文化祭の二日目。
朝から人が多く、校門前にはすでに開場を待つ行列ができていた。昨日の盛況が口コミで広がったのか、見知らぬ顔ぶれも多く見かける。
俺たちのクラスのカフェも例外ではなく、開店と同時に客足が止まることはなかった。慣れない接客にも昨日である程度は慣れ、クラスの空気も和気あいあいとしている。
「お客さん、三人ね! 席、案内お願い!」
「ラジャー!」
「薫、ドリンクもう一つ追加で!」
「今持ってく!」
忙しい中にも、活気がある。俺はテーブルに笑顔を浮かべてコップを置き、客の注文を確認したあと、ふと目線をステージに向けた。
ステージ発表のリハーサルが行われていて、別クラスのバンドが音合わせをしている。その横を通る一人の女の子の姿が、思わず目を引いた。
莉々華。
今日も制服だけど、ほんの少しだけアレンジされたカチューシャと、さりげないピンクのリップが新鮮だった。昨日の疲れも見せず、クラスメイトと談笑しながら店の様子を見ている。
(あいつ……文化祭でもいつも通り、しっかりしてんな)
自分の中で何かが、ふわっと浮かぶ。憧れとも違う、もっと近い、でも手を伸ばすのをためらってしまうような感情。
ふと目が合った。
莉々華は一瞬だけ目を丸くして、それからふっと微笑んで手を小さく振ってくる。
「……おう」
照れ隠しに顔をそらしながら、同じように手を上げる。隣の席でその様子を見ていた男子がニヤリと笑った。
「宮近、おまえらやっぱ付き合ってんじゃねーの?」
「んなわけあるか」
即答したけど、心の奥が少しざわつく。
――俺たちは、何なんだろうな。
そんな思考を、次の客の呼び声がかき消した。
***
午後になり、交代の時間が来た。
「宮近、悪いけど買い出し頼める?」
「了解。何が必要?」
「紙コップとストロー、あと氷も。結構減ってて」
書かれたメモを受け取って、俺が廊下に出ようとすると、背後から声がかかった。
「薫、あたしも一緒に行く」
振り返ると、莉々華がもう自分のカバンを肩に掛けていた。
「……え、いいの?」
「いいも何も、私がお願いしたんだし」
その言葉に、心が少しだけ温かくなる。
(そっか、わざわざ……)
二人並んで校舎を出た。まだ昼の光がまぶしい時間。屋台の呼び込みや楽器の音、そして学生たちの笑い声が響く中を、俺たちは並んで歩いた。
「にぎやかだな、今日」
「うん。昨日より来場者多いかも」
「こういうの、好き?」
「どっちかっていうと、見るより運営するほうが楽しいかな」
莉々華は小さく笑う。その横顔に、一瞬、心を奪われそうになる。
けれど、俺は冗談混じりに肩をすくめて言う。
「さすが社長。プロ意識が違うな」
「またそれ言う。……もう、薫には言われたくない」
「昇進したいんだけどな」
「まずはその減らず口を無くしてね。」
そんなたわいない会話が、妙に心地よかった。
***
買い出しを終えて、学校に戻る前。
途中の公園で一息つこうとベンチに腰掛けた。莉々華はジュースを飲みながら、視線を空に向ける。
「ねぇ、薫」
「ん?」
「今日の夜のステージ、来る?」
「……来るつもりだけど?」
「なら、良かった」
莉々華がカップを揺らしながら、少しだけ照れくさそうに笑った。
「実は、ちょっと楽しみにしてるの」
「何を?」
「みんなが楽しそうにしてるの見るのが、って意味。……それだけじゃないけど」
その「それだけじゃない」の言葉が、頭の中で何度も反響する。
もしかして、少しは俺にも期待してくれてるんだろうか。
それを確かめたくて、けれど一歩が踏み出せなくて。
「……俺も、ちょっとだけ楽しみにしてる」
「そっか」
何気ないその会話が、なぜか胸に残った。
***
そして夜。文化祭の最後を飾るステージ。
中庭に設けられた特設ステージには、多くの観客が集まっていた。ライトに照らされる中で、パフォーマンスが次々と繰り広げられる。
俺たちのクラスの有志も、寸劇やダンスを披露する。
観客席の最前列、莉々華は一人で座っていた。隣の席が空いていたから、迷わずそこに腰を下ろす。
「来たんだ」
「約束したからな」
周囲の歓声の中でも、俺たちの言葉は自然と耳に届く。
ライトが色を変え、次の出演者がステージに上がる。校内の男子グループが、ギターとベースを手に歌い始めると、観客から大きな歓声が上がった。
「すごいね、盛り上がってる」
「文化祭って感じするな」
莉々華が、そっと笑う。
「薫」
「ん?」
「……ありがとう」
「何が?」
「わかんない。でも、今日こうやって一緒にいられて、良かったなって」
不意に心臓が跳ねた。
その一言が、やけに胸に響いた。
答えようと口を開いたとき——
「——わ、やばい、これ泣けるやつ!」
観客の誰かの声が割り込み、俺の言葉は空に消えた。
ステージがクライマックスに入り、最後の曲が始まる。
校舎が光に包まれる中、俺たちはただ並んで座っていた。言葉では伝えきれないものが、確かにそこにあった。
それが何なのか、今はまだ明確な名前がつけられない。
でも——たぶん、それが恋なんだと思う。
夕方。
文化祭は閉会を迎え、片付けも一段落していた。
「——で、話って?」
校舎裏のベンチに並んで座る。
赤く染まる空の下、莉々華が静かに問いかけてくる。
俺は少し息を吐いてから、言葉を選ぶ。
「誕生日のプレゼント、ほんとはもう一つあったんだ」
「えっ?」
俺は制服の内ポケットから、小さな封筒を取り出す。
中には、手書きのメッセージカードと、テーマパークのペアチケット。
「誕生日プレゼントっていうか……もしよかったら、来週の日曜、俺と行かない?」
莉々華はしばらく沈黙していた。
けれど、すぐにふっと笑って——
「本当に……」
「え?」
「不器用なくせに、ちゃんとサプライズしてくるんだね」
そう言って、チケットを受け取った手を、そっと俺の手に重ねてきた。
「行く。薫となら、絶対楽しいし」
夕陽の色に染まる彼女の横顔が、ほんの少し震えているように見えたのは——
きっと気のせいじゃない。
文化祭の喧騒のあと、ようやく、2人きりの時間が始まろうとしていた。
そんな気がしていた。