ところでこの日は、四月末とは思えないポカポカ陽気。
果々子がコンロを買ったと浮かれているしで、『裏カレー大会』は屋外のピクニックテーブルで開催となった。
参加するのは日曜カレーの作り手たち五、六人。運営の三人は後でお相伴に来るらしい。
日向先輩は勿論ドラゴンフライ持参、その他の作り手さんも、自分のコンロとコッヘルを出して来た。
っていうか、外と言われて普通に対応出来る皆さん凄い。ヒジャブの佐和出先輩なんか、七輪を持ち出してパタパタとタンドリーチキン(風?)を焼いている。
テーブルは切る作業専門でコンロは地面、それぞれ小さい折り畳み椅子に座って輪になって、ワイワイ調理をしている。
カレーだけじゃなく道具も品評会みたいで面白い、と果々子は思った。
マナスルの点火手順は煩雑。まぁ馴れたらそうでもないよと雪焼けマスターは言っていた。
火力は高くはないが外気温に左右されず、その証拠に一昔前は雪山遠征隊の標準装備だったという。
故障も少ないと言っていた。(それは、構造がシンプルなので不具合があったら『故障』する前に自分で対処出来るという意味で、放ったらかしておいていい訳ではない)
昨日、ビタミンカステラ先輩がドーナツを買いに行っている間に珈琲店のカウンターで一通り教わった。
まず缶から取り出して一番に、本体注ぎ口の横の小さい圧力調整弁を緩め……親切なマスターがレポート用紙三枚に書いてくれた注意事項の最初に『これは絶対に習慣付けておく事!』と、でっかい赤文字で記してある。
圧力弁大事、指差し確認。
バーナー部分を取り付けて、これも『取り付けの度に噴出口の掃除を習慣付けておく』と、中ぐらいの赤文字で書いてある。
注油口にジョウゴを刺して、灯油を計りながら注ぎ……『絶対に入れすぎないこと』とも赤文字で書いてある。あまり赤文字を多用するとかえって神経が分散してしまうと思う。
果々子はよっぽど頼りなさ気に見えたのだろうか。譲ってから「しまった」と思われたのかもしれない。
まぁ、夕べも今朝も外で散々練習したので、先輩がたの前でドジを踏むような事にはならない筈、うん。
加熱皿にプレヒート用の燃料(マスターが使いかけのをくれた)をドロッと……ああっ垂れた……んでフレームリングと風防を取り付けて、着火ライター、ライター……
ボワッ!
音にビビって跳ね上がると、隣のドラゴンフライ先輩が一足先に点火していた。同時に始めたのに悔しい。
よし、こっちも燃料に火を付けて、圧力弁を閉じ、ポンピング、シュコ、シュ……
ドワワッ! 火柱!
「ひゃおぉっ」
「圧力弁開いて、一回止めて」
ドラゴンフライ先輩が冷静に指示を飛ばしてくれた。
「プレヒート不足。燃料が十分に気化しない内に圧力掛けたから生で吹き出したの」
「ウウ……」
「回数重ねて自分のギアの癖を身に付けて行くしかないよ。火だからね、ひとつひとつ丁寧に」
「ハイィ……」
二回目は指差し確認を怠らずに慎重に進めて、無事青い炎を作る事が出来た。
ビャラビャラビャララララララ!
「音の五月蝿(うるさ)さなら負けませんよ」
「そんな勝負してないっ」
「あああ、そこうるさくて会話出来ない! 液体燃料組はあっち行って!」
果々子はペロッと舌を出し、ドラゴンフライ先輩と一緒にコンロを乗せたお盆(昨日百均で買った)をゆっくり平行移動して、皆から十メートルくらい離れた。
「それにしても通りすがりの店で目当ての物を譲って貰えるなんて、凄い幸運だね」
「はい。でも何でマスターさん、同じ物を大中小って持っていたんでしょう。一個でよくないですか」
「ああ、それ、あるあるよ。うちの叔父さんも、同じ物を大きさ順に並べてニマニマ眺めてる」
「使わないんですか」
「使うけど決まった物しか使わない。奥さんに一個あれば足りるのにって言われてる」
「あは」
「お陰で自分は叔父さんのお下がりを貰いまくってラッキーなんだけれどね」
二つのコンロがゴオオオシュビビビビビとうるさいので、二人とも大声だ。
「一番最初に貰ったのがこのドラゴンフライだったんだ」
「はい」
「うちの親が叔父さんに怒っちゃってさ。女子中学生になんて物を与えるんだ! って。私が欲しがったからだって言ってんのに全然聞かないの。だから意地でも一人で全部やれるようになろうと思った」
「使い方を教えてくれたのも叔父さんですか」
「そそ。河原とか山とかデイキャンプとか。鳥や野草も教えて貰った。楽しかったなあ」
「素敵な叔父さんですね。今もたまには一緒に?」
「う――ん、叔父さん、結婚してからあんまり出なくなったし……」
「…………」
コオオオビャラビャラビャラ
火力が落ちて来るとポンピングを繰り返す。
「遠山さんは今日は何を作っているの? この前のと同じ?」
「はい、カブと香味野菜のカレー風ポトフ。日向先輩は?」
「菜の花とネマガリ筍の春の幸カレー」
「ネマガリ? あ、これ、スーパーで見ました。こっちの山菜ですか?」
「そそ。そこの裏山で採って来た。スーパーではササタケって言って売ってる筈。せっかくの野外なんだし、春っぽく」
「わあ」
知らないことを一杯教えて貰える。多分ドラゴンフライ先輩の教えてくれる知識の中には叔父さんの教えも混じっているんだろう。だから果々子は叔父さんという人にも感謝した。
***
皆のカレーが出揃って、ピクニックテーブルにコッヘルやフライパンが並ぶ。
佐和出先輩が七輪でチャパティを焼いて配ってくれた。
おのおののシェラや紙皿を並べて、
「いただきま――す!」
「うまっ! 鶏肉パリパリでうまっ!」
「いいねえ、ネマガリ筍。春って感じがする」
「南原先輩のタコ大根カレーもイケるっス」
食べている所に、運営三人と、なんと寮母さんとパートさんの一人がやって来た(ゴールデンウィーク中に厨房メンテがあるので、立会い業務で何回かは出勤するらしい)。
皆立って、どうぞどうぞと真ん中の席を譲る。
「あらぁ、嬉しいねぇ、ちょっと味見したいだけのつもりで来たのに、全部美味しそう」
おかあさんがたはニコニコしながら、自分たちも時期が違えどカタコユリ寮の出身だと教えてくれた。『日曜カレー』の思い出もあるのだと。
「当時は街もあんなに栄えてなくて雑木林ばかりでさ」
「そうそう、日曜ったって遊びに行く場所もないし、冬も今ほど除雪されなくて雪に閉ざされたし」
「日が短くて一日中空が明るくならない時期なんて、食堂に下りて行ってカレーの湯気と匂いをかいだだけでホッコリしたわぁ」
「芋剥き名人がいたんよ。もうバ――と回してガ――って。いまだにあのスピードの上行く人知らんわ」
おかあさんがたはひとしきり楽しんで、ゆで卵をくれて業務に戻って行った。
果々子は口を横に結んで、寮が昭和の空気だ何だと心の中で揶揄していた事を、深く反省した。だって平成生まれの自分が昭和を知っている訳がないじゃないか。その時代を大切に生きた人になんて失礼だったのか・・
ちなみに果々子のカレーは今度は受け入れられたが、やはり絶賛というほどでは無かった。
「だから私にしか美味しくないって……」
言い掛けた所で、後ろからスプーンを持ったみかんがいきなり出現して、素早く奪ってパクっと食べた。
「うん、美味いで!」
エントリーNo.6は一票だけ票が入っていたが、最初のカレーを味見していたみかんの物で、正当な票だと記録に残された。
「なにやってるんですか……」
怯えたような声に一同振り向くと、鍋を携えた蜂矢涼介が突っ立っていた。
そういえば運営のタチバナ先輩たちに「カレーをご馳走する」って約束していたっけ。
「言われた時間に来たのですが……間違えましたか?」
「折角だからご招待しようと思いまして。裏カレー大会へようこそ」
タチバナ先輩が爽やかな声で立ち上がる。
「はぁ……?」
「蜂矢涼介カレー!!」
先輩の一人が失礼にも本人ではなく鍋の方に食い付いた。
「あのめっちゃ秀でていたってカレー?」
「私食べられなかったのよ」
「待って下さい、運営に作って来てくれたのです、私たちが優先です」
「権力横暴!」
ますますドン引く蜂矢を、タマ先輩が穏やかに席へ誘った。
「怖いんですが……」
「まあまあ。来てくれてありがとうねぇ、はいチャパティ、好きなカレーよそいますよ」
蜂矢は観念した感じで席に着いた。
「じゃあ……この人のカレー、ありますか?」
いきなり指名されて果々子は喉がヒュッと言った。待って勘弁して。
案の定、ポトフ風薬膳カレーに目を白黒させる蜂矢。
最高のカレーを作って来てくれたのにごめんなさいごめんなさい……
その後、他の先輩がたのカレーも一通り食べて、いや勉強になりました、いい経験させて貰いましたと礼を言う蜂矢。同じ一回生なのに大人だなあ。
その隣では年上の女子たちがハチヤリョウスケカレー(カリスマシェフカレーみたいだ)を奪い合っているというのに。
「人のことイナゴとか言えますか……」
ボソッと言った声は果々子にだけ聞こえた。