エレンは夢の中で古いデミトレーナーに乗っていた。105より更に古いその機体は思った通りに動いてくれない。彼女の意思からワンテンポ遅れて動いて動いている様だ。次第に目の前に瓦礫の丘が迫って来た。
そして、古いデミトレーナーはエレンを乗せたまま、丘を飛び越えられず瓦礫に埋まってしまった。エレンは焦燥感に駆られ、操縦席の中から叫んだ。
「動いてよ!」
背後に別の機体が迫って来ていた。エレンの脳裏に戦慄が走った直後、突如右側から轟音に襲われた―
エレンは体をビクりと震わせてを目を覚ました。胸が激しく動き、息が荒れている。手はシーツを強く握り締めており、じっとりと汗が滲んでいた。時計に目をやると、7セグの表示器が3時18分を示していた。時計から彼女の右側に視線を移すと、すやすやと夫のアダムが寝ていた。
最近こればっかり
彼女が悪魔にうなされる日々と、次世代機の再設計の皺寄せはアダムに降りかかっていた。彼女は申し訳無く思いつつも、設計の手を止めることができなかった。
難聴により微かにしか聞こえない夫の寝息は、彼女の焦燥感で疲労した心を癒した。しかし、その日は、彼女は再び深い眠りにつく事はできなかった―
*
翌朝、チャンセラー家のリビングでは家族が揃って朝食を食べていた。
夜はそれぞれの都合が揃わない事が多い為、朝は皆で食べるのがこの家の暗黙のルールとなっている。
家族構成は夫のアダムと11歳の娘アマンダとの3人だ。ブリオン入社後にすぐアマンダが生まれた為、エレンの20代はキャリアと子育ての両立で嵐のように過ぎ去った。
彼女は自身の20代に自由があったかと問われたら、迷わずNoと答えるだろう。しかし、彼女は何一つ後悔していない。彼女にとって20代は仕事もプライベートも黄金の時期であり一生の宝となっている。
この家族は端的に言って仲が良い。良い意味で3人が平等なのだ。それは11歳のアマンダも含め、皆がそれぞれのライフスタイルで充実し、精神的に自立している為である。しかし、最近はエレンの変化により少しバランスが傾いている様だ―
「エレン、今回は久々に追い詰められてるみたいだね」と、アダムが朝食のパンを皿に置いた後、切り出した。彼はこの時、エレンが変わってから初めて仕事の事に触れた。
「…ちょっとトラブルが起きちゃって…2人には、もう少し迷惑かけちゃうけど、よろしくね」とエレン。彼女は少し動揺していた。
アダムは「任せて」と言う様に手を軽く振り、言った。
「ここまでこん詰めてるのは初めてじゃないかな?」
エレンはドキっとした。これまでの仕事と違う事が彼にはバレている様だ。しかし上手く説明ができない。エレンは彼女の勝手な思いで、2人に影響を与えてしまっている事に申し訳無くなり、うつむいた。
アマンダはエレンのその様子を見てると、少し苛立ちながら言った。
「私達は全然大丈夫だけど、体壊したら元も子もないからね!」
アダムとは異なり、アマンダにはエレンの不安定さが伝染してしまった様だ。彼女は普段のカッコよくて強くて綺麗な母がいなくなり、そして彼女の知らない母の一面―根暗なギーク―を見て、戸惑っているのだろう。
「アマンダの言う通りなんだけど」と、アダムは少し感情的になったアマンダに視線を移した。
「エレンはこうなったら終わるまで諦めないからね。まぁ家の事は任せてよ」彼は再びエレンへ視線を送りながらそう言った。
朝食の後、エレンの見送りで夫と娘はそれぞれ家から出発して行った。エレンが2人を見送る事は稀だ。多くの日は、2人より早く会社へ向かうからだ。
彼女は、この日、ブリオンでの業務が無かった為、自宅に篭り全ての外乱を遮断して自分の仕事に取り組む事にしたのだ―
*
設計ソフトのエラーは相変わらず頻繁に発生していた。次世代機の設計コンセプトをブリオンの伝統的な仕様からオリジナルに変更したからだ。
汎用性を柱に生産性、信頼性を重視した堅実、悪く言うと無難なブリオンらしいデザインから、機動力、防御力、火力を大幅に増加させた攻めたものに変更している。
御三家―グラスレー、ジェターク、ペイル―のハイエンドクラスに並ぶ性能だ。
長年、ブリオンは御三家の市場と棲み分けをして来た。彼らの市場に割り込むのは割に合わないからだ。
ブリオンは公安や教育用など、スペックが控え目な汎用機に特化することで量産による低コストと、膨大な市場実績データのフィードバックによる信頼性が大きな武器だ。
これは合理的な戦略だとエレン自身も十分理解している。
その様なブリオンの歴史とノウハウがレギュレーションや基準となり、彼女が格闘している設計ソフトに刻まれている。それは今回の様な攻めた斬新な設計を受け付けない。つまり、これがエラー多発の原因だ。
この事から、次世代機の実現には2つの大きな課題がある。御三家の市場への参入と社内基準の大幅な見直しだ。これはブリオンの人間にとって気が遠くなる程、高い高い山である。
彼女は何故こんな険しい道を進み始めたか分かっていない。彼女は自分の行動の動機を論理的に説明する事は得意なのだが、今回のこれは上手く説明出来ない。ただ、熱量はこれまでの人生で1番の様だ―
次世代機のベースになっているのは、アスティカシアの決闘で見たアーシアンの改造デミトレーナー105だ。
エレンはこれまで毎日、改造105の映像を眺める内に虜になっていた。あの機体は、アーシアン達が限られたリソースを選択、集中して研ぎ澄ませた結晶であり、全く贅肉のない機能美の塊に見えた。
例えば、足を長くした事など、メカニカルな機動性の引き上げによりパイロットへの負荷は甚大なものとなっている。これは技術者があの105に搭乗するパイロットのスキルを見極めた上で、実現できる技だった。
一方で、潤沢な資本と不特定多数のユーザーを相手にする大企業からはこの様な機体を作ることは出来ないだろう。だからこそ挑戦し甲斐が有ると、彼女は熱くなっていた。
彼女は、改造105とは一点、大きく変更したスペックを作った。それふねは防御性能だ。
尖った性能バランスを持った改造105の弱点は防御性能だった。限られたリソースの中、パイロットの腕を信頼している上で選択した結果だろう。
エレンは意思を持って次世代機へは堅牢な鎧を纏わせる事にした。これは見る人によっては、贅肉になりかねない仕様だ。
―もし、ブリオンの持つ巨大な資本で、あの105のパイロットの様な人達を少しでも護れたら―
そんなこの業界では考えられない、誰にも言えない様な思想を込めた。
*
エレンは設計を進める中で10代の時、デミシリーズを触っていた事を所々で思い出していた。
当時住んでいたフロントには施設環境保全用に旧式のデミが幾つか配備されていた。そのフロントは管理がずさんで、保全員と仲良くなればそれに触ったり、乗せてくれる事が出来た。
デミとの出会いは8歳の頃、当時は母が病気で亡くなった半年後の頃で、父が彼女を元気付ける為にいろいろな所に連れて行っていた。その中でデミを見にいったのだ。
彼女はあろう事か隙を見て1人で乗り込んでしまい周りは大慌てだったそうだ。
彼女のパイロットセンスは驚くほど酷いもので、自立制御システムに逆らって転倒してしまった。
彼女はこの出来事は覚えてなく、これは亡くなった父から教えてもらった話だった。
彼女のデミに対する古い思い出は、10代になってから、デミのジャンク品を整備、改造したりして遊ぶ様になった時からだ。
パイロットとしての才能には恵まれ無かったが、技術屋の方向は父親ゆずりの才能が有った。
エレンは整備、分解、改造をする中で技術者の素養を醸成していった。技術者に必要な知識だけでなく数学、物理、化学など基礎教養も学校より、デミシリーズを触った事で習得した事の方が多い。
17歳の頃には当時最新だったデミトレーナー105を触るようになり、現代のMSの知識習得と本格的なエンジニアのスタートはそこから始まった。
この様にエレンはデミシリーズには特別な思い出があり、それは次世代機の遺伝子に深く刻まれていた。それはブリオンの伝統から刷新し、尖ったコンセプトに変更しても、彼女のルーツはブリオンだから、必然だった。
過去の思い出に浸りつつ、夢中で取り組んでいる内に、エレンの端末内の仮装空間では次世代機がほぼ完成していた。ニカとエレンとブリオンの思想が絡み合ったその真新しい機体は、設計システムの奥底で胎動のようなシミュレーションを始めていた―
*
エレンがアスティカシア学園の決闘を見てから3週間が経過した。彼女はふと、右耳の難聴がいつの間にか消えていた事に気が付いた。そして、次世代機の設計は微調整やディテールを詰める、仕上げの段階に入っていた。
この日は、再び自宅で取り組む事にした。彼女が好きなコックピット部のデザインを誰にも邪魔されない様にする為だ。
コックピットは外装の次に、設計者の趣向が表れる箇所だ。他社では外装やコックピットはブランドに直結する重要な要素となるため、専用のデザイン組織を設けるのが一般的だが、質実剛健のブリオンではそんな部署は存在しない。
エレンがコックピットのデザインが好きな理由は、自由に遊べるからだ。外装はコスト、性能に影響する為、ブリオンの社風を抜きにしても、合理主義の彼女にとっては遊べる領域では無い。
それに対してコックピットはコストの影響は小さい為、自由にデザインできる。また操縦性に直接影響するUIはパイロットの実力を引き出す手助けにもなるため、設計者の腕が試される部位でもある。
「これってコックピットの設計をしてるの?」
彼女がのめり込んでいると、予期せぬ邪魔者がエレンの仕事部屋へやって来た。アマンダだった。
彼女はテスト週間の為、いつもより早く帰宅していた。アマンダとは、近頃、少しギクシャクしており、エレンの仕事にも興味が無さそうだと思っていた。
「そうよ。ここはいつも最後に作るところだから、もうすぐこの仕事も完成するわ」とエレンは娘へ説明した。嬉しいのだか、何故か戸惑いの気持ちもあった。
「そーなんだ」
一息置いて、アマンダが聞いた。
「モビルスーツの設計って楽しい仕事??」
「時々は、でも、割にあわないからおすすめはしないわね」
冷たい様だが、これはエレンの本心だ。特に自分の娘にはこの仕事について欲しく無かった。
「じゃあ、なんでお母さんはこの仕事をしているの?」
エレンはギクッとしてしまった。アマンダが小さい頃は毎日聞かれた本質的な質問だ。しかし、この質問はこれまでで1番困惑してしまった。
「何故かしらね。お母さんはこれぐらいしか出来ること無いからかな」
エレンは平静を装ってアマンダへ話した。
この問いは父が亡くなってからエレンも考えていた事だった。そして、今のところ答えが出ていない問いだ。
アマンダには、平静を装っていることが伝わってしまった様だ。そした、その様な母の態度に少し不満を感じている事が伝わって来た―
数日後、次世代機の設計が完成した。あとは試作機を作って量産検討を進める段階に入るが、その前に独断で大幅に変更させた設計に関して、組織内で合意を得るというとても高い山が存在している。