差し込む夕暮れの日差しの中で、アタシはスマホの画面を見つめている。
先日の襲撃の後、アタシや三好はいつものように屋上に戻される中で、東郷と友奈の二人は先代の勇者を名乗る乃木園子という人物に呼ばれて別の場所にいたらしい。
そこで聞かされたのは、今のアタシ達の体に起きている不調と、そこから分かるアタシ達勇者という存在について。
東郷から伝え聞いたことによれば、満開という巨大な力を発揮する代わりに、体の一部を供物として捧げたことによって、結果的に身体機能を喪失したのだという。
この情報に信憑性があるのかというところだが、二人によれば乃木園子のそばには大赦の人間がついたという。
ある程度の真実は含まれていそうである。
ここまでのことが本当なら、この目はもう戻ることはない。
……樹の声も。
それどころか、自死を試みれば精霊によって阻止される。
ただ戦闘中にこちらが傷を負わないように守ってくれている存在だと思っていたものが、実は強制的な延命装置だった。
こうすることで永遠に死ぬことなく戦い続けることができる。
どれもこれも、誰かの伝言で聞かされ、言葉だけならまだ疑いで済むところだった。
こうして満開を使用してから自らの体に不調が現れるだけでなく、先日に至ってはアタシの目の前で東郷が実際に刃物を首元に向け、そこを精霊が阻止するところを見せつけられた。
こうなればもう信じざるを得ない。
信じたくなくとも、それも許されない。
……けど、それでも。
まだどうしても諦めきれない。
この失われた身体機能が元に戻ることは本当にないのだろうか。
あれから、ずっと満開の後遺症について考えている。
大赦にも再三体の調査について確認するメッセージを送っているが、どれもまともな返事が返ってくることはない。
しかし、これまでこの後遺症のことについて隠していた大赦のことだ。
これが治る方法も隠しているかもしれない。
……いや、内心ではもう分かっている。
それでも、せめて他の勇者部の仲間だけでも、樹だけでも。
縋るような思いで、また無為に大赦へ調査結果の催促のメッセージを書いては、送信ボタンを押す。
…………彼はこのことを知っていたのだろうか。
これまでずっとそばにいた幼馴染とのやり取りの記録を眺めてみる。
そもそも、私たちが勇者に選ばれた時点で満開は組み込まれていた。
先代の乃木園子が満開によって身体機能を失っている前例があるのだから、大赦の上の方のポジションでなくとも、勇者システムを作っている立場であれば、そのリスクについては当然知っているだろうと考えられる。
であれば、なぜこのことを伝えなかったのだろう。
端末を受け取りに行って以来、最近は顔も合わせていない。
メッセージでのやり取りはあるのだが、それも無機質な業務上の連絡や報告のためのものだけで、そっけない。
なにか新しく誘ってみようかと文面を考えてみても、指先はすぐに止まってしまう。
普段のように他愛のない話でもしようと思っても、いろいろなことが頭にちらついて
その一歩が踏み出せない。
向こうからも全くのアクションがないことを考えると、やはりなにか触れて欲しくないことや隠していることがあるのではないかと考えてしまい、猜疑心も出てくるというものだ。
そんな状態で顔を合わせたところで、一体どうすればいいのか、もう分からない。
その意図を想像するだけで、指先のボタンを押す手が動かなくなる。
と、不意に家電が鳴った。
見たことない電話番号だが、硬直したままの状況を動かすためには、もう何でもよかった。
縋るような気持ちで受話器を取った。
────────
もう一度メッセージの送信が完了していることを確認すると、スマホを閉じる。
これは三好に送ったものである。
この間の突然の電話は、恐らく前勇者の生き残りの一人だろう。
であれば、勇者システムと満開の後遺症についてなどの重要事項が犬吠埼達にも伝えられた。
実際、当日あの場にいたと思われる大赦の人間から、一部始終については俺にも来ている。
それは俺の立ち位置が勇者部のお目付け役のような立場にあるからだと思われるが。
ついさっきまで開いていたのは、いわばそのせいで送る羽目になったものだ。
内容は、最近の勇者部のメンタルが心配だから注意して見ておいてくれ、というもの。
まだ全員が後遺症の原因と、治るか否かについて不確かであることを把握しているのかは分からないが、いずれにせよ一番精神的にマシなのは三好だろうと思ってのことだった。
彼女は部の中では最も大赦への忠誠心が強いし、満開も発動していないので、体も健康体そのもの。
本人が自分は勇者部を監視する側だと思い込んでいるという意味でも、丁度いい。
犬吠埼は以前から身体機能が失われたことについて調査を求めるメッセージが飛んできているし、相当不信感が溜まっているに違いない。
東郷と結城はあの日に勇者について聞かされた当事者であるし。
樹ちゃんは……最年少だしな。
三好に任せるのは以前までは少々信用ならんと思っていたのだが、以前にこちらに送られてきたメッセージを見た限りは勇者部にも大分馴染んでいたようだし、人間的な成長も見受けられた。
単純な戦闘力という面で見ても、きっちり大赦の訓練を受けたのは彼女だけであり、対応力や熟練度が最も高い。
もしもの時のストッパーとしては最適の人選のはずだ。
ここまでにやったことを確認し終えて、改めて犬吠埼家の玄関に向き合う。
自分でも、なぜここに来たのかも良く分かっていない。
最近の犬吠埼は元気がなさそうに見え、他の勇者部のメンバーも調子がおかしい。
個人的な連絡もほとんどない。
まあ原因は分かり切っているし、だからこそこちらからコンタクトをとる気にはならなかった。
これまでも犬吠埼からは大赦宛てに身体機能が失われることについて、調査を催促するメールが再三来ている。
勇者部が大赦へ送るメールは、全て一度俺を経由して必要か不必要か精査してから、必要なものだけ本部に送っている。
だから、そもそも大赦は調査自体を行っていないというのが真実だ。
「……ッフーーー」
はっきり言ってクソなことをやっているわけなのだが、こうして家まで来てしまっている。
そんな癖に今更になってここに来たところでどうしようというのか、と言われればその通りだと思う。
もう誤魔化すのを止めて、せめて満開のことについて自分の口から全て説明しようとするのか、それとも元気がなさそうなところを励ましに来たのか。
ここまで来ながら、俺はまだ決めきれない。
どちらもただの無責任な自己満足にすぎないような気がして。
でもただじっとしているだけはできなかった。
そうして、しばらく目の前の扉を叩くことも出来ずに廊下を右往左往していると、端末が勇者システムを起動した反応と音が、共に部屋の中からあった。
「風!」
その瞬間、つい直前までの躊躇などどこへやら吹っ飛び、咄嗟に手を伸ばしてはドアノブを掴み、扉を引く。
幸いにも鍵はかけられておらず、手首を捻ればそのまますんなりと扉を開くことができたが、俺の目に飛び込んできた光景はすんなりといくものではなかった。
一つの人影は光に包まれてはその姿を変えていて、その表情は正に怒り一色という感じだった。
そこまでが分かった次の一瞬、背中に痛みと衝撃を感じる。
幼少期に体験した、高いところから落ちて背中を打ったときに内臓が押さえつけられて、肺の中身が出し切られかと思えば息が止まるあの感覚。
吐こうにも吸おうにも全く体が言うことを聞かない。
「アナタは!!」
恐らく勇者の装束に身を包み、それに見合わない迫力でこちらの体を抑え込む幼馴染。
ヒュッと細かな空気が隙間から漏れ出るような音を喉から鳴らし、詰まりながらもなんとか息を吐きだし、ぼやけた視界の中で現状を理解しようと努める。
今の俺は犬吠埼に襟をつかまれ、先ほど開いた扉を通過してアパートの廊下に飛び出しており、廊下の外側に建てられている壁に押し付けられていることが分かる。
依然視界がぼやけたままなのは、メガネはその衝撃でどこかに吹き飛ばされたのか。
そのせいか、至近距離であるにも関わらず、犬吠埼の表情をまでうかがい知ることはできない。
その声色、口から抑えきれずに出てくる荒い呼吸、先程まで見えていた表情を考えれば、憤怒一色に染まっていることは想像に難くないが。
苦し紛れに、声を絞り出す。
「っなにが」
「満開の後遺症について!!知っていた!」
そのことが口から出てくるのも、当然のことだった。
分かる、まさに自分も聞こうとしていたしていたところなのだから、そこで問い詰められるのも分かるのだが、一つ疑問が浮かぶ
なぜこの瞬間に爆発したのか。
犬吠埼がなにかに怒るとき、それは大抵他人のことについてだ。
自分が片目を失おうと、勇者部を守れるのであればそんなものはくれてやろう。
そう、本気で思える人間だ。
だからその着火点、今先程の室内でなにが起こったのかは分からないが、おそらく樹ちゃんのこと辺りだろうか。
………クソが。
大赦の情報網とは恐ろしいもので、樹ちゃんが歌の方で本気で挑戦していることも全て筒抜けになっている。
それはお目付け役のようなものを任されているせいか、俺にも伝わっている。
伝えられていない方がよかった気もするが。
だから、それを聞かれたときになにを口に出すこともできなかった。
しかし、この時の沈黙は肯定としか思われないだろう。
「どうして!!言わなかったの!!」
犬吠埼がこちらを睨みつけてきているのは分かる。
けれどその表情ははっきりとは見えない。
今はそれでよかった。
犬吠埼がどんな感情でいるのか、どんな想いを背負っているのか、それを考えると目を合わせることなど、到底できなかった。
またも、問いに対する回答を持ち合わせていなかった。
「………そう」
急に色の抜けたような声が耳朶を打つ。
首元を押さえつける手の緊張も緩くなり、ようやく喉を新鮮な空気が通り抜けるようになった。
その反動のせいか、ヒュッと隙間風のような空気が擦れる音が喉から鳴る。
バクバクと全身が波打つのを抑え込もうと、酸素を必死に取り込もうとしていると、前かがみになって下がっている頭の上から声がかけられる。
「結局、アナタも大赦の人間だったってことね」
こちらへの信頼を無くした失望を含んだ言葉に、背中を伝う汗が妙に冷たく感じられた。
ここまできても、返事としてふさわしい言葉など出てくるわけもない。
「もういい」
こちらへ問い詰める気力も希望もなくしたのか、視線を別の方向へ向けて踵を返しては足を進め始める。
「どうするつもりだ」
「大赦を潰す」
すでに覚悟を決めた表情でフェンスに足をかけると、それを再びこちらに向けることはなく、言葉だけを残して飛び去った。
俺ができることなどは、そんな彼女の背中を見つめるだけ。
………………。
どれだけの時間が経っただろうか。
完全に見えなくなってからも再び立ち上がるような気にもならず、しばらくの間呆然と犬吠埼が飛び去った方向の空を眺めていた。
空の色も倉見がかり始めている。
とはいえ、いつまでもこうしているわけにもいかないので、なんとか体を起こすと、扉が開け放されたままになっている部屋の中へお邪魔する。
全く、アイツは家の鍵も閉めないで特攻してさあ。
すこし呆れながらも、誰も居なくなった部屋の中にある鍵を探し始める。
それは意外にもあっさりと見つけることができた。
玄関に入ってすぐの位置にある壁掛けのコルクボードに、見覚えのある形の鍵を伺うことができ、俺は手に取った。
プライベートのこともあるだろうと考え、それ以上に不用意なことはするまいと部屋を出ようと……。
そこでふと、外されたまま無気力にぶら下がっている家電の受話器が目に入った。
普段はこんなことはしないのだが、先程のこともあってか、この時はつい魔が差してしまったというやつかもしれない。
受話器を手に取ると既に通話先とは途切れており、無機質な通知音が流れ続けているのみだった。
一度元の位置に戻してから、通話履歴を探してみる。
案の定というべきか、機械音声で流れたのは先程頭に浮かんでいた通りの、樹ちゃんに関するものだった。
それが分かってからは、もう聞きたくなかった。
停止ボタンを押して、随分と重く感じる足を引きずるように再び玄関まで向かうと、扉を開けて外に出る。
しっかりと鍵を閉めたことを確認してから、ポストに鍵を放り込む。
「いたっ……!」
口の中に鉄の味が広がる。
その痛みにあてられてその口を拭うと、端の方にぬるりとした感触がする。
手は赤色がついていた。
アイツ、本気でやりやがって……。
いちいち汚れを気にするのも面倒だし、なによりこの傷も自業自得の産物だと自戒し、適当にズボンにこすりつけると、吹き抜けになっているマンションの廊下の手すりに肘をかける。
ポケットから端末を取り出す。
メッセージアプリを開くと、結城と樹ちゃんへ送るメッセージを打ち込む。
送信が完了したことを確認してからスマホを閉じてポケットに突っ込む。
恐らく、先に警戒を促しておいた三好が足止めに入ってくれているはずだし、その間に他のメンバーも間に合うだろう。
「っはあーー……」
思い切り、今の気持ちを全て吐き出すようなため息。
「クソが」
柵を蹴り上げる。
「クソが」
何も言えなかった。
「クソが」
何も伝えられなかった。
引き止める言葉がなかった。
「クソクソクソクソクソクソ!」
力の限り、目の前の柵にぶつける。
自分の無力さに対する不満、失望。
結局、共犯になるとか大言壮語を語っておきながら何もできなかった。
やれることはやった。
自分の体もくれてやった。
それでも、いざという時に少女一人に手を差し伸べることもできない。
自分じゃなかった。
彼女を支えられるのは自分では力不足だった。
その事実を目の前で突き付けられた。
ひとしきり暴れては脱力感が襲ってきたので、適当に柵に体を預け、夕日に照らされた街を眺める。
なさけねー。
と、
けたたましい音が意識を現実に引き戻す。
とっさにデバイスを確認すると、そこには存在してはいけないはずの座標に、一つの反応が存在していた。
東郷が壁の向こう側にいるのだ。
恐らく犬吠埼と同じようにこの組織の腐り具合に見限ってしまったのだろう。
なにをするつもりなのも……なんとなく想像はつく。
再びメッセージアプリを開いてその内容を打ち込んでいこうとしたところで……。
手が止まる。
勇者が反乱を引き起こしたのだ。
一人は大赦を潰しにかかっている。
この以上事態の結果、本当に大赦が機能を停止すれば、四国を運営、管理している組織がなくなり、世界は終わる。
これを阻止したとしても、もう一人は直接世界を壊しに来ている。
今更、間に合うのだろうか。
アイツとの関係も、もう終わった。
だったら、世界が終ろうと……。
ふと、後ろを振り向く。
特に何かがあったわけでも、誰かがいたわけでもない。
ただ何となく。
けれど、その時に目に映ったのは、二年前の風景だった。
脳の中で声が再生される。
今は亡き、あの少女を憂う優しい女性の言葉のフラッシュバック。
自分は寄りかかれる人ではなかったみたいです。
けど、自分があいつにふさわしい人間でなくてもいい。
……最後に、アイツが笑っていてくれたらそれでいいんだ。
そんな風に覚悟を決めても、実際にやることはただメッセージを打つだけ。
情けない限りでも、今の自分にできる事はこれしかなかった。
後は、これまでの自分がやってきたことだ。
ほんの少しでも勇者達の力になってくれたら本望だよ。
やれることはやった。
再び柵に体を向けると、足に何かが当たる感触がした。
足元に落ちていた枝を拾うと、思い切り振りかぶる。
「ああああああああああ!!!」
最後に、あの横で直接力になれない無力感とか、その他もろもろ全てを込めてフルスイング。
ガーン
金属が衝突する音の後を、振動音が追いかける。
枝は折れて、その行方ははるか彼方へ消えていった。