽きて。
目が覚めたら、ここにいた、と」
ユーリは遠足の感想のようにノタノタ語って、片手で弄んでいたスプーンでテーブルの上をトントンと叩いた。
騎士に追われていたと言うことは、何か悪いことをしたのか。
ていうか、騎士が現役で活躍している国なんてあっただろうか。
それよか、今普通に魔物とか言わなかったかコイツ。
「よくわかんないわ……」
「オレはここがザーフィアスじゃないのと、オレがかなりの異端だということはわかったぞ」
「えばるなよ。私から聞いといてなんだけど、今の話、デタラメじゃないのよね」
「だったら、盛大な三文芝居かオレの頭がイカレてるかだよな」
「マジなのか……。マジで脳みそイカレてんのか、この兄ちゃん……」
「よりにもよって、後者を選ぶなよ。
オレは比較的まともな部類に入ると思うぞ。
……何だ、そのさげすんだ瞳」
「いや。ルックスはいいのになーって」
「桜のお眼鏡にかなって光栄だね。
できれば、頭がかわいそうという概念捨て欲しいんだけど。
んで、今の話のどの辺がおかしいと思うんだ」
「全部」
「ぶっちゃけて言うな。要点掻い摘んで言ってくれ」
「騎士に追いかけられる理由と魔物がいるところ。
んでもって、銃刀法のある日本で堂々刀所持しているところ」
「騎士に追いかけられたのは、オレが貴族の敷地内に忍び込んだから。
魔物は結界の外に屯していて、自分の身を守る為に刀装備してんの」
私の質問に対し、ユーリは詰まることなくスラスラ答えてみせる。
私にとっては、それが十分異常だった。
「日本に貴族なんていないし。魔物なんて架空の産物だし。
刀振り回したら犯罪なんだけど……」
「……」
「怪我してるって事は、何かしら遭ったわけだよね」
「桜、混乱しているところ悪いが、オレから質問してもいいか?」
「何?」
「ニホンって、なんなんだ?」
「なん……っ」
ユーリが真顔で言い放ったこの一言で、私の意識が遠くへ旅立ちそうになった。
電波か、電波を拾ってきてしまったのか。
警察に突き出すべきだった。
でももう家に入れちゃったし、遅いし、夕ご飯までご馳走しちゃったし。
突きつけられた現実に戸惑い引こうとも、私を見つめるユーリの真摯な瞳が変わらない。
彼は真剣だった。
「わかった。毒を食らわば皿までよ。
ここまで話が噛合わないってーのなら、噛合うまでとことんやってやろうじゃないの」
「そうしてくれると、オレも助かる。
わからない事だらけで、正直コッチが質問したいくらいだったからな」
「なんだ。最初から聞いてくればいいのに」
「お前にしてみれば、真っ先に招き入れた男がどんなヤツか把握しておきたかったんじゃないのか」
聞き手に回っていたのは、彼なりに気を遣いだったようである。
私もそれに応える為、また彼を確かめる為に地道な作業に打って出た。
手始めにニホンとは何だと言われたので、地理の教科書を引っ張り出して説明。
教科書に載っている地図の日本の場所を指差してみたら、彼、日本語が読めないことが発覚。
とにかく、大陸の形とかで自分の国を指してみろと言っても、「あまり外に出たことがなくてよ」と答えられ「地理もわかんないなんて、テメェはどんだけ引きこもりニートだよ?!」と突っ込みそうになったが堪えた。
続いて、日本に貴族はもう居ないと日本史の教科書を出して説明。
海外ではどーなんだと世界史の教科書も出してみるが、昔の貴族の絵をさして「なんだこれ変なの」と笑うだけで話にならず。
ノートパソコン持ってきてサイト検索をかけてみるがザーフィアスなんて名前の国は引っかからない。
寧ろ、パソコンとインターネットの便利ぶりを見たユーリが目を白黒させていた。
この様に試行錯誤を繰り返した結果、私とユーリの常識がほとんどかすりもしないことが判明。
私は頭を抱えた。
「カレーライスとかわかるから、全然通じてないわけでもないけど。
出身地とか大切な部分がまるで異世界ですよ、これ」
現実を突きつけて、あわよくばボロを出すんじゃないかと試してみたものの。
彼はザーフィアスの国のなりをその目で見て体験してきたように話すのだ。
嘘や電波にしては、どうにも出来すぎている。
当人は黙ったまま、厳しい表情でテーブルに広げた地図を見つめていた。
「ユーリ?」
「桜。オレがいた場所ってどこだ?」
「工場裏の森のこと? 案内しようか」
「いや、遠慮しとく。
夜中に女の子連れまわせねぇし、道を教えてくれるだけでいい」
言われて、私は工場の特徴と伝え、メモ用紙に簡単な地図を描く。
それを受取った彼は、回れ右して玄関へ向かった。
「ちょっと、本当に一人で行くつもりなの?
えーと、よくわかんないけど、危ないよ。
ほら、近くで強盗がでたって聞くし……」
「盗賊くらいどうってことねーよ」
「と、とうぞ……、いやいやいや。病み上がりなんだし、もう少しウチで休んでなよ。
お父さんたちしばらく帰ってこなから、一週間くらいいても差し支えない……と思う」
「サンキューな。腹ごしらえもできたし、もう十分だ。
オレに構ってないで、ちゃんと家で大人しく留守番してろよ」
「ユーリ!」
「じゃあな、桜」
ユーリは追いかける私へ軽く手を振ると、玄関の扉を開けて颯爽と闇夜に消えていった。
大丈夫と言っていたが、カレー2杯かきこんだだけで、ゆっくりしている暇もなかっただろうに。
残された私は、まるで嵐が去った後のようにボーッと突っ立っていた。
ただの電波にしては、常識以外は至って正気だったし、マジでアレなヤツなら私に迷惑をかけようが構わないはずだ。
なのに彼は私が良いっていうのを断って、一人出て行ってしまった。
「本当は良い人なのかな?」
そう結論付けるのは早いが、気がかりなのは変わりない。
具合が悪くなって倒れていないか。
不審者と間違われて、通報されちゃっていないか。
襲い掛かる公僕相手に、刀振り回してはいないか。
そして、町内銃撃戦へ――
………。
非常に心配だ。
そーいえば、ユーリを運ぶ時に使った台車を返しに行かなければ。
明日は土曜日とはいえ、工場は動いているだろう。
その前に元に戻しておかないと面倒だ。
「台車返すついでに様子を見に行ってみようかな。
後、コンビニでお菓子買っとこう」
そうと決めた私は早々に準備を整え、戸締りをし、工場へ台車を押しながら出発した。
見慣れた通学路の夜道は、昼間に比べてより一層静まり返っていた。
途中までは住宅が並んでいたので然程気にしなかったが、進むにつれて空き地や無人駐車場といった殺伐とした風景が続き、今では点々と灯る街灯しか頼れるものはない。
「夜、歩きで来ると気味が悪い。……なんか肌寒いし、特に背中辺りがスースーする」
自転車で通るなら問題ないが、現在私は制服姿で台車をガラゴロと押している状態。
うん、自分で言うのもなんだが、ミスマッチだ、かなり異形だ、傍から見たら今に至るまでの経過が全く想像できない。
警察に見つかれば、問答無用で補導されるだろう。
「着替えてくればよかった……」
ユーリのことで、無意識に焦っていたのだろうか。
深刻そうな顔をしていたが、一人で森に行ってどうしているのだろう。
あのイケメンのことだから、他の女の子にひっかかったりして。
ていうか、女子より警察に捕まっている確率の方が猛烈に高い。
そうやって物思いにふけっていると、暗闇の向こうから、うっすら煙突が見えてきた。
もうそろそろ工場にたどり着く。
「ユーリ、もう森の中かな」
ひょっとしたら、途中で合流できるかもしれない。
近くに居るのかも、と足を止めて周りを見回そうとしたら、少し後ろの方から足音がした。
驚いて振り返ってみるものの、誰もいない寂しい道路が続いているだけ。
――気のせい?
例えここまで誰かがついてきたとしても、台車の音で少々の物音など掻き消えてしまっていただろう。
私をつけている人がいるかもしれない。
一瞬ユーリかと思ったが、隠れる必要はないはずだ。
じゃあ、誰が……?
脇に嫌な汗が出てきて、両肩と背中の筋肉が萎縮する。
私の勘違いだと信じたい。
高まる心拍数を抑えようと胸に手を当てて、大きく深呼吸する。
そして、誰もいないのを確かめる為に、一歩また一歩足を前へ運んだ。
右の駐車場を見て、左の荒れ放題の空き地を見て。
……やっぱりいない、と息をついた瞬間。
左肩に強い衝撃が襲いかかり、勢いで堅い道路に身体を叩き付けてしまった。
「あぐ…っ?!」
何が――?
「バカが、頭狙えよ」
前から知らない男の声がした。
誰だ? 何がどうした? 何が起こっているの?
左肩が痛みが走り、混乱しつつも、起き上がろうとする私の右腕を何者かがひねり上げた。
「ったい! 何するの!」
「大声出すな」
言われて、すぐさま手で口を塞がれてしまう。
誰?! 振り向きたくても後ろから拘束されて身動きが取れない。
恐らく私を殴り、腕をひねり上げたヤツだろう。
代わりに、目の前には冬でもないのにニット帽を深く被り、サングラスをかけた厚手のジャケット姿の男が立っていた。
顔はよくわからないが、恐らく頭を狙えといったヤツだろう。
……そうか、私殴られたんだ。
「夜道に女子高生みつけるなんてついてる。
だけど、なんで台車ひいてんだろ」
ほっといてくれ。
「別にいいじゃん。さっさと金だ、金」
お金……?
まさか、こいつら例の通り魔か。
戦慄を走らせる私を置いて、通り魔たちの会話は進んでいく。
ニット帽の男の一言で、その会話はどんどん怪しい方向へと傾いていきました。
「えーっ。もったいなくね?」
「何がだよ」
「女子高生だよ、現役女子高生。
こんな真夜中に、たった一人で」
ニット帽の男は、いやらしそうにのたまった。
何か深い意味を含んでいるようだが……、まさか?!
おいコラ待て! それはもしかしなくとも、18禁軽く突入しますよ発言なのか?!
ええいこのクソ! 無抵抗の娘を手篭めにしようなんざ、男の風上、いいや三角コーナーにも置けないわ!
貴様なんぞ排水溝にも値しない!
頭から罵倒を浴びせてやりたいが、口を押えられてかなわない。
幸い拘束している男の方は乗り気でないのか、否定的な返事する。
「余計なことしてないで、とっとと用事済ませようぜ」
「既に一発食らわせてんだ。ソッチも変わりゃしねーだろ」
「騒がれるとまずい」
おお! 頑張れ拘束男! そのいきだ!
「かまやしねーよ。
こんな人気のないところ、悲鳴ひとつ上げたくらいで誰が気付くんだ」
「ま、まあ。それもそうだよな」
おいいいいいい!
何テメェまで、デレェーとした声で賛同してんだよ!
ちょっとは冷静になれよ!…… いやまともだったら、最初から強盗なんてしないか。
なんて納得している場合ではない!!
「ンーっ! ンン!」
「ちょ、暴れるな! しょうがない、寝かしておくか?」
「それじゃあ、萌えないだろ」
私は現時点で萌えない。
健全な女子高生は萌えたりなんかしない。
てか、このシチュエーションで萌を求めるなんざ、テメェらどんだけドSなんだよ!
「でもあんまり大声出されると、流石にバレるんじゃね?」
「サルグツワでもしとくか」
ついに拘束プレイがきましたよ。
操のピンチに身体が竦んでしまう。
ヤバイ、冗談抜きでヤバイ。
無抵抗のまま終わるより、一か八か、蹴りの一発でもくれてやろか。
「いや、その必要はねぇよ、と」
背後から声が聞こえるや否や、ドンと重い音がして、殴った男が崩れ落ちた。
この声は――
第三の登場人物に胸を高鳴らせ、振り返ったその先には、闇の中から一人の男が街灯の光へと姿を現した。
「ユーリ!」
「よっ!」
私が呼ぶと、彼は軽く手を上げて返事した。
「聞き覚えのある声がして、急いで来てみれば。お前、ここで何してんだよ」
「台車返しにきたの」
「オレを追いかけてくれたワケじゃねーのか……」
私が台車を指差すと、ユーリはガックリ両肩を落とした。
一丁前に出てった癖に、追いかけて欲しかったのかこの男。
飄々と私に話しかけていた彼は、次にニット帽の男へ鋭い眼光を向けた。
「で。オレの命の恩人にゲスなマネをしようってのはコイツか?」
「テ、テメェ! よくも相方を!」
「女の子一人相手に、大の野郎が二人係だったんだ。正当防衛だろ」
「んだと?!」
「んでもって、これからテメェのツラを変形するまで思う存分殴り飛ばしても、二度とスケベな考えできねえように足腰立てなくしても、桜の未来と街の治安を守る為なんだから、お咎め無しだよな?」
拳を鳴らしながら、淡々と尋ねるユーリたん。
日本の常識を知らないので念のために聞いているのか、脅しているのか、腹をくくれと忠告してんのか。
多分全部なんだろうが、ニット帽の男に恐怖を与えるのには十分であった。
「う、うああ……っ」
「逃げるなよ。いい大人なんだ。
報いはキッチリ受けてもらうからな」
「こうなったら……っ!」
ユーリに迫られ逆上したニット帽の男は、なんと私へと手を伸ばしてきた。
私を人質にするつもりなのだろう。
しかしそれより速く、黒い影がニット帽に迫る!
「がっ?!」
私に触れるより先に、ユーリの右ストレートが男の左頬をとらえ、えぐる。
拳の威力はもはや顔だけでは受け止めきれず、駒のように一回転して、地面にひれ伏し、ピクリとも動かなくなった。
なんつうパンチ繰り出してんだこの兄ちゃんは。
当のユーリは追撃用の拳を構えたまま、固まっていた。
「あれ? もう終わりかよ」
「……あんたが強すぎるんだよ。
つか、拳ひとつで強盗のしてしまうなんて、どんだけ」
「強盗って、お前が言ってたヤツか。
んじゃあ、まあ、この場で息の根止めとくべきかな」
「止めんなああああ! 何どっかの健康ドリンクのCM"一本行っとく?"のごとく、器用に刀から鞘飛ばして抜刀してんの!
こういう時は通報するの! 警察呼ぶの! 抹殺すんな!」
「お前、こいつらに襲われたんだろ。何で庇うんだよ」
「庇ってねーわよ。あえて庇うっていうなら、ユーリの方ね。
ここでは何があっても人を殺しちゃ犯罪だっての」
「……。桜がそこまで言うなら、やめといてやるよ」
私が懸命に止めると、彼は不機嫌そうに自ら飛ばした鞘を拾いに行き、刀を戻した。
嫌な方向に発言が飛んでいる兄ちゃんである。
警察を呼ぶべきとは言ったものの、そうなると身元不明怪しさ核爆発のユーリを巻き込んでしまうので、時機を見てからにした方がいいだろう。
何より、彼が来てくれて助かったのは事実だ。
「ありがとう。ユーリが来てくれなかったら、私、今頃どうにかなってたわ」
「いいよ。そもそもお前がオレを助けなきゃあ、こんな目には遭わなかっただろうしな」
「そんな……」
「改めて森を調べに行きたいところだが。
また襲われちゃあまずいし、家まで送ってってやるよ」
「さ、行くぞ」と私を促し、道を引き返すユーリ。
このまま、彼の後についていって、いいのだろうか。
彼はこのまま私を家まで送って、また別れて、自分のいた森を調べに行くのだろう。
台車返すついでに様子を見るだけだったし、これ以降、彼がどうなろうと私は関係ないはずだ。
ただの行き倒れを助けただけだもの。困っている人を助けただけだ。
彼の言うことは所々おかしいし、関わり合いにならない方がいい。
自分のキャパを越えることはしない方がいい。
………違う。
なんだか、それは違うのではないか?
「待って、ユーリ」
「うん?」
「わ、私の家に泊まってって」
「は?」
勇気を振り絞って出た一言に、ユーリは素っ頓狂な声を上げた。
く、挫けるものか……!
「強盗から助けてもらったお礼に、ね。
ほら、私一人だし、しばらくだったら衣食住面倒みれるよ」
「ありがたいけど、オレは見てのとおり男だぞ。
一つ屋根の下で、身元も知れない異性と2人きりで過ごすのは、お年頃の女の子としてどーなんだ?」
「そ、そんなの修学旅行とかで慣れてるよ」
「シュウガクリョコウ?
……とにかく、嫁入り前の娘が男と一夜過ごすなんて駄目。
オレは桜の親父さんに合わせる顔がない」
「多分しなくともお父さん卒倒するから、合わせる間もないと思うよ。全然平気」
「平気ちげええええっ! 余計まずいだろうが! 何サラッと不吉な事言ってんだよ!
オレの事を気にしてんのなら、それこそ余計なお世話だっ!」
「余計じゃないでしょう。
こ~んな真っ暗の中、ただでさえ視界悪いあの森をどうやって調べようって言うの?
あ、言っとくけど、灯り用意するから大丈夫ってのは無しね。
あそこ一見放置気味だけど、近所の方々が衛生上不法投棄されないように、時々遠くから様子見てるらしいから。
見つかったら、有無言わさずお縄よ」
「う……」
「貴方の言うとおり、こちらの事情がわからないのなら、絶対どーにもなんない。
朝まで待つにしたって、そんなコスプレ紛いの格好で一人ウロウロしてたら、即行補導されるから。
特に胸の辺りが猥褻物陳列罪で」
「いやお前、胸はどうしょうもねーだろ」
どーしょうもないんかい、その胸元。
ハッタリ半分で一気に捲くし立てると、ユーリは頑なな態度は徐々に崩れ始め、動揺へと変わっていく。
よおおし、もう一押しだ。
「ユーリのためだけじゃないの。
私、さっき襲われたばかりなのに、数日間は家で一人ぼっちなんだよ」
「……」
「友達誘いたくても、さっきみたいに強盗とかに襲われたら、太刀打ちできないし。
ユーリみたいな強い人が傍にいてくれると、すっごく安心できるの」
「わかった。わかったよ」
「じゃあ……!」
「桜がそんなにオレこのとが心配だって言うなら、仕方ないよな」
「私が?」
彼は苦笑しながら、私の頭をポンポンと叩いた。
何か間違ったこと言ったっけ? 嘘八丁がバレた?
理解できなくて呆けていたが、左肩の痛みで我に帰り、慌ててその手を払いのけた。
「ちょ、止めてよ。別にそんなのじゃあないってば!」
「いい加減素直になりなさい桜君」
「あ、あのねー」
「オレがどうなろうと構わないから、台車かっぱらってまで拾ったりしないだろ。
夕飯ご馳走して、真正面から話合わそうとしないで、どっかに突き出しとけば良かったんだ」
「あ、あれはその場の勢いみたいなもんで……」
「本当に一人が怖いっていうなら、友達の家に厄介になる方を選ぶんじゃないか?」
「うう……」
「けどまあ、オレとしても屋根のある場所で休みたいし。
お前を一人にさせるのは、正直気が置けない」
ウンウンと頷いていたユーリは、真顔に戻ってポツリとこう付け加えた。
「んでもって、お前の左肩の怪我をみないといけないしな」
「な、なんで!?」
「さっきオレが頭叩いた時、左庇っただろ。
強盗の片割れが棍棒持ってたから、まさかと思ったが、今も酷いのか」
細かいところに気が付く兄ちゃんである。
惚けようとしたが、彼が下から上目遣いで私の顔を覗き込んできたもんだから、堪ったものではない。
無自覚のイケメン光線なんて卑怯だ。
「実は少し。あ、けど、腕は動くから大したことないよ」
「駄目だ。オレが責任を持って手当てしてやるから、大人しく手当てされろ」
「なんだその言い回しは……。
じゃあ、ユーリの怪我も私がみるから、大人しくみられてよね」
「お前が前に消毒してくれただろ。かすり傷なんだから、放っておいてもそのうち治るさ」
「駄目。ちゃんとお風呂入って、汚れ落としてから、改めてちゃんと手当てするの」
「あのなぁ」
「もう風呂の準備できてるから、先に入っといてね。
着替えはお父さんの使って。今着ている服私が破けたところ繕うから」
「オレの話聞いてねーのな。
用意いいというか、いろいろと抵抗ないというか、変に行動力あるというか、お前……」
ユーリは感心とも、呆れともつかない複雑な表情で、私の感想を述べた。
それは褒めてんのか。
強盗二人組みに関しては、ユーリの簀巻きにして川に沈めるという鬼のような提案を一部採用し、簀巻きにして空き地の隅に放置し、翌日にでも通報することにした。
当初の目的である台車を工場へ返しに行き、星空の下、帰り道を歩き始める。
隣には、私の歩幅に合わせてあるくユーリがいた。
また一緒にいられる。
ただそれだけなのに、胸の中から不思議と高揚感が生まれた。
無事帰宅した私たちは、早速ユーリに風呂を勧めるも「カレーが食べたいから、お前が先に入れ」と返され、カレーを用意してからお先に入らせてもらった。
お前はどんだけ食うんだよ。
とは言っても、家の勝手も知らないユーリから目を放すのは少々気が引けたので、入浴もソコソコ済ませて上がることにした。
リビングに戻ると、ユーリはソファーに横になっていたのか、私に気がつくと勢いよく上半身を起こす。
「お、出てきたな。左肩みせてみろ」
「え、マジでみるんだ」
「もちろんマジだ。医療品なら、さっきそれっぽいものを発掘したから問題ないぞ」
「勝手に人ん家漁るんじゃねええええ! 泥棒か貴様は!
否、RPGの勇者のソレに近い!」
「レモングミか、せめてアップルグミあたりあれば、楽でいいんだけどな。
ここに来る前に全部使っちまったし、あり合わせで我慢しろよ」
「なんで糖分が出てくるんだ。人の話聞けよ、おい!
つか、当たり前のように部屋のもの物色した事に罪悪感を抱け! その露骨にセクスィーな胸に!
せめて一言断らんかい! 見られて困るものとかあったかもしれないでしょ!」
「お前の部屋の物じゃないんだから、構わねえだろう」
「……入ったのか、私の部屋」
「タンスの引き出しに、お前サイズの白くてヒラヒラした物がたくさんあったな。
ほー、見られて困るものってソレか」
「お、おまああああああっ!!」
「はいはい嘘嘘。手当て手当て」
恥ずかしさのあまり掴みかかろうとするも、両肩を捕らえられて敵わない。
彼はそのまま私を後ろ向きに正座させて、救急箱を漁り始めた。
「怪我人が暴れるんじゃないぞー。
オレが勢い余って押し倒したらどーすんだ」
「押し倒すなよ」
「ものの例えだ。目が怖いぞ桜。
シップ、シップは……これか?」
「違う違う、それ肩こり用の。捻挫とか打撲用のは、その青と緑のラインが入ったヤツよ。
ねえ、ユーリ、いいよ。私自分で貼るから」
「オレがやるったらやるの。ほれ、左肩、お兄さんに見せてみろ」
異性に見せろといわれて、おいそれと脱げるわけがない。
一応お兄さんも女の子の気持ちが汲めるのか、辛抱強く説得を続けた。
「全部脱げって言ってるんじゃないんだ。少しずらすだけでいい」
「だ、だって」
「お前だって見てただろ、俺が戦い慣れてんの。
怪我の治療だって、素人よりはましだ。
きちんと処置せずに痕が残ってもいいのか」
「それはちょっと……」
ユーリの言うとおり、痕が残って、見る度に襲われたことを思い出すのは嫌だ。
出来うる限りはしておきたい。
医者にみせようにも、明日から土日は病院閉まっているし。
羞恥心を抑えて、左肩のみ露にしてみる。
「早く済ませてね。でないとトイレに篭城するから」
「女の子が便所に篭るのはどーかと思うぞ」
「あそこしか鍵ついてないから仕方ないじゃないの。
現在進行形で女の砦を崩されようとしているのに、トイレも便所も乙女もない」
「言ってることが支離滅裂してねえか?
とって食おうってわけじゃねえんだから、事を急いて自ら女捨てなさんなよ」
「ユーリが無神経なんだよ」
「理性があるだけだ。怪我人みるのに、下心なんて出さねーの。
さっさと済ましてやるから、きちんと座ってろ」
「はーい」
「よーし、いい子だ。
えっと、問題の部分は、赤からやや青くなってる最中か。
肩から背中に向けて……腫れてはいない、と」
耳元からユーリの声が聞こえ、左肩に自分とは違う体温がサワリと肌を伝った。
「うわ?! 触らないでよ!」
「触らなきゃわかんないだろ。しっかし、肌が白いと目立つなー」
「あんまし、ジロジロみてないで、さっさとシップを貼って……!」
「はいよ。腫れてないし、色も変わってきてるから。ただの内出血って所か。
色が黄色になるまで、ちゃんと冷やしておけば治るだろう」
彼からそう診断されると、左肩にゆっくりと冷たい感触が伝わってきた。
「これでよし。二枚貼っておけば充分だ。
替えたくなったら、いつでもオレを召喚するがいい。
心逝くまでシップをお見舞いしてやろう」
「あんな羞恥プレイかますくらいなら、二度と呼びたかないわ。
つか、風呂から出たら、次は貴様の番だユーリ」
「そんなにオレの裸体が見たいのかよ」
「見たい」
「……お前」
「冗談よ。常日頃から前方サックリ裂けた服着ている野郎の肉体美に対して、恥も外聞も捨てて全力で見たいという度胸はない」
「まったく興味が無い訳ではないんだな」
「だって。そんな細身なのに、拳一発で一人の男をぶっ飛ばすんだよ。
どんな筋肉してんのか、気になるじゃない」
「あー…、そっちか」
心なしか落胆したユーリは、特にそれ以上突っ込まずに風呂場へいった。
何を期待していたんだ、この男は。
私も深くは考えず、数分後頃合を見てユーリの服を繕う為に風呂場に向かう。
洗面所の前まで着いて、彼が既に風呂場に入っているのを確認し、入室した。
「ユーリ。服直すから、持っていくね」
「わりいな。そこのでかい鉄の箱の上に置いてるから頼むわ」
でかい鉄の箱……?
一瞬理解できなかったが、洗濯機の上に脱ぎ捨てられた黒装束を見て、なるほどと手をついた。
せめて畳んどけよと心の中で呟きつつ回収していると、ふと洗面所の流しの傍に置いてある腕輪が目に止まる。
金で出来ているのか、表面は黄金色に輝いており、周りにルビーのような赤い宝石が3つはめこまれてあった。
(ユーリが左手首にはめていたヤツだ)
本物なのだろうか。好奇心にかられて手に取り、自分の腕にはめてみる。
するとどうだろう。
急に全身が冷たくなり、激しい頭痛、虚脱感にみまわれたかと思うと、貧血を起こしたように膝がぐら付いて、その場で倒れてしまった。
何、これ、気持ち悪い……っ
我が身に降りかかった異変に驚き、急いで元凶の腕輪を外していると、風呂場のドアが開く音がした。
「おい! 桜、何してるんだ!!」
倒れる音を聞きつけたのか、ユーリが風呂から出てきたようだ。
「大丈夫か?!」
「ユーリ、腕輪さわってちゃって……」
濡れた手で肩を揺すられ、ゆっくりと顔を上げた。
頭でも洗っていたのか、ユーリは頭からつたう湯水をぬぐいもせず、真剣に私の様子を伺っている。
あのキレイな髪は湿って、細身ながらも逞しい背や胸、肩にへばりついていた。
腰も引き締まっており、辛うじてタオル一枚で、股間を――
「ごめ――んごあああああああっ!!」
徐々に下へ視界をスクロールしていったら、野郎的にヤヴァイものが見えそうになって、首を180度回転させた。
「おい、どうした! しっかりしろ!
顔隠してないで、何があったか話してみろよ」
「み、み、み……っ!」
「み?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!
私、ユーリの大切な……っ!下がぁっ!」
「オレの、なんだ?」
「と、とにかく、後で説明するから! 私大丈夫だから! そいじゃあお風呂ごゆっくり!」
衝撃的な物体とのご対面に、私は先程の不調など吹っ飛ばして跳ね起き、ユーリから脱兎した。
すまないユーリ。
ちゃんと見えてなかったけど。いや見たくなかったけど。
責任とれっつったら、大人しく嫁に行くから殴るのだけは勘弁してくれ。
風呂場で人生最大のスペクタクルを経験し、私の中で様々な葛藤をすること、15分後。
Tシャツとハーフパンツ姿のユーリがタオルで頭を拭きながら、リビングに戻ってきた。
その表情はどこかもの思わしげだ。
「そんな顔されると私の良心がグサグサ痛みます」
「洗面所で倒れたんだろ。具合悪いのか?」
「今はなんともないよ。このことは説明するけど。
そうね、傷の手当てしながらにしようか」
「それこそ平気だってのに」
「ブツクサ言わずに、ここに座って」
「あいよ」
私が救急箱を用意しながら指示すると、彼はソファーにどっかりと腰をかけた。
彼の言うとおり、ほとんどの傷は小さく、手当ての必要がないほど治りかけている。
ただ腕の傷のひとつが大きかったのか、カサブタが剥がれて血がにじんでいた。
身体を拭く際に擦りでもしたのだろう。
丁寧に消毒をした後、大きめの絆創膏を用意している私を彼は促すように問いかけた。
「で、何があったんだ。病気でも患ってたのか」
「ごめん。ユーリの腕輪を触ってたら、急に気持ち悪くなった」
「腕輪……? 魔導器触っただけでか?」
「ぶらす……何?」
「オレんとこには万物を構成するエネルギー"エアル"というものがあってだ。
それを活力にして利用する道具がこの魔導器なんだと」
「エアルって、原子力か気体の名前?
聞いたことないけど」
「ここにもエアルがあるかどうか試したことねえし。
オレもそのテの専門家じゃないからな」
「ユーリはつけていて気分悪くなったりしない?」
「いんやまったく。コイツのお陰でいろいろ助かってるくらいだ。
原因はわからないが、お前はこれに触れない方がいいかもしれないな」
ユーリはそう言って、左腕に輝く腕輪を見つめた。
長い睫、艶やかな黒髪から水滴が頬を伝い、ポツリポツリと零れ落ちる。
正に水も滴るいい男だ。
「てか、ユーリ。髪の毛乾かさないの? 自然乾燥?
湿ってる時の方が髪の毛痛むんだよ。風邪ひくし」
「いいんだよ。面倒くさい」
「メンド臭くて堪るか。弄くり倒したくなるようなサラサラヘアーしといてからに。
ちょっとそこで待ってろ。ドライヤー持ってくる」
「どらいあー? おい、いいって」
ユーリの制止を無視して、洗面所からドライヤーを持ってきた。
何やらブツブツのたまうユーリの髪をドライヤーとブラシを駆使して丹念に乾かし始める。
「こんだけ綺麗な髪してんのに、それを生やしている野郎はどーしてズボラなの」
「オレは人形かよ……」
私にされるがままのユーリは、腕を組んでひたすら作業が終わるのを待った。
彼の髪はブラシを入れると頭から毛先まで難なく通り、手で拾うとスルスルと零れ落ちる。
「いいなあ、黒髪ストレート。ああいうのはコマーシャルだけの世界と思ってたよ」
「よくわからねぇけど。お前の髪も黒くてそこそこ長いじゃねーか」
「質が違うのよ、質が」
「質だ? 髪なんてもん、人の好みによるだろ。
他人の髪いじくってないで、お前もこんくらい伸ばしてみろよ。
似合うんじゃないか」
身の回りの事で手を焼かれるのが嫌なのか、彼は自分の髪から私の髪へと矛先を変えようとした。
バカめ、そう簡単に髪が美しくなるものか!
ユーリ本人は自分の髪質にあまり関心がないようである。
コイツ若い内にこんだけ毛根酷使しまくって、後に禿げたりしないだろうか。
手入れしないでここまで健康的な髪を保てるから、気にするだけ無駄なのかもしれない。
「羨ましいなあ」
「そーかい」
「私は好きだよ。ユーリの黒髪」
「……」
「ユーリ?」
「……ん、ああ。なんでもねえよ」
聞いていなかったのか、言葉に詰まらせるユーリ。
何か別の事でも考えていたのか、後ろからでは表情を知ることは出来ない。
お陰で話は区切られてしまい、しばらくドライヤーの音と沈黙が部屋を支配した。
「……」
「……」
「……」
「……なあ、桜」
「何? 後もうちょっとで髪乾くから、じっとしてて」
「適当でいいんだよ。腕疲れるだろ。
それより明日なんだが、オレ、例の森に行こうと思う」
「貴方が倒れてた、あそこ?」
「他に手掛かりないからな。
そこで聞きたいんだけど、あの森って何か曰くとかあるのか?」
「曰くねえ……」
そう訊ねられても、私だって知らない。
聞いたことがあるとすれば、新月の夜に行くと人魂が出るとか、丑三つ時にあそこを通ると黄泉の道が開くとか、小中学生でも鼻で笑いそうな眉唾ネタしかない。
木々の生え方が問題なのか、日当たりは最悪で薄気味悪いが、所詮その程度。
何故か他の空き地や駐車場のように開拓もされることなく、今現在までずっと放置されてきた。
そう伝えると、ユーリは少し黙考した後、大きな溜息を零した。
「直に見に行くしかないか……」
「行くなら、昼間になるね。夜中だと暗くて調べようないし。
服装もユーリのあの服じゃ浮くから、こっちで適当なの用意するわ」
「いいのか? 動きやすくて楽なのがあればいいんだが」
「お父さんのセンスに賭けろ」
「オレはお前の親父さんに会ったことも見たこともねーんだけど。
そんな言い方されたら、猛烈に怪しくなってきたじゃねーか。親父のセンス」
「ごめん。実はユーリのその胸の谷間を露出させるような艶かしい服はないの」
「そっちの趣向に走らなくてもいい」
「まあ、ほどほどのを選んでおくわ。
ユーリの服も今日のうちに洗って乾燥機回して、明日の朝には返せると思う。
――はい、髪乾いたよ」
「ありがとさん。
オレを拾ってくれたのが桜で非常に助かりました。
夕飯から髪の手入れまで、至れり尽くせりで、大変感謝しています」
ユーリは長い髪をふわりとなびかせ、セリフを棒読みしながら仰々しく一礼した。
留守番が多いので、家事全般の手回しが利くだけなのだが。
「まあ、ユーリを連れてきたことに関しては、私が警戒心の欠片もないただの間抜けだからだけど」
「素晴らしい方向に抜けたもんだ。
是非とも、下町の連中に紹介してやりたいね」
「なんて紹介するのよ」
「この娘さんは、得たいの知らねぇ物騒な兄ちゃんの夕飯から髪の世話までする、とんだお人好しだってな」
「その物騒な兄ちゃんは私の膝で爆睡して、白昼堂々台車で運ばれて、カレー三杯も食べるけど、悪漢から私を守ってくれた良い人なんだよね」
「褒めてんのか貶してんのかわかんねーな」
「ユーリの皮肉もでしょう。
あのさ。ユーリが住んでるザーフィアスの下町って、どんなところ?」
「オレ、夕食の後に話さなかったっけ?」
「ああいう政治とか生活の基本的な営みじゃなくてさ。
もっと、こう、どんな人が住んでいるのかとか。
ユーリは普段どんなことしているのか知りたいの」
「オレの私生活どころか、知り合いのことまで?
変わったこと聞くのな、お前」
「いいじゃないの、変わってても。興味あるもん」
「明日があるんだ。さっさと寝ようぜ」
「まだ寝るには早すぎるよ」
「眠れないのか。ったく、しょーがねえヤツだな。
オレが添い寝してやるから、思う存分悶えて爆睡しろ」
「違う意味で永眠するかもしれない。――じゃなくて!
ユーリの話ーっ」
「駄々をこねるな」
「お菓子とジュース用意するから、ね?」
「よし、まずはオレの交友関係から説明しよう」
安いエサだと駄目元でお願いすると、ユーリは態度を180度変えて喋り始めた。
お菓子は見事ユーリのハートを射止めたようだ。
つか、お前はまだ食べるつもりなのか。
「とは言ってもだ。
詳しく話してみたところで前みたいに伝わらないだろうから、軽くだけどな。
桜、早く約束のブツを用意して、そこに座りなさい」
「うん。今出してくる。飲物は温かいのか冷たいの、どっちにする?」
「冷たいので」
「よしきた、アイスミルクティー」
「はえーよ、おい。喫茶店も顔負けだな。
じゃあ、寝る時間が惜しいから、早速始めるぞ。
最初にオレの幼馴染の話から――」
私がお菓子と冷蔵庫から飲物を用意すると、待ってましたとばかりにユーリの思い出が花を開く。
彼が宣告した通り、内容はやや理解できない部分があったけれども、それで良かった。
ユーリの身元はわからない、あの腕輪だってよくわからない。明日からどうなるか、予測も出来ない。
けれど、こうして彼と一緒に過ごす時間が楽しく思う。
時計を見るのも忘れ、この緩やかなひと時は夜と共に更けていった。
そして翌朝。土曜日の天気は快晴。
私たちは予定通り、工場裏の森を探索すべく家を出発する。
ユーリは昨日の格好ままで出歩くと、善良な一般市民の性的道義観念を木っ端微塵にすること間違いないので、お父さんの服の中でも比較的無難なものを選んで着せてみた。
今はTシャツの上にジャケット、下はジーンズと自前のブーツを履かせている。
服はショルダーバックにつめて、刀は剣道の竹刀袋のように在り合せの布で巻きつけてただけだ。
「動きやすい服ではあるな。
んで、お前は昨日のままか。その荷物はなんだ? 服はオレが持ってるし」
「学校に用事があるの。……休みなのに、テスト前だってのに、なんだって委員会なんかあるんだろ」
「忙しそうで悪いが、オレにも付き合ってくれよ。
ここではお前だけが頼りなんだからな」
「責任重大だなー、ユーリの為にも頑張んなきゃ」
「そーだぞー。キリキリ働いてもらうからなー。
て、世話になってる手前、無茶は言わねえよ。
私生活に支障が出ない程度でいいからな」
「ああ、私のことは構わなくて良いよ。
委員会始まるまでかなり時間があるし、いざとなったら理由つけて、欠席するつもりだから」
「ありがたいね。でも、休むのはよくないな。
なるべく遅くならないよう、急いで行くぞ」
そうやって、他愛ない話をしながら歩いていき、間もなくして工場裏の森へ辿りついた。
森の様子は相変わらずで、数歩先は薄闇に包まれており、無意味に人を寄せ付けない雰囲気を漂わせている。
「何もねぇってのは、嘘じゃないのか。
如何にも何か出ますって感じだぞ」
「いや、ホント何もないんだよ。昨日貴方を見つけたのは例外で。
心霊スポットとかだったら、ここを近道しようなんて考えつかないわ」
「そりゃあそうだな。で、俺がいたところはどこなんだ?」
「もっと奥の方。コッチよ」
昨日の帰り道を思い出しながら、彼を先導し、道なき道を進んでいく。
時々カラスの鳴き声が私の心を脅かそうとするが、後ろから聞こえてくる彼の足音と息遣いが不安を和らげてくれる。
黙々と歩いて、そろそろ足の裏がジンジンしてきた頃、発見場所に到着した。
他よりやや開けた場所、木々の形、間違いはない。
「ここよ。ここで貴方が倒れてたの」
「……雑草と落ち葉と小枝、と。
なんもねーのな、ここ」
彼は足で土を蹴り、周囲へと目を配らせた。
「どうすっか。他に当たれる場所は……」
「周りも調べてみようよ。
私も一部しか通ったことないし、もしかしたら、他の場所で何か見つかるかもしれないわ」
「やるだけやってみるしかないな。
桜、手伝ってくれるか」
「もちろん。手分けして探してみない?
私、こっち見てくるから、何かあったらここに戻ってくることにしよう」
「了解」
私はユーリの返事を確認して、一人、工場とは反対側へ駆け出した。
この森全部を回ったことはないし、ユーリが昨日ここにいたのだから、他にも何かしら変化があってもおかしくない。
自分にそう言い聞かせて、思い切り踏み込んだ。
が、そこにあるはずの地面はなぜか無かった。
「んな?!」
地面が無い? 崖か? 落とし穴か?!
踏み込んだ足の下には、パックリと穴が開いていた。
誰だ、こんな古典的なイタズラするやつは!!
……あれ、底がない?
下で口をあけている穴は、地球の反対側まで続いているんじゃないかと思うくらい深かった。
どう見ても、人為的にはありえない。
こんなもの昨日まではなかったのに!
内心叫んでいようとも、事実私の身体は目下に大穴へ滑り落ちようとしている。
――こんクソ!
落ちてなるものかと、死に物狂いで右手を上に伸ばし、穴の淵に生えた雑草の束を掴んだ。
けれども首の皮一枚繋がっただけで、インディージョーンズかファイト一発のCMみたく、ぶら下がった状態。
力尽きたら一環の終わりだ。
だが事態は私が思っている以上に最悪だった。
「穴が広がっている?!」
じわりじわりと周りを削りながら、穴は拡大していた。
原理も理屈もわからないが、このままでは命綱であるこの雑草も時期に崩れてしまうだろう。
そうなったら、間違いなく落ちて――死ぬ。
「ユーリ!!」
言い知れない恐怖に襲われ、抗うように彼の名を叫んだ。
分かれてからそれほど経っていないから、遠くへは行っていないはず。
聞こえたのかどうかわからない。
ただ、返事は聞こえてこなかった。
何がどうなっているんだ。
私は夢を見ているのか。
自分の体重を支える右腕が猛烈に痛いので、残念な事に現実なのだろう。
通学カバンをたすき掛けにしなきゃよかった。
降ろしたくても、首にかかって手が回らない。
重い。痛い。
怖い、助けて、苦しい。
手のひらに汗が出てきて滑りそう。
――早く何とかして。
私の心の嘆きも空しく、穴はより一層広がり、命綱がその役目を失った。
たちまち襲い掛かる浮遊感。
――あ、私、落ちる。
絶望と諦めにとらわれる私に、容赦なく重力がのしかかる。
そのつかの間、何者かが右腕を掴んで阻んだ。
「桜!」
「ユーリ!」
声を聞きつけてきたのか、ユーリが私の腕を握り、命をつないだ。
嬉しい、駆けつけてきてくれたんだ。
けれども、私には安堵する間もなった。
彼は上半身を乗り出しており、尚且つこの穴は現在進行形で拡大しつつあるのだ。
「ユーリ、離れて! よくわからないけど、この穴大きくなってきてる! 落っこちるわよ!」
「バカ言うな! お前見捨てて逃げられるかよ!
オレの腕をつたって登って来い!」
「え、えええ?!」
「早く! も少し上がってこれたら、オレが引上げっから!」
「う、うん。 やってみる!」
ユーリから嫌と言わせない剣幕で言われ、私は力を振り絞って左手を伸ばした。
グズグズしていたら、彼まで巻き添えにしてしまう。
左手でユーリの腕を掴み、次に右手を彼の肩へと伸ばす。
ところが手を上へ上げるほど、筋肉がプルプル震えて思うようにいかない。
もう少し、もう少しで届くのに。
そこへ私の邪魔するように、穴の枠が一回り崩れた。
ユーリの上半身がぐんと下へ傾いてしまう。
「うお?!」
「あ――」
その弾みで、彼の腕を握っていた左手がすべり落ちた。
二度目の浮遊感、のしかかる重力。
「桜―――っ!!」
穴に飲み込まれる刹那、ユーリの悲痛な表情と絶叫が、遥か彼方へ遠のいていった。
*******************
ここは暗い。
いつの間にか、夜になってしまったのか。
何時かわからない。
わからないが、ここは闇に包まれていた。
何も見えない。
何も聞こえない。
あの大穴に落ちているはずなのに、体が落ちる感覚も、肝が冷えるほどの恐怖もない。
――死んだ?
何も感じないないのなら、もう一線越えちゃって死んでしまったと考えれば納得がいく。
ああ、まだまだ人生これからって時に、ひょんなことでポックリ逝くなんて。
こうなるくらいだったら、テスト勉強とかせずに、もっと青春時代を謳歌するべきだった。
ええ、ユーリの髪を乾かす時にドサクサに紛れて遊んでやればよかった。
――ユーリ。
今頃あの森に独りで何をしているだろうか。
私を助けられなかったことで、自分を責めてはいないだろか。
私にもう少し体力があったら、もっと慎重になっていれば、こんなことにならなかったのに。
ユーリが悪いわけではないと伝えたくても、もう叶わない。
――だんだん意識が遠くなってきた。もうそろそろだろう。
もうすぐ短い人生が終わる。
悲しいような、空しいような、暗い気持ちがジワリと心に広がっていく。
氷が水の中で形を失うように、虚無の闇に沈んでいく中で、ふと、何かが心を揺れ動かした。
―― 明かり?
何も無い中に一点、眩しく光る物体があった。
それは私を誘うように、時には強く、時には弱く輝く。
――アレに触れたら、生き返ったりしないかな。
楽観的希望を胸に沈み行く意識を奮い立たせ、光を目指す。
もう少し、もう少し、もう少しで―――
プツリと意識を失った。
胸が痛い。
痛い、痛い、痛い。
痛っ! 痛っ! 痛っ!
――痛いっつの!
どのくらい痛いかというと、肋骨きしんでるんじゃないかってくらい痛い。
一定のリズムでズンズンと胸が圧迫されている。
やめてくれと払いのけたくても、身体が鉛のように重たくて叶わない。
一体何が起こってるんだ。
喋ろうとしたら、今度は暖かくて弾力のある何かが口を塞ぎ、生暖かい空気が喉へと注がれた。
――っ、苦しい!
堪らず目を開くと、淡いプロントの髪が視界を遮っていた。
私の顔に触れるくらい近くにある金色の前髪。
その奥に同じ色の長い睫毛があり、整った眉毛があり、まっすぐ通った鼻があり。
要するに見知らぬ金髪の男の顔が間近にあった。
けれども、目、眉、鼻ときて、なぜか唇が見当たらない。
答えはすぐにわかった。
簡単だ。私はこの男に接吻されているのだ。
かなり濃厚な。
「んぐぅーっ?!」
暢気に脳内で回答ランプ点けている場合じゃねええええ!
乙女初の青春が! 知らねー男に! 味わう余裕もねーわ!!
逃れたくても、身体は起き上がれないし、額と顎は押さえつけられ首も回らない。
さあ、私は目覚めたぞ、早くその口どけやがれ!!
……
……10秒経過。
……20秒経過。
……30秒が経過しました。
いつまでキスするつもりなんだよ、この男!
私が気がついて30秒越えてるよ、いい加減気付けええ!
まずい。このままでは、マジで窒息死する!!
私はかろうじて動く片手を地面に叩き付け、死に物狂いでギブアップを伝えた。
「……! ……っ!!」
「――ッ! 気がついた!」
その甲斐あってか、意識喪失突入目前で、ようやく金髪の男は唇を開放した。
「えほっ、けふけふん!……、こ、このっ!!」
「よかった、間に合ったようだね」
怒りをぶつけようとしたが、金髪男の爽やか抜群スマイルを食らって気が失せてしまった。
彼はかなりのハンサムさんでした。
先のとおり金髪碧眼、年齢は20歳いくかいかないか。
精悍な顔立ちをした青年なのだが、どこか少年のような幼さが残っている。
特筆すべきは、彼が両腕甲冑にマントをまとい、腰に剣をさしているところ。
まるで絵本にでてくる騎士の模範のような格好だ。
辺りの風景といえば、穴に落ちたはずなのに、目に付いたのは純白の大理石で出来た西洋風の遺跡。
遺跡は湖の上に一面に広がっていて、天井は無骨な岩で覆われている。
内、一部大きく開かれた穴からは、満点の星々が私たちを照らしていた。
現時点でわかるのは、ここはあの森の中ではなく、洞窟の中にある遺跡の中で、この男以外は人っ子一人見当たらないこと。
私が凝視しているのに気付いていないのか、彼は私の唇を奪っていた口元を緩め、清々しい笑顔を送り続けている。
「命を取り留めることが出来て、まずは一安心だね。
まだどこか具合の悪いところがあるなら、遠慮なく言ってくれ。
僕でできる事なら、なんとかしよう」
「私、どうにかなっていたんですか?
心なしか、身体が痺れているんですけれど」
「記憶が混濁しているのかな。
見た所、特に外傷もないし、原因はわからないけど。
僕が君を見つけたときには、ここで倒れていて、脈がなかったんだよ」
「脈? 心臓が止まってた?!」
言われて、自分の左胸を押さえると、胸元がブラジャーが見えるまで全開になっていた。
人様の前で、なんでこんなみだらな姿に?!
私が慌てて服を整えている様子を見ていた彼は、思い出したように赤面し、身を屈めてよじらせた。
「す、すまない。心臓マッサージをするために、脱がしたんだ」
「じゃあ、さっきのはキスは人工呼吸だったのか」
「そうなるね。本当にすまない」
「人命救助だったんですよね。人助けだったのなら、感謝します。
ところで、途中で私声上げたの気付いてました?」
「そうだったかな?」
「人工呼吸というより、長時間耐久ディープキスかまされてたようか気がするんですが。
お陰で蘇生通り越して、別の意味で昇天しそうになったんですよ私」
「心配することはない。昇天したら、戻ってくるまで頑張るだけさ。
大丈夫、初めてだったけれど、練習すればきっと上手くなるよ」
「いらん方向に努力のベクトルかたむけるな! まずは昇天させないところから始めんかい!
それよか、貴様の接吻には蘇生効果が?!」
「ライフボトルいらずだね」
「私のライフは瀕死寸前だ。呼吸遮る接吻など、私には窒息死効果しかありませんよ。
練習するって何ですか。特別授業で登場する、あの人工呼吸訓練用の不気味な人形か?
……て、あの、突っ込んでいる最中に、目を輝かせて私を見ないで下さい」
「最終的には息を吹き返したのだから、成功でいいじゃないか。
いい経験になったよ」
私にとっては暗黒の歴史だ。
散々ナナメな発言しながら、私の全力の突っ込みを華麗にかわし、正面から受け止めても真顔で首をかしげるこの男。
それだけ一生懸命だったという事か。
人の命が懸かってたんだから、仕方がないと言えばそうなんだけど。
「あれがファーストキスだったなんて……。
人工呼吸ってのはあんまりかと。
相手はまあ、凄くカッコイイんだけど。ううーん……、えええええええ」
「初めてが、なんだって?」
「いいえ! 私事ですから気にしないで下さい!
危ないところを助けてくれたのに、取り乱しちゃってすみません。ありがとうございました」
「死にかけていたんだ、混乱して当然だよ。
君の気分が落ち着くまで、僕が傍にいるから、ここでゆっくりしているといい」
あたふたと頭を下げると、彼は極上のスマイルでこれを返した。
ここで待っていろと言われても、展開が飲み込めていないのに冷静にいられるはずがない。。
乙女の記念とかどうとか、感触がどうとか悩んでいる暇など、今の私にはないはずだ。
自分の貞操よりも、残してきたユーリがどうしているのか確かめなければ。
「すみません。助けてくれたお礼がしたいのですが、私、行かなくちゃいけないところがあるんで」
「いや待つんだ。まだ休んだ方がいい」
「急いでるんです」
男の制止を振り切り、立ち上がろうとするが、体力が万全ではないのか腰に力が入らず、膝が笑ってバランスを崩してしまう。
危うく尻餅をつきそうになったところへ、男が私の脇と足に手を回し、抱き上げた。
イッツ、プリンセスホールド。
私は発狂した。
「ほおおおああああああつっ?!」
「ごめん、危ないと思って、つい。
驚かせてしまったかな」
「何この兄ちゃん、次から次へと防御力低い乙女の心を滅多打ちににしやがって、こういうプレイスタイルがお好みなのか。なんつう紳士。
いや格好からして、ナイトだから、ナイトっぽい言動してもおかしくはないけど。
突っ込んだらボケるし、高確率でカウンターのスーパースマイル光線放つし。
この難敵に、私はどう立ち向かえばいい?!
ヒットポイントがゼロとなる前に行かないと……っ」
「よくわからないけど。降ろす気はないよ」
「なんでですか?!」
「僕を置いてどこかへ行くつもりなんだろう」
「よくわかってるじゃないですか」
「それは良かった。君と意思疎通ができたんだね。とても嬉しいよ」
「私はすごく複雑ですよ」
「大丈夫。僕達きっとわかりあえるさ」
「言った傍から分かり合ってねえええ!
言葉のデットボール散々交わしといて、どこからそんな自信が出てくるの?!」
「これから、二人の溝を埋めるために、じっくり付き合っていけばいい。
そうすれば、絶対理解し合える日がやってくる」
「何百年後の話だ。いらないです、そんな体力と精神力が根こそぎ消滅しそうなお付き合い。
あの、すみません。気遣ってもらっといて、非常に悪いんですけれど、マジで急いでるんです。
ていうか、ちょっと待ってください。
さっき、僕を置いてとか言いませんでした。私が1人になると何かまずいんですか?」
「すまない。実は君を帝都に連れて行かなければならない」
「帝都? ……はあ?」
彼は少し表情を曇らせて、意図の飲み込めない私を宥めるように説明し始めた。
「今後の詳しい予定は、騎士団長――アレクセイ様に報告してからになるけれど。
君を帝都ザーフィアスへ護送することになると思う」
――ザーフィアス?
「本日の夕刻アスピオから、ここ、シャイコス遺跡の上空で不可解な天体観測があったとの報告を受けたんだ。
騎士団長の命の元に駆けつけてみたら、一部の者しか知るはずもないこの場所に、不思議な格好をした君が倒れていてね」
「待って、ちょっと待って下さい!
今ザーフィアスって言いませんでした?」
「ああ。それがどうしたんだい?」
「いや、その、知り合いから同じ国の名前を聞いたことがあったから」
ユーリが暮らしていた下町は、ザーフィアスにあると聞いた。
関わりがあるに違いない。
問題は何をどうやって聞き出せばいいのかだが。
「そういえば、お互い名前も知らないんですよね。
私、桜と言います。如月 桜。女子高生やってます」
「桜か。変わった名前だけれど、いい響きだね。
ジョシコウセイは、何かの職業でいいのかな」
「女子高生は女子高生ですよ。女の子の高等学校の学生。
そういう貴方はテンプレの勇者だか、騎士のコスプレしてなんなんですか」
「こすぷれ……は、よくわからないけど。騎士であっているね。
僕はザーフィアス帝国騎士団小隊長フレン・シーフォ。
フレンでいいよ」
――フレン。
耳した途端、衝撃が走り、即座に過去の記憶が手繰り寄せられる。
かつて、――つか昨晩。ユーリが板チョコを頬張りながら、"生真面目で融通の利かない頭カチコチの幼馴染がいる"と笑っていたが。
その幼馴染の名前が、フレン・シーフォ。
正に目の前にいる男が、その本人だというのか。
「貴方が、ユーリの言ってた幼馴染?」
「ユーリを知っているのか」
黒髪の青年の名前を出すと、フレンはすぐに反応を示した。
帝都ザーフィアス。
フレン・シーフォ。
ユーリ・ローウェル。
……そうなんだ。そういうことなんだ。
私の国に冒険者風の奇抜な服装で刀や剣を携え、白昼堂々歩き回る人なんていない。
つけただけで体調崩すような腕輪なんてない。
こんな壮大な遺跡なんてない。
ユーリが私の世界に来たように、今度は私がユーリの世界に来てしまったのだ。
どうしよう。どうしてしまったんだろう。
本来来るべきなのはユーリのはずなのに、どうして私が……?
望まなくても、信じられなくても、突きつけられた現実から目を逸らすことはできない。
フレンに優しく抱きかかえられ、見守られても、私の胸の内で見えない不安は止め処なくあふれ出す。
――ユーリ。
耐えられなくて、彼を求めても、あの時のように闇夜から姿を現すことはなかった。
■続く■
作成していて、ユーリのセリフ打ってる時が最高に楽しかった。逆にフレンが悩んだ。
真面目で融通利かないって設定で、いかに漫才にするか考えた結果がアレです。
会話が一方通行。ボケの王道ですよね!
うん。なんか他にもいろいろハチャけ過ぎた。でも反省はしていない。
TOVはX-BOXとPS3の両方をクリア済み。
このドリームは、PS3版です。
フレンとパティが仲間になるからね!
ただ続くとありますが、今までどおり気分次第です。
それではまた。
瑛慈 翔