花咲く土手での出逢い
五月六日 月曜日 こどもの日の振り替え休日。
ゴールデンウィーク最終日。
果々子は予(かね)てより計画していた、裏山ひとり登山を実行した。登山と言っても標高二百米にも満たない丘。
ゴールデンウィークの初めにビタミンカステラ先輩に教えて貰って、大好きになった場所だ。
もっと度々来たかったが、熊の怖さを刷り込まれてちょっとビビっていた。
ビビってもビビらなくても熊は会う時にしか会わないと、ウペペサンケのお客さんたちに妙な励まし方をされ、ゴールデンウィーク最終日だしで、えいやっと、来る事にしたのだ。
山頂には呆気なく着き、崖の突端から学校を見渡す。
帰省や旅行に出ていた学生たちが帰って、学内は活気を戻しつつある。
陽に光るグラウンドで、みかんたちが朝のストレッチをやっている。妖精みかんさんは相変わらずシルエットですぐ分かる。
カタコユリ荘は……
「あっ!」
建物の西側の林に下る斜面。
ピンク色に染まっているではないか。
(タマ先輩に教えて貰ったカタコユリの花だ!)
ある日突然一斉に咲き始めると言っていた。
毎日慌ただしくて、確かめに行くのを疎かにしていた。いつの間に、いつの間に。
(近くで見よう。タマ先輩にも教えてあげよう)
マナスルを背負って来たけれどコーヒーは中止にして、果々子は来た道を戻った。
「んん?」
山を下りて寮へ向かうと、西側、林の手前のカタコユリの土手の上に、見慣れぬ一人の人物が見えた。
青い車椅子に乗ったおばあさんだ。
「危な……っ」
果々子は思わず駆け寄って車椅子のハンドルを握った。
お婆さんはビックリして振り返る。
「す、すみません、土手に向かって進んでいるように見えて。ブレーキ掛けていらっしゃるし全然大丈夫でしたね、失礼しました」
「そう、心配してくれてありがとうございます」
おばあさんは結構歳が行っていて、七十か、もしかしたら八十ぐらいかもしれない。
一人で来たのだろうか?
「あの、寮の方の誰かにご用事ですか? 呼んで来ます?」
「いえいえ、この景色を見に来ただけなのよ」
おばあさんは穏やかな口調で答えて、土手の斜面を見やった。
上から見たとおり、ピンクのカタコユリの花がこれでもかと咲き誇っている。
よく見ると、林の方には白いオオバナノエンレイソウ、間に青のエンゴサクと、何とも美しいグラデーションを作っている。
なんて綺麗! タマ先輩は知っているのかな、教えてあげなくちゃ。
「ああ、見られて本当に幸せ」
おばあさんは少女みたいな声で言った。
「お嬢さんはここの寮生さん?」
「はい、今年入らせて貰いました」
「カタコユリ荘はどう?」
「好きです。毎日とても楽しいです」
「そう、それは良かったわ」
「あの……」
もしかして、ここの卒業生の方ですか?
と聞こうとした所で、寮の玄関が開いた。
「田島さん!」
タチバナ先輩と、丁度いい所にタマ先輩だ。よかった、一緒にこの景色を見られる。
二人の後ろから、厨房のおかあさんの中で一番若い、先日の裏カレー大会に来なかった方のパートさんが、私服で出て来た。
「おばあちゃん、お花、咲いてて良かったね」
「お前が連れて来てくれたお陰だよ、ありがとうねぇ」
どうやらパートさんのお身内みたいだ。
「田島さんが来られると知っていれば、準備しましたのに」
タチバナ先輩とタマ先輩が、果々子と並んで土手に立った。二人とも何だか浮き足立った感じだ。
「いいのよ、そんな仰々しい。施設の外出許可も昨日やっと降りて、急だったもの」
田島さんと呼ばれたおばあさんは、話し言葉はかくしゃくとしているが、身体は細くて指先は血管が浮いて震えている。
果々子は昨年亡くなった自分のおばあちゃんを思い出した。
「またここの花が見られただけで充分、ああ本当に幸運だわ、じゅうぶん、じゅうぶん」
タマ先輩が小さい声で、
「田島さんはカタコユリ荘の創設当時の寮生でいらしたの」
と教えてくれた。
「街の、『田島鶏卵』を起点とする『タジマファーム』の創始者で、寮の食堂にずっと格安で、平飼いの美味しい卵を卸して下さっているのよ」
「そうなんですか!」
「ふふ、今は息子の代だけれど、変わらず提供し続けてくれて良かったわ。若者は滋養のある物を食べて健康な身体を作らなきゃならないもの」
果々子は胸にシンと染みた。今度は冷たい棘じゃない。
***
カタコユリの花咲く土手の上。
車椅子の田島のおばあちゃんとお孫さん、タチバナ先輩とタマ先輩、そして果々子。
「さ、おばあちゃん、冷えるからそろそろ帰りましょ」
「そうね……」
田島さんはチラッとだけ、寮の建物を見た。
この後施設に帰るのだろうか。
また来られる事はあるのだろうか。
「あの、食堂、寮に入って中もゆっくりご覧になって下さい。お茶、暖かいお茶を淹れます」
果々子は思わず口走った。
「でも……」
田島さんと孫のパートさんは、寮の玄関を見やる。
二段ばかりの石段があるのだ。
「待ってて下さい」
果々子は最速で走って(みかん程ではないけれど)、自転車置き場から、荷物搬入に使っているコンパネと端材を抱えて来た。
端材を階段の段差に埋めて補強し、コンパネを敷く。米などを台車で運ぶ時に使っている、仮のスロープだ。
「あっ、手伝う」
食堂にいた他の先輩がたが来てくれた。福祉学科で実習経験の豊富な頼もしい先輩だ。
皆で車椅子を後ろ向きにゆっくり引っ張る。荷物用のスロープだから慎重に。果々子は車椅子の前側に陣取り、手すりのフレームをガッシリ握って押し上げた。
玄関に上がると、今度は走って雑巾を持って来た。
「タイヤ拭きますね」
「遠山さん、慣れてるね」
福祉学科の先輩方も手伝ってくれた。
果々子はまた猪突猛進で周囲を見ていなかった事に気が付いて、不安になって見回したが、皆一丸になって導線や場所を作ってくれている。
田島さんも食堂を見回して、目をしばたいて笑顔になってくれた。
「女が大学なんてと田舎じゃまだ陰口を叩かれるような時代で、教室で差別されてもあの頃は訴える場所もなかったわ。
そんなだからかここへ帰るとホッとして。カレーの匂いと友達の笑顔。あの頃はカレーって、ちょっと特別感のあるハイカラな御馳走だった。懐かしい、今でもまぶたの裏に見えて来るわ」
お茶を淹れて落ち着くと、田島さんは目を閉じて本当に嬉しそうにポツポツ語ってくれた。
「ね、遠山さん、お願いがあるのだけれど」
茶話会の場をしつらえながら、タチバナ先輩が申し訳なさそうに言って来た。
「部屋にいる寮生に知らせて来て欲しいの。『カタコユリ カレー五人衆』の田島さんが見えられているって」
――?!?
果々子は一拍置いて、目玉をひんむいた。ジェネリックじゃなくて純正の、本物の、日曜カレーを始めた仲良し五人組の一人なんですか? 田島さん!
慌てて食堂を飛び出す。
そりゃそうだ、寮に居たのに後で「元祖五人衆の一人が来てたよ~」なんて言われたらガックリ来る。
何で教えてくれなかったの! って絶対恨む、果々子なら。
「日曜カレー創始者の、五人衆の方が一階食堂にみえています」
四階から廊下を歩きながら二、三回ずつ叫んだ。
すぐに部屋を飛び出て「ありがとね――」と言いながら駆け下りて行く上級生もいる。やっぱりお知らせは正解だった。タチバナ先輩凄い。
茶話会ならお菓子も必要だろう。
果々子は自分の部屋に戻って、昨日マスターに貰った『おしどりミルクケーキ』をポケットにねじ込んで階下へ降りた。
早く自分も田島さんのお話を聞きたい。
――しかし
「なんで!??」
田島さんを中心に集った輪の中に、本当に何でか?
白鳥玲奈が、・・いた。