ジン・ミウラはトランスアースラインの待合室にいた。
彼は傍から見れば、地球行きを楽しみにしているリタイア組の一人に見える。
彼がいる待合室は閑散としていた。わずか数人の乗客がいるだけだ。
それも当然のことだろう。現在、アーシアンとスペーシアンの関係は極めて緊張している。この状況で地球へ向かおうとする者は、ほとんどいないのだ。
ジンは長年勤めたブリオンを退社したばかりだった。
今は退社祝いとして、かねてからの夢だった地球への旅へ向かっている。とはいえ、現在の世界情勢を考えれば、それは「無謀な旅」とも言えた。
妻とは何度も話し合ったが、最終的に安全を考慮し、一人で旅をすることに決めた。
(そもそも彼の妻は、ジンが一度決めたことを誰が何を言っても聞かないと知っていたため、引き止めもしなかったのだが)
ジンは携帯端末を覗き込んでいた。
画面には、ロウジから送られてきたバオリパック組み付け後のバーディングの画像が映し出されている。
結局、エレンの思い描いた通りになったな……
アスティカシアでのテロにより、グラスレーの信用は失墜。ジェタークも虫の息のままだ。
ブリオンにとっては、これ以上ないほどの好機だったはずなのに
惜しいことをしたな……
ところで、ロウジは上手くやっているのか?
バオリパックの組み付けが終わったということは、今ごろ例の要塞に向かっているのか……。
俺は本当に、バオリパックを送ってよかったんだろうか……?
考えまいとしても、頭の中から離れない。
もう送ってしまった以上、悩んでも仕方がない。それは分かっているのに、何度も同じ考えがよぎる。
もし送らなければ、ロウジを戦場に向かわせずに済んだかもしれない。
アスティカシアのテロの時は運が良かった。バーディングの活躍で、多くの人命を救うことができた。
だが、今回はどうなる?
先日、イザヤに言われた言葉が脳裏をよぎる。
「逆に誰かを殺していたら……どう責任を取るつもりだったんだ?」
*
ロウジたちの乗る宇宙船のMS格納庫は、騒然としていた。
つい先ほど、ジェタークのディランザとシュバルゼッテが、キャリバーンと大破したエアリアルを伴って帰還してきたのだ。
ロウジは、予想外の事態に頭が追いついていなかった。
さっきのあれは……?
─数分前─
クワイエット・ゼロ周辺は、目も眩むほどの白い閃光に包まれていた。
その光は、巨大で強烈で、同時に神秘的な美しささえ感じさせる。
だがロウジは、本能的に悟った。あれは、極めて危険な光だと。
何が起こったのか分からない。ただ、明らかなことが一つある。
勝ちかけていた状況が、一瞬でひっくり返ったのだ。
ついさっきまで、戦況は好転していた。
ジェターク兄弟は和解し、戦闘は収束。
爆発寸前だったグエルのディランザは、フェルシー・ロロによって消火され、彼の命は救われた。
そして、スレッタがエアリアルを引きつけている隙に、潜入チームはクワイエット・ゼロへ侵入。
そして、プロスペラたちを出し抜き、要塞の機能を停止させた。
つまり、無謀とも思えた作戦は、成功したのだ。
あの白い閃光が、すべてを台無しにするまでは─
*
「キャリバーン動かない……スレッタ、大丈夫か?」いつも冷静なヌーノが焦っていた。
「おい! 早くハッチを開けるぞ!」とオジェロ。
2人が協力してコックピットをこじ開けると、その中ではスレッタが意識を失っていた。
─彼女はキャリバーンのデータストーム侵害による、深刻なダメージを受けていた─
「これは……ひでえな」スレッタの様子を見たヌーノが、息を呑む。
「スレッタがヤバい! 手を貸してくれ!」
オジェロの叫びに、地球寮のメンバーがすぐさま駆け寄る。
手分けしてスレッタを運び出し、静かに休める個室へと運んだ─
「スレッタの容体は?」個室に、グエルとティルが入ってきた。
室内にいたロウジ、リリッケ、アリヤが振り向く。
「今さっき眠りました……あのガンダムに乗った影響で、状態は良くありません」うつむきながら、リリッケが答えた。
「……そうか」グエルの視線が、スレッタの頬に残るデータストームの痕跡を捉える。
その表情には、衝撃と後悔が滲んでいた。
やがて、彼はメンバーの方を見て、静かに言った。
「……さっきは、本当にすまなかった。お前たちの力になるつもりが……あんなことになってしまって」
部屋に気不味い沈黙が漂った。
ロウジは迷わず切り出した。
「グエル先輩……事態は深刻です」
グエルはすぐに表情を引き締め、ロウジを見た。
「……だろうな。状況を教えてくれ」
ロウジは頷き、淡々と説明を始めた。
「まず、僕たちにはあまり時間が有りません ……さっきエアリアルが止めたレーザー照射は、恐らくILTS、惑星間送電システムによるものと考えられます……本来インフラに使われるものですが」
「何でそんなものが…………宇宙議会連合か?」とグエル。
ロウジはかぶりを振った。そして、再び冷静な口調で言った。
「あの高出力を出すためには、それに見合う充填時間が必要です」
「その送電システムの充填時間内に、ミオリネ達を救出しないといけないんだな」グエルの目に力が入った。
ロウジが頷いた。
「猶予はどれくらいだ?」
「……恐らく数十分はかかると思います」
「そうか……俺たちにはどんな選択肢が残っている?」
「まず何もしなければクワイエットゼロが破壊される上、ここも安全である保障はありません」
「だろうな」とグエルは頷いた。
ロウジは続けた。
「それを踏まえて、1つ目はプロスペラ達との交渉、2つ目はこのメンバーだけで離脱―
「それは無いな」とグエルはロウジの言葉を遮った。他のメンバーの冷たい視線がロウジに刺さる。
ロウジも皆と同じ意見だった。ただ選択肢として挙げただけだった。
「3つ目はエアリアルを渡して、クワイエットゼロを再起動してもらう」とロウジ。
「なんだって?」
「この案は、1つ目の交渉の延長かもしれませんが……今の一番の脅威はILTSです。今のところ誰が操っているかも不明……一方で、クワイエットゼロなら僕たちにでも止める事が出来ました」
「クワイエットゼロは、最悪動かしても何とかなるだろうという事か……2度目もうまく行くか?」グエルは苦笑いしている。
ロウジも力なく笑った後言った。
「……クワイエットゼロを再起動すれば、クワイエットゼロ自体の移動、ガンドノード達による防御……大規模データストームでILTSのオーバーライド等、幾つか選択肢が増えます」
グエルは眉をひそめた。
「オーバーライド?流石にそれはあれ(クワイエット ゼロ)が100%の状態じゃないと無理じゃないか?」
「……そう……ですね」
「ロウジ、お前のおすすめはどの案だ?」
「再起動です。単なる交渉では、こちらにカードが有りません……そもそもチームメンバーがクワイエットゼロから脱出する時間も無いかもしれません……一方で再起動なら……プロスペラ達にもメリットが有ります」
「……一時的にプロスペラ達と手を組むしかないか……それで決まりだな」とグエルは腕を組みながら頷いた。
「ダメ……です」
その時、スレッタが口を開いた。途中から話を聞いていた様だ。
弱々しく上体を起こそうとするスレッタをリリッケとアリヤが支えている。
皆がスレッタに注目した。
「……次はお母さんを……止められない……かも」
「お前も聞いていたんだろ?……ミオリネ達を救うには、それが最善なんだ」とグエル。
スレッタはうつむいた。少し間をおき、何か思いついた様に言った。
「……ロウジさんが言っていたオーバーライド……私がキャリバーンでデータストームを作ってやってみます」
「「「は?」」」
突拍子もない案に皆が困惑した。
「エリクト(エアリアル)に手伝ってもらえたら……データストームを作れる気がします」
見かねたグエルが言った。
「スレッタ……お前はよくやった。もう、休んでいるんだ」
スレッタの表現に力が入った。
「いえ、行きます」
それを聞くとグエルの表情が鋭くなった。
ロウジが珍しく語気を強めた。
「今は一刻の猶予もありません。再起動に直ぐに取り掛かるべきです」
スレッタも力強く返す。
「エリクトとなら……必ずやれます」
ロウジは彼女の強い視線に狼狽えた。その時、彼が必死で考えた合理的なプランはふっと消え去り、代わりに力強い光が刺して来た気がした。
ロウジの脳裏に、スレッタが起こしてきた幾つもの奇跡的な光景が流れてきた。
彼女がこれまで何度も絶望的な危機をひっくり返して来たのを、ロウジは見て来たのだ。
ロウジは再びスレッタの瞳を直視した。そこには揺るぎない自信が漲っている。
不思議と馬鹿げた彼女の選択が1番の妙案、いや、皆を救う為の唯一の道に思えてきた―
「その場合、エアリアルの起動が必須条件になるよ」とティルが口を挟んだ。
ロウジはギクりとした。
しまった!ニカさんがいない!!
そんなロウジの気持ちを知る由もないティルが続けた。
「今はニカがいない……エアリアルを動かすなら彼女が必要だ」
ロウジは腹の底に重い鉛の塊が沈んで行く様な、耐え難い感覚に襲われた。
ニカがここに居ない原因はロウジが作ったのだ。そして、彼が今からエアリアルを見てどうにかできる時間なんて無い……
「お母さんなら……わかるかも」スレッタが呟く様に言った。
リリッケが何か気付いた様だ。
「あの、ロウジ君の案でもエアリアルを起動しないといけないですよね」
ロウジとグエルがハッとした。
「そうだな」とグエル。
スレッタがふらふらと立ち上がり、覚悟を決めた顔で言った。
「エリクトと一緒に……お母さんに合わないと」
「スレッタ……行けるか?」とグエルは、辛さを必死で推して殺している事が滲み出た表情で言った。
「いけます!」彼女は頷いた。
―スレッタの決断は、彼女へのダメージがどれ程になるか想像出来ないものだった。専門家であるベルメリアなら一蹴する案だったはず―
ロウジ達は、彼女に強く念押しした。
ILSTのオーバーライドが無理なら、クワイエット•ゼロを再起動させる事。
そして、それも間に合わなかった時はスレッタだけでも脱出する事を―
ロウジは地球寮のメンバーと共に、大破したエアリアルを抱えるキャリバーンとグエルが乗り込んだディランザを見送った。2体のMSの先には巨大な宇宙要塞、クワイエット•ゼロが浮かんでいる。
ロウジはエアリアルが止めたレーザーの方角から逆算することで、攻撃に使用されたILTSの特定を始めた。
必死で端末を操作する彼は、再び強い無力感に包まれていた―
―数分後―
トランスアースラインの待合室で、初老の男性が1人でベンチから立ち上がり携帯端末を覗き込んでいる―
ジンは先程ほどから操作出来なくなった携帯端末を見つめていた。
端末は少し前からハッキングされている様だ。ハッキングの主か、動かない端末からは女の子の声のようなものが漏れ聞こえるだけである。
ちらほらといた人達も同じ状況の様で、待合室の公共モニターでも同じことが起きている。
騒めきが強くなり始めた所で、各端末から同じ音声が流れてきた。
『ラグランジュ4、及び周辺宙域内の皆さん、聞こえますか。私は、ベネリットグループの代表である、ミオリネ レンブランです』
何だこれは?先日デリングの娘が新しい総裁になったみたいだが……本物か?
『ベネリットグループは先程、グループ解散と清算手続きの申請をしました』
これは……ロウジが言ってたデータストームの仕業だろうか……それにしても……これは大変な事になった……ベネリット解散かよ
『弊社の資産は、先のグラスレー社と同様、地球側の企業へ売却、もしくは合併を行う形で合意に至りました…』
……ブリオンはどうなるんだ……
……ところで、データストームがここまで来たって事はロウジはどうなったんだ……
ジンはいろいろな事が同時に起き混乱していた。ロウジへ連絡しようにも端末は操作でできない状況だった。
畜生……
*
ロウジ達が乗っている宇宙船の操舵室では、皆がある一点を固唾を飲んで見守っていた。
彼らの視線の先には、クワイエット•ゼロの上方の宇宙空間にいるキャリバーンとエアリアルがいた。
操舵室内にはキャリバーンに乗るスレッタとクワイエット•ゼロにいるはずのミオリネの声が同時に聞こえていた。
ここにいるメンバーは、スレッタがクワイエット•ゼロを超える広域のデータストームを発生させた事による驚きと、そこから微かな希望を抱いていた。そして、その一方でILTSの閃光の恐怖に襲われている。
ロウジは先程攻撃してきたILTSを特定していた。
頼む!
彼は端末上でモニターしているILTSの予測座標からのエネルギー反応を祈る思いで確認している。
そんな……止まらない
エネルギー反応は継続して増加している。スレッタのオーバーライドは失敗したのだ。
ロウジは敗北を告げる様に皆へ報告する。
「エネルギー再充填作業、継続中です」
「スレッタ逃げろ!!」 アリヤが叫んだ。
ロウジは端末を見るのを止め、天を仰いだ。
チュチュ、ニカへの自責の念が心の底から猛烈な勢いで吹き上がって来た。
『いえ!……止めてみせます!!』操舵室にスレッタの声が響いた。
ロウジはそれを聞くと急いでキャリバーンを確認した。するとキャリバーンが発する光が強く輝いていた―
―ロウジ達の宇宙船の格納庫にあったガンダム•ファラクト、ガンダム•シュバルゼッテが揺れ始めた。飼い主に呼ばれた猟犬の様に、キャリバーンとエアリアルのいる宇宙空間へ向かった―
4体のガンダムが揃うと光は指数関数的に増えていった。
うっ!
その眩しさに耐えられず、ロウジは一瞬目を瞑った。
そして、再び目を開くと、ガンダム達を中心に玉虫色の光が発生した。
わっ!うわっ!!
その光景を見ると、ロウジは思わず目と口を大きく開いたまま固まってしまった。
―虹色の光は環状に広がり、一瞬で宇宙の深淵まで広がって行った。
そして付近にある機体、宇宙船は虹色に照らされ、周辺は漆黒の宇宙空間から、七色の朝日が照り付ける湖のような風景に切り替わった―
*
操舵室には沈黙が漂っていた。ここには状況を理解できているものは誰一人いない様だ。
ロウジが我に返り端末に目をやると、ILTSの状態監視はデータが途絶えていた。
「スレッタ……成功したんじゃねーの?」オジェロが沈黙を破った。
「……ああ……やっぱあいつすげーわ」とヌーノ。彼は輝くガンダム達をじっと眺めている。
―本来なら歓声が上がるタイミングだが、メンバーは非現実で神秘的な光景を呆然と眺めていた。
その皆の視線の遥か先、そこにいる4体のガンダム達は、光の玉を中心に向き合い停止していた―
*
数分ほど経ったであろうか。クワイエット•ゼロの周辺の空間では通信障害により潜入チーム、スレッタとは連絡が取れない状況が続いていた。
来るか……来い……出て来い!
ロウジはバーディングの光無線通信のデータを確認している。皆が要塞から脱出してきたら真っ先に反応するはずだ。
っとその時、一瞬データが反応した様に見えた。
よし!!出て来い!
凝視していると連続でデータが転送されて来た。
クワイエット•ゼロに目をやるとNTPSに跨ったバーディングがひょっこり現れた。
何故か前回それを見たは遥か昔だった様な、不思議な感覚になった。
「潜入チームがクワイエットゼロから出て来ました」とロウジは皆に告げた。操舵室の中が湧き立つ。
ロウジは光無線通信で連絡を試みた。
「デミバーディング、聞こえますか?」
『おっ!何か聞こえた!ロウジか?』
チュチュの声が聞こえて来た。それは、とてもILTSに焼かれる寸前だったとは思えない、いつものチュチュだった―
「こっちはみんな無事、そっちは?」ロウジは感情を抑えて確認した。
『それがよーロウジ……みんな無事だぜ!』
腹の底にあった鉛の様な重みが、すーっと、消えて行った。
「皆、無事だそうです」ロウジは操舵室のメンバーに伝えた。
「「「「わあああああ!!」」」」
ずっと沈黙が続いていた中、皆が一斉に声を上げた為、耳が痛くなった。
『ロウジ、あーしの華麗な回避動作見てたか?』とチュチュ。
「ごめん、見てない……敵に囲まれてた所は見たけど」
『なっ!……それは残念だったなクソス―
チュチュが癇癪を起こす寸前でニカが割って入って来た。
『ロッ、ロウジ君!改造バッチリだったよ!』
ニカも同じく死線を超えて来たとは思えない、いつものニカだった。
「あっ……いっいえ……お……お疲れ様です、ニカ……先輩」ロウジはやはりニカには緊張した様だ。
『ロウジ君もお疲れ様!』とニカ。
『ロウジ、あーしには言わねーのか?』チュチュが不満気に言った。
『オツカレサマデス 、チュチュセンパイ』ロウジの改造ハロから音声が流れた。
『おう!お疲れー!…っておい、今のハロだよな?』
「そうだ、もうパーメットリンクに切り替えできると思うよ」とロウジはチュチュがキレる前に話題を変えた。
『おっ、そーなのか』
「何故か通信機器はダメみたいだけど、MSの駆動系は行けそう。こっちの船も動かせてる」
『そーか、ニカ姉ー!聞いてたー?パーメットリンクに切り替えてー!―
ん……どーした??
彼はバーディングの後ろに見えるクワイエット•ゼロの様子がおかしい事に気付いた。
光を発しながら形が崩れている。光り輝いている部分が漆黒の宇宙空間へ溶け出しているのが肉眼で確認できた。パーメットが崩壊して粒子状になっている様だ。
通信異常はこれが原因……?
よく見ると4体のガンダムも同様に、ボロボロと崩壊が始まっていた。
ロウジはそれを確認すると間髪入れず、メンバーへこの付近に存在しているパーメットが崩壊している事、そして、至急ここから離脱すべき事を伝えた―