朝食を終え、寮の前のピクニックベンチで、果々子はマナスルが冷えるのを待っていた。『充分に冷ましてから仕舞う事』と、マスターの注意書きに赤文字で書いてあるので。
今日はこれから、学校隣接のグラウンドへ行く予定だ。
本日 五月二日と明日三日、陸上競技の記録会が行われる。みかんに応援に行くと、以前から約束していたのだ。
寮生の選手たちは、ドーピング対策とかで前日から合宿所に詰めている。昨日の喧騒に巻き込まれないで良かったと思った。
昨日から沈んでしまった気分だが、切り替えて元気に応援しよう。
(本当に、こんなにやる事が詰まった目まぐるしいゴールデンウィークを、自分が過ごすとは、思わなかった……)
今年のゴールデンウィークは即位記念ということで中日の平日も無理矢理休日にされ、異例の十連休。
(こんなの、嬉しい人はいるんだろうか……)
そう思っていた。
だって、パートのおかあさんは出勤日が減るから来月は切り詰めなくちゃと言っているし、健康に不安を抱えている人は医者の不在で病院が機能しなくなってしまう事を恐れるだろう。
果々子だって、昨日講師が出勤してくれたから助かった物の、そうでなければ焦点のずれたレポートで時間を無駄にする所だった。
自分も家族も何の不安もなく健康で、社会に何の責任も持たず自分の事だけやっていればいい人間なら、嬉しいかもしれない。
そんなの小学生しかいない。
いや、果々子は小学生の高学年頃にはもうゴールデンウィークが嫌いだった。小さい弟妹と要介護の年寄りがいて、親は飲食の自営業でほぼ不在だったしで、物心付く頃には家庭の主婦をやっていた。
果々子にとってのゴールデンウィークは、『遊びに行ける普通の子との違いを思い知らされる日々』だった。
と言うと、世間で言うヤングケアラーって奴で不幸に認定されがちだが、果々子自身はそう思っていない。
おばあちゃんは歩けなかっただけで、最期までボケずに文学歴史や料理の知識を与えてくれたし、果々子の進学費用にと、年金を貯めた通帳を渡してくれた。
両親だって人より余分に働いて、それで学費を捻出してくれたのだ。お陰で果々子は奨学金を借りずに進学する事が出来た。
ゴールデンウィークを喜べるような『普通』とは違うけれども、不幸ではない、どちらかというと幸せな身だと果々子は思う。
だから講義は取りこぼせないし、一般教養だろうと苦手な体育だろうと心血を注ぐ。
(だから……自分が、ゴールデンウィークをこんなに普通に、素直に楽しんでいるなんて、嘘みたいだ)
まぁ貯金は微々たる物なので、近場ばっかりで遊んでいる。そろそろバイトを探さねば。夏休みはこっちに残ってフルで働ける所を探そう。在学中に一回ぐらいは旅行に行きたいな。
***
タマ先輩が、心もちフラ付きながら、東側から戻って来るのが見えた。
「白鳥玲奈さんの入寮はこちらでは受付けられませんと、先方の寮監にはっきり伝えて来たわ」
果々子を見ると、開口一番、溜め息混じりに言った。
「目を離した隙に間違って飲んでしまったとしても、未成年飲酒はその場にいた成人の責任になってしまうの。カタコユリ荘は運動部の人が多い。何かあったら洒落にならないのよ」
当然の自衛措置だと思う。
「はい。身体、大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと寝てから、きっちり反論出来る文書を作成する。ナッちゃんにも知らせて共有しておかなくちゃ」
「お疲れ様です。本人の意向より、そちらが有効なんですか?」
「寮の差配だけに最終決定権はないけれど、来るなという場所に来たい人はいないと思うわ」
「そうですね……」
果々子だってそう思いたいが、理解できない人間は世の中に存在する。
まったく気にせず突入して来た麻美子のような者だっている。まだちょっと心配だ。
それに……
「あの、タマ先輩、寮の人数の事を聞きました。四十人を切るとどうとか……」
「ああ」
先輩は肩を竦めた。
「そんな話はずっとあるわ」
「そうなんですか」
「代々そうして来た……って言うと偉そうだけれど、ここは『現在住んでいる者に安心して暮らして貰う』方に重きを置いているから。『上級生が封建的』って噂は広められてしまうわね」
「はい……」
先輩は全部把握していたのか。それはそうだ、私の知っている範囲なんか知っていて当たり前だよね。
「でも、新年度の入寮生は少なくても、うちは中途入寮が多くて、年度末にはいつも何とかなっているの。特にロビー活動をしている訳ではないんだけれどね」
「おお」
そういえば、佐和出先輩も中途入寮と言っていた。
来る者自体は拒まない。害をなさなければいいだけなのだ。
偉そうと言うけれど、今いる人を大事にするのは大切だと思う。頭数だけを重要視して既存の寮生に我慢を強いるような真似をしていると、きっと逆の結果を招いてしまうだろう。
寮生が安心して仲良く平和に暮らせている、これ以上の宣伝効果があるだろうか。
「白鳥さんだって、果々子ちゃんが楽しそうにゴールデンウィークを過ごしているのを見て惹かれたんだよ」
「えっ、そうなんですか?」
「だからねぇ、果々ちゃんは何も心配しないで、楽しく自然体で暮らしてくれているのが一番いいの」
「は、はい」
……あれ?
先輩と別れて、寮を出発し、グラウンドへ向かって歩いている最中、ふっと、立ち止まった。
……あれ、あれ?
(果々ちゃんって呼ばれた気がする? タマ先輩に、果々ちゃんって呼ばれた、果々ちゃん!)
ひゃあああ!