陳腐な愛こそが世界を救うのではないでしょうか。
藤丸立香が目を覚ますと白い天井と薬品の匂いが彼を迎えた。自分はティアマトが消えてから、それから……と。そこまで考えて記憶が無いことに気付く。当たりを見回して状況を把握しようとしたところで、机に向かってカリカリとペンを走らせていた白衣の男が振り返った。
「目が覚めたかい、立香君」
そこでようやく、この場がカルデアの医務室であると気づく。白衣の男……ロマニ・アーキマンは反応が薄い藤丸立香に少し気遣わしげに再び声をかけた。
「立香君、大丈夫かい。体の調子はどうだろう」
「ドクター……あの、ウルクはどうなりましたか。なんで俺は医務室にいるんですか」
至極当然の問いであった。ロマニは困ったように笑い──藤丸立香のソレとよく似ている顔だ──端的に説明すると前置きし話し始めた。曰く、
「ティアマトって、なんだい?」
ロマニは言う。
藤丸立香はぐらり、とふらついた。まるで地面が頼りない船の上になってしまったかのようだった。そしてそこで気づく。
「ドクター!?俺、俺の足がある!!どうして!?」
呼吸が浅くなる。藤丸立香にとって、起きてから得られた情報はあまりにも受け入れ難いものばかりであった。パニックだったと言っていい。慌ててロマニは藤丸立香を再びベッドへ寝かせ、落ち着くように宥める。話が噛み合わない事に気づいたロマニはダヴィンチと孔明を呼び、再び藤丸立香の話を聞き始めた。
そうして数刻の後、得られた推測に藤丸立香は茫然とした。
『ティアマトという神は特異点での悲劇を無かった事にする為に、聖杯を利用し自らの存在と引替えに特異点を消し去った』
……それがカルデアの賢者たちの結論。今では藤丸立香だけが覚えているその神は、自分という存在を消し去る事でその被害ごと無かった事にした。状況から察するに、失っていた足を治したのも恐らくそのティアマトという神だろうと賢者たちは言う。特異点から戻った時に突然治っていた事と、足に神性が感じられることからそれが原因なのではないか、と。その時に教えてもらい、知った。足だけではない……目も治っている。見せられた鏡には、彼女のソレと同じあの瞳が藤丸立香に宿っていた。
「待っていてと……言っていたじゃないか……!」
いくらでも、待つつもりであった。
いつまでも、待つつもりであった。
────彼女がいなければ、二度と立ち上がれなかったと知っているから。
だが、責められない。人間を愛していた彼女だから……自分を、愛してくれた
しかし時間は藤丸立香の敵であった。7つの特異点を超えたその先が待っている。つまりは、人理を焼く獣がカルデアを捕捉したということだった。アラートが鳴り響く。涙も拭わぬまま立ち上がるとちょうどマシュが飛び込んできた所であった。
「先輩!魔術王ソロモンの座標が特定されました!ですが……!」
「何だって!?ダヴィンチ!」
「分かってる!今分析中さ!でも、これは……!」
慌ただしく響く怒号と警告音。とうとう来てしまった別れの時でもあった。勝てるかは分からない……だが、どちらにせよロマニが犠牲にならざるを得ない戦い。目を逸らしていた、いずれ来る結末は藤丸立香を捕らえて離さなかった。
「は、はは……勘弁、してよ……」
虚ろな目のまま、しかし戦わざるを得ない。壊れかけの救世主は止まることを許されない。
「立香君!カルデアの全リソースを回してサーヴァントを大量召喚、戦闘を行う!でもやっぱり最大限のパフォーマンスを引き出せるのは君だけだ……直ぐにカルデアスの元へ向かってくれ、そこに魔術王はいる!」
後ろから投げかけられるドクターのその言葉に頷いて藤丸立香は走った。下へと落ちる塩水が風になびき横へと伝う。
───────
程なくして着いたカルデアスの前には、ソロモン……ゲーティアがじっと目を瞑り待っていた。藤丸立香がたどり着くとその目を開き、静かに藤丸立香を見据える。時間神殿ですらなく、カルデアでの戦闘になるそれは最早■■の知識の及ばぬ領域であった。極限のストレスが藤丸立香を襲い、視界が霞む。しかし、倒れる訳にはいかなかった。
「…………人類最後のマスターよ。何故、立ち塞がる」
だが、その決意に反してゲーティアは余りにも静かだった。アラートが鳴り響き、しかしそのアラートしか聞こえぬ静寂。援護に来るはずのサーヴァントは来ず、藤丸立香も誰も呼べない。明らかに何かがおかしかった。
「まだ、生きていたいから」
「我が前に立てば死ぬと分かっているのにか?人類最後のマスター」
ゲーティアは変わらず静かに語り掛けてくる。ここで藤丸立香は気づく。ああ、
「そうだ。故に貴様が藤丸立香では無い事も知っている。あの王が我が障害になることも。故に対策するのは自然な事だろう?」
最悪も最悪。ああ、己が藤丸立香では無い贋作であることが事ここにいたって、最悪の結末を生み出した。そう知って藤丸立香は再び折れた。膝をつき、胃液を吐き出すその姿を人理焼却式は憐憫の罪と共に見つめた。
「外なる空想には備えが足りなかった事も分かった。我々は貴様に感謝すらしている」
「ぁ……」
「いくらサーヴァントを呼ぼうともここには来れない。カルデアは既に人類史から切り離された……言わば擬似的な異聞帯となっている。これも、貴様の知る未来から得た着想だ。本当に感謝しよう……」
「やめ……やめて……やめてくれ……」
「最後に語り合うとしよう、人類最後のマスター……いいや、1人の無辜の民よ。我々は貴様の犠牲を以て来る脅威に対抗しうる、健やかで強靭な知性を育む」
「ぁ……嗚呼……ああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
認められるはずもなかった。これまでの人類史の全てが無に帰す。自分のせいで。藤丸立香が■■であったせいで。ただそれだけで最終決戦は最終決戦足りえなかった。ウルクと同じように、至極あっさりと事態は進む。今度は、詰みという形で。
それはつまり、彼女が愛してくれた人間は消えるということだった。
「ダメ……ダメだ、それだけは……ダメだ……」
ふらり、ふらりと立ち上がる。いつの間にかアラートすら止み、カルデアスのある管制室は端から崩壊を始めていた。壊れた壁の先には虚数の海が星空のように瞬く。ゲーティアは興味深そうに、憐れむように何も出来ぬ藤丸立香を眺め続ける。
「折れ、絶望し、無様に泣き……諦めている。それで、なぜ立つのだ?」
「……死ぬのは怖い。まだ生きていたいから」
「先程も聞いたな。それで、我々に媚びるでもなく抵抗を選ぶか。貴様なら知っているだろう……我々はマシュ・キリエライトは殺さない。自分も、とは思わないのか」
立ち上がった藤丸立香は泣きながらゲーティアを睨む。今となっては怪我ひとつ無いはずの体は鉛のように重く、1歩歩み出すことすら苦痛だった。しかしそれでもゲーティアへと歩みを進める。
「思う……思うさ。でも……それじゃあ、彼女が……ティアマトが愛した俺たちは、消えるから」
「ティアマト?」
不思議そうにするゲーティアに藤丸立香はそこで少し笑った。ああ、この魔神王ですら彼女の事は消え去ったのか。そう思うと彼女の愛の大きさを感じ取れるようであった。
「だから……諦められないんだ」
そうして、避ける素振りすら見せぬゲーティアへ藤丸立香は涙とともに拳を叩きつけた。