学生生協の裏手の小公園。
ピクニックベンチの横の地面にマナスルを置き、果々子がお湯を沸かす。
ビャラビャラビャラシュビビビビビビ
「うるさいわね、それ」
ふて腐れてそっぽを向く白鳥玲奈。
「いいじゃない、無理して会話しなくて済むでしょ」
果々子は肩をぐるぐる回している。
夢中で自覚がなかったが、裏山へ行った後、ディパックを背負いっぱなしだった。
「背負ってるのに気付かんのも相当やで」
みかんは面白そうにマナスルを眺めている。
まあお陰で強引に「お茶を飲もう」と理由を付けて、玲奈を座らせる事が出来た、結果オーライだ。
「あんた、『助けて』って何だったのよ? でまかせ?」
「白鳥さんの『助け』は要ったよ。自分の主張を引っ込めて着いて来てくれてありがとう」
「……」
「マナスルうるさいな、思ってたのの百倍うるさい」
頬杖を着いてシレッと楽しそうなみかん。
「専用の消音機(サイレンサー)を売ってるぐらいだからね」
「買わんの?」
「今はいらないかな、使う時はほぼ一人だし」
「近所迷惑でしょ」
玲奈が会話に入って来た。
「人がいる時は離れるよ」
「バッカみたい、静かなコンロを選べばいいのに」
「ホント、バカみたいだよね」
「果々子は頑固やからな」
お湯が沸き上がって、コッヘルに茶葉を放り込んで蒸らす。みかんが居るから、カフェインレスのハーブティーだ。
「そのカップの底の花模様可愛い」
「ウペペサンケのお客さんがくれた。どこかの山の象徴花だって」
「私にも見せて。ふうん、可愛いじゃない」
「このお茶美味しいな」
「佐和出先輩に貰った」
「あのコスプレ先輩?」
「コスプレ言うな」
「偏見持ってる人もいるから、コスプレってあだ名はやめとこ。サ、ワ、デ、先輩」
「……サワディ先輩……」
「ミルクケーキもあるよ」
「割れてる……」
「そりゃあれだけ暴れたら割れるよ」
「甘い……」
「みかんは?」
「半分くらいならいいかも」
「じゃあ半分こ」
「風輪……さんは、こういうの、食べられないの?」
「ゴールデンウィーク中はおやつ解禁やけれど、タイム落とされへん。何かヘマやったら寮住みのせいにされる」
「監督が?」
「監督はあんま言わない。主にコーチとかトレーナー。皆が皆、一般寮に肯定的な訳やないし…………
あまっ! これ、果々子のチョイス?」
「マスターに貰った。甘すぎたらこっちで食べるよ」
「いんや、美味しいで、好きな味や。果々子の好みとちやうなって思っただけ」
「あんた……遠山さんって、貰ってばかりなのね」
「そういえばそうだね」
「乞食みたい」
「そうだね」
「どうしたらそんなに貰えるの?」
「さぁ……頼りなさげで放っとけないからじゃないかな」
「私も、そんな風にボケッとしてた方がいいのかな……」
「白鳥さんには白鳥さんのウリがあるんじゃないの?」
「……どんな所?」
「顔やな!」
「…………」
「白鳥さん可愛いもんね」
「……バイト先でも、ガッコでも、顔が理由でハブられる……」
いや多分、顔だけが理由じゃなくて、顔は単なるスタートラインに過ぎなかったと思う。
でも顔で優遇される人生経験がゼロな果々子には、上手い返事が出来なかった。
「マスターには、貰った分は返せばいいって言われたよ」
「へえ、こんな小さい駄菓子ごときにお返ししろって?」
「うぅん、貰った人に直接じゃなくて、他の人に返したらいいって」
「何それ、それ、返すって言わないよ」
「そうだね」
「最初にあげた人、損じゃないの」
「最初にくれた人も、別の誰かに貰ってるんだと思う」
「はあ? 哲学ですかぁ? ダルいんですけど」
「…………」
「それより、私がカタコユリ寮に入れる方法を考えてよ」
みかんは、「まだ言うか」って感じで、黙ってしまっている。
「無理だよ、私にそんな責任を背負う力、無いもの」
「結局役立たずじゃない」
「そうだね」
「そうだねって言うの、やめなさいよ!」
玲奈はカップをガンと置いた。
「…………」
「役に立ってくれないのなら、私、行く」
「白樺寮に帰る?」
「帰るしかないでしょ。部屋に入ったら舌打ちされて、一晩中引き出しをガシャガシャ開け閉めされて寝られなくても、シャワーの最中にお湯止められても、あそこしかないんだから」
果々子は驚いて目を見開いた。
***
玲奈の置かれた、思っていたよりも切羽詰まった状況に、果々子は目を見開く。
みかんも表情を止めて、頬杖から顔を上げている。
白樺寮の寮監はお花畑な思想があって、合わない人間同士でも同じ部屋に閉じ込めておけば仲良くなれると信じている……なんて悪評は、ちらほらと聞こえていた。
まさか本当だったのか。犬猫じゃあるまいし。いや、野犬だったら殺し合うわ。そして生き残った野犬の檻に、新寮生を放り込むって?
「藤田さんたちは寮を変わるって……」
「あの二人は上手くやったわよ。人気のある寮が空いた時、すぐに教えて貰えて滑り込めたの」
「白鳥さんだって……」
「だからカタコユリ荘に行こうとしたの! 人数問題があるから楽勝だと思っていたのに!」
「…………」
だったら、カタコユリ荘がまだ受け入れる姿勢な時に、何で大暴れしちゃったのか……いや、もう後の祭りだ。
さすがのみかんも、キャパを越えたのか黙ってしまっている。
果々子は己の運の良さにひたすら慄(おのの)いた。自分だって最初からそんなに良い子ではなかったのだ。
「学生ランドリー、あるでしょ」
「?」
唐突な果々子の言葉に、立とうとしていた玲奈が止まった。
「あそこ、ランドリーの左奥がトイレだけれど、右奥の扉は物置だと思うじゃない。でも、開けると細い廊下があって、奥にまた扉があって、三畳ぐらいの和室になってる」
「え……」
「昔、ランドリーが違う施設だった時の宿直室か何かだと思う、電球は切れてるし窓も無い。けど、隅に毛布が積まれていて内から鍵が掛けられるから、寝るだけなら出来ると思う」
「何でそんなのを知ってるの?」
「入学した最初……ノイローゼ気味な時期があって……一人になれる場所をキープしておくと安心じゃない」
「果々子……?」
みかんが不安そうに覗き込む。
「今はぜんぜんそんな事ないよ」
「うん……」
「だから、白鳥さんが、怖い寮の部屋よりそっちの方が安心して寝られるなら、今日はそこで寝てしまえばいいと思う」
「寮が大騒ぎにならへん?」
「うちの寮は、多分、ならないと思う」
玲奈が半笑いで言った。
「私がカタコユリ荘に泊まった時も、居ない事に誰も気付かなかったもの」
「終わってんな、白樺寮」
「それでね、朝一番、学生課に駆け込むの。明日はもう平日で、八時半には人がいるから」
「ガクセイカ?」
「思うより、色んな事に対処してくれるらしいよ」
「それホント? 学校側ってそんな個人的な事は取り合ってくれないでしょ? うちの寮監だって、自分たちで話し合えでガラガラピシャンよ?」
「だからちゃんと、相手の胸に届くように説明するの。『同室者が怖くて夜も眠れません』って」
「…………」
「寮に帰るのが怖くて、酩酊したふりをして他の寮になし崩しに居座ろうとしたけれど、上手く行かなくて、仕方がないから生協のランドリーで夜を明かしましたって」
「……!」
「休み明けの朝一番なら、もしかしたらタチバナ先輩が事務処理を手伝いに行っているかもしれない。あの人なら、そういう話、ちゃんと聞いてくれるよ」
「タチバナ先輩って……さっきの、怖いオバサン?」
「だからぁ! 相手の胸に訴えるのに、挑発的な言葉でマウントを取りに行くやり方は、悪手だって。
顔イイんだから、持てる武器を有効に生かす事を考えなよ」
「う、うん……」
頭を振りながら去っていく玲奈を眺めて、みかんがボソッと言った。
「果々子、思ったよりアナーキーな奴なんやな……」