》ルルシシさま
足利の三代目が将軍ということは室町時代のはずなんだけど、不思議なことに町に自販機があるし体育委員がバレーしてたりするし、学園長にブロマイド押し付けられたし、微妙に外来語も通じる……が。通じない外来語を使って周囲から浮くのは困るので、外来語をなるべく使わないように心がけている。
始めは何度か失敗したけど慣れてしまえばカタカナなしの会話も簡単というか、むしろ外来語を使う機会がない。歌だって童謡や唱歌にもノリノリになれる曲があるのだ。ポップスじゃなきゃ歌いたくないなんて駄々をこねるほどポップス狂じゃあない。
それに私、早口とか超絶技巧系の曲は舌が追いつかないから無理なんだよね。童謡や唱歌でいいじゃないのよ、曲調がゆっくりめな方が歌いやすいし。
「お姉さんってよく鼻歌うたってますよね」
「それも、いつも違う歌〜!」
「お姉さんがいいなら、ぼくたちに歌を教えてくれませんか?」
「鼻歌してるお姉さん楽しそうだからぼくたちも歌いたいなって思って」
一年は組の良い子たちと一緒に洗い場で服を踏み踏み洗濯しているとき、自覚無く鼻歌を歌っていたらしい。
「いいともー! せっかくだしこの季節らしい歌がいいよね」
歌詞に外来語がなくて今の時期に向いているものなら何がいいかな……どんどん寒くなっていく時期だから、いかにも冬が来るよって感じの歌がいいかもしれない。
「そうだ、いい歌がある。北風小僧の寒太郎っていう歌でね……みんなで歌える歌だからきっと楽しいよ」
寒うござんすとみんなで楽しく歌いながら足踏みしていたら、「あーっ!」としんべヱくんが突然声を上げた。
「どうしたの、しんべヱくん」
「お姉さん知ってる? 乱太郎は『風雲小僧』って呼ばれてるんだ!」
「お、かっこいい! かけっこが速いんだ」
「そーなの! だから、この歌の寒太郎って乱太郎みたいじゃない!? 名前も似てるし!」
しんべヱくんのその一言で北風小僧から寒太郎は
知らぬ間に二つ名を変えられてしまった当の乱太郎くんはといえば、部屋掃除を終えて合流するとすぐ「そう……一年生最速の男といえば私のことさ」と鼻の下をこすったからもう大変、「自分も歌が欲しい」とは組の良い子たちみんなが言い出して大騒ぎになった。
馬借の歌って言われても困るし、なめくじの歌なんて言われてもどうしたらいいのか全く分からない。なめくじの代わりにでんでんむしは――駄目かぁ。
「みんな一人一人に合った歌はすぐに思いつかないけど、歌えたら賢くなる歌ならあるよ。それじゃ駄目かな?」
正月の箱根駅伝を見るたびに祖父が歌っていた「箱根八里」の歌詞は、「函谷関も物ならず」とか「羊腸の小径」とか難しい言い回しがたくさんあって格好良い。この格好良さで誤魔化されてくれ……頼む……!
「ホントに賢くなれる?」
「もちろん! みんながこれを歌えたら先生たちは絶対ビックリしちゃうね」
「先生を驚かせる……それ、すごく楽しそう!」
というわけで箱根八里の一番をみんなが覚えるまで何度も歌い、「披露してきます!」と駆け出す彼らを見送った。
ふう、いい仕事した。寝よ。
◯✕△□◯✕△□
練り物に七転八倒しつつもどうにか昼食を終えた土井の他には、食堂には遅番の教員数人がいるばかりだった。食堂のおばちゃんの睨みから解放された爽快感に背伸びをして空を見開げる。
まだ日は高い。
――そんなありふれた休日の昼間を破ったのは彼の可愛い教え子たちだ。バタバタと大きな足音を立てながら現れた一年は組の良い子たち(※その一部)は、土井の姿を認めるやキラキラと目を輝かせる。
「あーっ、やっぱり食堂にいたー! 土井先生ぇー! ぼくたちこれから、賢くなれる歌を披露しますー! 聴いてください!」
「賢くなれる歌?」
「はい! お姉さんに教えてもらいました!」
「そうか……」
わらわらと土井の周囲に集まる生徒らの言葉に、危険の予兆を感じとったらしい土井の胃は気が早くも痛み始める。
「お姉さんは、お正月のたびにお爺さんが歌っていたのを聞いて覚えたそうです。では、『箱根八里』。お聴きください」
ハキハキとした庄左ヱ門の「イチ、ニッ!」という合図に合わせ、食堂前に響く忍術学園少年合唱団の「箱根八里」。
このあたりに定住する者には全く縁もゆかりもない土地だが、「富士山が見えるルートで畿内から鎌倉へ向かうときに通る」険しい道を箱根峠という。
足塚峠という勾配のマシな道もあるが少々遠回りになる。足腰に自信があるなら箱根峠の方が近い、という道だ。
少年たちの歌声による「箱根八里」の歌詞は、箱根峠は険しいぞ暗いぞ寒いぞと何故か自慢げだ――間違いなく東国の連中による作詞だろう。どこぞの得宗家の旗がたなびいて見えるようだ。
「うっ……」
「どうしたんですか土井先生!? あ、もしかして、ぼくたちの歌に感動して……!?」
胸元――胃のあたり――を抑えてしゃがみ込んだ土井に、一番をしっかり歌い終えた良い子たちは満面の笑みで突進し「凄い?」「感動しました?」「賢くなったでしょ」とキャッキャと騒ぐ。
頬の筋肉に力を入れすぎてもはや痙攣しそうなほどだが、子どもたちの学ぼうとする姿勢に水を差せるわけもない。土井は強く、とても強く心を保って普段通りの笑顔を浮かべる。
「うん……うん、凄いぞ。おまえたち、とっても賢いなぁ……」
「でしょー!」
「見て、土井先生の手! 感動で震えてる!」
「ぼくたちの成長がそれだけ誇らしいのさ」
一体どうしてこんな歌を教わったのかと土井が問えば、「北風小僧の乱太郎」という歌ができたのが羨ましいからとその場の面々全員が「自分にも歌をくれ」と強請った結果なのだという。
七緒曰く「賢くなれる歌」――確かに賢そうだ。語彙が賢そうだから、歌っている姿も賢そうに見える。見えるだけだが。
ちらりと背後の食堂を見れば、中に他学年の教員が頭を抱えている姿がある。
だが土井は持ち直した。土井は大丈夫だ、なんせ一年は組の良い子たちを相手にして積み上げてきた経験が違う。
さっきまでとは違い自然に笑みを浮かべると、土井はすっと立ち上がり良い子たちの頭を撫でた。
「そうだ、おまえたち。せっかくだから山田先生にも披露してきたらどうだ? きっと山田先生も大喜びするぞ」
「山田先生に?」
「そうだね、土井先生に歌ったなら山田先生にも歌わないと!」
「山田せんせーを探して歌ってきます!」
「ああ、いってらっしゃい」
「山田せんせー! どこですかー!」と声を張り上げ駆け出した良い子たちへ手を振って見送る土井の背後に、気配なく他学年の教員が立つ。
「良いのですか、あのような歌を覚えさせたまま放置など」
「問題ありませんよ。あいつらが山田先生に歌を披露する時にはもう歌詞が頭の中でこんがらがってるでしょうからね。元の歌詞なんて残りません」
土井のそんな発言を証明するかのように、離れた場所から悲惨な少年合唱が聴こえてくる。
「饅頭の山! 干瓢の滝!」
「待って、饅頭じゃなくてバンジーじゃなかった?」
「バンジーだったっけ? バンジーの山なら、次は……」
土井は微笑みを浮かべ同僚を振り返る。
「……ほら、でしょう?」
そう言う彼の両目は、何故だろう、潤んでいた。
◯✕△□◯✕△□
ベタ塗りと効果線係としてアシスタントに入ってくれてるきり丸くんと二人、せっせと絵草紙版忍たまの友・上巻を仕上げているときだ。
「そういやさーゴンベ先生、この紙ってスッゲー高いやつっすよね? 先生ってば鼻紙か何かみたいに使いまくってるけど」
きり丸くんがふと思いついた様子でそう口にしたから、「そうだねぇ」と返事して手元の紙をすりすり撫でる。
きり丸くんの言う通り、原稿の紙は良いものを使っている。墨が滲みにくい、引っかかりが少ない、破れにくい、膨らまないなどなどの希望を満たす紙を追い求めた結果……当然の帰結として、今や紙代が支出の半分以上を占めている。
「こんだけジャンジャン使ってるってことは……安く仕入れられる先、知ってるってことっすよね? ねぇねぇせんせ〜♡ こんな凄い紙を安く買える仕入れ先、ぼくも知りたぁい! 教えてぇん」
小首を傾げてシナを作りすり寄ってきたきり丸くんを抱きとめて「残念だけど無理なんだ」と肩を竦める。
「教えてあげたいのはやまやまなんだけどね……この紙は友情価格で分けてもらってるだけなんだよ。お城勤めの友達がいてね、お城は一度にたくさん買うから安く買えるでしょ? その人はお城が買ったのと同じ値段で私に売ってくれてるの」
「あー、そういうことかぁ……。じゃあおれには無理だなぁ」
「ごめんね、役に立てなくて」
「あ、いーんすよいーんすよ!」
服越しに伝わる子供体温の暖かさと柔らかさにほっと息を吐きながら、あれからまだ二年と少ししか経ってないのかと感慨深い気持ちになる。
今はこうして上質な紙を使っているが、似顔絵屋を始めてすぐは反故紙に似顔絵を描いていた。なんせあの頃は日銭を稼ぐだけで精一杯だったから、私が手を出せるのは廃棄寸前のヨレヨレの反故紙くらい。気温も懐も寒かった。
だから「人寄せになるかもしれない」と当時のバイト先だった茶屋の女将さんが場所を貸してくれたのには本当に助かった。そんな店をバイト先に選んだ自分の先見の明に感謝したよね……。
長椅子の端っこを占領し、白湯を啜りながら反故紙に似顔絵を描きまくったものだ。
――そんな毎日が変わったのは、私がこの世界にトリップしてきて三ヶ月半かそこらが過ぎたあたり……似顔絵描きに転向して二週間過ぎるか過ぎないかというぐらいのだいぶ風が寒くなってきた日。初めて見かける顔をした少年が、私の絵を覗き込むやいなや「おっ、おまえ、そんなボロ紙に似顔絵を描くだと!? 絵がもったいないと思わないのか!」と怒鳴りつけてきたのだ。
「え、だってお金ないし……」
「そんな腕を持っているくせに!?……はぁ、ここで大人しく待っていろ。家に帰ったりどこかに逃げたりするんじゃないぞ」
「はあ」
「『はあ』じゃないんだよ『はあ』じゃ!……いいか、帰るなよ!?」
金持ちの子なのだろう。まだ着付けが下手で着崩れしがちな私と違い、きっちりと着こなした着物は丈夫そうだしツギハギもなさそうだ。
彼は一方的に私に怒鳴りつけたと思うと、踵を返しどこかに走っていってしまった。同じ長椅子で似顔絵の完成を待っていたおじさんは「あれがキレやすい最近の若者か。やだねェ」と肩をすくめる。
「……きっと疲れてるんですよ。疲れてるときは何にでもイライラしてしまうので」
「そうかねェ。ま、ああいうのとは関わらないのが一番だね」
おじさんの言う通り、あれに絡まれるのは面倒そうだ。さっさと帰ってしまおうと似顔絵を仕上げ、おじさんに渡す。手に入ったのは御駄賃程度の小銭――宋銭が一枚。
「これが現実ってことよね〜」
紙代にちょっと色を付けました、という程度の額だ。現代じゃ一枚数円で真っ白な紙を買えたし、似顔絵一枚で五百円は貰えたのにと思うと気が重くなる。
ため息を吐いて立ち上がったちょうどそこに、なんということでしょう、さっきの少年が戻ってきてしまったのです。
体力があるんだろう、手に風呂敷を抱えて走ってきたのに息切れ一つしていない。
「ほら、まともな紙だ! お前にやる! 絵を描くならこれに描け!」
「はい?」
――この出会いが、その彼が、私を漫画家にしてくれた。
「そういえばそろそろ紙を持ってきてくれる頃か……」
このところ忙しいとかで数カ月に一度しか来なくなった彼は、大量の紙を抱えてやってきては「次の紙を持ってきたぞ! さあ原稿を渡せ!」と原稿強盗みたいなことを言うのだ。どう現状を伝えたものか。
この時代にはケータイ・スマホなんてもちろん無いし、駅の掲示板だって無い。XYZで鈴木◯平に仕事の依頼をすることもできないのだ。
待て、シティ◯ハンターと言えばだ。きり丸くんは忍者のたまご、ちびっこシティー◯ンターみたいなものと言える――きり丸くんに頼んでみようかな。
可愛いつむじに頬を押し付けて「ねえきり丸くん」と声を掛ける。
「お使いを頼んでも良いかな。うちの長屋に時々来てた騒がしい奴って分かる?」
「えーっと……顔を合わせたことはないけど、声は聞いたことあるはずっす。悶々ひょんな門さんでしたっけ?」
「そうそうだいたいそんな感じ、良く覚えてたね。その人に手紙を渡してほしいんだよ、仕事の依頼でしばらく長屋に帰れないことを伝えたくてさ。お願いできるかな」
「もっちろん!……御駄賃は?」
「もちろん出すよ」
その晩にしたためた手紙を翌朝きり丸くんに託した。
宛名はもちろん、この時代に来て初めてできた友人の名前――諸泉尊奈門殿。
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修行を兼ねた任務の一環でドクタケを探りに入り、「眼病を治した」者がいるという噂を聞いた。そいつの名はナナオといって、面倒くさがりな坊主なのか還俗したのか、まげを結えないほどの短髪をしているらしい。
眼病を治すほどの技術を持つ者なら、組頭の火傷も治せるかもしれない。噂なんてものは大半が眉唾だと分かっているのにそんなことを考えてしまい……気がつけば任務も忘れて「ナナオ」を探し、ドクタケ領内を回っていた。
茶屋の端に
同年代の男のようだ。髪は首を隠す程度に伸びており、着崩れて緩みきった合わせから珍妙な形の襦袢が覗く。手元の紙に何か書き付ける背中は丸い。
第一印象は「みっともない奴」だった。すぐにその認識が覆るとも知らず、何を書いているのかと手元を覗いて……仰け反った。こいつ、信じられない――絵だ! ゴミ寸前のボロい反故紙に描いてやがる!
湧いた驚きはすぐに怒りに塗り替わり、絵を描けることの価値を全く分かっていないそのタワケを怒鳴りつけた。
「絵を描くならこれに描け!」
――ナナオがその軽そうな頭に火薬をめいっぱい詰め込んでいることを知ったのはそれからすぐのことだったし、言動から伺い知れる
胸元が着崩れたままでみっともないと注意すれば「自力で着たことなかったから直し方も分からない」、冬が過ぎて汗ばむ陽気の日に「お湯たっぷりの風呂に浸かりたいな」などなど、こいつは一体どこの出だと目を剥きたくなるようなことを抜かすのだ。
そんな歩く火薬庫とそれでも付き合いを止めないのは、あいつの根が善人でいい奴だから。
組頭――尊敬する上役に何か差し上げたいが思いつくものがない、と愚痴ったときには、後日「こんなのどうかな」と絵を渡された。それには見たこともない雄大な城が描かれていて、「人は城、人は石垣、人は堀」という書まで踊っていた。
唾を飲み込んだ。組頭のことを「人を大事にする方だ」「部下思いの方だ」と話したからこれを描いたのだと、すぐに分かった。
「ナナオ、くそ、どこに行ったんだ……!」
――ナナオをこっそり守ってろと金を握らせていた連中からの連絡を受け取った時にはあいつの長屋は引き払われ、知らない誰かが住んでいた。
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一年くらい前のことだ。尊奈門くんから「うちに来いよ」と誘われた。
尊奈門くんは修行のためドクタケをうろついていただけで、家も職場もタソガレドキにあるのだという。
近くに住んだら今よりもっと会いやすくなるし、タソガレドキの方がドクタケより治安が良いから引っ越してこい、ということらしかった。
「気持ちは嬉しいけど無理だよ」
――払いが良くてガッポガッポ稼げるからと依頼を受けて「ドクタケ忍者隊」シリーズを描いたわけだけれど、シリーズもの以外では肖像画やらなんやらの依頼も受けている。木野様の肖像画だけでも五枚は描いた。
つまりだ。誘われた時には既に、私はドクタケ領主専属絵師の地位を確立してしまっていたのだ。
「一応とは言え一城の主だしさ、木野様も。『自分のものでなくなるくらいなら殺す』とか言うでしょ」
私はまだ死にたくないからね、無理だよと断った。
断ったのだ。
「現在忍術学園に逗留している習志野権兵衛殿を、我らタソガレドキへ引き渡し願いたい」
そう言って尊奈門くんが学園長さんに頭を下げる場の、なんとも座り心地の悪いことよ。
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行方知れずになった友人を探しに行かせてほしいと頭を下げる尊奈門に、雑渡昆奈門は「うーん」と唸り即答を避けた。
「そいつは先日までドクタケ領内に住んでいたのですが、半月ほど前に突然姿を消してしまいまして……! 今は戦のため、いくら人手があっても足りない状況であることは承知していますが……お願いします、そいつを放っておけないのです!」
頭巾に覆われた後頭部を見おろしながら、昆奈門はにんまりと目を細める。
「おまえの気持ちは分かった」
「――でしたら!」
ガバリと顔を上げた尊奈門の顔には明らかな喜色が浮いている。
「だけど探しに行く許可は出さないよ」
「えっ、どッ、どうしてですか!?」
喜んだり驚いたりと忙しく顔色を変える若い部下に、昆奈門は淡々と答えた。
「その探し人、『習志野権兵衛』は忍術学園にいるからね」
目を剥いた尊奈門の額を指で弾いて、「修行し直しだよ」とため息を吐く。
――習志野権兵衛と名乗る絵師のことを、昆奈門はよく知っている。
二年と少し前のことだ。ドクタケを探る任務から戻った尊奈門の様子がおかしく、しかしドクタケで何かしら問題が起きたという報告はない。別の
まだ若く青い尊奈門の痕跡をたどるなど昆奈門には朝飯前のこと。尊奈門が何を聞いたのか、何に気を取られたのか、誰と関わったのか……半日も掛からず尊奈門の行動全てを把握した。
尊奈門はナナオなる医師……兼、似顔絵師と交流を持ったようだ。
「もうとっくに回復したっていうのに、あの子は」
尊奈門のまっすぐさに、少し脇腹が痒いような、尻の置きどころを探したくなるような気持ちになる。
尊奈門の父親を救うために負った火傷により、昆奈門は花の二十代の約三年を寝込んで過ごした。それを尊奈門が負い目に感じているのだろうことは分かっている。とはいえ既に昆奈門は回復し現場へ復帰しており、名医を連れてきたところで今更だ。
しかしその名医が尊奈門と同年代の若者とあれば話は変わる。そんな知識を蓄えた若者がドクタケにいるなどこれまで聞いたことがないし、最近ドクタケに移ってきたのであれば……どこぞからの間者ではないか?
どこの手の者だろうと考えながらそのナナオとやらを見に行けば、想像と真逆の姿に驚かされた。
少し前まで頭を剃っていたのだろう短い髪は年齢不相応で、着崩れを直す等の五歳児すら出来るようなことも出来ないのに見事な絵を描く。茶店の客に「歌ってくれよ」と絡まれると「金とるよ」などと軽口を叩き、何故か情感豊かに般若心経を暗唱する。夜は一人板張りの床に寝転がり「固い」と愚痴る。
これが間者のあるべき姿と言えるだろうか。悪目立ちしていることこの上ない。
他の者と交代しつつしばらく監視を続けて出た結論は「触るな危険」。ナナオもとい習志野権兵衛本人は善人のようだが、現時点のタソガレドキが抱え込むべきではない深く暗い事情を抱えている……と思われる。
尊奈門に伝えるか否かについては彼の父親が「お許し頂けるならそのままに」と首を横に振ったため、放置。
そのうち痛い目を見るだろう。タソガレドキの忍者は皆そう考えていた。
だが尊奈門と習志野権兵衛の交流は途切れることなく数ヶ月が過ぎ、ある日、尊奈門がそいつの絵を持ち帰ってきた。「いつも組頭にはお世話になっていますから!」と差し出された絵に踊る書の含蓄深さはもちろん素晴らしいものだったが――これまで日本全国を飛び回ったこともある昆奈門をして「見たことがない」壮大かつ美麗な城の絵に、体が吹き飛んでいくような衝撃を受けた。
絵や文学だけでなく、縄張りまでも学んでいるのか?
「いつも尊奈門がお世話になっております。私、尊奈門の上司の雑渡昆奈門と申します」
手土産は食べ物を避けて手ぬぐい二枚。前触れもなく訪れた昆奈門に習志野権兵衛は目を丸くして、「これは丁寧に有難うございます。大したおもてなしはできませんがどうぞ中へ」と昆奈門を長屋に招き入れた。少しばかり誤解で揉めかけたが、その場ですぐ解消する程度の誤解だ。
ぐるりと見回した部屋の中、文机には描きかけの原稿が山積みになっていた。自然な動きでそのうちの一枚を手に取り見ればなんと、描かれていたのは平家物語の一場面。
「これは……」
「平家物語ですよ。好きな場面を絵草紙に起こしているんです」
コピー機を持ってる本屋が印刷して製本してくれるというので、明日持って行く予定なんです、と。
そう笑う姿が恐ろしい。
既に製本させたという源氏物語は「尊奈門くんが読んでいてつまらなそうだった」から途中で筆を置き、「軍記物の方が好きかなと思って」平家物語を書いたのだと言う。
努めて声を落ち着かせ、他にどんな作品を知っているのかと訊ねた昆奈門に、習志野権兵衛はそうですねぇと指を折りつつ物の名前を挙げてゆく。
源氏物語、枕草子、伊勢物語、土佐日記、更級日記……方丈記、徒然草、その他つらつら上げてゆく中で、親指が頭を垂れては起き上がること二度。
史記、三国志演義まで挙げられたのを聞くや、昆奈門は腹を抱えて大笑した。なんだこの爆弾は。
抱え込めば恐ろしく、他所にやれば更に恐ろしい。敵対せず程よい距離を保つのが良さそうだ。
「これからも尊奈門と仲良くしてやって頂けますか」
「もちろんです! でも私こそ尊奈門くんに世話になりっぱなしですから、むしろ私がお願いする立場でしょうね」
――火薬庫のような友だ、秘密にしたかったのだろう。だが、もはや手遅れ。
「大手を振って迎えに行けるように、この戦……勝たないといけないよ」
タソガレドキは甲斐やら鎌倉の残党どもとは違う。――なんせ我々の本拠地は、天下をすぐ間近に睨む距離にあるのだから。
つまりどういうことだってばよ!
・「天野七緒です♡」
(偽名だとしても)苗字込みで名乗るんじゃない……!
一部から「尼の七緒」と誤解を受けたのは、「天野」を名字や地名だと思われなかったため。
・似顔絵が描ける
絵を描くというのは特殊技術。
・ドクタケ漫画を20巻描いた
お賃金が良かったので飛びついた結果、ドクタケ城やドクタケ忍者隊について詳しくなりすぎてしまいドクタケを離れられなくなった。忍術学園の対応(監視、情報や交流の制限)に納得していたのはそのため。
・貧民をアシスタントに起用
飯さえ与えればたいていのことを教えてくれる。だがずっと自分が世話し続けるのは無理だと分かっているため読み書き算盤を教えて自立させた。
「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」とは……為政者なのかな?
・あさきゆめみし描いちゃえ!
ここから悲劇は始まった。
・「陰陽師〜国分尼寺燃ゆ〜」
陰陽道や尼の修行について詳しい――まさか()
・太平記
成立年代をぼんやりとしか覚えていなかったのが悪かった。登場してすぐの本を「それ知ってる〜!」なんて逆豆柴するんじゃない。
・耳が隠れない短髪
剃髪の状態から髪が伸びたのだと誤解されたが、単なるショートヘア。
・眼病を治す
目に睫毛が刺さっていることが分かり「そりゃ痛いよね」と毛抜きで取った。ちなみに日本は当時目に問題を抱えた患者が多くいた。(江戸時代末期あたりのことだが「日本人って眼病持ち多すぎでは? 目医者はおらんのか」という内容の日記を外国人が残している)
・一年は組をそのまま成長させたような女
本人に元々素直な質であることはもちろんながら、変に疑われないように努めて率直でいた結果。
・北風小僧の寒太郎
ここまでは良かった。
・箱根八里
ここからが駄目だった。
・高くて上質な紙
城で購入している紙ということは城の備品なのだと気づいてるのかな、尊奈門くん。(代金を払っているとは言え)備品を大量に貰っても怒られないのは、その友人関係が既に保護者にバレてるからだよ。
・着崩れ
下にシャツ着てるから良いじゃん理論が通じるわけもなかった。
・似顔絵代二束三文
紙がちり紙寸前なら、それに何を描こうが安くなって当然なのだが――ストレス疲その他で頭が回っていなかったのだろう。
・お湯たっぷりの風呂
沸かすのにどれだけ薪を使うのか、贅沢の極みの発言。
ちなみに鎌倉や室町の時代は蒸し風呂が主流。映画・室町無頼にも蒸し風呂のシーンがあるよ!
・見たこともない城の絵
初めて石垣を城の周囲にぐるっと巡らせたのは三好長慶(室町末期)。石垣の上に建つ城は威圧感たっぷり!
ちなみに初期の石垣は野面(のづら)積みと呼ばれる積み方で作られている。野の(=加工していない)石を積み上げて作るものであり、戦国時代以降に築城されたまたは石垣を増築した城の石垣とは見た目その他様々なところが異なる(丸亀市ホームページ内の丸亀城石垣の紹介を見ると分かりやすい。説明もあるのでグッド。ちなみに丸亀城の写真は野面乱積みで、今作映画は野面布積み。忍たま映画と同じ野面布積みの石垣なら浜松城が好例)。
その一つは、野面積みの石垣は石をほぼ垂直に近い角度で積み上げるため一定以上の高さ(1メートルくらい)を超えると崩れてしまう……という点。よって、野面積みで数メートルの高さを作ろうとすると、犬走(細い通路)を挟みつつ階段状に高さを重ねていくことになる。
忍たま映画は石垣についてもかなり正確に描写をしており、①石垣は山城の斜面の一部を補強しているだけで、外周ぐるっと組んではいない(=三好長慶の登場より前)②石垣の傾斜が垂直に近い(野面積みの特徴)③切り出したり加工したりしてカクカクした石ではなく、様々な形の石で構成されている(野面積みの特徴)。(オタク特有の早口)
さて、権兵衛が描いた城(大体の現代人が想像する城)を見た室町初期の人間は何を想像するだろうか?――わあ、胃が痛くなりそう!
・「人は城、人は石垣、人は堀」
575の17音で締める俳句の登場は江戸時代になってから。明らかに下の句が足りないので「知りたければ会いに来て♡」または「下の句を考えて送れ」というお誘いだと誤解された。
もちろん誘ったつもりはない。
・「ドクタケに殺されちゃうよぉ〜」
この歩く爆弾がぁ〜? そんなバカな(\ドッ/)と笑えない悲しさ。ドクタケ忍軍は八方斎以外みんなヘボだから仕方ない。
・般若心経
バラードで検索。
・板の間で寝ると固い
畳の上で寝ていたそうですね――貴族とかは()
・コピー機
室町時代にそぐわない内容の発言が繰り返される原因の一つ。現代の便利道具・家電製品などなどがちょこちょこあるせいで混乱してしまう。
・源氏物語、枕草子、以下略
「知っている作品」を聞かれたから読んだ本を答えた。「漫画として描ける作品」を羅列したわけではないのだが、それについて雑渡と相互理解ができていない。
挙げたうちの一部が「描ける」作品。
・黄昏甚兵衛が天下を狙ってる?
原作でも有能で身内には懐が深い男。南蛮かぶれの描写あり――という点と、原作の時代設定が「室町末期」である点などをネリネリして「黄昏甚兵衛のモデルは三好長慶」であろうと考えた。
三好長慶は本人より、彼の部下だった「平蜘蛛抱えて爆散」の松永久秀の方が有名だが、室町末期〜戦国時代に乱立した天下人の一人である。明治政府が「信長さん最高だッピ! こんな奴なんて知らねぇもん、天下人じゃないッピ!」と削除してしまっただけで、将軍を追い出して天下人になった一人目の男なんである。最新の研究ではそうなっている。四国の皆さんお喜び下さい、三好市から天下人が出ております。
で。三好長慶は石垣の説明の時にも登場している通り、「城の周囲ぐるっと全面に石垣を作った」初めての男。もともとは守護大名の家臣(国人)であったが、のし上がって天下人になった……んん? 黄昏甚兵衛のモデルなんでは?
ちなみに黄昏甚兵衛が南蛮かぶれである点については、三好長慶がキリスト教徒であった(=河内キリシタン)ことと合致する。
見たこともない城の絵を贈られた雑渡昆奈門が、その絵を黄昏甚兵衛に見せないとは思えない。そして、絵を見た黄昏甚兵衛が「こいつ面白い、欲しい!」とならないわけがなかった。