カタコユリ荘 春の選抜カレー大会   作:西風 そら

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シナモンと生姜のチャイ

     

 

 玲奈が先輩たちにくっ付いて街に繰り出したあとの事は、果々子は知らない。

 

 帰って来たのは門限直前だったらしいが、果々子はレポートをやった後、早くに就寝していた。

 夢の遠くに嬌声が響いたような気がしたけれど、脳が空耳だと判断した。

 

 早寝のお陰でまだ明けやらぬ時間に目覚めてしまい、外のベンチでコーヒーでも入れようと、道具を持ってソロリと部屋を出た。

 

 五月二日 木曜日、新年号の二日目。

 いつもと変わらない、シンと黒光りする寮の床。でも昨日までと違う景色に見える。

 

(私は、これまでと変わらずここで過ごす)

 

 でも先輩たちとはあまり関わらないようにしよう。

 気を使わせないよう、負担にならぬよう、空気のように、大人しく過ごそう。

 居るだけで頭数になれる、それで満足していよう。

 明るい空気は、人形のように可愛いヒロイン 白鳥玲奈が担ってくれる。

 

 ――夕べベッドの中で、自分で結論付けた。

 

(だって私はもうここが好きなんだ、好きでいるのはやめられない)

 

 

 無人の食堂を通って外に出ると、朝霞のベンチには先客が居た。

 

「おはよう、遠山さん。早起きですのね」

 赤いヒジャブの佐和出先輩だ。

 確か三回生で、昨夜の飲み会にも行った筈。そちらこそ早起き凄い。

 話し方がワンテンポずれてゆっくりで、どこかつかみ所の無い人だ。

 

「お、おはようございます」

 

「マナスルでお湯を沸かすの?」

「はい、モーニングコーヒーしようかと。あ、うるさいから離れます」

 

 佐和出先輩は、果々子とマナスルの間で少し視線を泳がせて、

「あの、宜しかったら私の入れたお茶を、一緒に飲みませんか?」

 と、手元の鍋を示した。

 真鍮の小鍋にシナモンと生姜の入ったチャイがいい香りを放っている。

 す、す、凄く美味しそうだ! 飲んでみたい!

 しかも今日は七輪でなく、手のひらサイズの小さい焚き火台だ。何あれ、あんなのあるんだ、近くで見たい!

 

 しかし果々子はグッと堪(こら)えた。

 佐和出先輩は自分に気を使って誘ってくれているのではないか。本当は独りではんなりしていたいのではないか。

 

「ぁ、の……」

「ああ、口がコーヒーになっていらした? 朝一番の胃がからっぽな時はミルクティーの方がいいかしらと、余計な事を」

「いいえっ、ぜんっぜん余計じゃないですっ。スパイス大好きで、美味しそう過ぎて、本当にいいのかなあと」

「ふ、ふ、遠慮しないで」

 

 先輩は果々子のカップにチャイを注いで、ミントの葉を浮かべてくれた。

 二人、ピクニックテーブルに差し向かいでお茶を飲む。香り豊かでほんのり甘い。贅沢だ、そして美味しい、なんて素敵な時間。

 

 ――また、先輩に、頂くばかりだ……

 

「実は少しお喋りしたかったの」

「そうですか(本当に? 気を使っていない? 見極めが難しい)」

 

 先輩は自分のヒジャブの両端を少し持ち上げた。

「私のこれ、どう?」

 

 ――へ?

 

「とてもお似合いです」

「ありがとう」

「ただ……」

「うん?」

「先輩みたいに小顔でないと似合いませんよね」

「そんな事は……」

 

「実は昔憧れて、エスニック洋品店で試着をした事があるんです」

「まあ、本当に?」

「『ほっかむりん』だったので断念しました」

「え、ほっか・・むりん? って、何?」

「妖怪です、こう、二足歩行のカエルの姿でほっかむりをして、夜中に踊る妖怪……知りませんか」

「知らないわ」

 

 しまった地域限定妖怪だったか。話が逸れ過ぎた、先輩が困惑している。

 

「い、一緒にいた友達も、店員さんまで、ほっかむりんだって言って笑うんですよ。そんな記憶があるから、ここへ来て、私の憧れていた物をピシッと着こなしている方がいて、わあ凄い、羨ましいなあってつい眺めていました。そういうのが感想です」

「あら」

 これで返答になっているのかなと思ったが、先輩は両手を頬に当てて嬉しそうにしてくれた。その仕草は癖になっているみたい。そして似合う。

 

 それから

「私って、途中入寮なの」

 いきなり話し始めた。

 

「はい……」

 果々子は相づちだけ打って静かに聞く体制に入る。

 

「一回生の時、憧れた同級生がいてね。イスラム圏からの留学生で、物凄く綺麗で優雅で、思いやりがあって素敵な人だった。友達も多くて周囲の何人かで彼女とお揃いのスカーフを巻いて歩いてみたり」

「いいなあ、私も会ってみたい」

「写真があるから今度見せてあげるわ」

「はい、是非に」

 

「その人がね、年末のお休みに一時帰国したまま、家の事情とかで急に退学してしまったの。あまりにいきなりだったのでお別れも何も出来なくて。ただ寮のお部屋の片付けを手伝った時、主の帰って来ないぽっかり空いた空間が寂しくて、思わず入寮を申し込んでしまったの」

「…………」

 果々子は唾を飲み込んだ。上手い相づちが出て来ない。

 

「衝動的で何も考えていなかったんだと思う。けれど今の周囲の総てのご縁は、彼女のもたらしてくれた物だと思ってる」

 言って先輩は、相づちの出来ない果々子の両頬に手を添えて、

「今度、一番似合う布を見立てて差し上げるわ」

 と微笑んでくれた。

 艶めいた唇にドキリとする。その女性(ひと)もきっとこんな笑い方をしたんだ……

 

「そ、その方(かた)が」

 ドキドキが止まらない果々子の口から勝手に言葉が転がり落ちる。

「おうちの事情が落ち着いて戻って来られた時、佐和出先輩が居場所を守ってくれていた事を知ったら、きっと大喜びですよ」

 

 先輩の小さな顔の中の茶色い瞳が、これ以上ない程に見開かれた。

 

 

   ***

 

 

   

「ああっ、ずる――い!」

 

 甲高い声が、佐和出先輩と果々子のひと時をブチ壊す。

 

 白鳥玲奈が、何故かカタコユリ荘の玄関から飛び出して来た。

 まさか、夕べ泊まったのか?

 

「私もお茶、飲みたいです、コスプレせんぱ――い」

 

 果々子は背筋が凍った。

 いや果々子だって心の中で先輩を徒名で呼んだりするが、口から出す時は誓って本名だ。

 佐和出先輩は知らない人に、「ムスリムなの?」と聞かれた時「いいえ、でもこれが好きなので」ぐらいに流しているけれど、「コスプレ」って言葉は聞いた事がない。

 さっきの話を聞いたら尚更だ。先輩には信仰と同じくらい尊重している物がある。

 

(寮にそんな呼び方をする人間はいなかった筈。この子が勝手に呼んでいるの? 誰も咎めなかったの?)

 

「私は今日の支度がありますので」

 佐和出先輩が静かな微笑みを絶やさないまま、さっさと道具を片付けた。

「遠山さん、お茶を入れて差し上げたら? そのマナスルで」

「あ、はい」

 

「ああん、先輩、つめた――い。私もコス……」

 ビャラビャラビャラシュビビビビ!!

 

 マナスル様のお陰で先輩は嫌な言葉を耳に入れずに退散出来て、玲奈も喋り続けるのを諦めてくれた。

 

 

  ***

 

 

 コンロの音が嫌なのか果々子には価値がないと思っているからか、どちらかは分からないけれど、玲奈は無言になって、フイと建物に入ってしまった。

 誰かに甘えて朝のアメニティを借りるつもりだろう。

 

 果々子はそのまま一人、外のベンチでコーヒーを淹れた。

 湯気の立つコーヒーを飲んで、昨日セイコマで買ったブドウパンをかじる。パンは芯まで冷えていて、炙りたい所だがマナスルでは灯油臭が付いてしまう。

 こんな時はガスが羨ましいな、いやさっきの佐和出先輩の小さい焚き火台もいいかもしれない、びっくりするほど小さく畳めていたし……あっ、炭を使ったら炭の香りのパンになる! いいかもいいかも!

 

 なんて陽の思考で頭を埋めようとしていたのに、朝の運動に出て来た先輩たちに、夕べ皆が帰って来た時の様子を教えられ、また気分が落っこちた。

 

 案の定というか、玲奈はジュースと間違えて(本当か?)カクテル系の強い奴をガブ飲みしてしまい、相当まずい体たらくになって、仕方なくタマ先輩が彼女の寮に連絡を入れ、皆でカタコユリ荘の談話室に布団を敷いて寝かせたらしい。

 

(せっかくの飲み会だったのに……)

 最終学年はこれから就活に卒業準備に忙しくなる。最後の交流の機会だった人もいたかもしれない。

 そも、学校名を背負う学生の飲み会なのだ。世間の監視厳しい昨今、何かあったら学校にも同席者にも店にも迷惑が掛かる。ゴメンナサァイで済ますつもりなんだろうけれど絶対に済まない。

 

 果々子は酔っぱらいが大嫌いだ。実家の家業の関係で、普通の子供よりは多く見て来た。

 楽しい筈の席をぶち壊してでも自分を中心に置きたい者は、一生同じことを繰り返すし、結局周囲に誰もいなくなる。

 

 

 二杯目のコーヒーを飲んでいると、タマ先輩に連れられて玲奈が出て来た。やっと自分の寮へ帰るらしい。一人で帰れないのだろうか。

 彼女が明るく周囲を笑顔にしてくれるのなら多少腹黒くても構わない、自分が邪魔なら引っ込んでいようと、果々子は思っていた。

 

(だけれどそうではないみたい……)

 

 

 

 

 

 

 

 

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