愛しの妹との食事の時間を早々に切り上げ、久々にやってきたのはいつも通っている学校。
今は夏休みであることに加えて、夕方になって暗がりが近づいてくる時間。
当然というべきか廊下は静寂に包まれ、その中をどれだけ進んでもそれを打ち破るような人の気配も音もない。
アタシをここに呼び出した者がいるからには、その当人もこの校舎のどこかにいるはずなのだが……。
結局、アタシの期待とは裏腹に、何事もなく目的の部屋の扉の前に辿り着く。
扉に手を掛けようとして、ふと手が止まる。
この先に待っているものを想像すれば、そう気軽に踏み込むことにもためらうというものだ。
そして、一つ深呼吸。
一度気を引き締めてから、恐る恐る家庭科準備室の扉を開けると、視界のすぐ下の位置に見覚えのあるロゴの付いたアタッシュケースが目に入る。
直に床に置いているその様子に、余りに不用心すぎるのではないかと不可解に思いながらも、慎重にケースのロックに手をかける。
ロックを外して蓋を開けようと力をこめると、中身の全貌を把握する前に小さな影が目の前に跳びかかってくる。
とっさに手で受け止めると、その正体はここまでアタシのことを守ってきてくれた精霊の一体だった。
もうその時点で内心では分かっていた分かっていたはずだが、両手に抱えた精霊を眼前からどかしては視界をクリアにし、改めてケースの中身、その正体を確認する。
蓋を開け、黒い緩衝材に囲まれて入ってきたのは、もうすっかり見慣れたものの、できれば見たくなかった端末であった。
手に取ることに躊躇していると、ポケットから振動を感じては今の端末を取り出す。
その画面に映っていたメッセージには
『敵の生き残りを確認』
ここまでの流れで薄々察してはいたのだが、その心配が確信に変わると背筋に伝う汗が妙に冷たく感じられた。
なぜここに呼び出されたのか、なぜアタッシュケースがあるのか、なぜ端末があるのか、その事実と理由を改めて突きつけられる。
期待外れに呆然としている間も無く、当然目の前でつむじ風が巻き起こる。
その渦巻の目の部分、発生源は恐らく自分の端末。
あっという間に収まったかと思えば、その中から現れたのはイタチというか、厳密なことは分からないけどその手の小動物の姿をした精霊だった。
「……戦いは終わっていない。なんか、本当にこの目がうずいてきたりして…。やれやれ」
────────
「わざわざ来てもらって悪いな」
「ぴゃっ!」
俺は開け放されたままになっていた扉に体重を預けながら、片目に手を当てて妙に格好をつけている犬吠埼の背中に声をかける。
その背中は妙な声を挙げて一度飛び上がってかと思えば、ゆっくりとこちらに振り向く。
恐る恐るといった様子で口を開くと。
「……どこから見てた?」
「入ってきてから全部」
「ああああああ!見られたあ!誰にも見られていないと思ってかっこつけたところまで全部!」
「なにを今更……。さんざ、人前で秘められた力がーとか言ってたじゃん」
「初めからひとに見せる気でやるのと、一人でいたところを見られるのとは別物なの!」
「ここにケースを置いて行った人間がいるとか、そもそも呼び出したのが俺なんだからそこを考えとけよ……」
顔を赤くしつつ頬を膨らませ、そんなに?と思うほど恥ずかしそうにしつつ、抗議の視線を向けてくる。
こちらに落ち度はないはずなのだが、そこまで睨みつけられるとなにか弁明の一つでもしておいたほうがいいのかと頭を捻るが、結局なにも思いつかずに、なんとなく気まずくなってその視線から離す。
「バカンスは楽しめたか?」
その空気から逃れようと、適当に思いついた話題を振ってみる。
少々無理矢理な気もしたが、向こうも気まずさを感じていたのか、素直に口を開いてその話題に乗ってくれる。
「おかげさまでね。できればもう少し海を楽しませて欲しかった、っていうのが本音だけど。……アナタとも行きたかったし」
「それゃうれしいお誘いだ。これがなければぜひご一緒させていただきたかったね」
その言葉に一瞬心臓が跳ねるが、気にしないことにして犬吠埼の目の前に置かれている端末達を指し示す。
「それはお互い様」
しかし犬吠埼はそれとは違う、現在使用している方の端末を手に取り、こちらを煽るようにひらひらとそれを見せつけてくる。
「良かったら写真いる?」
…………大赦が持っている合宿所は海沿いだった。
ということは……。
「…………いらない」
「そこは欲しがりなさいよ」
非常に迷いがありつつも、こちらの内心を悟られないように首を横に向けて、できるだけ表情を殺すように努めて、そう口にする。
惜しい気がしなくもなくもないが、好感度と自分の身を守ることの方が重要。
すると、普段はこちらの動揺を隙とみて少しでもからかってきそうなものだが、今日に関しては少々不満そうに返事をしてそれっきりで終わる。
流石にこの状況でそこまでふざける気にはならなかったのか、恥を見られたところがよっぽど効いているのだろうか。
まあ実際のところいつまでもふざけているわけにもいかないわけで。
犬吠埼は「ふん」と仕切り直しとばかりに軽く鼻を鳴らして、声のトーンを落とす。
「この新しいこの子は?」
「それも含めて、これから全部説明していくが……長くなるけど」
「えー……、できれば手短に済ませて欲しいんだけど……」
「真面目な話なんだから最後まで聞きなさい。こっちが怒られるんだよ」
前言撤回。
やっぱりちょっとふざけている。
まあ、一度全て解決したものだと思っていたところを、実は終わっていませんでした、というものなのだから、すぐに気を引き締めろというのも酷か。
とはいえ。
かまいたちをマフラーのように首に回し、犬神を両手で抱えつつ撫でまわしている犬吠埼をたしなめ、俺は無人の教室に並んでいる椅子を引いて座るように促す。
こちらの真剣な顔を見て察してくれたようで、犬吠埼も表情を引き締めると、二匹を伴って席に着いた。
俺は開け放したままになっているアタッシュケースを再度閉じて、隣に並ぶ椅子の足元に移動させると腰を下ろした。
把握していないことがあると命に関わりかねないことなのだから、こうして強制的に耳を傾けさせる。
しかりと部隊が整ったので、俺は長々と説明を始めた。
まず第一として、今回は端末を回収したことで勇者システムのアップデートを行った。
この端末には主に回路部分に神樹の一部が使われている。
そもそも、勇者システムは神樹の力を具現化したもの。
この端末はその力を供給するための中継器の役割を持っている。
神樹自身の一部を使うことで初めてエネルギーの伝達を行うことができ、そこからシステムを起動、霊的回路を通じて力を行使する。
で、ここからが今回の調整についてだ。
犬吠埼達が満開を使用したことで、彼女達自身のエネルギー許容量が強制的に拡充された。
そのため、その分の余裕をもう一体の精霊を稼働させることに充てることが決定したのだが、そのためにはそれ相応に端末の方も入出力を上げなければいけない。
神樹が電池、勇者が電池とすれば、端末は銅線みたいなものだ。
大きい出力に対応するために霊的回路を効率化しつつ、それぞれの身体特性に合わせて最適の出力が出せるように調整をした。
かつ、新たな精霊を組み込んで……。
「で、結局はどういうこと?」
俺が懇切丁寧に説明をしていると、突然の犬吠埼の声によって強制的に中断される。
気づくと、目の前の犬吠埼の顔は眉間にしわを寄せ、もうお腹いっぱいと言った様子で拒否を示している。
「ちゃんと話を聞いてください。聞いておかないと、異常が起きた時に対処する箇所が分からなくなるから把握してもらわないと困るのはそっちなんだぞ」
「技術的なこと聞かされても理解できないって」
一から十まで詳細を知ったところでということか。
そりゃあ、正直こちらも完全に理解するとは思っていないが、だからと言って手を抜けば、いざというときに危うくなるのは自分自身というのが分かっているのだろうか。
「それより、もっと重要なことがあるんじゃないの?」
犬吠埼は指を唇にトントンと当てて示すのだが、自分を振り返ってみると唇をかんでいることに気づいた。
イラつきというか不機嫌さが表に出てしまっていたのかもしれない。
彼女はこれに気づいて、それ以上の小言を避けるために別の方向へ向けようとする話題を振ったのか。
いや、違うか。
彼女が言いたいのはもっとその前段階の話。
すでに解決したと思っていたものが、全くそんなことなかったことに対する疑問。
完全にこちらの落ち度である以上あまり進まないが、ここでなあなあにすることこそ真摯とは言い難い行動だ。
一瞬躊躇しつつも口を開いた。
「……まだバーテックスは滅んでいない」
「アタシたちはちゃんと12体倒したはずだったと思うんだけど」
向こうにもそのつもりは無いのだろうが、その言い方にはこちらを問い詰めるような疑いと圧が含まれているのを感じる。
ちょっと引っかかるが、お互い様なので飲み込む。
「そのうちの一体がそこらへんが特殊な個体なんだ。二体で一組になっているっぽくてな……、見過ごしてた。完全にこっちの落ち度だ」
俺はただ事実だけを述べ、頭を下げる。
この辺のことに関しては、なにも言い逃れをすることも出来ないし、する気もない。
全てこちらによる落ち度なのだから。
「そんなに深刻にならないでよ、もう。しょうがないから、このあたしが尻拭いしてあげるわ」
顔を上げた時、かけられたのは非難ではなく励ましだった。
もっと不機嫌になるかと思っていたが、むしろその逆に見える。
歪に思えるその反応に、また申し訳なさと恐れを感じて、冷たい汗が背中に伝う。
「すまん。今回ばかりは俺のミスだから」
「しつこいわよ。共犯者だって言ったんだから」
その言葉に頼もしさを感じつつも、情けなさと申し訳なさが背中にのしかかる感覚。
こうして頭は下げて申し訳ないと言葉にしてはいるが、正直この反応が返ってくるだろうと内心では思っていた。
犬吠埼のことだから、こうすれば許してくれるだろうと。
それに甘んじている自分が嫌になる。
そうして犬吠埼の顔を伺うのだが、眼帯のせいで一つしか合わない目から、つい視線を外してしまう。
今回のアップデートで精霊を増やすことが出来たのは、前回の戦闘で使用した満開によって彼女らのリミッターが外れたから。
リミッターを外すということは、今以上の力を神樹から借りることであり、あれはそれ相応の対価を求める。
それが……。
「なによ~。この眼帯がそんなにイケてるの?さっきは中二病だとかなんとか言ってたけど、やっぱり羨ましかったんじゃん」
何を勘違いしたのか、ここぞとばかりに脇腹をつついてきてはこちらを煽る。
適当な解釈でいじられるのは非常に厄介だが、ここで無理やりにでも否定すると余計に怪しくなるので何も言わない。
それに、折角楽し気にしているところを水を差すのも気が引ける。
「なんか張り合いない……。ところで」
言い返してこないところに張り合いがないと感じたのか、犬吠埼はどこか物足りなさそうに怪訝な表情をこちらに向ける。
「あなたは、この目が見えなくなったりとかに心当たりとかない?東郷も色々と調べてくれてるみたいだけど、どうにもよく分からなくて。もしかしたら勇者システムの副作用だったりして~……なんて」
………………。
「…………それは俺にも分からん」
「え~、開発者なんだからそこまでちゃんと分かっているもんなんじゃないの?さっきはアタシに把握するようにって言ってたくせに」
また、不満というか文句というか、そういったものをちくちく刺してくる。
とはいえ、これもこちらを責めて追及してくるようなものではない、軽い感じではあるのだが、どこか緊張感がある。
俺は肺の中を空にするように大きく息を吐き出し、吸う。
急な行動に視界の中で犬吠埼がびくっとして、ちょっと驚いているが気にしない。
「さっきも言ったが、俺たちはあくまで神樹の力のほんの一部をなんとかしてシステムとして開発し、運用しているに過ぎない」
「今更だけど、それってすごく怖くない?」
「それだけ人類側に余裕がないってこと。そもそも、それを言えば日常生活でスマホや電子レンジを原理を良く分からずに使っているのと同じだよ。いちいち、コンデンサがどうとか、電子の動きがどうとか、そんなの理解していなくても使うことはできているだろ?」
こちらの諭すような説明と真剣な表情に、犬吠埼は押し黙って話を聞く態勢になる。
初めにシステムについて解説しようとしていた時とは大違い。
都合が良いので、そのまま話を続ける。
「電化製品ならまだましな方だ。これまで世界中の何億というほどの物量で人類が研究し、解明してきた歴史があるから。だが、勇者部や神樹、バーテックスといった神的な存在は、二千年前に唐突に現れたそれまでの技術とは明らかに異質な存在だ。しかもそのせいで人類はここまで数を減らし、新たに一つの学問として解き明かすには、知識も設備もなにもかも足りていない」
日本本土をある程度守れていればまだやりようはあっただろうに、人類は無駄に時間だけを浪費しすぎた。
「だから、その身体機能が劣化したことの原因が勇者システムにあるとは、こちらからは断言できない。まあ、あれだけ過酷な戦闘を行ったわけだから、単に一時的な疲労でなっているだけで、そのうち治りそうな気もするけど」
「うーん……。まあ、あんまり深刻に悩んでいても仕方ないか!あの化け物共にはちょうどいいハンデよ!」
右目を覆い隠す眼帯を見せつけるように、手を当てて謎にポーズをとる。
相も変わらず、その目のことに関しては全く気にした様子もない。
気にしていないようにふるまっているのかは分からないが。
「…………っあ…………」
「ん?まだなんかある?」
目の前の、ただの少女が机上に振る舞う様をみて、いたたまれなく思うのは、いけないことなのだろうか。
やはり、なにもかも投げ捨てて打ち明けてしまえればいいのに。
けど、それは俺自身がただ楽になりたいだけで、それをしてしまえば彼女を裏切ることになってしまうのではないか。
口をついて出そうになる言葉を飲み込む。
そして別の言葉で取り繕う。
「俺は別に否定した覚えはないぞ。かっこいい、かっこいい」
「……なんか、そんな風にやさしく見守る、みたいな言い方されると恥ずかしい!お前はアタシのおかんか」
「それ、こっちが普段から感じてるやつ~」
向こうがいつも通りを求めるのなら、それに答えるべきなのだ。
変わらずに。
そして、また戦いが始まる。
────
それから日を待たずして。
勇者部へ新たな端末の受け渡しと、状況説明を犬吠埼を経由して行った。
ちゃんと正確に情報伝達ができていたらいいが。
犬吠埼はあれで雑なところがあるから、そこで抜けがあるかもしれない。
そして、自分で背負い込むきらいがあるから、少々心配ではある。
まあ、東郷あたりが上手くフォローしてくれていそうなところではあるか。
そんな感じで、こちらも放課後になって準備をしつつ、気晴らしに海岸線を散歩していた時のことだった。
手を突っ込んでいたポケットから通知のベルと振動が響いてきたので、そのまま端末を握って画面を開く。
そこに映っていた数字は、見覚えのない電話番号だった。
いや、番号の頭の部分は大赦に割り当てられているものであるため、関係者ではあるのだろうが、勇者システムの開発連中でもお偉いさん方でもない。
もちろん、勇者部であれば端末の番号は登録されているはずなので、こちらに名前が表示される。
今更になって新しい部署でもできたのか……?
…………。
普段なら、こんな正体不明の電話番号に出ることはしない。
大赦関係であればなおのこと機密に関わることだ。
けれども、この時はどうかしていたのか、電話を取らなくてはいけないという強迫観念というか、運命というか直感がそうさせた。
周囲に人がいないことを確認してから、画面をタップし応答する。
耳に当てると、慎重に尋ねた。
「はいもしもし」
「あ、もしも~し?よかった。出てくれなかったらどうしようかと思ってたんよ」
こちらの警戒とは裏腹に、まったく緊張感のない間延びのした声が聞こえてくる。
そして、この世界とは不釣り合いな、妙にどこか覚えのあるテンションの高さ。
空気感の違いにさらに警戒度は増し、次の言葉を出すのに躊躇する。
「あれ、聞こえてる?ん~、とりあえずこのまま気にせず話しちゃうけど。……一応、初めましてかな?ちょっとお願いがあるんよ~」
この声の高さの感じは、若い女かな?
同い年くらいだとは思うのだが、大赦には勇者の候補生やらもそれなりの人数いるため、なかなか特定は難しいか。
そういう人たちが技術部の方にコンタクトを取ってくること自体は特に珍しいことはないのだが、それも文書で要望を出したりで、直接はなかなかない。
心当たりがまるでないが……、いつもの秘密主義体質か?
「どちら様で?」
まともに答える気は恐らくないだろうが、ダメもとで一応聞いておく。
「ん~?そうだなあ……君に助けられた女の子の一人と思ってくれたらいいよ」
向こうも聞かれることは流石に想定済みだったのか、特にどもるような様子もなく、軽々しくそんなことを言ってのける。
この言い方の感じをしてみれば、助けられた云々も信用ならん。
話半分に聞いておくのがふさわしいだろう。
「もうこの時点で色々と言いたいことはありますが、とりあえず我慢します。で、そんな女の子がお願いとは一体何でしょうか。ただの下っ端の一人にできる事なんて限られていますよ」
電話を挟んだ相手の正体を断言できない以上は、口調に失礼が無いように取り繕いつつも、皮肉に対してどう返してくるのかを図ることも含める。
相手に対してストレス耐性を試すようなことをするのは少々気が引けるが、ここは心を鬼にしてやるところだ。
これが効いたのか分からないが、今度は一瞬だけ唾を飲み込むような間を置いてからだった。
「こっちもそれは分かっているし、そんなに難しいことじゃないよ。勇者部の、わっ……東郷さんと結城さんを、瀬戸大橋の方に呼び出して欲しいんだ~」
わざわざその二人だけを?
勇者部の責任者という意味なら犬吠埼だし、勇者について知っているのなら三好にすればよいのでは。
なんか釈然としない。
「上の指示ですか?」
「う~ん……。そこは、無垢な少女のかわいらしいお願いだと思ってスルーして欲しかったなあ」
「……欲しい欲しいで、なにも支払う気が無い人間は好かないな」
「………」
受話器の向こうからは何も聞こえなくなる。
これは…………地雷踏んだか?
内心ひやひやとしながら次の台詞を待っている時間が、やたらと長く感じられる。
「……そうだね。大きな力には、代償がないとふさわしくないよね」
「いや、そこまで深刻な話ではなくて。大げさすぎますよ」
妙に質量のある、実感のこもった言葉が返ってくる。
どうだろう。
祠をマーカーとして樹海化が解除される時のスポーン位置を調整することができるということを知っているのであれば、大赦内部にも相当詳しい位置にいるはず。
勇者システムについても当然知っているのだろう。
そして少女…………心当たりはあるが、これほどまでに自分の勘が当たらないで欲しいと思ったことはないな。
しかしどうしたもんかな……というより、どうするべきか……か。
上にどこまで押し付けられているのか、制限されているのかは分からないが、監視下にはあるはず。
そこでこの電話も記録に残ったりするかもしれない。
そうすれば、少女のこの頼みも全てバレることになり、実現も難しくなるだろう。
いや、そもそもこの少女のことだから、その気になれば文字通り力づくでもなんとか押し通すことも出来ないことはないだろうに、なぜわざわざ俺に頼むような真似をするのだろうか。
電話の先の少女からしてみれば、俺のような立場の人間は恨み言を吐いて関わりたがらないようなものだろうが。
というか、これがバレたら俺の方が…………いや、ここまで来てそうやって我が見可愛さに見字らぬふりか?
どうしたもんか…………あーーー……クソ。
「……最近、あまりシステムの調子よくないし、誤作動でも起こしそうな気がするなあー。神樹様の気まぐれでなにが起こってもおかしくないかもー」
「…………ふふっ」
あからさまにわざとらしいこちらの言葉に、電話の向こうから小さな笑い声が聞こえる。
わざわざこちらが気を使って、渾身の一芝居売ってやっているというのに、なぜ笑う。
一言言ってやろうかと喉元まで言葉が出かかるが、ここでそれをしてしまっては台無しなので、なんとか飲み込んで耐える。
それに、元はと言えば彼女も我々によってこのようにさせられてしまったのであり、被害者の一人であるのだ。
これくらいで罪滅ぼしなんて言える訳もないが、これが自分のできる最大限。
これ以上に踏み込んでいけば、大赦からどうされるのかも分かったもんではない。
下手すれば、今の勇者達にまでマイナスの影響が怒るかもしれない。
「大赦の番号を語った迷惑電話なんかかけやがって。どうでもいいから、好き勝手文句言ってやるからな」
念のために適当な悪態を吐いておいて、あくまで無関係な迷惑電話に対応していただけという体裁を作っておく。
だから、これから起こることは俺は知ったことではないし、未熟なシステムが引き起こした誤作動、もしくは神の御導きということになるだろう。
悪いのは俺たちではなく、あの樹木である。
無責任に人を選定して、無責任に命を懸けさせて、挙句の果てに見殺しにするようなでくの坊なのだから、たまには無償に責任を取らせても構わないだろう。
………………。
「……間に合わなくて、申し訳ありませんでした」
まったく意味不明だろう。
ただの自己保身、自己満足でしかない。
けれども、これを伝えずにはいられなかった。
そして、これにどんな言葉が返ってこようとも甘んじて受け入れる気でいたのだが、それもまた別のものだった。
「そうだね……。私も一時期はそういう気がなかったわけではないんよ。けど、あの子に託されたからには前を向かなきゃいけない。世界が終わりに向かうのも、そのために皆が犠牲になることも、絶対に止めなきゃいけない。だからこうして、運命に抗うことにしたんよ」
これも、傍からすればただの意味不明なポエムにしか聞こえないだろう。
それでも、俺はただ聞いていた。
すぐそばの波の音でかき消されそうになるそれを逃さないように。
「おかげで私は……私たちは救われたんよ~」
そうして、電話は切れた。