学生生協前で大騒ぎ。
グラウンドからの帰り道に通り掛かったみかんとれもんは、果々子が捕まえていた女子が逃げるのを目撃して、咄嗟に追い掛けてキャッチした。
後で聞いたら、万引きの現行犯くらいに思った、との事。
流石の校内No.1、2のスプリント。
神聖な能力をアホな事に使わせてごめんなさいごめんなさい!
「何よあんたたち、離しなさいよ!」
暴れた玲奈の足がみかんの太股に当たった。
鮮やかなオレンジ色のスパッツに汚ならしい泥。
「あああっ」
冷静を貫こうとしていた果々子のタガが外れた。
「みかんを蹴った、みかんを蹴った! 許せない!」
「ええから落ち着けっ」
玲奈に掴みかかろうとする果々子を、今度はれもんが後ろから抱えて、両方の頬っぺたを横に引っ張った。
「ぶにぃっ」
ついでにまだ暴れる玲奈も、同じように頬を掴んで顔を広げられた。美少女台無し。
「ふんがっ」
「ほんまに、何やっとるんやっ!」
「…………」
「…………」
果々子も玲奈も停止して、一同の熱が下がった所で……
「みかんって、あの風輪(ふわ)みかん?」
ギャラリーからのコソコソ声。
「この間の記録会で道内レコードを二つも更新した?」
そうだったんですか、みかんさん!?
だってファンファーレも何も無いんだもん、ポケッと見てるだけの素人には分かりませんよっ。
「風輪みかんを蹴ったの?」
「うわ、ドン引き~~」
たちまち立場が悪くなる白鳥玲奈。
とは言え、今のは偶然が重なりすぎて、ほんの少し気の毒ではある。でも蹴ったのはやっぱり許せん。
「みかん、みかん、大丈夫!?」
「大丈夫やから落ち着き。こんなん屁みたいなもんや」
「頼むから危ない真似しないで。相手が刃物とか持ってたらどうするの」
「相変わらず果々子はおかんみたいやな」
「そんで遠山、今度は何やらかしたん?」
そんな、私が常に何かをやらかしているみたいな……
「お嬢さん」
柔らかい声に振り向くと、
「田島さん……」
車椅子の田島さんと、タチバナ先輩や、寮にいた七、八人の先輩がたがそこに居た。車椅子のハンドルは、福祉学科の先輩が握っている。お孫さんのパートさんは寮でお留守番みたいだ。
タマ先輩が横に来て説明してくれる。
「田島さんが、資料館の方へ行きたいっておっしゃったので、皆でお話を聞きながらお散歩する事にしたの。野花が咲いていて、陽気もいいし」
そうか、良かった。
田島さんはニコニコしている。
「資料館の建物が昔の学生会館だったと聞いて、急に行ってみたくなったの。寮の中を見るとどんどん思い出が甦って欲が出てしまって。
皆様に親切にして頂いて、本当に感謝してもしきれないわ」
それを聞いて、玲奈が性懲りもなく息を吹き替えした。
「なによ、そんなおばあちゃんの散歩にみんなして付き合って。そんなのより今の学生を優先してよ。私の主張をちゃんと話し合うべきでしょ!」
いいかげん白樺寮の者に迎えに来て欲しいのだが、セキニンシャって肝心な時はナメクジのようにのろい。
「あ、田島さん! タジマファーム創始者の、あの田島 春さんでいらっしゃいますか」
瀬戸先輩が、紫メッシュの横髪をファサリとかき上げ額を出して、玲奈を無視して挨拶を始めた。
「お会い出来て光栄です。カタコユリ荘の差配補佐を務めさせて頂いております瀬戸と申します」
えっ、だれっ!?
「地元の発展に尽力された卒業生の筆頭でいらっしゃると、学校年鑑で拝見しました。我が寮生が胸を張って暮らせるのは田島さんのような誇れるOGの皆様がたのお陰です。みかん、ご挨拶しなさい」
だからこれ誰よっ? 関西弁どこいった? 瀬戸先輩っ!
みかんも困惑しながら「こんちはっす」と頭を下げた。
果々子が横で小声で「日曜カレー始めた人だよ」と教えると、そっちの方が衝撃だったようで、「うおおっ、超レジェンド!」と飛び上がった。
それだけで、この場のヒエラルキー……田島さんが一番
瀬戸先輩もただ者ではない。
***
ギャラリーは、察しのいい者から段々に、理解の顔になって行った。
要するに、西側のカタコユリ荘に大切なOGが訪問して、寮を上げて歓待しているのに、東側から闖入者が来て場を荒らしたので、一番下っ端の一回生が(多分先輩に命じられて)、不埒者を一所懸命ここまで引き摺って来た……という所だろう、と。
なぁんだしょうもない、と人垣が散ろうとした所で、
「お嬢さんは何を主張したかったの?」
田島さんが玲奈に声を掛けてしまった。
とっととこの場を去ろうとしていた先輩がたも、困って止まってしまった。
「わ、私は寮を移りたいの。カタコユリ荘なら大切にして貰えると思ったから。でも要らないって突き返された。不公平だわ、差別よ、そっちの子ばっかりえこひいきして」
「あ、えこひいきはあるわよね、あの寮」
ギャラリーの中から麻美子と久恵が顔を出した。まだおったんかい。
タチバナ先輩がザッと前に出た。いつもの朗とした声で、
「未成年飲酒だけでも、うちでは充分NGです。他の真面目な寮生に悪影響が及ぶ事を危惧し、自衛の為お断りしました。運動部の者が少なからずおりますので尚更です」
と、誰にでも理解出来るよう簡潔にまとめた。
あ、それはそうだよね――と、ギャラリーはみかんを見る。
「遠山さん、大丈夫でしたか?」
先輩が急に声を掛けてくれたので、果々子は慌てて高速で何度も頷いた。
「だってだって…………なによ、何で私だけ悪者なのよ……酷い、意地悪……」
玲奈がまた雑言を漏らすが、シンとした中、惨めさだけが取り残される。
カタコユリ寮は、代表の一人が話し始めたら他の者は口を閉じる。大勢でののしるような構図は醜いからだ。
果々子も倣って口を結んでいる。教わった訳じゃない。見て学んだ。
「ふふ」
明るい笑いは、何と田島さんからだった。
一同びっくりして青い車椅子のおばあちゃんを見る。
「『主張』が、『自分を大切にして貰いたい』なんて、素敵だわ」
え? と言う顔を、タチバナ先輩ですら、した。
「そんな事をおおひらに叫べるなんて、平和で、穏やかで、安心して学べる、素敵な時代」
「うちは、ちょっと恥ずかしいと思、イマス。そんなん、言(ゆ)ってして貰うモンちゃうし」
みかんがキョンと言った。
後ろで瀬戸先輩が、どの口が言うかって顔で苦笑いしている。
「そうね。でもね、『主張』を勘違いして暴走させて、大学が安心して学べないような場になってしまう事態も……確かに起こったから。
自分の為だけを叫べるなんて、ああ、平和でいいなあと、つい思ってしまったの」
果々子はすぐにハッとした。
ギャラリーたちは、「戦争? 違うよね?」などと囁き合っている。知らない人は本当に知らない。か、知識にあっても結びつけない。
「私の時代はまだ少しマシで、でも後輩たちが本当に気の毒だった。学びたくても学べない。バリケードに阻まれて、卵も届けてあげられなかった」
ピンと来ていない者が多い。
果々子は思わず田島さんに寄って、小さい声でささやいた。
「私のおばあちゃん、進路を決める時期がそんな時代で」
「そうなの?」
「田舎の年寄りには、首都の最高学府で起きた大きな事件がいつまでも昨日の事みたいな感覚で……親が許してくれなくて、結局進学出来なかったんです。女が大学なんか行くとロクな事にならんって」
「まあ……」
「私なんかよりずっと賢くて、読んで書いて、学ぶのが大好きな人だったのに」
「そう……」
「だから、果々子はぜったい行きたい学校行きなって、一番後押ししてくれました」
「おばあ様の為にも、今の一時一時を大切にね」
「はい」
すっかり話の中心からズラされてしまった玲奈は、ヒィヒィと泣き続けている。
いいかげん誰か引き取ってあげればいいのに。
寮には連絡が行っている筈。サークルにも入っていると言っていた。
ギャラリーは散りつつある。
麻美子と久恵もいつの間にか居ない。
本当に、誰にも助けて貰えないの? あんなに可愛い顔をしているのに。男子も、誰も?
「先輩がた、どうぞ資料館へ行って下さい。私はもう少しここにいます」
「いいの?」
「はい、白樺寮監も、もう来るでしょうから」
玲奈がヒクリと揺れた。
「果々子が残るんならうちも残るで。これの落とし前付けなあかんからな」
みかんが泥の足跡の着いたスパッツを指すと、玲奈はまたヒクヒクと揺れた。