そろりと食堂を抜け出す一人の新入生。
そのまま所在なく玄関を抜け、フラフラと歩き出そうとする。
「そっち、足元危ないよ」
新入生はギクリと止まる。
寮の前庭、テーブルと椅子が一体になったピクニックベンチに、気配もなく人が一人座っていた。
「冬に雪が落ちた跡がまだぬかるんで底無し沼状態だから、行かない方がいい」
「は……い……」
「コーヒー飲む?」
新入生は誘われるまま座った。
その女性は存在感がないくせに、不思議な吸引力があった。
テーブルには煤惚けた携帯用のコンロと、やはり煤けた縦長のポット。
そして何故か、ザルに山盛りのじゃが芋。
女性はポットから直接カップにコーヒーを注いだ。
「めしあがれ」
「イタダキマス……」
正面で落ち着くと、今度は女性の被っているスカーフに目が吸い寄せられた。藍地に細かい花や鳥や舞踏の刺繍が施されている。
「……きれい」
「ん?」
「ぁ、あの、そのスカーフ、とても、素敵です」
「ありがとう。頂き物なの」
「芋剥けた――?」
玄関から人影が覗いて、新入生はビクリと揺れる。
「あ――、また呆けてる。とっとと剥く、とっとと!」
「はぁい」
女性はのんびりした声で返事をして、傍らのウエットタオルで手を拭いて、ジャガ芋とナイフを構えた。
「あの、それ全部一人で」
「キタアカリはすぐ煮上がるから、鍋に入れるのラストでいいの。ここでのんびり剥いていれば丁度いい頃に仕上がる」
「いえ、あの、一人で、外で?」
もう結構冷えるし、外灯があるとはいえ薄暗くなる。
「こっちの方が広々してるし」
「…………」
「仲間外れとか思ってる?」
「いえ、そんな」
「私がワガママしてるんだよ。人見知り激しいの分かってるから、好きにやらせてくれてる」
「はあ」
「ありがたい事だよ」
新入生はカゴに刺されていた皮剥き器を抜き取った。
「手伝っていいですか」
「あら、ありがとう」
差し向かいで皮を剥く。
ショリショリ。
(この人・・! 剥くの凄く早い! 手品みたいだっ!)
「ん? なあに?」
「いえ、あ、そのスカーフ、手刺繍なんですか?」
「うん、くれた方、何でも器用にこなす先輩でね。憧れだった」
「可愛い花です」
「カタコユリの花だよ」
「妖精も翔んでる」
「『春の妖精』とも言われる花だから」
「そうなんですか」
「もうすぐそっちの斜面に一杯咲くよ」
「早く見たいです」
「うん、あっ、そうだ」
女性はポケットから、透明パックに入った絵葉書セットを出した。
「知り合いの喫茶店がしばらく店閉めててクラファンで再起したんだけど、これ、寄付の返礼品なんだ。花が好きならあげる」
「いいんですか」
遠慮しつつも、新入生は芋剥きを一旦休めて、美しい絵葉書に食い付いた。
五枚ばかりの花の写真は、どれも表情豊かでずっと見ていられた。どういう人が撮ったのだろう。
と、はがきの宛名欄の下部に『喫茶ウペペサンケ コーヒー 一杯無料券』とある。
「コーヒーチケットになっているんですか。本当に貰っていいんですか?」
「うん、こういうのって、知らない人に回した方がお店の宣伝になるでしょ。さっきのコーヒー、そこのマスターのブレンドした奴だよ」
「そうなんですか、美味しかったです……あれ?」
中の一枚、うつ向いたピンクの花の絵葉書の裏側は『コーヒー券』じゃなくて『マナスルちゃんカレー 一皿無料券』とあった。
「カレー券まで付いてる……」
「ああそれ? マスターの悪ふざけだよ。まったく本人の承諾も無しに」
女性はちょっと頬を膨らませた。
新入生は絵葉書を大事に懐にしまって、皮剥きを再開した。
他の学生のハイテンションに着いて行けなくて、『歓迎会』なんてバックレようと思っていたけれど、こんなのんびりした寮生さんもいるんなら出てもいいかな、と思い始めている。
「先輩、ずっとこの寮ですか?」
「うん、新入生の最初から」
「パワー感じました?」
「パワー?」
「この寮、強力なパワースポットだって、都市伝説で聞きました」
「ああ~~言われちゃってるよね、そんな事。でもごく普通の寮だよ」
「だって、他の寮がクラスター出して次々閉鎖する中、この寮だけポツンと無事で、安全地帯みたいに残ったって」
「隙間だらけで風通しがいいからじゃない? ふふ。
まぁ実家から帰って来るなと言われた学生の避難所みたいになっていたから、学校側も閉じるタイミングを失したというか。一番ボロくてひなびてるのにね、ふふふ」
「コタンコロカムイに見守られたパワースポットだとかまことしやかにささやかれて、それを理由に入寮を希望した人までいるみたいですよ」
「あはは、まったく誰が言い出したんだか」
「やっぱりただの都市伝説ですか」
「そうよ。無いよ、特別な事なんて何も。
力を貰ったかどうかなんて、その人だけが勝手に感じる事だもの。
よし、芋剥き完了。持ってって来るからここの番をしていてね」
「え、はい?」
「戻ってもう一回お茶するから。次はスパイスチャイ入れるよ、タジマファームの美味しい牛乳で。飲むでしょ?」
「はい、頂きます」
新入生は座ったまま、ザルを抱えて玄関に消える女性を見送った。
建物から「ただいま――」「おかえり――」という声が、谺みたいに響いて来る。
さっき出て来た時と違って、中の明かりとさざめきが、世界が変わったように安心な暖かい物に感じた。
~了~