エントリー№6
「カレー大会だからしばらく寮に泊まる」
玄関でキャリーバッグを抱えたタチバナ先輩が言った。意味が分からない。
そういえば『カタコユリ荘 春の選抜カレー大会』(大は一個消された)と書かれたポスターが先週から貼り出されている。
改めてちゃんと読んでみた。
小見出しに、『今年度のカレーの味を皆で選ぼう』『挑戦者絶賛募集中』とある。
やはりちょっと意味が分からない。
下の方に説明文で
【今年もカタコユリ荘『日曜カレー』の味を決める季節がやって参りました。普段の食堂利用者はどしどし投票にご参加下さい。参加カンパ三百円、おやつも出ます。(食堂の通常営業は~5/7迄休み)
出品者も併せて募集中。我のカレーこそは至高という方、挑戦してみませんか? 当日朝までに下記名簿にエントリー下さい】
とある。
少しは意味が……分かった……かな?
エントリー表には既に『カタコユリ カレー五人衆』の他、数名の本名が書き込まれている。
カレー五人衆……? またちょっと分からなくなった。
「毎週日曜の夜はカレーだったでしょ。寮母さんが休みなので、学生が厨房を借りて作っているのよ」
浴室掃除で一緒になったタマ先輩が教えてくれた。
「そうだったんですか」
入寮してから日曜は四回あったが、果々子は日曜は食堂休みだと思い込んでいて、外出していたか部屋にこもっていた。だから日曜カレーと言われてもピンと来なかったのだ(新歓で説明はあったらしいが、ご多分に洩れず聞いていなかった)。
「でもカレーって好みの幅が凄く広いでしょ」
「そうですね」
「だから年に一回、『自分のカレーが一番美味しい』って面々が持ち寄って、大勢に審査して貰うの。優勝したカレーはその後一年間日曜の味になるけれど、皆で決めた味だから文句を言うのはご法度だぞ、って感じ」
「へえ、それは合理的ですね。大昔からの伝統なんですか?」
果々子の質問に、タマ先輩はモップを止めて少し間を置いた。
「日曜カレーは寮創設以来続いているけれど……この大会は……え――と、四回目かな。第一回は私が入学した年の夏休み前だった」
そうなんだ、わりと歴史が浅いんだ。でも面白そう、色んな手作りカレーが味わえるなんて素敵。
先週はどうやって回避しようかと考えていた事を思い出して、果々子はムシのいい自分に肩をすくめた。
「遠山ちゃんはどんなカレーが好き?」
「私はサラサラ系です。自分で作るのは、もうカレーを名乗っていいか分からない程の、出汁の味メインのシャバシャバした奴」
「あら、自分で作っちゃうの?」
「私好みのカレーが中々無いので、自分で自分の為だけに作ります。多分他の人には美味しくないと思う」
「へえ~、食べてみたいなぁ」
「いや美味しくないですよ」
「そんなん食べてみんと分からんやろ!」
またいきなり引き戸が開いて、紫メッシュの瀨戸先輩が現れた。
今日は後ろにタチバナ先輩もいる。
「私も食べてみたいです、遠山さんのカレー」
「ほ、本当にたいしたモンじゃ……」
「決定な」
瀨戸先輩がタチバナ先輩のクリアファイルから白い紙を引き抜いて、強引に渡して来た。
【カレー大会エントリー応募要項】
「ひっ」
「予定とかあった?」
「わ、私は食べる方専門で参加したく……そんな海原雄山みたいな大それた自信がある訳でなく……」
三人の先輩は顔を見合わせてニコッと微笑んだ。
「エントリー表に書いといたるな」
「分からない事があったらいつでも部屋に聞きに来てねぇ」
「楽しみが増えました、ありがとう遠山さん」
結局エントリーNo.6にハート入りで名を書かれ、夜、部屋で一人で悶絶する果々子。
倒れ込んだベッドで応募要項に目を通す。
【◇厨房は当日十時より開放します。
備え付けの調理器具、調味料使用可。
十八時迄に
◇厨房のコンロは三口ですので参加者で話し合って円滑にお使い下さい。希望があればカセットコンロ(六台)を貸し出します。
◇冷蔵庫:前日の朝より、食堂の飲料販売用冷蔵庫の半分を開放。記名の上使用下さい。
◇材料費:レシート添付の上、請求書を提出して下さい。後日支給します。上限三千円、オーバー分は自己負担願います】
「八人前……」
なんだ、思ったより少なくていいんだ。でも限られた厨房で大勢で譲り合って調理するのは大変だな。
(早い内なら空いているかしら)
当日の金曜日、果々子の出る講義は、九時~十二時半と十四時半~十六時。お昼に寮に戻って調理をし、講義を済ませて十八時前に温め直せばいい。
心配なのは、自分の
***
カレー大会前日、木曜日の夕方、街の農協まで買い物に行って、坂道をテクテクと上る果々子。
「こんちはっ」と後ろから飛び付いて来たのは、健康日焼け女子、風輪(ふわ)みかんだ。
同じ一回生だが、スポーツ方面の共同合宿所で生活習慣プログラムに参加中なので、ほとんど顔を合わせない。
ジョギング帰りらしい服装で、先日は座っていたから分からなかったが、驚くほど腰骨が高く、明るいオレンジ色のスパッツの脚がフラミンゴのようだ。こんな畏れ多いプロポーションの人物を、吉岡久恵はよくも侮れたものだ。
「ね、それなぁに?」
果々子が片手に抱えた発砲スチロールの箱を、みかんは不思議そうに見る。
「明日使うの。中身は空よ。街の市場で貰って来た」
みかん相手だと果々子は不思議に滑らかに声が出る。言葉がストレートで何も勘ぐらなくていいからだからだろうか。
「ふぅん? そっちの袋はカレー大会の食材? 半分持とうか」
「ダメだよ、結構重いよ。筋かどこか痛めたら大変」
「ダイジョブだよ」
「だったらこっちのボックスを持ってくれる? 軽いから」
「オッケー」
みかんは一抱え程の箱を受け取って、面白そうに手の中で弾ませた。
「明日から暫定的にカタコユリ荘に戻れるんだ、宜しくね」
「本当!? 良かったね。じゃカレー大会も参加出来る?」
「うん……」
みかんはちょっと鼻の頭を掻いた。
「脂質とか糖質とか計算しなきゃだし禁止食材もあるから、あんまりガッツリは試食出来ないけれどね、でも楽しみ」
「禁止食材って何っ?」
思いのほか強い口調で聞かれて、みかんは面喰らった。
「ぇ、えっと、体を酸化させる奴……リンとか一部の刺激物とか、分かりやすいのはスナック菓子や炭酸飲料なんか」
「そう、そうなのね」
「どしたん、急に」
「身近な人の食べたらいけない物は知っておきたいよ(気が付かないうちに無神経をやっていたら嫌だもん!)」
「そんな深く考えんでも。れもん先輩も普段から息をするように節制してるし。うちも最近は隣でポテチ開けられても平気になった」
そういえばみんなで夜食を囲んだ時、瀨戸先輩は果々子に食べろ食べろと盛りながら、自身はあまり手を付けなかった。お腹空いていないのかなと思ったが、あの時間の炭水化物はご法度だったのだろう。聞かなければ知れなかった。
「身体ゆるんだら寮住み禁止にされて、強制的に合宿所送りになるん。だから気ぃ張らなきゃ」
「そうなの? スポーツ推薦じゃなくて一般で入ったのに?」
「っても数字の世界やから、うちが席の一つを取ったら外される人もいる訳で。推薦だの一般だのの区別はもう無いかな」
「そっか」
入学一ヶ月でもう厳しい世界に居るんだな。
カタコユリ荘の食堂はスポーツ栄養士も一目置いていて、本来は合宿所に入るべき新入生も、カタコユリ荘ならと許しが出るらしい。そんなに凄かったんだ、おかあさんがた。
他にも運動部でカタコユリ荘住みの者は多いとの事で、道理でほんのり体育会系の香りがした訳だ。
「りょ、寮で迂闊にポテチ開けないようにする!」
「何やそれ、アハハ」
風輪(ふわ)さんがカタコユリ荘に住みたいのは、大好きな瀨戸先輩がいるからなのかな。何にしても今までスポーツ関係の人間が身近にいなかった果々子は、ちゃんと勉強しておこうと思った。