Fate/Reprise 〜円環迷宮聖杯戦争〜 作:シン・丸
カタカタ……カタカタ……
無機質なキーボードの音が静かなオフィスに響く。
ここはアイヴェール・ニュー市内にある企業のフランス支部。オフィス内はシンプルなレイアウトで統一され、机には最低限の物しか置かれていない。まるで整理整頓が義務化されたかのような整然とした空間だ。
原田元次は、デスクに向かいながら無感情にタイピングを続けていた。
「…………」
時刻は午前十時。今日は特に忙しくもない。ただ決められた仕事を淡々とこなし、上司や同僚との無駄な会話を避け、必要最低限の業務報告だけをこなしていく。
それが彼の日常だった。
このフランス支部に出向してから、すでに二年が経つ。仕事そのものは退屈ではない。むしろ、自分の裁量で進められる分、以前よりは快適に感じていた。休みの日も特にやることはなく、近所のスーパーで買い物をするか、部屋に篭って本を読むくらい。友人もいないし、同僚との付き合いも最小限。そういった関係を築く気すら起きなかった。
「――原田」
背後から声をかけられ、元次はタイピングの手を止める。振り返ると、そこには上司のラルフが立っていた。
「はい」
「この前のデータ整理、もう終わっているか?」
「ええ、昨日のうちに送っています」
そう答えながら、元次は淡々とメールの履歴を開き、送信済みであることを確認させる。ラルフは軽く頷き、
「……お前は相変わらず仕事が速いな」
と、半ば感心したように言った。
「効率がいいだけです」
それ以上、話を続ける気はないという態度を示すように、元次はまたキーボードを叩き始めた。ラルフは苦笑しながらも、それ以上は何も言わずに去っていった。
(……相変わらず、か)
元次はぼんやりと思う。
確かに、彼は昔から効率を最優先する性格だった。仕事に余計な感情を持ち込まず、決められたタスクを最短で終わらせる。それが当然のことだったし、それ以外の生き方を知らなかった。
しかし――
(……今の私は、本当に"相変わらず"なのか?)
ふと、三日前の出来事が頭をよぎる。
サーヴァント、アーチャーの召喚。
静かだった彼の日常は、あの瞬間から一変した。
彼は今、静かなオフィスで一人キーボードを叩いている。
だが、その静けさでさえどこか嘘のように感じられた。
彼の脳には、あの赤い目をしたサーヴァントの言葉が焼き付いていた。
聖杯戦争、サーヴァント、マスター、宝具。
どれもこれも、彼にとっては馴染みのない言葉ばかりだった。しかし、その単語の一つ一つが意味するところを考える度に、彼は自分の日常が崩れていくような感覚を抱いた。
まるで世界が丸ごと入れ替わったかのようにさえ思えるのだ。
やがて別のメールを送信し終えると、彼は椅子にもたれかかり大きく息をついた。
本当に、聖杯戦争などというものが実在するのだろうか? そんな考えが彼の脳裏をよぎる。
いや、そもそも自分が巻き込まれたこと自体に現実味がなかった。普通のサラリーマンである自分が殺し合いに巻き込まれるなど、誰が考えるだろうか。
しかし、あのサーヴァントの言葉を思い出すたびに、その疑念は少しずつ薄れていった。
そして同時に、自分が今まで見てきた世界がまるで別世界のように感じられるようになったのだ。
自分は今まで何をしていたのだろう? そんな疑問さえ浮かんでくる始末だった。
(……これから、どうなるんだろう)
彼はぼんやりと窓の外を眺めながら思った。
もう彼の中では日常に対する執着が薄れつつあったのかもしれない。
ーーーーー
仕事が終わり、帰宅する。
変わらない日常のはずなのに、自宅のドアを開ける瞬間、元次は僅かに息を詰める。
「戻ったぞ」
リビングに入ると、そこには彼がいた。
白い服を纏い、無造作にソファに座っている。目を閉じ、何か考え込むような姿勢を取っていたが、元次の気配を察すると静かに目を開けた。
「……帰ったか」
「ああ」
元次はコートを脱ぎ、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。それを開け、一口飲むと、アーチャーが呆れたように言った。
「毎日飲むのか? そんなもの」
「……私の勝手だろ」
つい、素っ気なく返してしまう。だが、アーチャーは特に気にした様子もなく、また目を閉じた。
元次は視線を彼に向ける。
三日前に突如として現れた、狙撃手。私に姿を見せない形で、護衛の任についているとのことだったが、彼は無駄なことを語らず、常に冷静で、必要以上に自分を見せようとしない。まるで"何も期待しない"ことを前提にしているかのように。
それは、元次にとって居心地の悪いものではなかった。
むしろ、妙に馴染んでいる気すらする。
「……聖杯戦争については、理解が追いついたか?」
ふとアーチャーは私に尋ねる、ただ私は、ゆっくりと首を振った。
「いや、まだだ。…戦い、最後の一組には願いを叶える聖杯が与えられる。それは、理解しているがいきなり殺し合えと言われてもな。……別に、私は好き好んで争いたいわけじゃないからな」
私は、アーチャーの言葉にそう答えた。
聖杯戦争。
それは、魔術師たちの間で行われる儀式であり、あらゆる願いを叶えるという「万能の願望器」を巡って七組のマスターとサーヴァントが戦いを繰り広げるというものだ。
その話を聞いた時、正直言って半信半疑だったし、今もまだ現実感がないというのが本音だ。しかし、実際に目の前でサーヴァントを召喚してしまった以上、信じざるを得ない。
「……そうか」
私の返答を聞き、アーチャーは呟いた。特に落胆した様子も見せず、ただ淡々と言葉を続ける。
「だが、争いとは、時として"望まなくても"訪れるものだ」
その言葉に、元次は僅かに目を細める。
(……経験者の言い方だな)
彼の言葉には、実体験からくる"重み"があった。
アーチャーがどのような人物だったのか、元次はまだ詳しく知らない。ただ、彼の雰囲気から察するに、戦争というものを知り尽くした人間なのだろう、ということだけは分かった。
「……まあ、私にとっては、ただの余計なトラブルだがな」
「そうか」
アーチャーは淡々と答える。
そのまま二人の会話は途切れ、静かな時間が流れた。
(……だが)
元次は思う。
アーチャーの言う通り、この戦争は"望まなくても"訪れるのかもしれない、と。
そして、それは決して遠い未来の話ではない。
(私は……どうするべきなのか)
その答えを出せないまま、元次は静かにビールを飲み干した。