誤字脱字報告有難うございます
》みえるさま、滝端 木周さま、薫風満帆さま、りゅうだろうさま、モロ星人さま
習志野の指導が良いからか、それとも五六年生たちにやる気があるからか。七月になる頃には、作文の授業を受ける面々――のうち一年は組みを除く全員、これまでより読みやすい文章を書けるようになっていた。
彼女が夏休みに上京することは既に周知されており、諸泉尊奈門が同行するという。
「私たちの友情に値札は付けられないのだ」で胸を深く射抜かれた尊奈門の姿を見ていた六年生からすれば、京までの道は「焦れったい仲な若い男女の二人旅」。道中でうっかり過ちがあるともしれない。
食満留三郎は拳を握り立ち上がった。彼の脳内では獣と化した助平な顔の諸泉尊奈門と「えーん」と泣きながらのたのた走る十一年は組の良い子・習志野という映像が流れていた。
「習志野先生、我々も京まで同行します! 二人きりは危ないですし、諸泉尊奈門だけでは人手が足りないはずです!」
「留三郎と同じ意見なのは癪だが、年頃の男女二人だけというのは危険です!」
という経緯により、夏休みを潰しまでして京に着いて行くことになったのは食満留三郎と潮江文次郎の二人。許可を出し渋る学園長らを押し切っての同行だった。
正門前まで見送りに出る者は何人もいたが、最後まで離れなかったのはやはりきり丸だ。習志野の袖を摘み大きな目を心細げに揺らす。
習志野はきり丸の頭を手のひら全体で混ぜるように撫でた。
「そんな目をしないで。なるべく早く帰れるように私も頑張るよ、きり丸くんが2年生になる姿を見たいからね」
二条良基に気に入られれば、半年いや一年は拘束される可能性は高い。次の春までに学園へ戻れるかは果たして。
「だって……尊奈門先生がいるとはいえ、ゴンベ先生に旅なんかできんのかなあ。ほんと心配っす……」
「あ、そっち」
きり丸の心配は当然だ。というのも、習志野は荷造りに全く関わっていないのだ――彼女の荷は全てタソガレドキが用意した。
長旅とは無縁に生きてきた習志野が旅荷をまとめられるわけがないというのもあるが、習志野にタソガレドキ産の物品を持たせることによって、何か一つでも二条の目に留まれば良いという狙いだろうと思われる。その中で二条の気に入る物があれば「太閤様のお気に入り」だ、同じ物を求める者はいくらでも出てくる。
よく見れば、諸泉尊奈門の背負う風呂敷までも立派なものと分かる。
また、習志野は草履を履いて歩けるような足ではない――すぐに甲を擦り傷だらけにするうえ歩くのが遅い――のだ、それで旅などできるわけもない。
そういうわけで、習志野は馬上の人となった。習志野に馬を操る技能などあるわけもないため諸泉尊奈門が手綱を引いて歩く。
「行ってらっしゃーい!」
手を振る彼らを何度も振り返りつつ出立する。
忍術学園から京はさして遠い距離ではない。日の出前に出れば当日の昼八つ頃には着く――ただしそれは忍びの速度と体力での話。貧弱な習志野がいることを考えれば、その倍から三倍近くかかるだろう。
そう想定していた留三郎たちだったが、目算は始めからズレた。
「へいへーい尊奈門くん、せっかく京に行くんだからさー、男山八幡宮、寄っていかなーい?」
「男山八幡宮? 八幡宮か……寄ろうか」
「やったね!」
「おい!!」
「良いのかそれで!?」
大声で突っ込みを入れる留三郎たちなど知らぬげに寄り道を決め、諸泉尊奈門は「他にはどこに寄りたい」と更に寄り道を勧めるという暴挙に出た。
――京に着くのに、なんと六日が要った。
◯✕△□◯✕△□
黄昏甚兵衛の親戚の伝手で観勝寺に宿を借りることになった。観勝寺は鴨川を挟んで御所の南東にあり、二条邸へは徒歩で四半刻足らずの距離だ。
習志野一行が京に着いたことは寺の小僧が二条邸まで使いに出てくれている。諸泉尊奈門は見回りに出たばかり。自分たち以外の耳目がないことをサッと確認し、この六日の旅路にモヤつくものを覚えていた潮江文次郎は「疲れたぁ」と床に転がっている習志野へ声を掛ける。
面倒を避けるため習志野も男装となったのだが、そこらの男より背が高いため違和感は少ない。
「習志野先生……なんであんなに寄り道したんです? 真っ直ぐ来れば良かったじゃないですか」
「んー……知りたい?」
「そりゃ、知りたいです」
足を洗う水を汲みに行っていた留三郎が丁度戻り、「何をしている」と言わんばかりに文次郎に睨みを飛ばす。今は黙っとれと顔をしかめれば、付き合いの長い留三郎だ、口を挟まず桶を地面に置いた。
「この旅は、私がただのナナシノゴンベでいられる最後の時間になるからさ」
足を高く上げ振り下ろす勢いで起き上がった習志野の表情はさっぱりとして明るいのに――少し寂しそうにも見える。
「私、本で読んだり話を聞いたりして色々と知識を溜め込んできたけれど……実際にこの両の目で見たものなんて全然ないんだよ」
仁和寺の和尚が参拝できずに終わった八幡宮。坂上田村麿が阿弖流為を処刑したその隣にある一の宮。牽牛と織女の伝説が残る場所も見たいと思っていた。
そう例を挙げたその場所は、四人が寄り道した先だ。
「位を得ることが確定になったら、その時点から動きづらくなるだろうからね。尊奈門くんは私の気持ちを汲んで色々見せてくれようとしたんだ。優しいよね」
――文次郎は深く恥じ入りながらも「はい」と答える他ない。
気づいてしまったのだ。文次郎と留三郎がついてこなければ、習志野と諸泉はもっと気ままに時間を過ごせたのだろう、と。思い返せば、文次郎も留三郎も諸泉を目の敵にして監視し続けていた……あれでは思い出作りをしづらかっただろう。
これが最後の機会だったのに。
足を洗い、さて気楽な格好に着替えるかなと荷をほどいていた時だ。
「習志野殿、習志野殿! 二条の使いの方が!」
転がり込んできたのは二条へ行ったはずの寺の小僧と、見たことのない細身の男。男は公家の下男らしく小綺麗な格好で、小僧に「この方です」と教わるとウンウン大きく頷いた。
「お待ちしておりました、習志野殿。太閤様が今すぐ会おうと仰せです」
その言葉に三人顔を見合わせる。
「今すぐですか? こちらにもつい先刻着いたばかりなのですが……」
「普通は四日かそこらは待たせるものと聞き及んでおりますが」
「普通はそうです。
男は習志野たちが二条邸に行けるか行けないか確認に来たのではなく、「八つ時に来い」という命令を伝えに来ただけらしい。返事も聞かずにひょこひょこと帰ってしまった。
「八つ時だと!? 全く時間がないじゃないか!!」
「上衣だけでも変えよう、多少はマシになる!」
「我々の格好はどうする。習志野先生は私かお前が背負っていくならこのままが良いだろうが……」
気晴らしに会いたいというのは――何か面倒や心配事を抱えているということでは?
不安を抱えつつドタバタと準備しているところに諸泉尊奈門が戻り、話を聞くや顔色をなくして「そんな」と一言呻いた。
「八つ時に二条へ着くにはもう余裕が一刻もない……ナナオ!」
「はーい」
習志野の上衣をぺりっと剥いて新しい上衣をさっと着せる。文次郎らはその手際の良さに目を丸くした。
「会ったばかりの頃を思い出すね。何度も着崩れを直してくれた」
「そうだな」
着いたと思えばドタバタと面会の準備だ。全員焦っていた。
習志野に持たせたあらゆる小物も、衣服も、二条邸への道中なされた貴人と会う際のマナー講座も、全て男の物だった。
「天は我に味方した……って思って良いのかな、これは」
「どうした、ナナオ」
「なんでもないでーす」
そうして、馬は進む。
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諸泉尊奈門の懐には、あまりにも多い……京の滞在中に使い切れないだろうほどの路銀がある。
目を閉じれば、タソガレドキを発つときのことが鮮明に思い出せる。――宋銭の束が入った重い巾着を押し付けるように渡しながら、小頭の山本陣内がぽつりぽつりと声を出した。
「……京への道は危ない。山賊などの賊も多く出るだろう」
「え、は、はい」
尊奈門は潜入や情報収集の得意な黒鷲隊ではないが、同じ忍軍にいれば報告内容が回ってくる。
尊奈門は、そんな話を聞いた覚えがない。
「お前一人なら無事に戻るだろうが、習志野殿を守りながらではお前も危ない。……もし
「は」
「お父上に挨拶していけ」
ずしりと重い路銀が更に重く感じられた。まるで「習志野とともにどこぞへ逃げても良い」と言われているような――いや、
動揺の大きさに視線が定まらず、ぎゅっと目を閉じて、開いた。
「い、いえ、短い旅ですので。挨拶は不要でしょう」
そうは言ったが懐が重い。タソガレドキから忍術学園に向かう足も頭も重かった。胃がひっくり返るような吐き気もあった。……だから、六年生の二人が着いてくると知ってむしろ感謝すら覚えたのだ。
逃げられない理由が向こうからやって来た。食満留三郎と潮江文次郎の二人がいるせいで逃げられなくなったのだ、と自分を慰めることが出来る。
自分のみっともなさを笑えるような余裕はない。
さっさと京へ行って諦めてしまいたい気持ちとタソガレドキに引きこもってしまいたい気持ちが尊奈門の中でせめぎ合っているそんな時、ナナオが「寄り道をしよう」と言い出した。男山八幡宮に行こう、と。
鎌倉にある鶴岡八幡宮は源氏の祖先が男山から勧請して建てたものと聞いた覚えがあった尊奈門は、一瞬迷い、頷いた。他に寄りたい場所があるなら寄ろうとも口にした。
潮江文次郎たちは「何を考えている!」と騒いだが、特に何か考えがあってのことではない。
ただ――ナナオと旅をしたかった。
先ず東に進み、牽牛と織女の伝説の地として複数ある内の一つ星田へ行く。天棚機比売大神を祀る
「お墓があるわけでもないし、いいよ」
一の宮は丘の上にあった。勾配の緩やかな阪を上ったり下りたりしつつの道は長閑で、周囲の湿地は蓮畑になっていた。せっかくだから蓮の花を見ようと近隣の村で一泊、花を眺めて半日過ごした。
男山八幡宮へは、高良神社の前にある参道からだったため馬にまたがらせたまま登り切ることが出来た。
絵を描くナナオの横に腰掛けて同じ景色を見下ろした。傍では潮江文次郎と食満留三郎が口喧嘩していたお陰で騒がしい。
「立派な神社だよね。仁和寺の和尚はこれを見られなくて残念だったろうな」
「ああ……」
「眺めもいいし。あー、でも、そろそろ京かぁ。短い旅だったなぁ」
「うん……」
そして山と山の境を越え――京。
京での宿となる観勝寺の小僧が二条への使いに走っていくのを見送り、慣れない旅で疲れた顔のナナオに尊奈門は「周辺を見回ってくる」と声を掛ける。
「えっ、尊奈門くん休まないの!?」
「ああ。くみ、雑渡様の側近というのは伊達ではないのだ! この程度の旅でへばる私ではない」
「へえええ……すごい、さすが尊奈門くん」
「ふふん。では、行ってくる」
「いってらっしゃーい」
かねてから京の動向を探っている黒鷲隊の一人と茶屋で接触し情報を交換する。団子を包んでもらう間に矢羽音やハンドサインなどを用い、二条の太閤と興福寺の衆徒らの不和がもはや引き返せないほどのものとなっていることなどを知る。
『奈良からの連絡では放氏となるかも、と』
『まさか、藤氏長者だった者を放氏するか?』
『衆徒らの様子からして可能性はある』
面倒な時に来てしまったようだ。受け取った団子を手に立ち上がり、尊奈門は二条の屋敷がある方向――北西――を見やった。
巻き込まれなければ良いのだが。
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地蔵盆のため各所の辻地蔵に干菓子を配り歩いている途中、隼隊が習志野からの文を運んできた。黄昏甚兵衛はそれに馬を止め
文には笑い話として「二条の太閤に男と誤解された」ことが書いてあった。忍術学園から着いてきた忍たま二人が「習志野が女であることを証明する」ため化粧してくれたが、悲しいことに「京で女装が流行っていると誤解した田舎っぺの悲惨な怪物」と嘆かれた、とも。
とはいえ女だと知られたら屋敷に押し込められそうだし、女官として中宮に仕えるのは肩が凝りそうだから嫌だ。これからは男として通すのでよろしく。
そんな赤裸々な文を読み、黄昏甚兵衛は声を上げて笑った。文を持ったまま片手で顔を覆い肩を揺らす姿に「習志野殿からなにかございましたか」とその場の面々――雑渡昆奈門はいない――に尋ねられ鷹揚に頷く。
「これより習志野殿は男だと考えよ。ご機嫌伺いとかなんとか抜かして女物を贈るのは辞めることだな」
「は、それはどういう」
「まあ読め」
あまりにも愉快な文にニヤニヤとした笑いが収まらず、黄昏甚兵衛はゆらゆらと体を前後に揺らし続ける。
「人を動かすのが上手いものだ」
恐ろしい奴めと呟く声は、言葉の内容に反し、いかにも楽しげだった。
◯✕△□◯✕△□
二条の太閤こと藤原良基、放氏。その知らせに雑渡昆奈門は円座から腰を浮かせた。最悪の事態だ。
「尊奈門は」
「知らせました。が……習志野殿は『問題ない』と」
何が「問題ない」というのか。放氏されたというのは一族から追い出されたと言い換えて良いのだ。地位も身分も一族も失った二条の老人と関わりを保って何になる。
「京に行くよ。習志野殿に直接話を聞く――発つ前に殿へその旨お伝えしないとね」
「殿へはいま、黒鷲隊の者が同じ報告をしておりますが……」
「うん。私が発つことを報告にね」
「はっ、申し訳ありません!」
さっと荷をまとめて黄昏甚兵衛の執務室にぬるりと下り立ち、雑渡昆奈門は「殿」と領主の背中に声をかける。
「先ほど別の者が報告しました通り……二条の御大が放氏されたとのこと。京の様子をこの目で見て参ります」
「待て」
「は」
「ワシも行く」
「は……?」
そう言って振り返った黄昏甚兵衛の表情は、雑渡が予想していたより柔らかい。
「この機会だ、習志野殿と会おう」
領主の準備だ、急ぎ準備をしたが――京に来られたのは報告を受けてから三日後。
「習志野殿でしたら、今日も二条様の御屋敷に」
「うむ、そうか」
京に入ってすぐ習志野が二条邸に行っている報告を受けたが、呼ばれてもいない黄昏たちが二条邸に行くなど不可能な話だ。馬を
鷹揚に頷いた黄昏甚兵衛に小僧は目を一度ぱちくりとさせ「タソガレドキの方は皆様心に余裕がおありなんですねぇ」と口にした。
畿内――むろんタソガレドキを含む――は京まで一日あるかないかの距離という近さの地域なのだが、十把一絡げに「京以外の地域」と田舎扱いしているようだ。こんな子どもに田舎者扱いを受けるとは、と雑渡もさすがに眉根を寄せた。
「良い。ワシはここで習志野殿が戻るのを待つ。……見に行け」
そう手を振る黄昏甚兵衛に短く返事をして、雑渡は町民らに埋没するよう服装を改めようと上着に手を掛ける。――雑渡は周囲から頭一つ以上飛び出るほどに上背があり、顔に火傷痕もある。目立たず移動するのは不可能。ならば、どうするか。
包帯を解いて悲惨な火傷痕を晒せば、赤黒く荒れ果てた荒野のような禿頭。あちこち擦り切れた
「上手いものよ」
「ありがたき幸せ」
この町には坊主なら掃いて捨てるほどいる。辻裏からぬっと表へ出た雑渡を誰も気にする素振りはなく、雑渡は四半刻の距離を悠々歩いた。
二条邸に入り、ぬるりと床下へ潜り込んだ。潜んでいたタソガレドキの忍びが雑渡に気づいて矢羽音を飛ばしてくる。いまは詳しく話す必要がないため互いに端的にだ。
『問題?』
『否。問う、絵師殿、如何』
『釣殿、池。円満、御大絶賛』
『承知』
習志野と二条は釣殿にいる。池の水に浸かることになりそうだ――まだ夏場のため寒さの心配はないが、音と波を隠すのが少し手間といったところか。
池に半身を漬けつつ耳をそばだてたところ、二条良基は習志野に食事を摂って帰るよう勧めたところのようだった。
「その上に青柚子の皮を擦って散らすのだが、それは上皇様から頂いた柚子でな……。まことに芳しき柚子なのだ」
「ははあ、上皇様から頂いたのですか。流石はおじ上。でしたら水尾の柚子でしょうか」
「ふふ……さてはて」
「おじ上」とは。
「気になるではありませんか」
「気になるならその鼻で確かめてみれば良かろう」
「むむ……」
随分と砕けた様子の会話に困惑が深まる。まるで習志野は藤氏の一族ではないか。同じ藤原を名乗る連中でもいがみ合い対立するというのに、藤原を名乗らぬ習志野が――それも実は女の身という者が――こんな短期間で元関白の懐に入り込むとは。
四人が観勝寺に戻ろうと屋敷を出たところに「こんにちは」と顔を見せれば、習志野は「雑渡さん! お久しぶりです! 京にいらしたんですね!」と嬉しそうに飛び跳ねた。忍たま二人がその後ろで顔をしかめているが今はそれをからかう気が起きないし、尊奈門が青ざめているのを突く気も起きない。
「うん、殿とね。二条の太閤様が放氏されたって習志野殿は文をくれたでしょ? でも『問題ない』っていうから気になっちゃって……殿も私もいてもたってもいられずこっちに来たんだよ」
「ああ……心配かけてしまってすみません。でも本当に大丈夫なんですよ。二条様はこんなところで潰れる人ではないので!」
二条良基という人物をよく知っていると言わんばかりの言葉。
「すぐに解決しますよ、きっとね」
ところで、明日も行くことになってるんですが、世話になっている方として皆さんを二条様に紹介したいです。一緒にいかがですか。
そう気楽に話す習志野に、雑渡はただ、「そうだねぇ、殿はどうおっしゃるかな」とだけ答えた。
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諸泉尊奈門はいま、敬愛する組頭にギチギチと締め上げられていた。
「それで、どういうことかな」
「ナ、ナナオが……『もしもの友は真の友だから』と言いまして……ここは引かず逆に踏み込むと……! 止めたのですが頑として聞かず、今ではあのように……!」
見れば分かる通り、あれではまるで祖父と孫。共倒れするつもりかと繰り返し叱りつけたが梨の礫で、「大丈夫大丈夫」と言うばかりなのだ。
尊奈門の必死の訴えが通じたらしい、雑渡昆奈門はため息を吐きながら手の力を緩めた。
「私からも話をしてみよう。――戻るよ」
尊奈門と昆奈門の二人が甚兵衛らのいる間に戻ったとき、襖の向こうからナナオの落ち着いた声が聞こえた。
「ですが――甚兵衛さん。征夷大将軍を討つのはもはや難しい……。二代目が早世したからというのもありますが、もう今の将軍で三代目です。足利家は『征夷大将軍家』という権威を持ってしまいました」
足が止まる。耳を澄ます。
「武で討てぬならばどうする」
「より強い権威をぶつけます」
より強い権威とは。
「皇族から一人引っ張ってきましょう。仮名ですが『征隼人大将軍』として担ぎあげることで天下の武を二つに分けるんです。蜀の孔明は天下三分の計をあげましたが、支那に比べて
「三分の計は三つ巴による相互監視が肝の一つであったろう。二つでは互いに潰し合うだけではないか」
「いいえ」
襖の向こうにピンと背筋を伸ばすナナオの姿が見えた気がして、尊奈門はパチパチと瞬きする。
「権威は弱いが武のある足利、武は弱いが権威のある皇族将軍。片方がもう片方を潰せる大義名分なくば……逆賊ですから」
「ほお。で……ワシは何をすると?」
「甚兵衛さんには、征隼人大将軍の執権になっていただきます」
瞬間、爆発のような笑い声があがる。尊奈門は腰が抜けてへなへなと廊下に座り込み、昆奈門は――まるで木偶の坊だ。立ち尽くしている。
「面白い話だがな、ワシが執権? ハハハ! この寺へ来たときも田舎者と言われたワシがか!?」
「北条も東国の田舎っぺでした」
ストンと落ちて転がる沈黙。それをナナオが言うのか、と。
「京の公家たちも足利を歓迎している者ばかりではありません。できないことはない」
「――で?」
「二条様の立場はいま宙に浮いていらっしゃる。他が引いている間にタソガレドキという存在をそこへ押し込みます」
昆奈門に腕を掴まれ、引っ張り上げて立たされた。そして昆奈門は襖の向こうを指差す。
『あの子があそこまでしてる理由、分かるよね』
はくはくと口を開け閉めする尊奈門に悲しげな目を向けて、矢羽音は続く。
『あの子もお前も情が深いばかりに……』
そう。雁字搦めだ。
◯✕△□◯✕△□
京都滞在中は二条邸に毎日のように行ったけど、もちろん他の観光名所にも行った。北野社とか。見られるうちに見ないとね。二条のおじさんのツテで放生会にも参加できた。絵描きが捗りますわー!
「これから京には嵐が吹き荒れるものと思いますが……何卒お気をつけて!」
二条のおじさんにそう挨拶して京を発ったのは八月二十三日。なんでか疲れ切った顔の文次郎くんと留三郎くん、疲れていてもピンと背筋の伸びた尊奈門くんそして貧弱者の私の四人はゆっくり二日かけて忍術学園に戻った。
五日もあれば旅の疲れも忘れられるだろう。いい頃に帰れたんじゃないかな。
とはいえだ。まだしばらく京に滞在するという甚兵衛さんには「早めに帰った方が良いですよ」と声を掛けたけれど、私の思っていた以上に仲良くなっちゃったんだもんなぁ。いいのかなぁ領地放っておいて……でも二条のおじさんも甚兵衛さんがいると心強いだろうから簡単には帰らせないか。
――武家がいると心強いというのは、この時代の寺社勢力が強いため。寺社は税を免除されていたうえ座などからの運上金もあり、それらの財産を守るため生まれたのが所謂「悪僧」。寺の専業ガードマンな彼ら……悪僧たちが「たくさん食べてたくさん鍛えて」剛健なのは当然の帰結と言える。
ちなみに藤原氏の氏寺である興福寺の悪僧連中――奈良法師――も有名で、現在進行形で春日大社の御神木を京に担ぎこみ「直訴!」って大騒ぎしている。二条さんはこの連中から突き上げを長期間食らわされたうえ放氏されたのだ。うーんやばい。
専業といえば、忍術学園の人たちから、タソガレドキには百人を超える忍者を抱えた「タソガレドキ忍軍」という組織があると聞いている。兼業だろうと思いきや専業の忍者が多いという。その話を初めて聞いた時には耳を疑った。
なんせ、百人の忍者それぞれに家族が三人いるとして、四百人。タソガレドキはこの四百人を非生産的な「専業」の忍者として抱えられる給料を出している。それだけの懐の余裕がある……ということになる。
はっきり言おう、ワクワクすると。専業の忍者が百人もいるなんて凄い。間違いなく強い。時代を先取りしすぎている気もする。
だからさ、尊奈門くん――
一番血の流れない方法で、君の御殿様をてっぺん近くに引っ張り上げるよ。
後世のWikiより引用
習志野良時(ならしの よしとき/ながとき/らとき)は、南北朝時代の軍略家、政治家、国語学者、絵師、散文作家、思想家、医師である。従五位上。習志野家初代当主、習志野派の祖。
習志野良時
時代 南北朝時代―【……】時代初期
生誕 不詳
死没 永享元年9月15日(ユリウス暦1429年10月13日)
墓所 金楽寺(タソガレドキ市キノコ町)、記念碑(タソガレドキ市ドクタケ町)〜以下略〜
官位 従八位下、神祇院小史〜中略〜贈従五位上〜以下略〜
氏族 不詳
妻 尊子(諸泉尊奈門)
子 きり丸
【生涯】
生年、生誕地不詳。二条良基、良時の仕えた黄昏甚兵衛らの手記によれば、北条氏得宗家もしくは極めて得宗家に近い分家の流れを汲むとされる。しかし同時期に黄昏甚兵衛に仕えていた雑渡昆奈門、山本陣内らによる「朔月記」には後醍醐天皇または後村上天皇の孫または子と書かれており、当時の情勢を鑑みると後者であった可能性は否定できない。また、どちらでもあった、とする説をとる学者もいる。
応安4年/建徳2年(1371年)の暮れまたは応安5年の初春の頃、絵師として初めての作品「あさきゆめみし 若紫」を発表する。これは源氏物語第三帖を絵草紙に描き起こしたものであり、後に良時本人による改稿が行われている。現在伝わるものは改稿版のみである。「あさきゆめみし 若紫」に続いて「源平合戦 屋島の合戦」を発表し、かねてから付き合いのあった諸泉尊奈門の依頼で「人城図」を製作した。なお全二十巻あったとされる「ドクタケ忍者隊」は【……】の乱の際にほとんどが焼失。
「朔月記」によれば当時の良時はドクタケ領で長屋暮らしをしており、孤児に食事と学問を与える私塾を開き身なりを整えさせたうえで商家などでの仕事を斡旋していたという。後の習志野派二代目である習志野きり丸はこの時に世話をした孤児の一人であったとも、実子であったとも言われている。
12月、黄昏甚兵衛との文通を開始し、すぐに打ち解け胸襟を開く仲となった。翌年の2月には黄昏甚兵衛に三代目足利将軍・義満打倒の方策を書いて送っている。良時と甚兵衛のやりとりは密であり、二人のやり取りのため忍者がタソガレドキ領とドクタケ領を往復していたという説を展開する学者もいる。
同年3月、二条良基に「あさきゆめみし」の桐壺から夕顔までの三巻と手紙を送る。7月、京へ上り二条良基と対面。12月に再び上京した際に二条良基の下で元服、習志野良時となる。この元服名は良基から「良」の字を与えられたとする説と、皇族の「良」の字(例:
実績は以下項目ごとに書くため今項目では省略する。
〜中略〜
・絵師として
〜中略〜
・軍略家および政治家として
〜中略〜
……鎮西大将軍として、僧籍に入っていた後光厳天皇の第五皇子、永助法親王が還俗となった。永助法親王は源姓を与えられて源永人(みなもとのながと)を名乗り、鎮西大将軍に就く際に二条良基の孫にあたる【……】を正妻として婚姻。また、甚兵衛の娘【……】を良基の養子に入れ側室とした。これは畿内で群を抜いていたタソガレドキの戦力を鎮西大将軍麾下に置くことにより足利征夷大将軍に対抗させようとするものであった。
〜中略〜
永人と黄昏甚兵衛の娘【……】との間には
この経緯から、永長と同母弟・黄昏慶次の教育係には良時が就いており、後の永長らの思想・政策に多大な影響を与えたとされる。
〜中略〜
・教育者として
〜中略〜
・国語学者として
「てにをは」「主語・述語」その他の文法を一代で作り上げて明文化したとされている。一人が一代で完成させられる質のものではないと主張する習志野良時複数人説もあるが、現存する文献その他資料からは一人で成されたものとするのが定説である。
当時は作文の基礎学習とその他知識の学習を兼ねていた往来物(貴嶺問答ほか)が主たる教材として用いられていたが、良時は「いつ」「どこで」「誰が」「どうした」を基礎とする作文練習法を創出し「作文手順」を記した。これにより漢文に比した和文という概念の対立が国内知識層に生じ、和作文が流行るとともに、漢文を和文に直すべきと主張する【……】派が台頭した。
時制や語順を明確にできない漢文が用いられ続けてきた行政文書が全て和文に変更されたのは、「作文手順」から十六年後の1395年のことである。
〜中略〜
・散文作家として
〜中略〜
【近年の研究により明らかになったこと】
1999年、黄昏家で見つかった新たな文書により、良時が女であったことが判明した。見つかったのは1373年7月に京にあった良時から黄昏甚兵衛へ向けられた手紙で、「男だと誤解を受け、訂正すると角が立ちそうなのと面白そうなのでそのままにした」「女の格好もしたのに女だと気づいてもらえなかった」という記述があった。発見当初は後世の創作と思われたが、二条良基が「悪夢のような女装の連中」と書いていた日記など複数資料との整合性が高く、手紙が本物であることが判明した。
この事実は国内外の各界を大きく揺るがした。当時、良時を題材にした新聞小説・よろずのこと(出版時に「良時伝」と改題)を連載中だった喜多方賢二郎は後に「あの時は連載で尊子とじれったい恋愛をしていたところだったから、こんなのどうしろと言うんだと思った。多少の新事実は飲み込めるつもりだったが、性別だ。もはやどうにもならない。私にとっての恐怖の大王はまさにこのニュースだった」と述べている。
また、この発見により、良時の日記「日々
〜中略〜
【逸話】
・嘉慶5年(西暦1388年)、取材旅行と称して元服前の永長と慶次を連れて明石に行き「海苔を養殖せよ。なぜ私がそう命じるのか理由が知りたいか? 明石は海苔と蛸だからだ」なる主張を繰り返したという。
明石海苔の老舗・兵庫第三良時屋の名は習志野良時のこの逸話による。なお、元々「良時屋」の名は別の店(現・良丸海苔)が掲げていたのだが、語感や関西弁での意味(よしとき=やめておけ)が商売には向かないとして昭和後期に改名。それを知った当時の兵庫第三屋五代目・由良三太郎が「要らないならうちが貰う」と名乗るようになった。後に良丸屋が屋号の返還を求めたが「誰が返すか。吐いた唾は戻らんのや、ペッ!」と由良が吐き捨て裁判になったことは有名。詳細は良時屋屋号返還請求事件(大阪高裁昭59.4.1)。
・紀州旅行の際、現在の串本町付近で「紀州は蜜柑に向いている」と発言している。当時の蜜柑と言えば八代郡高田村(現・八代市)と
良時の話に永長が興味を持ち、八代から紀州へ運ばせた苗が本州最古の蜜柑の木(重要文化財・大将軍みかん古木)である。この木に生った小みかんを食べた良時は涙を流し喜んだという。
・梅を好み、屋敷には何種類もの梅の木を植えていた。それに対し桜は嫌っており、「桜は待ちもせず諦めるから好きではない」と書き残している。
これは菅原道真を大宰府まで追った飛梅と、道真を恋しがって枯れた桜の逸話によるものと考えられている。
現在【……】神社境内に梅が植えられているのはこのためである。
〜後略〜
【報道時の◯ちゃん】
891人目の習志野権兵衛
尊子と京であれしたこれしたって話なかったっけ?
女同士だったのなら何にも悪くなくないか
893人目の習志野権兵衛
ほんまや、どっちも女ならただ遊びに行っただけってことやろ
899人目の習志野権兵衛
習志野のことを仕事の能力面ではベタ褒めしてた二条良基にすら「歩くのが遅い」とか「馬にも乗れぬ貧弱者」とか「もう少し鍛えろ」って嘆かれてたけど当時の公家の女だったなら仕方ないような気がしてきた
906人目の習志野権兵衛
当時のタソガレドキで「尊」って付く名前の奴一人だけ知ってるんやけど
諸泉尊奈門ってやつ。習志野の最初のパトロン
偶然やろか
912人目の習志野権兵衛
>906すごい偶然やなぁ……そんな名前被りがあるなんてなぁ……
ほんまに偶然か…?
919人目の習志野権兵衛
怒られたってことはつまり男装女と女装男のデートの可能性でてきたんでは
925人目の習志野権兵衛
うちに講談◯学術文庫版あるから読み直すわ
楽しくなってまいりました、これだから歴史好きなんだよな
928人目の習志野権兵衛
図書館行くか
みんなで読もうぜ
932人目の習志野権兵衛
むさい男連中で一冊の本囲んで読むのはちょっと遠慮したい
933人目の習志野権兵衛
ここまででデートの該当箇所書き込んでくれる奴が一人もおらへんの、なんでなん?
936人目の習志野権兵衛
誰が一冊をみんなで囲むオフ会すると言った
それぞれで読みに行けよ暑苦しい
937人目の習志野権兵衛
高校の古典の教科書残してて良かったわ
うーん長い
青空文庫行け。あっただろ確か
938人目の習志野権兵衛
誰か古文堪能なひと現代語訳にして
939人目の習志野権兵衛
おまえらはよ借りに行くとかして動かんとジジイどもに殲滅されるで
ジジイどもはフットワーク軽いからな、近隣の図書館から朔月記消えるで
いまを逃したら半年いや少なくとも一年は借りられんと思え
942人目の習志野権兵衛
歴史がひっくり返るなこいつは
これが事実だとすれば日本初の女軍師兼医師兼漫画家兼散文体を完成させた天才兼……世界でも類を見ないのでは?
まあ男でも女でも他に類を見ないが
真似できるわけないだろあんな北条の最期っ屁(130dB)
947人目の習志野権兵衛
時の将軍に「東夷倒しに行けよバーカ」と辛辣なことを書いたり黄昏甚兵衛に「お前が執権な!」と押し通したりするのが女――あ、北条政子の血統、ははあ納得した
950人目の習志野権兵衛
南北女体恋雲録では黄昏甚兵衛から稗田八方斎まで女体化させてたけどアレがこれからの「事実」になるわけか…
951人目の習志野権兵衛
女同士でこのイチャこき具合とかあるか???デロ甘やぞ
習志野と尊子くんは女同士ということでいいと思いますがよろしいか!!!???
958人目の習志野権兵衛
ゲームと言えば女向けの恋シミュに黄昏の面々と恋愛するやつなかった?
主要攻略対象に習志野がいただろたしか
つまり恋シミュ買えば習志野の百合ルートをプレイした気分が味わえるのでは
960人目の習志野権兵衛
多少単語が古い程度の古文を「現代語訳してよぉ」とか甘えたことを抜かすな
徒然草から数十年も過ぎてない時代に書かれたはずなのに読みやすさが段違いなんだぞ、朔月記くらい自力で読め
964人目の習志野権兵衛
百合ゲーとしても遊べるのかもしれんが、だとすると「攻略対象キャラでもある尊奈門の女装かもしれない」尊子がゲーム主人公と習志野の間を阻む、というキツいストーリーになるかもということを忘れるな
967人目の習志野権兵衛
何ですのその悪夢は
979人目の習志野権兵衛
>950あのゲームに登場する人物で本当に女だったのは習志野だけだね
あとはみんな男だから安心して欲しい
「習志野良時」の伝記を読んだけれど、あれこれいっぱい勘違いされていて笑っている
明治になってから神社を建てられたのも面白すぎる。近いうちに参詣しよ
982人目の習志野権兵衛
南北朝を終わらせた天才戦略家で医者で作文や文法の規則その他を一代でほぼ無からまとめた鬼才で漫画家の始祖で篤志家で性格が良くて女たらしでなのに愛人もとい恋人は一人しかいないうえ実子がおらず養子を迎えた過去不詳の蜂蜜教師――という捏造しがいがある存在だったばっかりにあっちでは主人公こっちでは欠かせない脇役と使い倒されてきた結果がこれとはな
学者もだけど作家とかも転がりまわってんじゃないか?
ほら、今は喜多方ゴホンゴホンが◯売新聞で…
可哀想に
989人目の習志野権兵衛
>979あの茶屋で待っている
【すこしふしぎな話】
墓場まで隠しておかなければならないような秘密や、人に言って回るようなものではない私的なことなどを、わざわざ書いて残すだろうか?
凄い学者さんが長年研究して「歴史はこうだ」という答えを出したとしても、それが本当にそうだったのかは分からない。
なんせ歴史とは、有史とは、「かかれて」紡がれるもの。「かかれ」なければ知りようがないのだから。
以下、どういうことだってばよ劇場
(ちょっと順不同気味)
・放氏ってなぁに
「お前なんか檀家じゃねーよ、ばーか」と寺に言われ追放されること。なお、放氏されると身分を喪う。
高校で世界史を選択した人に分かりやすく言えばカノッサの屈辱。
・地蔵盆?
近畿圏を中心に行われる行事。地蔵会とも。現在では8月24日前後(旧暦7月24日)に子どもが地域の辻地蔵に集合し、みんなでお経を唱えて帰りにお菓子をもらうものになっている。
日本版ハロウィンかな、と思うかもしれないが日本版ハロウィンは別にあるよ。
・永助って、誰……?
正しくは永助法親王(えいじょほっしんのう)。1373年に仁和寺の門跡を継いでおり、このシリーズでは1年足らずで還俗したことになる。
「少しのことにも、先達はあらまほしきことな」る仁和寺の僧であったので採用した。年齢も丁度よかった。
名前を永人にしたのは隼人征伐の際に征隼人時節大将軍となった大伴rb:旅人 > たびとから。子どもの名前は(私が勝手に黄昏甚兵衛のモデルだと思っている)三好長慶の名前をそれらしく分割して字を変えたりした。
・簌簌とは?
サラサラ、ザワザワといった木々のざわめきや、ぽろぽろと涙の落ちるさま、ブルブル体が震えることを言う。
・なんでゴンベはこんなに尊奈門に執着してるの?
現代から持ち込んだもの(身につけていたもの)をどんどん処分せざるを得なくなっていくなかで、唯一手を差し伸べ心を砕いていてくれ続けた相手だから。愛じゃよハリー、愛じゃ……。
なお、ゴンベと初めて会ったときの雑渡視点などではヒョコヒョコ出ていた「現代」の物品の描写だが、忍術学園サイド(トリップから二年半後)では全く出ていない。(はず。うっかりあったら教えてください)
・白い歯
年ごろの娘なのにお歯黒をしていないから若く見られた――というのもある。
が、何より一番は歯が白すぎたこと。歯医者で定期検診のたびに歯石を取ってもらいホワイトニングしてもらい、普段使う歯磨き粉もホワイトニング効果のあるもの。歯は年齢と共に黄ばんでいくものなのにゴンベの歯が輝く白さだったため「うーん、未成年かな?」と誤解された。
・歩くのが遅い
健脚な室町人と比べれば現代人は皆遅いし、草鞋で走るなんて芸当も練習せねば無理。ゴンベは草鞋で走れない。
で、公家の女性も走れない。走ることに慣れていないので、走ったりしたら心臓がびっくりして発作を起こす可能性がある。
・古来から呪いとは気の持ちよう
呪いというものは「お前を呪っている誰かがいるぞ」という心理的外圧という面を持っている。
SNSで見知らぬ他人から罵倒されるのも「呪い」。「呪われる」と体調不良になります。
・きり丸が二年生になる前には戻ります!
秋入学だと誤解している中での発言。さっと行ってさっと帰ってこられる確信があった。
・男山八幡宮
ちなみに源義家は男山八幡宮(現・石清水八幡宮)で元服したから「八幡太郎」と言う。
・「本で読んだり話で聞いたりしたが、知識ばかり先行して、実はこの目で見たものは少ない」(意訳)
周囲「隠して育てられたんだ(確信)!」
・「太閤様の気晴らし」
藤原の氏寺である興福寺の僧たちと揉め、二条良基は1373年の8月6日に放氏となった(後に続氏されて身分その他が回復した)。
趣味友(みたいな)ゴンベが来たのは、後に詳細を語るが、その約二週間前である7月20日あたり。寺と揉めて気疲れしていただろうから「推し事(有職故実)の話をしたい! ゴンベはよ来い!」と言っても不思議ではない。
・観勝寺 どこ
現在の安井金比羅。のちに縁切りと縁結びで有名になります。
・男物の格好
尊奈門はわざと。二条が性別を勘違いしていることも知っていた。
・機物神社、一の宮、観勝寺
織姫彦星(愛しあう二人が引き離される)、一の宮(坂上田村麿は庇ったが阿弖流為は処刑された)、観勝寺(縁切りと縁結び)。「二人」の仲に関する由縁や逸話のあるところ。
・淀川の水がドッドと音を立てて逆流
満潮による海嘯(潮津波)。満月と新月の頃は満ち引きの差が大きく、淀川は高低差が少ないこともあり感潮による海嘯が起きやすかった。古い地図を見れば「これだけ海に近ければ、そりゃそう」と納得すること間違いなし。よって「夏休みを利用し京へ出発した」というのは7月15日前後の日付を言う。よって京に到着したのは20日頃。
なお、昭和後期でも満潮時に淀川の水はかなりの距離まで感潮していた(寝屋川市の近隣住民はその音を聞いていた)が、堤防や遊水地などの整備により、現在では周辺に暮らしていてもその観測が困難になっている。
ついでに蓮畑というのは現在の枚方市樟葉近辺。
・川沿いを河口に向かってしばらく行けば楠正行討死の地
四條畷の戦い。該当地域の旧地名はrb:讃良 > さんらで、近隣には大将軍社もある(現在は忍陵神社に合祀)ため目印がないわけではないが、ゴンベはそこまで詳しく調べていないため知らない。結局南朝が滅びて楠正行は墓を作ってもらえず(逆賊という扱いだったため)、地元の人々が慰霊のために「この辺」にクスノキを植えた。
・高良神社前からの参道
石清水八幡宮の表参道の緩やかな階段は、馬が上りやすいように作られている。――と、以前参拝した時に地元の人っぽいおじいさんが教えてくれた。
でも途中から表参道に合流する別ルートには下馬札があるんだよな……本当なのかな……。まあ、昔は神馬がいたし、馬に乗ったまま上まで登れることは確実。
・悪夢みたいな女装の連中
始めからゴンベに女の格好をさせる気がなかった尊奈門が化粧道具を持っているわけもない。女装不合格の文次郎と留三郎による気合の入った化粧姿な三人の悪夢が京の大通りを歩き二条邸に行った。
尊奈門は一応止めた。
・地蔵盆(2度目)
旧暦7月24日。この日の昼間に黄昏甚兵衛が手紙を受け取るためには、黒鷲隊は23日の昼過ぎから夕方には京を発たねばならない(本編内でも早朝に出れば当日の昼過ぎに着くと書いた)。そして「男だと誤解された」「化粧したが怪物と言われた」というのは、ゴンベが京に着いてからたった数日(20日頃〜23日の昼)の間に何度か二条良基の屋敷に呼ばれていることを意味する。
よってこの文面を読み解けば「二条良基に無事気に入られました」「これから対外的に男として振る舞うのでタソガレドキ側での周知徹底をよろしく」「証拠を残さないようにね」となる。
・雑渡が扮した坊さん
食い詰め武士が剃髪したというていの坊さんなので曹洞宗。禅宗の一派で、修行の一つに托鉢がある。また、別派の禅宗だが臨済宗の僧侶・大燈国師rb:宗峰妙超 > しゅうほうみょうちょうは兵庫県の播磨出身。悟りを得た後の修行として二十年間乞食に混じって生活した。大徳寺を開山。
一休さんは大徳寺派。これは私見だが、金があって生活に余裕がある者ほど「厳しい修行」に夢を見ている気がする。
・水尾の柚子
水尾に花園天皇が種を植えた実生の柚子。なお花園天皇は持明院統(のちの北朝)。後醍醐天皇は大覚寺統(南朝)。
・見られるうちに見に行く北野社
北野社こと北野天満宮は1444年に起きた文安の麹騒動で周辺一帯みんな焼けた。磯野ーっ、焼ける前に見に行こうぜ!
・京に吹く嵐
1373年の9月は京都を大規模台風が襲っている。黄昏甚兵衛は京都から帰れず、二条良基の世話になっていることもあって町の復興に金と資材を出さざるをえない。
それが「黄昏甚兵衛は心映えの素晴らしい大人物」と世間から評価される始まりであり、娘を二条の養子にして将軍に輿入れさせることを周囲に認めさせる一因になった――なんてね、考えたら楽しくなってくるよね。
・悪僧
僧兵のこと。興福寺の僧兵は奈良法師と呼ばれた。
・タソガレドキ忍軍が専業?
軍師映画のなかで、稲刈りの時期に、人探しのためにあの人数が出ている。小頭や組頭まで出動している。本拠地たるタソガレドキを守るために一定の人員と戦力を残しているはずと考えれば、兼業農家は無理ということで専業だと考えられる。
・黄昏の血統が将軍職を継いだのって……
この番組はタソガレドキ忍軍の提供でお送りいたしました……と読んでもいいし、「やっぱ血が濃いからかな」と読んでもいい。お好みでどうぞ。
なおタソガレ兄弟には「現代医療を触りだけでも知っている」ゴンベと、勉強熱心な元保健委員がついていた。
・尊子くんが遊女?
当時「君」付けされるのは遊女。豊臣秀吉の妻・淀殿が「淀君」とも呼ばれているのは徳川幕府による悪評。
・みかん
室町時代、本州に蜜柑があった……と示す歴史的資料がない。秀吉が九州遠征時に高田みかんを食べて絶賛したという話が残っているので、戦国時代にも本州にはなかったものと思われる。なお秀吉が食べたのも小みかんであって、温州みかんではない。
参考文献(敬称略)
・もうタイトルも覚えてない本がたくさん
・岡田英弘「漢字とは何か 日本とモンゴルから見る」
・斎藤希史「漢文脈の近代 清末=明治の文学圏」
・竹下大学「日本の果物はすごい」