「ね、四人で白樺寮に移りましょ。今なら四人一緒に受け入れてくれるって」
突然巻き込まれて果々子は焦る。
何と言って断ったらこの
「わ、私、経済的に、東側の立派な寮は無理なので……」
「白樺寮はこことそんなに変わらないよ」
そうだったか?
果々子は入学前、寮の資料を並べて検討した。確かにリーズナブルな寮は他にもあったが、何らかの条件に合わずに外して行って、カタコユリ荘が残った筈……
「あそこ相部屋でしょ」
卓袱台(ちゃぶだい)に頬杖を付いた不機嫌女子がボソッと言った。
そう、そうだった、思い出した。知らない人との相部屋なんてトンでもないから、個室以外の寮は最初から除外したんだった。
風輪(ふわ)と呼ばれた女学生はこちらを斜に見ながら続ける。
「二人部屋か四人部屋。それとあそこの寮監有名だよ。何かお花畑な思想があって、絶対に個室にさせておかない。
二人部屋で出て行く者がいても、残った一人を四人部屋の人数が少ない所に強引に引っ越しさせる。
だからあそこはこんな時期でも空き部屋だらけ。出て行く理由なんて、『同室者に我慢ならなくなった』が大半なのにね」
要するに白樺寮は、その『同室者を我慢ならなくさせる人』の巣窟なのだ。
くわばらくわばら…… 果々子は口をへの字に曲げた。
それにしても同じ新入生なのに、彼女は何でこんなに詳しいのだろう。
久恵は一瞬怯んだが、すぐに
「だから四人いっぺんに移動しようって提案しているの。最初から仲良しどうしで相部屋になるなら問題ないでしょ」
と返した。
いつの間に仲良しになった?
そして理由になっていない。だって最初の二人、麻美子と久恵だけで入寮すれば二人部屋とやらに入れてそれで収ま…………あっ。
「風輪さんは何でそんなどうでもいい事を持ち出すの? 私は皆の為を思って声を掛けてあげているのよ。上級生の苛めをのさばらせておかないできちんとキュウダンするのが、これから入学して来る後輩たちへのギムじゃない。貴女たちの為、皆の為よ」
久恵は尤もらしい屁理屈を捲し立てて煙に巻こうとしている。
ああ、こういう所が麻美子と気が合うのか。でも同じ部屋は嫌なんだ……
「遠山さんにちゃんと伝えないのはフェアじゃないと思ったから言っただけ」
冷たく言って、風輪はまたそっぽを向いた。
「あとは遠山さんが決める事だ」
「ええっ、いや、私は個室が最優先で寮を決めていますのでっ!」
思いの外強い声が出せた。
冗談じゃない。久恵は、麻美子と被害者同志ごっこはしたいけれど、麻美子と同室で暮らすのは嫌なのだ。それで平和に暮らしている果々子を引っ張り出して生け贄に捧げようとしている。
部屋割りの予定を今聞いても、どうせ話題を反らせる屁理屈を捲し立てるだけだろう。
取り敢えず親切に教えてくれた風輪さんにだけは答えようと、果々子は声を落ち着けてゆっくりと喋った。
「私は、この寮に何の不満も無いです(今はっ)。古いけれど歴代の寮生さんたちが大事にして来たんだなって伝わるし、そういう所に暖かみを感じるし、私みたいなコミュ症にも寛大だし、食堂のご飯は美味しいし」
途中で久恵が「どこが」とか「変なの」とか「食堂ショボいじゃん」とかのチャチャを入れたが、頑張って最後まで言い切った。
「だから出て行きたいと思った事はありません」
結論を言って、申し訳ない気持ちで風輪を見る。白樺寮行きは三人になってしまうが、四人部屋になるのかな? それだとまことに気の毒だ。
しかし彼女は目を丸くして声音を変えた。
「なんだ、遠山さんも出て行きたがってるって言うから、びっくりして着いて来たんやけど」
そして、まだブツブツ言っている久恵だけをギッと睨んだ。
「それにうちも、出るなんて一言も言うとらんのやけど」
――はあ、なるほど……
どうやらこのブツブツ言っている人は、自分
「え、ちが、わた……」
久恵がまだ何か言おうとした所でノックがされて、風輪が「どうぞ」と声を張った。引き戸が開いて書類を持ったタマ先輩と……瀬戸先輩……
「みかん?」
「れもんせんぱ――い!!」
***
風輪(ふわ)がいきなり声を二オクターブ上げて、タマ先輩の後ろから来た瀨戸先輩に飛び付いた。
「やだやだ怖かったあ。あの子が変な事に巻き込もうとするぅ――!」
さっきまでのクールな印象は何処行った?
「どうどう、落ち着いて、みかん。あんたが居(お)るって言うから来てみたんやけど、……合宿どうした? 生活訓練は今月一杯やろ?」
「そうなんやけど、さっき生協で会(お)うたあの子が、『一緒に寮を出よう、遠山さんも出たいって言ってる』なんて言うもんやから、びっくりして着いて来たんよ。
遠山さんって、れもん先輩が今日の昼にムッチャ誉めてた子やん。ほやから、短い間に何が起こったんや――って」
一気に捲し立てられて、瀨戸先輩もタマ先輩も、目をクルクル動かしながら混乱している。
果々子は(私そんな事言っていない)とすぐに弁明したかったが、風輪は壊れた鳩時計のように言葉を続ける。
「したら、ここへ来たら遠山さんに『風輪さんも出るって言ってる』とか抜かすんやで、こいつ。腹黒過ぎるわ、真っ黒や。
やっとこのガッコに受かってれもん先輩の側に来られたのに、出て行く訳ないやろ、このスカタン!!」
「はい、一旦落ち着いて」
今度はタマ先輩が言って、テーブルに書類を置き、ワナワナ震えながら突っ立っている久恵を促した。
「退寮するのは吉岡さん一人って事ですね。こことここに必要事項を書き込んで、部屋は本日中に空けて下さい」
「え、えこひいき、不公平だわ、何でその子たちにだけ態度が違うの……」
また風輪が破裂しそうになったので、瀨戸先輩が引っ張って出て行った。
果々子も部屋を出てもいい雰囲気だったが、……おこがましいけれど、タマ先輩を一人にしたくなくて、残った。
別に何を喋る訳でもなく、シンとした中、久恵が鼻をすすりながら書くボールペンの音が響く。
手続き終わってタマ先輩と共に部屋を出る時、後ろで
「何が暖かみィ~よ、気持ちワル」
と呟かれた。
食堂に出てからタマ先輩が、「ちょっと外の空気吸おう」と背中を押してくれた。
寮の西の土手の方まで連れ出されたが、春の遅いこの地方はまだ殺風景だ。一段低くなった雑木林には、果々子が入寮した頃はまだ雪が残っていた。
「カタコユリの蕾が立ち上がってる」
言われて見ると、斜面の湿った土の上に、足首丈くらいの小さな植物が細い蕾を付けている。
「これ、カタコユリって言うんですか?」
「そそ。カタクリって言う方が分かるかな」
「あ、あのピンクの奴ですか。うちの地元にも群生地で有名な山があります」
「土地や時代で色んな呼び方をされていて、凄い沢山の名前持ちなの。万葉集では堅香子(かたかご)って名で出て来る」
「へえ、カタクリしか知りませんでした」
「咲き始めたら早いよ。あっという間にこの辺一帯ピンクの園になる」
「寮の名前に因(ちな)んで植えているんですか?」
「うぅん。寮が建つ前からこの辺はカタコユリの群落だったって。愛着が湧いて持って帰る卒業生もいたけれど、場所が変わると育たないらしい」
「ここでないと育たない……」
「でもけして弱くはないと思うんだ。一年の内数週間しか地上に出なくて後はずっと土の中。ゆっくりゆっくり力を溜めて、種から花を咲かせるまで七年も八年もかかる。でもその後何十年もここに生きて、毎年ちゃんと咲いてくれる。私の大好きな花」
「…………」
「さっき、残ってくれてありがと」
「え、いえ、私は……」
「吉岡ちゃんもね、残ってくれたら良かったのに」
「寮に、ですか?」
「どんな理由でも、最初にカタコユリ荘を選んでくれたのになあ」
「…………」
私も……これから咲くここの花を大好きと言えるようになりたい。
風輪(ふわ)みかんは瀨戸先輩の従姉妹で、地元の民間スポーツクラブの先輩後輩らしい。
身体能力はかなり優秀で、他の学校から声が掛かる程だったが、こちらの一般入試を受けて瀨戸先輩を追い掛けて来た。
(そんな子を『上級生糾弾の会』に巻き込もうとするなんて、どれだけ杜撰(ずさん)な計画だったんだ、吉岡久恵)
四月中はスポーツ推薦入学の子たちと一緒に生活習慣プログラムの合宿をしているらしい。どうりで見なかった訳だ。
と、建物から何やら言い合いながら、柑橘コンビが出て来た。
「あかんやろ、合宿中に抜け出すとか、何考えてんねん」
「そやかてれもん先輩の一大事やって、ほっとける訳ないやん」
「ええから行くで、一緒に謝ったるさかい」
「もぉ合宿イヤやぁ、先輩と一緒におりたいぃ――」
「赤子かおのれは」
どうやら瀬戸先輩は、普段は相当標準語に
手足をバタ付かせて甘えていたみかんが、果々子に気が付いて真っ直ぐに走り寄って来た。フォームが凄く綺麗だ。
「遠山さん、私がおらん間、れもん先輩をよろしゅう頼んます」
「はぅっ? ほへはい」
間抜けな返事が出て、先輩二人が笑いを堪(こら)えて酸欠になった。
その夜給湯室で会った瀨戸先輩に、
「みかんが他人にあんな風に言うなんて初めてなんだが、いつの間にそんなに仲良くなった?」
と聞かれたが、果々子にだって分からない。