ロウジは大きな問題にぶち当たっていた。それは恐らくアスティカシア学園に入学して以来、一番の問題だろう。
彼は今、バーディングをデータストーム空間へ突入させるための改造を行っている。
クワイエット・ゼロのデータストーム内でのパーメット機器のオーバーライドを回避するために、拡張ユニットであるバオリパックをバーディングへ組み付ける必要がある。
そして、それだけでは不十分であり、バーディングの制御系をパーメット通信からバオリパックの光無線通信に切り替えることも必要になる―
それはアスティカシア学園の平均的なメカニックには非常に難題であるが、ロウジにとってはそれほど大きな問題ではない。時間さえあれば。しかし、今は時間がなく、一刻を争う状況となっていた。
時間を短縮するために共同作業が必要だが、いつものブリオン寮メカニック科のメンバーはテロの影響で誰も残っていない。
いるのはニカ・ナナウラだけだ。他の地球寮のメカニックたちはあいにく、バーディングと共にデータストーム空間へ突入予定のNTPSのセッティングに駆り出されている。
ニカはチュチュが搭乗するMSのセッティングは彼女しかできないこと、そして彼女の類まれなる技量から、ロウジと2人だけでこの現場を任されたのだ。
しかしその采配は、ロウジにとっては大きな問題だったようだ―
「ロウジ君……その、次は何をすればいいかな?」
ニカが言った。彼女の片腕は痛々しく包帯で巻かれている。
彼女はランブルリングの際に発生したテロの関係者として少し前まで拘束されていた。先日の二度目のテロのタイミングで解放され、ロウジたちと合流。しかし、拘束から帰ってきた彼女はすでに片腕を負傷していた。
それにも関わらず、彼女の作業スピードは脅威的だった。
ロウジは先ほど指示を出したばかりなのに、またすぐに次の指示を出さなければならないことに焦っていた。
「……えっとですね……本体のコックピットにある……コンソールへ……通信方式切替の信号を接続してほし……ください」
「了解です」
ニカは笑みを浮かべた後、すぐさま作業に取り掛かった。
ロウジは、彼女がその場を離れるとホッとした。
彼は、なぜかニカとうまく会話ができないでいた。セセリアには何気なく言えることが、なぜか彼女には言えない。少し前に行った改造の説明も、話すことが困難だったため、ほとんどをハロの音声で代用したほどだった。
自分で全ての作業を行った方が、今回のような難しい作業であったとしても何倍も気が楽である。しかし、それは時間が十分にある場合の話だ。残念ながら、この作業は彼1人では出動までに絶対に間に合わない。
さらに不運なことに、バーディングとバオリパックの予備知識はロウジの方が熟知していた。つまり、作業内容の指示を出すのはどうしても彼自身がやらなければならない。
ニカから指示を出してもらえたら、どれだけ楽か……
「あの……ロウジ君」
「ヒッ」
ロウジは肩をビクリとさせて反応した。
振り返ると、いつの間にか後ろにニカが立っていた。
「ちょっと、これは……問題かも」
彼女は気まずそうに言った。
「え?」
ロウジは瞬時に恥ずかしさが消え去るとともに、不安に支配された。
「この切り替え……遠隔操作は無理みたい」
彼女は相変わらず気まずそうな雰囲気だ。
「……」
ロウジは、予想していなかった事態に頭が真っ白になり始めた。
「手動……みたいなんだ」
「うっ……グッ」
ロウジはギュッと端末を持つ手に力を込め、黙りこんでしまった。現実世界で硬直している彼は、内面では激しく取り乱していた。
―手動による切り替えは、バオリパックの元になった小型機の仕様だった。パーメット通信から光無線通信への切り替えは、何かしらの異常時(まさしくオーバーライドのような通信異常時)でも機能するよう、『最も信頼性のある手動式』となっていた―
……今から遠隔操作用のアクチュエータを入れたとしても、それがパーメット通信じゃ意味がない……ほかの方式の部品はすぐに手に入らない……どうする?
「あの……私がコックピットに乗るから大丈夫!」
ニカが言った。
彼女は取り乱してしまったロウジを気遣うように、さらに続けた。
「あっ、もともと乗るつもりだったんだよ! 何かトラブルがあった時に私が対応しないと」
ロウジは、彼女がバオリパックへ搭乗している光景を想像し、無性に怖くなった。そして、とっさに言った。
「あっ、あの……僕が乗ります」
ニカはにっこり笑いながら言った。
「とってもありがたいけど……チュチュのサポートは私が一番慣れてるから!」
「……」
ロウジは、すでに思考が止まってしまい、再び頭が真っ白になっていた。
「あと、ロウジ君には大事な機体を借りてるからね! これ以上の借りは、私たちじゃ返せないよ!」
彼女は相変わらずニコニコしている。
「ニカ姉ー!! 準備できたー!?」
ドックの奥から大きな声が聞こえてきた。声の主はチュチュだった。彼女はパイロットスーツを着て、準備万端のようだ。
ニカは振り返ると、申し訳なさそうに返した。
「ごめーん! もう少し待ってー!」
大きな二つのピンク色のポンポン髪をパイロットスーツのヘルメット内に上手く収納したチュチュが、ツカツカと近づいてくる。
彼女は、後悔と無力感に苛まれているロウジとは対照的だった。まるで近場へ遊びにでも行くような気楽な様子だ。
「おー! ロウジー! ニカ姉の足引っ張ってんじゃねーだろーな!」
チュチュがニヤつきながらロウジに絡んだ。
「……そっちこそ、作業の邪魔なんだけど」
ロウジは冷静な口調で返した。彼はチュチュが相手だとなぜか饒舌になる。
チュチュは彼の言葉を聞くと、まるで獲物が罠にかかったかのような表情でロウジに近づいてきた。
「ほー……言うじゃねーか、ロウジ君」
彼女はロウジの顔を覗き込む。
ロウジはチュチュの方を向き、淡々と言った。
「そんなことより」
「ん?」
「パーメット通信遮断後のシステムでは、最低限の駆動制御しか使えないから覚えておいて」
「ん? どーいうことだ?」チュチュは眉をひそめる。
「つまり、アシスト系制御の大部分は機能しない。だから操縦は……おそらく、これまで経験のない難しさになる。姿勢を保つだけでも大変なはず」
「お、おう……」
チュチュの威勢が、先ほどまでとは打って変わって消えかかっている。
「あと、今回は武器がないからって、絶対に格闘はしないで。作戦通り、戦闘になりそうなら回避を最優先して。前回と違って潜入が目的だし……多くのメンバーの命がかかってる」
ロウジは毅然とした態度で、チュチュに視線を向けた。
「ん、んなこたぁ分かっとるし!」
チュチュの目が泳ぐ。
ロウジは端末に視線を戻し、吐き捨てるように言った。
「本当かな、心配なんだけど」
「……ーんだとぉ……このクソスペギークが!!」
チュチュが拳を掌に当てて吠えた。
咄嗟に、チュチュとロウジの間へニカが割って入った。
「チュ、チュチュ! もう少しだから! バーディングのコックピットで待っててよ!」
―数十分後―
クワイエット・ゼロの近傍にて、宇宙空間を切り裂き高速で移動する白い機体が現れた。
白い機体は、特殊な形状をした推進機兼ロングライフルのユニットに掴まり、宇宙空間を突き進んでいる。まるで夜空を滑空し、箒に跨がる白い魔女のようだ。
その機体―ガンダム・キャリバーン―には、スレッタ・マーキュリーが搭乗している。
瞬く間に、キャリバーンは巨大な要塞クワイエット・ゼロを中心に発生する巨大な球体状のデータストーム空間へ突撃。
そして、無数の無人機を相手に単騎で切り込んでいく。
キャリバーンは、箒のような推進機兼ロングライフルを携え、スピードで無人機の群れをかき乱していた。
データストーム内で閃光が走り、それに巻き込まれた無人機が火球に包まれていく。
閃光はキャリバーンのロングライフルから照射されたものだ。その一撃は、振り下ろせばデータストーム空間ごと切り裂きそうな威力に見える。
縦横無尽に高速移動を繰り返すキャリバーンに、無人機たちは一方的に破壊されていた―
「戦闘始まった」
地球寮のティルが落ち着いた声で言う。
「こっちも行くぞ」
アリヤが言った。ティルに比べ、彼女はやや勇ましい雰囲気を醸し出している。
彼女らは地球寮所有の宇宙船の中にいた。
ロウジも、地球寮のメンバーとともにこの船に搭乗していた。
彼はモニターに映るキャリバーンの戦闘を見つめる。
スレッタはエアリアルじゃなくても、あんな動きができるんだ……すごい……でも、体への負担は……
―キャリバーンは曰く付きの機体だ。
それは、パイロットへのデータストーム侵害のフィードバックを軽減するフィルター機能を搭載していないからである。
人の命で駆動する呪物とも言えるGUND-ARMの、純粋な形態の機体。
そのため、GUND-ARMとしての性能は他のガンダムと比べて高いが、その代償としてパイロットへの負担も比べ物にならないほど大きい―
ロウジは、スレッタが操縦するキャリバーンの信じられないような動きを見ながら―命を消費して戦う彼女を見ながら―無力感に支配されていた。
自分にできることは僅かだった。
この作戦にバーディングを持ってきたこと。
そして、それもニカやチュチュの命をかけてのことだ。
ニカに至っては、自分の力不足で彼女を搭乗させることになってしまった―
ロウジが見ていたモニターに、何かが映った。
それは、宇宙船がクワイエット・ゼロへ向かい動き始めた直後のことだった。
謎の機体が一機、ロウジたちの船に向かってくる。
間髪入れず、護衛をしていたグエル・ジェタークが乗るディランザが、それに立ち向かっていった。
『やめろ!! ……誰がその機体に!?』
通信機を通して、グエルの声が操舵室に響いた。
ロウジはモニターに映る機体を確認し、戦慄した。
それはジェターク社の最新機、ガンダム・シュバルゼッテだった。
まさか、オーバーライドされた!? いつの間に!?
オーバーライドされた機体はデータストーム空間を超えてくるのか? どういうことだ!?
ロウジの頭の中はパニックだった。
前提としていた情報が、大きく崩れ去ったかもしれない。
その直後、操舵室に聴き覚えのある声が響いた。
『……まだあの女に囚われているのか……兄さん!』
(兄さん!?)
その声を聞いたロウジは、シートからずり落ちそうになった。
(どういうこと!?)
敵機から聞こえたのは、ジェタークのラウダの声だった。
彼は、この船を護衛しているグエルの弟である。
(兄弟喧嘩!? 明日やってくれ!!)
ロウジは、明日に延期してくれたら手伝うのに(グエルの方を)と思いつつ、戦闘による振動に耐えた。
―ロウジたちの宇宙船の付近で、ジェターク兄弟の喧嘩が始まった一方、データストーム内では、いつの間にかエアリアルが出現していた。
キャリバーンは、エアリアルのガンビット群の猛攻を受けていた。それらの動きは、もはや肉眼では追えないスピードに達していた―
ロウジがデータストーム内の様子を確認していたその時、大きな衝撃が彼を襲った。
「「「「うわああああー!!」」」」
操舵室に悲鳴が響き渡る。
シュバルゼッテの大剣の鞘状の特殊ライフルが乱射され、一部が宇宙船に着弾したのだ。
「なんでラウダが攻撃してくんだよー!」オジェロが悲鳴を上げる。
「知るか!」ヌーノが叫んだ。
その直後、ロウジの隣のシートにいた少女が飛び出していった。ジェターク兄弟の取り巻きであるフェルシー・ロロだ。
兄弟喧嘩を止めに行くのだろう。ロウジは彼女に同情した。自分もセセリアには手を焼いているため、その気持ちはよく分かる。しかし、ジェターク兄弟のこれは洒落にならない。
―戦闘が勃発する中、ロウジたちの宇宙船の発着レーンでは、NTPSを抱えたデミバーディングが飛び立っていった。
想定外のトラブルが発生したため、予定よりも前倒しで潜入チームが発進することになったようだ―
依然として通信音声からは『やめろラウダ!』「兄さん!」という叫びが響き、ディランザ対シュバルゼッテの戦いは続いていた。
グエルが搭乗するジェタークのディランザは優良機ではあるが、対ガンダム戦では心許ない。しかし、彼の卓越した操縦スキルが、ジェターク社の最新技術を搭載したラウダのガンダムとの戦力差を埋めていた。
兄弟の戦いは、危険な状況とはいえ目を見張るものがあった。
ロウジはハッとし、バーディングの方へと視線を移す。
すると、バーディング―潜入チーム―は、データストーム空間の境界に近づいていた。
頼む……しっかり切り替われよ
鼓動が高鳴り、汗が滲む。ロウジは、自分とニカによる改造―バーディングのパーメットリンクから光無線通信制御への切り替え―が成功しているかどうか、不安を感じながらモニターを注視していた。
もし、うまく機能しなければ、バーディングは停止する。
下手をすれば暴走し、抱えているNTPSを破壊する可能性すらある。
最悪の状況が、次々と脳裏をよぎる―
通信音声から、潜入チームの会話が聞こえてきた。
その内容から、いよいよパーメットリンクを遮断するようだ。
頼むぞ……
バオリパックに乗り込んでいるニカの声が響く。
『デミバーディング、パーメットリンクを切断―
それ以降、通信音声から潜入チームの声が消えた。
モニターでバーディングの様子を確認すると、バランスを崩し、推進方向が定まらない。
よし!!……操縦は……チュチュならいけるはずだ
バーディングはしばらくふらついていたが、なんとか元の軌道へと戻った。
安心する間もなく、データストーム空間の境界まで到達していた。
入ったか? オーバーライドされている様子は……ない! うまくいった……かな
張り詰めていた緊張が解け、前のめりだったロウジの上体がシートへと戻る。改造は成功し、しっかり機能していた。
作戦はまだ中盤とはいえ、少しだけ肩の荷が軽くなった気がした。
おっ、そうだ
光無線通信で取得したデミバーディングのデータを確認する。
こっちもしっかりやらないと……セセリアに嫌味を言われるぞ……
データは正常に取得できていた。
……ん? 何だ?
急にデータの様子がおかしくなる。
どうした!!? 止まったのか?
焦ってモニターを覗き込むと、ロウジは凍りついた。
バーディングたちが、複数のガンドノードに囲まれていたのだ。
そ、そんな……スレッタの陽動は失敗した!!?
冷や汗が吹き出す。
いや、待て。何かおかしい。
次の瞬間、絶望的な状況に思えたガンドノードたちが、突如として動きを止めた。
今のうちだ! 進んで!!
ロウジの思いが通じたかのように、デミバーディングは再び推進を開始する。それはNTPSを抱えながら、宇宙空間に浮かぶ巨大要塞の中へと消えていった―