明星の意思、常闇の暁光   作:瑛慈 翔

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【第29話】君と離れて ツッコミを探して

僕がダングレストにやってきたのは、ヨーデル殿下の書状を届け、ユニオンと協定を結ぶ為だ。

殿下の名の下、帝国とギルドの関係を左右する、重大で名誉ある任務。

しかし、すり替えられたニセの書状によって、僕は地下牢に捕らえられてしまった。

 

 

このままでは、帝国とギルドの間に、大規模な武力衝突が起きてしまう。

それだけではない。

ここには、桜がいるんだ。

 

 

この混乱に乗じて、善くない輩、ラゴウ執政官が彼女に危害を加えるかもしれない。

焦燥感が駆け巡るも、僕は一人牢屋の中で耐えた。

 

 

冷静になれ。

彼なら、きっとやってくる。

この状況を見逃すような男ではないはずだ。

 

 

どれくらい待っただろうか。

静かな牢獄で、ただただ彼女の無事を祈っていると、微かな気配が鉄格子の向こうに生まれる。

 

 

「ユーリ、か」

 

「なんだよ。足音殺してやってきたのに、もうバレやがった」

 

 

ユーリは僕を見るなり、ひょいと肩を竦めた。

彼が来てくれた、ということは。

反射的に、彼の傍らに視線を巡らせるが、彼女の姿はない――まさか。

 

 

「桜を置いてきたのか」

 

「こんな辛気臭い場所に、うちのお嬢さんを連れてこれるかよ。

それとも何だ。悲劇のヒーロー宜しく鉄格子越しに、愛の語らいでもしたかったのか」

 

「ち、違う! 僕はただ、彼女の身の安全を案じているのであって……っ!」

 

「柄にもなく大声出すな。バレるだろ。

まあ、牢屋にぶち込まれて神妙な顔している騎士団小隊長の顔は、一見の価値があるかもしれねぇな」

 

「僕を笑いに来たのか」

 

「あいつも心配していたぞ」

 

「僕がこんなことになってしまって、彼女にはすまないとは思っている。

こうしている間にも、彼女は危険にさらされているんだろう。

彼女を守れるのは、僕たちしかいないんだ。

桜の明るい未来のために、僕の代わりにここで死んでくれ、ユーリ」

 

「目がマジなんだけど」

 

「本気だ」

 

「ここまできたってのに、急激に帰りたくなったぞ。

ま、冗談はさておき、いつまでもそうしてるのもなんだ。さっさと出て来いよっと!」

 

 

僕の気持ちを知ってか知らずか、ユーリは軽々と剣を振るい、牢屋の鍵を斬りつけた。

乾いた音を立てて、施錠が落ちると、鉄格子が僕を解放する。

ゆっくりと牢屋から出る僕に、ユーリは没収されていたロングソードを投げて寄越した。

 

 

「ほら、騎士団小隊長ともあろうヤツが、投獄なんて二度とされんな」

 

「いい経験をさせてもらった」

 

「何呑気な事言ってんだ。ひとまず、桜は俺たちに任せて、お前はお前の役目に集中しろ」

 

「桜を守るんだね」

 

「ちげーよっ。 今の話全っ然聞いてなかっただろっ。

あのニセの書状の落とし前つけろっての。お前どんだけあいつに盲目なんだっ」

 

「彼女は、この世界でたった一人の女の子なんだよ。

一番傍にいた君がよくわかってるんじゃないか」

 

「なんか羨ましいじゃないかって聞こえそうなんだけど」

 

 

気のせいだ。

僕は一つ咳払いをして、ユーリを見据えた。

 

 

「エステリーゼ様から聞いたよ。ユーリ。君は桜の為に、かなり無茶をしていると。

正直、持て余しているんじゃないか」

 

「何言ってやがる。あれしきのこと、日常茶飯事だ。女の子一人、可愛がるなんざ余裕だぜ」

 

「ユーリ」

 

「おいおい、ジョークだよ抜剣すんな、まじで殺す気か……っ。それより」

 

「彼女より優先する事項はない」

 

「お前騎士団だよな? 帝国騎士団小隊長だよな?

この腐った世の中をなんとかしようと騎士団に入ったんだよな?」

 

「それはこれ」

 

「置いとくなよっ。本当に桜のことになると、お前は――」

 

「桜のために危険を冒してまで単独行動をしたり、海に潜ったり、傷ついたり、帝国騎士団長に詰め寄ったりしたのは、どこの誰なんだ」

 

「今はあのニセの書状だ」

 

「話を逸らしては駄目だ」

 

「あのなぁ。自分であんな物騒な書状寄越しておいて、駄目なのはそっちだろ」

 

「……」

 

 

ユーリの悪い癖が出た。

都合が悪くなると、すぐに話題を変えようとする。

顔をしかめる僕に気付いたのか、彼は露骨に目を逸らした。

 

 

「睨むなよ」

 

「睨みたくもなるだろう。君はいつだってそうだ」

 

「はいはい、スミマセンでした。それで、ニセの書状なんだが」

 

「ヘリオードからダングレストへ向かう途中、暗殺者――、赤眼に襲われたんだ。

その時にすり替えられたんだろう」

 

「らしくないドジ踏んだな。部下が原因か」

 

「それを含めて、僕の責任だ」

 

 

そうだ。部下の失態は全て、小隊長の僕の責にある。

彼女への制止力になるためのこの立場が、逆に足かせになるとは想定外だった。

こういう時にこそ、ユーリの自由な身が羨ましい。

 

 

「僕に用がないなら、ユーリ、君は今すぐにでも彼女の元へ戻るべきだ。

ドンのあの様子だと、騎士団との衝突は避けられない」

 

「そうしたいのは山々だけどな。

ニセの書状の内容、そんで赤眼の暗殺者が絡んでるってことは、後ろにいるのはラゴウだ。

確実に戦争吹っ掛けたいなら、騎士団にも同じようなニセの書状が行ってるんじゃないのか」

 

「僕にその戦争を食い止めろというんだね。本物の書状を以てして」

 

 

人々の為にも、彼女の為にも、今僕がやるべきこと。

ニセの書状で捕らわれていた手前、公に桜を守ることはできないが、しかし。

決意を新たにすると、僕は踵を返して、ユーリに背を向けた。

 

 

「君はここにいてくれ」

 

「オレは身代わりかよ。お前、やっぱ見捨てる気満々だったんだな」

 

「そうだな。もし戻ってこなかったその時は……。僕の代わりに死んでくれ」

 

「ああ」

 

「桜の全ては、僕が引き受ける。心置きなく逝ってくれ」

 

「おい、ちょっと待て」

 

 

ユーリの覚悟と信頼を乗り越えて、僕は駆け出した。

後ろの方で、ユーリが何か言っているが、足を止めるわけにはいかない。

本物の書状を取り戻し、一刻も戦争を、彼女を救うためにも、僕は一心に地を蹴った。

 

 

 

************************************

 

 

 

重大なミスを冒して、フレンを解放した後のこと。

オレたちは、じいさんに頼まれて、ラゴウとバルボスを討つべく動いていた。

街の酒場から、地下水道を通り、この戦争の黒幕が集う宴の中へ。

案の定、バルボスとラゴウは魔核や桜のことで腹に一物かかえながら、ギルドと騎士団の戦争を高みで見物していやがった。

 

 

――今まで通り、上手くいくとは思うなよ。

 

 

オレの思惑に間に合わせたかのように、フレンの高らかな声が響く。

どうやら、無事本物の書状を取り戻せたようた。

これで、バルボスやラゴウの企みも食い止められるだろ。

桜の件は無しだよな……?

安堵もつかの間、その桜はオレの目の前で、バルボスに攫われてしまった。

フレンとドンに大見得切った傍から、これかよっ!

 

 

――どんな手を使ってでも、無事に取り戻す。

 

 

遠くなるあいつを目で追っていると、視界に影が過った。

竜使いだ。ヘリオードの宿以来だったか。

優雅に宙を舞う竜使いは、オレたちを脇目にぐるりと旋回し、バルボスの行った方角へ向き直った。

あいつを追いかけるつもりか、なら――

 

 

――オレも一緒に頼む! 生憎羽の生えたヤツはいないんでね。

 

 

飛んでいけるやつなら、誰だっていい。

なんとしてでも、桜を助け出さくちゃいけねぇ。

頼む!と拝み倒すと、竜使いは黙って承諾してくれた。

 

 

 

 

 

怒り狂うリタと皆をダングレストに残し、オレと竜使いは遥か大空へとダイブする。

バルボスを追って、見えてきたのは、竜巻に覆われた塔。

あそこにあいつが捕らわれている。

いきり立つ気持ちを抑えながら、勢いよく飛び込んだが。

オレたちは桜に会えるどころか、逆にバルボスの剣で武器を取り上げあれ、挙句に捕まっちまった。

 

 

バルボスが使っていた剣。

あれはもしかして、下町の水道魔導器の魔核じゃねぇか。

 

 

それを目に焼き付けておいたオレは、竜使いの共々密室部屋に閉じ込められた。

さて、ここからどうやって、脱出しようか。

考えるオレの前で、竜使いはなんの躊躇いもなく素顔を露わにした。

 

 

魔導器を壊して回る竜使い、その正体はクリティア族のジュディス――ジュディだ。

桜とはトルビキアの森で顔見知りらしく、バルボスの魔導器を壊すついでに、あいつにお友達の借りを返したいんだと。

何から何まで理由が不明だが、敵の本陣ド真ん中、皆がいない今、敵より味方がついてくれる方がありがたい。

 

 

その場で一時結託したオレとジュディは、一芝居を打ち、部屋から脱出して、武器を取り戻して、さあ桜を探そうとのりだしたんだが。

 

 

この塔の有様を見て、愕然としてしまう。

行く先々で、バルボスの手下や、魔物やゴーレムまで、次々にわいてきたからだ。

こんなところに、あいつが捕まっているのか。

一歩でも部屋を出たら、魔物の餌食になっちまう。

危機感を覚えるオレ追い打つように、バルボスの言葉が脳裏を過った。

 

 

『この娘が、エアルを吸収だと? くっくっく、面白い。

ただの余興くらい思っていたが、ようやく娘の利用価値が見出せそうだ』

 

――やめろ。

 

『まあいい。連れ帰って、魔核の様に連中に調べさせれば、何か掴めるだろうよ』

 

――やめろ!

 

胸糞の悪いバルボスの歪んだ顔、ヤツの銃口を向けられ恐怖におびえる桜の表情を思い出してしまう。

オレがちんたら魔物を蹴散らしている間にも、あいつはバルボスの手に……っ。

 

 

嫌な予感が頭から離れねぇ!

桜は、あいつはどこにいる!?

 

 

いくつもの扉を蹴飛ばし、立ちはだかる連中をぶっ飛ばして、ひたすら突き進んだ。

いつも傍にいて、名を呼びかけてくるあいつがいない。

焦りと喪失感が早く、早くと、オレを急き立てる。

とにかく上だ。バルボスがいるところに、あいつも捕らえられている可能性が高い。

早る気持ちを抑えて、階段を上がったところ、人の気配がした。

 

 

――また、バルボスの犬か!?

 

 

苛立ちながら刀を抜こうとして、その手が止まる。

見知った二人が揃って、そこに立っていたからだ。

デューク。

デイドン砦で出会い、ケーブ・モック大森林で一時共闘したんだが。

なんで、あいつがここにいる?

疑問の答えは、そいつの視線の先にあった。

 

 

――桜!

 

 

思わず駆け寄ろうとして、あいつを凝視した。

桜の様子が明らかにおかしい。

瞳はまるで何かに怯えたかのように見開き、肩を震わせ、力なく項垂れていた。

 

 

――オレのいない間に、何があった?

 

 

バルボスだけでなく、デュークまで、桜を傷つけたというのか。

怒りとも後悔ともつかない感情がふつふつと内側から湧き上がってきた。

どいつもこいつも寄ってたかって、一人の女の子をいたぶって何を考えてやがる……っ!

 

 

あいつの咽ぶ声がした。

今にも泣きそうに歪む顔、縋るような手が前へと延びる。

 

 

オレは一目散に、デューク目掛けて拳を振るいあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

君と離れて ツッコミを探して

 

数多のボケを迫った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歯車の楼閣 ガスファロストからこんにちは、人智を超えた生命体に進化しつつある女子高生です。

そう。見た目はどこにでもいそうな女の子、だが、その実態はエアルを感知し、吸収する始祖の隷長もどきだったのだ!

……泣きたい。

平々凡々な女の子してた人間が、何が嬉しくて始祖の隷長なんて物体Xに成体しなきゃならんのか。

いますぐBボタン連打して進化キャンセルしたいところだが、言い出しっぺのコミュ能力迷路なデュークがやれ人間じゃないとか、人智超えてるとか、人類否定してきて、一般人のやってた私としては堪ったものではなかった。

今までユーリたちが身を粉にして守っていた女の子が、実は人間辞めてたとか、どんな罰ゲームなんだ。

幸いといいのか、ユーリ達はまだそのことを知らない。

 

 

(できれば、一生、知らないでいて欲しいんだけどなぁ)

 

 

切に願いながら、私は改めてこの塔を見回した。

挨拶でもあった通り、ここはバルボスの本拠地である塔 ガスファロスト。

大小様々な歯車が所せましに張り巡らされており、上へと続く階段が行く手を阻むように明後日の方向に向いている。

私たちの目的は、この塔の頂上にいると思われるバルボスを倒して、下町の魔核を取り戻すこと。

その為に、私たちは、現在進行形で塔の最上部を目指しているんだが。

 

 

(ダングレストでも、歯が立たなかったのに、私たち勝てるのかな)

 

 

そうやって物思いにふける私に容赦なく、聞きなれた強気な声が私に降りかかった。

 

 

「桜、休んでる暇ないわよ! あそこにソーサラーリング打って! そんで次はあそこのゴーレムね!」

 

「わ、わかった!」

 

 

天災……もとい、天才魔導少女リタの指示に従い、私は右手の指輪から光弾を放ち、近くの歯車に当てた。

射撃を受けた歯車はギチギチと音を立てて動き出し、上りの階段を差し出してくる。

私はそれを待たずして、即座に重々しく迫りくるゴーレム目掛けて光弾を放った。

 

 

「動きが止まった! ユーリ!」

 

「おうよ! 行くぞラピード! カロル!」

 

「ワフッ!」

 

「任せて!」

 

 

私が合図を送ると、脇で構えていたユーリとラピード、カロルがゴーレムに一斉攻撃を仕掛けた。

鋭い斬撃に続いて、とめどない太刀の雨、止めとばかり重い一撃を加えられ、ゴーレムはただの石塊と化す。

これで何度目だろうか。

私たちは階段を登る度に次の階段用意しては、こうやって襲い掛かる魔物やバルボスの手下をのして進んでいく。激しいルーチンワークを強いられていた。

これじゃあ、私のことがどうこう説明する隙もなんてないよね。

もはや悩んでいる暇もないと内心嘆いていると、上りの階段へ足をかけたフレンが私へ声をかけてきた。

 

 

「さあ、先へ進もう。桜はこっちへ!」

 

「え、ええと」

 

 

王子様の如く差し出された彼の手を前にして、私は動きを止めた。

フツーの女の子であれば、トキメキ勇んで取っていただろうが、残念私は普通ではない何かだ。

そんな私が気安く、未来有望な彼と接触してもよいものか。

そうやって戸惑う私の脇を、一人の男が流水の様な銀髪をなびかせ、ゆっくりと横切った。

 

 

「行くぞ。如月」

 

「待って。今行く」

 

 

私を促したデュークは、淡々と階段を登って行った。

慌てて後を追う私。

彼はエアルを操る剣を待っていて、このエアルが充満する塔から、私を守っているのだ。

離れるわけにはいかない。

一応、ソーサラーリングのバワーアップについて、リタに問い詰められてしまった時、すかさずこの施設のせいだと一蹴したのも彼だったりする。

デュークなりに、私を助けてくれてるんだろうけど。

現に彼は緩やかに歩く様は、まるで私をエスコートしているようであった。

 

 

(私に合わせてくれるんだ)

 

 

チラリと私を掠め見るデュークに、ちょっと感心していると、痛い視線を感じた。

……エスコートと言えば、フレンの手をスルーしたのは拙かっただろうか。

私が懸念していた通り、デュークを除いた皆は顔を見合わせて、各々百面相をしていた。

 

 

「桜。どうしてしまったんだ……。僕が彼女に何か不快な事でもしてしまったのか?」

 

「あれだけ暴走しといて、よく言うわ。とうとう愛想つかしたんじゃないの?」

 

「リタ。桜はきっと照れているんです。フレン、もう少しですよ。押しが肝心なのです!」

 

「エステルはそういうけどさ。

桜には、いっつもユーリやフレンが傍についているんだよ?

今更、照れるとかないんじゃないかなー」

 

「乙女心が分かってないわね、少年。

桜ちゃんだって、お年頃なんだよ。

お姫様のごとく誠心誠意尽くしてくれる美青年たちに、ほのかな意識が芽生えちゃったりなんかして」

 

「殺意ね」

 

「んなわけあるかあああ!」

 

 

話をややこしくしたくないから静観していたんだが、ジュディスのとんでも回答に、私は思わず絶叫した。

 

 

「黙って聞いていれば、皆好き勝手言って!

私とユーリとフレンさんの話から、なんでバイオレンスが生まれるんだよ!? 思考回路がバーストだよ! 当の私に至っては大混乱だ!!」

 

「美形も毎日拝んでいたら、どうとでもなるものよ」

 

「ならん! ホントにどうにかなってしまいそうだよ、別の意味で!」

 

「どうにかなりそうって、桜ちゃんやっぱり恋しちゃってるんだ、初々しいね不思議少女!

俺様が慰めてもいいんだぜ」

 

「いらない」

 

「おっさんの会心の一言をぶつ切りにしないで。

青年とフレンちゃん限定の恋慕なの!?」

 

「それはない」

 

 

美青年たちに応える程の魅力が微塵もない悲しい現実を何度言わせれば済むんだ。

階段の上で仁王立ちする私がスッパリ言い切った途端、その場が沈黙に覆われた。

私を見守るデューク、それ見ろと言わんばかりに頷くリタ、エステルはオロオロし始め、レイブンはげんなりし、ジュディスは小首をかしげる。

カロルに至っては、堪え切れないように腹を抱えながら、ユーリに肘ツンツンした。

 

 

「言いきったよ。やっぱり、いつも一緒にいたら慣れちゃうんだって」

 

「なんでオレたちを見てニヤニヤしてるんだよ。カロル」

 

「何故だろう。慣れてくれるのは嬉しいんだけれど、この消失感は一体」

 

 

知らんわ。

ユーリは沈痛な面持ちでカロルを睨み、フレンは酷く困惑した様子で胸を抑えた。

敵地なのに、なんだ、この浮ついた雰囲気は。ひょっとしなくとも、私からかわれてる?

当惑する私であったが、デュークが肩を叩かれ、我に返った。

 

 

「如月」

 

「ああ、ゴメン、待たせちゃった。先に進まなくちゃね」

 

「私ではだめだろうか」

 

「だめだろーかじゃねえわよ! 真顔で何を言い出すかと思えば、お前もスポット参戦すんのかよ!?」

 

「スポットではない」

 

「私の安息を奪う気か。止めて、真顔でアホな話に乗るの。反応に困る」

 

「慣れるのではなかったのか」

 

「慣れるかよ。実は己が美形だと自負しているのか、この男……っ!」

 

 

澄ました顔して、自身がイケメンであると暗に示すデュークに、私は戦慄が走った。

確かに、絹のようなプラチナブロンドに整った眉目、長いまつげに燃えるような赤い瞳なんて総攻撃受けたら冷静ではいられない。

彼から無遠慮に近づかれて、私は更にたじたじになった。

 

 

「ちょっとデュークさん。そんな顔で近づくと、私いろいろ大変なことになりそうです勘弁してください」

 

「私がいると言った」

 

「ええ、言ってたね。言いましたね。確かに。

一体どういう意味――いや、今聞きたくないです。

また今度でいいからお願いします迫らないで……っ!」

 

「私も慣れてもらわないと困る」

 

「どこが!?」

 

「今後のお前のことでだ。

私でなければ、お前は困るのではないか」

 

「あ――」

 

 

そろそろ乙女回路がショートしそうって時に、デュークから真剣に指摘されて、正気に戻った。

彼は全てが終わった後のことを気にかけているのか。

バルボスを討伐して、下町の魔核を取り戻したら、私の番――正体を暴かれてしまう。

そうなったら、皆に見捨てられるかもしれない。私は、彼についていくしかないのだろうか。

大きな不安が心を巣食って、胸を抑える私の視界を、見慣れた広い背中が覆った。

 

 

「あんまり、うちのお嬢さんを拐かすのは、やめてくんねぇかな」

 

「ユーリ」

 

 

異様な雰囲気を割いて、ユーリが颯爽と私の前に躍り出た。

彼は腰に手をやり、挑発的な目をデュークに突きつける。

あの時のように、戦う気はないようだが。

ユーリは不安げに見つめる私を微笑で返すと、デュークに向き直った。

 

 

「桜を助けてくれたんだってな。あん時は悪かった。礼を言うよ」

 

「構わない」

 

「だが、こっからは、オレの領分だ。

あんま、こいつを誘惑するなよ。こう見えてデリケートなんでね」

 

「お前はそれでいいのか」

 

「ああ?」

 

「例えば。今まで屠ってきた魔物を、どう見ている」

 

「何をいきなり。魔物は人を襲う。人類の天敵だろ」

 

「やはり、お前たちは、そう見ているのか」

 

 

常識だろうと一蹴するユーリを、デュークは一瞥すると、私たちに背を向けた。

 

 

「もうすぐ頂上だ。大男と衝突する。彼女の傍にいてやれ」

 

「言われなくとも、そのつもりだ。

お前は指でも加えて、そこで突っ立っていろ」

 

「彼女がいる。離れるわけにはいかない」

 

「こっちとしては、お前に妙な真似されると、困るんだけどな。――じゃあ、桜、行くぞ」

 

「え、あ、ちょっと……!」

 

 

頂上へと歩き始めるデュークに、ユーリは嘆息しながらも、強引に私の手を引いて後に続いた。

手のひらから伝わる彼の体温と手の圧力が心強い。

反面、これから引き起こされる激闘と、私のその後を予感し、憂いが積もる。

そんな私の心境を置いてけぼりに、皆は頂上へと足を進めた。

 

 

 

 

 

一杯に広がる青空、そよ吹く気持ちのいい風、広大なフロアの中心にその男はいた。

大柄で赤いジャケットを羽織った、紅の絆傭兵団のボスにして、黒幕の一人である隻眼の男バルボス。

私たちの姿を確認すると、男は憎々しげにユーリを睨みつけた。

 

 

「また性懲りもなくやってきたのか、小僧」

 

「待たせちまったな」

 

「減らず口を……。まあいい。これまでの邪魔は、その娘を回収してくれたことで帳消しにしてやる。

……苦しまねぇように、殺してやるさ」

 

「物騒な親切寄越されても、もともとこいつは誰のものでもねぇよ」

 

「イエガーの野郎めが、娘一人逃がすなんざ、とんだヘマしやがって。

最終的にワシの元へ戻ってきたなら問題ない」

 

「うちのお嬢さんをくれてやるつもりは微塵もないって、言ってるんだけどな。

もうろくでもしたのか、バルボスのおじさんよ」

 

「お前の都合なんざ知ったことじゃねぇ。

娘を差し出して楽に死ぬか、惨たらしく死んで娘を奪われるかの二択だ」

 

「わかりやすい選択肢で助かるよ。

生憎、オレはこいつ残してくたばるつもりはないんでね。てめぇを倒して、お持ち帰りさせてもらうぜ」

 

 

ユーリは言って、私を引き寄せた。

次の瞬間、バルボスが例の剣を私たちに向けて、衝撃波を放つ。

ユーリは私を抱えて、大きく横へ飛び、デュークもそれに合わせる。

皆も皆で散り散りになりながらも回避した。

 

 

「あいつ、桜にあたったらどうするつもりだ?

しかも、下町の魔核をあんなのに使いやがって」

 

「ユーリ。今は桜を守りながら、バルボスを食い止めることだけに集中してくれ。

ここで耐えれば、間もなく騎士団がくる」

 

「そうです。ここはフレンに任せて、桜の盾になって下さい」

 

「なってたまるかああ! 私の良心がファーストインパクト起こす! 核爆発起こす!

私の胃が強烈な悲鳴を上げている!」

 

「大丈夫です。カロルという次弾がありますよ。あ、レイヴンも」

 

「幼気な少年を盾にすんじゃない! 狙いはセカンドインパクトかよ!

いい加減私に精神攻撃するのは止めろ!!

とりあえず、レイヴンさんは良いとして!」

 

「俺は良いの!?」

 

「カプワ・ノールからおっさんは引き続き生物シールドになってもらうのであった」

 

「桜ちゃん。あのことまだ根に持ってるのね」

 

 

両人差し指をツンツンしながらいじけるおっさん。

あの忌まわしき拉致第二弾を忘れて堪るか。

にしても……

 

 

「ユーリもカロルも、ちょっとは否定しないと。

本当に盾にされるよ」

 

「お前の盾ぐらいなんてことない!」

 

「あ、あのね……」

 

「桜は戦えないじゃん。ボ、ボクも頑張って守らないと」

 

 

ユーリが私を背において勢いよく刀を抜くと、カロルもふんばりながら大剣を構えた。

あのいつも弄られていたカロルの小さな背中が、今は眩しい。

少年の涙ぐましい成長に、感動する暇もなく、その場に殺気が立ち込める。

私たちの掛け合いに、呆気にとられるバルボスからではない。

では、誰が――と、振り返ったそこには、華麗なステップを踏みながら、勢いをつけて杖を突きを繰り出す皇女の姿が。

 

 

「ディバイドエッジ」

 

「うぎゃあああああああっ」

 

 

エステルの強力な突きを背中に食らったカロルは、衝撃を受け止められず宙を舞う。

 

 

「飛びました!」

 

「飛びましたじゃない! てか、何飛ばしてるの!?」

 

「弾幕にするのです!」

 

「砲弾かよ!? 弾幕って何か、ユーリや他のみんなもぶっ飛ばす気なのか貴様!!」

 

 

私たちが掛け合いやっている間にも、カロルはあれよあれよという間に飛んでいき、バルボスの頭上へ差し掛かって。

 

 

「――ぁぁああああああっ!! へぶしっ!!」

 

 

バルボスにサッと横へ避けられ、カロルはあえなく地面にディープキスをした。

 

 

「バルボス! なんて非道な事を!」

 

「非道なのは、あんたの方だよエステル!!」

 

「カロルは桜の為に死んだのでした」

 

「勝手に殺すなよ! 生きてる! 地面でピクピクしてるから辛うじて生きてるって回復を!」

 

「続いてレイヴンさんも逝きましょう!!」

 

「それならよし!」

 

「よくないよ! おっさんの命を尊んで!!」

 

「リタの魔術で軌道修正すれば、きっと逝けます!」

 

「あたしの出番ね!!」

 

「美少女たちが揃いも揃って、おっさんいじめないでよ!!

俺様の尊厳を見つめなおしてくれる子猫ちゃんはいないの!?」

 

「――お前ら、いい加減にしろ!!」

 

 

エステルが例の如く暴走し始めると、蚊帳の外に置かれていたバルボスが怒りに吠えた。

うん、まあ、普通は怒るよね。

などと納得している場合ではない。

バルボスは、怒り任せに、機械仕掛けの剣で衝撃波を仕掛けてきた。

再び襲い掛かる嵐の弾幕に、ユーリは器用に私をかばいながら、舌打ちをする。

 

 

「ちぃっ! 時間稼ぐにしたって、あれをなんとかしねぇと始まらねえ!」

 

「ユーリ。いつもの衝撃波で、あの剣を破壊することはできないの?」

 

「リーチがありすぎる。撃つ前にあいつの攻撃を受けちまうだろうよ」

 

「グハハッ! 小僧の言う通りだ! 分を弁えねえバカどもが!」

 

 

衝撃波に弄ばれる私たちの耳に、バルボスの哄笑が響く。

 

 

「ワシはここから始まるのだ。

ドン・ホワイトホースを消し、ワシがギルドの頂点に立つ! ギルドの次は帝国だ!

この大楼閣 ガスファロストが、あの男と帝国を利用して作り上げたこの魔導器があればな!」

 

「あの男……?」

 

 

バルボスの言葉に、フレンは眉尻を跳ねた。

誰のことを言っているのだろうか。

疑問が過るも、バルボスに爛々とした眼光を向けられ、私は考えも吹っ飛び震え上がった。

 

 

「手始めに、その娘だ!」

 

「わ、私!?」

 

「エアルの件、忘れたとは言わせねぇぞ!」

 

「なななんのことだか、私にはさっぱりいい!」

 

「しらばっくれても、実験をすれば明らかになるだろうさ!

なあに、エアルで使えなくなったとしても、まだまだ利用価値はある!」

 

「一般女子に向かって、中年太りのニヒルな笑みとか止めて頂けません!?

私はなんの価値もない、ただの高校生なんですけどおお!!」

 

「てめぇの価値観なんぞ、知ったことか!」

 

「ひゃっ!」

 

「させるかよ!」

 

 

ダングレストの酒場の時のように、バルボスが突進をしかけてきたが、寸でのところで、ユーリが私を抱き寄せて回避した。

二度目は通用しないと悟ったバルボスは、小さく舌打ちをして、私たちを睨んだ。

ユーリは、それを鋭い眼光で返す。

 

 

「ふざけんなっ。テメェみたいな下種な考え持った連中がいるから、こいつは……っ」

 

「ユーリ。私を抱えてちゃあ、戦えないよ」

 

「体重のこと気にしてんのか?」

 

「ちげえええええっ!

死線を貫通している中、去ねる思いで告白してきたのに、なんだそのテリカシー欠片もない残念な美青年のセリフは!?」

 

「気にすんな、お前くらい軽い軽い。

どちらにせよ。あの厄介な剣をなんとかしなきゃだな」

 

「そうは言っても……っ」

 

 

そうこうしている間にも、バルボスの剣から放たれる衝撃波が次々に放たれ、皆の命を脅かす。

バルボスはあの剣を魔導器だと言った。

なら、この衝撃波もエアルによって引き起こされたものではないか。

ダングレストの酒場で、バルボスのライフルがユーリに向けられた時。

――あの時のように、私がエアルを吸収すれば、一瞬でも隙を作れるんじゃないか。

 

 

(これだけのエアルを吸収できるの?

私の体がどれだけ保つのか……)

 

 

正直、怖い。とんでもなく怖い。今すぐ逃げ出してしまいたい。

でも、この状況を打破するには、皆を助けるには、少しのチャンスを逃してはいけない。

私は震える心に活を入れて、よろよろとユーリから離れた。

 

 

「桜?」

 

「ユーリ。待ってて」

 

「おい。どうしたってんだ。そんな顔して」

 

「ここは、私がなんとか」

 

 

なんとかしなくては、

揺らぐ心に無理矢理覚悟で締め付けて、私は真っ直ぐ立ち上がった。

意識の全てを猛威を振るう剣へと集中させる。

ユーリの時を思い出せ。

エアルを消し去るように、お願いすれば。

私なら、私でないと出来ないはずなんだ。

心の中で自分に訴えていると、不意に私の肩を誰かが抑えた。

 

 

「あれを解決すればいいのだな、如月」

 

「デューク?」

 

「少しの辛抱だ。――伏せろ」

 

 

私へ天の声をかけてきたデュークは、一方的にそう告げた。

わけも分らず、私たちが一斉に身を伏せるな否や、彼は一振りの剣を掲げる。

途端、ケーブ・モック大森林のエアルクレーネの時とは違う、剣からエアルという光が放射された。

揺れる視界、襲い掛かる疲労感、にじみ出る脂汗。

 

 

(うえええええっ。こんな時にエアル酔い!?)

 

「おい、桜! 無事か!?」

 

 

ふらつく私をユーリがしっかりと抱きかかえる。

彼の腕の中で、グラグラする頭を抱えながら、デュークを見上げた。

こんな時にエアル放出とか、何しでかすんだ……っ!

困惑する私であったが、その答えはバルボスの驚愕の声から始まった。

 

 

「何っ!?」

 

 

命一杯エアルを受けたバルボスの剣が、耐えきれずに大破したのだ。

愕然とするバルボスを尻目に、デュークは剣を下ろし、エアルの波を止めると、私の方へ振り返った。

 

 

「大丈夫か?」

 

「生きてるよ。でも、こんな手があるなら、さっさと使ってくれたらいいじゃない」

 

「お前が苦しむからだ」

 

 

一応デュークは、私の身体を案じていたようだ。

エアルを感知できないユーリにしてみれば、何のことだかサッパリなのだろう。

彼は怪訝な表情で、デュークに詰め寄った。

 

 

「お前、こいつに何をした。エアル酔いなのか?」

 

「魔導器の剣を破壊するため、エアルを放出した。

如月はその余波があたったようだ」

 

「なんだよ。とばっちり食らったってのか。

こいつにダメージ与えてどうする?」

 

「お前にはわかるまい」

 

「ああ、わかりたくもないね。

桜を傷つけてまで、得たい信頼とやらがな」

 

「……」

 

 

ユーリに皮肉を言われても、デュークはどこ吹く風だ。

実際の所、彼があそこで名乗りでてくれなければ、私が衝撃波のエアルを吸収し、へばっていただろう。

……まあ、上手くいくかどうかわからなかったし、出来たとしても、私の正体がバレてしまう可能性だってあったわけで。

 

 

「いいじゃない。私もう元気だし」

 

「よくないよ。お前、あんな目に遭って、よく平然としてられるな」

 

「エアル酔いなんて、いつものこと。大丈夫」

 

「本当か? どこか、辛いところはないか?

あん時、何かしようとしていたが」

 

「それは、なんというか……」

 

「二人とも、仲睦ましく談笑しているところ、悪いのだけれど。お客さんがお目見えよ」

 

 

ユーリから真摯な瞳を受けて、オロオロしていると、ジュディスが促すように周囲に視線を巡らせた。

彼女が目配せした先、このフロアの四方の扉から、ぞろぞろと傭兵たちが出現する。

バルボスはただの棒切れとなった剣の魔導器を放り投げて、代わりに背の大剣を私たちへ向けた。

 

 

「賢しい知恵と魔導器で得る力などまがい物にすぎん……か。

所詮、最後に頼れるのは、己の力のみだったな。

――お前ら、剣を取れ!」

 

 

バルボスが言うなり、傭兵たちの殺気が膨れ上がった。

数は目視するだけでも10人。いいや、建物の向こうから、まだ追加できているようだ。

こちらは私を除いて、8人と1匹、数では圧倒的に向こう側に分がある。

しかも、私という足手まといがいるときた。

戦況的不利を悟ったのか、気だるげにしていたレイヴンも身構える。

 

 

「あちゃ~、力に酔っている分、扱いやすそうだったのにね」

 

「開き直ったバカほど、扱いにくいものはないわ」

 

「ホワイトホースに並ぶつわもの、剛風のバルボスと呼ばれたワシの力と。

ワシが作り上げた"紅の絆傭兵団"の力、その身でたっぷり味わうがよい!」

 

 

リタの挑発を華麗に流して、バルボスが襲い掛かる――狙いは

 

 

「やっぱり私か!?」

 

「弱いところからってのが、常套手段ってなあ! 後悔しやがれ!」

 

「させねぇって言ってんだろ!」

 

 

バルボスが私に掴み掛からん勢いで迫ってきたが、すぐ傍にいたユーリが衝撃波を放って食い止めた。

 

 

「オレを忘れんなよ。……こいつは、おさわり厳禁だ」

 

「娘を守りながらワシと戦うなんざ、どこまで自分の力を過信してやがる」

 

「過信しているのは、お前の方だと思うがな」

 

 

バルボスの攻撃をきっかけに、大空の下で戦闘の火蓋が切って落ろされていた。

迫りくる傭兵たちをカロルが大剣を振り回してひるませ、避ける傍から、ラピードの刃が、レイヴンの矢が、リタの魔術が炸裂。それでも尚武器をとる者がいれば、ジュディスの槍が降り掛かった。

エステルが回復術を行使し、彼女を守るように、フレンが傭兵たちを蹴散らしていく。

デュークはというと、私に向かってくる傭兵たち、とりわけ魔術師を狙って、風の魔術でダイナミックけん制していた。

……傭兵の半分は相手にしているんですが、彼。

ケーブ・モック大森林でもそうだったが、強すぎやしないか。

これには、流石のバルボスも目を見張った。

 

 

「なんだあいつは!?

ワシの最強の傭兵たちが、あんな容易く……なんて化け物を連れてきてやがる!」

 

「さてね。オレも驚きだ。……あの大口は、ホラじゃなかったってわけか」

 

「仕方ねえ。こうなれば、そこの娘も道連れよ!」

 

「だから、なんで私!?」

 

「ホントしつこいヤツだぜ!」

 

 

性懲りもなく私に迫り狂うバルボスに、ユーリの太刀がそれを阻んだ。

交錯する刃、飛び散る火花、彼らの激しい攻防が私の前で繰り広げられる。

耳を劈く音が合わさった瞬間、バルボスの憤怒で振り上げられた大剣が、ユーリごと刀を突き飛ばした。

 

 

「なめるなよ、小僧!」

 

「うおっ!?」

 

 

刀を弾かれ、がら空きになったところに、バルボスの鉄拳がのめり込む。

くの字に曲がるユーリの身体、吐いた先から血が飛び散った。

内臓をやられたか!?

 

 

「か、は……っ!

 

「ユーリ!」

 

「くっ、まだだ……っ! くらえ!!」

 

 

ユーリは歯を食いしばると、私を制して、至近距離のバルボスの腹に拳を数発叩き込んだ。

目に留まらない強力な鉄拳攻撃に、バルボスの巨体が微かに浮く。

これなら、と湧き上がる私を余所に、大男の口元が吊り上がった。

 

 

「これだけか! ハンマーロールッ!」

 

「んなっ!!」

 

 

バルボスの懐深く入ったユーリに、大剣が大振りの横なぎに入った。

即座に刀で防御を取るが、またしても弾かれて、小石のように大きく吹っ飛ぶ。

 

 

「いけない! ユーリ」

 

「人の心配している場合か」

 

 

ユーリを目で追うより早く、バルボスの嘲笑が私の注意を引いた。

なんて頑丈なんだと思ったが、口を拭う袖が血に染まっている。

ユーリの攻撃は効いていたようだ。

とは言っても、油断できない。

ユーリを剥がされた私は丸腰……いや! 右腕の指輪に目が走る!

 

 

「この!」

 

「お見通しよ!」

 

 

思い切ってソーサラーリングを放つも、その体躯に似合わず、身体を大きく反って、避けられてしまった。

あああああああああああああああっ! 私の唯一の攻撃手段があああああああっ!

今にも発狂しそうになる私へ、バルボスの腕が迫る。

もうおしまいかと身を強張らせた私の前に、一つの影が滑り込んだ。

なびく漆黒の髪に、見慣れた広い背中、輝くその鋭利な刃が、バルボスの肩を捉えた。

 

 

「いくぜ! 双牙掌!」

 

「ごふぉ!」

 

 

再度バルボスの懐に潜り込んだユーリが刀を振り落とし、続けて右腕からの鋭いアッパーカットがその顎をえぐった。

脳震盪か、ふらつくバルボスに休む暇も与えず、ユーリの連撃が繰り出される。

 

 

「爪竜連牙――おらぁっ!!」

 

「そんな、バカな……っ!」

 

 

ユーリはその身を回転させながら、太刀と回し蹴りを交互にバルボスの巨体に満遍なく浴びせた。

雪崩のようなユーリの攻撃に、身を痙攣させるバルボス。

その体躯にいくつもの痣と斬り傷を残しながらも、男はまだ立っていた。

 

 

「ごはっ!……く、なぜこんな小僧に、ワシは……っ」

 

「……もうお前の部下はいない。これ以上の抵抗は無駄だ」

 

 

ロングソード片手にフレンが私の傍らまでやってくると、バルボスへそう言い放った。

見回すと、皆も傭兵たちをやっつけたのか、次々に私たちも元へ駆けつけてくる。

追い詰められたバルボスへ、ユーリは私を背で庇いながら、止めとばかりに皮肉った。

 

 

「器が知れたな。分をわきまえないバカはあんただってことだ」

 

「ぐっ……ハハハッ、なるほど、どうやらそのようだ」

 

「観念しろ、バルボス。彼女は、帝国騎士団の管理下にある。

拉致及び監禁をした罪は重い」

 

「欲張った結果が、このザマということか」

 

「大人しく縛に就いてください。

そうすれば、桜への執拗な変態行為は目を瞑ってあげます」

 

 

青空の下、張り詰めた空気の中、真剣な表情でエステルが意味不明なことをのたまうことで、全ての時が止まった。

おまけにピシリっと、意思疎通に亀裂が走ったような気がする。

えーと、えーっと。

 

 

「エステルさん止めてこういう時にそういう斜め上な発言するの」

 

「拉致監禁をして実験だと薄ら笑いを浮かべるのは、立派な変態行為です」

 

「いやあのそんな言い方されるとホントに変態さん想像しちゃうんですけど」

 

「桜がそう思っているなら立派な変態です」

 

「あんたに変態の定義を植え付けた本があるなら、今すく持ってこい。

二度と再販できないように燃やし尽くしてくれる」

 

「そもそも何を想像してんだよ、このお姫さんは」

 

 

変態さんに殺意を漲らせるエステルに、危機感を覚える私と呆れるユーリ。

勝手に変態認定された哀れなバルボスは、クツクツと笑い出した。

とうとう気狂いでもしたのだろうか。

ドン引きする私たちを遠巻きにし、バルボスはおぼつかない足取りで後退した。

皆から逃げようにも、後ろは塔の外。逃げ場はない。

 

 

「変態か。これ以上、醜態を晒すつもりはない」

 

「受け入れるのかよ……」

 

「ここで喚いても、負け犬の遠吠えよ。……ユーリ、とか言ったな?

お前は若い頃のドン・ホワイトホースに似ている。……そっくりだ」

 

「オレがあんなじいさんになるってか。ぞっとしない話だな」

 

 

言われてみれば、外見はともかく、中身は似ているかもしれない。

大胆不敵なところや、デリカシーがないところや、服装なんかが。

私の視線に気が付いたのか、ユーリはやれやれと肩をすくめた。

 

 

「あのな。オレはじいさんと違って、お前にだけは、お姫様のように親切丁寧に扱ってきたつもりだぞ」

 

「これまでの狼藉を"つもり"で片付ける気か」

 

「オレのあふれる愛を理解してくれないなんて悲しいね」

 

「棒読みで告白されても説得力が微塵もないわ」

 

 

のらりくらりと私を往なすユーリ。

私たちの様子を見ていたバルボスは、フンと鼻で笑い飛ばした。

 

 

「こんな状況に陥っても、その娘にご執心とはな」

 

「問題が出てくんなら、片っ端から蹴散らせばいいだろ。今のお前のようにな」

 

「貴様はいずれ世界に大きな敵を作る。……そして、世界に食い潰される」

 

 

いきなり不吉なことを言い出すバルホスに、私とユーリを顔を見合わせた。

 

 

「どういう意味だ」

 

「悔やみ、嘆き、絶望した貴様たちがやってくるのを先に地獄で待つとしよう」

 

「待って、それはどういう――」

 

 

私が問い詰めるより早く、バルボスは塔の外へ身を投げたした。

連れてこられた時に見たからわかる。ここから落ちたら、ただでは済まない。

落下の瞬間、狂気に歪むバルボスの顔。

大きく目を見開く私、動揺が走る皆の前で、隻眼の男は悲鳴を上げることなく堕ちていった。

 

 

「……っ」

 

「見るな」

 

「だって」

 

「あんなヤツのことより、下町の魔核だ。目的見失うなよ」

 

 

思わず飛び出しそうになる私をユーリが腕を掴んで、止めてきた。

そもそもこのユーリが下町を飛び出してきたのは、私のことと、下町の水源である水道魔導器の魔核を取り戻すためだ。

彼はバルボスが投げ捨てたボロボロの剣から、拳大の宝石を取り出した。

 

 

「魔核は無事のようだ。まったく、剣を壊されたときはヒヤっとしたぜ」

 

「デュークが手加減したからかな。お陰で私は気持ち悪くなったけれど。

次の機会があったら、事前に説明を――て、 デュークは?」

 

 

私が抗議しかけた傍から、デュークの姿が見当たらないことに気付く。

時折存在感が希薄な男だったので、いつからいなくなったのかわからない。

もう私に用はないのか。

例の件もあるし、いてくれると気持ち的に助かるのに。

キョロキョロしだす私に、ユーリはいつもの軽い調子で声をかけてきた。

 

 

「おいおい、どうしたんだ。

自分の王子様を差し置いて、他の男に現を抜かすんじゃあないだろうな」

 

「誰が王子様だ」

 

「じいさんのお墨付きをだぜ」

 

「私は認知していない」

 

「桜の王子様はフレンです。

颯爽と現れ、邪魔者を斬って捨てる、まさに王子様に相応しいです」

 

「なんか通り魔に聞こえるんですが」

 

「流石に通り魔はないよ」

 

「フレンさん」

 

「君に降りかかる火の粉は、例外なく成敗だ。問題ない」

 

「おいこらやめろ」

 

 

苦笑するフレンがおもむろにロングソードを抜きかけて、私は全力で止めた。

そこでふと違和感を覚える。

 

 

「あれ? この流れなら、レイヴンさんが乗っかってくると予感していたのに」

 

「桜ったら、何ツッコミの準備しているのさ。レイヴンなら、とっくにいなくなってるよ」

 

「……どこへ?」

 

「ボクもわかんない。ひょっとして、ドンのところかな?」

 

「どこだっていいでしょ、あんなおっさん一匹や二匹、放っておいても」

 

「リタさん。この世の全ての女子の治安のために、あの万事色彩能天気おっさん放置しちゃまずい気がするんですけど」

 

「見つけたら、潰せばいいのよ」

 

「そんなゴキ○リのように……。あながち間違ってはないか」

 

「おっさんより、あの男でしょ。

剣を調べる絶好のチャンスだったのに、逃げられちゃったわ」

 

「あー……。デュークなら、そのうち会えるんじゃないかな」

 

 

リタが悔しそうにしている傍らで、私は心の中で大量の冷や汗を流していた。

そう言えば、デュークの剣があったか。あれを調べられて、私のことが分かってしまったら……。

彼もこれを予感して、姿を消したんじゃなかろうか。

 

 

「それより、ユーリ。今のうちに回復しておこうよ」

 

「いいよ。ちょっと口中切っただけだ」

 

「はい、レモングミ」

 

「食べさせてくれんの?」

 

「冗談言わない。……ひどい怪我をしているんでしょう。

紅の絆傭兵団のボスとタイマン張ったんだから、強がらないの」

 

「彼女がこんなに気にかけてくれているのよ。

素直に受け止めてあげるべきじゃないかしら」

 

「ジュディスもそういってることなんだから、大人しく」

 

「口移しね」

 

「ないわ!!」

 

 

こそっと耳打ちしてきたジュディスに、私は全力で否定した。

面倒になる前にと、私からレモングミを押し付けられたユーリは複雑な顔をする。なんだお前は。

まさか聞こえたのか? わからないが、おおよそ察しただろうユーリは、嘆息してジュディスを窘めた。

 

 

「あんまり、うちのお嬢さんからかうなよ」

 

「あら、可愛いじゃない。それとも貴方の特権なの?」

 

「心も体も守ってこそ、お嬢さんの王子様ってんだろ」

 

「ステキな王子様ね。……もう少し桜で楽しんでいたいんだけど」

 

「おい待てコラ」

 

 

私が呼び止めるも、彼女は踵を返して、背を向けた。

 

 

「ここまでのようね」

 

「相棒のとこに戻るのか」

 

「相棒? 他にお友達がいるのです?」

 

「そういえば、ジュディスのお友達って、近くにいるんですか?」

 

「二人とも、私たちに興味を持ってくれるのは嬉しいわ。

でも、ここからは、別行動。お互い不干渉でいるべきだと思うの」

 

 

エステルと私から好奇の視線を受けたジュディスは、そう答えると一人塔を後にした。

嵐のようなお姉さんである

静まり返る私たちが気まずくなったのだろう、カロルが思い出したように声を上げた。

 

 

「と、とにかく、これで一件落着だよね」

 

「遠足は家に帰るまでだろ。これがちゃんと動くか、下町にもどって確認しなきゃいけねぇ」

 

「魔核はそう簡単に壊れたりしないわ。

次は桜のことを何とかしないと」

 

 

リタを皮切りに、皆の視線が一斉に私へと集中する。

ついにこの時が来たか。私の正体について、説明しなくちゃいけないのか。

当然、私に覚悟はない。慌てて話題の軌道を逸らすことにした。

 

 

「また今度にしない? 今日はさすがに疲れちゃったでしょう」

 

「まあ、桜が無理って言うなら。明日でもいいけど」

 

 

明日すんのか。リタは私のことを考えて、急いでくれてるんだろうけど。

善意を拒むのも、真実を話すのも、気が引ける。

どう先延ばししようか悩んでいると、フレンが私の元へやってきた。

 

 

「桜、悪いけれど、僕も戻らなくてはいけない。部下たちに仕事を押し付けて来てしまったからね。

……エステリーゼ様も、どうか私とご一緒に」

 

「わたしはいいので、桜を連れて行ってください」

 

「彼女は確かに重要参考人ではありますが、御身の安全もございます。

またヘリオードで交わした約束を反故にするわけには――」

 

「デートです」

 

「ではそのように」

 

「してた堪るかあああっ! 正気に戻れフレンさん!

救世主帝国騎士団小隊長が何小娘の逢瀬にぽっくり身を委ねてんだよ! その常軌を逸した変わり身の早さに戦律が走ったわ!!」

 

「小娘なんて卑下する必要はどこにもないんだよ。君はたった一人の女の子なんだから」

 

「何がフレンさんをそこまで化学反応起こさせるんですか、戻ってきてくださいフレンさん」

 

「やっぱり、寂しかったんだね」

 

「その優しさが怖い」

 

「勘弁してくれねぇかな。うちのお嬢さんがオレの後ろで震えてるんだけど」

 

「目的地が同じなんだから、皆一緒に帰ればいいんじゃん」

 

 

私たちの宛のない会話を見かねたカロルが、一番妥当な提案をしてきた。

そういや、休むにしても、騎士団にしても、次の目的地はダングレストしかない。

かくして私たちは、足並みそろえて、ギルドの巣窟 ダングレストへと帰還したのであった。

 

 

 

 

 

夕焼けに染まるギルドの巣窟 ダングレスト。

活気と喧噪に溢れるその街へ戻ってきた私は、疲れた身体を癒すため、フレンとエステルと別れて、宿屋へ向かっていた。

私はと言うと、これから引き起こされるだろう惨事に、心中穏やかではなかったわけだが。

どうやって私のことを説明しよう。どう言い逃れをすればいい。

そうして、街中へ進んでいると、大勢の騎士たちが目に入る。

皆も足を止めていると、騎士たちに囲まれた老人の姿を見つけた――ラゴウ!

 

 

「私は無実です! これは評議会を潰さんとする騎士団の陰謀なのです!」

 

 

必死に自身を弁明するラゴウ。

だがしかし、周囲の目は冷たく、騎士たちは問答無用に、執政官を拘束していた。

 

 

「ラゴウ、捕まったんだ」

 

「呑気に酒場で高みの見物してりゃあ、言い逃れは出来ねぇよな」

 

 

私が驚いていると、ユーリは往生際が悪いとばかり吐き捨てた。

確かに、あの後の現場を押さえられては、逃げようがないと思うんだが。

ギャラリーと化した私たちの前で、ラゴウは空気を読まずにしつこく弁解し続けた。

 

 

「騎士団を信じてはいけません!

彼らは貴方たちを安心させた上で、この町を潰そうとしているのです!」

 

「――我らは騎士団の名の下に、そのような不実なことはしないと誓います」

 

 

ラゴウの言葉の数々に私もうんざりしてきたところへ、先ほど別れたフレンが姿を現した。

騎士団に仕事を任せていたと言っていたが、ラゴウのことだったのか。

彼は騎士たちが空けた道を歩みながら、狼狽える執政官を制するように続けた。

 

 

「帝国とユニオンの間に、友好協定が結ばれることになりました」

 

「どうして、……アレクセイめは、今、別事で身動きがとれないはず」

 

「確かに。騎士団長はこちらの方に顔を出された後、すぐに帝国へ戻られたよ」

 

 

それが全てだとばかりに、フレンは笑みを浮かべた。

書状の件だけではなく、上司のアレクセイまで手を回していたとは。

これまで、あらゆる手段でわがまま放題してきたラゴウは、この真打を忌々しく睨んだ。

 

 

「く……っ、まさかこんな若造に、我が計画を潰されるとは」

 

「では、ラゴウ執政官。我々とご同行をお願いします」

 

「私は、私は、……っ。まだ終わってはいない」

 

 

騎士団に連れていかれるラゴウ。途中、私たちの前を通り過ぎた。

――今、目が合った?

思わす身を竦める私の肩を、ユーリが微笑みながら、そっと叩いた。

 

 

「安心しろ。あいつはもうお前に手出しできねぇよ」

 

「そうだよね。逮捕されたんだし、また私を狙って来たりしないよね」

 

「心配無用よ、桜。そん時は、あたしがラゴウ諸共アホ騎士ぶっ飛ばすから」

 

「なんでフレンさん爆破するんだ」

 

「管理責任よ。これであんたも、カプワ・ノールも解放されたら良いんだけど。

バカドラに壊されちゃったあの魔導器も気になるし」

 

「大丈夫だよ! エステルが何とかしてくれるさ」

 

「あんまりお姫様に無茶させるなよ。って、あいつの場合は、暴走すんのかな……」

 

 

並み居る悪代官たち目掛けて、笑顔で術技ぶっ放する、皇女。

世にも恐ろしい姿が目に浮かぶと言わんばかりに、ユーリは空を仰いだ。

無理もない。そのエステルも明日には、帝都ザーフィアスのお城へ戻ってしまう。

元々彼女は、フレンに知らせることがあって、無断でお城を抜け出してきた経緯がある。

ヘリオードにて騎士団長アレクセイと合流した時点で、お城に戻るべき立場だったところ、無理矢理言ってついてきたんだ。

これ以上、皆に迷惑を掛けられないと言っていたが、彼女の表情は寂しそうだった。

 

 

(身を弁えてるだけ、エステルは凄い。

それに比べて、私は。明日、潔く身を立てられるのかな)

 

 

私もユーリに並んで、空を見上げてみた。

赤と黒のグラデーションに浮かぶ星々が美しい。

彼方から、全てを覆い隠すような闇が迫ってきている。

やがて夜がやってきて、そしたら明日がやってくるんだ。

私がどんなに迷っていようとも、時間が刻々と近づいている。 

いつまでも消えない思いを抱えたまま、私はユーリたちとともに宿屋へ向かった。

 

 

 

 

 

空が夕闇に染まる頃。

繁華街を抜けた静かな軒並み、その一軒家の窓からスパイシーな香りが立ち上っていた。

何の変哲もない宿屋の厨房。その一角で、グツグツと煮え立つルーと具材をかき回す私がそこいた。

ええ、異世界クッキング第二弾 カレーに挑戦している女子高生です。

止めてくれ。恐怖の明日が待っているのに、何呑気にカレー作ってるんだなんて、分かりきったツッコミは控えて欲しい。

 

 

 

 

事の発端は、宿屋についた時から始まる。

チェックインして、さあ部屋で各々休もうとしたところ、ユーリが大きく背伸びした。

 

 

「あーっ。一息ついたら、腹減ってきたぜ」

 

「今日だけでも、いっぱいあったからね。ボクももう腹ペコだよ」

 

「あ、そ。勝手にすれば?

あたしは適当に済ませるから」

 

「リタはそんなだから栄養が偏って、背が――、いだーっ!?」

 

 

禁忌を口にしかけたカロルのリーゼントが、リタの渾身のチョップで、真っ二つに割れた。

痛みのあまりうずくまる少年を睨みつける彼女。

しかし、呆れる私が視界に入るや否や、リタは突き出した手を引っ込めて、しどろもどろし始めた。

 

 

「こいつらは放って置くとしてよ。桜はどうするの?

その、軽いものでも食べる? その、あたしと」

 

「そうしようかな。あんまり食欲ないし、軽食ぐらいなら入るかも」

 

「ホント? でも、食欲がないって、どこか具合でも悪いの?

何でもいいから、気づいたこと言ってみて」

 

「い、いや、大したことはないの。

リタさんが気にすることはない、というか。まだ緊張が残ってるのかなーなんて」

 

 

リタから心配そうに顔を覗かれて、私は徐ろに目を逸らした。

自分自身のことでお腹いっぱいだなんて、口が裂けても言えない。

尚も傾けられる純粋な彼女の視線に、私の良心がスリップ状態になったところで、復活したカロルが元気よく挙手をした。

 

 

「はい、はーい! ボクに名案がある!」

 

「はい。カロル先生」

 

「気晴らしに料理なんてどうかな」

 

「何をいきなり」

 

「桜が前に話してくれたじゃないか。

ヘリオードで皆と献立を作ったの、覚えてないの?」

 

 

言われてみれば、そんなこともあったか。

私が調子こいたところ、皆が寄ってたかってリクエストしてきた、あの黒歴史が。

 

 

「宿屋に泊まってるんだから、ここの定食を頼めばいいでしょう。

そっちの方が、断然美味しいよ」

 

「何謙遜してんだ。お前の手作りカレー、あれは絶品だったぜ」

 

「はい決定!」

 

「決定しないで、ハードル上げるな、二人揃ってハメられそうな私の肝は絶賛冬模様だよ!」

 

「オレが温めてやるよ」

 

「いらねーよ! なんだそのウインクは!?」

 

「ボク、桜のカレー食べてみたい!」

 

 

カロル少年から、弾けんばかりの笑顔を受けて、私は母性本能をくすぐられた。

ユーリのバッチリウインクでさえ、耐えられないものがあるのに、追撃とか卑怯だ。

縋るように、リタへ視線を送ったら、同じく羨望の眼差しが直撃した。

 

 

「作れるわよね?」

 

「いやあ……しがない小娘の湿気た料理なんて舌のこえたリタさんには到底及びませんよ」

 

「作るわよね」

 

「助動詞から動詞になってるんですけど」

 

「作るのよ」

 

「命令形かよ。せめてお願いとかないんか。

止めて止めて躙り来ないで、目が怖いよ。リタさん」

 

 

結局。私は皆の期待と言うプレッシャーに押し切られる形で、カレー作りに至ったのであった。

逃れられないブラックヒストリー。

私は後悔と不安に苛まれながら、ひたすらカレーが焦げないように努めていた。

 

 

「なんでコッチの世界にもルーがあるんだ。言い逃れできないじゃないか。

味が嫌な方向に未知数だよ。私の手料理で皆の胃を犯しそうだよ。死にたい」

 

「うん、いい香り。十分な出来じゃない。何不安がってるの」

 

 

隣で私が料理する様を一部始終見ていたリタが、可愛らしくカレーの匂いを確かめ頷いた。

言い出しっぺのカロルは出かけちゃうし、ユーリとラピードは能天気に部屋でゴロゴロしてるし、唯一彼女だけが味見約として傍についていてくれる。

……いや、皆総出で間近に待機されても困るんだが。

あれこれ言ったものの、私とて一度フレンをデスシチューを魔改造したことはある。

こちらの調理場も慣れてしまえば、なんてことはないけど。

 

 

「こちとら一介の女子高生なんですよ。

他に比べて家庭料理がほんの少しできるくらいで、飯屋で通用するような味を求められても恐ろしくて堪りません」

 

「大げさな。せっかくあんたが作ってくれてるのよ。

……文句言うヤツは、片っ端からぶん殴る」

 

「そして口からデストロイですね。わかります」

 

「吐かせる前に塞ぐわ」

 

 

その綺麗な手を汚してまで、私のカレーをフォローする気なのか、リタさん。

いろんな意味で嫌な予感に襲われていると、宿屋の出入り口のドアが大きな音を立てて開く。

驚いて振り返ると、そこからカロルが勢いよく転がり込んできた。

 

 

「ユーリは!?」

 

「部屋で休んでいるけど。そんなに慌てて、どうしたの?」

 

「わかった! あ、桜! 今夜はボクたちから絶対離れちゃいけないんだからね!」

 

「カロル?」

 

 

私が止める間もなく、カロルはユーリの元へと飛んで行ってしまった。

皆から離れてはいけないとは、どういう意味なのか。

尋ねるようにリタへ視線を移すものの、彼女は眉をひそめるばかりであった。

 

 

「なんなの、あのガキんちょ。言われなくとも、桜とは四六時中一緒よ」

 

「ずっと一緒にいてくれるんだ」

 

「何を今更。……い、嫌なの?」

 

「全然。リタさん、ユーリと違って、距離感丁度いいから。……稀に暴力的だけれど」

 

「最後はいらない。あんたは特別なんだから。

ラゴウやバルボスがいなくなったからって、油断できないんだからね」

 

「ありがとう、リタさん」

 

「やりにくいわね」

 

 

素直にお礼を言うと、彼女は照れ臭そうに頬をかいた。

同じ女の子が傍にいてくれるのは、正直嬉しいし、ありがたい。

微笑ましい姿を見せる彼女のことは、胸に閉まっておくとして、そろそろカレーの方を窺わなくては。

具材が崩れないように、ゆっくりとかき混ぜる。

そして、私がルーをお玉ですくおうとした丁度その時、またまたカロルの騒がしい声がこちらに届いてきた。

 

 

「待ってよ、ユーリ! どこ行くのさ?」

 

「ちょっとフレンのところまでな」

 

 

カロルが追いかける先には、重い顔をしたユーリがまっすぐ出入り口に向かっていた。

その只ならぬ雰囲気に、私は料理の手を止める。

 

 

「フレンさんに何か用なの?」

 

「お。いい匂いしてんな。お前、腕上がったんじゃねぇか」

 

「ユーリ」

 

「悪い、野暮用だ。ちゃんと戻ってくるから、オレの分三人前は残してくれよ」

 

「ダメだよ、ユーリ! こんな時に桜からいなくなっちゃうなんて、ダメなんだから!」

 

 

言うなり、ユーリとカロルは私たちを置いて、宿屋を出て行ってしまった。

彼らを目で追っていた私とリタは、その嵐のような展開に、呆然としてしまう。

 

 

「行っちゃった。本当に何だったんだろ」

 

「……。ま、あいつらにも事情ってもんがあるんでしょ。

あたしたちが構ってやる必要はないんじゃない」

 

「フレンさんに野暮用とか言ってたけど」

 

「帰ってくる頃には、皆お腹空かれてるに違いないわ。

その目の前で、あんたお手製のカレーを美味しく一口も残さず綺麗に平らげて後悔させるのよ」

 

「それなんて私刑」

 

 

悪魔の笑みを浮かべるリタに、私は苦笑いした。

美味しくなるかどうかは、これから決まるんだけど。

やや躊躇いつつも、私は改めて味見をしてみた。

 

 

「一味欲しいな」

 

「何か必要なの? あたしが何かとってきてあげようか」

 

「コクが欲しい。コーヒーかオイスターソースがあればいいんだけど」

 

「ちょっと待ってて」

 

 

私が唸っている間に、リタは調理場を漁って回った。

宿屋のシェフに聞けば早いのかもしれないが、生憎私たちに調理場を譲ってくれたその人は只今不在である。

思案する私の元へ、リタは難しい表情で戻ってきた。

 

 

「……ないわね」

 

「宿屋だから、コーヒーぐらいはあると思ったんだのに。仕方ない、ちょっと調べてくるか」

 

「どこ行くの?」

 

「部屋から携帯取ってくる。その間にカレーを焦がしちゃいけないから、リタさん、お願いね」

 

「え? ええ、わかったわ」

 

 

私からお玉をパスされたリタは、若干顔を強張らせながら、カレーをかき回し始めた。

ただカレーをかき混ぜる、そのおぼつかない手つきに懸念が生まれる。

もしかして、彼女、まともに料理したことないんじゃ……、私は早足で部屋へ足を運んだ。

 

 

「リタさん、フレンさん属性じゃないよね? 早く戻らないと」

 

 

薄暗い廊下を進みながら、私は残してきた皆の胃袋を気にかけていた。

魔法少女によって、魔法のようにカレーが毒物になってはいけない。

携帯の履歴をたどれば、キャッシュにカレーの詳しいレシピが残ってるはずだ。

長い廊下を進み、丁の道を通り過ぎた時、――背中に強い衝撃が走った。

 

 

「……っ!」

 

 

突然の出来事に理解が追い付かないまま、私の身体は廊下に崩れ落ちた。

反射的に身を起そうとするが、何者かに背中を押し付けられ、あっという間に両手をロープで拘束されてしまう。

 

 

「こ、この――」

 

「殺すぞ」

 

 

思わず声を上げようとする私の頭上から、ドスの利いた声が降りかかった。

素人でもわかる殺気に、一瞬頭が真っ白になる。

 

 

(――私、殺されるの?)

 

 

今まで経験したことのない恐怖に、竦み上がってしまう。

声からして男だろうか。

殺すって、一体。

男は凍り付く私の口を布で塞いだ。

いけない、ぼやぼやしてたら、唯一の助かる手段が絶たれてしまった。

 

 

――リタさん! ラピード!……ユーリ!

「んっ!……っ!」

 

 

かなりきつく縛られているせいか、上手く声が出ない。

必死にもがく私を男は慣れた手つきで軽々と肩に担ぐ。

 

 

(殺すのではないのか? なら、私に何を?)

 

 

動揺が走る私に構わず、男は窓から外に出て、闇夜の下で駆け出した。

月光の下、見知らぬ男に担がれてドナドナする私。

 

 

(もしかしなくとも、私、また攫われてる!?)

 

 

想像もしたくない現実に、全身から血の気が引く。

殺されるのは嫌だが、こう何度も攫われて、ユーリたちに迷惑をかけるのはもっと嫌だ。

焦り、暴れる私を抱えた男は、人気のない夜道を時には左に、右に曲がって、ついに街の入り口までやってきてしまった。

あの大橋を通り抜けてしまえば、街の外。

まずい。いよいよピンチだ。

誰かにいないか、血眼で周囲を見回していると、進行方向、大橋の半ばの方で人影が見えた。

 

 

(良かった! 人がいた! ……あれ?)

 

 

男が近づくによって、徐々に闇夜から姿を露わにしたのは、今一番会いたくなかった老人だった。

 

 

(ラゴウ!)

 

「会いたかったですよ、桜 如月」

 

 

私に睨まれたラゴウは、物おじすらせず、あざとい笑みを浮かべた。

騎士団に囚われているこの男が何故、こんな夜中に一人で突っ立っているんだ。

私の疑問に気付いたのか。ラゴウはぬめりとした目を差し向け、近づいてきた。

 

 

「うまく嵌めたつもりだったのでしょうが。私は評議会の人間ですよ。

これしきの事で、我が野望は潰えたりしません」

 

(やりたい放題じゃないの!)

 

「少しはめを外してしまいましたが。

貴方を手に入れれば、あの男も容易に邪魔は出来ないはずです」

 

(あの男?)

 

 

バルボスが行っていた男と同一人物なのだろうか。

いや、そんなことはどうでもいい。ラゴウに攫われるなんて、何が待っているのか、想像もしたくない。

私の思いとは裏腹に、男は私を降ろすと、乱暴にラゴウへ突き出した。

 

 

「この小娘はどうする?」

 

「もちろん、私について来てもらいますよ。料金も上乗せしましょう。

しかし、カプワ・ノールの屋敷は、もう足がついていますからね。

もっと研究施設が整った場所……、場所を改めなければなりません」

 

 

やっぱりロクでもないことを企んでいるのか、ラゴウはニタリと口端を釣り上げた。

彼を逮捕したフレンは何をしているんだ。

未だ周囲に目を走らせる私に、ラゴウはハッと鼻で笑い飛ばした。

 

 

「あの生意気な騎士の小僧を待っているなら、無駄ですよ。

今頃野営地で、エステリーゼ様の護衛をしているはず。

……私の計画を破綻させた恨みは忘れませんよ。

小僧には、評議会の力で、必ず厳罰を下してやります」

 

(フレンさん……っ)

 

「さて、無駄話もここまでにしましょう。

忌まわしい騎士団やギルドの連中に気付かれる前に、ここを発ちますよ」

 

(折角助けてもらったのに。ラゴウを追い詰めたのに。

全部振出しに戻るなんて。こんなの理不尽過ぎる!)

 

 

突きつけられた現実に憤りを感じて暴れるも、やはり後ろの男に拘束されて叶わない。

それが面白いのか、ラゴウはクツクツと肩を震わせた。

 

 

「あがいたところで、貴方一人に何ができようというのです」

 

(私はいつも皆に助けてもらってばかり。なんとかしなきゃ。でも)

 

「さあ、諦めて私のものになるのです。

ええ、大人しく従っていれば、死には――」

 

 

私を見下ろしていたラゴウであったが、話が終わることなく顔から表情が消えた。

ラゴウが目を見張る先。背後を振り向くと、私を拘束していた男が泡を吹き、大橋の下へと崩れ落ちる。

そこには、月光の下で輝く艶やかな漆黒の髪、綺麗なオニキスの瞳が鋭い光を宿す、一人の美青年が刀を下げて静かに立っていた。

 

 

(ユーリ!)

 

「待たせたて悪かったな、桜」

 

 

私が駆け寄ると、彼は顔をほころばせて、優しく頭を撫でた。

来てくれた。肝心要の時には、助けてくれる彼に私も破顔してしまう。

彼は私の戒めをとくと、今にも逃げだしそうなラゴウから私を隠すように背を向けた。

 

 

「桜。とっとと終わらせる。お前は目を閉じて、耳を塞いでろ」

 

「終わらせるって、ラゴウを捕まえるの?」

 

「じじいのリンチなんて、傍で見てても気持ちの悪ぃだけだぞ。

ダングレストの街での乱闘の時みたく、ちゃっちゃと終わらせるから、オレを信用しろ」

 

「老人リンチするんだ。ユーリにそんな趣味があるなんて」

 

「間違えんなよ、ストレス発散用のサンドバックだ。――さて、と」

 

「……な、何をするつもりです!?」

 

 

ユーリが今にも殴らんばかりに拳を鳴らすと、ラゴウは顔を引きつらせながら後ずさりした。

昔、私の世界で強盗たちをぶっ飛ばした実績のあるユーリお兄さんである。

見なくても、今後の展開が容易に想像できるだろう。

ひとまず安堵の息を漏らしながら、私は耳と目を塞いだ、……のだが。

 

 

(あれ、この匂い……?)

 

 

私が世界から遮断されて間もなく、微かに鉄臭い匂いが鼻を掠めた。

何度か嗅いだことがある、この血生臭いはなんだ。

恐る恐る耳を塞ぐ手を緩めると、ラゴウの悲鳴が鼓膜を貫いた。

 

 

「ひぃっ!? 何をするのです! 私は評議会の人間ですよ!」

 

 

フルボッコにされているにしては、様子がおかしい。

ゆっくり目を開いて、私は見てしまった。

腕から血を流すラゴウ、血糊のついた刀を構えるユーリの背中を。

こちらから表情は伺えない。いや、態とこちらから見えないようにしているのか、わからない。

ユーリは着々とラゴウを大橋の端まで追いやりながら、淡々とこう告げた。

 

 

「法や評議会がお前を許しても、オレはお前をゆるせねぇ」

 

「私にこんなことをして許されるとは……っ!

貴方など簡単に潰せるのです。ぶ、無事ではすみませんよ!」

 

「……言いたいのはそれだけか」

 

「そこの娘は返します! もう手を出したりしません……!」

 

「誰がそれを信じるんだ。……もう何もかもが手遅れなんだよ」

 

「く、来るな!」

 

 

逃げ出すラゴウの背中に、ユーリの一閃が煌めく。

深々と斬撃を受けたラゴウは、プルプルと身を震わせた。

 

 

「ぐ……あと少しで、宙の戒典をぉ……っ」

 

 

ラゴウは何かを掴むように手を伸ばし、間もなく力尽きて、大橋の下へと堕ちていった。

――なんだ、これは。

容赦も迷いもないユーリの一太刀、あの大きく真っ赤な斬り口、ラゴウが息を引き取るその瞬間まで、私の脳裏に焼き付いてしまう。

 

 

人が殺された。

ユーリが人殺しをした。

 

 

全身の血の気が引いて、パニックになる。

あの優しくて頼りになるユーリが、そんなことするはずがない。

私は逃げるように、再度目と耳を塞ぐ。

 

 

(何もかも夢だ! 何にもなかったんだ!)

 

 

けれど、新しくも凄惨な記憶が頭の中でリピートして、私を無理やり事実へ引き戻そうとする。

いろんな感情がせめぎ合って、思考がまとまらない。

しばらくして、誰かが私の両腕を掴んだ。

やがて、聴きなれた男の声が私の耳に入ってきた。

 

 

「終わったよ。もう大丈夫だ」

 

「………」

 

「だから、そんな縮こまらなくてもいいんだ。余計縮むぞ」

 

 

そっと目を開くと、真っ先に彼のニヤニヤ顔が飛び込んできた。

いつもの彼だ。

私の両腕を握る彼の手が温かい。

けれど、その手でラゴウを殺めたのだ。

ついさっきの出来事が、しつこくフラッシュバックして、私は彼から身を引きそうになった。

 

 

「桜?」

 

「なんでもない」

 

 

何事もなかったかのように彼から尋ねられ、思わず私は首を横に振った。

尚も震える心。

男に殺されそうになって怯えていたのか、攫われそうになって申し訳ないのか、私が得体のものになったのが辛いのか。

……人を殺めたユーリが怖いのか、わからない。

頼りにしていた彼が、全く別ものになったようか気がして、頭の中が滅茶苦茶になり、心も乱れてしまう。

なんで、どうして、こんなことになったんだ。

 

彼が彼でなくなった。

 

気がついたら、私の頬を一筋、二筋と熱いものがつたって、ポロポロ落ちていた。

 

 

「どうして? 私……」

 

 

拭っても、次から次へと溢れ出てしまう。

何もかもを吐き出すように、私の思いに反して流れていく。

ああ、こんな時に、何ということだ。私は情けない。

 

 

「ごめん、ごめんなさい」

 

「なんで謝るんだ」

 

「だって、私は……」

 

「桜」

 

 

突然涙がこぼれ始める私をユーリは強引に抱きしめた。

苦しい程の抱擁と温もり、彼の匂い、自分と違う鼓動が、私の思考を停止させる。

逃げることも叶わなくて、大人しく胸におさまる私に、ユーリは腕を強くした。

 

 

「辛ったよな。怖かったよな。

……けど、お前には、オレがついてる」

 

 

彼からいつにもなく優しい声を掛けられても、私はいつものように彼の名を呼ぶことは出来なかった。

私はどうしたらいい? 彼にどうすればいい?

堂々巡りで私は彼の腕の中で、静かに震えながら泣くので精一杯だった。

 

 

 

 

■続く■




勢いで一気に書いてしまいました語彙が欲しい。
更に言い訳するなら、本編がシリアス真っ只中なので、どーしても回避できませんでした本当に申し訳ない。
オチなんて絶叫したくなりましたが、そこはおいとくとして。

ストーリーもぐんと進みました。いつもに比べたら、うん、きっと多分。
戦闘シーンの描写がすんごい苦手なので、術技の際にその名前を躊躇いなく叫ぶテイルズシリーズが好き。

次回はフェロー襲来です。
多分、息していると思いますので、長い目で付き合って頂ければ幸いです。
それでは。


瑛慈 翔
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