果々子は食堂の入り口に呆然と立ち尽くす。
状況が分からない。
タマ先輩が断ったのではなかったのか。
そもそも何で今ここにいるのか。
まさか寮部屋のどこかに潜んでいた訳でもあるまい。
(待って待って)
とにかく状況を把握しよう。
今この場にいる方々は、どういう感情?
ポットを持った先輩は、動きを止めてお茶を淹れるのをやめている。皆一様にじっと黙って、笑顔は見えない。
田島さんは?
人生経験豊富な田島さんなら、玲奈の事もまた違った視点で受け入れられる?
「イヤだあ! おばあさん、老害~~」
うん、アウトだ。
「そんな大昔のこと言われたってつまんないです、知りませぇん。それより私の話を聞いて下さぁい。ジンケンをシンガイされたんでぇす。寮を選ぶケンリがあるんですよ、学生には。皆さん集まってるみたいだから丁度良かった、ハナシアイしましょ」
めちゃくちゃアウトだ。そういえば麻美子も同じような事を言っていた。パターンって言葉を思い出した。
上級生たちは、田島さんの前で過激な事は出来なくて、お互いに様子を伺っている。
田島さんは困惑した顔で小首を傾げている。パートのおかあさんは、今すぐに連れて帰りたいような素振りだ。
やっと来られたのに。
もう来られないかもしれないのに。
タチバナ先輩が口を開こうとしている。また一人で憎まれ役を引き受けるつもりだ。
タマ先輩が動こうとしている。また一人で目の下に隈を作って疲れるつもりだ。
「みんな、私にチュウモ――ク、これから私の……」
うるさい口が一瞬止まってくれた。
果々子が肩を掴んだからだ。
「何よ……」
「白鳥さん、お願い、助けて欲しいの!」
いきなりの切羽詰まった声に、一同呆気に取られた。
「はあ?」
「白鳥さんでなきゃ駄目なの、お願い、お願い!」
「何であんたの……」
「カタコユリ寮生は、お友だちは必ず助けてあげる物だわ」
田島さんの言葉に玲奈は怯んだ。さすがにちょっとは効くのか。
「何よ、ちょっとだけよ、私いま忙し……」
「こっち、こっちに来て」
「何でよ!」
「先輩に聞かれたくない、白鳥さんにしか話したくない、だから来て!」
勢いで引っ張ったら玲奈は腰を浮かせてくれた。
よし今だ! グイグイ、グイグイ、考える隙を与えない。
そのまま肘と手首を掴んで玄関まで引っ張って行った。
食堂出口の扉が閉まる時、タマ先輩たちと目が合った。
心配と安堵の入り交じった顔だ。
――任せておいて下さい。
アイコンタクトしたつもりだが、分かって貰えただろうか。
***
「ちょ、止まりなさいよ、どこまで行くの!」
靴を履いて外に出て、迷ったけれど東側に向かった。
果々子は玲奈の手を引いて、ただひたすらにグイグイ歩く。
玲奈は口で文句を言うばかりで、大して力を使わないので、果々子は止まる事なく歩き続ける事が出来た。
「いい加減にして!」
生協前の人通りのある場所で、玲奈は初めて踏ん張って、哀れを装った泣き声を上げた。
なるほど、上手い。
通行人が立ち止まる。
果々子が男性なら有無を言わさず引き離されただろうが、事情が分からない上に両方とも女性、しかも果々子の方が小柄で顔色が悪い。
「どうしたの、とにかく落ち着いて」
「事情を話して、きみらどこの寮生?」
聞いてくれる者がいるが、玲奈は、とにかく自分が被害者だ、かわいそうだと喚くばかりで、肝心の事は喋らない。
自分の寮の寮監に来られたら困るのだろうか。
(寮の名前を聞いておけばよかった)
対して果々子は無言。振りほどこうとする(大して本気ではない、振りだけ)玲奈の腕を両手で握り、腰を落として重石のように、ただひたすらに堪えている。
そう、果々子の目的は、『田島さんと先輩がたの茶話会』を守りたいだけ。妨害する邪魔者を物理的にここへ繋ぎ止めておくだけだ。
だって果々子にはそれしかない。この異次元ヒロインと言葉で通じ合う自信なんか無いのだ。
玲奈はますます被害者ムーブを振りかざすが、対した果々子が静かにただ手を握っているだけなので、周囲も躊躇している。
だがその内、ビジュアルパワーで玲奈に軍配が上がるだろう。
それまでの間、果々子は一秒でも長く守り抜く。田島さんの大切な時間を。
この場の誰にも分かって貰えなくていい、卒業まで陰口を叩かれる羽目になってもいい。
「あれぇ、白鳥じゃん、何やってんの」
聞いた声がして、藤田麻美子と吉岡久恵が現れた。
まだつるんでいたのか、この二人。
っていうのか知り合いだったのか。類友だな。
「なぁに? サークルでもハブられて、とうとう『そんなの』とつるんでるの?」
――違ったみたいだ……
***
ニヤニヤしている麻美子と久恵の前で、白鳥玲奈は唇をギュッと噛む。
新展開か?
(でもまだ手を離したらカタコユリ荘に駆け戻って行きそうだな)
果々子は手を緩めずに、腰を落とした姿勢のまま訪ねた。
「ねえ、この人はどこの寮だか知ってる?」
「…………」
二人はニヤニヤをやめて怪訝な顔を見合わせた。
「寮監に引き取りに来て欲しいんだけれど」
「な、何勝手に決めてんのよ、あんたにそんなケンリない!」
「……白樺寮よ。でも私たちは関係ないわよ」
「そう、私たちはもうあの寮を出るもの」
麻美子と久恵はサクッと返した。
ああ、例の白樺寮か……
そしてこの二人も出るって? 短いな、十日ももたないとか、むしろどんな過酷な所なんだ、白樺寮。
遠巻きにしていたギャラリーの一人が、スマホを手に取った。
「白樺寮に連絡取ってあげようか? あそこは寮監が留守でも、大体、牢名主の上級生がたむろっているから」
何ですか? 牢名主って。
「や、やめてえっ!」
玲奈が叫ぶ。そしてガチで涙をボロボロ溢し始めた。
へえ、これは演技じゃ出来なさそうだ。白樺寮ってどんな
「おい、可哀想だろ、手を離せよ」
ついにビジュアル釣られ男子が寄って来て、果々子の腕を掴んだ。
まだだ、まだ離しちゃ駄目だ。
一秒でも長く守りたい物を守る。
果々子は握る指に力を込める。この男子だって本気の力を出していない。本気じゃないからだ。
「貴方は責任が取れるんですか」
「は? 何言ってんだ、こいつ」
「貴方が、この手を離したあとの、彼女のやる事に責任を取ってくれるんですか? この人が何をやろうとしているか知ってるんですか? 知らないから無責任なこと言ってるんですよね」
「ぇ、は、何だそれ、訳分かんねえ」
と言いつつ、釣られ男子フェードアウト。
あ、これ効くかも。
果々子は息切れを隠して、出来るだけ冷静な声でゆっくりと、一音一音丁寧に発音しながら喋り始めた。タチバナ先輩の真似だ。
「この状況、異様ですよね、私だって嫌です、恥ずかしいです。でもこうまでしてこの人を押さえなくちゃならないんです。離したらこの人が何をやらかすか、想像出来ますよね?」
いやまぁ、ただ茶話会をぶち壊しに行くだけなのだが。
しかし想像力の豊かな者は膨らませて色々妄想してくれるだろう。『檻の熊を解放しろ』と宣う自称愛護派連中に対するのと同じような台詞を吐いているのだ。
人形のみたいな美少女は、目を充血させ鼻の穴を開いて、ヒィヒィと喚いている。元々のビジュアルが綺麗なだけに、ホラー雑誌の表紙のような不気味さは……ある、かもしれない?
「ねえねえ、その子、今度はどこでヒンシュク買ったの?」
麻美子と久恵が好奇心一杯に聞いて来た。
ここで彼女たちに迎合したら、女子の集団苛めな構図になってしまう。
果々子は二人を無視して、判断に迷っているギャラリーに向いた。
「獄長・・じゃなくて、寮監でも誰でも、この人を(倫理で)押さえて置ける『大人』を呼んで来て下さい。私、(物理は)もうもちません」
果々子が限界なのは見て分かるが、理性的な男子は、昨今の危機管理で女子の身体に触りたくない。
女子は、檻の熊扱いのアブナイ人物に近寄りたくない。
「ねぇ、これ使う?」
誰かが生協の方から『さすまた』を持って来た。
玲奈は真っ青になる。
果々子はそのナイス過ぎるチョイスに、思わず吹き出して力が抜けてしまった。
「あっ!」
一瞬の隙を突いて、玲奈が逃げ出した。
そりゃ恥ずかしいよね、私だって逃げたい。
「きゃああ!」
一度『異常者』認定された玲奈は恐怖の対象だ。
麻美子と久恵ですら怯えた顔で逃げ惑っている。一寸前まで見下してなかった?
果々子は風評被害の恐ろしさって奴をしみじみ感じた。
と、果々子の横を二迅の風が駆け抜けた。
大きなストライドであっという間に玲奈に追い付き、両側から腕を捉えたのは、
「何やってんの、果々子」
「ほんま、何やってるんや……」
みかんと瀬戸先輩!