朝
寝心地の悪さに目が覚める。
何となく寒気がするのに、顔は熱っぽい。
あー、これまずいかもな。
何とか重たくだるい体を起こして、布団から出る。
「お…っと」
二足でしっかり立ち上がろうとした所で、不意に力が抜けてふらつく。
壁に体重を預けながら、なんとか体温計のある所までたどり着くと、手に取ってわきに挟む。
ヒヤリと嫌な感触を我慢すること数秒。
38.5℃
この体温では流石に今日は学校に行けないし、行く気にもならない。
やばい、自覚したら余計に体調悪くなってきた気がする。
とりあえず樹を起こして、学校に休むことを連絡して…。
「いつき~、そろそろ起きなさい」
樹の部屋の扉を軽くノックする。
起きだしてくる物音を確認してから、キッチンに向かう。
体に鞭を入れて、なんとか簡単な朝食を用意する。
「おねーちゃん、おはよう」
眠そうに眼をこすりながら樹が来た。
「おはよう…。早く朝ご飯食べて、行きなさい」
樹がいつもの席に座り、食べ始めたことを確認すると、そのままソファに倒れこむ。
まずい、頭も痛くなってきた。
一度横になってしまうと、もう何もする気もなくなってしまう。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「う…うん。ごめん、ちょっと今日は学校休むから。樹、一人で行ける?」
「え!体調悪いの?お医者さん呼ばなくちゃ!」
樹は食事の手を止めると、慌てて立ち上がってこちらに駆け寄ってくる。
「大丈夫よ。今日一日寝てればよくなるから。いいから、樹はご飯食べて学校行きなさい。忘れ物しないようにね」
覗き込んできた樹の頭を軽くなでると、早く準備するように促す。
心配そうな表情ではあったが、素直に離れて食事を再開する。
さて、アタシも学校に連絡を入れなければ。
充電してあるスマホを手に取り、学校に体調不良で休むことを伝える。
そして、NARUKOを開いて、勇者部の二人にも今日はいけない事、活動は二人で行う旨を打ち込む。
ひと段落した所で、どうやら準備を終えたらしい樹が玄関に向かう音が聞こえた。
見送りぐらいはしようと、ゆっくりと体を起こす。
「行ってきます。お姉ちゃんは絶対安静にしててね」
「大丈夫だから、早く行っちゃいなさい。遅刻するわよ」
樹は、一度こちらに振り返ると、名残惜しそうに樹は扉を閉めた。
さて、樹にも言われてしまったし、なんでもいいからおなかに入れよう。
そして薬を飲んで、大人しく寝よう。
正直、あまり食欲がないのだが、冷蔵庫に何か食べられそうなものはないかと漁ってみる。
奥の方にゼリーがあった。
いつの物だか思い出せないが、消費期限さえ切れていなければ…と確認する。
問題なかったので、そのまま封を開けて胃の中に無理やり流し込み、薬を飲む。
ふらふらとおぼつかない足取りで、再びベッドに倒れこむ。
樹の夕食をどうしようとか、洗濯物もやらないと……。
気がかりは残ったままだが、眠気には抗えずそのまま意識は落ちていった。
ーーーーーーー
「あれ、犬吠埼いなくね?」
登校してきて教室の中を確認すると、いつも見ていた顔がなかった。
讃州中学での野球部のチームメイトの一人に聞いてみるが、
「知らない。まだ来てないだけじゃないのか?」
いつもは俺より早く教室にいるのに?
樹ちゃんが何かトラブルを起こしても間に合うように、時間に余裕を持ってる犬吠埼が?
とはいえ、何も分からない状態で何ができるわけでもないので、自分の席に座ることしかできない。
やがて担任教師がやってくると、そのまま出席を取り始める。
いつもならすぐに犬吠埼の名前が呼ばれて返事が聞こえるのだが、今日は休みだな、と確認する教師の声だけで終わる。
朝のHRが終わると、授業準備で忙しなくなる教室を後目に担任の下へ向かう。
「先生」
「お、なんだ。お前が教員に質問とは珍しいな。ようやく授業態度を改める気になったか?」
「それはないですけど」
「義務教育だからって、中学校教員を舐めすぎだぞ」
「しょうがないじゃないですか」
「分かってるよ、なんせあの大赦からのお勤めだからな。で、なんの用で?」
「犬吠埼が学校休んでるのはどうしてですか」
俺の言葉に、担任は目を丸くする。
そんなにおかしなことを聞いたのだろうか。
「え、お前らデキてたの?」
「初手から最強のカード切るのやめてください。それを言われたら、こっちが何言っても無意味になるじゃないですか」
「冗談だ。普通に体調不良だとよ」
中学生にはよくあることだ、となんでもないことの様に告げる。
が、すぐに苦虫を嚙み潰したような表情に変わると続けた。
「あそこは両親がいないうえに、勇者候補だってんだから厄介だ。本当は、俺たち教師がでしゃばりたいところなんだが…」
実は、この人は大赦と繋がっている。
だからこそこの場にいるというか、俺たちがこの人の担任に割り当てられたというか…。
担任はどうしたもんかと逡巡すると、
「そうだよ、丁度いいじゃん。お前ら昔馴染みだし、大赦の関係者だし、見舞いに行ってやれよ」
「初めからそのつもりで聞きに来たに決まってるじゃないですか」
その言葉に安心したようで、担任は俺の肩を叩くと、早く授業に行くように促してどこかへ行ってしまった。
これ以上追いかける理由もないので、担任の言葉に従って教室に戻る。
一見、無責任の様に見えるが、こればかりは仕方がないことだろう。
自分でも行っていたが、大赦と勇者というのはただの面倒ごとであり、下手に手を出すのは躊躇してしまうものだ。
勇者部の二人に頼もうかと思ったが、今現在は一般人である以上、余計なことはするべきではないだろう。
「おい、授業始まるぞ。どこに行ってたんだよ」
教室に入ると、例のチームメイトが出迎える。
「便所だよ。ていうか、お前は人の心配するより、短い時間に予習でもやっとけ」
「自分は勉強できるからって、気楽なもんだな。そのうち抜かれても知らないぞ」
「できるものならやってみろ」
軽口を叩きあって、それぞれの席へ向かおうとする。
いや、伝えなくてはいけないことがあったな。
「あ、まって。俺今日部活行かないから、部長に伝えといて」
「それは別にいいけど、なんで急に…あ!犬吠埼の家に行く気か!」
「うるさいぞ。なんか問題あるのか」
「いや、看病という大義名分をもとに女子の家に行こうなんて、万死に値する!俺も連れていけ!」
「だからお前はモテないんだ。第一、お前なにかできるのかよ」
黙り込んでしまった。
ちょっと言い過ぎたかとも思ったが、病人に余計な負担をかけるのはいただけない。
「じゃ、そういうことで」
ここは大人しく引き下がってもらおう。
ーーーーーーー
ピンポーン
チャイムの音が部屋の中から透過する。
犬吠埼には、家に向かうことをNARUKOで連絡を入れているのだが、既読はつかない。
体調不良である以上、留守にしているということはないだろうが、寝ているだけであると信じたい。
数秒の間待っていると、誰かがかけてくる気配を感じる。
ゆっくりと扉が開けられると、そこにいたのは妹の方だった。
「こんにちは、樹ちゃん。お姉さんの様子が心配で来たんだけど、どうかな?」
しゃがんで聞いてみるのだが、涙を含んだその目を合わせてくれない。
ホイホイと男を家に挙げられても困るのだが、そこまで嫌われているわけでもないとも思う。
再びの間の後、その口から絞り出すように声が漏れ出た。
「……お兄さん、助けてください」
ーーーーーーー
物音が聞こえる。
その源は隣室のようだ。
その音は普段のアタシが出している音で、聞く側になることはなくなって久しいものだった。
樹にしてはこなれているような気がする。
ゆっくりと布団から出る。
立ち上がろうとすると、頭痛にくらむ。
扉を開けると、視界に入ったのは、ここにはいるはずのない人だった。
「お、起きたか。体調はどうだ?」
「なんでアンタがいるのよ…」
昔なじみの男が、キッチンに立って何かを作っていた。
しかも、やたら手慣れているようで、様になっている。
「お姉ちゃん、もう大丈夫なの?」
樹が駆け寄ってくる。
あんまり近づくとうつしてしまいそうだと、受け止めるのに一瞬躊躇してしまうが、樹はそんなのお構いなしだ。
「どうする?腹が減ってれば飯食うか?あとは風呂も沸かしてあるから、好きなようにしてくれ」
「じゃあ、ちょっと汗流したいかも」
「だってさ。樹ちゃん、着替え持ってってあげて」
「はい!ほら、お姉ちゃんは気にせずお風呂に入っちゃって」
樹に押されながら、半ば無理やりに風呂場まで連れていかれる。
そんなに急かさなくても、始めから入るって言ったじゃない。
「樹ちゃん、布団のシーツとかってどこにあるの?」
「えっと、確か寝室の押し入れの中に」
騒がしい声が聞こえてくる。
随分と仲良くなったらしい。
アタシが倒れている間に一体何があったというのか気になる所だが、それは後でいいだろう。
寝間着を脱ごうとして…手を止める。
同級生の男子がいる中で服を脱ぐというのは、なかなかまずい状況なのではないだろうか。
気づいてしまったが、気付いてしまったところで今更どうにかできるわけでもないし、汗をかいたままは気持ちが悪く我慢できない。
ここはもう信じるしかないが、まあ、この人なら流石に大丈夫だろう。
…大丈夫だよね?
結局、外の様子が気になりすぎてあんまりゆっくり入れなかった。
浴槽から上がると、脱衣所には着ていたものとは別の寝間着が置いてあったので、それに着替える。
「出てくるのはや」
「病人がお風呂に入るのはあんまりよくないんじゃないの?」
「あれ、昔の家は風呂が別館にあっからだぞ」
キッチンを通り過ぎて、体温計を手に取る。
ソファに腰かけ、体温計が計り終わるのを待つ。
「食欲あるか?」
「……あんまり。けど食べる」
「分かった。持って行ってやるから、大人しく寝とけ」
ピピピ、と音が鳴ったところで確認する。
37.5℃
ちょっと下がってはいるが、薬を飲んだことで一時的にそうなっているだけだろう。
寝室に戻って行くと、シーツが替えられており、カラッと乾いていた。
ベッドに潜り、何をするでもなくボーッとしていると、やがて扉が開けられた。
そして、傍においてある棚の上にお盆を置く。
体を起こしてお椀を手に取ると、その中身はうどんだった。
溶き卵と刻み葱が入った、シンプルなうどん。
「風邪の時こそ、ちゃんと栄養採らないと弱ってくだけだぞ。回復にエネルギー余計に使ってるんだから」
「…いただきます」
「おあがりよ」
うどんを啜る。
「……美味しい、です」
「舌にあったようで、何よりだよ」
「くそう。女子力で男子に負けた」
「運動部男子を舐めるなよ?筋肉は全てを解決する」
「そういえば、部活は?」
「……家事は一通りやってある。買い出ししてきたから冷蔵庫はしばらく大丈夫。樹ちゃんの夕飯も任しとけ。作り置きも明日一日分くらいはやっておくから」
「おい、無視するな……。ともかく、ありがとう」
サボりか。
「樹は迷惑かけてない?」
「いや?率先して手伝ってくれたし、お利巧だったよ。……来た時には大惨事だったけど」
「それはまあ、うん」
その様子が容易に想像できてしまう。
ありがたい限りだ。
……家事。
「洗濯は!?アナタまさか」
「樹ちゃんにやってもらったよ!」
反射的に布団を押しのけて起き上がる。
手遅れかと思えば、今日は何から何まで気が利いている。
……面白くないな。
「とか言って、本当はちょっと気になっちゃたんじゃないの?」
「そんなしょうもないことで、犬吠埼の信頼失ってどうする」
「ちょっと!乙女のデリケートな部分をしょうもないって何よ!」
気が利くと思ったら、すぐこれだ。
気づいたら、手元のお椀の中身はすっかり無くなっていた。
「…おかわりするか?」
「……する」
「食欲がないってのはなんだったんだ」
「うるさい!」
どうしてこっちのデリケートな部分には踏み込んでくるんだ。
ーーーーーーー
樹ちゃんと食事を終えて、明日の仕込みののちに片付けをしていると、寝室の扉が開いた。
「なんかあったか」
「お水欲しいだけよ」
「寝とけ。用意するから」
ノックをして扉を開ける。
犬吠埼は、布団に足だけ入れたまま、体を起こしている。
こぼさない様に気を付けながら、コップを手渡す。
「いや、お水ゆうたやないかーい」
「病人なんだから体を冷やすな」
一言は言ったものの、特に気にした様子もなく、コップに口をつけた。
「あち」
「落ち着け」
「うるさい、子ども扱いするな」
「中学生は子供だろ」
「じゃあ、あなたもね」
「俺は年上だからいいんだよ」
「半月くらいしか変わらないくせに」
改めてコップの中身を飲む。
「そういえば、樹は?」
「寝たよ」
「そっか………今日はありがとね」
「どういたしまして。しかし、犬吠埼が体調崩すなんて珍しいな」
「きっと、ついに私の秘められた力が解放されたのよ。その反動で私の体が耐えきれなくなって…」
「止めろ、洒落にならん」
コップの中身を飲み干すと、俺に空になったそれを押し付けて横になる。
布団にくるまると、反対方向を向く。
表情が見えない。
「まあ、単純に環境が変わったことで、知らないうちに疲労が溜まってたんだろうよ」
「……そうね。きっと、言う通りだと思うわ」
俺たちが讃州中学に転入してきてから、犬吠埼は他の勇者候補の二人を監視下に置くために活動を始めた。
犬吠埼であれば、前の中学と同様に交友関係を作ることは造作もないことだと考えていたのだが、学年の壁はそこで感じたらしい。
常に動向を知っておくために何が最適か話し合った結果、出てきたのは部活動だった。
どうやら、俺が野球部で後輩や先輩と一緒にいるところを見ていて思いついたのだと。
自分の中では当たり前になっていたのだが、そこは外からみていてうらやましかったらしい。
で、どの部活動に勧誘するのか、園芸や其処らへんだろうと思っていたところで、新しい部を作ると言い出した。
確かに、余計なメンバーは情報漏洩の危険性もあるし、納得はできるのだが……。
そこで作ったのが、まさか「勇者部」なんてそのままの名前を使うとは思わないだろう。
流石にあからさますぎると指摘したのだが、何も知らない人からすれば、そんなおかしな名前の部活にわざわざ入ろうとしないから、むしろ最適だと押し切られてしまった。
これで、本命まで逃したら本末転倒だろうと思っていたのだが、そこは流石の一言だった。
無事にターゲット二人を入部させることに成功し、活動を続けている。
それから、侵攻が始まる気配も、情報も入ってきていない。
「勇者候補に選ばれたから、気負いでもしているのか?」
一体どんな感情でいるのだろうか。
突然両親がいなくなり、頼れる人もいない中で妹も守らなくてはいけない。
そのうえで勇者候補として選ばれた。
選ばれてしまった。
あの唐変木は少女をいじめるのが趣味らしい。
しばらくの間、互いに沈黙したまま夜が更けていくだけ。
不意に犬吠埼がこちらに寝返りを打つ。
「ね、ちょっと手、握っててよ」
「のぼせたか」
「今は茶化すとこじゃないでしょ。大人しく従っときなさんな」
良いのか、これ。
ここでのこのこ従ったら、明日になって痴漢容疑で訴えられたりしないだろうか。
しないか。
よっしゃ、ラッキースケベだ。
布団の隙間から出された手を軽く握る。
と、向こうから握り返してくる。
なんかすべすべする。
ていうか指ほっそ。
煩悩まみれ思考に、犬吠埼の声が割り込んできて、正気に戻る。
「昔さ、風邪ひいたときに周りが変に見えたことなかった?アタシ、ついにあの世を見ることが出来る魔眼を手に入れたのかと思ってた」
「あれ、Alice in Wonderland syndromeっていう、れっきとした病気だぞ」
「なにそれかっこいい」
興奮したのか、握る手が強くなる。
「あれ、結構きつくない?慣れたら自分が不思議生物をぼこぼこにするみたいで楽しいんだけどな。夢が現実になったみたい」
「たくましすぎ内?」
「杉うち?」
「ちょっと何言ってるか分かんない」
そうか分からないのか。
「けどね、アタシはあなたみたいに楽しんだりはできなかったから、こうして手を握ってもらってたの。そして、そうしてると楽になってくるの」
「犬吠埼が何かにビビるって、なんか意外だな」
「そういうのって、物理じゃどうにもならないじゃない!」
脳筋じゃないか。
「だからかな。勇者が戦うことになる相手は、どんな相手なのか分からなくて。本当にアタシになんとかできるのか」
手を握る力が、再び強くなる。
その力が、今の不安を伝えてくる。
「二人を騙した挙句、アタシが何とかできない相手だったら…」
握っていた手を緩めると、先ほど込められていた力はどこに行ってしまったのか、簡単にほどけてしまう。
しかし、今度は離れない様にしっかり握りなおす。
「勇者部五か条、なせば大抵何とかなる、だったか?」
犬吠埼が自分で決めた言葉。
「少なくとも、俺は知ってる」
自分を奮い立てるための誓いのようなものかもしれない。
「共に戦うことはできないけど」
俺は無力だ。
「犬吠埼があいつらを騙すっていうなら、俺は共犯者だから」
どれだけその剣を握ることを望んでも。
「どんな相手でも叩き斬れるように、俺がしてやる」
代わりどころか、自分から握らせているのだ。
ーーーーーーー
窓から差し込む光を感じる。
目を開けて体を起こすと、昨日よりも楽になっていた。
寝室には昨日いたはずの影はなく、リビングに出てもそれはいなかった。
テーブルに置いてある一枚の書き残しを手に取る。
冷蔵庫に入っている作り置きのこと、アタシが寝てから家を出たこと、カギはポストに入っていることが書かれていた。
全く、律儀なことだ。
早速、朝ごはんに使わせてもらうことにしよう。
樹の部屋に向かい、ノックをすると起きるように声をかけた。
バイアスかかるから返信できないジレンマ