》みえるさま
すまんですわー!
「すくつ(なぜか変換できない)」は(ちと古い)ネットスラングですの、ごめんなすってー!
漫画描き
「これを描いたのは君だね?」
表紙に「ドクタケ忍者隊 巻ノ一」と書かれた和綴じの本を手に、男――忍術学園の教員の土井何某はニコニコと毒のない笑顔を浮かべている。
証拠をガチガチに固めてから来たんだろう、確信を持ってますって顔だ。脂汗がぶわっと溢れて背中が凍るように冷たい。周囲をサッと見た限り他に忍術学園関係者らしき人はいないけど、変装した忍者連中に囲まれている可能性はある。
「……はい」
抵抗しないことを示すため両手を顔の横でパーに開く。さあ煮るなり焼くなり好きにしてくれ、でも酷い拷問はノーサンキューです。
――このなんちゃって室町時代にトリップしてしまったのは二年半ほど前のこと。遙かなる時空のアレかしらと期待していられたのは一瞬、というかたった数時間。「乙ゲーにドクタケなんて地名が出てたまるか」という理由で龍神の神子ルートの消滅を悟った。くそぉ、道行く町民の格好から戦国時代かそこらだろうと思って「天野七緒です♡」って名乗ったのに!! チキショーメ、もう神も仏も信じない!
足を棒にして見つけた日雇い仕事で食いつなぎながら情報を集めてゆけば、朝廷は南北に分かれていて、今の御公儀はまだ十代なのに将軍職を継いだ三代目だとか。ってことは室町時代初期だ。
室町時代初期のはずなのに、なんでか自販機があったりカタカナの外来語があったりする。「なんちゃって」室町時代と言ったのはこれが理由。
「神子さま、お迎えにあがりました」なんて言う白馬の美青年が迎えに来ることもなく、トリップしてからの数カ月その日暮らしな生活を続け……ある時、現状を打破せねばならぬと思い立った。
冬が近くなるにつれて女向けの日雇い仕事が少なくなりだしたのだ。
これはやばい、何かせねば……!
というわけで、似顔絵師になった。
オタクにはよくあることだが私はいっとき漫画家を目指しており、しかし漫画家を仕事にする勇気もネタもなく一般企業に就職して同人漫画家になったクチだ。紙と筆さえあれば美化200%の似顔絵も描ける。
ちなみにペンネームは習志野権兵衛。名無しの権兵衛ではまんま過ぎるからちょっと捻ったのだけど、もう少し可愛い名前にしても良かったかもしれない。
似顔絵師になってからの生活は有り難いことに順調で次々仕事が舞い込んでくれ、似顔絵はもちろんオリジナル短編漫画を描くようになり、一年も経つ頃には「依頼を受ければ長編も制作いたしますよ」という商業漫画家になっていた。
――そして今。私の前に現れたこの男、土井何某が持っているのはここらの城主こと木野様直属の忍者集団・ドクタケ忍者隊の依頼で描いた長編漫画だ。「ドクタケ城関係者を500%くらい美化して正義の味方っぽくして」「忍術学園を悪の温床として描くようにネ(人相書きの資料提供あり)」という指示以外はかなり自由に描かせて貰えたうえ、城主様やひ……ひた……日田天◯水様だったかな? 忍者隊のお頭からのウケも支払いも良かったから筆が乗っちゃって、二十巻ほど続いたんだよね。なお作中に登場する忍術やらなんやらかんやらの監修はドクタケ忍者隊の風鬼氏。
とはいえだ。依頼で仕事だったとしても作中で「忍術学園」を悪のすくつ(何故か変換できない)として糞味噌に貶したわけで。どんな目に遭わされるんだろう、殺すなら痛くない方法であっさりさっくり殺って欲しいと神仏に祈りながら連れて行かれた先、忍術学園の学園長のもと。職員室と札がかけられた部屋で(悪人面にして描いた覚えがある)人々と向かい合う。
学園長は顎をしごきながら「ううむ」と唸った。
「報告は受けておったが――これを描いたのがおなごであったとは、流石のわしも驚いた。それも忍術を学んでもおらん者だったとはなぁ」
学園長の視線にも他の教員忍者のみなさんの視線にも、敵意や害意がない……気がする。この雰囲気からして拷問や処刑はない……と思いたい。まだ死にたくないので殺さないでほしい。
「ここに来るまで怯えさせてしまったようじゃな。謝ろう。すまんのぉ――さて、ここに連れてきた理由じゃが。実はそなたに頼みたい仕事があるのじゃ」
「私に頼みたい仕事、ですか」
「うむ。そなたの描いたこの『ドクタケ忍者隊』は、物語としての質の高さはもちろん忍術の描写も正確じゃ。まことに素晴らしい。その腕を見込んで……」
「見込んで……?」
「忍たまの友〜絵草紙版〜を作ってもらいたい!」
忍術の教本を書くということは――拷問も処刑もないってことでいいんですね!?
「はい喜んで!!」
それから話はトントンと進み、気づけば忍術学園内に間借りすることになっていた。
教本の作成中はくノ一長屋の一室が私の部屋になるらしい。だけど仕事部屋は職員室の隣で、アシスタントは忍たまの中から人員を募集してくれるとか。1年生から6年生までの教本を貸し出されたけど仕事部屋からは持ち出し厳禁、質問があれば土井何某もとい土井半助先生もしくは山田伝蔵先生に訊くようにと指示を受けた。
この厳重さには驚くやら感心するやら。私と関わる人員を絞り、忍術学園からの情報の流出を可能な限りなくそうということなんだろう。
さあ、さっさと描いてさっさと出るぞぅ!
◯✕△□◯✕△□
土井が天鬼としてドクタケにいた際、彼を洗脳せんとして与えられた本――ドクタケ忍者隊バンザイ絵草紙――を描いたのはどこの誰なのか。絵草紙による情報や印象操作を危険視した教員陣の指示により、六年生らはドクタケの城下町に散った。
が、六年生らはもちろん教員らも拍子抜けしてしまうほど簡単に、その作者が見つかった。
「作者の名は習志野権兵衛。ナラシノなんぞという家名はもちろん地名も聞いたことがないし、権兵衛なんぞというのはありふれた名前だ。間違いなく偽名だろう」
「それに習志野権兵衛とやらは女なのだろう? 偽名というだけでなく男の名を名乗っているのは身を守るためか」
「ということは、最低限の護身は考えているということだね。本人が絵草紙を描いていることを全く隠していないから無意味になっているみたいだけど……」
「もそ」
「作者の本名は七緒だって! 同じ長屋の住民からそう呼ばれてたって!」
「そうか……なんで『もそ』だけでそこまで分かるんだ!?」
習志野権兵衛もとい七緒という女についてしばらく聞き込みや監視を続け、人柄についても確認してゆく。
彼女はこの近辺で底抜けの善人として知られている。絵草紙を作る際には貧民をアシスタントに雇用し、飯や読み書きを授けている。彼女はドクタケ城下にやってきたとき「色鮮やかで見たこともない格好」をしており、無一文だった。長屋の連中以外に知人も友人もおらず、親類は皆無。
「どこぞの豪族の姫だったのかもしれんな。でなくば女の身で男手の読み書きなどできんだろう」
「そうだとすれば、習志野というのも親族にしか分からん符号なのかもしれないな! ナラシノで一つというわけではなく、奈良と篠とか!」
「もそ」
「長次も私と同意見だって!」
「ってことは、奈良の篠……奈良の竹林で知られた場所から来たとかかな? 豪族かそれ以上の家の娘で、民のことを思う心映えの良い方で、気楽に国へ帰れない立場ってこと……だから……」
彼女についての情報をまとめる伊作の声はどんどん小さくなり、ついに黙った。やんごとなき身分の方の可能性があるなど――おいそれと口に出して良いことではない。
「先生の判断を仰ごう。我々だけで抱えて良い情報ではなさそうだ」
七松のイケドンの勢いに引っ張られながら六年生らは忍術学園に戻り……学園長は長い眉毛の下、鋭い眼光を更に細めて「うむ」と頷く。
「七緒なる方には学園へ来ていただこう……ただし、保護が目的だとは思われぬように、な」
そうして習志野権兵衛もとい七緒は忍術学園に確保された、というわけだ。
むろん彼女の立場や身分についてはまだ確認を要することが多く、これから調査を進めてゆくため低学年の生徒らとはなるべく関わらせずにいる予定だった、が。
「あれぇ? ゴンベ先生じゃないスか」
「え、きり丸くん? キミ忍術学園の生徒なの!?」
「はい、この春に入学したんっス! なんでゴンベ先生がここに? 先生も忍者だったんすか?」
入学前にきり丸がバイトをしていた先の一つであったことを切っ掛けに、一年は組の良い子たちを繋ぎ目として学園に溶け込んでゆくことになる。
◯✕△□◯✕△□
似顔絵だけ描いていてもすぐに生活が行き詰まるだろうことは、割と早いうちから分かっていた。だって似顔絵なんて一人につき一枚あれば十分なのだ。町から町を移動して似顔絵を描いて回るなら客はいくらでも捕まえられるけど、このあたりに留まる限り近いうちに詰む。でも軟弱で貧弱な私が旅や野宿なんてできるわけない……と、いうわけで。ストーリー物を描こうと考えた。
しかしストーリー物を描くに当たって早速問題が発生――この時代の常識を知らなさすぎて、何をどこまでどんな風に描いていいのか分からないのだ。この時代の許容範囲が……許容範囲は……どこからどこなんだ……。
数日悩み、ある朝ふわっと妙案が浮かんだ。
源氏物語の覚えているところだけをピックアップして漫画にしたらいいのでは、と。つまり「私版あさきゆめみしを描いちゃおう」ということだ。
藤原孝標女も更級日記で「えーん源氏物語読みたいよぉ読みたすぎて辛いよぉ」って言っているくらいだし、源氏物語の漫画版は受けるはず。そうとも源氏物語の漫画ならいけるきっと大丈夫だ問題ない。漫画にしたことを怒る人もいない……と思いたい。
さて、どの話を描こうか。「すずめの子を犬君が逃がしつる」とか良いかな。描いて良い範囲とかこっちの常識とか分かってきたら陰陽師モノを描きたいんだよね。
◯✕△□◯✕△□
学園長含む教員ら全員が車座になり数冊の本を見下ろす。重ねられた本のうち一番上にあるものの表紙には「源氏物語 第五帖 若紫」。六年生が七緒についての報告した際に学園へ持ち込んだうちの一冊だ。
職員室は静まり返っていた。学園長は渇いた口蓋を冷めた茶で潤すと、長嘆息してこの場の静寂を破った。
「この源氏物語が本当にあの『物語』であるのか、しんべヱのお父上に確認を依頼した結果じゃが――」
かの『物語』であるとのことじゃった。
その言葉に、空腹でもないのに戸部の頭がゆらりと揺れる。
「七緒殿がどこに縁を持つ方なのかは未だ不明、ということでしたな」
「うむ。吉野方の公家や武家について、あちらに明るい連中に調べさせておるのじゃが……今のところ七緒殿ほどの年頃の姫が居るという話もかつて居たという噂もない」
「私からもこの場で報告を。七緒殿に学園へ来ていただいてそろそろ一月になりますが、武家らしい所作などは窺えませんでした。公家の作法については私も詳しくないため何とも言えませんが……公家でもないのでは、と」
そう口を開いたのは教員の中でも七緒と関わる二人、山田と土井。
土井の言うとおりであれば、七緒は武家ではない。公家でもなさそうだ。だが絵草紙にできるほどに「物語」の知識が――学がある。
彼女は一体何なのか。
「分からぬ……ということが分かった、ということじゃな。――さて。少し話が変わるのじゃが、この絵草紙の著者を紹介してくれと福富屋からの手紙が繰り返し届いておってな。そのうち学園に乗り込んできそうな勢いじゃ」
積み重ねていた本をずらせば、下に重なっていた本の表紙も見える。そこには「平家物語」、「陰陽師〜国分尼寺燃ゆ〜」の字。
「そりゃそうなりますなぁ。学園長、どうなさるんです」
山田は「平家物語」という字に視線をちらりと走らせると、納得だという様子で頷いた。
「紹介するほかあるまい。まあ、福富屋が後見につくのは七緒殿にとっても悪い話ではないしの」
「と、いうことは……彼女を学園から出すので?」
「七緒殿と福富屋の双方が頷けば、そうなる」
土井が七緒を学園に連れてきたのは、彼女の知識や技能がドクタケやタソガレドキなどに悪用されないようにするためだ。地域の平穏のためだ。
真っ当な後見人が付くなら安心して外へ出せる。
――が、「七緒を学園から出すことになる」と聞いた土井の頭にまず浮かんだのは、きり丸の顔だった。
『ゴンベ先生んとこでバイトしたら、おれたちみたいなのもあったかい飯が食えたんス』
きり丸のような親がなく飢えていた子供を彼女は何人も雇い、飯を食わせ、読み書きを教えたのだという。
『初めて会った時、ゴンベ先生「私は世間知らずの常識知らずだから」とか言って、誰でも知ってること聞いてきたんすよ。飯くれたから答えたんすけど……いやー、あん時はホント助かったなぁ。腹減りすぎて何も食えねえってぐらい飢えてたんで、最初は重湯作ってくれて。「体が慣れるまで特別メニューを出して
七緒の仕事を手伝っても質問に答えても賃金は出なかったが、温かい飯が出て、その日の晩は屋根の下で寝られたのだという。
だが、考えてもみよ、飢えて無力な子供に出来る仕事など限られている。バイトとして役に立つほどではない。
なのに、飯が出る。板の間で寝られる。読み書きも学べる。
それがどれだけ有り難いことか――有り得ないことか、土井もきり丸もよくよく理解している。世に衆生済度を掲げる自称
土井は目を閉じ、あえて呼吸を整えた。
「学園を出るとなったら……残念がる生徒がたくさんいそうですね」
「そうじゃのぉ」
きり丸を始めとするらんきりしんの三人はもちろん、一年は組の良い子たちはすっかり「少し浮世離れした雰囲気のお姉さん」に懐いている。いや、懐いていると言うより
学園に来てまだ一月も過ぎていないのに、もう身内のような存在になってしまった。
七緒へ満面の笑みを向けるきり丸の姿が思い出され、土井は目を伏せる。
が。
「七緒さん、平家物語の他に軍記物があるなら読みたいのですが何かありませんか」
「おい、小平太。七緒先生は学園長先生の依頼で忍たまの友を絵草紙にするというお仕事があるだろう。そちらが優先だろう?」
「知ってるとも。だから、既にあるなら読ませてほしいということだ!」
「もそ……」
彼女の知識がどれほどのものか、何を知っていて何を知らないのか。軍記物と範囲を縛ったうえで探りを入れた六年生らの意図に気付く様子もなく、七緒はしばし「うーん」と悩んだ。
「あ、あるある! もちろん忍たまの友を優先で描くけど、気分転換に別のも描きたいと思ってたの。ちょうど良いから小平太くん希望の話を描くね」
そう言って描き始めた絵草紙の題は「太平記」。教員全員泡を食って「学園から出すな」と意見を翻すまで、あと半月。
◯✕△□◯✕△□
一月ちょっと掛けて一年生向け忍たまの友・上巻を描き上げ土井先生へ渡したところ、それを回し読みしたらしい一年は組の良い子たちが仕事部屋にきて「お姉さんが描いた絵草紙の忍たまの友、分かりやすいです〜!」と褒めまくってくれた。そうだろうそうだろう、日本の歴史とか世界の名作だってマンガやアニメ版で学ぶ方が見やすいし分かりやすいのだ。
「おーほっほっ、そうでしょうそうでしょうもっと言って!」
「お姉さんすごーい!」
「一目でどういうことなのか分かるよ!」
「噂通りの天才絵師ですね!」
「おーっほっほっほ! もっと、もっと称えて!」
「わあ……お姉さんなんだか滝夜叉丸先輩みたい」
「ううん、こっちは嫌味がないぶん滝夜叉丸先輩よりマシだよ」
なんの裏もなく褒めてくれる子供たちに、大人げないけど気分が良くなるというか――褒められて嬉しくないわけがない。
忍術学園生活って最高、こんな素直でかわいい子たちと一緒にいられるならずっとここにいたい。アシスタントのきり丸くんも「ゴンベ先生のバイト、学園内だから移動時間ないし特別な準備も要らないんでめちゃくちゃ助かりますぅ♡」って言って喜んでやってくれるし、もしかしてここは楽園のような職場環境なのでは?
だけど、「これから体術の授業なんです」と元気いっぱい言っては組のみんなが去ってしまった仕事部屋は静かだ。
隣が職員室とはいえ、先生たちも授業のためそれぞれの教室に行ってしまう。誰かの話し声が聞こえてくることもない仕事部屋は火が消えたように寂しい。
町の長屋で漫画を描いているときは常にどこかから誰かの話し声が聞こえてきたし、「生きてるー?」なんて言って覗きに来てくれる人が日に何人も居た。
私には長屋暮らしの方が合ってるんだろう。こうして誰も居ないのは人恋しくなるというか、なんというか。
「……よしっ」
気合いを入れなおして筆を取る。忍たまの友は上巻ができたから一旦休憩ということにして、七松くんリクエストの太平記を描くのだ。――静かすぎてアレだから、鼻歌でちょっと気分を盛り上げながら。
◯✕△□◯✕△□
習志野権兵衛もとい七緒について調査を続けている六年生――伊作と留三郎から新たな報告があった。
教員全員が集まる必要はないとして、学園長室に山田と土井、山本の三人のみ集まる。
「尼……ですか……」
「うむ。二年半前、七緒殿がドクタケ入りしたばかりの頃に彼女と会ったという者と
「ううん……長屋での七緒さんの様子はしっかり見ているつもりですが、それらしい仕草も癖もありませんし。尼とは思えませんわ」
「シナ先生のおっしゃる通りです。こう……なんと言いますか、名のある家や寺などで育ったとは思えないくらい七緒さんはガサツですよ」
「じゃよなぁ」
山本と土井の否定に学園長も困り顔で頷く。
しかし、彼女が貴種の育ちであることは確かなのだ。でなくば「物語」を知ることなどできようもないし、何らかの事情で「物語」を知ることができたのだとしても、描き起こすにはまた別の知識が要る。
他にも彼女のいた環境の良さを窺わせる要素がある。
武家ではない、公家でもない、寺でもない。一体彼女は何者なのか。
「その件については横に置いておこう。報告はまだある」
学園長が広げた紙には伊作の字で簡潔に報告内容が列挙されており、七緒が一部の者から「尼さん」と呼ばれていること、二年半前の七緒は耳も隠せぬほどの短髪であったこと、近隣の村に「七緒様に眼病を治してもらった」と話す年寄りがいること等が書かれていた。
「眼病を治した、ですと!?」
「うむ」
「しかし、学園長。七緒殿ですぞ……ありえないでしょう」
一年は組の良い子たちがそのまま成長したような彼女が――お気楽極楽の平和な思考回路の主に医術の心得があるなど、どうして信じられようか。貶すつもりはないが、軍記物や物語に関する教養の深さと反比例したパッパラパー具合なのだ。あれを学園の外へ出したら野盗に襲われてすぐ死ぬだろう。
そんな彼女に医療の心得があるか? ガセ情報では、と山田は顔をしかめた。
「目に刺さっている異物を取り除いたようだとは書かれておるが……やはりこれは誤情報かのぉ」
「相手は年寄り、それに何年も前のことでしょう。別の記憶と混ざったのでは」
「そうじゃな……その可能性は否定できん」
四人の話し合いが結論を出せぬまま幕を閉じたその数日後、再び学園長室にて。
前とは異なり外はまだ明るく、部屋には学園長と土井の二人だけだ。
「小平太のリクエストで七緒さんが描き始めた新作の軍記物ですが――下描きというものがこちらです」
土井が滑らせた紙を学園長が手に取り、目を通す。
「楠木正成」なる武将が一枚目から早速登場している。紙が学園長の手元からはらりと滑り落ちた。
「これは……」
「七緒さんに、今描いているこれは何なのか訊ねましたら――『太平記』です、と」
太平記。南朝方の手により書かれたと噂される最新の軍記だ。世間に出回りだしたばかりだから――あらゆる兵法書を読み込み、最新の軍事書についても詳しい土井だからこそ分かる。この冒頭数枚の
それだけ新しい書籍なのだ、ドクタケで長屋暮らししていた七緒が知る術などないはず。
学園長はぎらりと視線を鋭くし、硬い声で指示を出す。
「土井先生。善法寺、食満の二人には早急に学園へ戻るよう伝えなさい。忍術学園が七緒殿について探っていたという証拠を一つも残さぬよう……明後日出立の交代人員は立花と潮江じゃったな? すぐ彼らを送り善法寺らの撤退を支援させるのじゃ」
「はっ」
「吉野方を探らせている者たちにも手を引かせねばな。七緒殿は、わしらが思っている以上に……複雑な立場のようじゃ」
「は……!」
深く下げた頭を上げ、土井は六年生長屋――立花らの居室へ足音一つなく移動する。
「仙蔵くん、文次郎くん」
「「土井先生」」
わざと気配を揺らせば返事は明瞭で、戸を開くと六年い組は忍者装束だった。片膝を立てており、いつでも動ける体勢だ。
「状況が変わった、すぐ学園を発って伊作くんと留三郎くんを迎えに行ってくれ。我々が七緒さんについて探っていた証拠は決して残さないように」
「分かりました」
「ギンギンに承知!」
文次郎はサイン済みの出門表をぐしゃっと握り、仙蔵は焙烙火矢を服の上から確認する。
「ちなみに、七緒さんは学園から出せなくなった。詳しい話は戻ってからしよう」
状況が変わったと聞いた時には表情の変わらなかった二人が軽く眉をしかめる。
「今度は何をしでかしたんですか、あの一年は組の新転入生は」
「本人は何も。ただ、育ちが……ね」
六年二人は盛大に苦虫を噛み潰した。