ラーメンと携帯コンロ
果々子にとって、何もかもが初めてのゴールデンウィークだった。
***
カレー大会翌日、四月二十七日、土曜日。
ビタミンカステラ先輩に
「ラーメン食べに行かん?」
と誘われて、二人きりだけれどラーメンくらいなら緊張しないだろうと承知したら、いきなり学校続きの裏山へぐんぐん登って行かれた。
標高二百もない山というより丘で三十分もかからず山頂に辿り着いたのだが、運動に何の縁もない果々子は膝がガクガクになった。
「来てごらん」
言われて狭い山頂の突端に立つと、木々の間から学校全体を見下ろせた。
自分の学校なのに、きちんと全部を見たことがなかった。
大きな学校だと思っていたが、学校を包む山はもっと大きくて(当たり前)、こんな贅沢な美しい場所で学び暮らしているのかと、その時初めて実感した。
特に何の解説もなく先輩は踵を返し、少し下がった窪地でデイパックから水のペットボトルと携帯コンロを取り出して、湯を沸かし始めた。
先輩のコンロは緑の、あまり音のしない奴だった。
カップラーメンの『純連』と『すみれ』を見せられて「どっちがいい?」と聞かれたので味噌と答えたら両方味噌だよと返された。
「そういえば先輩、沖縄なんですよね」
「うん」
「沖縄はこってりした出汁が多いって聞きました」
「あっさり系もあるよ、昆布消費量日本一だし」
喋りながら、カップ麺の準備をする。
「ずいぶん遠くの学校を選ばれたのですね」
「うん、いっぺん思いっきり遠くに離れてみたかった」
「本当に思いっきりですね」
「沖縄ってどんなイメージ?」
「えっと、海が綺麗で、みんな子供の頃から泳ぎが得意なんだろうなって」
「私、カナヅチだよ」
「ええっ」
「実は泳げる子、あんまりいないんよ。『海は怖いモノ、近付いちゃいけないモノ』って教えられて育つ。実際そうだし。喜んで海遊びするなんて観光客ぐらい」
「ふぇえ、そうなんですね」
「私も北国の子はみんなスキーが大好きだと思ってた」
「違うんですか」
「嫌いな子だっているよ。タマ先輩に聞いてみ」
「ほへ――」
「そんな風にさ、実際にその土地に行ってみないと分からない事がある」
「はい」
「自分の故郷だって、離れた方が見えて来る事もあってさ」
「はい……」
喋っている間に、五分が経ってラーメンが出来上がった。
遠くの山にはまだ残雪の白が見える。
ひんやりした空気の中、白い湯気がもわっと上がってハフハフと熱いラーメンを頂く。
「おいしいです」
「よかった」
先輩はまた湯を沸かして、ハブ草という豆のお茶を淹れてくれた。果々子は初めてシェラカップという奴でお茶を飲んだ。
「ド……日向先輩のコンロと大分違うんですね」
『ドラゴンフライ先輩』は果々子が心の中で勝手に呼んでいるだけで、口に出す時は勿論本名だ。でもたまに出て来そうになって焦る。
「私のはお手軽なガス。まあサクラちゃんはギアおたくで筋金入ってる」
「あのドラゴンフライって奴、私も欲しいんです。どこで売っているんでしょうか」
「携帯ストーブなら秀岳壮に行けば概ね揃っているけれど…… サクラちゃんのはあるかなあ、だいぶん前の型だから」
「ええ……」
「山やってる叔父さんに譲り受けたんだって。雪山攻めたりしないんならガスでいいんじゃない? 初心者に向いてるし、寒冷地仕様なら火力もそこそこあるよ」
先輩はEPIと書かれた缶を示し、携帯コンロの種類やメリット デメリットを教えてくれた。
それまで興味がなくてもこの土地に来るとアウトドアの真似事をやってみたくなるらしく、学内の寮生は割と普通にマイ携帯コンロを所有しているらしい。
「MSRの新型ならこの間 秀岳壮に並んでいたな」
「ドラゴンフライの新型ですか」
「いや、確か何とかライトって、かなりコンパクトになって」
「やだ、私はドラゴンフライがいいです、あのごつい五徳がいいんです」
頑固を発揮する果々子に、「まあアウトドアギアは実用性よりフィーリングだからなぁ」と、ビタミンカステラ先輩は笑って許容してくれた。
「じゃあ明日秀岳壮に行ってみる? 胸にガツンと来る物があるかもよ」
「はい!」
空のペットボトルにカップ麺の残り汁を入れ、ゴミと一緒にザックにしまう。それについても何の解説もなかったが、果々子は自分も野外でカップ麺を食べる時はそうしようと思った。
実は果々子は『シュウガク荘』って『カタコユリ荘』みたいな寮の一つだと勘違いをしていた。そこで寮生の不要品を並べてリサイクルしてるのかな――ぐらいに。
なので翌日、寮の玄関で待ち合わせてバス停に歩き始めた先輩に、秀岳壮は、バスと電車で行く大きな都会にある山用品店だと聞いて驚いた。
「寮の食堂休みだし、カシミールカレーでも食べ行く? ついでにミスド買って帰ろ」
なんてアクティブ。昨日の筋肉痛でヘロヘロな果々子からは信じられない。
***
「ココナが着いていながら何でこんなのを選ばせたの!」
ビタミンカステラ先輩がポニテ先輩に怒られている。
「だってなあ……これがいいって聞かないから……」
「すみません、胸にガツンと来たんです、すみません」
必死に弁解する果々子。
四月二十九日、月曜日、昭和の日。
有志の『裏カレー大会』開催の日。場所は寮の前庭のピクニックベンチ。
しかし調理をする為に集まった一同は、果々子の持っている『それ』に、何とも言えない顔を見合わせて、大きな息を吐いている。
昨日、ビタミンカステラ先輩に連れられて訪れた山用品店で、果々子はとりどりの携帯コンロに目を惑わされた。
「色々あり過ぎて迷ってしまいます」
「今日は下見だけでいいんじゃない? パンフ貰って帰ってゆっくり検討すればいいよ」
先輩はガスカートリッジと糧食を買い、それで店を出たのだが、通りすがりの珈琲店のウインドウで、果々子の目が釘付けになった。
「ビタミ……南原先輩、あれ何ですか」
そこには渋い色合いのディスプレイで、アンティーク調のランプやミル等が並べられていたのだが……
「ああ、まぁあれも携帯ストーヴの一種だけれど……」
「わたし、あれがいいです!!」
「いや待って、あれは多分売り物じゃないって……ちょっと、遠山さん!」
先輩を置いて、果々子はズンズンと店に入ってしまった。普段小心者な癖に思い込んだら猪突猛進は、忘れた頃に発動する。
「売り物じゃないしなあ……」
カウンターのマスターに同じ事を言われている果々子に、先輩はやっと追い付いた。
「遠山さん、あれならさっき秀岳壮にあったでしょ?」
「本当ですか? ありましたか、あんな素敵な、美しい色のコンロ」
「ああ」
壮年の、よく雪焼けのしたマスターがニコッと微笑んだ。
「あれは
そうして、店の二階に上がってクッキー缶みたいなのを持って下りて来て、果々子たちの目の前で展示品より少し小さい『それ』を組み立ててくれた。
「昔、大中小で揃えたんだけれど、中だけ使い処が無かったんだよね」
「これは育てるコンロなんですって。だから私もこれから育てるんです!」
通りすがりの珈琲店のマスターに格安で譲って貰ったという新古の『マナスル121』を前に、元気に言い切る果々子。
先輩たちは呆れて脱力しながら、ピカピカ光る真鍮を眺める。
この金ぴかを、あの珈琲店のウインドウにあった奴みたいに深みのある飴色に育てるんだ!
胸踊らせる果々子の頭からは、この灯油コンロが笑っちゃうほど人を選ぶ事や、きめ細かな点火手順を誤るとエラい目に遭う事など、親切なマスターがレクチャーしてくれた教示は吹っ飛んでいる。
確かに美しいフォルムのコンロなのだ。誰だって一度は目に止める。だけれど、憧れと実用を天秤にかけて多くの者は首を振る。
(この子、顔だけのダメンズに引っ掛かる素質アリアリだわ……)
先輩たちは心ひそかに心配した。