エレンは会社のオフィスで大量の問い合わせメールに頭を悩ませていた。
2日前に次世代機の開発関係者へ設計変更の資料と図面を送った反応だった。大変な領域に足を踏み込んだ事が現実になって現れてきた。
この騒ぎの原因はもちろん彼女だが、建前上の責任はエレンのチームの長であるネイサンに有る。
3日前にネイサンはエレンの説得―限りなく脅迫に近い―負けていたのだ。
ネイサンは技術の腕前はさっぱりだが、世渡りは上手く、その能力とエレンの功績により今の地位まで来た。
一方でエレンは出世に興味がなく、功績を横取りさせる代わりにいろいろと自由にやっていた。つまり、彼女とネイサンは持ちつ持たれつの関係だったのだ。3日前までは。
―3日前―
幾らなんでも今回のこれはめちゃくちゃすぎるだろ。
ネイサンは次世代機変更の資料を手に、エレンのデスクに向かっている。彼女に暴走を止めるべく、彼は管理者として彼女と戦うつもりだ。
「やあエレン……最近忙しそうにしてたけど、これに取り組んでいたんだね」
「そう……やっと次世代機に相応しい設計が出来たの。早速、試作機を製作したいの」
エレンがいきなりふっかけて来た。
ネイサンは自分が甘く見られていると感じ、心の底から怒りが湧き出てきた。
「これだけの設計変更は、さすがに厳しいよ。他の部署も猛反発してくるだろう」
エレンがゆっくりと椅子から立ち上がり、ネイサンに近づいて来た。エレンが近づくにつれ、彼の中に、怒りの下から恐怖心がのぞいて来た。
「他部署については私が矢面に立つわ」とエレン。
「そ、そういう問題じゃ……」ネイサンの中に湧いていた怒りは既にどこかに消え去っていた。
エレンは精神的にも物理的にもネイサンへ圧力をかけている。
―彼女はネイサンより5センチほど身長が高く、近くに立たれるとネイサンはいつも威圧感を感じていた―
「他に問題は有る?」とエレンが冷静な口で言った。
エレンの圧力に押し込まれそうになったネイサンは微かに残った勇気を絞り出した。
「問題しかないよ!この膨大なレギュレーション違反はどうするつもりだい!?」ネイサンがエレンへ声を荒げるのは稀だ。ネイサン自身もここまで言った事に驚いている。
彼はこれまでも彼女の無茶を上手く誤魔化し帳尻合わせをして来た。もちろん、その恩恵をそれ以上に享受して来たから、彼女とは上手く共存していると思っていた。
しかし、今回のこれは彼の手には到底負うことの出来ない災害級の変更だった。
「シミュレーションの結果は全く問題無いし、どの違反項目も他社なら全く問題無いレベルの数値よ……それより、形骸化した多くの縛りがブリオンの競争力低下に繋がってる。これを機に色々なレギュレーションの見直しをするべきよ」とエレン。
彼女はシミュレーションの検証結果とレギュレーション違反のリストをネイサンに見せた。リストには他社での実績データと対比されておりどれも、他社の数値を超えるている項目は無かった。
おー、さすが、っと一瞬感心してしまったネイサンは、すぐに我に返り、何とか最後の刃を振りかざした。
「これは他社の話。ブリオンの売りは信頼性でしょ」
「では、さっさと試作機を作って信頼性を証明しましょ」
「だから、それは他部署が容認しな―
「私が矢面に立つ」
エレンの青みがかった灰色の目はじっとネイサンの目を捕らえていた。ネイサンは目を逸らし沈黙した。
彼は脳みそをフル回転させ逃げ道を考えた。その結果、一つの賭けに出ることにした。
他の部署にエレンを止めてもらうこと。つまり、ブリオンの総力を使い、この暴君を鎮めるのだ。今の状況では他の部署がボコボコにして廃案になる可能性が高い。
一方で、このままエレンと一対一で討論したら、結局負ける上に、数日間不眠になるほどプライドを痛め付けられるだろう。
他部署に止めてもらうと、一時的に彼の信用は低下する。しかし、一ヶ月もすればみんな忘れるだろうと、この目の前に立ちはだかる悪魔との直接対決よりデメリットを低く見積もった。
「わかったよ……エレンの案で進めよう」
*
昼休憩で会社の食堂に向かう途中で、開発メンバーの生産部門の代表であるイザヤが声をかけて来た。
年齢は恐らく50歳前後、大柄の筋肉質、軍人気質で上下関係にやたらと厳しい男だ。
「おいチャンセラー!…みんなで進めてきた計画を勝手にひっくり返したな。どういうつもりだ?」
彼は今にも怒鳴り声を上げそうな剣幕だ。
「ご相談も無く、大変申し訳有りません……誤解されているようですが、まだ『ひっくり返した』訳ではありません。他部署の方々には明後日のデザインレビューでご意見を伺います」と淡々とエレンは答えた。
「それに何だ、あの設計は。生産性は考えられていないわ、違反だらけだわで、基本も知らないようだな」
エレンは一言引っ掛かった。彼女は生産性は十分考慮して設計している。彼が言う生産性とは、既存の生産システムで製造できるかどうかという視点だ。
「設計の問題点については、検討会にて具体的、定量的にご指摘下さい。出来れば、設計の至らない点はご協力を頂きたいです」
エレンの青みがかった灰色の目は据わっていた。こんな人間が長の組織では、新しい生産システムは作れない。自分で生産システムを作ってやろうかと考えていた。
「どのみち、あんな設計では廃案だろ」
彼はそれだけ言い捨てて離れて行った。イザヤは生産部門がブリオンで一番権力が有ると思っている様だ。量産によるコスト競争力がブリオンの強みのため、一理ある考えだ。
しかし現在の生産部門は過去に築いた生産システム、管理システムにすがり付くだけの組織で、幹部は社内政治に注力し腐敗も進んでいる。
イザヤを含め、現メンバーは真新しいシステムの導入は下っ端時代しか経験が無い。
つまり、真新しいプロジェクトを牽引するリーダーの経験とスキルを持っている者がいないのだ。これは構造上の問題であり彼ら自身の落ち度だけでは説明できない問題である。
エレンは自分の衝動により、彼らを巻き込んでいる事には申し訳無く思っている。
この案が通れば、現メンバーは経験した事ない大きな課題の対応に追われる。影響が特に大きいのは彼らだろう。
エレンは自分の思いを通す為に、それらしい事業のシナリオを考案したが、それらは後から付け足した言い訳、詭弁に過ぎない。
本当は自分があの機体を作りたいっていう個人的な思いによるものだ。
仮にこの案が通ったら、彼女は全力で彼らのサポートをする覚悟をしている―
―2日後―
エレンが大幅に変更した次世代機のデザインレビューが始まった。
論点は、建前上設計の詳細についてなどいろいろあるが、1番は次世代機が事業として成立するか否かである。元のコンセプトでは、一年ほど前に既にこの検討は済んでいる。
つまり、新設計案により商売できるかどうかで、エレンの案か、元の案かを決める事になる。
それぞれの情報端末のモニター越しにメンバーの顔が表示され、会議が始まった。始まりの形式ばった話が終わり、論点となる設計変更内容についての説明に入った。
どの部署のメンバーも、発言をしたくてウズウズしているのが傍から見てわかる。
エレンはまず、変更理由について、これまでの開発機の問題点を説明した。変更前の開発機と既存機の性能比較表を元にエレンは発言した。
「以前の仕様では、既存のデミシリーズとの差別化は図れなく、全体のパイが広がらない中で、互いにシェアの奪い合いが発生する可能性が有ります」
これは、皆わかっている暗黙の問題だ。それを承知で進めて来ており、これまでは、敢えて取り上げずにここまで来ている。
エレンは続けた。
「であれば、次世代機へ開発費用を注ぎ込むより、これまで通りデミシリーズのマイナーチェンジのみでの対応が合理的です」
それも皆わかっている事だ。このプロジェクトの真の目的は何か新しい事をやってる風に見せる事である。
本質的には次世代機の皮を被ったマイナーチェンジ機である。
エレンは何か新しい事をやってる風に見せているコストが無駄だと、皆が黙認している事を言葉にして指摘した。
エレンは続けて、設計変更の目的を説明した。
「今回行った設計は、大幅な各種の性能向上です。目的はジェターク、グラスレー のミドルクラスのシェア獲得です」
設計変更後の新機体とジェタークのディランザ、グラスレー のハインドリーとの比較表が出てきた。
スペックは新機体が全ての項目で頭一つ飛び出ている。
「性能は各社のハイエンドクラスに匹敵します。ここでポイントになるのがコストであり、我が社が得意とする数の確保で圧倒的な低コストを図ります。既存デミシリーズのシェアも戦略的に使い、ハイエンドクラスの機体をディランザの半額で製造します……次世代機はトレーニーから最前線のベテランパイロットまで、これまでにない広範囲のユーザーに提供することを目標とします」
事業性判断を計算するAIのスコアも87/100で60の合格ラインを超えている。
彼女の案はブリオンの人間なら一度は頭をよぎった事がある夢の話だ。
ただ、誰もやっていないのは、この業界は単純な数字だけでは語れない事が多く有るからだ。
エレンの主張は至ってシンプルで、新機体の設計図も説得の裏付けとなっていた。
何よりブリオンの閉塞感を打ち破る希望に満ちていた。その場にいる多くの者が、当初反対するつもりが、心の奥底に熱いものを感じ始めていた。
あのネイサンですら心が揺らぎ始めていた。
いける、とエレンが内心思い始めてた時だ。イザヤがモニター越しから発言をした。
『目的は良くわかりました。仰られる通り、コスト競争力がポイントになりますね。ところで……そのコスト試算は、そちらで行った試算データですよね?正式には各項目の責任部署での試算が必要では?』
エレンは各部署にコスト試算をさせたら、本来より膨大な数値となり、廃案となる事を知っていた。
彼女の作戦は、この会議を緊急で開催する事で他部署へ見積もりをさせない事だった。
とりあえず、この会議を何とか乗り切り、試作機を作る。その後、試作機をトップへアピールし既成事実とする事で抵抗勢力を突破する作戦だった。
が、その意図は当然バレており、イザヤも手を打っていた。
イザヤは見かけによらず冷静な口調で言った。
『我々の試算では、製造システムにかかる費用はあなたの試算の3倍程かかる」
それはエレンの想像を遥かに超える値だった。間髪入れず品質保証の代表が便乗してきた。
『試作機の評価コスト、および品質管理、市場不具合対応も2倍ほど乖離しています』
2人は結託しているようだ。2体1となり群集心理はエレンからイザヤ達へ傾きはじめた。
エレンは試算と言えど、社内のデータベースとAIを使用してコストを出している。自分でも妥当性を確認している為、3倍は流石にやり過ぎだと思った。
これでは事業性判断のスコアも合格ラインを大幅に下回るだろう。
「コストの内訳はここで確認する事が出来ますか」
エレンは各試算を比較して、攻め所を探すことにした。
イザヤは手際良くコストの内訳データを表示した。エレンは各項目を確認したが、どれもエレンの試算より高いが、3倍の説明にはならなかった。
よく見ると、一つだけ大きな違いが有った。新工場の建設費用だ。
「この新工場建設費ですが、どういう前提で試算していますか?」とエレン。
『新機体の全数量の生産対応が出来る前提です』
「以前の仕様では、この見積り項目は有りませんでしたよね?」
『以前の仕様なら、既存の生産システムで製造できる。そもそも、生産数量の前提もしっかり議論していなかった為、この項目は検討のしようが無かった。それに対して、今回の仕様変更は多くの生産数量を確保する事がポイントだったので、そこはしっかりとコストに反映した』
イザヤの回答は論理的だった。
しかし、エレンは引かなかった。
「既存の工場内に空き地はありますよね?…………あと、デミシリーズのシェアも積極的に使って行くという計画なので、既存の生産システムをたたんで土地を捻出できるはずでは?」
エレンはその様な前提で試算しているため、新設の工場の費用はイザヤのそれの十分の一程だった。
また実際に可能な数値だ。それには生産部門の多大な努力がセットとなるが……
『空き地の適用については、現時点で他にも使用する計画は山程ある為、次世代機に使用出来るとは今は断言出来ない』
エレンの取り代がどんどん減って行った。
「なるほど……では既存生産システムの跡地は使わせては頂けないでしょうか?」
『既存生産システムとのスムーズな入れ替えについては、現時点では不可能と考える……何故なら、生産動向が不明な状態で既存システムをたたむ決断はできない。我々はコスト以前に、顧客への供給責任を果たさないといけない』
エレンは負けを感じ始めた。リスクゼロの前提で語られたら勝ちようがない。エレンは違う角度で攻めた。
「では…………既存の生産システムの効率化を図り、片寄せする事で新機体の生産エリアの捻出は出来ないでしょうか?」
『出来るかもしれないが、先程と同様、現時点で決断はできない』
エレンは感情に訴える作戦に切り替えようとした。が、彼女はそれが苦手である……
「あの…………我々がやっている事は、前例の無い新規事業です。つまり、必ずリスクは伴います……出来ない出来ないって、リスクを負う覚悟が無いならそもそも新規事業は始められませんよ」
これは失敗した。エレンが挑発した形になりそれまで冷静だったイザヤがいきなり激昂した。
『お前が勝手に思いついた事に!!何故我々がリスクを負わなければならないんだ!!?………これまで皆で合意して進めて来たんだぞ!!』
エレンも触発された。
「最初に説明した通り、これまでの仕様なら次世代機を止めて既存のマイナーチェンジのみの方が合理的ですよ!」
彼女は更に火に油を注いでしまった様だ。
『どんなプランでも、お前の素人並みの設計案が1番ダメだろ!!みんなお前の暴走に迷惑してるんだぞ!!―
この調子で2人の醜い言い合いが続いた。どうにもならず、決定権を持っている統括リーダーが割って入った。
『議論が白熱して来た所で悪いが、本日はこれ以上建設的な意見は出ないだろう……今回はコストが決断のポイントになる様だから、いつもの通り各部署の責任範囲で正式に見積りを作成し判断しようか』
終わった。エレンの作戦は失敗に終わった。
彼女は現在のブリオンを覆っている古い鎧を貫くことが出来なかった。
もともと無謀な挑戦であり、生産部門が反対している時点で負けは確定していた。やはり1人では到底乗り越えることが出来ない壁であったのだ。
本当に通したいなら、事前に各メンバーとの丁寧な対話が必要だったが、エレンは何故か焦って強引に事を進めてしまった。自分でもその問題に気付いていたが、もう取り返しはつかない。
*
3日後に各部署の見積りが揃い、予想通り設計変更は無しとなった。
エレンはこれを機に、かねてより考えていた退職を決断した。彼女は技術者として最後にやりたい事をやらせてもらったと、自分に言い聞かせ折り合いをつけた。