「蜂矢涼介さん、日曜カレーを引き継ぐ事に消極的だと見て取れますが?」
本人が答える前に、
「当たり前だろ、呪いの押し付け合いかよ。罠だろ、こんなの」
の声は、蜂矢の周囲の仲の良さそうな同級生たちから上がった。
確かに、せっかく優勝したのにこんな追い詰め方はあんまりだと、運営寄りの果々子ですら思う。
「では、カレー作りをしないで済む方法が二通りあります」
蜂矢と二人の女子は「今度こそ大丈夫だろうな」という顔でタチバナ先輩を睨む。
「一つは、『日曜カレー』その物を廃止する事です。優勝者には終了か続行かを決める権限もあります。学校に何の関りもない寮の自主的システムですので、廃止しても内申その他に何の影響もありません」
「え」と果々子は顔を上げた。日曜カレーなんてやっていた事も知らなかったし、一度も経験しないまま消えてしまうのは寂しい。
でも引きこもっていた自分のせいだ。世の中にはそうやって、知ろうとしないまま廃れて無くなってしまう物がいっぱいあるんだろうな、と思った。
周囲を見回すと、カタコユリ荘の女子はスンと無表情だが、ポプラ寮の男子の方がザワめいている。食券申し込みが不要で気紛れに来て現金四百円でカレーが食べ放題な日曜カレーは、そこそこ人気があったようだ。
果々子はだんだんこの大会の裏に隠された本当の主旨が解って来た。
カレー選抜大会は、ポプラ寮の出来た四年前から始まった。
(それまではおそらく必要無かったんだ……)
「もう一つは?」
蜂矢は『それはない』というニュアンスを含ませた声で次を聞く。
そう、他所の寮で創設から六十年続いた伝統を、昨日今日来た隣の寮の者が廃止してしまっていい物ではないと、彼はそういうモラルは持ち合わせていた。
「優勝を辞退する事です。その場合、権利は二位の方に移ります」
蜂矢はパッと明るい表情になって口を開きかけたが、イナゴ集団から不貞腐れた声が響いた。
「ええ~~結局あの美味しいカレーになんないのかよ、詐欺じゃ~~ん」
「サギって言葉が好きな連中やな、ガチの詐欺はこんなモンとちゃうで」
果々子の隣でみかんが低い声で呟いた。いや貴女私と同じ十八歳だよね?
みかんに連動するように瀬戸先輩から弾んだ声が上がる。
「やった蜂矢、メンバーゲットやで! そいつらにレシピ教えたってな。作ってくれるって、良かったな!」
「俺らそんな事言ってねえ!」
「そうだそうだ、すり替えんなよ」
「料理なんかする訳ねえだろ!」
「じぶんの食べたいモン自分で作るん当たり前やろが。一生ママのご飯食うとるつもりか」
「れもん!」
タチバナ先輩の氷のように諌める声。
瀬戸先輩は黙る。が、目を三日月にして満足気だ。
「犬井 惣一さん、猿川 騒二さん、牛田 怠三さん・・・・」
前列左から正確な、タチバナ先輩のフルネーム爆撃(先輩はおそらく攻撃しているつもりはない)。ビクッと揺れるイナゴ集団。
「蜂矢涼介さんからレシピを習って日曜カレーの調理をなさいますか? ご希望通り蜂矢涼介さんの美味しいカレーが毎週食べられます」
「ふざけるなっ」
と言い掛ける声は、蜂矢の「いいえ」という声に遮られた。
「彼らに出来るとは思えません」
『彼らがやるとは思いません』じゃない所がパンチが効いている。同じ寮で暮らして行くのにいいの? と思ったが、皆に審査して貰う為に作ったカレーをかっさらうイナゴ集団など、当たり障りのない付き合いをする気すらないのだろう。
その潔さ羨ましい、と果々子は思った。
「はあい! あのお!」
突然、二位のドラゴンフライ先輩が手を挙げた。
「ちょっと言うの早いっスけれど、もし自分に回って来ても辞退しまっス」
蜂矢も両脇の女子も、驚いて彼女を見た。辞退する事に驚いたのではなく、恥ずかしげもなく堂々と宣言する様子に驚いたのだ。
タチバナ先輩は表情を変えずに彼女に向いた。
「理由を伺っても?」
「はぁい、自分のカレーは採算が合わないからっス。張り切って良い肉と高級カレールウを使ったから、定められた三千円からかなりオーバーしちゃって。
今回は八人前だから足が出た分自己負担出来るけれど、五十人前って無理ス。同じ物を五十人分提供となると、今の四百円じゃ当然無理で、一人千円ぐらい取らないと回収出来ないかな。嫌ですよね、皆、そんなの。第一、高い材料を使えば美味しくなるのは当たり前な訳で」
スラスラ答えるドラゴンフライ先輩に、蜂矢は口をポカンと開ける。
そういえば応募要項には、三千円以上自己負担とあるだけで、上限は定められていなかった。
「承知しました」
冷静に書面に書き入れながら、タチバナ先輩はゆっくりと蜂矢の方に向いた。
「お、俺は、『かかる手間』が合わないです」
「手間……ですか。はい」
「八人前のカレーを作るのに、三人掛かりで半日潰しました。手間を掛ければ美味しくなるのは当たり前で、けれどそういうカレーは『ニチヨウカレー』には合わないと思います。
たとえばそっちの子みたいに十五分で作れるカレーもあるんだから、そういうのの方がいいんじゃないですか。俺は辞退します」
いきなり槍玉に挙げられて果々子はビクッと怯え、その様子を周囲は微笑ましく眺めている。
「承知しました」
タチバナ先輩はあっさり言って、書記をしているタマ先輩と何か耳打ちし合う。
「五人衆の皆さ……」
「はいは――い、了解です」
言われる前にビタミンカステラ先輩が立って、ぐるりと身体を回した。
「今年も宜しくね、みんな」
「お願いします」
カタコユリ荘の誰かから声が上がった。
「お願いします」
「お願いします」
寮生皆から声が掛かり、果々子も思わず目の前の二人の先輩に「お願いします」と頭を下げていた。
***
「デキレースかよ~~」
「組織票じゃねぇの?」
「そいつらのカレー何の特徴もなかったじゃん」
イナゴどもはとにかくイチャモンを付けたいらしい。
タマ先輩がタチバナ先輩に手書きの集計表を渡した。アーモンドみたいな目でサッと見て、タチバナ先輩は再び口を開く。
「要望が上がったようなので、多少の群細を発表致します。№1カタコユリ カレー五人衆は、一位票は一つもありませんでした。獲得した四十三ポイントはすべて二位票によるものです。票数だけで見ると最も多くの方に支持されています」
ええっ? え――と?
一位票は二ポイント、二位票は一ポイント。
投票者は……見た感じで六~七十? その過半数……四十三人が二位に五人衆カレーを入れたって事?
組織票でこんな事出来ない、だって半分はポプラ寮の男子だ。
「ちなみに一位票は結構割れていて、四位の佐和出(さわで)ルカさんのカレーも惜しい所に付けていました」
果々子の隣のテーブルの、赤い花柄ヒジャブの女子が、両手を頬に当てて大袈裟に身を振った。
「まぁ嬉しい。指示して下さった皆様ありがとう。でも私のはネパールのタルカリ式……いわゆる水分の少ないドライカレーだったから、普通のカレーと同じ感覚で掬われるとあっという間に無くなっちゃうのよね。本当はもっと多くの方に味わって頂きたかったわぁ」
残念だと口にしている割にニコニコしている。
果々子は大きな芝居の中に放り込まれているような気がして来た。
デキレースはデキレースかもしれない。でも票操作ではない。もっと巧妙な誘導だ。そして、
(どこからどこまでが毎年繰り返される『パターン』なのだろう……?)
「うん、うちはいつもの癖で
ビタミンカステラ先輩が、寸胴糊カレーグループをディスった口で、白々しくそんな事を言った。
出ていた六個の鍋の中で一番大きな鍋がNo.1の札の付いた五人衆カレーだ。遅れて来た果々子の口にも入った。普通に美味しかったから二位に入れた。
そうだ、どんなに美味しく作ろうと、投票者は
八人前でも、味を見る為に掬うだけなら十分皆に行き渡る。そこに『美味い物だけ腹いっぱい』って輩が侵入するとあっという間に破綻する。
十数人のイナゴ軍団の半分が複雑な顔になって口をつぐんだ。五人衆カレーを上位に押し上げたのは自分たちだとやっと気付いたのだ。
上位になるべき美味しいカレーを片端からガバガバさらって審査のテーブルから下ろしてしまった。
その口が『デキレース』などと言えるものか。