エレンがブリオンを去る事を決めてから約一カ月が経過した。あと一週間ほどでブリオンを退社する事になる。
彼女は次に何をするかは決めていなかった。学生時代から今まで絶えず忙しさに追われていた為、立ち止まるのは初の経験となる。
幸いな事に資産も十分ある為、無理に働く必要は無い。かと言って、何もしない生活など彼女には想像が出来なかった―
―一方、世間ではプラントクエタのテロ襲撃事件の問題一色となっていた。
ジェターク社CEOのヴィム ジェタークがテロの犠牲となり、デリング総裁は重傷で昏睡状態だ。テロ組織が襲撃に使ったのはガンダムらしく、迎え撃ったのは魔女狩り部隊とガンダム エアリアル。
21年前のヴァナディース事変を連想させる殺伐とした事件に対し、エレンは何か不味い事が起きていると一抹の不安を感じていた。
同時にベネリットグループ、特にジェターク社の信用低下により、自分が次世代機で描いたシナリオに予期せぬ形で近付いて来た事に複雑な思いを抱いていた―
*
エレンはスラックスのポケットから振動を感じた。今は、後輩へ何度目かの業務引き継ぎ会をやっているのだが、携帯端末が振動している様だ。
エレンは後輩に断りを入れて、ミーティングルームから廊下に出ると急いで、携帯端末を取り出した。
あっ、ジンね!
着信元は試作部門のジン ミウラだった。彼女はすぐさまジンと連絡をとった。
『やあエレン!久しぶりだな。!を聞いたんだが退職するんだって?』
「ええ。急にごめんなさい」
『エレン、水臭いじゃないか!』
「ごめんなさい、ジンにはいろいろお世話になったから、頃合いを見て挨拶に行くつもりだったの」
エレンとジンは長い付き合いである。彼とは昔、いわゆるバディの間柄で、持ちつ持たれつ、幾つかの試作機を完成してきた。
『君が去るとは寂しくなるな……いつが最終出社日だい?』
「一週間後よ……もう引き継ぎもほぼ終わってやる事は無いけど」
『そうか……そうだ!時間が有ったらちょっと試作に遊びに来ないか!?』
エレンは彼の誘いに快く承諾した。
「良いわよ!そういえば長い間顔を出してなかったわね―
*
エレンは次世代機の開発担当になって以降は試作部門に行く機会が無かった。前回行ったのは恐らく2年程前だった。
ジンのチームは設計のオフィスと同じ、ブリオン本社の敷地内に有るが少し離れた場所にあり、徒歩では困難だ。敷地内の地下にある巡行トレインを使う必要がある。
エレンはジンの所へ向かう巡行トレインの中で、新人時代の出来事を思い出していた。
当時の彼女は、設計オフィスより試作部に入り浸っており、自らMSの組み立てを率先してやっていた。
家庭ではアマンダが産まれたばかりで夜はまともに寝れず、よく体力が持ったなと自分で不思議に思った。
ジンにはメカニック目線での設計理論をいろいろと叩き込まれた。また、当時の先輩(ネイサン)が設計した試作品を2人で勝手に魔改造仕様にしたりといろいろ無茶をした思い出ばかりだ。
*
巡航トレインの駅は試作部門の建屋に直接繋がっている。コツコツと昔良く通った地下道の中を歩き、また、昔のまま奥にあるエスカレーターを上がるとすぐにジン達のオフィスに到着した。
オフィスの扉を開けると奥から初老で長身、細身の男性が出てきた。ジンだ。
「よく来たね!」
久しぶりに来た試作部のオフィスは内装が綺麗に一新していた。前回までは老朽化が目立つ印象だった。
「久しぶりね。ここはなんだか雰囲気がとても変わったわね」エレンは周りを見回して言った。ジンのチームはほぼメンバーの入れ替わりは無い様で、顔馴染みばかりだ。
「去年内装をリニューアルしたのさ。あれじゃあ流石に古くさ過ぎて、仕事のやる気が出ないよ」ジンはニコニコしながら言った。
「ところで、退職はとっても残念だ……原因はこの前の件かい?」ジンも例のレビューに出席していのだ。
エレンは気まずそうに答えた。
「ええ、それもあるけど……もともと迷ってはいたの」
「そうか……あの時は珍しく強引だったね。いつもは用意周到にスマートに片付ける君が」
「そうなの……何故か焦ってしまって」
「上手く行かなかったかもしれんが、俺は君を誇りに思うよ」とジン。
「何を言ってるのよ……コテンパンにやられたのよ」とエレンは苦笑いをしている。
「俺のチームのかわいこちゃんだった君が、あの脳筋野郎に一歩も引かず1人で戦ったんだ」ジンは惜しそうな表情を浮かべてる。
「そうね、私に少し筋肉が足りなかったかも」とエレンは笑みを浮かべた。
「はっは!アイツらは何があっても動かない奴らだよ。アイツらが動く時は自分達の地面が崩壊する時だけだ……けど、あの機体に夢を見た奴らもいた筈だよ」
「……そうなら嬉しいわ」
「少なくとも、俺はその1人だぞ。俺は、あの時の君とあの機体からは、理屈とかじゃない何かを感じたよ」
「まあ、もう終わったことよ」エレンは笑みを浮かべて言った。
「ところでさっき話してたてた、退社日まで暇ってのは本当かい?」
「そうね。やらなければいけない事は無いわ。そうだ。久しぶりに試作部のドックを見せてくれない?」
「こっちだ。ドックは昔のままだ。オフィスとは費用の桁が違うから、中々予算が降りないね」
ジンは白髪混じりの短髪頭に帽子を被せ、歩き始めた。
「最近は何か案件が有るの?」
「寂しい事に、ここ数年は大きい案件は無いな―
*
しばらく歩くとドックに到着した。彼らが歩いている通路の左右にモビルスーツを格納するレーン群が並んでいる。彼らの通路はまだ先に続いており、この様なレーン群が幾つかのエリアに別れている様だ。
寂しい事にこのエリアのレーンは殆ど空で、モビルスーツは見る限り2体のみだった。稼働率はあまりよろしく無いようだ。作業員は休憩なのか誰もいない。
次のエリアに向かう途中でジンがふと立ち止まって言った。
「ジェタークは今てんやわんやだそうだな。君が先日言っていたシナリオに少し近づいているね」
「そうね……結果的にそうなっているけど、私の描いたシナリオとは違っているし……そもそもあのシナリオはこじ付けでしかない」とエレンはかぶりを振った。
「こじ付け?どう言うことだい?」とジンはエレンの方を向いた。
「あの設計変更は、さっきジンが言った通り、理屈とかじゃないの……ある映像を見てから衝動的に作ってしまって。シナリオはそれっぽい屁理屈を付け足しただけよ」
「そうか……本当に君らしく無いね。ちなみにその映像ってのは何?」
少し間を置いてエレンが言った。
「……2カ月前のアスティカシア学園で行われた決闘よ。グラスレーとガンダムの」この事実を打ち明けるのはジンが初めてだ。
「あのガンダムに心打たれたって事かい?まー、この業界じゃどえらい騒ぎになってるからな」
「いえ、違うの。あの時……ミカエリスを撃ち抜いたデミトレーナー105、感化されたのはそれよ」
それを聞くとジンはとても驚いた顔をした。
「実は俺もあの機体が気になっていたんだ!……昔、105の開発もやってたから懐かしくてな。そこに君のあの設計図がやって来た……なるほど、そう言う事か!」
ジンが何に気が付いた様子にエレンは困惑した。しかし、彼女は彼のこの暴走モードには何回か見覚えがあった。
ジンが早歩きで奥のエリアの方へ歩いて行った。そして彼は歩きながら大きな声を出した。
「俺ももうこの会社で長く無い!最後に何かしたくて焦っちまったよ!!」彼の声がドックの中に響いている。
エレンはジンが何を言っているのかわからなかった。
彼について行くと、次第に奥のエリアの内部が見えた。
すると1番奥のレーンにキラキラと輝く、一際大きな機体に目が行った。
エレンは唖然とした。
そこには彼女が設計した新機体が立っていたのだ。
まだ、本塗装前のロールアウトカラーだったが、その外観から、明らかにこれまでのブリオンの機体とは異なるオーラが出ていた。
高性能さだけで無く、フラッグシップ機特有の何か王者の様な風格が漂っていた。
「君へ言うか迷ったが……すまん、作ってしまった!」
エレンは開いた口が塞がらなかった。
「……これどうやって!!?」
「うち(試作部門)は色々ルールは有るが、管理システムは性善説に頼ったものだから、やろうと思えば担当者がいろいろ発注できてしまうんだ」
ジンはニカっと笑って言った。試作部門はいろいろと不確定要素が多い為、融通が通るのだろう。
エレンは自部署の厳重さと比べてしまい、同じ会社でこんなに違いが有って良いのか?とブリオンのいい加減さにも呆れた。
「ジン!!あなたこれどうするつもりなの!?」
「どうしようかな。まだ考えてない。とりあえず見つかったらタダじゃすまないだろうな」
そう言うとジンはまたもやニカッと笑った。
ニカッじゃないわよ
昔から無鉄砲な所があったけど、流石にこれはやり過ぎだわ
と、エレンは心の中でつぶやき、自分の事は棚に上げ、同類である彼に呆れていた。彼女は自分が発端である事を完全に忘れている様だ。
「とりあえず完成させて、上層部へお披露目すれば話が進むかもしれないな」
彼も同じ事を考えていた。
エレンは複雑な気持ちだった。既に退職は決めたことであり、この機体も諦めた事だ。
「ジン、悪いけど私はもう設計者としてこれに関われない。もう責任も取れない」
「そいつはわかってる。これは俺が勝手にやった事で俺の責任だ」
続けて彼が言った。
「ただな……やっぱりここまで来たら完成させたいんだ。その……設計者じゃなくてアドバイザーとしてちょっと手伝ってくれんか?」
エレンは迷ったが、本心ではあの機体を触ってみたくてしかたが無かった。
「まぁ……退社までの間なら手伝うわ」エレンは平静を装い言った。
「そうか!早速見てもらいたい事があってな!!」
ジンはそう言うと、テクテクと新機体の方へ歩いて行った。
エレンは平静を装い―内心は飛び跳ねそうな気持ちを抑えて―彼について行った。そして、近くで機体を眺めた。
ディランザよりスマートで、ハインドリーよりはゴツい。スマートさと武骨さがバランス良く混在しており、あのアーシアンの改造デミトレーナーで感じていた機能美を受け継いでいる。
また至る所でブリオンの系譜をしっかりと引き継いでおり、真新しいコンセプトなのに不思議とパッと見でブリオンの機体だとわかった。
エレンは、彼女の計画通り、この機体がディランザの半額で生産できたら、とんでもない事になるなと、想像したらゾクゾクしてきた。
彼女は我ながら素晴らしい設計をしたと自分に酔いしれ、そして、瞬く間にこの機体の虜となっていた。
*
―ブリオンの試作では特殊な製造工程で製作を行う。各モジュールの組み立てを重力下で行った後、全体のアッセンブリーは無重力下で行う。その後、重力下にて駆動テストを行う。
テストは重力の影響による不具合有無を確認する為だ。だいたい幾つか不具合が出るため、内容に応じた処置を行う。
全ての工程を重力下で行う所も多いが(ブリオンの量産システムは全て重力下)、その方法では組み立て装置に大きな投資が必要となる。一品モノを作る試作の場合は、この方法が適しているのだ―
「今重力テスト中なんだ。これだけ新規の設計が入るとやはり不具合も多い。ほぼ刈り取ったが3つのエラー項目だけどうしても消えないんだ」とジン。
エレンはジンが持っているコンソールパネルを除きこんだ。
各エラーの項目名と発生ヶ所、発生時間、条件等が表示されていた。
やっぱり出たわね……
どの項目も設計時に懸念していた項目だ。恐らく、チューニングで処置できる内容と思われるが、原因の箇所がコンソールパネルの表示内容では大まか過ぎる。
よってまずは不具合となる部品を絞り込んで特定する必要がある。
「これらならだいたいの見当がつくわ。それぞれまずは原因の絞り込みが必要ね。私が調査手順を考えてから指示を出すわ」
「そうか!助かるよ。それじゃあ人を集めないといかんな!」
3つの不具合対応を順番にエレンが指示、ジンのチームが調査、処置で手分けして対応して行く事にした。
この日は昼過ぎから作業を開始し、一つ目のエラー項目の原因特定、処置が終わった頃には日が暮れていた。
「今日のところはここまでにしておこうか」
ジンは汗だくでヘトヘトの様だ。
「そうね。キリが良いし、ここまでね」
エレンは内心、まだまだ行けると思ってたがジンの様子を見て抑えた。
自分が一から設計した機体に触れる感動と、新人時代の様にがむしゃらに現物に触れる楽しさに浸っていた為、疲れは感じなかった。
エレンは次の日も試作に行き、新機体の調整を手伝った。2つ目のエラーは半日ほどで処置完了、問題は3つ目だった―
「この処置は、右腕を一旦取り外さないといかんな……もう一度無重力の組付場に持っていくか」ジンは機体を見上げながら言った。
「そうなるわね。どれくらいで返ってくるの?」
「作業自体は直ぐ終わるが、輸送に時間がかるからな。数日はかかる……あとは俺たちで仕上げておくよ!」
「……ええ、よろしくね」
エレンは退社までに間に合うか心配になった。
ジンはエレンのその心配を感じとった様だ。
「完成したらまた君に声をかけるよ!大丈夫!君の退社までに必ず間に合わせるよ!」
「ありがとう。楽しみにしてる!」
珍しくエレンは満面の笑みを浮かべた。ジンはその笑みにエレンが新人だった頃の面影を感じた―
*
エレンの最終出社日は明日となっていた。エレンは新機体の状況を知りたくてウズウズしていたが、自分からは中々連絡出来ずにいた。
痺れを切らしジンへ連絡しようとした所、ちょうど向こうから完成したから見に来いと連絡が来た。
彼女は試作へ飛んで行った―
「ギリギリまで待たせて、すまなかったね!」
「ありがとう。ジン」
「こっちだ。」ジンは嬉しそうにエレンを呼んだ。
ジンに付いてドックに向かった。
前回と同じレーンに新機体は立っていたが、前回とは違い塗装がされていた。それは見覚えのある配色だった。
「この色って……」とエレンは機体を見上げて言った。
まるでアーシアンの105を真似したような配色だった。
「俺が決めた。あのアスティカシアの105みたいだろ!」
ジンはニカっと笑った。彼は相当あの105が気に入っているようだ。
艶消しブラックとグレーのモノトーンが至高だわ
と、エレンは心の中で呟きつつ、アーシアンの改造デミを彷彿とさせるこの配色を気に入った。
「こいつの名前を決めてなかったな……君は何か案があるかい?」
「そういえば、考えて無かった……ジンは有るの?」
ジンは得意気に腕を組みながら言った。
「……バーディング(馬鎧)ってのはどうだ?あのアスティカシアのじゃじゃ馬へ着せる鎧って意味で」
「バーディング……」
エレンはその言葉から、この機体に意思を持って堅牢な鎧を纏わせた事を思い出した―
「うん、それが良いわね」
エレンは、塗装が完了し、名前が付いた機体を改めて見ると、何とも言えない達成感が湧いてきた。
「それで……今後バーディングをどうするつもり?」
「何とか、テスト運転を重ねて、上層部へアピールしてみるよ」ジンは上を見ながら言った。
「ジンなら上手くやれると思う……応援してるわ―
*
次の日、エレンの職場ではささやかながら送別会が行われた。退職の贈り物にはいつもツッコミをしてくれた後輩の女の子から、悪ノリで作ったバーディングのホログラムの置物を渡された。
それは、まるで本物の3Dモデルを使った様な『異様に精巧なホログラム』で、何故か釘バットを構えていた。
彼女は、最高の皮肉だと笑いにして受け取ったが、内心はとても嬉しかった―
*
エレンの退社の翌日、ジンは頭を悩ませていた。エレンにはああは言ったものの、ブリオン社内でテスト運転をすれば直ぐに公になってしまう。
そうなれば性能を確認する前に、プロジェクトメンバーに破棄されるだろう。
それなりに性能を確認するまで公になる訳には行かない。性能確認したデータが有れば、それを基にトップへアピールするチャンスが出来る。
つまり、性能確認から公になるまでのタイムラグが必要だ。
ジンの端末にはアスティカシア学園のグラスレー対ガンダムの映像が映っていた。ぼー、とその画面を見ていたジンは何か閃いた様だ。
ジンはすぐさま社内でアスティカシア学園とパイプを持ってそうな人物に手あたり次第連絡を始めた―