漫画で歴史に残る女   作:充椎十四

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ご指摘
》獅子王440様
ワッ…!ありがてぇありがてぇ……
あっ指摘いただいた時の注釈消してなかったありがてぇすまねぇパパイア様有難うござます


漫画の力で生きていく女3

 鎌倉殿滅亡の遠因についての講義が評判良かったらしい。え、あの様子で……? 六年生と先生方からの評判は良かったかもしれないけれど、一年生は「僕たちは何一つ分かってません」って顔をしていたはず。

 始業式の前日、土井先生に「学園長先生が、週に一度で良いから授業をしてもらいたいと……」と手を合わせて頼まれたけれど、無理無理と頭を横に振って断る。

 

「毎週何かしら教えられるほどの知識はありませんし、知ってることのほとんども子供向けではないですし。無理ですよ」

「ご謙遜を! きり丸から聞いてますよ。ゴンベ先生はいろんな決まり(・・・)を知ってるんだ、って。きり丸が受けた『ゴンベ先生の授業』を、は組の皆にもしてやってもらえませんか?」

「ええ……それは、困ったなぁ……」

 

 そんな風に言われたら断りづらいというか、きり丸くんの期待に応えたいというか、なんというか。

 は組の皆は基本的な読み書きをもう身につけているし、きり丸くんが興味を持ちそうなネタは何かあったろうか?

 

 押し切られてショボショボくノたま長屋に戻り、反故紙に候補をいくつか書き出してみた。そこからアレは難しすぎる、コレはマイナー過ぎる……と消していったら全部消えた。

 困ったとため息をついて反故紙を床へ放ろうとした、その時だ。いま使っていたのは二条良基への手紙の下書きだった――「古事記」やら「万葉集」やら。

 

「コレだッ!」

 

 万葉集を読める人材とか公家から引っ張りだこでは? 一年は組全員指導者化計画なんてどうだろう――いや、駄目か。「本当にそう読むのが正しいのか」「根拠を出せ」と突っ込まれたときに何も言えないというのは、ちょっとね……。

 

「やっぱ駄目だぁ……ああ、私は、何を教えればいいんだ……!」

 

 頭を抱えて叫んだけど、良案は全く浮かばない。床にごろごろと転がり最終的には大の字になる。部屋が広い。

 

 ――万葉仮名は1字1音、そう学んだ人は多いだろう。けれど万葉集のすべてが「いわゆる万葉仮名」で書かれているわけではない。

 例を挙げていこう。先ず一つめ、第七巻の詠み人知らずの歌。これは柿本人麿が作った歌集が初出。

 

天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見

(あめのうみに くものなみたち つきのふね ほしのはやしに こぎかくるみゆ)

 

 字面を見ればわかる通り、1字1音などではない。「天海」で「あめノうみ」、「月船」で「つきノふね」、「榜隠」で「こギかくル」と――送り仮名は自力で読め! という、ほぼ漢文読み下しの形態で書かれている。つまり、これは万葉仮名ではない。

 

 次、天武天皇の歌だけれど誰が字を振ったかは不明。一巻に収納。

 

紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方

(むらさきの にほへるいもを にくくあらば ひとづまぬゑに われこひめやも)

 

 「紫草」で「むらさき」、「人嬬」で「ひとづま」と読むような単語の部分と、「能」で「の」、「乎」を「を」と読む接続詞の部分が混じる。じわりと漢文から離れてきた雰囲気があるけれど、全体的には1字1音と言えない。

 

 三つめ、五巻の山上憶良の歌。

 

世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尒之安良祢婆

(よのなかを うしとやさしと おもへども とびたちかねつ とりにしあらねば)

 

 これ、実は凄いのだ。「世間」と書いて「よのなか」と読んでいる。現代人に分かりやすく言えば英語話者が「聖域」に「サンクチュアリ」というルビを振るようなものなので、これは革新的な発明と言っていい。外国語である漢字に別の言語(やまと言葉など)を当てて読むなんて大発明、誰が思いついたんだろう。天才ですか?

 他は「飛立」を「とびたち」と読んで送り仮名が脱落しているとは言え、残る部分はほぼ1字1音の形態になっている。

 

 最後、十四巻にある東歌――つまり詠み人不明。

 

可豆思加乃 麻萬能宇良未乎 許具布祢能 布奈妣等佐和久 奈美多都良思母

(かづしかの ままのうらみを こぐふねの ふなびとさわく なみたつらしも)

 

 これこそ皆がよく知る万葉仮名だ。――なお、最初の段階である「ほぼ漢文」からこの「いわゆる万葉仮名」に変わるまで半世紀ほどしか経っていない。

 やばーい、凄ーい、五十年そこそこでこんなに変わるものなんですか? 後世の人たちが万葉集を読めなくなった理由も分かるというものだ。

 

「はあ。何がいいだろうなー」

 

 明かして良い知識は、どこからどこまでなんだ……。

 

◯✕△□◯✕△□

 

 「作文」と題された習志野の授業は、一年は組だけでなく六年生と――五年生にも開放された。

 習志野と忍たまの交流を増やすためにと用意された枠だから、彼女と既に顔見知りなのであれば授業に参加の許可が下りる。

 

「文を書くというのは、頭をスッキリさせて物事を筋道立てて考えられるようになる方法の一つです」

 

 ただし人により向き不向きがありますし、文を書けるようになる必ず筋道立てて考えられるようになる……とは言えません。でもまあ、手数が増えて便利になりますよ。

 ――そう口にした習志野は、知らないのだ。

 

 二十世紀以降の日本で「作文」の基礎を作ったのは、夏目漱石や森鴎外らの文豪たちだ。明治を生きた彼らの尽力あっての文章作法、作文技術。

 

「いつ、どこで、誰が、どうした。この枠組みに合わせて文を作って下さい。同室の仲間のことを書いてもいいし、自分のことを書いてもいいですよ!」

 

 ()を生きる彼らが知るよしもない、小さいけれど大きな変化だった。

 

◯✕△□◯✕△□

 

 作文の授業は五回目を数えた。始めは少々やりづらそうにしていた習志野も「団蔵や、ああ団蔵や、団蔵や、字の練習を、してて偉いね」とヤマもオチも意味もない歌を詠むほどに慣れてきたようだ。

 

「今日は少し趣向を変えて、字に関する歴史の話をします」

 

 「ジーッ!」と言いながら自分を見つめる一年は組に、習志野は「文字の歴史だよ」と言い直す。

 

「漢字を一つ例に挙げます。そろそろ梅雨の時期で、真竹の筍が美味しい季節……ということで、筍という字……真名ですね。この真名は読み方が『たけのこ』の他にもいくつかありますが、わかる人」

「はい!」

「はい庄左ヱ門くん早かった」

「ジュンです!」

「正解!」

 

 手を挙げたのに「わかりません!」と答える困った子も現れつつ「たかんな!」「シュン!」「イン!」と合わせて四つ挙がる。

 

「タカンナやタケノコは我が国、大日本(やまと)で生まれた呼び方です。でも、真名は支那で生まれて我が国に伝わりました。――ここで問題! 私たちが別の国の人と関わるときに、とっても困ることがあります。それはなんでしょう?」

 

 黒板に一・お金が違う、二・言葉が違う、三・食べ物が違う、と三択書いて、どれが正しいかと順に手を挙げさせる。

 しんべヱは三に手を挙げていた。

 

「答えは実は全部……なのですが、何より一番困るのはコレ、二の『言葉が違う』点。言葉が違うと、ウドが欲しいと思ってお金を払ったのに、渡されたのはゴボウだった……なんてことが起きます」

「えー、でも、細くて長い野菜ってところしか同じじゃないのに?」

「身ぶり手ぶりでしか伝えられないならそうなってもおかしくないんじゃないかな」

「ごぼうのきんぴら食べたぁい」

「そんなんじゃまともに買い物できないじゃねーすか」

 

 途端ざわつきだした教室にウンウンと頷くと、パンと一度手を叩いて注目を集める。

 

「そこで、支那で暮らす人たちはそれぞれの食べ物や物を表す絵を描きました。――こんな感じで」

 

 誰が見ても魚だと分かる絵が黒板にサラサラと描かれ、生徒たちから「おおー」と歓声が上がる。またそれを少々簡素化した魚の絵、更に簡素化した絵と続き、『魚』の字をカツカツと書く。

 

「ですが、誰でも絵心があるわけではありません。それに毎回こんな絵を描いていたらとっても面倒くさいですよね。だから絵を簡単に簡単にしていって……そうして真名ができました」

 

 もちろん全部の真名がそうして生まれたわけではないので、そこは誤解しないでね――と習志野は一言付け加えた。

 

「つまり、真名には『言葉が通じなくても』使えるシルシとして作られたものがたくさんあるというわけです」

「はい! 質問!」

「はい留三郎くん」

「支那に暮らしているなら支那語を話すのではないのですか? 多少の方言はあるでしょうが、近くに住んでいる相手にすら絵を描かねば通じない……というのは変でしょう」

「いい質問ですねー。その理由は、ざっくり言えば『支那は大きいから』です」

 

 魚の絵を消してスペースを作ると、そこに大小二つの丸を描く。大きい方の丸は小さい方の丸より二十倍ほど大きく、小さい丸は楕円で細長い。

 

「私達が住む大日本(やまと)がこの小さい丸で、支那はこっち。支那はねぇ……広いんですよ。同じ支那に暮らす者同士でも言葉が通じません」

 

 丸の大きさの差と――その丸を「えーっとだいたいこれくらいだよね」などと言いながら迷いなく描いた習志野の知識(・・)に困惑と恐怖を覚え、 五六年と教師陣は唾を飲み込む。

 

「支那にはこれまでいくつもの統一王朝が生まれました。えー殷、周、秦、漢、三国、晋、南北朝、随、唐、五代……宋元明し……今は明ですね。殷は古すぎるから置いておいて、周。これは羊という草を食む獣を飼って生活していた人たちが作った国です。次の秦は私の知る範囲では不明、漢はぼぼ漢族と言われています。が」

「が?」

「漢のときにいた漢族と、今の漢族って別のものなんですよね」

「はあ……はあ?」

「漢の時代末期に起きた黄巾の乱。黄色い頭巾を被っていた人たちが起こした戦で、漢の人たちの数はそれまでの十分の一にまで減りました。なのでこの後現れる三国……魏呉蜀は周辺から人をたくさん呼び寄せて作られた国なんです」

 

 しんべヱの目がじわじわ左右に離れていくのと並行して、教師陣と六年生――特に中在家――の顔色が悪くなっていく。

 

「あっちからもこっちからも人を呼んだので話す言葉はバラバラというわけ」

 

 それから後の晋、南北朝、随、唐、五代、宋、元については、複数の国が建った南北朝と五代を除いた残りの晋、随、唐、宋、元を挙げましょう。……晋は自称ですが秦と祖を同じくする一族。随は三代保たずに滅びたから置いておいて、唐は漢人の王朝とする説が有力ながら父から子への武則天の引き継ぎを考えると疑わしい。宋はなんだったっけなぁ……思い出せないなぁ……。元は平原の遊牧民、さっき挙げた周と同じように羊を飼って生活していた人たちによる王朝だから漢人ではありません。

 ――教師陣の白い顔など知らず、そんなことをニコニコ語る。

 

「そんな、あちこちから人が来たり去ったりする中で情報を伝えるのに役立ったのがこちら、真名でした。真名は『それそのもの』を伝えるシルシですからね」

 

 最初に挙げたように筍の読み方がいくつもあるのは、別の言葉を使う人たちが支那で政権を取ったから、その人たちの真名の読み方が我が国にも入ってきたためなんですよ。

 

 ヘムヘムの撞く鐘の音が響いた。

 

◯✕△□◯✕△□

 

 職員室は騒然としていた。話題はもちろん「あの女は本当にどこから来たんだ」というものだ。

 以前一年は組や六年生がそれとなく聞いた際には素直な彼女にしては珍しく「遠いところだよ」「二度と帰れない場所でね」と答えを濁していたため、口にできない場所か、実際に遠方のどちらかだろうと思われる。

 

「本当にあれは大日本(やまと)育ちですか? あんな話これまで聞いたことがありませんよ」

「足利学校は廃校になったと聞いていますが。もしや実は存続していたとか……あそこは古い文献も持っていたでしょう」

「いやいや、あれだけ詳しいのですよ。蒙古から逃げてきた高麗人に教わった可能性はないですかな」

「蒙古合戦は何年前のことだと……。今もそうですが、あの合戦から博多湾にはかなりの人数が詰めているんですよ――あの経路を使わずに逃げてくると思いますか? それにもし高句麗人が我が国に逃げてきたとして、あれだけの知識を持つなら将軍の指南役に収まっているはずです」

「東国の者が知っているのに畿内のこちらが知らん、というのは道理が通らんですよ。本当に習志野殿は東国の出なのかも疑わしい」

「蒙古に渡ったが帰ってきた者などであればどうです? そうであれば故郷に……たとえば東国に戻ったとしても誰もおかしいと思わないでしょう」

「それは――」

 

 粟散辺地(ぞくさんへんち)の我が国にあのような知識を持ち込む誰か(・・)がいるとすれば、それは蒙古の――元の民ではなく、よほどの覚悟を持って支那に渡った我が国の者だったに違いない。

 知識や情報を持ち帰るため元へ潜り込んだ者たちはどれほどの数いたのだろう。そしてようやっと国へ帰ってきた生き残りを待っていたのは、既に滅びた鎌倉殿の焼け跡だった――ということだろうか。

 

 誰もが口をつぐむ。

 

 彼らの執念や怨恨を煮詰めて習志野が作られたのだとすれば、あまりにも……恐ろしく、悲しい。

 

◯✕△□◯✕△□

 

 忍術学園学園長の庵には、いま、学園長本人と習志野の二人だけだった。屋根裏や床下に教員の誰かがいるということもない――ヘムヘムは例外だが。

 学園長が「話をしないか」と習志野を誘ってのこの場だ。習志野の膝の上には加藤村の馬借が運んだ文がある。

 

「習志野殿は……何を目指しておられる?」

「何を、と言われましても……」

「ああ、漠然とし過ぎるか。……習志野殿はこの世の中を変えたいと思っておいでじゃろう。習志野殿が何を目指し、何をしようと考えておられるのか知りたいと思ってのぉ」

 

 暦は五月――皐月の後半。庵の前に広がる庭は青々としている。

 伝説の忍者と呼ばれる大川平次渦正をして読み切れぬその本意を(ただ)すには向かない晴天だ。

 

 彼女が学園に逗留し始めたのは前年の十一月つまり霜月の下旬なので、既に半年以上学園にいることになる。半年で見えたのは習志野の知識の豊富さ、素直な性格はもちろん、子どもを慈しむ心、教員向きの技術などもある。

 このまま学園に留まりゆっくり「忍たまの友」を絵草紙化しながら平穏に過ごしてくれれば良いと望む教員陣の気持ちなど全く知らないためだろう、傍目には無謀極まりないことを相談一つなくさらっとやらかしてしまう。

 

「何を目指し、何をしようとしている……ですか。そうですねぇ」

 

 習志野は湯呑みの冷まし湯を啜り、一言。

 

「言ってしまえば単純なことですよ。私はね、恩返しと人助けをしたいんです」

「……恩返しと人助けとな」

「はい。私は天才とかじゃあないですが、馬鹿でもないつもりです。勝算があったから、コレです」

 

 先刻受け取ったばかりの文を手に取り顔の横に掲げ、にっこり微笑むその様子には当然ながら悪意も害意もない。

 文を膝の上に戻し目を伏せた習志野はやはり落ち着いてほのぼのして見える。だが、続いた言葉は鋭かった。

 

「はっきり言って……私にとって、帝の血統が北だろうが南だろうがどちらでもいいんですよ。お天道様が東から登ろうが西から登ろうが興味がない」

 

 都から届いた上質な紙を手のひら全体で撫でると、ゆっくり顔を上げた。

 

「でもそこに、恩人が首を突っ込もうとしている。突っ込まざるをえないとも言えますが」

 

 外の鮮やかな光を背に受け、習志野の輪郭と目が輝いて見える。

 

「私が目指すのは天下泰平。したいことは恩を返すこと、大事な人たちを守ること」

 

 文の内容は喜色に満ちており――習志野の上京が決まった。

 

◯✕△□◯✕△□

 

 雑渡昆奈門からの呼び出しを受けた諸泉尊奈門は、何が起きたのかと内心首を傾げながら詰所の中を早足で進む。

 呼び出された先は組頭に振り当てられる部屋ではなく打ち合わせなどに使うための間で、戸を開ければ昆奈門以外に山本陣内、押都長烈ほか各隊の小頭が揃っている。予想外の錚々たる面々に尊奈門はその場で垂直に跳ねた。

 

「た、大変お待たせ致しました……!」

「よい。着け」

 

 指で示された円座の横に胡座をかき頭を下げようとすれば再び「よい」と言われて姿勢を正す。

 

「尊奈門、愛されてるねぇ」

「は」

「習志野殿のことだよ」

「は、はあ。はい」

 

 何故そんなことをこの場で言われるのか分からないと言わんばかりな気の抜けた返事をする尊奈門に、昆奈門は目を細めた。

 

「お前が繋いだ縁だ、聞きたいだろう」

 

 ――(まつりごと)のまの字も知らぬような呆けっとした顔の女を昆奈門が訪ねたのは、もう二年半ほど前のことになる。

 

 尊奈門がドクタケに行く予定日にわざと仕事を回して別方向に向かわせ、昆奈門は忍び装束を脱ぎ腰に刀を佩いて習志野の長屋に向かった。

 

 二人の待ち合わせは昼八つ。尊奈門が気合と根性で待ち合わせに間に合わせるかもしれないため朝四つに「ごめんください」と(おとな)えば、長屋に居た習志野は目を丸くしつつも怯えた様子なく「何方(どちら)様でしょう」と六尺の大男を見あげた。

 包帯で覆っているとは言え目元に火傷の痕が覗く不審人物を自認している昆奈門にとって、この反応は珍しく感じられた。

 

「わたくし、諸泉尊奈門の上司の雑渡昆奈門と申します」

「はあ、尊奈門くんの上司さん――え、ということはもしや尊奈門くんの身に何か!? 尊奈門くんは無事ですか!? 今すぐ見舞いに」

「いえそんなご心配なく。尊奈門は怪我一つありませんから……あのね、年頃の娘さんが男にそんな詰め寄るものじゃないよ」

 

 身内でもここまで心配するだろうかというほどの態度に驚きを禁じ得ない。

 昆奈門にぐいぐいと詰め寄る習志野の背後――土間には、布を巻き付けて編んだ草履が一足と、竹を半分に割っただけの下駄が何足か、そしてつま先から踵まで覆う不思議な履物が一足。習志野は一人暮らしだが、幾人もの孤児の出入りがあることは知っている。

 どこから持ち込まれたものだか。

 

「尊奈門くんに何かあったわけではないんですね?」

 

 ほっと胸を撫でおろし爪先立ちを止めた習志野は昆奈門の鼻先ほどの背丈で、日焼けとは縁遠い白い肌に尖った顎、白い歯をしていることから成人前――十七歳かそこらだろう。

 粗野なところのない柔和な顔立ちとおぼつかない歩き方からして公家の……それも生活に余裕のある家の娘だったのだろうと考えられる。高い身分の娘であれば草履など履いて歩く必要もないからだ。

 

 それがどうしてこんな長屋暮らしをしているのか、いくら調べても出てこない。まるで突然ここに現れたかのように誰もこの女を知らない。

 どうしてあんな絵を描けるのかも誰も知らないのだ。

 

「尊奈門からあなたが描いた絵を頂きまして、今日はそのお礼に」

 

 それだけ探っても出てこない。であればだ。どこにどんな繋がりを持っているかを疑うより、初めから誰とも縁がない(・・)ものと思おう。その方が建設的だろう。変に気を揉むより良い――そう判断しての接触だ。

 腰を折って頭を下げればパッと表情が明るくなる。

 

「ああ! 尊奈門くんが滅茶苦茶憧れている大恩人の!」

「はい、あの下の句がどうしても気になりまして。恥を忍んでこちらまで伺いました次第です」

「恥なんてそんなことないのに――あ、すみませんこんな土間で長々と。どうぞお上がりください」

 

 「一定以上の礼儀」を感じさせる対応で、南北の朝廷に振り回されて家を喪った良家の娘かそこらだろうかと思われた。乳母日傘で育てられた娘にしては肝が据わっているから公家ではあるまい、と予想を微修正。

 何度か会ううちに答えが出た。秋のある日、なんと皮を剥いただけの柿が盛って出されたのだ。

 

「これは……」

「頂いた柿をうっかりそのまま食べちゃったんですけど、王禅寺丸柿だったみたいで。おいしいですよ。あんぽ柿にしなくても食べられるのには助かりますよねぇ」

「王禅寺丸柿? へー、甘いんですか」

「え? はい」

 

 鎌倉のどこだかには「干さずとも甘い」柿がある、という話を、昆奈門はもちろん聞いたことがあった。しかし、実際に食した者――東国の武家だ――が絶賛していたその柿の木がなんとドクタケにあることと、その柿が王禅寺丸柿と呼ばれていることは、初めて知った。

 

「王禅寺ってどこの王禅寺? ぜひ参詣したいね」

「東国ですよ。鎌倉殿が焼かれた時に一緒に焼けたという話なので、あの周辺のはずです」

「へえ……」

 

 東国について知っていることを教えてほしいと昆奈門が「おねが〜い」と手を合わせてやれば、習志野は鎌倉殿が簡単に攻め滅ぼされた原因までもすらすら答えた。

 知りすぎていた。――知りすぎていたが、土地勘はないようだった。

 

「東国の出の武士に育てられた、身分を秘せねばならない娘か」

 

 元の身分を思えば望み薄。現状を考えれば攫うのが一番。

 いつも同じ茶屋で待ち合わせる若い二人を眺めながら、昆奈門はため息を吐いた。二人の行く末は波乱万丈間違いなし、と。

 

 ――その彼女がこのたび、位を授けられることになった。

 青い顔の尊奈門に雑渡昆奈門は優しい口調を心がける。

 

「従八位だそうだ」

 

 握りしめた手の甲を見つめる尊奈門の肩を小頭たちが順にポンと叩き、そのまま部屋を去っていく。

 最後に昆奈門も尊奈門の頭をくしゃくしゃに撫でて……部屋を出る。

 

 廊下を左に曲がったので、嗚咽は聞こえなかった。




どういうことだってばよ劇場

・足利学校
 室町初期の時点ではまだ閉校してません。ちょっと寂れて消えかけただけ()

・中国の呼び方に関する話
 中国には長く「中国」を表す呼び名がありませんでした。唐や清という名前はあくまで王朝の名前であり、王朝という要素を廃して呼ぶための名がなかったのです。その国名がない状態は1900年頃まで続き、現在の「中国」と定められたのは百年ほど前になります。なお、当時の歴史家は自国の名乗るべき国名について「中国なんて名乗ったら厚顔過ぎるかもしれないけれど、他に適切なものはないし、国民としてのプライドを持てるようにしたいよね(意訳)」(梁啓超「中國史敍論」)と書いています。

 かつて日本が使っていた「支那」という呼び名は、始皇帝の治めた秦から「シン」という音が入ってきて、それに字を当てたものです。他にはモロコシとかカラとも呼んでいたのですが……モロコシは「唐土」、カラも「唐」をやまと読みしたものなんですよね。
 なお英語その他のチャイナ、シーナなどの呼び方も秦が源流と言われています。秦の持った影響力の大きさが分かろうものです。よって今回、支那(≒秦)と表記したのは、中国(に建った王朝)の代名詞として使うのに向いているだろう――ということで使用しました。
 他に何かしら適切な表記をご存知の方はどうぞご連絡ください。

 私が調べられる範囲で調べたものなので、間違いがあれば……。というわけで、ご連絡をお待ちしております。
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