朝の通学路。澄んだ空気が肌を撫でる中、俺――宮近薫は、いつも通りの時間に家を出た。
途中、見慣れた背中を見つける。長い黒髪が朝日に照らされ、風になびいていた。すらりとした立ち姿。誰もが振り返るような雰囲気を纏っている。
「おはよう、莉々華」
俺が声をかけると、その背中の主、一条莉々華が勢いよく振り返った。
「おはよう! 薫!」
相変わらずの元気な声。そして、そのまま駆け寄ってきて、俺の肩を軽く叩く。
「ちょっと聞いてよ! 今朝、うちの会社の新人がさ、契約書の数字打ち間違えててさー、危うく大損するところだったんだから!」
「……朝っぱらから社長業かよ。てか、そんな話を高校生がするなよ」
「えー? 今更?」
莉々華は頬を膨らませながら、歩調を合わせる。学校では才女として一目置かれる存在だけど、こうやって話してると、ただの元気な幼なじみにしか見えない。
「で? 結局どうしたんだよ、そのミスは」
「気づいたのが早かったから、取引先に連絡して修正したよ。もう、新人くんたちにはしっかり教育しなきゃ!」
「……本当に高校生の会話じゃないな」
「ふふん♪ ま、それが莉々華の“日常”だからね」
莉々華は得意げに胸を張る。
彼女は若くして企業を立ち上げ、成功を収めた才女だ。でも、周囲の人間は彼女のこういう性格のせいで、その凄さをいまいち実感できていない。
もちろん、俺もその一人だった。
「そういや、今日は迎えに来なかったんだな」
「たまには一人で歩こうかと思って」
「へぇ、珍しいな。何かあったのか?」
「別に。ただ、気分。」
莉々華はそう言って前を向いた。横顔が少しだけ、何かを考えているように見えた。
俺と莉々華は昔からずっと一緒だった。学校でも家でも、いつも隣にいるのが当たり前だった。
だからこそ、俺は彼女のほんの小さな変化にも気づく。
「最近、ちょっと変じゃないか?」
「何が?」
「いや、なんとなく……お前、前より静かになったっていうか。何か考え事でもしてる?」
「……そんなことないよ」
莉々華は少しだけ視線をそらした。その仕草が、俺の胸に妙な引っかかりを残す。
いつも通りのはずなのに、何かが違う。
言葉にできない違和感が、心の奥底にじわじわと広がっていく。
でも、それが何なのか、俺はまだ気づいていなかった。
◇◇◇
学校に着くと、俺たちはいつものように靴を履き替え、廊下を並んで歩いた。
「おはよー、一条、宮近!」
クラスメイトの何人かが莉々華と俺に声をかける。
「おはよう!」
莉々華は明るく手を振る。そんな様子を見て、俺は少しホッとした。
さっきまでの違和感も気のせいかもしれない。
でも、教室に入った瞬間、俺はまた別の違和感を覚えた。
莉々華が、自分の席につく前に一瞬だけためらったのだ。
「……ん?」
小さな仕草だったけど、俺はそれを見逃さなかった。
「どうした?」
「え? あ、ううん、なんでもないよ」
莉々華はすぐに笑顔を作って席に着く。
でも、その笑顔が、いつもの笑顔と少し違う気がした。
なんだろう、この感じ。
俺の中の違和感が、また少しだけ大きくなった気がした。
◇◇◇
一日の授業が終わる頃には、朝感じた違和感はすっかり薄れていた。
莉々華は相変わらず授業中に仕事のメッセージを確認して先生に注意されたり、昼休みに俺の弁当を覗き込んできたり、放課後には「今日の予定は?」と軽く訊いてきたり。いつも通りの莉々華だった。
けれど、俺の中にはまだ小さな棘が刺さったままだった。
それは、些細な仕草や視線の変化。ほんの一瞬、彼女が考え込むような表情をする瞬間。それらが、いつもの莉々華と“少しだけ違う”と感じさせる。
「薫、帰ろっか!」
放課後、莉々華が俺の肩を軽く叩いた。
「ん、あぁ」
俺たちは並んで昇降口へ向かう。窓の外は夕焼けに染まり、校舎の影が長く伸びていた。
「今日さ、久しぶりにコンビニ寄ってかない?」
「お、珍しいな。いつも「仕事が〜」とかで急いで帰るのに」
「たまにはね。久々にアイスでも食べたい気分」
「……何かあったのか?」
「もー、何でもないってば」
莉々華は苦笑しながら、俺の腕を軽く小突く。
「ただ、今日はちょっと……薫とゆっくり話したい気分」
その言葉に、俺の心臓が小さく跳ねた。
けれど、莉々華は何でもないように笑って、先を歩いていく。
俺はその背中を見つめながら、また一つ、小さな違和感が心の中に積もっていくのを感じていた。
既に数話は書いたのですが、ドが付くほど攻めて行くのでよろしくお願いします