まただ。ブリオン社のモビルスーツ設計ソフトがレギュレーション違反の警告を出している。
33歳のモビルスーツ設計者、エレン・チャンセラーはモニターを睨みつけた。
全然進まない。
暗闇の中、モニターの明かりが彼女の顔を照らす。少し男性的な雰囲気が漂う中性的な顔立ちに、ブルネットの髪。彼女は半月以上、このソフトと格闘している。社内レギュレーションや基準値違反のエラーが出るたびに、AIによる自動設計が機能停止し、手動で修正するしかなくなる。
積み重なるエラーに苛立ちを覚えながらも、彼女は無表情に画面を見つめ続ける。その目は虚ろでありながら、奥底にはギラギラと鋭い光が宿っていた。
一見すると新人のような設計スピードだが、彼女は決して新人ではない。モビルスーツ設計歴10年以上のベテランであり、このソフトの操作技術で彼女の右に出る者は社内に数えるほどしかいない。
モビルスーツの開発には、システム設計力、各種コンポーネントやモジュールの知識、AIの制御技術など、多岐にわたるスキルが求められる。総合的な実力で言えば、彼女に匹敵する者は社内にいないだろう。
そんな彼女がここまで苦戦している理由は、前例のない試みに挑んでいるからだった。
―ブリオン社が約20年ぶりに開発する、次世代機の設計である―
次世代機の開発プロジェクトが始まったのは1年半前。しかし、社内調整による度重なる仕様変更のせいで、開発スピードは泥沼のように遅かった。それでも、半月前までは設計ソフトがエラーを出すことはほとんどなかった。
異変が起きたのは、ある一つの変更が加えられてからだ。
それは設計コンセプトの刷新―
これまでの開発は、次世代機とは名ばかりで、実際は既存シリーズの延長に過ぎなかった。上層部は仕事をしているように見せかけたいだけで、本気で「次世代機」を作るつもりなどなかったのだ。
そんな閉塞した組織の中で、エレンは独断で設計コンセプトを一新してしまった。
モニターに再びエラーが表示される。
彼女は静かに息を吐き、半月前の出来事を思い出した。
―半月前―
「チャンセラーさん、これ見ましたか?」
エレンの設計チームのオフィス。若い女性エンジニアが携帯端末を手に、興奮気味に話しかけてきた。端末の画面には、モビルスーツ同士の戦闘映像が映っている。
エレンはキーボードを叩く手を止め、端末を覗き込みながら、訝しげに片眉を上げた。
「先日のアスティカシア学園、グラスレーと株式会社ガンダムの決闘ですよ!」
「見てないけど、グラスレーの6機が1機のGUND-ARMにやられたって話は聞いたわ」
エレンの冷静な返答に、後輩エンジニアはさらに熱を帯びた声で言った。
「そうなんです!こんな動きをするモビルスーツ、見たことないですよ!」
エレンは、後輩の異常な興奮ぶりに少し違和感を覚えた。
GUND-ARM エアリアル。その名は以前から耳にしていた。ジェタークやペイルの最新フラッグシップ機を圧倒し、今回の決闘ではグラスレーのミカエリスとペギルベンデを相手取ったという。
だが、エレンはアスティカシアの決闘にもエアリアルにも、これまで一切興味を示さなかった。いや、敢えて見ないようにしていた。
理由は二つ。
ひとつは、決闘用の機体はブリオンの設計思想と乖離しすぎており、参考にならないから。
もうひとつは、技術者としての矜持―彼女はGUND-ARMという存在を心の底から嫌っていた―
彼女が考えるMSとは人の力にレバレッジをかける為の道具である。一方、彼女から見たGUND−ARMは道具では無い。それらの働きはレバレッジでは無く、人命と引き換えに力を得るトレードオフだ。
本来、人の道具であるべきMSが人の命を燃料に動く呪物に成り下がったものがGUND−ARM、というのが彼女の認識である。
この大間違いの代物を作り出した無責任な技師達が目の前にいたら、彼女は軽蔑の眼差しで渾身の皮肉をぶつけるであろう。
エアリアルについては生命倫理問題をクリアしたと言われているが、彼女は懐疑的であった。彼女は技術者としてGUND理論を一通り知っており、そんな事はできない事が分かっている。出来ないというより、その問題を解決したモノはGUND−ARMの定義から外れると考えている。
それらに関連する事で更に納得できていない事はベネリット総裁の事実上のガンダム認可と株式会社ガンダムの設立だ。
この出来事は怒りを通り越して笑えて来た。いや、人命が関わっているから笑ってはいけない。誰かあのバカ殿とお姫様の暴走を止める頼もしい家臣はいないのか?と、彼女はベネリットグループの矛盾と横暴さに辟易している。
しかし、そんな彼女の考えも矛盾と横暴さに満ち溢れている。そもそもMSは人殺しの道具としての側面もあり、設計者の彼女もデリングと同じ人殺しの輪に入っている。彼女自身もそれを理解している。
この矛盾を抱えたまま今まで来たが、半年前の同じMS設計者だった父の死をきっかけに人生を見直し、新しい道を探す事も視野に入れていた所だ―
・・・セラーさん!聞いてますか!」
後輩は自分の世界に入っていたエレンを引き戻した。
「ええ、ちゃんと聞いてるわ」
彼女は全く聞いていないのに背筋をピンと伸ばし即答した。話を聞いていない事は後輩にバレバレだ。このやり取りは2人の間で定番となっている様だ。
「バカ殿がどーとか、何一人言言ってるんですか」
後輩はプンプン怒りながら彼女に端末を渡した。エレンは後輩の怒りをよそに、端末を覗き込むとエアリアルとグラスレーの複数の機体が戦っている映像が映っていた。
エレンにとってグラスレーは自分の父がそこの設計者だったことも有り、他社に比べ特別な思いの有る会社である。そのため今見ているミカエリスとペギルベンデは当然、よく知っており、これらの優秀な性能についても十分理解していた。一方でエアリアルの映像を見るのはこの時が初めてだった。
彼女は不覚にも、その機体による美しくもゾッとするガンビットの高速で正確そして有機的な群生制御に一瞬心を奪われた。
なんなの…これ…
やはりこれは技術の領域を超えていると。神や悪魔の領域に踏み込んだ禁忌だと改めて確信した。自分達が作っている物とは全く別の物であり、ブリオンとは競合相手では無いと再認識された。つまり、ベンチマークとしてGAND-ARMを調査する事は全く無意味であるとの持論が裏付けされた。
エレンの興味が急速に萎み始めた時だ、再び、彼女は画面に釘付けにされた。
そこには場違いな機体が一体、紛れていたのだ―
それは改造と損傷で原型を留めていなかったが、間違いなくブリオン社製のデミトレーナー105だった。
現行デミシリーズの初代モデルであり、彼女にも馴染みのある機体であった。また、寄せ集めの部品でのカスタマイズから一目でこの機体はアーシアンのものであると分かった―
何で?こんな機体がここにあるの?
何故こんな旧世代のそれも低スペック機が化け物機とハイエンド機が群がる修羅場にいるのか?虎と狼の群れの戦いに傷付いた『老犬』が紛れている様なものだ。
更に次の瞬間、彼女は自分の何かが貫かれた感覚に襲われた。その時、映像の中では、『老犬』が放った閃光がミカエリスの頭部に風穴を明けていた―
*
彼女はその時から何かに取り憑かれたように、次世代機の再設計を始めた。会社だけでなく家でも、仕事とプライベートの境界は関係なく最優先事項はそれとなった。
この原動力は感銘なのか、競争心なのか、それとも別のものか、彼女自身も分かっていない。
わかっている事は、出所の不明な焦燥感に駆り立てられている事と右耳の難聴が発生している事だ。難聴は昔からしばしば起こる症状で、彼女の心理状態が乱れた時に発生する様だ。前回の難聴は彼女の父が亡くなった直後に発生していた。