五月五日 日曜日 こどもの日。
バイト二日目。
「どうしたの、体調悪い?」
いきなりマスターに聞かれた。
「はい? いたって元気ですよ?」
開店前、カウンター内の厨房で、教わりながらピザソースを作っていた果々子は、びっくりして振り向いた。本当に体調は何ともない。
「目の周りに隈があるし。昨日、相当疲れたのかい?」
「そんな事ないです。元気なつもりなんだけどな……目立ちます? ファンデ厚塗りしとこうかな」
普段スッピン果々子だが、人前に出る仕事だし一応化粧道具は持って来ている。
「いや、きみの外見に多くは求めないのだが」
何気に酷いマスター。
「睡眠不足じゃないのか?」
何気に鋭いマスター。
そうして、
「まったく関係のない人間相手に、声にして吐き出すだけでも楽になる物だよ」
のマスターの言葉に、スルスルと、夜眠れない理由を打ち明けてしまった。
玲奈に言われた事、寮の人数の事、先輩に優しくされる度に申し訳なさが積み重なる事。
「考えないようにしようと思っても、夜ベッドに入ると後悔が押し寄せるんです」
そう、夕べまた、『タマ先輩は運転で疲れているのに、自分の為に喫茶店に寄ってくれた、タチバナ先輩にも要らん手間を掛けている』という思考に襲われて、眠れなくなってしまったのだ。
「ふむ」
マスターはコーヒー豆をゆっくり牽きながら少し考えた。
「先輩たちがきみに気を使っていると言うけれど、僕にはきみが、気遣われなければならない程『みじめな者』には見えないなぁ」
「みじめ……」
「僕は先日、山で怪我をして、同行者に気遣われて、酷く惨めだった。通りすがりの赤の他人にも助けて貰って、沢山の人に迷惑を掛けて、惨めで情けなかった」
「それは……怪我をしたらしようがないじゃないですか。誰にでも降りかかる事だし」
「うん。助けてくれる人たちはそうだよね。当たり前だと思っている。山では殊更(ことさら)。じゃあ惨めな思いをした者はどうしたらいいかって、二度とそんな事にならないように反省して気を引き締める」
「はい」
「あと、恩を返すんだ。その人たちにじゃなくても、誰かが怪我をした時に同じように助ける」
「それがご恩返し……」
「きみの場合、後から来る後輩に返してあげればいいんじゃないかな?」
「・・・・!」
あっ、それがカタコユリ荘なんだ。
当たり前のようで気付けなかった。
やっと辿り着けた。
果々子はこのゴールデンウィーク、沢山の思い出を得たけれど、マスターとのこの時の会話も、ずっと大切な宝物だ。
「それでもやっぱり僕は、きみが気遣われなければならない程『みじめな者』には見えないんだけれどね。
僕から見たら、きみは自覚がないだけで、多くの物を持っている『豊かな者』だ」
挽き終えた粉を缶に移す、香りが満ちる。
「だから、返す時が来たら十二分に返せると思うよ」
***
バイト二日目午後、仕事のリズムに慣れてあたふたしなくなった頃、ドラゴンフライ先輩が現れた。
「マスターさん、インテリアの写真撮っていいッスか。叔父さんに送ってあげたいので」
「いいよ、人間は写らないようにしてね」
出来れば『マナスルちゃん』関連の文章も無しでお願いします~~……
だが会話の中でつい『ドラゴンフライ先輩』と口走ってしまい、マスター及びその場のお客さんたちに大いにウケてしまった。墓穴だ。ぜったいセットで並び称される。
とばっちりを喰った日向桜子は、その後ウペペサンケの常連になるも、永遠に『ドラゴンフライ先輩』と呼ばれ続ける事となる。