土曜日の午前。文化祭まであと一週間。教室は準備でごった返していた。
薫は角材を運び終えて、汗を拭いながら一息ついた。
「ねえ薫君、ちょっと買い出しお願いできない?」
飾り付け班の女子が、メモを手渡してくる。
「いいけど、これ結構多いな……一人じゃ厳しくない?」
「じゃあ——」と、彼女の視線が自然と教室の奥へ向かう。
「一条さん、一緒にお願いしていい?」
莉々華は、紙の切り抜きを束ねていた手を止め、ちらりとこちらを見た。
「……私が?」
「だってリーダーだし。あと最近2人とも仲良いじゃん?」
「……わかった」
呆れたような返事をした彼女は、手のひらで埃を払いながら立ち上がった。
「秘書見習い、荷物持ちは任せたわよ」
「へいへい。女社長のお供っすから」
薫が肩をすくめて笑うと、莉々華は呆れたように小さく笑った。
こうして、ふたりは並んで教室を出た。
校門を出たあとも、会話はぽつぽつと続いた。
「っていうか、なんで俺と一緒に行くことになったんだ?」
「さあ? みんなが勝手に決めたことだから」
「ま、いいけどさ。莉々華、今日はやけに素直じゃない?」
「……素直じゃないとでも?」
「うん、いつもはもっとツンケンしてる」
「それ、あなたにだけでしょ」
そう言って、莉々華は前を向いたまま歩調を緩めた。
「……別に、あんたと一緒でも悪くないってだけ」
その言葉が、風に溶けるようにして耳に届く。
薫はその背中を見つめながら、口元を緩めた。
「へぇ。社長の貴重なお言葉、ありがたく受け取っておきます」
「……バカ」
莉々華はそう呟いたけど、どこか頬が緩んでいた。
どこまでも晴れた空の下。
文化祭の買い出しという名目で、ふたりきりの時間は、ゆっくりと流れていた。
スーパーに着いた頃には、二人の距離は自然と少しだけ近づいていた。
「えっと……スパンコール、画用紙、カラースプレー、あとは……」
莉々華がメモを確認しながら通路を歩いていく。薫はその隣で、かごを持ちながら彼女の指示を聞いていた。
「これって……この色で合ってるのか?」
「うん。黒とゴールドがテーマだから、それで大丈夫」
「社長さん、さすが抜かりないっすね」
「当然でしょ?薫と違うから薫は薫でちなまんと覚えなさい」
「……へいへい」
薫が苦笑しながらカゴに商品を入れると、莉々華がちらりと横目で見てきた。
「……この前のこと、ありがと」
「ん?」
「誕生日のこと。ペンも……ちゃんと使ってる」
「……おう、そっか」
ふいに真面目な空気になって、薫は少し気恥ずかしそうに鼻をかいた。
「奏にも、ちゃんとお礼言っておいて」
「わかった。……でも、ほんとに誤解してたんだな?」
「……うるさい」
莉々華は少し顔を赤らめながら、そっぽを向いた。
それ以上言えば怒られそうで、薫はそれ以上深くは踏み込まず、少しだけ笑った。
買い物を終えて、帰り道。
荷物を持つ薫の手から、ひとつ袋を受け取った莉々華がぽつりと呟いた。
「ねえ、こういうの……またやるの?」
「買い出し?」
「……そういうのじゃなくて。なんとなく、その……二人で、って」
薫は立ち止まり、莉々華を見た。彼女は前を向いたまま、少しだけ頬を染めている。
「そりゃあ……莉々華が指名してくれるなら、またいつでも」
「じゃあ、次もよろしく」
その言葉には、からかうような響きと、ほんの少しの甘さが混じっていた。
「了解っす。女社長の専属秘書って、結構やりがいありそうだしな」
「……調子乗らないで」
でも、その声は、どこか楽しそうだった。
帰り道の途中、夕焼けがビルの隙間から差し込んでいて、街全体がほんのりオレンジ色に染まっていた。
「今日は、なんだかんだで疲れたな」
薫がそう言って、軽く首を回すと、隣を歩いていた莉々華も「うん」と頷いた。
「でも、文化祭って……こういうのも悪くないのかもって、ちょっと思った」
「へぇ、莉々華がそんな感想言うとは」
「何よ、意外だった?」
「うん、ちょっと。莉々華ってさ、こういう学校のイベントって全部仕事の延長って感じだったし」
「まあ……昔はそうだったかも」
そう言った莉々華は、ふと足を止めた。
すぐ隣にあるコンビニの窓に、自分たちの姿がぼんやり映っている。
「でも、今年は少し違うのよ」
「どう違うの?」
「……人のこと、気にするようになった。仕事としてじゃなくて。誰が何に悩んでるのか、どこが楽しいのか、そういうの」
「それって……」
薫が言いかけたとき、莉々華が小さく笑った。
「薫のせいだよ」
「……お、俺の?」
「うん。いつも近くにいて、くだらないことで話しかけてきて、調子乗ってて、でも……たまにちゃんと支えてくれるから」
一瞬、沈黙が落ちる。
「……あー、なんか今、照れた」
「は? 照れてないけど?」
「いや、絶対照れてた。ほっぺ赤かった」
「それは夕焼けのせいよ」
「はいはい、夕焼けね〜」
からかうように笑う薫に、莉々華はムッとした表情をしながらも、それ以上何も言わなかった。
そのまま二人は歩き出す。言葉はなくても、歩幅は自然に合っていた。
やがて、校門の前まで戻ってくると、莉々華がふと立ち止まった。
「装飾作業……また一緒にやってもらえる?」
「もちろん。いつでもいいぞ」
「……ふふ、ありがと。じゃあ、明日もよろしくね」
「おう、またな」
莉々華が軽く手を振って、先に校門をくぐっていく。
薫はその背中を見送りながら、心の中でぽつりと呟いた。
(……やっぱ、可愛いとこあるんだよな、あいつ)
でも、照れ隠しのようにすぐに頭を振ってから、ポケットに手を突っ込んで歩き出した。
夕焼けの光が、二人の距離を少しずつ、でも確実に近づけていた。