日曜日の朝、俺は少し早めに待ち合わせ場所に着いた。
時間より十五分前。普段ならこんなに早く来ることはないのに、今日はなぜか落ち着かなかった。
(俺、なんでこんなに緊張してんだ……?)
別に今日は特別な用事じゃない。ただ、莉々華と出かけるだけだ。
「仕事の手伝いのお礼」なんて理由をつけていたけど、要は莉々華が俺を遊びに誘ったわけで——
(まあ、普通に考えたらデート……みたいなもんか?)
そう考えた瞬間、なんだかそわそわしてくる。
——それに、今日は莉々華の私服姿を拝める日だ。
学校でも会社でも、彼女は制服かスーツ姿。普段どんな服を着てるのか、俺はほとんど知らない。
(まさか、いきなりド派手な服とかじゃないよな……?)
そんなことを考えていると、ふいに視界の端に見慣れた顔が映った。
「お待たせ、薫!」
莉々華が軽やかに駆け寄ってくる。
そして——
「……え?」
思わず声が出た。
莉々華の服装は、シンプルな白のニットに薄いブルーのスカート。肩までの髪をいつもより少し巻いていて、いつものクールな雰囲気とは違い、柔らかい印象を与えていた。
正直、予想以上に……可愛い。
「なに? 変?」
「……いや、意外だった」
「どういう意味?」
「もうちょっと、バリバリのキャリアウーマンみたいな私服かと思ってた」
「何それ!? 莉々華、休日までスーツ着てるわけないでしょ!」
「いや、だってお前、会社のイメージ強すぎてさ」
「ふーん?」
莉々華はじっと俺を見て、急にニヤリと笑った。
「もしかして、緊張してる?」
「は? するわけねーだろ」
「ふーん? 本当?」
莉々華は俺の顔を覗き込むように身を乗り出してくる。
そんなことされたら、余計に意識するに決まってるだろ……!
「ほら、行くよ!薫!」
「お、おう……」
なんだかペースを握られたまま、俺たちの休日はスタートした。
◇◇◇
莉々華と並んで歩くのは、なんだか新鮮だった。
学校でも会社でも、お互い肩を並べて歩くことはあったけど、それはあくまで「同級生」や「幼馴染」としての距離感だった。でも今日は違う。私服で、プライベートで、そして二人きりで。
(……余計なこと考えんな、俺)
意識しないように前を向く。でも、横を歩く莉々華の姿が視界に入るたび、やっぱり気になる。
「それで、どこ行くんだ?」
「ショッピングモール! たまにはのんびり買い物したいし」
「俺、荷物持ち要員か?」
「違う違う。ただ、薫の意見もちょっと聞きたいなって思って」
「俺に?」
「うん。秘書見習いとしては、莉々華の私服選びの参考にならないとでしょ?」
莉々華はニヤッと笑いながらそう言う。
「……いや、秘書見習いって肩書き、だいぶ都合よく使われてない?」
「気のせい!」
さらっと流されてしまった。
莉々華は普段からしっかりしているけど、こういう時は妙に自由だ。
そうこうしているうちに、ショッピングモールに到着した。休日ということもあって、結構な人の多さだった。
「おお、結構混んでんな」
「ね。でもまあ、適当に見て回ろうよ」
莉々華は楽しそうに歩き出す。その後ろ姿を見て、俺はふと思う。
——莉々華とこんな風に過ごすのって、すごく自然だな。
仕事の手伝いをしてる時もそうだったけど、二人でいると変に気を遣わなくていい。いや、最近はちょっと意識してしまっているけど、それでもこの空気は嫌いじゃない。
「ねえ薫、この服どう?」
莉々華が手に取ったのは、落ち着いたベージュのカーディガンだった。
「ふーん……まあ、いいんじゃね?」
「適当すぎ!」
「いや、似合うとは思うけどさ」
「じゃあ、もっとちゃんと言ってよ」
「……えーと、莉々華の雰囲気に合ってると思う」
「お、いいね。その調子」
莉々華は満足そうに微笑んで、また別の服を見始めた。
(なんか試されてる気がする……)
こんなやりとりを繰り返しながら、俺たちの買い物は続いていった。
——この距離感が、もう少しだけ変わる日が来るのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えながら、俺は莉々華の後ろ姿を追いかけた。
◇◇◇
買い物を続けるうちに、俺はあることに気づいた。
(……莉々華、やたら俺に感想求めてこないか?)
最初は軽いノリで「どっちがいい?」とか聞いてくるくらいだったのに、気づけば試着室から出てきて「どう?」と俺の反応を伺うようになっていた。
しかも、服の系統が変わってきている気がする。最初は落ち着いたカーディガンとかだったのに、今はちょっと大人っぽいワンピースとか、普段の莉々華とは違う雰囲気のものを選んでいる。
試着室のカーテンが開き、莉々華が出てくる。
「どう?」
「……」
一瞬、言葉が出なかった。
シンプルな白のワンピース。普段の莉々華はカジュアルな服が多いから、こういう清楚系は珍しい。でも、それが妙に似合っていた。
「……いや、なんか」
「なんか?」
「……大人っぽい」
正直に言葉が出ると、莉々華は一瞬驚いた顔をして、次に少し得意げに笑った。
「へえ、そういうのが好みなんだ?」
「いや、別にそういうわけじゃ……!」
「ふふ、冗談だよ」
そう言って、莉々華はくるりと回ってみせる。
「でも、これ結構気に入ったかも。薫も褒めてくれたし」
「いや、俺の意見基準にすんなよ」
「だって、薫が見てどう思うかも大事じゃん?」
さらっと言うけど、それってつまり——いや、深く考えるのはやめよう。
この微妙な距離感は、たぶん崩したら戻れない。
「まあ、似合ってるとは思うよ」
「よし、じゃあこれ買う!」
莉々華はそう言ってレジへ向かった。
その後もいくつか店を回り、俺はすっかり荷物持ちになっていた。
「こうなるとは思ってたけどさ」
「秘書見習いの仕事の一環だからね!」
「秘書見習いの仕事って、プライベートの買い物の荷物持ちも含まれるんですか?」
「うん!」
莉々華は悪びれもせずに笑う。
でも、楽しそうだからまあいいかと思えてしまうのが悔しい。
外に出ると、もう夕方になっていた。
「そろそろ帰るか?」
「そうだね。……ね、ちょっと歩かない?」
「ん?」
「まだ帰るにはちょっと早いし」
莉々華はそう言って、ショッピングモールを離れた道へと進んでいく。
俺は黙ってその隣を歩いた。
微妙な距離感のまま。
でも、心のどこかで、この時間がもう少し続いてほしいと思っていた。
莉々華と並んで歩きながら、俺はそっと横目で彼女を見る。
昼間は賑やかな買い物だったのに、今はやけに静かだった。莉々華は言葉少なに前を向いて、どこか考え事をしているように見える。
「疲れたか?」
俺がそう聞くと、莉々華は少し驚いたようにこちらを見上げた。
「え?」
「なんか、さっきまでより静かだから」
「あー……ちょっと歩きながら考えごと、してたかも」
「何考えてたんだよ?」
軽いノリで聞いたつもりだった。けど、莉々華は少しだけ迷ったような表情を浮かべ、
「……秘密」
と、小さく笑った。
「なんだよ、それ」
「別にいいでしょ? たまには女の子が考えてること分からないくらいが、ちょうどいいんじゃない?」
「そういうもんか?」
「そういうもん!」
莉々華はそう言って、いたずらっぽく笑う。
けど、その笑顔の裏に何か隠してる気がして、俺は少しだけモヤモヤした。
——最近、こういうことが増えた気がする。
莉々華が何かを考えているのに、それをはぐらかされること。
俺が莉々華のことを気にしすぎていると気づいて、慌てて誤魔化すこと。
いつも通りに過ごしてるはずなのに、どこか違う。
「……夕日、綺麗だな」
莉々華がふと立ち止まり、赤く染まった空を見上げた。
確かに、オレンジ色に染まった空は綺麗だった。
「夕日ってさ」
「ん?」
「ちょっと切ないよね」
「そうか?」
「うん。昼と夜の間にある時間って、なんか特別じゃない?」
そう言われて、俺も空を見上げる。
確かに、昼の賑やかさと夜の静けさが混ざり合うこの時間は、どこか曖昧で、掴みどころがない。
「……じゃあ、今の俺たちみたいだな」
何気なく口にした言葉に、自分で驚いた。
莉々華も驚いた顔をして、俺を見つめる。
「……そうかもね」
そして、ふわりと微笑んだ。
何か言いかけた気がするけど、それは結局、言葉にならなかった。
「さて、そろそろ帰ろっか!」
莉々華がいつもの調子で言い、先を歩き出す。
「お、おう」
俺は慌てて後を追いかけた。
胸の奥に残った違和感を、見て見ぬふりをしながら——。